第二部 神殿の巫女見習い2レビュー
第二部 神殿の巫女見習い
本好きの下剋上 全巻まとめ
第二部 神殿の巫女見習い4レビュー
中世ヨーロッパ風の世界が舞台。
異世界なのでファンタジー要素もある。
平民として、日本人としての常識が基本のマインに貴族の常識を教えていってくれる神官長フェルディナンド。
高い魔力をトロンべ討伐の際に大勢に示したことで、その能力・知識を独占しようとマインを拉致する企みも出て来て、彼女を狙う貴族から逃れるために、神殿に籠ることになった。
後々のキーマン、ジルヴェスターも登場。
あと、アニメ化もしている。
読んだ本のタイトル
本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~ 第二部「神殿の巫女見習いⅢ」
著者: #香月美夜 氏 イラスト: #椎名優 氏
発売日:2016年3月25日
ISBN:9784864724739
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あらすじ・内容
騎士団の前で強大な魔力を見せつけたことで、マインは貴族の間で注目を集めていた。だが、我関せずとばかりに、本を作る情熱は高まるばかり。より多くの人々に安価で本を届けられるよう、印刷技術を向上させていく。その結果、マインの利用価値を狙う者が出現。危険を察知した神官長は、彼女を神殿に匿うことにする。家族と離れた、マインの長い冬籠り生活が始まるのだった。誰もが本を読める世界へ――。その始まりを告げる「金属活字」の完成。厳しい寒さを乗り越え生まれる、マイン一家の新しい「命」。春の訪れと共に、今後の未来を予見するビブリア・ファンタジー転換の章! 書き下ろし番外編×2本収録!
感想
この頃から守護騎士のダームエルが側に付いて居たんだな。
ただ、会話は平民と貴族って感じ。
次の部、「領主の養女」の時には会話が全く反対になってしまうからなかなかに面白い。
それに、マインを養女にする。
自称青色神官ジルヴェスターも出て来た。
何気に孤児院の子供達と上手く付き合えるのが、、
彼の精神的幼さが垣間見える。
本ではマイン工房の長として印刷技術の確立に動く。
繊細な金属加工が得意な鍛冶師ヨハンのパトロンになり金属活字を作らせ、印刷技術を100年くらいワープさせて本の量産化の技術が揃い出す。
そこで大興奮したマインが「グーテンベルク」と称号をヨハンに贈る。
活版印刷を発明した偉人ヨハネス・グーテンベルクに由来するらしい。
(wiki調べ)
そんなマインをめぐって、神殿長を中心に貴族達が胎動する。
領地の魔力不足で平民でありながらも豊富な魔力を持つマインを拉致しようと暗躍する者も出てくる始末。
下町は危険なので、神殿に籠るしかなくなったマイン。
元々、家族を大切にするために貴族を避けて青色神官になったマイン。
その決意も虚しく、残り2年で貴族の養女になるしかないことが決定。
結局は貴族になるしかないのね。
でも、神殿長に捕まるよりも遥かにマシなのが、、、
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考察・解説
マインの養女縁組
マインの養女縁組は、彼女の持つ強大な魔力と異世界の知識が貴族社会で発覚したことに端を発し、彼女を保護しつつその力を領地のために利用するための計画である。その経緯と結末は以下の通りである。
強大な魔力の発覚と記憶の調査
トロンベ討伐と土地を癒す儀式において、マインは中級貴族を遥かに凌ぐ、領主クラスの強大な魔力を見せつけた。これを危険視した神官長フェルディナンドは、魔術具を用いてマインの記憶を覗き、彼女が異なる世界(日本)の知識を持った成人済みの魂であることを突き止めた。
マインに悪意や害意はないものの、その膨大な魔力と知識は他領の貴族からも狙われる争いの火種になるため、フェルディナンドは彼女を自分の監視と手綱の元に置く「囲い込み」が必須であると判断した。
カルステッドへの養女打診
現在のフェルディナンドは神官という立場であり、マインを魔力を求める貴族の干渉から完全に守り切ることはできない。マインがいずれ貴族院で魔力の制御を学ぶためにも強力な後ろ盾が必要だと考えたフェルディナンドは、以下の理由から上級貴族の騎士団長カルステッドに彼女を養女にするよう打診した。
- 自身が信用できる相手であること
- マインの魔力に相応しい教育を与えられること
カルステッドもこれを承諾し、計画が進められることとなった。
マインの拒絶と「10歳」という期限
フェルディナンドからカルステッドの養女になるよう提案されたマインだが、「家族と離れたくない」と即座に激しく拒絶した。感情が極度に高ぶり、魔力が暴走しそうになるほど取り乱すマインを見たフェルディナンドは、強大な魔力を制御するために貴族の養女になることは避けられないと諭しつつも、以下の譲歩案を提示した。
- 貴族院に入学する「10歳」までは家族と過ごすことを許すという猶予期間
ただし、それ以後は意見を聞かず、貴族の養女になるか、有害と見なされて家族ごと処分されるかの二択になると厳しく言い渡した。
家族への通告と苦渋の決断
その後、インク協会の会長ヴォルフが不審死するなど、マインを狙う貴族の暗躍が現実の脅威となり始めた。春の祈念式を前に、フェルディナンドはマインの両親(ギュンターとエーファ)を神殿の隠し部屋に呼び出した。そこでマインが複数の貴族から狙われている危険な状況を説明し、彼女の魔力が高すぎるため、10歳で貴族の養女にすることが決定事項であると通告した。
父ギュンターは激しく反発したが、母エーファは以下の理由から苦渋の決断で養女縁組を了承した。
- 危険人物として処刑されることを避けるため
- 事情を知らない貴族に誘拐されることを防ぐため
- 誠実に対応してくれている神官長が選んだ相手に託す方がマインの命を守れると判断したため
父も最終的にはこれに同意し、10歳での養女入りが家族公認で決まった。
まとめ
しかし、この「10歳」という猶予期間が守られることはなかった。他領の上級貴族・ビンデバルト伯爵と神殿長によるマイン襲撃事件が発生し、事態を収拾するために領主ジルヴェスターが介入したのである。
その結果、マインをただちに保護するため、以下の対応がとられた。
- 平民としてのマインは法的に「死亡」した扱いとなる
- カルステッドの娘という設定が与えられる
- 領主ジルヴェスターの養女「ローゼマイン」として新たな人生を歩む
こうしてマインは予定より早く、愛する平民の家族と決別することになったのである。
金属活字の完成
マインが目指す活版印刷の実現において、その中核となる「金属活字」の開発と完成は、鍛冶職人ヨハンの成人課題をきっかけに大きく動き出した。その経緯と結末は以下の通りである。
金属活字の依頼とヨハンの課題
秋の終わり、マインは商業ギルドの帰りに鍛冶工房の見習いであるヨハンからパトロンになってほしいと頼み込まれた。鍛冶協会では、見習いダプラが成人して一人前と認められるためには、パトロンを見つけてその注文品を一年以内に完成させるという課題があった。ヨハンはその細かすぎる職人気質ゆえに敬遠され、パトロンが見つからず苦境に立たされていた。
マインはヨハンの精密な技術を高く評価しており、ベンノを保証人としてパトロンになることを引き受けた。そして、課題として「金属活字」の作成を依頼した。基本文字三十五文字それぞれについて二種類の字体を用意し、母音は五十個ずつ、子音は二十個ずつという大量かつ精密な注文であった。ヨハンは「課題の作品は一つのはず」と戸惑ったが、マインは「全て揃って一つの作品」として押し切った。
製造工程と冬の間の完成
ヨハンはマインが作成した詳細な設計図をもとに活字作りを開始した。金属活字の製造工程は以下の通りである。
- 硬い金属に文字を浮き彫りにした「父型」を作る。
- 柔らかい金属に父型を打ち込み、文字の凹みを持つ「母型」を作る。
- 母型を鋳型にセットし、合金を流し込んで冷却し、活字を量産する。
非常に細かく根気のいる作業であったが、冬籠りで暇を持て余していた工房の職人たちが面白がって合金の流し込みを手伝ったため、予想をはるかに超える早さで春までに全文字が完成した。
完成品の披露とグーテンベルクの誕生
春になり、ヨハンと親方がギルベルタ商会に完成した金属活字を持参した。マインは神官長の指示に従い、神殿ではなく商会で面会した。
浅い木箱にずらりと並んだ銀色に輝く金属活字を見たマインは、その精巧さと高さの均一さに感動し、以下の行動をとった。
- ヨハンの仕事を絶賛し、本の歴史を変える偉人になぞらえて「グーテンベルク」の称号を与えた。
- ベンノやルッツも「グーテンベルク仲間」に認定し、印刷時代の幕開けを力説した。
- 興奮が最高潮に達したマインは、メスティオノーラに祈りを捧げた直後、そのまま意識を失って倒れた。
印刷の実演と周囲の衝撃
マインが倒れた後、彼女の指示で準備を整えていた側仕えのギルが、金属活字を使った印刷の実演を行った。
- 金属活字を並べて文章の組版を作る。
- 活字の上にローラーでインクを均等に塗る。
- 紙を載せ、上から馬連で擦ってインクを定着させる。
この手順により、一字ずつ版紙を切り抜くよりもはるかに早く、全く同じページが短時間で複数枚刷り上がった。これを見たベンノや親方、ダームエルらは顔色を変え、これが本当に歴史を変える発明であることを理解した。
まとめ
その後、ヨハンは鍛冶協会へ課題の品を提出した。ギルベルタ商会が保証人であること、マインの注文の細かさ、そして「グーテンベルク」という栄誉ある称号を得たことが加味され、ヨハンは新成人のダプラの中でトップの評価を獲得した。
しかし、その高評価の代償として以下の事態に見舞われた。
- 次点の評価となった人気工房のザックから、激しい敵愾心を向けられることになった。
- ギルベルタ商会へ報告に訪れた際、マインから追加の注文書(空白や記号、大きさの違う活字の詳細な設計図)を手渡された。
- ベンノから「お前はグーテンベルクだ。マインから逃げられると思うなよ」と凄まれ、歴史に名を残すまで酷使される未来が確定した。
これにより、エーレンフェストに印刷技術を広める「グーテンベルク」という集団が正式に誕生することとなった。
印刷協会の設立
マインが発案した「印刷協会」の設立は、彼女が「子供用聖典」の第二弾を印刷で量産し始めたことを契機に動き出した。その背景と設立の経緯は以下の通りである。
設立の背景と動機
これまでこの世界の本は、以下の工程を別々の工房の職人が一過程ずつ担って作られていたため、「本を総合的に作る工房」というものが存在しなかった。
- 本文を書く
- 絵を描く
- 中身の体裁を整える
- 革の表紙を作る
- 金箔や宝石の細工を施す
しかし、マイン工房が始めた本作りは、簡易的ながら印刷技術を用いることで、一つの工房で同じ本を一気に何冊も作ることができる。マインは、本を作って売るというこの新しい事業の利益と技術を確保し、品質を保つためには、事業全体を統率する協会が必要だと判断した。
ベンノの賛同と設立手続き
マインはギルベルタ商会のベンノに印刷協会設立の相談を持ちかけた。ベンノは、いずれ必要になるだろうし、誰かに権利を掻っさらわれても面白くないから、最初から作っておいた方が良いと即座に賛同し、設立に向けた申請書類の作成に取り掛かった。
商業ギルドで協会設立の許可を得るためには現物が必要であったため、ルッツが急いでマイン工房から完成した本を取ってきて提出し、商業ギルドでの登録手続きが行われた。
今後の見通し
マインは、植物紙協会やイタリアンレストランなどの新規事業を次々と抱えるベンノが、印刷協会まで設立することで過労で倒れてしまわないかと心配した。しかしベンノは、以下の「ないない尽くし」の状況であるため、協会を設立したからといってすぐに印刷工房が増えて忙しくなるわけではないと見込んでいた。
- 本を買える購買層が限られている
- 植物紙の工房が広がっていない
- 印刷用インクの製法も広がっていない
まとめ
ベンノの予想通り、印刷事業がすぐに社会をひっくり返すことはなかったが、印刷技術による本の量産は、写本を生業として生活費を稼いでいる下級貴族や神官たちの既得権益を直接脅かす危険な行為でもあった。
そのため後に神官長から、マインが上級貴族の養女となり、領主の許可を得た領地の事業(国家事業)として安全に始められるようになるまでは、文字ばかりの本の印刷を控えるよう厳命されることとなる。
孤児院の識字教育
孤児院の識字教育(神殿教室)は、冬の間森へ行けなくなる孤児院の子供たちのために、マインが考案し実践した教育プログラムである。本を普及させたいというマインの強い思いと、独自の工夫が詰まったこの取り組みの経緯と成果は以下の通りである。
教育の目的とマインの野望
マインが孤児院の子供たちに文字や計算を教えようと考えた理由は、単なる善意や冬の暇潰しだけではない。以下の実利的な理由と野望に基づいている。
- 孤児院の子供たちがいずれ側仕えとして召し上げられた際、読み書きや計算ができれば仕事に役立つため
- マイン工房で本を作る職人が、自分たちの商品である本を読めないようでは困るため
- 究極の目標である「本に囲まれて暮らすこと」を実現するためには、本を読める人々(未来の購買層)を増やす初期投資が必要なため
画期的な教材の開発
文字を教えるにあたり、マインは子供たちが楽しく学べるように様々な教材を開発した。
- 子供用聖典(絵本):最高神や五柱の大神など、神殿育ちの子供たちにとって最も馴染みのある神々の話を、子供向けの簡単な言葉に直した絵本を作成した。ヴィルマの挿絵を添え、後に簡易的な印刷技術を用いて量産し、これを教科書として使用した。
- カルタ:基本文字35文字を楽しく覚えられるよう、神様の名前や神具を読み札と絵札にしたカルタを作成した。
- トランプやリバーシ:遊びの中で数字の読み方や簡単な計算に親しませるため、知育玩具としてこれらのゲームも導入した。
神殿教室の実施体制
マイン自身が孤児院の食堂で直接教師役を務めようとしたが、青色巫女見習いである彼女が表に出るのは好ましくないとして、側仕えのフランやロジーナに却下された。そのため、以下の体制が取られた。
- マインがまず自室で側仕え見習いのデリアに字を教える
- フランやロジーナ、さらには元側仕えの灰色神官たちが孤児院の食堂で子供たちの先生役を務める
驚異的な教育の成果
冬の間、雪に閉じ込められていた孤児院の子供たちは、これらの教材を使って毎日のように遊びながら文字と数字を学んだ。その結果、春になる頃には、洗礼前の幼い子供たちも含め、全員がカルタの読み札や絵本を読めるようになり、多少の計算もできるようになった。
後に神官長や領主ジルヴェスターが孤児院の見学に訪れた際、マインが読み上げるカルタの札を子供たちが真剣な表情で次々と取っていく姿を見て、ジルヴェスターは驚愕し、神官長は頭を抱えて驚いた。この世界では字の読み書きができるのは特権階級に限られており、孤児が文字を読めること自体が神殿の常識から大きく外れていたためである。
まとめ
このように、マインが導入した識字教育は、孤児たちに文字と計算という一生役立つスキルを与えただけでなく、マイン自身の本を普及させるという野望に向けた大きな第一歩となったのである。
冬の神殿生活
「冬の神殿生活」は、マインがインク協会の脅威から逃れるために予定を前倒しして始まった。強大な魔力を生かした神事、孤児院での革新的な教育や手仕事、そして家族との絆が描かれる重要な期間である。その詳細な様子は以下の通りである。
冬籠りの開始とホームシック
インク協会の会長がマインの情報を探り、ルッツに見知らぬ男たちが絡む事件が発生したため、マインは身の安全を守るべく、予定を早めて神殿での冬籠りを開始した。神殿での生活は、給仕付きの豪華な食事や温かい部屋、広いベッドなど物質的には恵まれていたが、マインは家族と離れたことで重度のホームシックに陥った。そのため、マインの精神を安定させるべく以下の対応が取られた。
- 神官長がルッツや家族の定期的な面会を許可する
- 家族やルッツとの触れ合いがマインの心の支えとなる
奉納式での魔力提供
冬の神殿生活においてマインの最も重要な役割は「奉納式」であった。これは春の祈念式で農村に配る小聖杯に魔力を満たす儀式である。
- マインの魔力は他の青色神官を引きずり込む危険があるほど強大だったため、神官長と二人きりで隔離された儀式の間で毎日魔力を注いだ
- 途中で隣領からの依頼や神殿長の嫌がらせによって小聖杯が追加されたが、マインは問題なく魔力を満たし続けた
孤児院での神殿教室と手仕事
雪に閉ざされる冬の間、マインは孤児院の子供たちに対して以下の革新的な取り組みを行った。
- 神殿教室:文字と簡単な計算を教えた。自作の子供用聖典やカルタを用いた教育の成果は凄まじく、春には洗礼前の子供たちを含め全員が文字を読めるようになり、ジルヴェスターや神官長を驚愕させた。
- 裁縫教室:トゥーリを先生として開かれ、孤児たちが自分たちで服のほつれを直せるようになったことで身なりが大きく改善した。
- 冬の手仕事:春に向けた資金稼ぎと暇つぶしを兼ねて、リバーシやトランプ、将棋の駒などの玩具を作成した。
パルゥ採りとパルゥケーキ
冬の晴れた朝には、以下の活動が孤児院の冬の大きな楽しみとなった。
- ルッツとトゥーリが引率して孤児たちを森へ連れ出し、冬の貴重な甘味であるパルゥを採集した。
- 搾った果汁や油を確保した後に残る搾りかすを活用し、エラや孤児院の女子たちがパルゥケーキを焼き上げた。
- この甘味は、普段甘いものを口にできない孤児たちだけでなく、護衛のダームエルをも驚嘆させるものであった。
まとめ
冬の間、騎士団のダームエルが毎日護衛に就いたことで、マインは自室から出て図書室や孤児院へ足を運べるようになった。マインの毎日の日課と周囲の関わりは以下の通りである。
- 三の鐘まではロジーナからフェシュピールの特訓を受ける
- 四の鐘までは神官長のもとで帳簿計算などの執務を手伝う
- 午後は図書室で過ごしたり孤児院の様子を見たりして過ごす
- 料理人のエラが冬の間住み込みで働き、見習いのニコラとモニカを指導しながら、マインや孤児たちに美味しく温かい食事を提供し続けた
このように、冬の神殿生活は多くの課題と向き合いながらも、周囲の支援と自身の工夫によって充実した日々となったのである。
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キャラクター紹介
マインとその家族
マイン
前世の記憶を持つ少女である。本を作ることに強い執着を抱いている。家族と過ごす時間を大切に思っている。
・所属組織、地位や役職
神殿・青色巫女見習い。マイン工房・工房長。孤児院長。
・物語内での具体的な行動や成果
子供用聖典の第二弾を制作し、金属活字の作成をヨハンに依頼した。祈念式に同行し、魔力を使って風の盾を張り、襲撃から同行者を守った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
強大な魔力を持つため、十歳でカルステッドの養女になることが決定した。
ギュンター
マインの父である。門の兵士として働き、家族を深く愛している。
・所属組織、地位や役職
門の兵士。
・物語内での具体的な行動や成果
インク協会からの接触を警戒し、マインを神殿へ預ける判断を下した。カミルが生まれた際には産婆を呼び、命名会の準備を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
マインがカルステッドの養女になることを了承した。
トゥーリ
マインの姉である。マインの体調を気遣い、世話を焼く。
・所属組織、地位や役職
平民の子供。
・物語内での具体的な行動や成果
孤児院で子供たちに裁縫を教え、カルタ遊びに参加した。カミルの誕生を喜び、マインとともに新しい家族を迎えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
エーファ
マインの母である。家族を温かく見守る。
・所属組織、地位や役職
平民の主婦。
・物語内での具体的な行動や成果
神官長からの養女の話を聞き、マインの安全のためにカルステッドの養女に出すことを決断した。物語終盤でカミルを出産した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
カミル
エーファから生まれた男の子である。
・所属組織、地位や役職
平民の赤子。
・物語内での具体的な行動や成果
物語終盤で誕生し、ギュンターによって命名会で披露された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
マインの弟となった。
ルッツとその家族
ルッツ
マインの幼馴染である。マインの行動を支え、工房の仕事を手伝う。
・所属組織、地位や役職
ギルベルタ商会・ダプラ見習い。マイン工房・工房長補佐。
・物語内での具体的な行動や成果
マインとともに印刷機の構造を話し合い、設計図の作成に協力した。孤児院の子供たちを連れて森へパルゥ採りに向かった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
カルラ
ルッツの母である。
・所属組織、地位や役職
平民の主婦。
・物語内での具体的な行動や成果
エーファの出産の際、近所の奥さんたちとともに手伝いに訪れた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ディード
ルッツの父である。
・所属組織、地位や役職
平民の男性。
・物語内での具体的な行動や成果
カミルの誕生にあたり、命名会の準備として野菜を洗う作業をギュンターに指示した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ギルベルタ商会・ベンノ関係者
ベンノ
ギルベルタ商会の店主である。マインの保護者として商売を支援する。
・所属組織、地位や役職
ギルベルタ商会・店主。
・物語内での具体的な行動や成果
印刷協会の設立書類を作成し、インク協会との契約交渉を行った。ヨハンの金属活字の課題に対して保証人として評価を下した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
マルク
ギルベルタ商会の店員である。ベンノを補佐する。
・所属組織、地位や役職
ギルベルタ商会・店員。
・物語内での具体的な行動や成果
インク協会との契約書をマインのもとへ届けた。ヨハンに追加の金属活字の注文書を渡した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
コリンナ
ベンノの妹である。オットーの妻であり、妊娠中である。
・所属組織、地位や役職
服飾工房の主。
・物語内での具体的な行動や成果
マインの儀式用衣装の仮縫いを行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
オットー
コリンナの夫である。
・所属組織、地位や役職
門の兵士。ギルベルタ商会関係者。
・物語内での具体的な行動や成果
コリンナの仮縫い作業を手伝い、商会の仕事を学んでいることを明かした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
コリンナの家の下働きの女性
コリンナの身の回りの世話をする。
・所属組織、地位や役職
コリンナの家の下働き。
・物語内での具体的な行動や成果
マインの衣装の仮縫いの際、コリンナにベルで呼ばれて作業を手伝おうとした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
レオン
ギルベルタ商会で働く少年である。
・所属組織、地位や役職
ギルベルタ商会・ダプラ見習い。
・物語内での具体的な行動や成果
給仕研修のために神殿を訪れ、フランから給仕の指導を受けた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
オトマール商会・商業ギルド関係者
フリーダ
商業ギルド長の孫娘である。
・所属組織、地位や役職
商業ギルド・見習い。
・物語内での具体的な行動や成果
商業ギルドでマインと再会し、子供用聖典を購入した。次の絵本として季節の眷属に関する話を要望した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
神殿
神官長フェルディナンド
神殿の実務を担う青色神官である。マインの強大な魔力を危惧し、彼女を保護しようとする。
・所属組織、地位や役職
神殿・神官長。
・物語内での具体的な行動や成果
マインの記憶を覗き、彼女の異世界の知識を確認した。マインを十歳でカルステッドの養女にする計画を立て、両親の了承を得た。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
フラン
マインの筆頭側仕えである。真面目で礼儀正しい性格を持つ。
・所属組織、地位や役職
灰色神官。マインの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
マインに神殿の作法を教え、神殿教室の教師役を務めた。祈念式に同行し、マインの世話を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
デリア
マインの側仕えである。神殿長の愛人になることを目標にしている。
・所属組織、地位や役職
灰色巫女見習い。マインの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
マインの身の回りの世話をし、神殿長室へ報告に向かった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
イェニーからの言葉を受け、貴族の愛人になり神殿を出る希望を抱いた。
ロジーナ
マインの側仕えである。フェシュピールの演奏が得意である。
・所属組織、地位や役職
灰色巫女。マインの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
冬の終わりに成人式を迎え、マインから新しい楽譜を贈られた。祈念式に同行し、夕食の席でフェシュピールを披露した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
成人し、髪を結い上げるようになった。
ギル
マインの側仕えである。マイン工房の仕事を任されている。
・所属組織、地位や役職
灰色神官見習い。マインの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
工房で金属活字を使った印刷の実演を行った。孤児院の子供たちから言葉遣いを指摘され、態度の改善に努めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ヴィルマ
マインの側仕えである。孤児院の子供たちの世話を担当する。
・所属組織、地位や役職
灰色巫女。マインの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
子供用聖典の挿絵を描き、孤児院の食堂を清潔に保った。ロジーナの成人祝いにパルゥケーキを焼いた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
アルノー
神官長の側仕えである。
・所属組織、地位や役職
灰色神官。神官長の側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
奉納式へ向かうマインを案内した。祈念式の宿泊先で食事の手配を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
神殿長
神殿の最高権力者である。マインを敵視している。
・所属組織、地位や役職
神殿・神殿長。
・物語内での具体的な行動や成果
奉納式の場に現れ、領主に頼まれたという小聖杯をマインに差し出し、魔力を込めるよう命じた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
イェニー
神殿長の側仕えである。
・所属組織、地位や役職
灰色巫女。神殿長の側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
神殿長室を訪れたデリアから報告を受け、貴族の客が来ることを示唆した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
騎士団・貴族
カルステッド
騎士団長である。マインの未来の養父となる予定だ。
・所属組織、地位や役職
騎士団長。上級貴族。
・物語内での具体的な行動や成果
フェルディナンドからマインを養女にする提案を受け入れた。祈念式に同行し、襲撃の際にはタクトを大剣に変えて森へ攻撃を放った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
カルステッドの側仕え達
カルステッドの身の回りの世話をする。
・所属組織、地位や役職
カルステッドの側仕え。
・物語内での具体的な行動や成果
応接室でフェルディナンドを迎えるための酒と肴の準備を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
エルヴィーラ
カルステッドの第一夫人である。フェルディナンドを慕っている。
・所属組織、地位や役職
カルステッドの第一夫人。
・物語内での具体的な行動や成果
応接間でフェルディナンドと話をしていたが、カルステッドの人払いによって退室した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
エックハルト
カルステッドの長男である。フェルディナンドを慕っている。
・所属組織、地位や役職
カルステッドの長男。
・物語内での具体的な行動や成果
応接間でフェルディナンドと話をしていたが、人払いの指示を受けて退室した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ダームエル
マインの護衛を務める騎士である。
・所属組織、地位や役職
騎士団の騎士(見習いに降格中)。
・物語内での具体的な行動や成果
祈念式に同行し、マインを天馬に乗せて移動した。神官長から護衛中の副業として文官仕事を提案され、引き受けた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ジルヴェスター
青色神官である。自由奔放な性格をしている。
・所属組織、地位や役職
青色神官。
・物語内での具体的な行動や成果
祈念式に同行し、マインの頬を突くなどの悪ふざけをした。下町の森へ行き、弓矢で大量の獲物を狩った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ゲルラッハ子爵
貴族である。神殿長と交流が深い。
・所属組織、地位や役職
子爵。
・物語内での具体的な行動や成果
祈念式の際に神官長とマインを館で迎えた。馬車襲撃の黒幕である可能性が疑われている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
料理人・職人・その他の人々
ヨハン
鍛冶工房の職人である。細かい仕事を得意とする。
・所属組織、地位や役職
鍛冶工房のダプラ。
・物語内での具体的な行動や成果
マインをパトロンとし、課題である金属活字を完成させた。鍛冶協会で高い評価を得た。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
マインからグーテンベルクの称号を与えられた。
エラ
料理人である。
・所属組織、地位や役職
料理人。
・物語内での具体的な行動や成果
マインのレシピに従って、ブーフレットのように薄く焼くクレープ生地を作った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
フーゴ
料理人である。
・所属組織、地位や役職
料理人。
・物語内での具体的な行動や成果
ジルヴェスターが森で狩ってきた鳥や小鹿の解体を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
ザック
ヴェルデ工房の職人である。
・所属組織、地位や役職
ヴェルデ工房のダプラ。
・物語内での具体的な行動や成果
鍛冶協会でヨハンが高い評価を得たことに対し、強い敵愾心を持った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
第二部 神殿の巫女見習い2レビュー
第二部 神殿の巫女見習い
本好きの下剋上 全巻まとめ
第二部 神殿の巫女見習い4レビュー
展開まとめ
第二部 神殿の巫女見習いⅢ
プロローグ
フェルディナンドの来訪と極秘の相談
カルステッドが側仕えに呼ばれて応接間へ向かうと、エルヴィーラとエックハルトが嬉しそうにフェルディナンドと話していた。二人を退室させて人払いを済ませた後、カルステッドは昔馴染みとして気安い態度に戻り、二人だけで話を始めた。話題は、トロンベ討伐後に問題となっていたシキコーザの失態と、その母親が処罰軽減を求めて各所に訴えて回っている件であった。さらに、ヴェローニカにまで泣きついているため、フェルディナンドが持参した魔術具は直接返却させず、カルステッド側で受け取る方が都合がよいと判断されていた。
マインの危険性調査と記憶の内容
フェルディナンドが持ってきた箱には、領主と許可された者だけが扱える記憶を覗く魔術具が入っていた。それは、トロンベ討伐後の土地を癒やす儀式で強大な魔力を見せた平民上がりの青色巫女見習いマインが、エーレンフェストにとって有害かどうかを確かめるためのものであった。カルステッドが結果を尋ねると、フェルディナンドは、マインには悪意も害意も全くなく、ただひたすら本のことしか考えていなかったと答えた。さらにマインは、異なる世界で高位の貴族として生きた記憶を持ち、子供でありながら成人した記憶を抱えていると明かした。そのため言動は常識外れに見えるが、危険性はなく、むしろその記憶は領地にとって有益になり得ると評価していた。
フェルディナンドの変化とマインへの評価
カルステッドは、他人の記憶を覗いた後にもかかわらず、フェルディナンドの機嫌がそれほど悪くないことに気づいた。むしろ彼はマインについて饒舌であり、その異質な常識や計算能力、神殿の執務での有用性まで語っていた。本人は利用価値が高いだけだと否定したものの、カルステッドにはフェルディナンドがマインを気にかけているように見えた。神殿入りして以降、大事なものを隠したり遠ざけたりする癖が強くなっていた彼に、珍しく心を向ける相手が現れたのだとカルステッドは感じていた。
マインを巡る危険と養女の提案
しかし、マインの強大な魔力はすでに騎士団内でも噂となっており、その身は予想以上に危険な状態にあった。神官であるフェルディナンドには、魔力を求める貴族たちの干渉を完全に防ぎきるだけの立場がなかった。そのため彼は、マインを早く貴族側に取り込み、相応の教育と後ろ盾を与える必要があると判断していた。そして、信用できる預け先がほとんどない中で、カルステッドにマインを養女にしてほしいと頼んだ。カルステッドも、平民上がりのマインを粗雑に扱わず、その魔力量に見合う教育を与えられる家は自分の家くらいだと考えた。
フェルディナンドの本音と過去の影
フェルディナンドは、マインを養女にするにあたって恥ずかしくない程度まで自分が教育し、不足分は自分が整えるつもりだとまで語った。そこまで世話を焼くのは珍しいと指摘されると、彼は、平民のままではマインがどのような扱いを受けるかわからず、自分と同じような思いをする者はもういない方がよいと静かに本音を漏らした。カルステッドはその言葉に、フェルディナンド自身の苦い過去が滲んでいることを感じ取った。そして養女の件を引き受ける意思を示しつつも、最初に自分へ頼ったことが知られれば厄介に思う者がいるのではないかと指摘した。誰のことか察したフェルディナンドは険しい顔を見せ、周囲の面倒さに頭を痛めていた。
印刷協会
前世の記憶を見られた後の心境
マインは神官長に魔術具で前世の記憶を見られたことに驚いたものの、自分の無実を証明するためには必要なことだったと受け止めていた。そして、その魔術具を使えば読んだ本を夢の中でもう一度読めると気づき、再び使ってほしいと頼んだが却下された。それでも、自分に悪意も害意もなく、これまで通り商品開発を続けられると判断されたことには感謝していた。また、前世では母親に深く愛されていたこと、今の家族からも大切にされていることを改めて実感し、今の家族と過ごせる時間を当たり前と思わず大事にしようと決意していた。
印刷協会の必要性に気づく
翌日、マインは久しぶりにギルベルタ商会へ向かいながら、ルッツから工房や側仕え達の近況を聞いていた。子供用聖典の第二弾は八十冊ほど作れそうだと知ったマインは、本を売るためには新しい協会が必要だと考えるようになった。従来の本は、筆写、挿絵、製本、革表紙、装飾といった工程を別々の工房の職人が担って一冊を仕上げていたため、本を一つの工房でまとめて作る仕組みは存在しなかった。これに対し、マイン工房の本は印刷技術によって一つの工房で同じ本を一気に何冊も作れるため、利益や技術を守り、品質を保つには事業全体を統率する印刷協会が必要だと判断したのである。
ベンノへの相談と突然の叱責
ベンノに相談しようとギルベルタ商会を訪れたマインだったが、奥の部屋へ通された途端、上級貴族から儀式用衣装の仕立て依頼が届いた件で激しく叱られた。マインは身に覚えがなく戸惑ったが、依頼主がカルステッドであると気づき、騎士団長が約束を守ってくれたのだと理解した。ベンノは上級貴族から突然呼び出される恐怖を訴え、今後は何かあれば報告するよう強く求めた。マインは熱で倒れていたことや、騎士団に関わることは口外法度とされていたため話せなかったと謝罪し、衣装は使えなくなったが詳しい説明はできないとだけ伝えた。ベンノはそれ以上は追及せず、本題を尋ねた。
印刷協会設立の準備
マインが子供用聖典の販路について相談し、印刷協会の必要性を説明すると、ベンノはその必要性を認めたうえで、権利を他者に奪われる前に最初から作っておくべきだと判断した。そして、協会設立の許可を得るためには現物が必要だとして、ルッツに工房から本を持ってこさせた。その間、ベンノは協会設立の申請書類を作成しながら、必要事項をマインに確認していった。マインは仕事を増やしてしまうことを気にしたが、ベンノは印刷工房がすぐに増える状況ではないため、自分が極端に忙しくなるわけではないと説明した。植物紙の工房も少なく、印刷用インクの製法も広がっていない以上、当面は協会だけ作っても急には発展しないと見込んでいた。
売れる本の方向性を考える
印刷協会が繁盛するかどうかは、マインの本がどれだけ受け入れられるかにかかっているとベンノは言った。マインは識字率や購買層を踏まえ、子供用聖典は下級や中級の貴族、また貴族と付き合いのある大店の商人に売れると考えていた。神々の名前を覚えることは貴族社会で重要であり、その学習用という売り文句が通用すると見ていたからである。そのため、今後もしばらくは神々や騎士に関する絵本を作るつもりでいた。トロンベ討伐や儀式で見た魔法と祝福の仕組みから、神の名を覚えることの重要性を実感していたことが、その発想につながっていた。
革表紙を付けない方針の理由
ベンノは、今のままでは見た目が良くないため革表紙にした方がよいと提案したが、マインはこれを拒み、マイン工房の本は今のまま売ると主張した。理由の一つは、表紙作りを特定の工房に集中させれば納期や品質管理、競争原理の面で問題が生じ、余計な争いの種になるからであった。二つ目は、客が高い金を払う本ならば、自分好みの表紙にしたいと考えるはずであり、中身だけを提供した方が満足度が高いからであった。三つ目は、表紙作りに時間をかけると大量生産という印刷本の利点が損なわれるためであり、四つ目は価格をできるだけ下げて購買層を広げたいからであった。見栄を張りたい貧しい貴族にも、後から贔屓の工房で表紙を付けるという言い訳ができれば買いやすくなると考えていた。
ベンノの評価と本の販売
マインの説明を聞いたベンノは、利益を吊り上げて独占したい商人の発想とは正反対だとしつつも、この街にとどまらず広く商うなら悪くない考え方だと評価した。そして、本に関してはなるべくマインの思う通りにした方がよいという商人としての勘を口にし、和綴じのまま売ることを認めた。ただし、利益そのものはきっちり取る方針は崩さなかった。やがてルッツが本を持ち帰り、マインはそれをベンノに売って大金貨三枚を得た。本をもっと安くしたい気持ちはあったが、冬に備えて食料を買い込めるだけの金が手に入ったことに安堵していた。
商業ギルドへ向かう途中の新たな着想
その後、ベンノはマインを抱き上げ、ルッツに本を持たせて商業ギルドへ向かった。街は冬支度で賑わい、収穫された農作物を運ぶ荷馬車や買い物客で普段以上に混雑していた。さらに、あちこちから蝋燭を作る牛脂の臭いが漂っていた。そこでマインは、貴族向けに臭いの少ない蝋燭が売れるのではないかと思いついた。孤児院で作ったハーブ入りの蝋燭や塩析の技術を思い出して話を振ると、ベンノはその情報を聞き逃していたことに気づいた。話し合いの末、この街では塩析された蝋燭が広まっていないと判断され、春になったら蝋の工房や協会に製法を売り、ロウ原紙作りにも協力してもらう方針が定まった。
フリーダとの再会と本の評価
商業ギルドで印刷協会の登録手続きをしていると、見習い姿のフリーダが現れ、久しぶりにマインと再会した。カトルカールの売れ行きは絶好調で、貴族からも好評を得ており、新しい菓子の情報まで求められていると聞かされたが、マインは今回はレシピを売らなかった。フリーダはマインの身食いや神殿入りを心配していたが、マインは今のところ身食いも落ち着いており、貴族と契約する気もなく、家族と一緒にいたいと答えた。春には弟か妹が生まれるため、なおさら家族と離れる選択はできなかったのである。
フリーダの購入と次の絵本の示唆
マインが今一番やりたいことは本作りだと語ると、フリーダは本当にそれがしたいことなのかと確かめた。マインは完成した本を見せるため、子供用聖典を差し出した。フリーダは中身だけの本であることに驚きつつも、表紙を各自の贔屓の工房で作れる点を利点として受け止め、価格を尋ねた。ベンノが小金貨一枚と大銀貨八枚だと告げると、フリーダは即座に購入を決めた。そして次の絵本には季節の眷属について詳しく書かれたものが欲しいと要望を出した。マインはその要望を商売の手がかりとして受け止め、次回作の題材として記録した。
書字板への関心とフリーダの悔しさ
マインが書字板に要望をメモすると、フリーダはすぐにその道具にも目を留めた。そして、それもまたベンノが権利を持っているのかと尋ねた。ベンノはフリーダの利に敏い目に感嘆し、フリーダはそれに対して、自分がベンノより先にマインを押さえられなかったことを悔しがった。マインの価値を誰よりも早く見抜いていたはずなのに、それを商売に結びつけられなかったことが、商人見習いとして口惜しかったのである。
ヨハンの課題
ヨハンの呼び止めと誤解の発覚
フリーダと世間話をしている間にベンノは手続きを終え、商業ギルドでの用事は済んだ。マインはフリーダに別れを告げて建物を出ようとしたが、人混みの中から大声で呼び止められた。外へ出て振り返ると、現れたのは鍛冶工房のヨハンであった。ヨハンは中央広場で跪き、ギルベルタ商会のお嬢さんであるマインに自分のパトロンになってほしいと頼み込んだ。人目を避けるためにマインは工房で話そうとしたが、ベンノは自分の店で話すよう命じた。さらにヨハンは、マインがギルベルタ商会の見習い服を着ており、商業ギルドのカードも持ち、ベンノに抱き上げられて移動していたことから、二人を親子だと思い込んでいたことが明らかになった。マインが自分は工房長であり、ベンノとは親子でも商会の見習いでもないと説明すると、ヨハンは大きな衝撃を受けていた。
鍛冶協会の課題とヨハンの苦境
店の奥の部屋に通されると、ヨハンはベンノに促されて用件を語り始めた。鍛冶協会では、見習いダプラが成人する際、一人前と認められるための課題があり、成人式までに自分の腕を認めて出資してくれるパトロンを見つけ、そのパトロンが指定した品を一年以内に作らなければならなかった。重要なのは品物の出来だけでなく、どのような相手をパトロンとして掴めたかでもあり、失格すればダプラ契約は打ち切られ、ダルア契約に落とされる仕組みであった。ヨハンは細かい部分に強くこだわり、注文内容について執拗に確認を重ねる性格のため、客からは扱いづらい職人と思われがちで、今までパトロンを得られずにいた。だが実際には、その細かさゆえに精密な仕事を任されるほど腕は確かであり、工房としても手放したくない存在であった。それでも成人が迫る中、鍛冶協会でパトロンが決まっていない見習いは自分だけになり、追い詰められていた。
マインが候補になった理由
ヨハンがマインを頼ったのは、彼女がこれまで細かい設計図を持ち込み、何度も高額な注文を出し、自分のカードで支払いを行い、さらに細かな質問にも嬉々として応じてくれる数少ない客だったからであった。ヨハンの腕を認めて繰り返し指名していた時点で、マインはすでにパトロンの資格を持つ相手と見なされていたのである。ただし、未成年であるため、実際にパトロンになるには保護者や後見人の許可と保証が必要であった。ヨハンはギルベルタ商会のお嬢さんであれば父親に頼み込めるはずだと考え、さらにその商会が後ろ盾になれば自分にも箔が付くと期待していた。しかし、ベンノと親子ではないと知って落胆し、諦めて帰ろうとした。
ベンノの許可と保証人の引き受け
その時、マインはヨハンにちょうど作ってほしい物があることを思い出し、これを好機だと捉えた。笑顔でベンノに頼むと、ベンノは予想していたようにため息をつきながらも、後見人として許可を出し、自ら保証人になると即座に認めた。ヨハンは、保証人にはパトロンの資金が尽きた際に代わりに責任を負う役目があると慌てて確認したが、ベンノは商売人としてその意味を理解した上で引き受けていると告げた。マインは本や新しい製法で資金を回収できる見込みがあり、金の心配がないため、保証人になることに躊躇はいらないと判断していたのである。ベンノはヨハンに対し、金の面では非常に良いパトロンを引いたのだと伝えた。
活字制作という課題の提示
パトロンになってほしいと改めて願い出たヨハンに対し、マインは自分が依頼する品を明かした。それは金属活字であった。細かく、数も多く、非常に手間のかかる依頼であり、ここで使われている基本文字三十五文字に加えて、同じ音で二種類の文字があるため、それらも揃える必要があった。母音は五十ずつ、子音は二十ずつほど必要だとマインは考えていた。ヨハンは、試験課題として作る作品は一つだと決まっていると戸惑ったが、マインは金属活字一式が揃って初めて一つの作品だと捉えていた。ベンノとルッツは、マインの無茶振りについていけないなら今のうちに諦めた方がよいと忠告したが、同時に、出資してくれる相手には相応の敬意を払うべきだとも諭した。
依頼書の作成と活版印刷への前進
マインはその日のうちに活字の設計図と作り方を詳細にまとめた依頼書を作成し、翌朝には工房へ持ち込んだ。ヨハンはあまりの早さに驚いたものの、依頼書の内容を見て強くやる気を示したため、マインは任せて問題ないと判断した。こうして活字作りが始まることになり、マインは活版印刷の実現へまた一歩近づいたと喜んだ。ヨハンの活字が完成すれば、次は圧搾機を改造して印刷機を作るつもりであり、そのためにも冬の間に十分な資金を稼がなければならないと考えていた。
インク協会と冬の始まり
絵本の売上と冬支度の完成
秋の終わりが近づく中、子供用聖典の第二弾が完成した。マインはそのうち二十冊を教科書用として取り置きし、四十冊をベンノに売って大金貨六枚を得た。金欠状態から一転して資金に余裕が生まれ、その金で孤児院、自室、自宅の冬支度をさらに整えていった。フランとロジーナも家に来て家族と冬の生活について話し合い、準備はほぼ整っていた。
新しいインクが協会の警戒を招く
冬が目前に迫った頃、マインは神殿からの帰り道で、インク協会の会長とインク工房の親方がギルベルタ商会を訪ねてきたとルッツから聞かされた。ギルベルタ商会から売り出された絵本には、従来の没食子インクとは明らかに異なる発色のインクが使われていたため、協会側が違いに気づいたのである。協会内にその製法を知る者はいなかったが、以前マインを見学させた工房の親方が、別の作り方のインクを知っている子供に心当たりがあると証言したことで、ギルベルタ商会が警戒の対象となった。すでに植物紙協会を作った前例もあったため、インク協会が別の協会を立ち上げるつもりではないかと疑ったのは自然な流れであった。
製法売却の方針と契約条件の検討
翌日、マインは神殿ではなくギルベルタ商会に向かい、ベンノからインク協会が動き出したことを告げられた。マインは当初からインク作りは自分達で抱え込まず、製法を教えて生産は丸投げしたいと考えていた。印刷を広めるには大量のインクが必要であり、自作だけではいずれ限界が来るからである。利益配分についてマインは神殿と同じ一割程度を提案したが、ベンノはそれでは安売りしすぎだと退け、最初の十年は三割、次の十年は二割、その後は一割とする案を示した。マインは価格を抑えて広く普及させたいと考えていたが、ベンノが譲歩した上でまとめた条件だと理解し、交渉は彼に任せることにした。
契約魔術と協会単位の契約
交渉の準備を進める中で、ベンノは今回も契約魔術を使うべきだと判断した。貴族が関わらない通常の取引では滅多に使わない方法であったが、今回は利益範囲が広く、期間も長く、さらにインク協会の会長に良くない噂が多く信用できないためであった。しかも契約の相手は個人ではなく、会長が代替わりしても契約が有効に続くよう、インク協会そのものとする必要があった。過去には個人と結んだ契約が、代替わりを理由に無視される例が何度もあったため、その対策でもあった。こうして、製法は協会に売ること、マイン工房で作る分は見逃してもらうこと、植物紙と共に広く普及させるため安価にすること、利益配分は段階的に三割から一割へ下げることが取り決められた。
会長との接触回避とコリンナのもとへの避難
インク協会の来客が到着すると、ベンノはマインを交渉の場から外した。工房の親方はまだしも、会長は貴族と繋がりがあり、あまり良くない噂の多い人物であるため、マインはできるだけ接触を避けた方がよいと判断したのである。ルッツとともに二階のコリンナの部屋へ移されたマインは、後で契約書だけを持ってこさせることになった。コリンナのもとでは、急ぎで依頼された儀式用衣装の仮縫いが進められた。コリンナは身重でありながら仕事をこなし、オットーはそんな妻を案じつつも手伝いをしていた。オットーは、ベンノがこのままマインの後見人として商売を広げていくつもりであり、そのために自分は商会の仕事を学んでいるのだと語った。
契約書への署名と規約への記載
やがてマルクが契約書を持って現れ、ルッツがインク壺を運んできた。契約書の内容は事前に話し合ったものとほぼ同じであったが、一つだけマインの目を引いたのは、この契約内容をインク協会の規約に記すという項目であった。マルクの説明によれば、協会の規約はその街だけでなく他の街の同業協会にも共有されるため、ここで定めた条件は他の街でも適用されることになるという。契約魔術の効力そのものはこの街に限られるが、規約として組み込まれれば、新しい製法が他の街へ伝わる際に同時に条件も広がっていくのである。マインはその説明に納得し、自分の名を署名した後、血を契約書に押し付けて契約魔術を完了させた。
会長への警戒と不穏な動き
署名の後、マインはルッツからインク協会の会長について聞いた。ルッツによれば、その男は嫌な目をしており、マインのことを執拗に探していたという。工房で別の製法のインクについて語ったのは子供だったはずだから、いるなら出せとベンノに迫っていたらしく、ルッツはギルド長以上に嫌な印象を受けていた。ベンノとルッツの両方が警戒する以上、マインも警戒すべきだと受け止めていた。
ルッツへの接触と危機の表面化
その後、マインはコリンナやオットーと過ごしていたが、昼になってベンノが血相を変えて部屋へ駆け込んできた。商業ギルドへ使いに出したルッツが、妙な男達に絡まれたのである。相手はギルベルタ商会の娘がどんな子供かを問い、契約書を持って上に行けるダプラなら知っているだろうと迫ったという。契約が終わった後になって情報を探ってくることは不自然であり、ベンノにもその裏に何があるのか読めなかった。だからこそ最大限に警戒すべきだと判断し、マルクにルッツを送らせたうえで、マインの父とトゥーリを呼び寄せることにした。
神殿への避難と冬籠りの決断
駆けつけた父とトゥーリに対し、ベンノは状況を説明した。インク協会が動いていることは確かだが、その背後に何があるのかはまだ不明であり、契約後になってなお情報を探り、ルッツにまで絡んでくるのは異常であった。安全を考えるなら、マインを神殿に籠らせるのが最善だとベンノは提案した。神殿にいれば相手も手出ししにくく、その間に情報を集める時間も稼げるからである。父はマインに家へ帰るか神殿へ向かうかを尋ねた。離れるのは嫌だったが、ルッツや家族に何か起こる方がもっと嫌だったため、マインは神殿に行くと決めた。こうしてマインは、その日から神殿で冬籠りをすることになった。
冬籠りと冬の手仕事
神殿での冬籠り開始と事情説明
父とトゥーリに神殿の部屋まで送ってもらったマインは、突然の来訪に驚くフランへ戸口で事情を説明した。インク協会の会長が情報を得ようとしていること、ルッツが見知らぬ男達に絡まれたこと、そのため安全を優先して神殿での冬籠りを早めることを伝えたうえで、会長は貴族と繋がりがあり悪い噂もあるため、デリアにはなるべく情報を漏らさないよう頼んだ。フランはそれを了承し、神官長にも後で話を通すと応じた。父はフランにマインを託し、トゥーリは次の休みに会いに来ると約束して帰っていった。
神殿での初めての夜と強い寂しさ
家族を見送った後、マインは初めて神殿で夜を過ごすことになった。夕食前の時間に突然やってきたため、側仕え達も驚いていたが、マインは詳しい事情を貴族絡みの可能性があるため話せないとだけ答えた。ロジーナはフェシュピールを弾き、デリアは風呂の準備をし、ギルは工房の報告を書き、フランは消費物資の補充依頼をまとめるなど、皆はそれぞれの仕事をしていた。マイン自身は神官長への面会依頼の手紙を書き、次の絵本の構想を練った後、給仕付きの豪華な夕食と贅沢な風呂、広い寝台で休んだ。だが、快適な環境であるにもかかわらず、家族と囲む食卓やトゥーリとの湯浴み、狭い寝台で寄り添って眠る暮らしの方がよいと感じ、一人でいる不安と寂しさを強く覚えていた。
神殿での朝と部屋に籠る生活
翌朝、マインは神殿での生活が主と側仕えの厳密な区別の上に成り立っていることを知った。側仕えの支度と朝食の準備が終わるまで主は寝台から出てはならず、起き上がっただけでデリアに叱られた。その後、朝食を終えるとロジーナとのフェシュピールの練習が始まり、デリアとギルは掃除や水汲み、フランは神官長への事情説明と面会依頼に向かった。戻ってきたフランから、神官長の指示で当面は部屋から出ることも禁じられたと知らされ、マインは神殿全体ではなく自室に籠る生活を送ることになった。
神殿教室の構想と教師役の変更
部屋から出られない時間の中で、マインは次の絵本の構想を練りつつ、デリアに文字や簡単な計算を教えた。意外にも教え方が上手いと褒められたことで、冬の予定に入れていた孤児院の子供達への教育を神殿教室として進めたいと説明した。マインは、読み書きと計算を身につけさせれば、孤児院や工房の管理が子供達自身でできるようになり、側仕えや下働きとして働く時にも役立つと考えていた。しかし、孤児院の食堂で自ら教師役を務めるという案は、フランとロジーナに揃って却下された。最終的には、マインが自室でデリア相手に教え方を示し、それを見たフランやロジーナ、さらに元側仕えの灰色神官達が食堂で教師役を担う形に決まった。目標は、冬の間に子供達全員が基本文字を書けるようになり、一桁の足し算と引き算ができるようになることであった。
ルッツの訪問と孤独の吐露
昼食後、ベンノから周囲の安全確認を受けたうえで、ルッツが様子を見に来た。マインは階段を駆け下り、ルッツに抱きついて温もりを求めた。家族と離れていること、自室に本がなく閉じ込められていることも重なり、寂しさが耐え難いものになっていたからである。ルッツはまだ一晩しか経っていないと笑ったが、マインは今が一番寂しいのだと訴えた。ルッツは困りながらも付き合い、マインはしばらく抱きついたまま心を落ち着かせた。その様子を見た側仕え達は、はしたない、淑女らしくない、もっと金持ちの貴族を頼れなどと口々に言ったが、マインは完全に聞き流していた。
冬の手仕事としての遊具作り
ルッツは、子供用聖典第二弾が完成して紙も尽き、川の冷え込みで紙作りも中断されたため、工房でできる仕事が減ったと報告した。そこでマインは冬の手仕事として、リバーシや他の遊具を作ることを提案した。ルッツとギルが板と工具を持ってくると、マインは厚い板を盤面にする方法、線を引いて彫り、溝にインクを入れる手順、薄い板を六十四枚に切って駒にし、片面にだけインクを塗る作業などを細かく教えた。さらに、文字を書いて作る別の遊具についても説明し始めた。
版紙利用の工夫とギルの対抗心
その説明を聞きながら、ルッツは細かい文字や図柄を手書きで揃えるのは難しいため、印刷のように版紙を作った方がよいと提案した。マインはその意見に納得し、ステンシルのように版紙を作る方法を考え始めた。そうしたやり取りを見ていたギルは、これまでルッツが何でも知っていてすごいと思っていたが、本当にすごいのはマインの方だと気づいて不満を露わにした。しかしマインは、一度教えただけで工房で他の者に説明できるルッツも十分すごいのだと諭した。ギルはそれでも、自分に書字板がないからできないだけだと主張したため、マインは春になったらギルにも書字板を用意すると約束した。これによりギルはルッツに勝つと意気込み、ルッツは春から隣町の植物紙工房の見回りに同行する予定なので、それまでに工房を任せられるようになってほしいと望んでいた。
見習いの受け入れと新たな予定
ルッツはさらに、今度ギルベルタ商会から一人、成人が近い見習いを工房へ連れてくることになったと伝えた。表向きは工房の手伝いだが、実際には神殿の側仕え達の立ち居振る舞いを学ばせる意図もあった。これはイタリアンレストランで給仕を育てる予定と関わる話であり、マインはその件も予定に書き加えた。
トランプの神殿仕様への改良
その後、ルッツがトランプはどう作るのかと尋ねると、マインはまず石板に印と数字を書き込み、四種類のマークを説明した。ギルはそれらの形が神具に似ていると気づき、ダイヤが火の神ライデンシャフトの槍、スペードが水の女神フリュートレーネの杖、円が風の女神シュツェーリアの盾、逆三角形が土の女神ゲドゥルリーヒの聖杯に見えると指摘した。マインはその発想を取り入れ、神殿の者達に馴染みやすいよう、マークを神具に寄せた形へ描き直した。さらにJは命の神の剣、Qは光の女神の冠、Kは闇の神の黒いマント、ジョーカーは混沌の女神の歪んだ輪で表すことにし、神殿らしい図柄のトランプへ作り替える方針を固めた。ここでもルッツは版紙を作って印刷した方が揃うと助言し、マインもそれを引き受けた。
側仕えとの距離と厳しい冬の予感
帰り際、ルッツは明日はトゥーリと一緒に来ると約束し、マインを励ました。ルッツが去った後、ギルは家族がいなくて寂しいなら自分がルッツのように甘やかそうかと気遣った。しかし、それを聞いたフランは厳しく制止し、マインは主であり、側仕えであるギルが友人や家族と同じように接するのは立場に反すると諭した。そしてマインにも、事情があるため心細さは理解するが、ルッツや家族が来た時に部屋の中で甘えるのは見逃しても、側仕えとは相応しい距離を保つよう求めた。マインは去っていったルッツの方を見やりながら、冷たい風の痛み以上に、寂しさの方が厳しい冬になりそうだと感じていた。
三者会談
神官長からの催促と面談日の決定
神殿に籠り始めて三日目、マインのもとへ神官長から儀式用の衣装がいつ仕上がるのかを問う手紙が届いた。面談日の連絡ではなかったことに落胆しつつも、マインはロジーナにルッツを呼んでもらい、昼食時にベンノへ確認を頼んだ。その結果、どれほど急いでも完成まであと三日は必要だとわかり、マインは少し余裕を持たせて五日後にはできると返答した。するとその返事に対し、面談日時の決定通知とベンノへの招待状が同時に返ってきたため、七日後にカルステッドを交えて会談が開かれることになった。
深まるホームシックと雪の到来
会談までの間も、マインの寂しさは和らがなかった。むしろ神殿暮らしに慣れるどころか、家に帰りたい気持ちは強くなり、部屋を訪ねてくれるルッツやトゥーリに抱きついて甘える時間も増えていた。妊娠中の母が来られないことも、その寂しさをいっそう深めていた。ルッツから、雪が降り始めれば今のように毎日は来られなくなると聞かされると、マインは雪など降らなければよいのにと願うほどであった。そして面談当日、三の鐘が鳴る少し前からとうとう雪がちらつき始め、本格的な冬の到来がはっきりと感じられるようになった。
会談前の準備とベンノの緊張
面談の前、マインはロジーナからカルステッドに対する挨拶や裾さばきの練習を厳しく受けていた。五の鐘に会談が予定されており、その前にベンノが神官長へのご機嫌伺いの名目で先に訪れることになっていたため、それまでに失礼のない振る舞いを身につける必要があった。やがてベンノとマルクが訪れたが、ルッツは来ていなかった。雪が降り始めたため、ルッツにはマイン工房の方を優先させており、後から冬の手仕事の完成品を一つずつ持ってくる手筈になっていたのである。ベンノはそれを会合に持ち込んで神官長や上級貴族の意見を聞きたいと考えていた。マインはその影響の大きさを指摘したが、ベンノは印刷や紙の影響すら深く考えず広めようとするマインがそこまで言うのなら相当大きいのだろうと、かえって気を重くしていた。また、上級貴族と神官長に囲まれて話すこと自体に強い緊張を覚えており、普段の好戦的な姿とは違ってひどく神経をすり減らしていた。
会談の本質を知る
ベンノは、この場が単なる衣装の納品では終わらないと説明した。インク協会の会長についてそれぞれが集めた情報を持ち寄り、マインを今後どう扱うかを決める会議になるはずだというのである。下町と商人側の情報はベンノ、貴族側の情報はカルステッド、そして双方の情報を必要としているのが神官長であり、その三者が顔を揃える以上、ただの納品で済むはずがないと見ていた。マインはようやく、神官長が部屋から出るなと命じていたのは、この日に向けて情報を集めていたからなのだと理解した。
儀式用衣装の納品と罰の終了
神官長の部屋に通されると、すでにカルステッドは到着していた。鎧姿ではなく貴族の衣装をまとったカルステッドは、威厳を保ちながらも以前より柔らかい印象であった。挨拶を終えて着席した後、神官長はまず儀式用の衣装を納めるよう命じた。マルクが木箱をベンノに渡し、ベンノがそれをカルステッドへ差し出すと、中には深い海のような青の儀式用衣装が収められていた。カルステッドが中身を確かめ、マインにも確認を求めた後、それを正式にマインへ与える形となった。代金はダームエルを通してベンノへ支払われた。神官長はその一連のやり取りを見届けた後、ベンノ、カルステッド、ダームエルの罰はひとまずここで終了だと告げた。その言葉によって三人が明らかに安堵したことからも、この納品が彼らにとって一つの区切りであったことが窺えた。
盗聴防止の結界と本題への移行
衣装の納品が終わると、神官長は側仕え達を一度下がらせ、盗聴防止の魔術具を設置した。四つの魔石によって囲まれた空間は淡い青の光に包まれ、外の音もこちらの音も通らない状態となった。こうした魔術に見慣れていないベンノはさすがに顔を引きつらせたが、声を上げることなく平静を装っていた。そして結界の中で、神官長は本題として、インク協会と契約魔術を交わした直後からマインについて探られ始め、ルッツがその標的になった件が事実かどうかをベンノに確認した。ベンノはそれを認め、本来なら契約前に行うはずの情報収集が契約直後に行われた意図がわからないと述べた。
ヴォルフの危険性と契約後の情報収集の意味
神官長は続けて、マインはその人物と面識があるかと尋ねたが、マインはベンノに匿われていたため顔も名前も知らないと答えた。ベンノも、相手は貴族と繋がりの深い危険な人物だという噂があり、接触を避けたのは正しかったと説明した。神官長はその判断を英断だと評価し、その人物がインク協会の会長ヴォルフで間違いないかと確認した。ベンノは、ヴォルフが貴族に便宜を図るためなら犯罪にも手を染める人物だという噂を聞いており、それ以上の真偽はわからないと答えた。するとカルステッドは、契約後に露骨な情報収集を始めたのは、もはや関係悪化を恐れずに動けるからではないかと指摘した。契約魔術は簡単には破棄できないため、たとえ今後マインに危害を加えたとしても、インク協会との契約自体は維持される。その状況を利用している可能性があると考えたのである。
マインの価値と想定される危険
神官長は、商人や下町の人間の視点から見て、ヴォルフがマインの情報を得てどうするつもりかをベンノに尋ねた。ベンノは、商人にとってのマインの価値は次々と新商品を生み出す知識にあるが、その価値を正確に理解している者は多くないとした上で、ヴォルフがその価値に気づいたならば、インク協会へ所属させようとするか、金で知識を買おうとするか、あるいは誘拐して脅し、知識を吐かせようとするだろうと述べた。ただし、マインは非常に虚弱であるため、普通の虜囚のように監禁すれば情報を引き出す前に死ぬ危険が高く、監禁は誘拐以上に難しいと指摘した。神官長も反省室に半日入れただけで数日寝込んだ件を引き合いに出し、その見立てにすぐ頷いた。
貴族へ売られる可能性と命の危険
カルステッドはそこからさらに、ヴォルフがある程度知識を得た後でマインを貴族に売り飛ばす可能性を示唆した。ベンノは、身食いであること以外に貴族に狙われる理由があるのかと疑問を示したが、神官長は詳しくは明かさないものの、理由はあると認めた。その上で、ヴォルフがマインをさらって知識を引き出した後に貴族へ売る可能性がもっとも高く、他にも貴族がヴォルフに誘拐させてから救い出すことで恩を売ること、マインをさらった上で実は我が子だと言い張ること、単なる恨みから危害を加えること、果ては暗殺の危険まで挙げた。そこまで具体的に危険を並べられて、マインは初めて自分が単に気味悪く探られているだけではなく、極めて危険な立場に置かれているのだと実感した。
冬の間の方針と春以降の課題
神官長は、冬の間は引き続きベンノに商売関係からの情報収集を続けさせ、マインの存在を隠し続けるよう命じた。また、マインは冬の間神殿から出さず、移動するとしても部屋と儀式の場と孤児院くらいに限り、どこに行くにも灰色神官を同行させると決めた。問題は春以降であり、冬の間に向こうもこちらも情報と協力者を集めることになる以上、その前に対策を急がねばならないというのが三者の共通認識となった。さらに神官長は、気づけば事態を大きくし、少し目を離せば死にかけているマインをおとなしくさせる方法があるかとベンノに尋ねたが、ベンノは自分が知っていればすでに使っていると疲れ切った顔で首を振った。神官長も、やはり目の届くところに取り込んでおくのが最善だと判断した。
新商品の事前許可と冬の手仕事の披露
神官長は最後に、今後マインが何か行動する前、また新商品を作る前には必ず自分とベンノの許可を得るよう命じた。その言葉で、マインは会談に冬の手仕事を持ってきていたことを思い出し、これも許可が必要かと尋ねた。神官長に見せるよう言われたため、マインはトランプ、リバーシ、チェスもどきを取り出してテーブルに並べた。トランプについては、神経衰弱を中心に遊び方を説明し、数字を覚えるために孤児院の子供達へ使うつもりだと語った。カルステッドは面白がって遊び、神官長は記憶力の良さで圧倒的な強さを見せた。さらにリバーシでは、マインが神官長を相手に一度目の勝負で勝ち、神官長はすぐに再戦を望んだが、マインは商品として買うならまた相手をすると持ちかけたため、その場で神官長が購入を決めた。チェスもどきについては、カルステッドが貴族間で行うゲヴィンネンに似ていると指摘したものの、魔力を必要とせず戦わせ方も違うため、下町で売る分には問題ないと判断された。
商売としての成立とベンノの退出
手仕事の説明が終わると、リバーシとトランプは春に売り出す予定の品として扱われたが、神官長とカルステッドはそれぞれプレミア価格で購入することになった。その価格は本来予定していた売値より大幅に高く、孤児院の手仕事は商売として十分成立することが示された。その後、盗聴防止の結界は解かれ、側仕え達が呼び戻された。神官長とカルステッドが側仕えに購入した品を持たせる中、ベンノは有意義な時間への礼を述べて退室しようとした。マインもそれに続こうとしたが、神官長はまだ話があるとして引き止めた。そして、いつも使う盗聴防止の魔術具を四つテーブルに置き、神官長、カルステッド、マインがそれぞれ手に取ったところで、その場には新たな話し合いの気配が生まれていた。
騎士団の処分と今後の話
騎士団への処分の説明
ベンノが退室した後、ダームエルが空いた席へ着こうとしたが、神官長はマインにそのままの席にいるよう命じた。全員が着席すると、神官長はトロンベ討伐時に起きた騎士の不手際に対し、領主が下した処分を説明し始めた。騎士団長であるカルステッドには、新人教育の厳格化に加え三か月の減給、そしてマインの儀式用衣装代の四分の一の負担が命じられた。戦場で命令に従わず、護衛対象を傷つけたことは騎士として重罪だと判断されたのである。
シキコーザの処刑と一族への措置
神官長は続けて、シキコーザには処刑の判決が下されたと告げた。一族にも連座が及ぶところであったが、それではマインへの恨みがさらに大きくなると考えた領主は、シキコーザの父に二つの選択肢を与えた。このまま一族で罪を被るか、今後マインに関わらぬと誓約し罰金を払うかである。父親は後者を選び、罰金を払った上でマインに関わらないと誓ったため、一族への連座は免れ、シキコーザは騎士団任務中の殉職という扱いで名誉を保たれることになった。マインは、平民である自分が相手でも軽い処分では済まなかったことに強い衝撃を受けていた。
ダームエルの減刑と弁護の意味
ダームエルについては、衣装代の四分の一の負担と一年間の見習い降格処分が下された。同じ護衛でありながら処刑を免れたのは、マインが彼をかばうような証言をしていたためであった。ダームエルはシキコーザを諫め、マインを助けようとしていたこと、身分差のために完全には止められなかったことが認められ、同罪とされずに済んだのである。ダームエル自身は、今まで誰かに助けられることがほとんどなかったため、マインが自分の減刑を願ってくれたと知って非常に嬉しかったと打ち明けた。
護衛任務の決定と貴族社会の現実
さらに神官長は、ダームエルが一年の見習い期間中、マインの護衛を務めることになったと告げた。驚くマインに対し、神官長とカルステッドは、現在マインの身がいかに危険な状況にあるかを説明し始めた。平民でありながら青の衣を与えられ、騎士団に同行して任務を果たし、その際に強大な魔力量を騎士達に見せつけたことで、上級貴族の間ではマインに利用価値があるという認識が広がっていた。しかも領主の了承を得て青の衣を着ていること、さらにフェルディナンドの庇護下にあることも知られているため、彼に媚びを売ったり近づいたりする道具として利用しようとする貴族が現れてもおかしくなかった。
ヴォルフと貴族の結びつきが生む危険
カルステッドは、そうした貴族がインク協会のヴォルフと結びついていた場合、マインをさらわせ、救い出すことで恩を着せる可能性があると予測した。彼らは基本的に利用を優先するため、思わぬ事態でも起こらない限りマイン自身の命の危険は比較的低いかもしれないが、周囲の人間の安全は保証されないとされた。さらに神官長は、もし自分に敵対する勢力がヴォルフを使って動けば、マインを敵対領地へ売り飛ばすことや、自分の子供だと偽って囲い込むこともあり得ると述べた。その場合、本来の家族は邪魔になるため、口封じされる危険すらあると聞かされ、マインは家族が巻き込まれる未来を想像して強く震えた。
下級貴族の嫉妬とシキコーザの母の恨み
ダームエルは、下級貴族の視点からも危険性を補足した。下級貴族の間では、平民の身食いであるマインが大きな魔力を持つことへの蔑視が根強く、都合よく利用する以前に、羨望や嫉妬や恨みが先に立つというのである。表立ってフェルディナンドに敵対することは難しいため、上級貴族が動けば便乗する程度だろうとしながらも、個人的な恨みを持つ相手はもっとも危険だと述べた。特にシキコーザの母は、一族の都合で神殿へ預けられていた息子がようやく戻ってきたことを喜んでいたため、その息子を失った恨みをマインへ強く向けていると聞かされた。家族を失う怒りがどれほど深いものかを想像できるだけに、マインはその感情が自分だけでなく家族へ向かう可能性に強い恐怖を覚えた。
養女の提案とマインの拒絶
危険を抑えるための手段として、神官長はカルステッドの養女になる案を示した。カルステッドはフェルディナンドから頼まれれば喜んで引き受けると応じ、これほどの良縁はないとダームエルも驚いた。しかし、マインは即座にそれを拒絶した。神殿に籠っているだけでも寂しくて精神的に不安定なのに、家族と完全に離れることなど耐えられないと訴えたのである。神官長は、もともとマインを青色巫女見習いとして育て、教養と巫女としての経験を積ませた上で貴族に縁づかせるつもりだったと明かしたが、マインにとってはその計画自体が初耳であり、勝手に人生を決められることへの反発も強かった。
感情の暴走と隠し部屋への移動
家族と離れたくないという感情が高まるにつれ、マインの中では魔力までもが激しく蠢き始めた。神官長が落ち着くよう叫ぶ間もなく、彼は透明な魔石をマインの額に押し当て、たちまち色が変わるのを見て顔色を変えた。カルステッドとダームエルから魔石を集めると、神官長はマインを担ぎ上げて隠し部屋へ向かい、奉納式直前で魔力を溜め込みすぎているのだと叱りながら、次々と魔石へ魔力を吸い出していった。魔力が抜けるにつれ感情も少しずつ落ち着いていったが、完全には収まらなかった。
前世の記憶と現在の家族への執着
神官長に何があったのかと問われたマインは、記憶を覗く魔術具を使われたせいで、前世の母や失った家族のことをあまりに生々しく思い出してしまったと打ち明けた。忙しさの中で押し込めていた喪失感が掘り返され、心に穴が空いたような感覚が続いていたところへ、今度は現在の家族からも引き離されかけたため、耐えられなくなっていたのである。神官長はその事情に気づいて辛そうな表情を見せ、マインも自分の八つ当たりを詫びた。だが、今の家族だけは絶対に失いたくないという思いは消えず、涙混じりに家族と会えなくなることへの恐怖を訴えた。
神官長の不器用な慰め
感情が再び揺らぎ始めたマインを前に、神官長は声を荒げて引き寄せ、そのまま抱きしめた。そして、このようにぎゅーをすれば少しは落ち着くのだろう、と不本意そうに言った。マインはその言葉と行動に驚きつつも、神官長の膝に乗って体勢を整え、温もりと呼吸音に包まれるうちに心を落ち着かせていった。神官長は終始不満そうでありながらも振り払うことはせず、マインが十分に落ち着くまでそのまま受け止めていた。
強大な魔力と十歳までの猶予
マインが落ち着いた後、神官長はあらためて、貴族の養女にならなければならない理由を説明した。普通の身食いと違い、マインの魔力は強大すぎて、その辺りの貴族一人が御せるものではなく、今後成長するにつれてさらに増える。だからこそ、強大な魔力を制御し、有益に使う術を学ばなければならず、そのためには貴族の養女となって貴族院に通う必要があるというのであった。個人が扱える範囲の魔術具では足りず、マインの魔力は領地や国のために使われるべき量だとまで言われた。マインは実感が湧かないまま、それでも家族と一緒にいれば不安定にならずに済むのだと縋るように訴えた。神官長は深く思案した末、貴族院に行かねばならない十歳までは神殿に通って奉納を続けながら、今まで通り家族に甘えてよいと譲歩した。ただし、それ以降はマインの意見は聞かず、危険かつ有害と判断されれば家族ごと処分されると厳しく言い渡した。マインは、十歳という期限付きで家族と過ごせる時間を胸に刻みながら、その決定を受け入れるしかなかった。
冬の日常
ダームエルの護衛による行動範囲の拡大
ダームエルが護衛に付くようになったことで、マインはようやく神殿内での行動を許可された。毎日貴族街から通ってくるダームエルは、魔石を変化させた天馬を使っているため、雪深い冬でも支障なく神殿へ来られた。そのおかげで、マインは孤児院や図書室へ足を運べるようになり、閉じこもるばかりだった生活から少し解放された。特に図書室へ行けることは寂しさを紛らわせる助けになったが、図書室は非常に寒く、長時間籠るには向かなかったため、ダームエルとフランからは本を自室へ持ち込めるよう神官長へ願い出るよう勧められた。
神官長からの本の貸し出しとささやかな甘え
神官長は、自分が持ち込んだ私物に限るなら図書室から本を持ち出してもよいと許可した。奉納式を控える中で、マインに風邪を引かれる方が困るというのが表向きの理由であったが、リバーシでマインに勝ったことを機に、神官長はどこか得意げでもあった。マインは神官長の大人げなさを責めたが、神官長もまた、初心者相手に本気を出したのはマインの方だと応じた。こうしたやり取りの一方で、神官長は本を貸してくれるだけでなく、どうしても寂しさに耐えられなくなったマインが押しかけた時には、書類整理や計算仕事と引き換えに少しだけ甘えることも許していた。嫌そうな顔はするものの、追い返しはしなかったのである。
ルッツとトゥーリの来訪とダームエルとの対面
吹雪がひどくない日には、トゥーリがルッツと一緒に神殿を訪れた。トゥーリは現在、孤児院の子供達と一緒に子供用聖典と石板を使って文字を覚えようとしており、ルッツはその教室の手伝いや手仕事の進行確認、ギルへの報告書指導などを担っていた。マインは二人にダームエルを紹介し、ダームエルには姉のトゥーリと友人のルッツを覚えてほしいと頼んだ。騎士団の一員であるダームエルに対し、トゥーリとルッツは強い憧れを向け、貴族である彼が自分達の前でたじろぐという不思議な光景が生まれた。ダームエルは、平民と接する機会がほとんどないまま育ち、貴族社会でも下位にいたため、羨望の眼差しを向けられることにも、幼い子供へどう接するかにも慣れていなかったのである。
孤児院への同行とダームエルの戸惑い
この日はダームエルがいるため、マイン自身もルッツとトゥーリに同行して孤児院へ向かうことができた。神殿の孤児院長をマインのような巫女見習いが務めていると知ったダームエルは、人材不足の深刻さに驚いていた。マインは肩書きこそ孤児院長だが、重要書類に署名するのは神官長であり、自分は日常を管理する中間的な立場にすぎないと説明した。さらにダームエルは、フェルディナンドの側で書類仕事をこなすマインを優秀だと評価し、努力しない無能を嫌い、能力の劣る者には倍以上の課題を課す鬼上司だったという騎士団時代のフェルディナンドについても語った。課題をもらうこと自体が優秀さの証だとぼやくダームエルに、マインは今度フェルディナンドへ課題を与えてやってほしいと頼もうかと考えていた。
ヴィルマの警戒と孤児院の冬支度
孤児院の食堂では、ヴィルマが柔らかな笑みで一行を迎えたが、ダームエルの姿を見ると一気に緊張し、泣きそうな顔でマインへ誰かと尋ねた。マインは、自分の護衛であり、職務に忠実で孤児院の子供や女性に無体な真似はしない騎士だと紹介し、ダームエル自身にもその意思を確認させた。ヴィルマは警戒を解ききれないまま、一行を中へ通した。食堂は冬支度のおかげで暖炉がよく効き、さらに男子棟の住人も日中は食堂に集まって過ごすため人口密度が高く、非常に暖かかった。ダームエルはその暖かさに驚いていた。
神殿教室と識字教育の目的
食堂の一角では、文字を教える神殿教室が開かれていた。トゥーリは教室の方へ向かい、ルッツは手仕事の進む一角へ、マインは教室が見やすい位置に座ってその様子を眺めた。ダームエルは、孤児に文字を教える意味がわからず不思議がったが、マインは、神殿の孤児達はいずれ側仕えや貴族街の下働きになるため、今のうちに文字と数字を教えておけば仕事が捗ると説明した。ダームエルはそれを、教育係の手間を省くためだと理解して納得した。マインはその傍らで、ヴィルマと次の絵本について相談し、季節ごとの神の眷属に関する本を作るため、聖典から抜き出した記述を読みやすく整え、詩的な表現を加えてもらっていた。
子供用聖典の価値と新たな商機
ダームエルは子供用聖典にも関心を示した。マインは、神様の名前や神具を覚えるために作った本であり、祝福を得る際にも神の名が必要になるため、これからは眷属についても本にしていく予定だと話した。するとダームエルは、自分も神の名前を覚えるのに苦労した経験があるため、そのような本があれば確かに便利だと漏らした。マインはその貴族側の感想を聞いて、神様辞典のような絵本を作れば売れると直感し、商機として記憶した。
カルタ遊びとトゥーリの苦戦
孤児院では、本を読んだ後にカルタで遊ぶのが定番になっていた。だが、毎日遊んで神々の絵柄にも慣れている孤児達に比べ、雪が弱まった日にしか来られず、まだ文字も十分には覚えきれていないトゥーリは、カルタで一番弱かった。マインは、まずは教科書に出てくる神様だけでも確実に取れるようにすればよいと助言した。ヴィルマが描いた読み札と絵札は一致しているため、それを覚えることで少しずつ戦えるようになると考えたのである。マイン自身も挑戦したが、日々鍛えられている孤児達には敵わず、さらに成人間近の見習いも混じっていて腕の長さまで違うため、まるで勝負にならなかった。
裁縫教室とパルゥ採りの準備
午後になると、トゥーリは女の子達に簡単な補修を教える裁縫教室を開いた。すでに何度か行っているため、先生役としても板についており、孤児達も裾のほつれを自分達で直せるようになってきていた。そのため、中古服であっても見た目がかなり改善されていた。一方、男の子達は防寒具を着込み、ルッツを中心に工房へ向かおうとしていた。冬の晴れた日はパルゥ採りの日と決まっており、当日の早朝に慌てないよう、今から準備を進めるのだという。マインは、当日はたくさん採ってきてほしいと励ました。
パルゥへの期待とトゥーリへの依頼
今年は母が妊娠中で木登りができず、父も仕事で当てにできないため、トゥーリは家族分のパルゥが手に入らず、冬の甘味であるパルゥケーキが食べられないかもしれないと残念がっていた。するとマインは、もともとトゥーリに孤児院の子供達を連れて行ってもらい、そのお礼として家族分のパルゥを渡すつもりだったと明かした。トゥーリはその提案に目を輝かせ、今年もパルゥケーキが食べられると喜んだ。さらに、孤児達に向けても、パルゥはとても甘くておいしいものだと話したため、子供達は期待に目を輝かせ、晴れた日には早起きして森へ行くと元気よく答えた。
晴れ間の到来と家族との再会
それから数日後、待ちに待った晴れ間が訪れた。朝の光が雪に反射してきらきらと輝くのを見たマインは、デリアが起こしに来るより先にベッドを飛び出し、二階の手摺からギルへ向かって今日はパルゥ採りの日だと叫んだ。デリアには強く叱られたが、吹雪がいつ止むかは誰にもわからないのだから、今日の機会を逃すわけにはいかなかった。やがて普段の朝食時間よりずっと早くトゥーリが駆け込んできて、その後ろには珍しく休みを取れた父の姿もあった。マインは階段を駆け下りて父へ飛びつき、髭の感触や抱き上げられる高さに久しぶりの再会を喜んだ。トゥーリは、天然酵母の入った瓶を持ってきてくれており、家にいないマインの代わりに世話をしていたそれを手渡してくれた。マインはそれを大事そうに抱きしめ、昼には焼き立てのふんわりパンを用意して待っていると二人を送り出した。
神官長の手伝いと昼への期待
家族を見送った後、マインはフランに天然酵母を厨房のエラへ届けさせ、昼食には父、トゥーリ、ルッツも一緒だと伝えた。さらにロジーナには、フェシュピールの練習後にヴィルマへパルゥケーキの準備を始めるよう伝えるよう頼んだ。三の鐘まで練習をこなし、その後は神官長の手伝いに向かった。神官長からは不気味なほど機嫌が良いと言われたが、マインにとっては、昼に家族と食卓を囲めるというだけで胸が弾んでいた。四の鐘が鳴ると神官長の部屋から戻され、ダームエルが昼食に行く間、マインは部屋でそわそわと皆の帰りを待った。
大量のパルゥの収穫と加工場所の決定
昼過ぎ、父、トゥーリ、ルッツの三人は大満足の笑顔で帰ってきた。人海戦術のおかげで、かなりの量のパルゥが採れたのである。天然酵母を使ったふわふわパンを食べながら、午後からどこで加工するかを話し合い、果汁を取るのは食堂、油を搾るのは圧搾機のある工房も考えられたが、ルッツは寒さで実が硬くなっているため、暖かい食堂でハンマーを使う方がよいと提案した。父も人数が多いなら食堂でよいと賛成し、加工は食堂で行うことになった。その一方で、トゥーリはパルゥケーキをどこで焼くのかを気にしており、マインは厨房で作ると方法が外へ広まって家畜の餌として使う搾りかすが手に入らなくなるため、女子棟の地下でこっそり作ると答えた。これにより、午後は採れたパルゥを家、ルッツの家、孤児院で分け、食堂で加工し、トゥーリが女の子達へケーキの焼き方を教える流れが決まった。
食堂での加工と甘い匂いの広がり
ダームエルを伴って孤児院へ向かったマインは、食堂の異様な賑わいに立ち会った。一角では穴を開けたパルゥから白い果汁を受ける子供達がいて、別の一角では灰色神官達がハンマーで実を叩き潰し油を搾っていた。パルゥを知らないダームエルには奇妙な光景に見えたが、マインは果汁、油、搾りかすがそれぞれ利用されることを説明した。やがて、地下で搾りかすと果汁、ヤギ乳、卵、バターを使ったパルゥケーキが焼かれ始め、甘い香りが食堂へと漂ってきた。トゥーリと見習いが焼き上がったパルゥケーキを皿に積んで運んでくると、果汁搾りをしていた子供達は仕事を放り出して駆け寄ろうとしたが、マインは仕事が終わらなければ食べられないと厳しく告げ、慌てて持ち場へ戻らせた。
パルゥケーキの配膳と皆の驚き
完成したパルゥケーキは、フランとロジーナによって切り分けられ、子供達に配られた。マインはデリアや部屋の厨房で働く者達の分も取り置かせ、食堂に全員が揃ったところで食前の祈りを捧げた。父とトゥーリは神殿での長い祈りの言葉に呆然としていたが、マイン自身も神殿での生活の中で覚えたものであり、ダームエルも当然のように唱えていた。祈りの後、子供達は一斉にパルゥケーキにかぶりつき、甘い、おいしいと歓声を上げた。隣で食べていたダームエルも、目を見開いて固まり、これは本当に下町の者が食べているものなのかと問いかけた。マインは、一般的なものではなく、自分達がこっそり楽しんでいるものだと答えた。
ダームエルの認識の変化と孤児院の活気
ダームエルは、読み書きを学び、このような甘味を食べられる孤児院の子供達は、もはや貴族並みの生活をしているのではないかと半ば本気で感じていた。しかしマインは、ここでの甘味は自分達で雪深い森へ行って採ってきたパルゥから作ったものであり、売り物ではないと説明した。納得しきれない様子は残っていたものの、ダームエルはそれ以後、冬の晴れた日には孤児院へ行くことを催促するようになった。パルゥケーキを気に入ったのは彼だけではなく、孤児院の子供達やヴィルマ達も同様であった。さらに、マインがルッツの家へ渡していたレシピをヴィルマ達にも公開したことで、搾りかすを使った料理の幅も広がり、孤児院ではパルゥ争奪戦がいっそう熱を帯びることになった。
奉納式
神官長から手加減を命じられる
書類仕事を早めに切り上げた神官長とリバーシをしていた最中、神官長は盗聴防止の魔術具を差し出し、次の土の日から奉納式が始まると告げた。そして、奉納式では魔力を込めすぎず、手を抜くようにと指示した。神殿長には、マインが普段奉納している魔力は小魔石七、八個分ほどで、頑張っても二十個を超えると倒れると伝えてあるため、今回も小魔石二十個程度に抑え、できれば帰る頃には少し気分が悪そうに見せるよう求めたのである。マインはそれでは神殿長を騙すことになるのではないかと疑問を抱いたが、神官長は、敵対者がいるならば全てを正直に見せる必要はなく、隠し玉や余力を常に持つべきだと説いた。
新しい儀式用衣装と家族からの簪
奉納式初日、マインは朝から風呂で身を清められ、新しい儀式用の青い衣装を身につけた。流れる水紋と花の刺繍が施された青の衣には金の縁取りがあり、腰には銀の帯、小物には冬の貴色である赤が使われていた。その支度の途中で、マインは以前の簪ではなく、数日前にトゥーリから届いた新しい簪を使うよう頼んだ。それは冬と春の儀式に使えるよう赤と緑の糸で作られたもので、家族が騎士団への要請で失われた簪の代わりとして新たに用意してくれた品であった。冬籠りの寂しさを和らげる大切な品でもあり、マインにとって大きな慰めとなっていた。
神官長の部屋での待機とダームエルの感嘆
支度を終えたマインは、ダームエルの護衛のもと神官長の部屋へ向かった。神官長の側仕えが呼びに来る手間を省くため、神官長の部屋で待機するよう命じられていたのである。歩きながらダームエルは、罰として衣装代の四分の一を負担することになった身であるだけに、その儀式用衣装の素晴らしさと高価さに感嘆していた。マインが以前に仕立てた衣装とは異なり、今回は生地の準備から特急仕立てまで含まれていたため、実際には以前の三倍以上の金額がかかっていたのである。ダームエルはその額に青ざめ、家族に相談した末、兄の愛人の実家に立て替えてもらって支払ったと明かした。
神殿長との遭遇と儀式の間への入室
神官長の部屋で待機していると、他の青色神官の儀式が終わり、アルノーが迎えに来た。マインはフランとダームエルを従え、儀式の間へ向かったが、その途中で神殿長と鉢合わせた。白の衣装に金の帯をまとった神殿長は、マインの姿を見つけると忌々しそうな顔になったため、マインは廊下の端に寄り、手を胸の前で交差させて跪いた。神殿長はマインを鼻で笑うように通り過ぎていったが、それ以上の接触はなかった。やがて儀式の間へ入る段になると、ダームエルはそのまま廊下で待機するよう命じられた。儀式の間に入れるのは、儀式を行う神官と巫女だけであった。
神官長と二人きりの奉納式
儀式の間は小さな礼拝室のような作りで、正面には色鮮やかなモザイクの壁と祭壇があり、祭壇には最高神の冠と黒いマント、大きな聖杯と多くの小聖杯、杖や槍や盾や剣などの神具が並べられていた。小聖杯は収穫祭で農村から持ち帰ったもので、奉納式で魔力を満たし、春の祈念式で再び各地へ持ち出すためのものであった。神官長は、魔力の差が大きすぎるため他の青色神官とは隔離して儀式を行うのだと説明した。自尊心の問題だけでなく、同じ祈りを捧げて魔力を放出すると相乗効果で流れが強くなり、マインの魔力量に他の者が引きずられて危険になるためであった。こうして、神官長とマインの二人だけで奉納式が始まった。
赤い布を通じて流れる魔力
神官長が祭壇へ向かって跪き、赤い布に手を当てて祈りを捧げると、マインもその後ろで同じように祈った。祭壇へ繋がる赤い布には魔力の籠った糸が織り込まれており、祈りながら手をつくことで、魔力が光の波となって祭壇の神具へと流れていった。祈りの言葉を唱える中で、マインは自分の中から魔力がするりと流れ出していく感覚をはっきりと覚えた。やがて神官長が止めるよう告げると、マインも手を離し、その日の奉納は終了した。小聖杯は一日で七つほど満たされ、単純計算で全てを終えるには八日ほど必要だとわかった。神官長は、これをほとんど一人で満たさなければならなかったことを思い、貴族街での務めもある中での苦労に深い疲労をにじませていた。
毎日の奉納と隣領への協力
その後も毎日、マインは神官長と二人で奉納を続けた。他の青色神官と顔を合わせることはなく、ひたすら小聖杯へ魔力を満たしていく日々であった。ほとんどの小聖杯への補充が終わった頃、神官長は新しい小聖杯を十個ほど持ち込んだ。仲の良い隣領でも魔力不足が深刻であり、余力があれば協力してほしいと要請されたのである。神官長は、良好な関係を保つためにもこうした機会に恩を売って優位に立つ必要があると語り、政治における駆け引きの一端を示した。マインはその感覚には馴染めなかったが、どうせ自分の魔力は余っているものであり、自由に使えるものでもないと割り切り、協力することにした。
神殿長が持ち込んだ追加の小聖杯
隣領から預かった小聖杯にも魔力を込めていた最中、儀式の間の扉が開き、神殿長が袋いっぱいの小聖杯を抱えて入ってきた。神殿長は無言でそれらを祭壇の前に並べ終えると、これも領主に頼まれた物だからマインに魔力を込めよと命じた。神官長はそのような話は聞いていないと不審を示したが、神殿長は自分はマインに命じているのだと押し返した。すでに神殿長の怒りを買っているマインにとって、ここで命令を断るのは賢明ではないと判断され、マインは神官長に視線で判断を仰いだ。神官長は表情を険しくしつつも、明日からならば行うと答え、その場を収めた。
従順を装いながら裏を探る方針
神殿長が去った後、神官長は、マインがその場で感情を暴走させるのではないかと冷や冷やしたと漏らした。そして、神殿長が持ち込んだ小聖杯は領主の命令ではない可能性が高いと判断した。マインは、たまには神殿長の顔を立てる程度のことなら構わないと答えたが、神官長は難しい顔で考え込んだ末、儀式はこのまま続けると決めた。その間に領主へ問い合わせて裏を探るつもりではあるが、雪に閉ざされた季節ではすぐに情報は集まらないため、相手を泳がせる意味でも、しばらくは従順に従った方が都合が良いと判断したのである。こうしてマインの冬は、次々と増やされる小聖杯に魔力を満たし続ける日々として過ぎていった。
ロジーナの成人式
成人式の存在を知る
冬の半ばが近づいた頃、フランはマインにロジーナの成人式をどうするかと尋ねた。マインは当初、自分の成人式の話だと勘違いしたが、フランから冬の終わりの成人式でロジーナが成人すると教えられた。マインは、自分の側仕えの大切な節目さえ把握していなかったことに衝撃を受け、自身の主としての未熟さを痛感した。
孤児院の成人式と贈り物の難しさ
フランは、孤児院では朝早くに身を清め、新しく支給された服を着て礼拝室で祈りと感謝を捧げる形で成人式が行われると説明した。また、側仕えである灰色巫女には主から贈り物が与えられる場合もあるが、孤児院全体へ贈り物を始めてしまうと、今後の格差や継続性の問題が生じるため避けるべきだと諭した。マインは孤児院の子供達に何もしてこなかったことを悔いたが、フランの説明を受けて、まずはロジーナへの成人祝いを考えることに意識を向けた。
贈り物の相談と候補探し
マインは成人祝いとして何を贈るべきかを知るため、まず神官長に尋ねた。神官長は、成人祝いには相手が長く使う仕事道具がよいと答え、自分はペンとインクを贈ると教えた。マインはロジーナの仕事から楽器を思い浮かべたが、自分も持っていないような高価な物を側仕えへ贈るのは順序が違うと神官長に叱られた。その後、吹雪が弱まった日に訪れたルッツやベンノにも相談し、職人なら仕事道具、商人なら装飾品や服が贈られることを知った。そこから、身繕いの道具なども候補として考え始めた。
給仕研修の相談と側仕えへの配慮
その日にベンノは、成人が近いダプラのレオンを給仕研修のためにマインの部屋で預かってほしいと申し出た。フランは給仕の仕方だけなら指導可能だと答えたが、マインは、教師役を務めるフランが灰色神官で孤児であることを理由に、彼を蔑んだり見下したりするような教育の足りない者は受け入れられないと明言した。ベンノはその指摘を受け、そうした者なら即座に契約を切ると約束した。マインはこのやり取りを通じて、側仕え達の立場と尊厳を守ろうとしていた。
ヴィルマの助言で楽譜に決まる
孤児院へ向かったマインは、ヴィルマにも成人祝いについて尋ねた。ヴィルマは、自分が成人した時にはクリスティーネが神殿を去った直後で、何ももらっていなかったと静かに語った。その事実にマインは慌ててヴィルマにも何か贈ろうとしたが、ヴィルマは、それでは他の側仕えとの兼ね合いも崩れ、かえってロジーナへの祝いが霞むと止めた。そして、ロジーナは音楽に関わる物を最も喜ぶだろうと見抜き、新しい楽譜を贈る案を示した。マインはその提案を聞いて、成人祝いとして新しい楽譜を贈ることを決めた。
神官長の助力で楽譜を作る
翌日、マインは神官長を訪ね、ロジーナへの成人祝いにするため楽譜の書き方を教えてほしいと頼んだ。神官長は、夢の中の曲を書くつもりなのかと確認し、フランにフェシュピールを持ってこさせた。マインは自分の記憶にある曲の音を一つずつ探しながら楽譜に起こそうとしたが、五小節ほど進んだところで神官長は見かねて楽器を取り上げた。そして、マインに鼻歌で歌わせ、自分が音を取り、フェシュピール用にアレンジした上で楽譜を書き留めていった。こうして神官長の手によって四曲分の楽譜が完成し、マインはそれを書き写して紐で綴じ、成人祝いの品として仕上げた。
ロジーナの晴れ姿
冬の終わりの土の日、成人式当日となった。朝早くからデリアとギルが水を運び、ロジーナは身を清めて神殿から支給された新しい灰色巫女の衣装を身につけた。これまでより長い裾と結い上げた髪によって、ロジーナは一気に大人の女性らしい姿へと変わった。ふわりと結い上げられた栗色の髪から白い首筋がのぞき、普段以上に美しく見えた。マインはその姿に感嘆し、デリアもまた、自分も早く髪を結い上げられるようになりたいと羨望を口にした。
祝いの準備とヴィルマの参加
成人式当日は神官長の手伝いもフェシュピールの授業もなかったため、マインはフランとダームエルを連れて孤児院へ行き、ヴィルマに頼んでパルゥケーキの生地を作ってもらった。そして、ロジーナを祝うため、男子がいても見知った顔だけなら大丈夫だろうと説得して、ヴィルマにも部屋へ来てもらった。ヴィルマは少しずつ男性との接触に慣れてきており、ほんの少しだけならと応じた。こうして、ロジーナの帰りを迎える準備が整えられた。
皆で迎えた成人の祝い
三の鐘が鳴る前に成人式を終えたロジーナが部屋へ戻ると、マインはすぐに席へ案内した。ロジーナは主を差し置いて座れないと遠慮したが、フランがまずマインを座らせることで落ち着かせた。そこへヴィルマが、マインの提案で自分が焼いたパルゥケーキをロジーナの前へ置いた。さらにデリアが丁寧に淹れたお茶を添え、皆が揃ってロジーナの成人を祝う場が整えられた。ロジーナは、ヴィルマがその場にいることにも、皆が自分のために集まってくれたことにも深く心を動かされ、青い瞳を潤ませた。
楽譜の贈呈と祝福の言葉
最後にマインは、フランに頼んで執務机から取り出してもらった楽譜をロジーナへ渡した。それはマインが神官長の助力を得て書き写した、ロジーナの知らない新しい曲ばかりを集めた楽譜であった。ロジーナは、それがどのようにして用意されたのか驚きつつも、胸に抱きしめて輝くような笑顔を浮かべた。マインはロジーナへ成人おめでとうと告げ、その未来に神々の祝福があるよう祈りを捧げた。
ルムトプフと靴
ルムトプフの使い道に悩む
春が近づき、吹雪が弱まってトゥーリが来られる日が増えた頃、トゥーリは家で漬けていたルムトプフの小壺を持ってきた。夏から果物を酒に漬け込んでいたそれはすっかり食べ頃になっていたが、神殿に籠っていたマインはその存在をすっかり忘れていた。マインは、当初はアイスクリームやプリンにかけて食べるつもりだったことを思い出したが、今の家で簡単に作れる甘味としてはパルゥケーキしか思いつかず、しかしエラにパルゥケーキのレシピを知られるのは避けたかったため、使い道に頭を悩ませた。
クレープを思いつき厨房に頼む
悩んだ末、マインはルムトプフを使う甘味としてクレープを作ることを思いついた。この街には蕎麦粉を使った軽食のブーフレットがあるため、それを応用して小麦粉で薄く焼くクレープならば、エラにも説明しやすいと考えた。さらにフランにクリームと牛乳を用意してもらい、生クリームと小さく切ったルムトプフを添えて食べる形を想定した。フランが貴族区域の大きな氷室へクリームを取りに行っている間に、マインは急いでレシピを書き上げ、エラにはブーフレットのように薄く焼いた生地だけを作って運ぶよう頼んだ。トゥーリはその様子を見るため厨房へ同行し、マインは本当は自分も行きたかったが、青色巫女見習いとしてそれは許されないと諦めた。
貴族らしい靴下の不便さを嘆く
厨房へ向かったトゥーリを見送った後、マインはデリアと靴下の話になった。マインが神殿で履いているのは太股の半ばまである薄い布製の長靴下で、紐でベルトに結びつける形式だった。それに対し、下町で冬に使う靴下は毛糸で編んだ袋状のものとレッグウォーマーの組み合わせであり、防寒性に優れていた。マインは見栄えより温かさを優先したいとこぼしたが、神殿ではそうした実用重視の防寒具は許されず、レッグウォーマーもスカートから見えるため却下されていた。デリアは見えないところでもおしゃれを怠るべきではないと力説し、マインは次の冬には裏が起毛した深靴を仕立てようと決意した。
ロジーナに靴選びを任せる
そこへロジーナも加わり、春の祈念式に備えて短靴をいくつか新調した方がよいと助言した。ロジーナは、マインが靴を一足しか持っていないとは思っておらず、冬籠りをして初めてその事実に驚いたのだと言う。下町では木靴か革靴の二種類しか一般的ではなく、マインも長く木靴を使っていたため、用途に応じて複数の靴を持つという発想自体が薄れていた。どのような場面にどのような靴が必要なのか、マインには知識がなかったため、必要な靴の種類や素材の選定はロジーナに任せることにした。ロジーナはそれを快く引き受けた。
クレープの完成形を示す
やがて厨房から、泡立てたクリームと小さく刻んだルムトプフが運ばれ、続いて焼き上がったクレープ生地が届けられた。マインはエラに完成形を伝える必要があると考え、フランにしっかり覚えてもらうつもりで、自ら盛り付けを始めた。クレープの半分より手前に生クリームを三角形になるように薄く塗り、その上にルムトプフを散らし、さらに蜂蜜を少し垂らしてから巻くか、貴族らしく畳んで皿に飾る形に整えた。そして脇にクリームを添え、ルムトプフと蜂蜜で皿を飾って完成とした。フランは、その見た目なら貴族に出しても恥ずかしくないと認め、トゥーリも自分の皿を嬉しそうに飾りつけた。
トゥーリと味わう幸せ
二人で食前の祈りを捧げた後、マインはクレープを口に運んだ。端が少しだけかりっとした柔らかな生地に、甘みをほとんどつけていない滑らかな生クリーム、そこへ蜂蜜のやさしい甘さとルムトプフのとろりとした果実の強い甘みと酒の香りが重なり、豊かな味わいになっていた。トゥーリも満面の笑みでおいしいと答えたが、食べ方に慣れず口元をクリームだらけにしていた。マインはそんなトゥーリと笑い合いながら食べる時間に強い幸せを感じ、次はプリンを食べたいと新たな菓子の案まで口にした。そして、このおいしさと幸福を家族みんなで味わいたいと心から願い、早く家へ帰りたいという気持ちをいっそう強くしていた。
金属活字の完成
靴の注文と必要最低限の調整
神官長に職人を部屋へ入れてよいか確認した後、マインはベンノに靴職人を連れてきてもらった。春を寿ぐ挨拶と共にやってきた靴職人達は、ダームエルが警戒する中で手早く足のサイズを測り、革や形について質問を重ねた。デリアとロジーナは豪華さや見栄えを重視して次々と案を出したが、フランが礼儀を守るために必要な最低限へと厳しく絞り込んだ。最終的に、祈念式で農村へ赴くための膝までの馬革のロングブーツ、柔らかめの豚革のショートブーツ、そして神殿内や貴族街で使う布製の華やかな靴の三足を注文することになった。
ヨハンの課題完成の報告
靴職人達が帰る準備を終えると、ベンノは重要な話があるとしてその場を改めた。そして、先日ヨハンが店へ来て、課題の品が完成したと報告した。マインがヨハンのパトロンとなって依頼していた品は金属活字であり、冬の間にここまで仕上がるとは思っていなかったため、マインは強く驚いた。ベンノによれば、まずは注文主であるマイン自身が現物を見て評価しなければならないという。神殿へ招くか店へ行くかを決める必要があったが、神官長の許可なしには返答できなかったため、マインは慎重に相談することになった。
神官長の判断と外出の準備
神官長にヨハンと親方を神殿へ招いてよいか尋ねると、神官長は、ヨハンがマインをギルベルタ商会の子供として認識している以上、神殿へ呼べば青色巫女見習いと同一人物であることが広まる危険があると指摘した。靴職人は青色巫女見習いの靴を作るために神殿へ来たが、ヨハンはギルベルタ商会のマインに品物を見せに来る立場であり、事情が異なるのである。そのため、マイン自身が店へ出向く方がよいと判断された。久しぶりに神殿の外へ出られることになったマインは喜びを隠しきれなかったが、神官長には口元だけ緩んで気味が悪いと切り捨てられた。さらに、必ず馬車を使うこと、外をふらつかないこと、ダームエルと共に姿を極力さらさないことなど、細かな注意を受けた。
印刷実演に向けた準備
会合の日が決まると、マインは金属活字の確認だけで終わらせるつもりはなく、次の注文書まで準備し始めた。今回の活字がうまくできていれば、空白用や記号用の活字も必要になると考えたのである。さらに、ギルベルタ商会で実際に金属活字をどう使うのか見せられるよう、インク、紙、馬連、雑巾などを工房で準備してもらうようフランを通じて指示した。自分が動けない以上、実演はギルが行うことになるため、今回は対抗心を燃やすギルも同行することになった。
下町へ出たダームエルの衝撃
ベンノが手配した馬車で神殿を出ると、ダームエルは下町に漂う悪臭と汚れに顔を歪めた。貴族街と神殿の清潔な環境しか知らない彼にとって、下町の空気と光景は衝撃だったのである。マインは、自分もかつて同じような反応をしていたのだろうと感じながら、人はやがて慣れるものだと受け止めていた。そして、これも神官長がダームエルへ課した、下町で護衛を務めるための過酷な課題なのだろうと理解していた。
鍛冶工房の協力で完成した金属活字
ギルベルタ商会の奥の部屋では、親方、ヨハン、ベンノ、ルッツが待っていた。ヨハンは周囲の護衛の多さに戸惑いながらも、布に包まれた箱を二つテーブルの上へ取り出した。中身は金属同士が触れ合って小さな音を立て、その音だけでマインの胸は高鳴った。親方の話によれば、ヨハンが最初に父型と母型を作り、その後の量産は冬籠りで暇を持て余していた工房の職人達が面白がって協力してくれたという。誰が最も綺麗に合金を流し込めるか競い合い、効率の良い作り方まで工夫しながら、工房全体で課題に取り組んでいたのであった。
金属活字との対面と品質確認
布が取り払われると、浅い木箱二つの中に鈍い銀色の金属活字がぎっしりと並んでいた。文字の凹凸が光を照り返し、基本文字が注文通り揃っている光景は圧巻であった。マインは震える手で活字を一つ取り上げ、その重みと文字の形を確かめた後、さらに別の活字も取り出して並べ、高さに違いがないか慎重に確認した。活字の高さの均一さは印刷の精度に大きく影響するため、ここは重要な点であった。想像以上の完成度を目の当たりにしたマインは、大きく頷き、ヨハンの仕事を絶賛した。
グーテンベルクへの熱狂
完成した金属活字を前にしたマインは、興奮を抑えきれず、ヨハンをこの街のグーテンベルクだと叫んだ。ヨハンもグーテンベルクも同じヨハネス系の名であることまで重なり、マインの熱狂は一気に高まった。しかし、周囲にはその感動が全く伝わらず、ルッツだけが慌てて落ち着くよう肩を揺さぶった。親方にグーテンベルクとは何かと問われたマインは、本の歴史を一変させる神にも等しい偉人だと説明し、さらに印刷はヨハン一人では成り立たず、インクを作る者、印刷機を作る者、植物紙を扱う者、本を売る者が揃って初めて成立するのだから、全員まとめてグーテンベルク仲間だと力説した。だが、ベンノには即座にその仲間入りを拒否された。
印刷時代の幕開けへの失神
それでもマインの興奮は収まらず、これで本の歴史が変わる、いよいよ印刷機の段階へ進めると熱弁を続けた。木工工房へ印刷機を注文し、ついに本当に印刷ができるのだと、幸福と感動の絶頂に達していた。そして、金属活字の完成に感謝し、英知の女神メスティオノーラへ祈りを捧げた直後、その高まりすぎた感情のまま、マインの意識は暗転した。
滞在期間延長
説教の連続と帰宅願望
金属活字の完成に興奮して倒れた後、マインは目覚めると次々に説教を受けることになった。ルッツとベンノに始まり、フラン、ギル、ダームエル、神官長まで加わり、特にダームエルは、護衛対象をまた倒れさせたことで自分が再び処罰されるのではないかと怯えていた分、涙目で強く叱責した。マインは印刷が本格化すれば同じようなことが増えると答えてさらに怒られたが、熱が下がっても繰り返される説教にうんざりし、雪解けも進み始めたことから、早く家に帰りたいという気持ちを募らせていた。
神官長からの招待と手土産の準備
帰宅の許可を得るために神官長へ面会の手紙を書こうと考えていたところ、先に神官長から招待状が届いた。フランの助言で翌日に面会することを決めたマインは、見舞いのお礼も兼ねて手土産を持参しようと考えた。候補に上がったプリンは、こちらの人々には食感が不思議すぎて初対面の相手には向かないと判断され、神官長が気に入っていたクッキーを持っていくことにした。その一方で、マインは印刷機の設計図にも取り組んでいたが、記憶が曖昧で寸法や構造を思い出せず、記憶を覗く魔術具を使えないかと考えるほど行き詰まっていた。
貴族の作法と帰宅願いの却下
面会当日、マインは手土産のクッキーを持って神官長のもとを訪れた。そこで、貴族社会では客が持参した物をその場で自ら開封して食べ、毒見を示すのが礼儀であり、茶は招待主が先に口をつけてから飲むものだと教えられた。しばらく当たり障りのない話をした後、マインが家に帰りたいと切り出すと、神官長は即座に却下した。そして側仕え達にも聞かせられない話があるとして隠し部屋へマインを連れていった。
ヴォルフの死と貴族の危険性
隠し部屋で神官長は、インク協会の会長ヴォルフが突然死したと告げた。ヴォルフは平民の青色巫女見習いが工房長をしていることをどこかで知り、その正体やベンノとの繋がりを探っていたが、マインが神殿に籠ったため十分な情報を得られなかった。その矢先に死んだことから、神官長は貴族が口封じのために始末した可能性が高いと見ていた。マインは、平民を必要がなくなれば当然のように処分する貴族の感覚を改めて突きつけられ、自分が様々な貴族から狙われていることを現実の脅威として受け止めることになった。
祈念式までの神殿滞在延長
神官長は、これから春の祈念式に向けて農村を預かる貴族達が一斉に動き出すため、今はマインが街の外へ連れ出される危険が最も高い時期だと説明した。そのため、貴族達が各地へ散り、数が減って監視しやすくなるまで、マインは神殿に留まるべきだと判断したのである。マインはすぐに家へ帰れないことに失望しつつも、神官長の説明を受けて、春の祈念式が終わるまで神殿に滞在することを受け入れた。神官長はその了承に安堵し、続けて家族へ渡すための招待状をマインに託した。
養女の件を家族へ伝える準備
神官長は、滞在延長だけでなく養女の件も家族へ話しておかなければならないと告げた。マインは本来、家へ帰ってからきちんと話すつもりだったが、それより先に神官長の口から直接伝えられることになった。さらに神官長は、ヴォルフのことも養女のことも決して他言してはならないと釘を刺した。デリアの存在を思い浮かべたマインは、その忠告に反論できなかった。部屋へ戻った後、マインはルッツを呼んで両親宛ての招待状を渡し、祈念式が終わるまで家に帰れなくなったことだけを説明した。
両親の来訪と再会の喜び
三日後、両親が神殿を訪れた。待合室で久しぶりに母と再会したマインは、変わらぬ笑顔と今にも子が生まれそうな大きなお腹を見て、熱いものが込み上げた。部屋へ向かう途中、フランにたしなめられて表立って甘えることはできなかったが、後ろからそっと頭を撫でられたり、手で触れられたりすることで、家族との無言の触れ合いを楽しんだ。神官長の部屋へ通されると、両親は長椅子に座り、マインも防音の結界が張られた後でようやく両親の間に座ることを許された。母に抱きつき、その温もりに触れたマインは大きな安堵を覚えた。
神官長による危険の説明
神官長は回りくどい前置きを省き、マインは春の祈念式が終わるまで神殿預かりにすると告げた。父がそれに強く反発すると、神官長は今が最も危険な時期であり、マインは複数の貴族に狙われていると説明した。魔力不足の領地においてマインの大きな魔力は欲しがられる一方で、疎ましく思う者もいるため、街から連れ去られる危険が高まっているのである。父は門での貴族の出入りに大きな改変があったことを知っていたため、神官長の話から、その対策がマインのためでもあったことを悟った。
養女か処分かという決定事項
続いて神官長は、マインの魔力は平民の身食いとしては高すぎ、この地に置くには危険だと判断されれば領主によって処分される可能性があると明言した。その処分を回避するためには魔力を制御する術を学ばねばならず、そのために十歳で貴族の養女とすることが決定事項だと告げた。父母はその言葉に衝撃を受けたが、神官長は、十歳までは家族と過ごしてよいものの、それ以後は貴族の養女か処刑かのどちらかになると冷徹に言い切った。
母の決断と家族の受容
神官長の説明を受けた母は、この冬にマインが神殿で無事に過ごせたのは周囲、特に神官長の配慮があったからだと認めた上で、マインが危険人物として処分されるよりも、信頼できる相手へ託される方がまだよいと判断した。そして、神官長へマインをよろしく頼むと頭を下げた。父も最初は強く反発していたが、母の言葉を受けてついに観念し、敬礼で応じた。こうして、マインが十歳になった時に貴族の養女となることは、両親の了承も得た形で正式に定まった。
期限付きの家族の時間
十歳という期限を区切られたことで、マインは自分に残された家族との時間の短さを強く意識した。自分のためであるとわかっていても、避けがたい別れが確定した事実は寂しさとして胸に残った。マインはその感情を振り払えず、しばらく母に抱きついたままでいた。
祈念式の準備
冬の終わりと工房での印刷機構想
雪が半分ほど解けて暖かさが戻り始めると、冬籠りは終わりを迎え、皆は雪かきや春の準備に追われるようになった。孤児院では冬の手仕事がすべて完了し、ルッツを通じてベンノに売り払ったことで予算が潤っていた。森に入れるようになるまでの間、孤児達には礼儀作法の教育が始まり、工房はがらんとしていた。その中でマインはルッツと共に、次の本では文章部分だけでも印刷機を使いたいと話し合っていた。圧搾機を改造して作る初期型の印刷機を思い描きながら設計図を書いていたが、完成形を最初から目指しすぎていたため、ルッツからは必要最低限の機能だけでまず作るべきだと助言された。これにより、最初は簡易な形で木工工房へ注文し、後から必要な機能を付け足していく方針が固まった。
祈念式の支度に引き戻される
印刷機の話に夢中になっていたところへギルが駆け込んできて、ロジーナが静かに怒っていると伝えた。祈念式の準備が終わっていないのに、マインが工房で印刷機ばかり考えていることへの不満であった。観念して部屋へ戻ると、そこには引越しのような荷造りの光景が広がっていた。衣類や靴、リネン類、食器、食料、筆記用具までが箱に詰められ、部屋はひどく散らかっていた。祈念式にはフラン、ロジーナ、料理人のフーゴとエラが同行し、ヴィルマやギル、デリア達は留守番となるため、その分の支度も含めて大掛かりな準備になっていた。マインは自分では手を出してはならず、準備の様子を見ているだけが役目だと告げられた。
フェシュピールの持参と旅への憂鬱
ロジーナは荷造りの最中、フェシュピールを祈念式に持っていきたいと申し出た。マインはそれが神官長からの借り物であり、自分の判断では持ち出せないと答えたが、神官長に伺うことだけは約束した。その後、神官長の手伝いに向かったマインは、祈念式そのものよりも馬車移動への不安を口にした。農村までの移動で確実に体調を崩すと予想しており、できれば行かずに済ませたいとまで愚痴をこぼした。神官長は苦い特製薬を大量に用意する必要がありそうだと淡々と返し、泣き言を受け流しながらも、眠り薬や別の移動手段などの案については少し考慮してみると応じた。また、フェシュピールの持参については、ロジーナが同行するなら披露してもらえばよいとして、あっさり許可を出した。
出発前の別れと留守番の託付
出発当日の朝、マインは身を清められ、儀式用の服と新しい膝丈のブーツを身につけた。農村へ向かうための装いを整えた後、留守番をする側仕え達に一人ずつ声をかけた。ヴィルマには孤児院を、デリアには部屋を、そしてギルには工房を託した。特にギルは、自分が工房を任されることに強い誇りを見せ、任せてほしいと力強く請け負った。準備を終えた部屋はがらんとしており、出発の現実を強く感じさせた。マインは不安を抱えながらも、側仕え達に見送られて部屋を後にした。
急な移動手段の変更と魔術具の装着
正面玄関に向かう途中、神官長が早足で現れ、マインとダームエルに自室で待つよう指示した。神官長は馬車ではなく、魔石の騎獣に乗って向かうことになったと告げ、馬車は荷物だけを先に送り出したという。何か起こったわけではないが、何も起こらないとも言い切れないための措置らしかった。その上で、神官長は隠し部屋から持ち出した魔石付きの指輪と七色の石が付いたブレスレットをマインに渡し、念のため身につけるよう命じた。自分も同じものを装着していたことから、今回の旅が平穏なものではない可能性を示していた。
同行者の追加とジルヴェスターの登場
さらに神官長は、非常に言いにくそうにしながら、同行者に青色神官が一人増えることになったと告げた。その直後、カルステッドと共に現れたのは、深緑の目と青みの強い紫の髪を持つジルヴェスターという青色神官であった。彼はマインをじろじろと見下ろし、小さすぎるだの年齢詐称しているのではないかだの、不躾な言葉を投げかけた。そして突然、頬を指で突きながら、ぷひっと鳴けと命じた。マインが助けを求めて神官長を見ても、神官長は性格は悪いが根が腐っているわけではないから諦めて相手をしてやれと突き放した。やむなくマインが言われた通りに鳴くと、ジルヴェスターは満足したようにさらに頬を突き続けた。こうしてマインは、意味不明な振る舞いをするこの青色神官と共に祈念式へ向かわなければならないことに、出発前から大きな不安を抱くことになった。
祈念式
ジルヴェスターの悪ふざけと簪騒動
ジルヴェスターは、マインにぷひぷひと鳴かせることに飽きると、今度は興味を簪へ向けた。マインの髪から簪を引き抜き、家族が作ってくれた大切な品を高い位置に掲げて返そうとしなかったため、マインは強い怒りを覚えた。簪を取り返そうと跳ねるうちに息が上がり、それでも返してもらえないことで感情が高ぶって魔力まで張り詰め始めた。その異変に気づいた神官長とカルステッドは、ジルヴェスターを強く叱責し、彼の手から簪を取り返してマインへ返した。これにより、限度を越えれば二人が止めてくれるとわかり、マインの怒りはようやく収まった。
神官長とカルステッドの庇護
神官長は簪を返した後、再び手を出そうとしたジルヴェスターを制し、ダームエルの方で遊べと追い払った。神官長とカルステッドはそのまま地図を広げて道順の打ち合わせを再開し、マインはそのそばで詳細な地図に見入った。そこでは領地が赤と青に色分けされていたが、話の邪魔になると考えたマインは理由を尋ねずに黙っていた。その後、ジルヴェスターに理不尽な要求をされた時は泣きついてよいかとマインがカルステッドに尋ねると、カルステッドは自分が守ると頼もしく応じた。マインは、未来の養父となるカルステッドが非常に頼れる存在であると感じた。
騎獣での出発とダームエルへの不満
出発にあたって、神官長はカルステッドを先行させ、ダームエルがマインを乗せた天馬、その後方に神官長とジルヴェスターが続く隊列を組ませた。ダームエルに抱き上げられたマインは、先ほどジルヴェスターから守ってくれなかったことへの不満を正直に口にした。ダームエルは言い訳しかけて言葉を呑み込み、小さく謝罪した。マインにとっては、神官長と相乗りできなかったことも不満の一因であった。だが、隊列はそのまま貴族門を抜け、空から最初の目的地へ向かうことになった。
農村到着とジルヴェスターの見世物じみた登場
最初の目的地は南門に近い農村の冬の館であり、そこには千人ほどにも見える人々が広場へ集まっていた。カルステッドが先に降り立ち、次いでダームエルの天馬が着地した後、神官長のライオン型の騎獣も降下してきた。ところが、その上からジルヴェスターが派手に飛び出し、空中で何度も回転してから大仰なポーズを決めて着地したため、広場の人々から喝采が巻き起こった。さらに、神官長の騎獣が踏み潰すような勢いで滑空しても、ジルヴェスターは身軽に飛び退いてまたポーズを決め、再び拍手を浴びた。その姿は、見世物のように注目を浴びたがる小学生男子そのものであった。
ジルヴェスターへの警戒と養父への頼み
ジルヴェスターの振る舞いに呆れたマインは、春の祈念式が神官が芸を見せる行事なのかと疑うほどであった。カルステッドは、あれは手本にしてはならないと即座に否定した。マインはさらに、ジルヴェスターのような高位貴族にまたシキコーザの時のような理不尽な要求をされるのではないかと不安を打ち明けた。カルステッドは、暴力を振るう人物ではないが、頭痛がするような理不尽は多々あると困ったように認めた。そこでマインは、理不尽なことをされたら未来の養父に泣きついてもよいかと尋ね、カルステッドから保護の約束を取りつけた。
祈念式の開始と聖杯への奉納
神官長が人波を割って前方の舞台へ進むと、ジルヴェスターは荷物から大きな聖杯を恭しく取り出してその後に従い、カルステッドは歩くのが遅いマインを抱き上げて舞台へ運んだ。舞台ではカルステッドとダームエルが民衆への警戒に立ち、神官長が中央へ聖杯を据えた。各村長が大きな桶を持って舞台へ上がると、マインは神官長に抱き上げられて台の上へ乗せられ、聖杯に触れながら祈りを捧げた。すると聖杯は金色に光り、そこから緑に光る液体が桶へ注がれていった。五つの桶が満たされる間、マインはずっと魔力を流し続け、そのたびに村人達は神への祈りと感謝を口々に叫んだ。
各地を巡る祈念式と疲労
最初の村で祈念式を終えると、神官長達はすぐに次の村へ向かい、その後も四つほどの農村を巡って同じ儀式を繰り返した。どの村でも、マインは聖杯へ魔力を注ぎ、村人達は祈りを捧げて桶を受け取った。だが、その繰り返しで日が暮れる頃には、マインはすっかり疲れ果てていた。騎獣の上で意識が途切れそうになるほど消耗し、ダームエルからしっかり意識を保てと叱咤される始末であった。
宿泊先への到着と神官用の離れ
神官長の叱咤で意識を戻した時、マイン達はブロン男爵の夏の館へ到着していた。そこは領主から農村の管理を任された貴族が、祈念式から収穫祭まで滞在する館であり、神官のための離れも用意されていた。神官は厳密には貴族ではないため、離れに隔離される形となっており、今回も神官一行はそちらに案内された。すでに馬車は到着しており、荷物もすべて運び込まれていた。離れでは見知らぬ側仕え達も待機しており、その中にはジルヴェスターの従者達も含まれていた。
部屋割りと夕食前の支度
部屋割りは、豪華な客室が神官長、カルステッド、ジルヴェスターに与えられ、マインとダームエルには通常従者用の部屋が割り当てられた。マインにとっては下町の自宅より広いだけで十分であり、持ち込んだカーペットやシーツで整えられた部屋に不満はなかった。ロジーナとフランに手伝われて湯浴みをし、夕食用に若草色の衣装と華やかな布靴に着替え、髪には菜の花のような小花の簪を挿した。ロジーナは、フーゴとエラが余所の料理人に負けまいと張り切っていると教えたが、マインにとっては夕食そのものより、カルステッドからの査定やジルヴェスターの振る舞いの方が気が重かった。
夕食での半分こと誤った対応
大きな食堂には全員が着替えて集まり、マインも席へ案内された。マインの料理だけが別の厨房で作られたため、ジルヴェスターは自分と違う料理が出ていることに興味を示した。食前の祈りを終えてマインが一口食べると、ジルヴェスターはなぜ先に食べるのかと声を上げた。実際には、自分の料理を寄こせという貴族特有の遠回しな要求であったが、マインはそれに気づかず、全部は渡せないが半分こならよいと提案した。ジルヴェスターはその言葉に驚きながらも、最終的に半分こを所望した。神官長とカルステッドは呆れ返り、ダームエルは固まっていた。後で神官長から、本来なら皿ごと差し出して下げ渡しを待つのが正解であり、半分こは不正解だったと教えられた。
食後の不穏な誘い
食事自体は、ジルヴェスターが料理人を寄こせと騒ぎ出したものの、神官長とカルステッドが抑えてくれたため、大きな混乱なく終わった。マインは食後の会合には加わらず退室しようと挨拶したが、ジルヴェスターはなおも諦めておらず、獲物を見つけたような目でマインを見つめて手招きした。そして、料理人の交換についてじっくり話し合おうと言い出し、マインは強い嫌な予感を覚えることになった。
食後のお招き
食事会での招きを断れない立場
食後、ジルヴェスターから呼ばれたマインは嫌な予感を覚え、神官長に助けを求めたが、身分差を理由に断れないとあっさり退けられた。平民であるマインには拒否権がなく、そのまま食後の場へ残るしかなかった。ジルヴェスターは自分の隣へ座るよう命じ、カルステッドとダームエルが席を移ることで場所を作ったため、マインは仕方なくその隣に座った。できるだけカルステッド側へ寄りながらも、逃れられない状況に置かれていた。
料理人の交換要求と食事処の宣伝
ジルヴェスターは、マインの料理人を交換しようと言い出した。マインは、料理人達は余所から預かっている者であり、自分の独断で交換などできないと答えたが、ジルヴェスターはその料理人本人と交渉すると言い出した。そこでマインは、相手が商人である以上、それは交渉ではなく理不尽な命令になると指摘したうえで、料理人達は近く開店する食事処のために教育中であり、そこには多額の金銭と人手がかかっていると説明した。そして、料理人を奪うのではなく、その食事処の客になるよう勧めた。さらに、貴族の館を模した店で、貴族でさえ食べたことのない料理を出すと宣伝し、興味を引くことに成功した。
ジルヴェスターへの紹介と神官長達の巻き込み
ジルヴェスターは食事処に興味を示し、紹介するよう求めた。マインは本心では彼を紹介したくなかったが、料理人を取られるよりはましだと判断して引き受けた。そのうえで、暴走を抑えてくれそうな神官長とカルステッドにも一緒に来てもらえないかと頼んだ。二人は項垂れながらも同行を受け入れたため、マインは料理人の交換を平和的に阻止できたことに内心で安堵した。
フェシュピールの演奏会の始まり
神官長は話題を変えるように、ロジーナにフェシュピールを弾かせてはどうかと提案した。マインはフランを通じてロジーナを呼び、ロジーナは満面の笑みで食堂へやって来た。そして、ジルヴェスターの求めに応じて次々と曲を演奏した。その腕前にジルヴェスターは感心し、ロジーナの技量が前の主クリスティーネのもとで培われたものだと知って納得した。
神官長による異界の曲の披露
続いてジルヴェスターはマインにも演奏を求めたが、マインは大人用のフェシュピールでは弾けないと断ろうとした。ところが、ロジーナが小さいフェシュピールをすぐに持ってくると言い出したため、その場しのぎは失敗した。すると、その間に神官長が代わりに演奏することになった。神官長はマインから教わった異界の曲を奏でたが、アレンジが加えられ、さらに歌詞まで神々を讃える内容に変えられていたため、元がアニメソングであることを知るマインだけが内心で動揺した。ジルヴェスターはその曲の出所を尋ねたが、神官長は秘密だとだけ答え、かえって興味を煽る結果になった。
マインと貴族達の芸事の格差
ロジーナが持ってきた小さいフェシュピールを受け取ったマインは、余計な墓穴を掘らぬよう、無難に練習中の課題曲を弾いて歌った。だが、その演奏はまだまだだと評される。そこでマインは、一般的な貴族の芸事の水準を知るために、今度はジルヴェスターにも演奏を求めた。すると、彼は予想外に柔らかな音色とよく通る歌声で見事にフェシュピールを奏で、さらに本来は横笛の方が得意だと明かした。続いてカルステッドも、楽器より笛を好むと語りつつ、その場で見せられる芸として剣舞を披露することになった。
剣舞の披露とジルヴェスターの自己顕示
カルステッドはダームエルを相手に光るタクトを剣へ変え、即興で剣舞を始めた。二人の動きは洗練されており、型を繋いだ舞には無駄がなく、美しさと緊張感があった。ダームエルの息が上がるまで続いたその舞を、マインは心から称賛した。するとジルヴェスターは、自分にも同じことができると対抗心を燃やし、今度はカルステッドを相手に剣舞を始めた。ジルヴェスターの動きも確かに見事で、速度も技量も高かったが、演技が終わった途端に得意げに褒めるよう要求したことで、マインの中では感動が一気に吹き飛んだ。
体調不良を装っての退席
ジルヴェスターはマインの褒め方に満足せず、感情が籠っていないと難癖をつけて三度も言い直しをさせた。あまりの鬱陶しさにマインは限界を感じ、ついに体調が悪くなったふりをして、その場を切り上げた。こうして、食後の招きはマインにとって疲弊するだけの時間として終わったのである。
襲撃
直轄地での祈念式と小聖杯の受け渡し
次の日の朝、神官長はブロン男爵に奉納式で魔力を込めた小さな聖杯を渡すために目通りした。貴族が治める農村では、小聖杯を渡すだけで足りるらしく、神官や巫女が直接出向いて祈念式を行う必要があるのは領主直轄地の農村だけであった。マインはその仕組みに疑問を抱きつつも、わざわざそうしている以上、何か理由があるのだろうと考えて、表には出さずに受け流した。
直轄地巡りと神官長の警戒
その後、神官長達は穀倉地帯の冬の館を一日中飛び回って祈念式を行い、さらに貴族が治める農村へ向かって宿泊を重ねた。翌日以降も同じ流れが続き、直轄地の農村を回り終えると、翌日からは貴族達の館ばかりを訪問する予定となった。その時点で神官長の表情はわずかに厳しくなっていた。移動には騎獣と馬車を使い分けていたが、館によっては馬車移動を装うため、マインはヴェールを被せられて神官長と共に館へ入ることになった。
ゲルラッハ子爵への不信
次に向かうゲルラッハ子爵の館について、神官長はマインに強い警戒を促した。ゲルラッハ子爵はマインにずいぶん興味を示しており、しかも神殿長と交流が深いからである。館では神官長がすべて対応し、マインはヴェールを深く被って跪いたままだったため、顔を合わせることはなかった。だが、子爵の声は嫌らしく聞こえ、マインには不快さだけが残った。神官長は小聖杯を渡すとすぐに話を切り上げ、長居せず立ち去った。
ライゼガング伯爵領での不穏な夜
ゲルラッハ子爵の館を出た一行は、夕方になってようやくライゼガング伯爵の夏の館へ到着した。そこでマインは神官用の離れの従者部屋に泊まり、疲れもあって神官長特製の薬を飲み、ぐっすり眠った。ところが翌朝、神官長の部屋へ呼び出されると、盗聴防止の魔術具を渡され、昨晩カルステッドの部屋に賊が入ったと知らされた。
賊の侵入と口封じ
神官長達の説明によれば、賊はマインをさらうつもりだったらしく、カルステッドの部屋で布団の膨らみが本人ではないと気づくと移動しようとした。カルステッドは一人を捕らえ、もう一人を泳がせて追跡しようとしたが、逃げた方は森に用意されていた馬に乗った直後、馬ごと爆発した。捕らえた方も神官長に任せて武装解除している最中に自害しており、いずれも口封じされた形になった。神官長は、ここに泊まることを知っていた相手を考えれば、黒幕はおそらくゲルラッハ子爵だと断定した。
襲撃者の候補と再出発
マインは、ライゼガング伯爵が犯人である可能性はないのかと尋ねたが、カルステッドはそこは自分の母の実家であり、そのようなことはあり得ないときっぱり否定した。朝食は喉を通りにくかったが、一行は予定通り出立した。次の宿泊地は領地南端の貴族の館であり、それまでに午前と午後で一ヵ所ずつ館を訪れる予定であった。
赤い救援信号と馬車の危機
二つの予定をこなし、馬車と合流しようとしたその時、空に赤い光が真っ直ぐ立ち上った。騎士団が救援を求める信号であり、全員の顔色が変わった。カルステッドと神官長は即座に騎獣の速度を上げて現場へ向かい、マインもダームエルに急ぐよう訴えた。マインは自分の魔力も手綱に流し込み、天馬の速度を引き上げたことで、何とか追いつくことができた。
闇の神の結界と風の盾
現場では馬車の列が黒い霧に包まれていた。ダームエルはそれを闇の神の結界だと説明し、魔力による攻撃が効かなくなるため、襲撃者の中に貴族がいると断じた。その直後、武器を持った百人ほどの農民らしき襲撃者が森から現れて馬車へ向かって走り出した。マインはフランやロジーナを守るため、襲撃者ごと蹴散らしてほしいと叫んだが、領民かもしれぬ者を無闇に攻撃するわけにはいかないという声も上がった。そこで神官長は、マインに風の女神シュツェーリアへ祈れと指示した。マインは風の女神とその眷属に祈りを捧げ、黒い霧を包み込むように大きな風の盾を張った。その盾はドーム型となって馬車を包み込み、突進してきた男達を強風で次々と吹き飛ばした。
森の魔力反応とジルヴェスターの強引な行動
襲撃者達が風の盾に近づけなくなると、ダームエルが森の中に魔力反応があったと告げた。神官長はその反応を追うため、ダームエルとマインを上空に残し、自分達は森へ向かうよう指示した。だがジルヴェスターはそれをよしとせず、ダームエルが魔力感知のため必要だと判断すると、何の前触れもなくマインを空中へ放り投げた。落下する恐怖に晒されたマインは叫び声を上げたが、神官長が下で受け止めてくれた。神官長は、乱暴ではあるが安全と合理性を優先した結果だと説明し、マインに彼らの武運を祈るよう促した。
加護の祈りと森への攻撃
マインは神官長と共に、火の神ライデンシャフトと武勇の神アングリーフの加護を祈った。二人のブレスレットが青く光り、その加護は森へ向かった神官長達に飛んでいった。森の上空ではジルヴェスターが光るタクトから赤い鳥と黄色い鳥を生み出し、それぞれが結界や粉となって周囲へ広がった。続いてカルステッドが大剣に変化させたタクトを振り下ろし、眩い光を森へ叩き込んだ。その一撃は隕石でも落ちたかのような爆音と衝撃を生み、森の一部を吹き飛ばした。
魔力切れと眠りへの転落
馬車を守る二重結界は無事で、皆も守られていたが、マインは風の盾を張り続けたことで魔力をほとんど使い果たしていた。守れた安堵の直後、全身から力が抜けて寒気が走り、神官長に自分の魔力が本当に底をついたことを訴えた。神官長は回復薬を持っていなかったため、応急処置として甘い液体を飲ませ、そのまま眠るよう言った。マインは皆が無事であることを確かめたうえで、安心と疲労のまま意識を手放した。
目覚めと無事の確認
目を覚ました時、そばにはロジーナがいた。マインはまずフランやロジーナ、エラ達が無事だったかを確認し、誰も怪我も損害もなかったと知って安堵した。ロジーナは、馬車が突然黒い闇に囚われ、農民達が武器を持って迫ってきたこと、そして強風や爆発に守られて、最終的に神官長達が現れたことを語った。その説明を聞きながら、マインの意識は再び落ちていった。
苦い薬と事件の真相
次に目覚めた時、神官長が見舞いと称してとてつもなく苦くてまずい薬を持ってきた。マインは嫌がりつつも、出発できないほど魔力が戻っていない以上、飲まないわけにはいかなかった。神官長は薬が効くまでの間に、今回の件について説明した。実行犯達はカルステッドの攻撃で粉々になってしまったため、背後を探ることはできなかった。だが、襲撃者の半数以上が領民ではなかったことから、実行に来ていたのは魔力の弱い者達であり、その上に領地外の貴族がいると推測された。
加護の影響と調査の必要性
カルステッドの攻撃が予想以上の威力を示した理由について、マインは自分達の加護が影響したのではないかと思い当たった。神官長はそれを認めつつも、聞かれるまでは黙っておくよう命じた。また、ジルヴェスターとカルステッドはすでに街へ戻っており、今回の件は領主へ報告して至急調査すべき案件になったと告げられた。馬車を襲うなど本来あり得ないことであり、それだけ事態は深刻だったのである。
魔力暴走への厳しい叱責
その後、神官長はマインに本当に家族と離れたくないのかと問いかけた。マインがもちろんだと答えると、ならば何故あの場で魔力を暴走させたのかと厳しく詰めた。今回たまたま風の盾という形で守りとなったが、魔術具がなければマイン自身が魔力を暴走させて死んでいた可能性が高いと指摘した。そして、魔力暴走で死ぬ者の末路を、皮膚が膨れ、耐えきれず破裂して肉が飛び散るところまで、淡々と細かく語り聞かせた。恐怖に耐えきれず、マインは布団にもぐり込み、耳を塞いで泣きながら二度と暴走させないと誓った。神官長は満足そうに頷き、次に暴走させた時は椅子に縛りつけて最後まで聞かせると告げたため、マインは本気で震え上がり、二度としないと必死に約束することになった。
やりたい放題の青色神官
神殿への帰還と部屋の再整備
祈念式を終えたマインは、残る貴族の館を巡る日程も大きな問題なく終え、ようやく神殿へ戻ってきた。部屋ではデリアとヴィルマが出迎え、マインは自分の居場所へ帰ってきたような安堵を覚えた。一方で、旅装を解く間もなく、大量の荷物が次々と運び込まれ、部屋は出発前と同じように再び箱で溢れ始めた。フランやギル、フーゴやエラまでが荷運びに加わっており、神殿全体が帰還後の後始末に追われていた。
帰宅の期待と神官長からの急な呼び出し
片付けの最中、フランから神官長が火急の用件で呼んでいると知らされ、しかもそれが帰宅に関する話だと聞いたマインは、一気に気持ちを高ぶらせた。すぐさま神官長の部屋へ向かう途中、荷物運びをしている灰色神官達とも言葉を交わし、孤児院の子供達が成長していることを聞いて、帰還後の生活にも期待を抱いた。
ジルヴェスターによる案内係の指名
しかし神官長の部屋へ入ると、そこではジルヴェスターが主のような態度で寛いでおり、神官長は疲れ切った様子で荷物運びの指示を出していた。マインが用件を尋ねる前に、ジルヴェスターは自分が呼んだのだと告げ、マインを案内係にすると宣言した。孤児院、工房、さらには孤児達が赴く森まで見たいと言い出し、神官長も孤児院と工房については自分も同行すると約束したが、森に関しては本来なら貴族の森で我慢すべきだと制止した。それでもジルヴェスターは下町の森に強い興味を示し、自分には身を守る術もあると主張したため、マインは神官長がしっかり手綱を握ってくれることを願うしかなかった。
神官長の放任と帰宅条件の提示
神官長は、もはやジルヴェスターを止める気力を失っているように見え、マインに対して報告だけは怠るなと告げた。そこでマインはようやく本来の目的であった帰宅の話を持ち出した。神官長は祈念式で大量に魔力を使った後であることを理由に、すぐの帰宅は認めず、三日間は神殿で様子を見て、四日目の朝までに体調を崩さなければ帰ってよいと条件を示した。マインはそれを聞いて喜び、ようやく帰宅の目処が立ったことに安堵した。
ジルヴェスターのさらなる横暴
だが、話はそれで終わらず、退室しようとしたマインはジルヴェスターに引き留められ、そのまま彼の部屋へ連れていかれた。そこでジルヴェスターは、孤児達を連れて森へ行っていることを神殿長に黙っていてほしければ、自分も森へ連れていけと脅迫まがいの要求をした。その目的は狩りであり、貴族街の森では管理や階級のしがらみが多く、自由に楽しめないからだという。マインはジルヴェスターの言動に呆れつつも、彼が孤児院で花捧げの巫女を探しているわけではないことを確認できた点だけは安心材料として受け止めた。
孤児院と工房への見学準備
部屋へ戻ったマインは、神官長とジルヴェスターが明後日に孤児院と工房を見学に来ることを側仕え達へ伝えた。デリア以外は青色神官の来訪に驚き、特にヴィルマは緊張で顔色を失った。マインは花捧げ目的ではないことを説明して安心させようとしたが、それでもヴィルマの不安は容易には消えなかった。工房と孤児院は掃除を念入りに行うこととし、それ以外は普段通りに見せる方針を定めた。また、ルッツやレオンにも知らせるためギルに呼びに行かせた。
ルッツとの再会と帰宅準備
ルッツが部屋へ来ると、マインはたまらず抱きつき、この長い別離の疲れを吐露した。レオンも同行していたが、仕事の連絡を受けるとすぐにベンノへ報告に戻っていった。マインはルッツに、四日目には家へ帰ってよいことを家族へ伝えてほしいと頼み、さらにジルヴェスターが森へ行くための中古服を用意してほしいとも依頼した。ルッツは事情を聞いて、青色神官が小汚い中古服を着て下町の森へ行こうとしていることに呆れながらも、準備を引き受けた。
印刷の進展と貴族への恐れ
その後、マインはルッツから自分の不在中に進んだ印刷機や金属活字の話、紙作りの再開、インク工房の動きなどを聞いた。植物紙用インクを専門に作る職人ができたことや、インク協会の会長が交代したことも知らされ、マインはヴォルフの死を神官長から聞いていると答えた。だが、その詳細を口にできないまま、貴族が怖いとだけ漏らしてルッツにしがみついた。ルッツはそれを見て、見学に来る青色神官のことかと勘違いしたが、マインはジルヴェスターの奇行もまた別種の恐怖であると感じていた。
ジルヴェスターの奇行を笑い話に変える時間
マインはルッツに、初対面で自分にぶひっと鳴けと言い、頬を突いてきたことをはじめ、祈念式の道中や旅先でのジルヴェスターの意味不明な言動を語って聞かせた。ルッツはその話を面白がり、悪戯っぽくマインの頬を突きながら、自分も鳴いてみろと真似をした。マインはルッツの意地悪に抗議しながらも、ぷひーと鳴き返し、貴族に振り回される神殿生活の中で、ようやく少しだけ肩の力を抜くことができた。
孤児院と工房見学
見学前の準備とギルの不安
祈念式から戻った翌日に孤児院と工房の掃除が行われ、その翌朝には神官長とジルヴェスターによる見学が予定されていたため、神殿内は朝から慌ただしかった。そんな中、ギルはマインに声をかけ、最近自分の言葉遣いが少し改善されたことを褒められた。孤児院の幼い子供達が神殿教室で礼儀作法を学んだ結果、ギルの態度や口調にまで口を出すようになっていたのである。
その流れの中で、ギルは自分より優秀な者に側仕えの座を奪われるのではないかという不安を打ち明けた。半年前には悪戯小僧だった自分が側仕えになれたのだから、他の子供達も同じように狙っていると考えていたのである。マインはその不安を受け止め、よほどひどい仕事をしない限り辞めさせるつもりはないこと、今後人手が増えてもギルを切ることなどないことを伝えた。その言葉でギルはようやく安心し、工房の者達にも見学の趣旨を伝えるために向かっていった。
ギルベルタ商会への事前連絡
次にフランが、ベンノ、ルッツ、レオンの三人を部屋へ案内してきた。マルクは店を守るために残っており、三人だけが見学に備えて来訪したのである。人払いをした上で、マインはルッツから頼んでいた中古服と木靴を受け取った。これはジルヴェスターが下町の森へ行くために必要なものであった。
一方、ベンノは神官長以外に来る青色神官の正体や実家の情報を知りたがっていたが、マインはジルヴェスターについて、性格は悪いが性根が腐っているわけではないという程度しか語れなかった。ベンノは商売に結びつく情報を期待していたため、その答えに落胆したものの、見学の際に自分で見極めることにした。そして、見学後に失敗しないようにと念押しして、ルッツとレオンを連れて工房へ向かった。
神官長の部屋での合流
三の鐘が鳴ると、マインはフランとダームエルを伴って神官長の部屋へ向かった。そこでは神官長が書き物をしており、ジルヴェスターはすでに待ち構えていた。ジルヴェスターは早速出発を急かし、フランから中古服と木靴の包みを受け取った。彼の側仕えは中古服を受け取って困惑していたが、それも主の要望である以上、拒むことはできなかった。
また、ジルヴェスターは見学にはフランとダームエルだけが同行すれば十分だと判断し、自分の側仕えやアルノーをその場に残した。神官長もそれを認め、最終的に五人だけで孤児院へ向かうこととなった。歩く途中でジルヴェスターはマインの歩みの遅さに耐えきれず、ダームエルに抱き上げさせるよう命じた。表現は無遠慮だったが、結果としてマインは助かり、ダームエルに抱えられたまま孤児院へ入ることになった。
孤児院の見学とヴィルマの紹介
孤児院の女子棟食堂では、ヴィルマと二人の灰色巫女、二人の灰色神官、そして洗礼前の子供達が跪いて出迎えた。洗礼前の子供達は普段なら働いているはずだが、青色神官にその姿を見せるのは避けた方がよいと判断され、この日は仕事を止めていたのである。
マインはヴィルマを、孤児院の管理と幼い子供達の世話を引き受けている側仕えとして紹介した。神官長はヴィルマを以前絵を描いた側仕えとして覚えており、その技量を認めて励むように声をかけた。その一言にヴィルマは驚きながらも深く感謝した。
続いてジルヴェスターは食堂の清潔さに感心しつつ、木箱に収められていた子供用聖典やカルタ、トランプに興味を示した。神官長はそれらを見て、報告を受けていなかったことに反応したが、マインはカルタは商品化しておらず、子供達の識字教育のために作った玩具であると説明した。そして、冬の間に孤児達が本を読み、カルタで遊ぶことで文字と数字を覚えたのだと誇らしく語った。
カルタの実演と教育成果の露呈
ジルヴェスターが子供達にカルタをやらせるよう命じたため、マインが読み手となって実演することになった。子供達は当初こそ青色神官達を前に緊張していたが、カルタが始まると真剣に札を追い、次第にいつもの調子を取り戻した。勝者まで決まるほど、皆は読み札も絵札もきちんと覚えていたのである。
この様子を見た神官長は、冬の間にここまで教育が進んでいたことに驚きを隠せず、後で話があるとだけ告げて、その場では深く追及しなかった。マインは何故そこで叱られそうな空気になるのか理解できず、首を傾げるしかなかった。
地階の厨房と孤児達の食事
その後、一行はヴィルマの案内で女子棟の地階へ向かった。そこでは昼食の準備が進められていたが、マイン達の到着と共にお喋りは止まり、女の子達は一斉に壁際へ退いて跪いた。大鍋で煮込まれているスープを見たジルヴェスターは、孤児院の食事としては贅沢ではないかと疑問を呈したが、マインはこれは自分が作り方を教えたものであり、決して贅沢ではなく、皆が生きていくために工夫しているのだと答えた。
さらに神官長が、以前ダームエルから聞いた甘味について話題にしたことで、パルゥケーキの存在が持ち出された。ジルヴェスターは甘味だと知ると目を輝かせたが、マインはそれが冬の晴れた朝にしか採れない果物を使う季節限定のものに過ぎず、毎日食べられるようなものではないと説明した。そしてダームエルもその味を知る立場として頷かされ、ジルヴェスターから羨望混じりの視線を向けられることになった。
工房見学と印刷機の実演
マインはこれ以上パルゥケーキに食いつかれると厄介だと判断し、話を切り上げて男子棟地階のマイン工房へ案内した。そこでは工房の者達が仕事の手を止めて跪き、ギルベルタ商会の三人も同じように控えていた。春になって紙漉きが再開されていたため、工房では植物紙の生産が進められていた。
ジルヴェスターはまず玩具をどこで作っているのか尋ねたが、マインは玩具作りは冬の間に終わり、今は紙と絵本作りが最優先だと答えた。何故そこまで紙と本を優先するのかと問われたマインは、自分が欲しいからだときっぱり言い切った。その返答にジルヴェスターは呆れたようにやりたい放題だと評したが、マインはやりたい放題という言葉こそジルヴェスターに相応しいと感じた。神官長は、どちらも自分の頭痛の種だと評して溜息をついた。
やがてジルヴェスターの指示で工房の作業が再開されると、マインは神官長にベンノ達を紹介し、工房の商品を取り扱う商人であることや、新しい食事処もギルベルタ商会が始めるものであることを説明した。するとジルヴェスターはベンノに興味を持ち、ゆっくりと食事処について話したいと告げて、ベンノだけを連れて去っていった。
その間、神官長は工房に据えられた印刷機に目を留め、その使い方を尋ねた。マインはギルに命じて実演させ、金属活字を拾って文章を組み、組版を固定し、インクを付けて紙に刷る一連の流れを見せた。まだ印刷機は完成しておらず、最後は馬連で擦って印刷する簡易な方法だったが、それでも同じ文章が何度も刷れることに神官長は衝撃を受けた。マインはプレスになればもっと速くできると誇らしげに語ったが、神官長は歴史が変わるという言葉を思い出し、頭を抱えながら、マインに聞きたいことと言いたいことが山ほどできたと告げた。
青色神官の贈り物
見学後の余波とベンノの疲労
孤児院と工房の見学自体は大きな問題なく終わった。ジルヴェスターは工房に戻ってから紙漉きまでやりたがり、紙を板に張り付けようとして数枚破るなど相変わらずやりたい放題であったが、道具類に深刻な被害は出なかったため、全体としては無事に終わったと言えた。
しかし、見学後に工房から戻ってきたベンノは、ジルヴェスターとの商談でひどく消耗していた。部屋に来たベンノはぐったりと項垂れ、マインが神官長に言いつける協力を申し出ても、ベンノは理由を明かさず、ただマインのせいだとだけ告げて拳骨を食らわせた。詳しい内容は語られなかったものの、とんでもない機会が巡ってきたことだけは確かだと判断しており、その機会を活かせるかどうかを考えながら、頭を整理するために店へ戻っていった。
神官長の呼び出しと森への命令
その日の午後、マインのもとには二通の手紙が届いた。一通は神官長からのお説教部屋への招待状であり、帰宅前日の午後に面会するよう指定されていた。もう一通はジルヴェスターからの手紙で、見学への礼と、翌日は森へ連れて行けという命令が書かれていた。
マインは自分が森へ行くのは体力的にも警護の面でも無理だと考え、ダームエルに相談した。ダームエルも森まで歩けるかどうかはともかく、護衛の観点から勧められないと判断し、森に詳しい者に案内を任せるしかないと結論づけた。父もトゥーリも翌日は頼れないため、結局ルッツに頼むしかないとマインは考えた。
早朝から現れたジルヴェスター
翌朝、ギルが慌てて工房から駆け込んできて、ジルヴェスターがすでに工房前で待っていると報告した。マインがダームエルとともに工房へ向かうと、そこには中古服を身につけ、弓矢を持ったジルヴェスターが意気揚々と立っていた。本人はその服装を意外と似合うと自慢したが、実際には明らかに浮いており、狩りへのやる気だけが際立っていた。
マインは森へ行くなら下町の森の決まりを守るようにと念押しした。採集場所と狩りの場所は分かれていること、他の狩り手との暗黙の了解があること、それを無視して何か起これば困ることを説明し、決まりを守れないなら最初から貴族の森へ行くべきだと告げた。ジルヴェスターは初めて行く場所だから案内役の言葉は聞くと約束し、その点だけは素直に了承した。
ルッツへの案内依頼
そこへルッツとレオンが森へ向かう装いで到着した。マインは事情を説明し、今日の森の案内役をルッツに頼んだ。採集組の子供達はギルとレオンに任せることにし、ジルヴェスターにはルッツが付く形となった。
マイン自身は森へ行かず、ダームエルとともに部屋へ戻ることにした。ジルヴェスターが何か考えを持っているとは思えなかったが、少なくとも狩りそのものには本気であったため、森で何をしでかすかについては不安しか残らなかった。
夕方の帰還と大量の獲物
日が暮れ始めた頃、ルッツがマインの部屋へ駆け込んできて、獲物が大量なので料理人を借りたいと頼んできた。森での成果が予想以上であったため、下処理を子供達だけで終えるのは無理だと判断されたのである。マインはフランにフーゴとエラへの依頼を頼み、自分もダームエルとともに工房へ向かった。
工房前では、むしられた羽と血が散乱し、子供達が一心不乱に羽をむしっていた。フーゴとエラが驚くほどの成果で、四羽の鳥と一頭の小鹿が並べられていた。ジルヴェスターはそれらを全て自分が仕留めたのだと得意満面で語り、子供達も興奮した様子でその武勇を語った。高い空を飛ぶ鳥を射落とし、鳥を狙ってきた獣まで仕留めたらしく、称賛を一身に浴びたジルヴェスターは心底楽しそうであった。
獲物の寄贈と子供達の歓喜
マインがこの大量の獲物をどうするのか尋ねると、ジルヴェスターは自分はいらないと言い、孤児達に食わせてやればよいとあっさり譲った。肉が手に入ると知った子供達は大喜びし、ジルヴェスターを口々に讃え、また一緒に森へ行きたいと願った。
その流れの中で、子供達がジルヴェスターを「ジル様」と自然に呼んでいることが明らかになった。マインが不敬ではないのかと確認すると、ジルヴェスター自身が言いにくいのでそう呼ばせたのだと答えた。ただし、マインにはその呼び方を禁じた。孤児達とは神殿でしか会わないが、マインは外で会う機会もあり、粗忽者だから間違えて呼びかねないというのが理由であった。マインは不本意ながらも、その指摘が当たっているため反論できなかった。
黒い石の贈り物
森での狩りを終えて上機嫌のジルヴェスターは、今日の礼としてマインに贈り物を差し出した。それは、オニキスのように黒い石がはまったネックレスであった。マインが何のための物か尋ねると、ジルヴェスターは魔術具の一種だが、神に祈っても何も起こるものではないと説明した。
さらに、それは自分がしばらく留守にする間のお守りであり、まずい状況に陥ったら黒い石の部分に血判を押せば助けてやるのだと告げた。マインにはジルヴェスターの助けが必要になる状況が想像しづらかったが、くれるという物は受け取ることにした。
ジルヴェスターはそのネックレスを自分でつけてやろうとし、髪を退けるよう命じた。マインは装飾品を男から贈られた経験がほとんどなく、その状況に少し奇妙な感慨を抱いた。ネックレスをつけ終えた後、似合うかと尋ねたマインに対し、ジルヴェスターはお守りに似合うも何もない、外さなければそれでよいと素っ気なく返した。
そのあと、ジルヴェスターは膨らませたマインの頬を両手で挟み、真剣な眼差しで、このネックレスを肌身離さず身につけているようにと強く念を押した。その表情は、今まで見せたふざけた態度とは違い、本気でマインを案じていることを示していた。
神官長の話と帰宅
神官長による印刷と社会変化への問い
マインは、久し振りの帰宅を控える一方で、神官長からの呼び出しに強い緊張を覚えていた。神官長の隠し部屋に通されると、叱責ではなく、まず印刷機について詳しく話すよう求められた。神官長は印刷速度や生産量、本の普及が社会に与える影響を次々と問いかけたが、マインは印刷機がまだ完成しておらず、紙やインクの供給も安定していないため、具体的な数字では答えられなかった。
それでも神官長は、本の普及が社会をどう変えるのかをさらに追及した。マインは、自分の世界では識字率の上昇によって民衆が情報を共有し、支配層を打倒した例もあれば、逆に印刷物を用いて民衆を扇動した指導者もいたと説明した。しかし、この世界では魔力を持つ貴族が社会の維持に不可欠であるため、同じような変化が起こるとは限らないとも付け加えた。さらに、下町の人々は貴族が何をしているかをほとんど知らないため、貴族や神官の働きを本で伝えることも一つの使い道ではないかと述べた。神官長はその視点を興味深いものとして受け止めた。
印刷事業の停止命令と養女の提案
神官長は、しばらく印刷を行わないよう命じた。これまでの絵本印刷は子供向けであり、生産量も限られていたため問題視していなかったが、印刷機によって文字ばかりの本を大量に作れるようになれば、写本を生業とする下級貴族や神官、巫女たちの既得権益を大きく脅かすことになるからであった。平民であるマインがそれを始めれば簡単に潰されるが、上級貴族の養女となり、領主の許可を得た領地事業として始めれば、逆に下級貴族をその事業に取り込むことも可能になると神官長は説明した。
その上で神官長は、今すぐカルステッドの養女になれば印刷を始められると誘惑するように提案した。マインは一瞬心を動かされながらも、ようやく家に帰れる状況で家族と離れることはできないと拒んだ。神官長はなおも家族にたっぷり甘えてから考えれば違う答えが出るかもしれないと揺さぶったが、マインは、今の家族を大事にしなければならないと教えたのは神官長自身であると返し、許された時間いっぱいまで家族と共にいたいと訴えた。神官長はその決意を認め、子供向けの本を細々と作る程度に留めるよう告げた。
父とトゥーリの迎えと帰宅の喜び
神官長との話を終えて部屋に戻ると、すでに父とトゥーリが迎えに来ていた。二人の顔を見た瞬間、マインの心を占めていた重たい感情は一気に吹き飛び、父に飛びついた。父はいつものようにマインを抱き上げて振り回し、頭を撫で回した。トゥーリは乱れた髪を整えながら、簪を外して丁寧に直してくれた。マインはその感触に強い懐かしさを覚えた。
二階に上がると、デリアに手伝ってもらいながら神殿の巫女服や貴族風の衣装を脱ぎ、ギルベルタ商会の見習い服に着替えた。その最中、デリアはなぜそこまで家族のもとへ帰りたがるのかと問いかけた。マインは、神殿での生活が嫌だったわけではなく、側仕えたちもよく仕えてくれたと認めつつも、自分にとって家族とは一番安心できる居場所なのだと答えた。その言葉を聞いたデリアは、家族というものが自分にはわからないとしながらも、それが良いものであることだけは理解した様子であった。
別れの挨拶と神殿の外への道
荷物をまとめ終えたマインは、一階で待つ側仕えたち一人一人に声をかけた。ギルは工房の管理を任されて自信を見せ、ロジーナは帰宅後も神殿で身につけた立ち居振る舞いやフェシュピールを忘れないよう注意した。クリスティーネを失った経験から、ロジーナはもう戻ってこないような気がしていたが、マインは翌日にはまた神殿に戻ることを約束した。側仕えたちは一斉に礼を取り、マインの早い帰還を待つと見送った。
ダームエルは護衛として家まで同行し、フランはその帰路の案内のために付いてきた。さらに、工房での仕事を終えたルッツも合流し、皆で神殿の門を出た。久し振りに街を自分の足で歩くことになったマインは、トゥーリとルッツの手を握りながら、神殿では味わえなかった温もりに喜びを覚えた。父は後ろでフランやダームエルと警備や危険について話し合いながら歩いていた。
家族の温もりと帰る場所の実感
歩きながら、マインは神官長から印刷をしばらく禁じられたことをトゥーリに話した。トゥーリは残念がりながらも、マインを優しく慰めた。マインは、あと二年余りの辛抱であることを口にしつつも、今こうして辛い時に寄り添ってくれる家族と離れられないのだと改めて感じていた。
井戸の広場でダームエルとフラン、ルッツと別れた後、マインは家の階段を上がりきるのにも息を切らしながら、ようやく我が家へ帰り着いた。扉を開けると、母が食事の支度をしており、懐かしい匂いが一気に押し寄せてきた。母の大きくなったお腹を見ながら、マインは帰ってこられた嬉しさと、家に戻った安心感で胸を満たした。トートバッグを置いて手を洗い、トゥーリと一緒に配膳を手伝いながら、久し振りに自分で働く楽しさも味わった。
食事の支度をしながら、マインは母に出産の時期を尋ねた。母はもういつ生まれてもおかしくないと言い、マインが帰ってくるのを待っていたのかもしれないと微笑んだ。マインが母のお腹に声をかけると、中の子供が蹴り返し、まるで返事をしたかのようで家族皆が笑った。久し振りの母の手料理を食べ、トゥーリとふざけながら湯浴みをし、狭いベッドで家族揃って眠ることができた。そうしてようやく心からの安らぎを取り戻したマインであったが、明け方には母が陣痛に呻き始めることになった。
新しい家族
出産の始まりと家族の役割分担
夜が明け始めた頃、エーファの呻き声でギュンターが飛び起き、エーファが産気づいたことを察した。ギュンターは急いで産婆を呼びに走り、トゥーリにはカルラを呼びに行くよう指示し、マインには着替えてエーファのそばに付くよう命じた。家族の中ではすでに役割分担ができていたが、マインだけは何をすればよいのか咄嗟にわからず、混乱しながらもエーファに頼まれた水を運んだ。
清潔への執着と出産への不安
エーファの苦しむ姿を前にしたマインは、出産において清潔が重要だと思い至り、布や酒を使って消毒の準備を始めた。家の中は比較的清潔でも、手伝いに来る近所の女たちや産婆の衛生状態が心配で仕方なかったからである。トゥーリやカルラたちはマインの主張を半ば聞き流しつつも、手洗いや煮沸を行い、マインも酒を含ませた布で道具や手を拭かせようとした。だが、出産の場では清潔を求めるマインの言動は過剰と見なされ、最終的に寝室から追い出されてしまった。
父との待機と過去の子供たちの話
寝室に入れなくなったマインは、井戸の広場で落ち着きなく歩き回るギュンターと一緒に外で待つことになった。男たちは命名会の準備として鳥を捌き、料理の支度を進めており、ギュンターも本来はそちらを手伝うべき立場であったが、動揺してそれどころではなかった。マインが出産にどれほど時間がかかるのか尋ねると、ギュンターは待つ時間の長さしか覚えていないと答えたうえで、これまでエーファが流産や子供の死を幾度も経験してきたことを明かした。マインはそれを聞いて出産の危険を強く実感し、母子の無事をいっそう願うようになった。
祈りと祝いの品の到着
ギュンターに神への祈りを頼まれたマインは、水の女神の眷属である出産の女神エントリンドゥーゲの加護を願った。その後、ルッツがギルベルタ商会や神殿へ連絡に行って戻り、ベンノからの祝いの布と、ジルヴェスターが狩った肉の一部を持参した。マインはそれらを見て周囲の気遣いを嬉しく思い、命名会で使う肉とエーファに食べさせるための肉とを分けて考えた。皆が無事な出産を当然のように信じて祝いの準備をしていることも、マインには心強く感じられた。
カミルの誕生と命名会
やがてトゥーリが井戸の広場に駆け込み、男の子が無事に生まれたことを知らせた。広場には歓声が上がり、命名会の準備が一気に祝賀の場へと変わった。ギュンターは手洗いとうがいを済ませたうえで家に戻り、エーファと生まれたばかりの赤ん坊に対面した。赤子はトゥーリが用意した産着を着せられており、両親はその子にカミルという名を与えるつもりだと告げた。マインは初めて弟を抱くことになり、その小ささと軽さ、そして確かに生きている温もりに深い感動を覚えた。
新生児への心配と過保護な対処
だが、抱き上げられたカミルが泣き出すと、マインはどうすればよいのかわからず狼狽した。ギュンターはカミルを抱き上げ、命名会の場へ赤子を披露しに行こうとしたが、マインは生まれたばかりの赤子を外へ連れ出すことに強い危機感を覚えた。新生児は抵抗力が弱く、寒さや不潔な環境にさらすのは危険だと訴えたのである。ギュンターは最初こそ当然の習慣として聞き流しかけたが、マインの懸命な訴えを受けて、短時間で済ませ、誰にも触らせず、寒くないよう布で厳重に包むことを約束した。
命名会での披露と家への撤収
井戸の広場では命名会が始まり、ギュンターは近所の人々に息子の名をカミルと発表して見せて回った。マインの病弱さが広く知られていたため、カミルも丈夫ではないかもしれないと説明すると、周囲も納得したように応じた。マインは病気や衛生状態への不安から長居を嫌い、トゥーリと一緒に早々に家へ戻った。家ではカミルをエーファのそばに寝かせ、トゥーリは再び広場へ戻ったため、マインは竈に火を入れてスープを温め、母のために食事を整えた。
弟の誕生がもたらした新たな決意
エーファと一緒にスープを食べながら、マインはベンノからの布や神殿から届いた肉の扱いについて確認し、カミルの誕生を多くの人に覚えてもらう必要があると教えられた。そして、眠るカミルの姿を見つめながら、自分がこの弟と一緒に過ごせる時間は長くないことを思い出した。十歳で養女になれば、カミルの記憶に自分はほとんど残らないかもしれないと考えたからである。そこでマインは、弟の成長に役立ち、自分の存在も姉として残せるように、赤ちゃん向けの絵本や玩具を作ろうと決意した。印刷に制限がある二年間も、弟のための本作りに使えばよいのだと前向きに捉え直し、時間を有効に使う覚悟を固めた。
エピローグ
デリアが主不在の部屋を支えたこと
デリアは井戸から水を運ぶ最中、工房へ行っているはずのギルが戻ってきたことで、またマインが体調を崩したのだと察した。ギルは二、三日は休むことになると告げ、すぐにフランのもとへ報告に向かった。デリアはその様子を見ながら二階へ水を運び、ロジーナが書類仕事を終えてフェシュピールの調整をしている姿に、同じ側仕え見習いの中にも明確な差があることを改めて感じていた。
デリアが将来への野心を強めたこと
ロジーナの優雅な所作や教養ある振る舞いを見て、デリアは自分もそうなりたいという思いを強くした。孤児院の地階で子供達が死んでいく環境から生き延びた以上、神殿で最も権力のある神殿長の庇護を受け、最も可愛がられる存在になることがデリアの人生の目標であった。そのため、ロジーナを手本にして優雅さと教養を身につけようと決意を新たにしていた。
デリアが重要な仕事から外されている現実を意識したこと
デリアは水運びを終えた後、フランがロジーナに布探しを頼む様子を見て、自分も手伝いを申し出た。しかし、マインの抱える重要な仕事は神殿長と繋がりのあるデリアには任されず、関与させてもらえないままであった。そのことに少し寂しさを覚えながらも、神殿で最も権力ある神殿長と繋がっていること自体を誇りにも感じていた。
神殿長室でデリアが近況報告を行ったこと
三の鐘が鳴るとフランは神官長の執務を手伝うために部屋を出ていき、デリアはその隙に神殿長室へ向かった。だが、神殿長は南のギーベの招きを受けて不在であり、出迎えたイェニーが代わりに報告を聞くことになった。デリアはマインの下町関係者に祝い事があり、そこへ肉が届けられたことなどを伝え、イェニーはそれを木札に記していった。
イェニーがデリアを認めて励ましたこと
報告を終えた後、イェニーはデリアの動きや所作が綺麗になったと褒めた。デリアは今はロジーナを真似ており、神殿長の愛人を目指しているのだと率直に語った。するとイェニーはそれを肯定し、さらにロジーナやヴィルマの近況も聞きながら、デリアによく自分を磨くよう助言した。そのうえで、近いうちに貴族の客が来るので、その場に関われるかもしれないと示唆した。
貴族との接触が新たな希望として示されたこと
デリアは貴族の客が来てもフランが同席を許さないだろうと不安を漏らしたが、イェニーはその貴族は子供が好きだから大丈夫だろうと語り、神殿長がきっとデリアを呼んでくれると励ました。その言葉を受けたデリアは、神殿長の愛人になるだけでなく、その貴族に気に入られれば神殿から出られるかもしれないという可能性に思い至り、自分の未来が開けたように感じて心を躍らせた。
デリアが真意を知らぬまま希望を抱いたこと
デリアは明るい未来を思い描きながら神殿長室を後にした。しかし、その背後でイェニーは、その貴族が探しているのは身食いの子供であると小さく呟いていた。デリアはその言葉を聞き逃したまま、自分に与えられるかもしれない新たな機会への期待だけを胸に抱えていた。
神殿の昼食時間
ダームエルが神官長との昼食に慣れてきたこと
四の鐘が鳴ると、ダームエルはフェルディナンドの手伝いをしていた巫女見習いを孤児院長室まで送り届け、自分は再び神官長の執務室へ向かった。神殿に通い始めた当初はフェルディナンドと同席する昼食に強く緊張していたが、季節が一つ巡った今では多少慣れ、献立を楽しみにする余裕も生まれていた。下級貴族の家では客をもてなす時にしか出ないような料理が、神殿では日常的に供されていたためである。
巫女見習いの質問を通じてダームエルが実力差を痛感したこと
ダームエルは巫女見習いから預かった質問状をフェルディナンドに渡した。そこには古い聖典に出てくる言葉や言い回しについての疑問が記されていた。巫女見習いが読んでいた本は、貴族院を卒業したダームエルでも読めないほど古い言葉で書かれていたが、フェルディナンドは迷いなく回答を書き進めた。ダームエルはその手元を見つめながら、自分が答えられなかった内容を平民の巫女見習いが知ろうとしていることに、貴族としての自尊心を刺激されていた。
本への執着が巫女見習いの安定に繋がっていたこと
ダームエルは巫女見習いが本さえあれば機嫌が良いことを語り、極寒の図書室に行きたがったほどの本への執着を振り返った。図書室に暖炉がないため、フランと共に図書室の本を孤児院長室へ持ち込めるよう取り計らった結果、巫女見習いは暖炉の前で読書できるようになった。また、熱を出して寝込んでいる時でさえ本を求めて泣くほどであり、最終的にはフランが根負けして本を寝台へ持ち込んだという。フェルディナンドはその話に呆れながらも、巫女見習いが本によって精神を安定させている現実を共有していた。
昼食の席で巫女見習いの日常が報告されたこと
食事の準備が整うと、ダームエルはフェルディナンドと共に昼食を取りながら、昨日の午後から今朝までの巫女見習いの行動を報告した。昨日はギルベルタ商会の者とトゥーリが訪れ、祈念式で不在となる間の工房運営について話し合っていたことを伝えた。また、トゥーリが孤児院で文字や計算を学び、その代わりに裁縫や料理を孤児達へ教えていること、家族が定期的に来訪することで巫女見習いが精神的に安定したことも報告した。家族が来られない時期には巫女見習いが不安定になり、フェルディナンドの後ろを雛鳥のようについて回っていたため、その変化は大きかったのである。
隠し部屋を使わせるほど巫女見習いが特別視されていたこと
ダームエルはフェルディナンドが巫女見習いに工房を使わせていることの異常さも改めて意識していた。隠し部屋は本来、本人以外立ち入れないほど個人的な空間であるにもかかわらず、フェルディナンドは感情を発露させる場として巫女見習いに使わせていた。これは貴族の養女となる予定の巫女見習いが、人前で感情を露わにしないための練習でもあった。ダームエルはその事情を理解しつつも、平民の子供がそこまで特別に扱われていることに驚いていた。
ダームエルが巫女見習いの異質さと養女化の必要性を認めたこと
フェルディナンドから、巫女見習いがカルステッドの養女になることについてどう思うか問われたダームエルは、家族から引き離すのは可哀想だと感じつつも、平民として生きていくにはあまりにも異質であると答えた。癒しの儀式で見た強大な魔力、工房経営で利益を上げる手腕、その経済力、そして驚くほどの虚弱さを考えれば、平穏に生きるためにはカルステッドの庇護が最も適していると判断したのである。孤児院や工房の運営を間近で見たことで、巫女見習いが平民とも貴族とも異なる突出した存在であることを、ダームエルは痛感していた。
ダームエルが自らの転落を振り返り、罪を指摘されたこと
ダームエルはトロンベ討伐をきっかけに、自分の立場が崩れていった経緯を語った。初めての討伐で活躍を望み、黒の武器を使う長い祈りまで覚えていたが、護衛対象である巫女見習いを守れず、降格処分を受けたうえ、衣装代の弁済で兄に借金し、婚約まで解消されたのである。ダームエルはこれをシキコーザに巻き込まれた不幸だと考えていたが、フェルディナンドはそれを否定した。シキコーザを止められないと判断した時点で、即座にロートを上げて救援を求めるべきだったのであり、それをしなかったことが自分の罪だと指摘したのである。
護衛対象を見下した自覚がダームエルに芽生えたこと
フェルディナンドの指摘により、ダームエルは護衛対象が平民だったからこそ、自分の中に軽視する気持ちがあったことを思い知らされた。もし護衛対象が上級貴族の姫であれば、身を挺して守り、即座にロートを上げていたはずである。護衛対象は常に自分より上の者と考えて接すること、自分一人で対処できない事態ではより上位の者に助けを求めること、その程度のこともせずに任務失敗を嘆くのが自身の罪であると突きつけられたことで、ダームエルは自分の認識の甘さを自覚した。
文官仕事による副収入を提案され、現実を選んだこと
その後、フェルディナンドは借金を抱えるダームエルに対し、祈念式から戻った後に巫女見習いと共に文官仕事をしないかと提案した。ダームエルは騎士でありながら、かつて貴族院では騎士コースの参考書を作成して売ることで効率よく金を稼いでいたため、文官仕事もこなせる素地があった。護衛中に副業ができるうえ、提示された報酬は一月働けば一人前の下級騎士の給料とほぼ同額であり、現状の見習い給料では到底得られない額であった。騎士としての自尊心と生活苦の間で揺れた末、ダームエルはその仕事を引き受けることを決めた。
フェルディナンドの配慮が痛みを伴って伝わったこと
フェルディナンドは副収入の提案をしつつ、借金を急いで返さなければ、貴族社会へ戻っても新しい恋人はできないだろうと付け加えた。これは現実的な助言であると同時に、婚約を失い、神殿に左遷されたダームエルの現状を痛烈に突きつける言葉でもあった。ダームエルはその配慮を理解しながらも、神殿に出入りした男に新しい恋人など簡単にできるはずがないという現実を思い知らされ、フェルディナンドの心遣いを痛みとして受け取っていた。
グーテンベルクの称号
ヨハンが称号に振り回されながら鍛冶協会へ向かったこと
ヨハンは親方に急かされ、金属活字の入った重い箱を抱えて鍛冶協会へ向かった。親方だけでなく工房の仲間達まで、マインから与えられたグーテンベルクの称号でヨハンを呼び、面白がっていた。ヨハンはその呼び名に強く反発しながらも、唯一のパトロンであるマインから課題の評価を受けた日のことを思い出していた。
マインが金属活字を見て興奮し、ヨハンに称号を与えたこと
ヨハンがギルベルタ商会で金属活字を披露すると、マインはまず感極まったように見惚れた後、活字の高さや太さの違いを厳しく確かめた。そして仕上がりに満足すると、これを本の歴史を変える偉業だと断言し、ヨハンをグーテンベルクと呼んで称号を与えた。さらにベンノやルッツまでグーテンベルク仲間だと認定し、印刷時代の幕開けだと興奮して語り続けたが、最後には感極まったまま倒れてしまった。
周囲が冷静なまま評価を進め、印刷の実演が行われたこと
マインが倒れても、周囲の者達は慣れた様子で対応し、フランが長椅子へ寝かせて外套をかけた。ベンノは保証人として代わりに評価を下すと決め、ギルはマインに言われて準備していた道具を取り出して、金属活字にインクを塗り、紙へ刷る実演を行った。すると短時間で同じ文章が何枚も再現される様子を見て、ベンノ達はその価値を理解し、これが本当に歴史を変える技術だと認識した。ヨハンだけが価値を実感しきれないまま、ただ大きな流れに巻き込まれていく感覚を覚えていた。
鍛冶協会でヨハンの技術と称号が高く評価されたこと
鍛冶協会では、ヨハンが受けた注文数や設計図の細かさ、そして保証人がギルベルタ商会のベンノであることが注目された。ヨハンは金属活字が高さを揃えることを重視して作られていると説明し、その精密さに協会の者達は感心した。さらに親方が、ヨハンはグーテンベルクの称号を得た職人であり、歴史を変える発明を成したのだと大声で触れたことで、その称号も評価を押し上げる要素となった。その結果、ヨハンは成人したダプラ達の中で最も高い評価を得たが、それによって次点だったザックから強い敵意を向けられることになった。
高い評価の代償として新たな注文と責任がのしかかったこと
鍛冶協会での評価を終えた後、ヨハンは親方と共にギルベルタ商会へ報告に赴いた。そこでベンノは、ヨハンの評価が最も高かったことを当然としつつ、グーテンベルクの称号が外では大きな栄誉として受け取られていると説明した。しかしヨハンにとっては、その称号は面倒を増やすだけのものでしかなかった。さらにマルクから、マインが追加で用意した注文書が渡される。そこには空白や記号の金属活字、さらに大きさの違う活字まで含めた詳細な設計図がびっしりと描かれており、金属活字の仕事がまだ終わっていないことが明らかになった。
グーテンベルクの仲間意識だけが残されたこと
ヨハンは自分だけがグーテンベルクの称号を背負わされることに抵抗し、ベンノやルッツも仲間だと主張して道連れにしようとした。しかしベンノは、最初に称号を与えられたのはヨハンだとして押し返し、誰が代表かも決着しなかった。後にマインへそれとなく代表をベンノに押しつけようとしても、皆グーテンベルク仲間であり優劣はないという返答しか得られなかった。こうしてエーレンフェストの街には、印刷技術を世に広めることになるグーテンベルクという集団が生まれたのであった。
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貴族院の自称図書委

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女神の化身

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その他フィクション

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