どんな本?
「理想のヒモ生活」とは、渡辺恒彦 氏によるライトノベル。
日本でブラック労働をしていた善治郎は久しぶりの休みの日に異世界に召喚された。
その召喚主は善治郎の好みドストライクの美女だった。
そんな彼女は大国の女王で、善治郎に婿に来て欲しいと言う。
善治郎は躊躇なく「はい」と返事をして地球で婿に行く準備をしていざ異世界へ、、
後宮に引き篭もるヒモ生活を享受出来ると思っだが、、
女王が妊娠したら悪阻が酷く、彼女の代理として政治の表舞台へと行くと、世間が彼を後宮に引きこもる事を許してくれなくなった。
さらに彼の持ち物のビー玉が隣国双王国の付与魔術の媒体として最高品であると判ると、、
さらに善治郎の血統も、、
そんなタイトル詐欺と言いたくなるほど大忙しな善治郎のヒモ生活。
読んだラノベのタイトル
理想のヒモ生活 2
著者:渡辺恒彦 氏 イラスト: 文倉 十 氏
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あらすじ・内容
「小説家になろう」ランキング1位作品、待望の続刊。女王アウラと、善治郎の行く末は?
女王アウラのプロポーズを受けた山井善治郎が、異世界に来て、二ヶ月。結婚式以降、後宮で穏やかな日常を満喫していた善治郎であったが、長くは続かない。女王アウラと、善治郎の行く末は? 「小説家になろう」ランキングNo.1作品の待望の第2巻。1巻同様、書籍でしか読めない新章、新たなエピソードも収録。
理想のヒモ生活2
備忘録
カープァ王国の王配、善治郎の社交界デビューが近づく中、彼の教育を担当するオクタビアがマルケス伯爵の元に戻り。
後妻である彼女から善治郎の為人を聞いた伯爵は、善治郎に側室を迎えることを勧めず、アウラ女王と善治郎の関係を支持する方針を取り決める。
アウラ女王は、善治郎の立場を考慮し、彼に深く関わろうとするプジョル将軍の動きに警戒を示し。
善治郎にも注意をしろと忠告もしていたのだが、、
カープァ王国の王宮で豪華な立食会パーティが開催され、善治郎は初めての社交界デビューを果たし。
アウラは善治郎をサポートしていたが、一瞬のスキを突いて。
プジョル将軍は善治郎に「竜弓」という特別な弓を贈り、弓の指導と称して善治郎への接触を増やす一手を打って来た。
善治郎は、弓は受け取るが自身には扱えないので、信用出来る部下に与えてくれとこの状況をうまく対処した。
さらに、プジョル将軍の妹を側室候補として紹介されるものの、アウラとマルケス伯爵が介入し側室の件は有耶無耶となる。
善治郎は社交界での経験を経て、自分の立場を再確認し、アウラとの結束を強め。
アウラも善治郎に対する信頼を深め、彼らの関係はより強固なものになり。
そうして数ヶ月経ち、善治郎はアウラの妊娠を知り、二人はこれからの生活について話し合いをする。
アウラは妊娠に伴う体調の変化に対応しつつも、国政に積極的に関わり続け。
善治郎もまた、アウラのサポートを続けながら、魔法の修行に励む。
そんな中。
シャロワ・ジルベール双王国からの使者との密談を経て、善治郎の血筋がカープァ王家とシャロワ王家の両方に繋がってる可能性が浮上し、これにより政治的な問題が生じる可能性が出て来た。
アウラと善治郎は、シャロワ・ジルベール双王国との密約調印に向けて準備を進め、王国の未来を見据え。
アウラは密約文に署名し、善治郎も承諾する。
さらに魔法道具となった結婚指輪を再び交換し、お互いに愛を誓う。
そうして此方の世界に来て一年が経過し、善治郎はカープァ王国での生活に慣れ、アウラの出産を待ちわび。
アウラは無事に男の子を出産し、二人は子供の将来に思いを馳せながら、新たな家族の一員を迎え入れ。
善治郎とアウラの関係は、これからも変わらず支え合いながら、カープァ王国の運営に取り組んで行く。
感想
ドキドキ・ワクワクよりも餓狼将軍のあからさまな擦り寄りの回避と、妻の妊娠による表舞台への進出。
それによる貴族達の擦り寄りと男尊女卑文化の弊害が表に出て来た。
そして、善治郎自身の血脈の話も出て来て外交問題にも、、、
そして、女王の妊娠による体調不良と政務の停滞は確かに問題だな。
もし、出産で死亡したら大変だもんな。。
だけど、国への常識の無い王配に権力を持たせてもね。。
政務は確実に下がる。
どうしたら正解なのかは全く判らない。
あと、プライベートだとこの夫婦って本当に仲が良いのが良いね。
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考察・解説
善治郎の社交界デビュー
山井善治郎の社交界デビューは、王宮主催の夜の立食会という形で行われた。この立食会における善治郎の様子と、そこで起きた重要な政治的駆け引きについて解説する。
社交界デビューの目的と背景
- 立食会の最大の目的は、善治郎と女王アウラの夫婦仲が良好であることを衆目に知らしめ、「アウラが夫の自由を束縛している」という風評を払拭することであった。
- 舞踏会のように特定の技術が必要なく、厳格な規律も少ない立食会は、付け焼き刃の知識しか持たない善治郎のデビューの場として適していた。
不慣れな環境と善治郎の苦労
- 善治郎は、重い装飾銅剣や臭くてむず痒い香油で固めた髪など、不慣れな正装に苦痛を感じながらも、作り笑顔で貴族たちからの挨拶攻勢をさばいた。
- 現代日本と違い名刺交換の文化がないため相手の顔と名前を覚えるのに必死であり、内心では「太った花柄シャツおじさん」などと特徴を結びつけて何とか乗り切ろうと奮闘していた。
- アウラは重要人物であるマルケス伯爵夫妻などを紹介する際、善治郎の腕を強く握って合図を送るなど、巧妙にサポートを行っていた。
プジョル将軍の「竜弓」進呈に対する見事な対応
- 挨拶が一通り終わり、アウラと離れて単独行動をとった善治郎に、野心家であるプジョル・ギジェン将軍が接触してきた。
- 将軍は、若い走竜の骨や腱から作られる非常に貴重な武器「竜弓」を贈り物として進呈しようとした。
- ここで実用武器を受け取ってしまえば、武の道に関わる意思があると見なされ、今後の訓練や狩猟の誘いを断りづらくなるというリスクがあった。
- 善治郎はこの危機に対し、自分は戦場では何の力にもなれない非力な存在だと宣言した上で、この竜弓は王家への忠誠が厚い、弓の腕が立つ騎士に渡してやってくれと命じた。
- 所有権は主張しつつも現物を他者に貸し与えるというこの対応は、誰にも恥をかかせることなく角を立てずに事態を収拾したとして、遠くから見守っていたアウラからも高く評価された。
側室の売り込みと巧みな回避
- プジョル将軍は竜弓の一件でめげることなく、自身の妹である長身の美少女・ファティマを紹介し、善治郎にどのような女性が好みかとあからさまな側室の売り込みを仕掛けてきた。
- 想定外の直接的な攻勢に善治郎は追い詰められたが、そこにアウラとマヌエル・マルケス伯爵が合流した。
- マルケス伯爵が、ゼンジロウ様はアウラ陛下に夢中で、他の女性は目に入らないようだ、と絶妙な助け船を出した。
- 善治郎もそれに、からかうな、伯爵。まあ、違うとは言わぬが、と乗ったことで、プジョル将軍の追及を完全にかわすことに成功した。
まとめ
すべてが終わった後、善治郎は疲労困憊し、慣れないシャンデリアの揺らぐ光で目を痛めていた。しかし、彼が公的な場で意思表示をしっかり行い、側室の圧力なども無難に切り抜けたことで、アウラとの不仲説や束縛の噂をある程度沈静化させるという最大の目的を達成することができた。
貴族の権力闘争
カープァ王国における貴族の権力闘争と、王配である山井善治郎の側室問題は、国家の安定、血統の維持、そして他国との外交関係が複雑に絡み合う重大な政治課題である。戦乱を勝ち抜いて強大な力を持つ国内貴族たちの動向や、側室問題を巡る水面下の激しい駆け引きについて解説する。
カープァ王国における貴族の権力闘争と主要貴族の動向
有力貴族たちは王家とのパイプを強化するため、それぞれ異なるアプローチで策略を巡らせている。
- 「餓狼」プジョル将軍の野心と側室攻勢:軍部で強い影響力を持つプジョル・ギジェン将軍は、かつてアウラの有力な婿候補の一人であった野心家である。彼は善治郎が王家の血を色濃く引いていると推測し、自らの家系を王家と結びつけるため、妹のファティマを善治郎の側室に送り込もうと画策している。立食会では善治郎に貴重な武器である竜弓を進呈して武の道へ引き込もうとし、さらに直接的に妹を売り込むという強引な攻勢に出た。また、アウラの妊娠が発覚した後は、竜弓を貸与した騎士ナタリオを直属の竜弓騎兵団に引き抜き、後宮で働く妹ケイトを通じて善治郎とのパイプを築こうとするなど、軍事力と血縁を利用した巧妙な権力拡大を狙っている。
- マルケス伯爵の老獪な立ち回りと家庭教師の罠:もう一人の大貴族であるマヌエル・マルケス伯爵は、プジョル将軍とは対照的に老獪な立ち回りを見せる。立食会ではプジョルの強引な側室売り込みに対して、ゼンジロウ様はアウラ陛下に夢中で他の女性は目に入らないようだ、と絶妙な助け船を出し、善治郎やアウラに恩を売る形を取った。しかし一方で、自身の若く美しい後妻であるオクタビアを善治郎の家庭教師として推薦し接近させている。これは男を立てることに長けたオクタビアを通じて善治郎に男としての自信や政治的な積極性を植え付け、アウラとの間に亀裂を生じさせることで、善治郎をマルケス家の都合の良い操り人形にするための高度な罠であると警戒されている。
側室問題の政治的背景と女王アウラのジレンマ
側室問題は単なる夫婦間の問題にとどまらず、国内のパワーバランスを揺るがす要因となっている。
- 側室制度の合理性:善治郎は王家の秘術である時空魔法を継承可能なほど濃い血を引いているため、王族(分家)を増やす側室制度は極めて合理的な選択である。そのため国内貴族は側室を送り込もうと画策しており、特に女王アウラの妊娠が確定して夜の営みを行えなくなると、側室を押し付ける絶好の機会として貴族たちからの圧力は一層強まった。
- 脱税の摘発とアウラの柔軟な牽制:地方貴族たちは先の大戦の英雄であり、密かに納税額をごまかして自領の軍備強化に充てていた。善治郎がパソコンの表計算ソフトを用いて再計算を行ったことでこの脱税が一気に可視化されたが、女王アウラはいきなり罪状を突きつけて強硬に処罰するような愚行は犯さない。急激な締め付けは貴族たちの暴発を招く危険があるため、不正発覚を内々に匂わせることで彼らから自主的な譲歩を引き出し、結果として国の軍事予算を増額させるという柔軟な対応を選択している。
- 女王アウラが抱える政治的ジレンマ:善治郎自身はアウラを一途に愛しており、側室の受け入れを明確に拒絶している。しかし、歴史的に男性優位の社会であるカープァ王国において王族が側室を持たないのは異例である。もし側室をはねのけ続ければ、嫉妬深い女王が自らの権力を守るために夫の自由を不当に束縛しているという悪評が立ち、アウラの権力基盤や統治能力そのものに疑問符が付けられるという致命的な政治的ジレンマを抱えていた。
国際外交の介入と付与魔法流出の危機
側室問題には国内の事情だけでなく、大国との重大な外交問題が関係している。
- 双王国の介入:側室問題に決定的な制約をもたらしたのが、大国シャロワ・ジルベール双王国からの外交的圧力である。善治郎の祖先である異世界へ駆け落ちした人物が、実は双王国の王女であった可能性が浮上した。
- 付与魔法流出の危機:善治郎はカープァ王家の時空魔法だけでなく、双王国の秘術である付与魔法の血も引いている可能性が高い。アウラとの間の子であればカープァの濃い血が勝つと予想されるが、もし善治郎が他の側室との間に子をなせば付与魔法が発現し、魔法の独占が崩れることを恐れる双王国との間に戦争が勃発する危険性があった。
国家の危機を防ぐ善治郎の防衛策
善治郎は自ら泥を被ることで、国内の反発や国際的な危機を回避している。
- 密約の締結と駄目男の演技:最悪の事態を防ぐため、アウラと双王国の間で、善治郎はアウラ以外の女性と子をなさないという密約が結ばれた。しかし善治郎が双王国の血を引いていることは極秘事項であり、国内貴族に側室を断るための表向きの理由にはできない。そこで善治郎はアウラの政治的立場を守りつつ側室を回避するため、自ら進んで泥を被る決断を下した。公的な場で、アウラに首ったけで他の女は目に入らない、仕事嫌いの怠け者という、女王の色香に溺れた駄目男を意図的に演じることで、側室拒否の理由を善治郎自身の我が儘として周囲に印象づけ、国内の反発をかわす防衛策をとった。
- 二重権力構造の回避:男尊流卑の傾向が強いカープァ王国では、善治郎が表舞台に出て政治的な権力を持ち始めると、貴族たちが彼を神輿として担ぎ上げ、女王派と王配派による二重権力構造が生じて国が内乱状態に陥る危険性がある。この事態を防ぐため、善治郎はファビオ秘書官からの独自の領地や爵位を持つべきだという提案を一蹴し、財政と権限のアウラへの一本化を主張している。
まとめ
カープァ王国内の権力闘争と側室問題は、血統の継承、国内貴族の野心、大国の外交戦略が絡み合う複雑な構造を持っている。女王アウラが老獪な手腕で貴族を牽制する一方、王配である善治郎もあえて無力を装い悪評を引き受けることで、女王派と王配派の対立や国際紛争の危機を未然に防いでいる。二人の深い信頼関係と巧みな立ち回りこそが、王国の平和と王権の安定を維持する最大の要となっている。
南大陸の軍事力
南大陸における軍事力の最大の特徴は、「走竜」と呼ばれる大型爬虫類を用いた強力な騎兵戦力と、国家の命運をそのまま左右する兵器ともなる「血統魔法」の存在である。南大陸の軍事力とそれにまつわる事情について、以下の4つの観点から解説する。
1. 軍の主力を担う「走竜」の絶大な力と育成コスト
軍の主力である走竜の特徴や、その運用における課題は以下の通りである。
- 南大陸でもっともポピュラーな騎乗動物は走竜と呼ばれる大型の爬虫類である。
- 北大陸で使用される馬と比較すると速度こそ劣るものの、馬の倍以上の体躯を誇り、3〜5倍もの圧倒的なパワーを持っている。
- 変温動物のため気温が下がると活動が鈍るという弱点があるが、熱帯気候の南大陸ではほとんど表面化しない。
- 走竜の寿命は約50年と馬よりはるかに長く、長期間戦場で活躍できるという利点がある。
- その反面、実戦に投入できるまでに最低でも10年の歳月と莫大な餌代がかかるため、先の大戦で大きなダメージを受けた騎兵団を定数まで再建することは、国家にとって多大な時間と予算を要する大事業となっている。
2. 精鋭部隊の「竜弓」と、迅速な情報伝達を担う「小飛竜」
走竜を利用した強力な武器や、空中飛行能力を持つ生物による情報伝達については以下の通りである。
- まだ成長過程にある5〜7歳の若い走竜の骨と腱を張り合わせて作られる竜弓は、通常の長弓の半分ほどのコンパクトさでありながら威力と射程で勝り、騎乗戦闘において最強の武器とされている。
- 素材が極めて貴重なうえに、一般兵では引き絞ることすらできないほど扱いが難しいため、この武器を手にできるのは一部の熟練した精鋭騎士のみに限られている。
- 軍事における情報伝達手段として、カラス程度の大きさの小飛竜が伝書鳩のように用いられている。
- 走竜に乗った伝令兵がリレー方式で5日かかる距離を半日足らずで飛ぶという圧倒的な速度を持つが、迷子や大型飛竜に捕食される危険が高いため、緊急性が高く秘匿性の低い情報伝達にのみ利用される。
3. 「血統魔法」と「魔道具」による戦術的優位
魔法が南大陸の軍事力や外交に与える影響は極めて大きい。
- 南大陸において、特別な王族のみが使用できる血統魔法の使い手の数は、そのまま国力として直結する。
- 特に南大陸中央部の大国であるシャロワ・ジルベール双王国は、「付与魔法」と「治癒魔法」という極めて軍実績・政治的価値の高い魔法を有している。
- シャロワ王家の付与魔法で作られた魔道具で武装した騎士は一騎当千の戦力となり、大人数の護衛兵士を削減できるほど強力である。
- 過去の戦争では、グプタ王国と共同制作した「雷壁の杖」という大魔道具一つで、敵軍5万人を半年間も足止めしたという伝説的な戦果も残っている。
4. 地方軍と国軍のパワーバランス(カープァ王国の例)
カープァ王国の国内における軍事体制や貴族との関係は以下の通りである。
- 南大陸西部に覇を唱えるカープァ王国では、現在、軍のトップである元帥が存在せず、女王アウラが自ら軍の直接指揮を執っている。
- 国軍の主力となるのはプジョル将軍が率いる竜弓騎兵団などの精鋭であるが、国内の地方貴族たちも、密かにごまかした税を用いて自領の軍備(地方軍)を独自に強化している。
- 女王アウラは、こうした地方貴族の力を強硬に削いで反乱(暴発)を招く愚行は避け、不正の摘発を交渉材料にして彼らから譲歩を引き出し、国庫の軍事予算を増額させるという、絶妙なパワーバランスの上で軍事体制を維持している。
まとめ
南大陸の軍事力は、走竜や竜弓といった強力な物理的戦力と、国力に直結する王家の血統魔法が組み合わさることで構築されている。先の大戦による走竜の損失や、地方貴族による独自の軍備強化といった課題を抱えつつも、最高権力者である女王アウラらの老獪な政治手腕や柔軟なパワーバランスの維持によって、国家の軍事的な優位性と安定が保たれている。
異世界の風土病
異世界のカープァ王国周辺には、「森の祝福」と呼ばれる特有の風土病が存在する。この病気は、異世界における医療事情や死生観を浮き彫りにすると同時に、主人公である山井善治郎の生活にも大きな影響を与えた。「森の祝福」に関する特徴と、それにまつわるエピソードについて以下の通り解説する。
「森の祝福」の症状と特徴
- 「森の祝福」は、昔からこの地域に蔓延している風土病である。
- 症状としては、38度を超える高熱、全身の関節痛、喉の腫れ、激しい発汗など、重めの風邪に似た症状が表れる。
- 回復までには早い者で3日、長引く者で7日ほどの期間を要する。
- 毒性は弱く、老人や乳幼児でなければ滅多に死に至ることはない。
なぜ「祝福」と呼ばれるのか
- この病気が「祝福」と呼ばれる最大の理由は、一度かかれば二度と発病しない点にある。
- さらに、この病気を経験した者は、他の病気にかかった際にも症状が軽くて済むようになるという、強力な免疫(抗体)を獲得できる。
- 善治郎は、この劇的な効果をもたらす抗体について「地球に持って帰ったら、ノーベル賞が取れるかもしれない」と冗談めかして評している。
庶民の風習と過酷な死生観
- この病気は、若いうち(子供のうち)にかかっておくと37度前後の遥かに軽い症状で済むという特徴がある。
- そのため、庶民の間では、近くに「森の祝福」を発病した者が出ると、親がわざわざ幼い子供にうつしてもらいに行くという風習が存在する。
- 当然、病に負けて命を落とす子供はいるが、親たちは「森の祝福にも耐えられないような子供は、どのみち成人するまで育たない」と自分に言い聞かせて諦める。
- これは、医療水準の低い異世界ならではの過酷な現実と死生観を表している。
善治郎の感染と周囲の対応
- 善治郎がこの病気で倒れた際、アウラは国家の危機と捉え、小国が傾くほどの価値がある双王国の国宝級魔道具「治癒 of 秘石」の使用すら検討したが、病名が判明したことで安堵した。
- 「森の祝福」は自力で克服しなければ病気に強くなるという恩恵が得られないため、見舞いに訪れた双王国のイザベッラ王女(優れた治癒魔法の使い手)も、病気自体は治さずに体力回復と精神疲労除去の補助魔法だけを施した。
- 病床で心身が弱った善治郎は、無意識のうちに梅干しや醤油を使ったお粥が食べたいと口走り、この世界には存在しない故郷の味を切望して激しい自己嫌悪に陥った。
- 一方で、無事に完治した後は、生死を分ける基礎体力の重要性を痛感し、自室で運動(リフティングなど)を取り入れようと決意するきっかけにもなっている。
まとめ
「森の祝福」は、一見すると恐ろしい風土病であるが、その実態は将来の生存率を高めるための強力な免疫獲得の機会である。幼少期に意図的に感染させる庶民の知恵は、異世界の厳しい医療現実を反映している。また、この病を自力で乗り越えた善治郎は、異文化の死生観に触れるとともに、自身の基礎体力向上や健康管理への意識を新たにする重要な転機を迎えることとなった。
女王アウラの懐妊
カープァ王国女王アウラと、異世界から召喚された王配・山井善治郎にとって、アウラの懐妊は「王家の血統を次代に残す」という最大の至上命題が果たされる第一歩であった。同時に、夫婦の関係や国の権力構造、さらには他国との外交関係にも大きな変化をもたらす重大な転機となった。アウラの懐妊から王子の誕生にいたる過程と、それに伴う影響について解説する。
懐妊の兆候と発覚
- 結婚から数ヶ月後、アウラは微熱のような気だるさやめまいのような視界の揺れ、脂っこくて味の濃いものが食べたくなる味覚の変化といった兆候を感じるようになった。
- 王家のかかりつけ医であるミシェル医師の診察を受けた結果、懐妊の可能性が極めて高いと診断され、アウラは愛酒家でありながらも我が子のために酒を断つことを決意した。
- その後、激しい吐き気を伴いつわりの時期を乗り越え、腹部の膨らみが目立ち始めたことで懐妊は確定的となった。
善治郎の反応と側室問題への防衛策
- 妻の妊娠を知らされた善治郎は、驚きと戸惑いを見せつつもアウラの身体を第一に気遣って寝室を別にすることを提案した。
- アウラから側室問題について探りを入れられた際、善治郎は、妊娠中の妻がいるのに他の女に目が向く甲斐性はない、と明確に拒絶した。
- 歴史的に男性優位の社会であるこの国において王族が側室を持たないのは異例であり、側室をはねのけ続ければアウラが政治的批判を受けるジレンマがあった。
- そこで善治郎はアウラの政治的立場を守るため、自らが、妻の色香に溺れた仕事嫌いの駄目男、という悪評を被り、自身の我が儘として側室を拒否する防衛策をとった。
王配としての公務代行への決意
- つわりで苦しみながらも激務をこなすアウラの姿を目の当たりにした善治郎は、母子の命を危険に晒すわけにはいかないと強く感じ、後宮のヒモという立場から一歩踏み出す決意をした。
- アウラの負担を少しでも減らすため、難しい判断がいらない公的行事の代役を務めることを自ら申し出た。
- 善治郎はアウラの代理として王宮の表舞台に立ち、騎士ナタリオへの直衛騎士任命の儀式を自ら執り行うなど、王族としての振る舞いを実践し始めた。
二重権力構造の徹底的な回避
- 善治郎が表舞台に出て政治的な権力を持ち始めると、男尊女卑の傾向が強いこの国では、貴族たちが彼を神輿として担ぎ上げ、女王派と王配派による二重権力構造が生じて国が内乱状態に陥る危険性があった。
- この事態を防ぐため、公的式典で、王家を代表して、と紹介された際、善治郎は即座に、アウラ陛下の代理として、この場にいるのだと厳しく訂正させた。
- アウラを通さずに王族権限を行使するという前例を絶対に作らないよう行動し、立食会などでは意図的に色ボケ駄目男を演じることで、貴族たちの思惑をかわしアウラの王権を守った。
貴族たちの暗躍と双王国との外交密約への貢献
- 女王の懐妊が知れ渡ると、有力貴族たちは次代の王の乳母を自派閥から出そうと暗躍を始め、側室を押し付けようとする圧力も一層強まった。
- さらに、善治郎が大国シャロワ・ジルベール双王国の付与魔法の血を引いている可能性が浮上したため、双王国側は、側室との間に付与魔法を持つ子が生まれて秘術の独占が崩れることを強く警戒した。
- 結果として、アウラとの間の子には干渉しない代わりに、善治郎はアウラ以外の人間とは子をなさない、という密約が正式に結ばれることとなった。
- この密約文書の最終確認において、善治郎は現代日本の契約社会の感覚を活かし、将来的な解釈の抜け穴を的確に指摘した。アウラはこの指摘を受けて即座に双王国と交渉し、将来の禍根を事前に摘み取るための追加条項を盛り込むことに成功した。
酷暑の中の過酷な出産と王子の誕生
- 約1年が経過し、昼は40度を超え夜でも35度を下回らない、南大陸の最も過酷な酷暑の時期に出産の時を迎えた。
- 善治郎は持ち込んだ冷蔵庫で作った氷と扇風機をフル稼働させて寝室の室温を下げようと努め、無事に元気な男児が誕生した。
- 初めて我が子をその腕に抱いた善治郎は、その小ささと確かな生命力に強い感動を覚えた。
- 魔法の基礎である魔力視認能力に目覚めていた善治郎の目には、生まれたばかりの赤子がアウラを上回るほどの圧倒的な魔力を放っていることが見て取れた。
- 親としての深い愛情を実感した二人は、自分たちで育てると可愛さのあまり甘やかしてしまうため、王族の子が乳母に育てられる理由を心底理解した。
まとめ
女王アウラの懐妊から王子の誕生にいたる一連の過程は、当初は怠惰なヒモ生活を望んでいた善治郎に、王配としての確固たる自覚を芽生えさせる象徴的な出来事となった。善治郎は愛する妻と我が子、そして国家の安定を守るために自ら悪評を被り、現代の知識を活かして政治的・外交的リスクを回避する賢明さを示した。王子の誕生は、二人の夫婦の絆を決定づけるとともに、善治郎がこの異世界で生きていく覚悟を完全に固めた決定的な転機と言える。
双王国との血統問題
カープァ王国とシャロワ・ジルベール双王国との間に生じた血統問題は、主人公・山井善治郎の存在が国家間の戦争(次の大戦)を引き起こしかねないほどの重大な外交課題として描かれている。この双王国との血統問題について、4つのポイントから解説する。
善治郎の血筋と付与魔法流出の危機
- 問題の発端は、双王国のイザベッラ王女からアウラに届いた書状に紛れ込んでいた噂話であった。
- 約150年前に異世界へ駆け落ちしたカープァ王国の第一王子の相手が、実は双王国(シャロワ王家)の王女であった可能性が浮上した。
- これは、その子孫である善治郎が、カープァ王家の時空魔法だけでなく、双王国の秘術である付与魔法の血も引いている可能性が高いことを意味する。
- アウラとの間の子であればカープァ王家の濃い血が勝つと考えられるが、もし善治郎が他の側室との間に子をなした場合、その子に付与魔法の適性が表れる危険性があった。
双王国の思惑と戦争の危険性
- シャロワ王家にとって、付与魔法による魔道具の製造は国防や国家財政に直結する重要な独占技術である。
- もし他国に付与魔法の血が流出すれば、双王国は自国の優位性を守るために開戦(次の大戦)を決意してもおかしくないほどの危機感を抱いていた。
- 一方で、双王国側は善治郎に自国の傍系の姫を側室としてあてがい、生まれた子を引き取ることで、逆にカープァ王国の時空魔法の血を自国に取り込もうとする強かな狙いも持っているとアウラは推測している。
側室の拒絶と善治郎が被る悪名
- この最悪の事態(戦争)を防ぐため、アウラは善治郎に側室を持たせないことを決断する。善治郎自身もアウラ以外の女性と関係を持つことを嫌がっていたため、これに同意した。
- しかし、善治郎が双王国の血を引いている事実は極秘事項であるため、国内貴族からの側室の売り込みを断る正当な理由にはできない。
- そこで善治郎は、自分はアウラに首ったけで他の女は目に入らないという女王の色香に溺れた駄目男を意図的に演じることで、側室拒否の理由を善治郎自身の我が儘として周囲に印象づけ、自ら泥を被る防衛策をとることになった。
密約の締結と善治郎のファインプレー
- 最終的に、カープァ王国と双王国の間で秘密裏に条約(密約)が結ばれることになる。
- その主な内容は、善治郎はアウラ以外の人間と子をなさない、双王国はアウラの直系には一切干渉しない、万が一側室との間に子が生まれ付与魔法が発現した場合はその子を双王国に留学させる、といったものであった。
- この密約文書を確認した善治郎は、現代日本の契約社会の感覚から、アウラの直系には干渉しないという条項と側室との子に干渉できるという条項が、将来的に(直系と傍系が婚姻した場合などに)矛盾する抜け穴があると指摘した。
- アウラは即座に双王国と事前交渉を行い、条文が矛盾した場合は直系不干渉を優先するという追加条項を盛り込ませることに成功する。
- この善治郎の機転により、将来カープァ王国を襲うかもしれない双王国介入の禍根を事前に摘み取るという、大きな政治的成果を上げることになった。
まとめ
このように、山井善治郎の血統を巡る問題は、単なる国内の側室問題にとどまらず、大国の独占技術や国家の威信が絡む国際的な危機へと発展した。しかし、女王アウラの毅然とした決断と、善治郎自身が泥を被る覚悟、引いては現代知識を活かした契約上の機転により、最悪のシナリオである大戦の危機は未然に回避された。二人の強い信頼関係と柔軟な対応力こそが、王国の平和と未来を守る最大の要となっている。
現代知識による技術開発
山井善治郎が異世界カープァ王国に持ち込んだ現代知識による技術開発や文化の導入は、すべてを即座に解決するものではなく、現地の技術水準や素材に合わせた試行錯誤として描かれている。現代知識を用いた技術や概念の開発・導入について、以下の4つの観点から解説する。
知識だけでは再現できない工業技術の壁(ガラスと耐火煉瓦)
- 善治郎が持ち込んだビー玉は、ガラス製造技術が存在しないこの世界では金貨50枚という破格の価値を持つ宝玉として評価された。
- これを知ったアウラは自国でのガラス製造に強い期待を寄せるが、善治郎は素人が見よう見まねで再現できるものではないと否定した。
- 実際に善治郎が録画していたガラス工芸に挑戦するテレビ番組を二人で確認したところ、ガラスを溶かすには1300度以上の熱が必要であり、その炉を作るための耐火煉瓦が不可欠であることが判明した。
- しかし、その耐火煉瓦を作るための材料として砕いた耐火煉瓦が必要とされるという矛盾に直面し、アウラは不機嫌になった。
- これは、基礎的な工業インフラが整っていない世界では、現代知識があっても高度な技術をゼロから立ち上げることは極めて困難であるという現実を示している。
現地の素材と技術による代替・応用(料理技術の開発)
- 工業製品の再現が難しい一方で、料理などの分野では現地の人々の工夫により現代知識が見事にローカライズされている。
- カープァ王国では家畜のほとんどが爬虫類(竜種)であるため、牛乳やバターといった乳製品が存在しない。
- そのため、善治郎が持ち込んだカステラのレシピを再現する際、調理責任者のヴァネッサはバターの代わりに植物油を用い、油の匂いを消すために少量のブランデーを加え、天然重曹(トロナ鉱石の粉末)を膨らし粉として代用するなど、独自の改良を施して美味しい菓子を完成させた。
- また、若い侍女たちが低カロリーパイの作製に挑んだ際には、温度調節機能のない薪式のかまどでの焼き時間を正確に計るため、善治郎の携帯ゲーム機の時計機能をタイマー代わりにするという、現代機器と現地の調理設備の異色な組み合わせも行われている。
ソフトウェア技術と事務処理の革新(アラビア数字と表計算)
- 物理的な技術開発だけでなく、概念や事務処理技術の導入も大きな成果を上げている。
- カープァ王国には専用の数字記号が存在せず、文字の組み合わせで数を表現していたため、計算には多大な労力が必要であった。
- 善治郎がアラビア数字(0〜9の10進数)の利便性をアウラに説いた結果、アウラはその合理性を即座に理解した。
- さらに善治郎は、パソコンの表計算ソフトにこの世界の文字を外字登録し、地方の納税書類を素早く再計算してみせた。これにより、これまで手作業では見過ごされていた地方貴族の脱税(数値のごまかし)が一気に可視化された。
- アウラは急激な改革による反発を避けるため、まずは王室の関連部署から段階的にアラビア数字の併記を導入し、王家の事務効率を劇的に向上させる決定を下した。
現代機器を稼働させるための独自インフラ構築(水力発電)
- 善治郎の現代生活を支える電化製品(冷蔵庫, LED照明、パソコンなど)を動かすため、彼は自らの手でマイクロ水力発電機を後宮の中庭に設置した。
- 这是現代日本の業者が行うような設置作業を、善治郎が自ら設計図を引き、アウラが手配した近衛兵たちに指示を出して、噴水から水槽へと水を引くなどの物理的な土木作業を経て完成させたものである。
- この発電機による電力供給があって初めて、氷と扇風機による冷風や、夜間を明るく照らすLED照明といった、異世界には存在し得ない快適な生活環境の維持が可能となっている。
まとめ
現代知識の導入は、そのままの形では機能しないことも多い。しかし、現地の優秀な職人の工夫や、徐々に社会に浸透させる為政者アウラの慎重な判断を挟むことで、王国に新たな技術や効率化をもたらしている。異世界の限られた環境の中で、現代の利便性をいかに現地の文化や技術と融合させていくかというプロセスこそが、本作における大きな魅力である。
登場キャラクター
カープァ王国 王家・側近
アウラ・カープァ
カープァ王国の女王である。赤い髪と小麦色の肌を持つ。長きにわたる戦乱を生き抜いた聡明で現実主義的な統治者だ。善治郎と婚姻関係を結んでいる。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・女王。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎の社交界デビューとなる立食会で彼を巧みにサポートする。地方貴族の脱税に対し、自主的な譲歩を引き出し軍事予算を増額させる交渉を行った。シャロワ・ジルベール双王国の使者と面会し、善治郎の血統問題に関する密約を締結している。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
同国の歴史上三人目の女王である。時空魔法を継承可能な血統を引く。善治郎との間に第一子となる王子を出産した。
ゼンジロウ・カープァ
現代日本から召喚された異世界人である。アウラの夫として後宮で生活している。政治的野心を持たず、アウラの足を引っ張らないよう密かに努力を重ねる生真面目な性格だ。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・王配。
・物語内での具体的な行動や成果
水力発電機や冷蔵庫などの現代家電を持ち込み、後宮の生活を劇的に改善する。立食会ではプジョル将軍からの竜弓の進呈や側室の売り込みを回避した。アウラの懐妊後は彼女の負担を減らすため、公的行事の代役を務めている。密約文書の解釈の抜け穴を指摘し、双王国介入の禍根を事前に摘み取った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
約150年前に駆け落ちしたカープァ王国第一王子の子孫である。時空魔法と付与魔法の血を引いている可能性が高いと推測されている。
王子
アウラと善治郎の間に生まれた第一子である。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・王子。
・物語内での具体的な行動や成果
酷暑の時期に誕生する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
生まれたばかりの段階で、アウラ以上の魔力量を秘めていることが確認された。
ファビオ・デウバジェ
アウラの秘書官である。細面の中年男性で、常に無表情を保つ。アウラに対して冷徹で耳の痛い意見を容赦なく述べる。善治郎に対する警戒を解いていない。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・第一秘書官。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎が持ち込んだアラビア数字の全面導入を見送るよう進言する。善治郎の公務に同行し、助言や監視を行っている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
宰相や元帥が存在しない王国において、女王の右腕として極めて大きな権限を持つ。
アレハンドロ
年若い生真面目そうな青年である。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・第二秘書。
・物語内での具体的な行動や成果
執務室でアウラの業務を補佐する。ファビオに記録の束を引き継いだ。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
アウラからは、言動に可愛げがあるが仕事ぶりはまだ打てば響くとまではいかない、と評価されている。
ミシェル
王家のかかりつけ医である。初老の男性だ。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・医師。
・物語内での具体的な行動や成果
アウラを診察し、懐妊の可能性が極めて高いと診断する。熱を出した善治郎を診察し、風土病である森の祝福にかかっていると告げた。アウラの出産を取り仕切っている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
エスピリディオン
紫のローブをまとった初老の男性である。カープァ王国随一の魔法使いであり、多方面の知識を持つ賢者だ。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・筆頭宮廷魔法使い。
・物語内での具体的な行動や成果
アウラとファビオに対し、双王国で作製された雷壁の杖にまつわる噂話を提供する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
大魔力を持ちながらもささやかな魔法を扱える例外的な存在である。
カープァ王国 貴族・軍関係者
プジョル・ギジェン
「餓狼」の異名を持つ野心家である。かつてのアウラの有力な婿候補の一人だ。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国軍・将軍。竜弓騎兵団の総団長。
・物語内での具体的な行動や成果
立食会で善治郎に貴重な武器である竜弓を進呈しようとする。妹のファティマを側室として売り込んだ。竜弓を貸与された騎士ナタリオを自身の直属部隊に引き抜いている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
軍部で強い影響力を持ち、軍事力と血縁を利用した権力拡大を狙っている。
ファティマ・ギジェン
プジョル・ギジェンの妹である。長身で、兄譲りの気の強さを持つ。
・所属組織、地位や役職
ギジェン家。
・物語内での具体的な行動や成果
立食会でプジョルによって善治郎の側室候補として紹介される。オクタビアに対して対抗心を抱きつつも、表面上は礼儀正しく振る舞った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
才色兼備の美姫として国中に知られている。
ナタリオ・マルドナド
実直で生真面目そうな青年である。王家への忠誠が厚い。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国の宮廷騎士。後に竜弓騎兵団へ転属する。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎の命令により、プジョルから贈られた竜弓を貸与される。善治郎の前で直衛騎士任命の儀式を受け、忠誠を誓った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
マルドナド家は家格こそ低いものの、歴史のある王家直参の家柄である。
マヌエル・マルケス
恰幅の良い中年男性である。老獪な立ち回りを見せる大貴族だ。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・マルケス伯爵。
・物語内での具体的な行動や成果
立食会でプジョルの側室売り込みに対して助け船を出し、善治郎とアウラに恩を売る。後妻のオクタビアを善治郎の家庭教師として推薦した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
息子のラファエロはアウラの元婿候補である。
オクタビア
マヌエル・マルケス伯爵の後妻である。華奢で清楚な雰囲気を持ち、男を立てることに長けている。
・所属組織、地位や役職
マルケス伯爵夫人。善治郎の家庭教師。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎に王族としてのマナーや一般常識、魔法の基礎を教える。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
知識、教養、魔法技術を備え、貴族女性のかがみと呼ばれている。
ラファエロ・マルケス
マヌエル・マルケス伯爵の息子である。親の意向に逆らえない性格だとアウラに評されている。
・所属組織、地位や役職
マルケス家。文官。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
かつてのアウラの有力な婿候補の一人であった。
セルリオ
上品な初老の男である。忠実な人物だ。
・所属組織、地位や役職
マルケス伯爵家・王都屋敷の老執事。
・物語内での具体的な行動や成果
屋敷へ戻ってきたオクタビアを出迎える。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
トマス・パントハ
中肉中背の四十男である。善治郎からはあからさまに媚を売っている印象を持たれる。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・パントハ男爵。領主。
・物語内での具体的な行動や成果
立食会でアウラから善治郎に紹介され、挨拶を行った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
先の大戦では騎士隊長として武を振るった経歴を持つ。
ボローニャ伯
文書内に性格を特定する詳細な記述はない。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・伯爵。文官。
・物語内での具体的な行動や成果
立食会で善治郎から声をかけられ、挨拶を交わす。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
優秀な文官であり、雅を体現する文化人として名が知られている。
ペルニーア侯爵
文書内に性格を特定する直接的な記述はない。
・所属組織、地位や役職
カープァ王国・侯爵。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ファティマが最近まで行儀見習いとして屋敷に上がっていた。
カープァ王国 王宮・後宮使用人
アマンダ
四十歳前後の細身の女性である。生真面目で厳しい性格を持つ。
・所属組織、地位や役職
後宮の侍女長。使用人の統括責任者。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎に後宮の主立った侍女たちを紹介する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
ヴァネッサ
でっぷりと太った中年の女性である。下町の食堂のおばちゃんのような気さくな振る舞いをする。
・所属組織、地位や役職
後宮付きの調理責任者。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎が持ち込んだカステラのレシピを独自に改良し、菓子を完成させる。問題児三人組にパイ作りを指導し、冷蔵庫の使用権を懸けた競争を促した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
宮廷料理人に準ずる腕を持つ。
イネス
中年の女性である。職務に忠実で厳しいが、部下思いな面を持つ。
・所属組織、地位や役職
後宮の清掃担当責任者。
・物語内での具体的な行動や成果
ゲーム機を持ち帰ってしまったフェーたちから相談を受け、説教をした後に善治郎への取りなしを約束する。仕事をさぼって涼を取る若い侍女たちを叱責した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
フェー
黒髪の小柄な少女である。「問題児三人組」の一人で、お調子者で物欲に弱い。
・所属組織、地位や役職
後宮の侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
掃除中に誤って善治郎の携帯ゲーム機を自室に持ち帰る。携帯ゲームに熱中し、賞品のマーブルチョコレートを獲得するため奮闘した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
ドロレス
長身で切れ長な瞳の少女である。「問題児三人組」の一人で、三人の中では比較的冷静な言動が多い。
・所属組織、地位や役職
後宮の侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
携帯ゲーム機の持ち出しについてイネスに相談するよう促す。ゲームで善治郎の記録を上回るハイスコアを出し、賞品のマーブルチョコレートを獲得した。パイ作りの際に携帯ゲーム機の時計機能を活用している。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
レテ
巨乳で垂れ眼の少女である。「問題児三人組」の一人で、好奇心旺盛で緊張感に欠ける性格だ。
・所属組織、地位や役職
後宮の侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
フェーが持ち帰った携帯ゲーム機を開いて起動させ、取扱説明書を発見する。若い侍女の中ではトップクラスの料理の腕を持ち、パイ作りの中心となった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
記述なし。
カリナ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
後宮の若い侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎への自己紹介に登場する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ヴァネッサから、フェーたちの後任としてパイの完成を託される。
アリア
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
後宮の若い侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
フェーたちのパイ作りの評価の際、残りの半分を完成させる班のメンバーとして名前が挙がる。
キーシャ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
後宮の若い侍女。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎への自己紹介に登場する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
カリナと同じ班に所属している。
ケイト
美しく聡明な娘である。兄同様に王家への忠誠が厚い。
・所属組織、地位や役職
後宮の侍女。ナタリオ・マルドナドの妹。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎への自己紹介に登場する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
プジョル将軍から善治郎とのパイプ役として利用されようとしていると、アウラたちに警戒されている。
シャロワ・ジルベール双王国
イザベッラ・ジルベール
少し恰幅の良い上品な中年女性である。老獪な外交手腕を持つ。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・王女。
・物語内での具体的な行動や成果
アウラに善治郎の血統に関する噂話の書状を送る。風土病にかかった善治郎を見舞い、体力回復と精神疲労除去の補助魔法を施した。ビー玉に対して金貨五十枚という破格の値を提示している。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ジルベール法王家の中でも五指に入る治癒魔法の使い手である。
ヨハネ四世
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・第十八代法王。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
イザベッラの父親である。
フランチェスコ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・王子。
・物語内での具体的な行動や成果
アウラの結婚指輪に発火の魔法を付与する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
シャロワ王家直系の名高い付与魔法の使い手である。
マルガリータ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・王女。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎の結婚指輪に水作製の魔法を付与する。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
シャロワ王家直系の名高い付与魔法の使い手である。
ロベルト
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・王子。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
コブラゴ王国から治療の依頼を受けていたが、双王国の意向でイザベッラに変更された。
トマーゾ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・王子。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
イザベッラに比べると治癒の力は劣るが、依頼料が安く済むとされる。
マッテオ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・法王弟。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
イザベッラに比べると治癒の力は劣るが、依頼料が安く済むとされる。
カロリーナ
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
シャロワ王家・王女。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
十五歳であり、現代のシャロワ王家の直系では最年長とされる。
モレノ・ミリテッロ
中年の男である。胆力のある落ち着いた性格だ。
・所属組織、地位や役職
シャロワ・ジルベール双王国・外交官。
・物語内での具体的な行動や成果
善治郎とアウラに対して指輪の受け渡しと密約文書の読み上げを行う。アウラからの追加交渉を本国に持ち帰った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
爵位も領地も持たない平貴族である。
コブラゴ王国
ルイス二世
文書内に直接的な性格の描写はない。
・所属組織、地位や役職
コブラゴ王国・前王。
・物語内での具体的な行動や成果
文書内に直接的な行動の描写はない。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
双王国に治癒術士の派遣を依頼した患者である。
展開まとめ
プロローグ 各々の思惑
オクタビアの帰宅
善治郎の社交界デビューが決まって数日後、オクタビアは久しぶりにマルケス伯爵家の王都屋敷へ帰還した。
王都屋敷は、王宮と同時代に建てられた由緒ある建築であり、その豪奢な造りはマルケス伯爵家の権勢を象徴していた。オクタビアは護衛や侍女に囲まれながら、自然な所作で屋敷へ入っていく。
老執事セルリオに迎えられたオクタビアは、身支度を整えた後、夫であるマヌエル・マルケス伯爵との再会を果たした。
善治郎への評価
マルケス伯爵は、オクタビアへ善治郎の人物像について尋ねた。
オクタビアは、善治郎について非常に感じの良い人物であり、学習意欲も高く、信頼できる人間だと率直に評価した。
しかし伯爵は、その言葉を独自に分析する。彼の目には、善治郎は「下の者に甘く」「野心や覇気がなく」「自分の立場を理解できるだけの知性を持つ」人物として映った。
マルケス伯爵は、野心の薄い善治郎を政治的に利用する難しさを感じつつも、王家唯一の男という立場の重要性は強く意識していた。
側室計画への否定的見解
伯爵はさらに、善治郎へ側室を与えるならどのような女性が良いかとオクタビアへ尋ねる。
しかしオクタビアは、今そのような真似をすべきではないと断言した。彼女は、善治郎とアウラの夫婦仲が非常に良好であり、そこへ側室が入っても居場所を得られないと考えていたのである。
さらにオクタビアは、善治郎が異世界を捨ててこの世界へ来た理由は、アウラへの愛情以外に考えられないと語った。
その意見を聞いたマルケス伯爵は、側室による懐柔策を一旦諦め、当面は夫婦仲を支援する方向で立ち回るべきだと判断する。
一方オクタビアは、その結論を心から喜び、愛し合う夫婦には横槍なく幸せでいてほしいと願うのだった。
王軍演習場の視察
同じ頃、アウラは王都外れの王軍演習場を訪れていた。
演習場では、王国最精鋭である竜弓騎兵団が訓練を行っていた。騎兵たちは走竜を巧みに操り、突撃、悪路走破、騎乗弓術など高度な演習を披露する。
アウラは、指揮官であるプジョル・ギジェン将軍へ賞賛の言葉を送った。先の大戦で大打撃を受けた騎兵団を、五年で八割近くまで再建したことは大きな功績だったのである。
プジョル将軍は、自分ではなく竜厩舎の飼育員達こそ功労者だと語り、アウラもその苦労を認めた。
脱税摘発と軍備増強
アウラは演習を見ながら、来年から軍事費を増額できるとプジョル将軍へ伝える。
その財源は、善治郎が表計算ソフトで再計算した結果発覚した、地方貴族達の脱税分だった。アウラは交渉を通じて税収増加へ成功し、その大部分を軍事費へ回そうとしていたのである。
プジョル将軍は即座に軍内部で意見をまとめると応じ、さらに善治郎の社交界デビューとなる立食会へ期待を示した。
将軍は自分の妹を善治郎へ会わせたいと語り、野心を隠そうとしなかった。アウラはそれを理解しつつも、善治郎への信頼から過度に干渉せず、静かに見守る姿勢を取るのだった。
第一章 社交界デビュー
善治郎の社交界デビュー
王宮主催の夜の立食会は、上流階級の社交場であると同時に、王家の権勢を示す場でもあった。豪奢なシャンデリアや高価な絨毯に彩られた大広間で、善治郎は初めて本格的な社交界へ足を踏み入れる。
善治郎はアウラに伴われながら、多数の貴族達から挨拶を受け続けていた。慣れない正装や重圧のある空気に疲弊しつつも、表情を崩さず対応を続ける。貴族達の顔と名前を覚えようと必死になりながらも、名刺文化のない環境に苦戦していた。
一方アウラは、善治郎をさりげなく支えつつ、重要人物には事前に決めていた合図で注意を促していた。
マルケス伯爵夫妻との対面
やがて善治郎は、マルケス伯爵マヌエルと、その妻オクタビアを紹介される。
善治郎は、年齢差の大きい夫妻の姿へ内心驚きつつも、丁寧に応対した。アウラはオクタビアの能力を高く評価し、今後も王国のために力を尽くしてほしいと期待を示す。
善治郎自身は、極力目立たず悪印象を与えないよう、必要最小限の相槌だけで対応していた。
プジョル将軍の接近
一通りの挨拶が終わった後、善治郎はアウラと別れて単独行動を始める。しかしその直後、プジョル・ギジェン将軍が自ら善治郎へ声をかけてきた。
巨躯の将軍は、女王の元婿候補でもあった野心家であり、善治郎も事前に警戒人物として聞かされていた存在だった。
プジョル将軍は、善治郎へ贈り物を献上したいと申し出る。彼が持ち込んだのは、走竜の腱と骨を用いて作られた極めて希少な武器「竜弓」であった。
将軍は竜弓の価値と性能を熱心に説明したが、善治郎はその説明から、若い走竜を犠牲にして作られる極めて貴重な武器だと理解する。さらに、一般人には扱えない代物であり、自分のような非戦闘員が所有すべきではないとも判断した。
竜弓への対応
善治郎は、将軍の厚意へ感謝を示しつつも、自分は戦場に立つ存在ではないと率直に語った。
その上で、竜弓自体は受け取るが、自ら保持はせず、王家への忠誠が厚く最も優れた騎士へ与えてほしいと願い出る。
会場は一瞬静まり返ったが、プジョル将軍は深く頭を下げ、その意向を受け入れた。
離れた場所で見守っていたアウラは、善治郎が無礼なく問題を収めたことへ安堵する。もし竜弓をそのまま受け取っていれば、将来的に狩猟や軍事訓練への参加を断りづらくなる危険があったのである。
側室の売り込み
しかしプジョル将軍は諦めず、今度は善治郎へ側室の必要性を語り始めた。
将軍は、自らの妹ファティマを紹介したいと申し出る。ファティマは長身の美少女であり、兄譲りの気の強さを持ちながらも、完璧な礼儀作法を身につけていた。
マルケス伯爵も会話へ加わり、ファティマやオクタビアを称賛しながら場を調整していく。ファティマはオクタビアへ対抗心を抱きつつも、表面上は礼儀正しく振る舞った。
プジョル将軍は、ファティマが歌や踊り、侍女仕事にも優れていると売り込むが、アウラは先回りするように、将来的には自分の側仕えとして召し上げる可能性があると告げ、将軍の攻勢を鈍らせた。
善治郎への恋愛観の追及
それでも将軍は話題を変えず、善治郎へどのような女性が好みなのかを直接問いかける。
返答に困った善治郎だったが、その隙を埋めるようにマルケス伯爵が、善治郎は現在アウラへ夢中で他の女性など目に入っていないのだろうと笑い混じりに助け船を出した。
善治郎もその言葉へ乗り、否定しない態度を示す。これにより、プジョル将軍もこれ以上強引に押し込むのは不利だと判断した。
最終的に将軍は矛を収め、アウラと善治郎の仲睦まじさを称賛する方向へ話題を転換する。アウラもまた、善治郎を「最高の夫」と誇らしげに語り、その場は穏便に収束していった。
立食会後の安堵
立食会を終えて後宮へ戻った善治郎は、ソファーへ倒れ込むように腰を下ろし、ようやく終わったという達成感を漏らした。慣れ親しんだ後宮の空気と氷扇風機の冷風に触れ、自分がこの場所へ順応し始めていることを実感していた。
アウラもまた疲労を隠せず、善治郎の社交界デビューが無事に終わったことへ安堵していた。今回の立食会によって、善治郎との不仲説や、アウラが夫を束縛しているという噂をある程度沈静化できたと評価する。
善治郎は、揺らぐシャンデリアの明かりに目をやられたらしく、視界のぼやけを訴えていた。現代文明に慣れた善治郎にとって、蝋燭の光に満ちた大広間は予想以上に目へ負担をかけていたのである。
日常への回帰
善治郎は靴や正装を脱ぎ捨て、裸足の感触へ心地良さを覚える。わずか一ヶ月ほどの引きこもり生活で、自分の足が軟弱になっていることへ危機感を抱き、生活を改める必要を感じていた。
アウラもまた侍女を呼ばず、自らドレスを脱いでくつろぎ始める。善治郎が他人を室内へ入れることを好まないため、アウラも着替えを自分で行うようになっていた。
善治郎の嫉妬心
その後、アウラは立食会で会った人物達について、率直な感想を尋ねる。
観念した善治郎は、プジョル・ギジェン将軍とラファエロ・マルケスに対して、自分が強い偏見を抱いていると白状した。特にラファエロについては、まだ会ってすらいないのに既に好感度が低いと語る。
その言葉を聞いたアウラは、善治郎の嫉妬心を感じ取り、内心で喜びを覚えていた。自分と関係のあった男達へ嫉妬を向ける夫の態度を、愛情の裏返しとして受け取ったのである。
しかし善治郎が香油の匂いを嫌っていることを思い出し、衝動的に触れ合うことは控えた。
プジョル将軍への評価
アウラに促された善治郎は、プジョル将軍について、自分には「敵と味方しかいなさそうな人物」に見えたと説明した。
善治郎は、将軍が威圧感を隠さず、目的達成のためなら敵を作ることも恐れていないように見えたと語る。一方で、強烈なカリスマ性も持っており、周囲の人間は好意か敵意のどちらかへ引き込まれていく人物だと感じていた。
その分析を聞いたアウラは、多少偏見は混じっているものの、本質を突いた人物評価だと感じていた。
ファティマへの反応
続いてアウラは、プジョル将軍の妹ファティマについてどう感じたのかを尋ねる。さらに、善治郎が少し見とれていたように見えたとからかうように指摘した。
アウラの瞳に嫉妬の色を感じ取った善治郎は、慌ててたじろぐのだった。
第二章双王国からの使者
善治郎の発熱
善治郎が社交界デビューを終えてから数ヶ月が過ぎ、カープァ王国は過酷な猛暑を抜け、比較的過ごしやすい季節へ移り変わっていた。花壇の花や鳥の鳴き声、虫の数などにも変化が見え始め、善治郎もこの世界の季節の移ろいを感じ取れるようになっていた。
しかし、その頃の善治郎は季節を楽しむ余裕を失っていた。昼間から寝室へ閉じこもり、布団に包まって高熱に苦しんでいたのである。
気温は三十度前後まで下がっていたにもかかわらず、善治郎は寒気に震え続けていた。体温計には三十八度を超える数値が表示され、平熱より二度以上高い熱を出していた。
アウラの対応
善治郎が寝込んだと知らされたアウラは、まず後宮の封鎖を命じ、自らの健康確認を優先した。
王である以上、伴侶よりもまず自身が病に倒れないことが重要だったのである。アウラは王室御用達の医師ミシェルを呼び、自ら診察を受けた。
診断の結果、アウラには感染の兆候は見られなかった。安堵したアウラは、続いて医師へ善治郎の診察を命じる。
治癒の秘石という切り札
その後アウラは、秘書官ファビオを呼び、善治郎へ『治癒の秘石』を使用すべきか相談した。
『治癒の秘石』は、付与魔法と治癒魔法を組み合わせた極めて貴重な魔道具であり、この世界における万能薬に等しい存在だった。欠損再生などは不可能だが、通常の病や傷で命を落とすことはほぼなくなるほど強力な治療効果を持っていた。
しかしその希少価値は凄まじく、カープァ王国ほどの大国でも三つしか保有していなかった。
ファビオは、もし善治郎の病が命に関わるものならば、迷わず使用すべきだと進言する。現在の王国にとって、善治郎を失うことは国家を揺るがす問題だったのである。
その言葉により、アウラは自分の判断が感情だけではなく、王としても妥当だったと確認でき、冷静さを取り戻した。
病名の推測
善治郎は朝までは普通に過ごしていたにもかかわらず、昼前に急激に発熱していた。
ファビオは、アウラが発症していないことから、一度罹患すると二度とかからない種類の病ではないかと推測する。
アウラも条件を整理した結果、ある病気へ思い至った。その病気は命に関わるものではなく、むしろ祝い事に近い意味を持つものだった。
森の祝福
やがて診察を終えたミシェル医師が戻り、善治郎の病名を告げる。
善治郎が罹患していたのは『森の祝福』だった。
その病名を聞いたアウラは、深刻な病ではなかったことへ安堵する一方、自分が大きく動揺していた事実を自覚し、思わず脱力しかける。
後ろでは、そんな女王の狼狽を見抜いたファビオが、珍しく意地の悪い笑みを浮かべていた。
森の祝福の正体
高熱で寝込んだ善治郎は、見舞いに訪れたアウラへ『森の祝福』について尋ねた。
アウラは、それがこの地方に古くから蔓延している風土病であると説明した。毒性は弱く、老人や乳幼児でなければ滅多に命を落とすことはない病であり、一度罹患すると二度とかからなくなる上、以後ほかの病気にも強くなる傾向があるため、『森の祝福』と呼ばれていた。
善治郎は、もしこの病原菌や抗体を地球へ持ち帰ればノーベル賞級ではないかと冗談を漏らしつつ、命に関わる病ではないと知って安堵する。
しかし、症状は重く、高熱と関節痛、喉の痛みが数日続くと聞かされ、善治郎はうんざりした気分になる。
病人への価値観の違い
善治郎は、この病気が本当に死人を出さないのか疑問を抱いた。現代日本ならともかく、医療水準の低いこの世界では致命的に思えたからである。
実際には、幼いうちに感染すれば症状が軽く済むため、庶民の間では子供へ意図的に感染させる風習まで存在していた。
それでも命を落とす子供はいたが、その場合は成人まで生きられない運命だったと諦めるしかないのが、この世界の現実だった。
看病を拒む善治郎
アウラは、善治郎の看病のため侍女達の出入りを許可すべきではないかと提案した。
しかし善治郎は、それを頑なに拒否する。病気になると神経が荒れ、周囲へ当たり散らしたり我が儘を言ったりしたくなる性質を自覚していたからである。
子供の頃には熱を出すたび家族へ迷惑を掛けていた記憶もあり、今さら同じことをしたくなかった善治郎は、可能な限り一人で耐えようとしていた。
アウラは納得し切れなかったものの、善治郎が他人へ理不尽な迷惑を掛けることを極端に嫌う性格であると理解していたため、最終的には出入りを最小限に抑えると約束する。
病人食への望郷
その後、アウラは夕食について尋ねた。
善治郎は反射的に「お粥」「梅干し」「卵と醤油のお粥」が食べたいと答える。
しかし、それらはこの世界に存在しない食文化だったため、言霊による翻訳も働かなかった。
説明する気力も残っていなかった善治郎は、結局「何でもいい」と答え直す。
アウラは厨房へ病人食を用意させると言い残して寝室を出ていった。
善治郎の自己嫌悪
一人きりになった善治郎は、喉の痛みに耐えながら湯冷ましを飲み、強い自己嫌悪に苛まれていた。
異世界で「お粥が食べたい」などと口走った自分を、聞き分けのない子供のようだと感じていたのである。
もしアウラがその場に居続けていたら、「桃の缶詰が食べたい」とまで言い出していたかもしれないと考え、善治郎は自分の弱さへ強い嫌悪感を抱いた。
そのまま自己嫌悪に疲れ果てた善治郎は、いつしか眠りへ落ちていった。
アウラの後悔
同じ頃、リビングルームへ戻ったアウラもまた、自責の念に沈んでいた。
善治郎が望んだ「お粥」「梅干し」「醤油」を用意できないどころか、善治郎がどんな食べ物を好むのかすら、自分はよく知らなかったのである。
遠征軍を率いた経験を持つアウラは、故郷の食べ物を食べられないことが、どれほど人の心を弱らせるか理解していた。特に傷病兵ほど、その傾向は強かった。
善治郎へ不自由ばかり強いているのではないかと悩みながらも、アウラは最終的に、善治郎の望郷の念を強めないためにも、今後は可能な範囲で要望を叶えてやるべきだと考えるようになる。
小飛竜による急報
南大陸には『小飛竜』と呼ばれる小型の翼竜が存在していた。人間が家畜化に成功した唯一の翼竜種であり、その役割は情報伝達である。
『走竜』による伝令網より確実性では劣るものの、速度は圧倒的であり、騎兵の伝令が五日かかる距離を半日足らずで飛び切ることができた。
そんな『小飛竜』が、東の国境砦から王宮へ緊急報告を運んできた。
イザベッラ王女来訪
執務中だったアウラは、ファビオ秘書官から東の国境砦より『小飛竜』通信が届いたと報告を受ける。
木筒に収められていた書状には、シャロワ・ジルベール双王国のイザベッラ王女一行が、護衛三百名を伴って入国したことが記されていた。
東砦側も護衛として騎兵三百を同行させており、一行は王都へ向かっている最中だった。
治癒魔法の王女
イザベッラ・ジルベールは、ジルベール法王家に属する王女であり、南大陸でも屈指の『治癒魔法』の使い手だった。
重病人や瀕死の貴族達は、彼女達法王家の人間へ莫大な報酬を支払い、直接治療へ来てもらうのが常だった。
そのためイザベッラ王女が他国へ赴くということは、どこかの王侯貴族が死の淵に立たされていたことを意味していた。
少数護衛の意味
アウラとファビオは、護衛兵の数が三百名しかいないことへ注目する。
通常、法王家の人間が他国へ赴く際には、千人規模の護衛を伴うのが常識だった。過去には治癒魔法の使い手を自国へ囲い込もうとした国家も存在したためである。
しかし今回は護衛数が少なかった。その理由は、シャロワ王家製の『魔道具』を持つ、一騎当千の騎士達が同行しているからだと推測された。
つまり、それだけ患者の容態が切迫しており、移動速度を最優先したということである。
瞬間移動の依頼
イザベッラ王女がカープァ王国を訪れる理由について、アウラは『瞬間移動』の魔法を使ってもらうためだと理解していた。
アウラの『時空魔法』による瞬間移動は、長距離移動を大幅に短縮できるため、法王家にとって極めて有用だったのである。
アウラとしても、治癒魔法の使い手へ恩を売れる機会である以上、断る理由はなかった。
善治郎への懸念
しかし、問題は病床の善治郎だった。
イザベッラ王女が王都へ到着するのは五日後と予想されており、その時点で善治郎がまだ『森の祝福』から回復していない可能性も高かった。
善治郎の部屋には、彼が持ち込んだ電化製品が多数置かれているため、アウラは他国の人間を後宮へ入れたくなかった。
そのため、必要ならば善治郎を別室へ移し、イザベッラ王女滞在中だけそちらで過ごしてもらう案が検討される。
ファビオもそれへ同意し、イザベッラ王女からの見舞いを断る理由は存在しないと述べた。
病床の善治郎への不安
『森の祝福』自体は死病ではなく、むしろ免疫を得る意味でも自然治癒が望ましかった。
しかし、治癒魔法には苦痛を和らげる補助魔法も存在するため、イザベッラ王女が見舞いを希望した場合、断るのは難しかった。
問題は、病床の善治郎が現在かなり神経質で攻撃的になっている点だった。
一方でイザベッラ王女は、長年癒し手として生きてきた老獪な人物でもあり、病人の言動から情報を読み取る抜け目なさも持ち合わせている。
アウラは、何事も起こらずに済む可能性は低いと半ば覚悟しながら、頭を悩ませるのだった。
イザベッラ王女との私的会談
イザベッラ王女一行が王宮へ到着した翌日、アウラは王宮の私室へ王女を招き、私的な会談を行っていた。
公的な謁見はすでに済ませていたが、公の場では自由な会話ができないためである。
白を基調とした双王国式のドレスをまとったイザベッラ王女は、善治郎との結婚を祝福し、アウラもそれへ応じた。
治療対象の秘匿
アウラは、イザベッラ王女がどこの誰を治療してきたのかを探ろうとした。
しかしイザベッラ王女は、『癒し手』の信用に関わるとして、治療対象について語ることを断固拒否した。
王侯貴族の病歴や傷病情報を漏らさないことは、ジルベール法王家にとって絶対条件だったのである。
結婚指輪の披露
話題を切り替えたアウラは、善治郎から贈られた結婚指輪をイザベッラ王女へ見せた。
その指輪は、イエローゴールドに三粒のダイヤモンドを埋め込んだ精密な細工の品であり、地球の高度な加工技術によって作られていた。
指輪を目にしたイザベッラ王女は、驚きを隠せなかった。
この世界にはダイヤモンドそのものは存在していても、それを精密にカットし、多面体加工する技術が存在していなかったためである。
さらに、金属部分へ施された均一な装飾模様も、この世界では再現不可能な代物だった。
魔道具化の相談
アウラは、この指輪を『魔道具』に加工したいと相談した。
イザベッラ王女は、双王国のシャロワ王家へ依頼すれば、相応の魔法付与が可能だと説明する。
『発火』『耐火』『水作製』などの実用的な魔法が候補として挙げられたが、『体力回復』のような高位効果を付与すると、指輪自体が短期間で灰になると語られた。
そのため、どの魔法を込めるかは、後日改めて決めることとなった。
ビー玉への異常な反応
続いてアウラは、善治郎の私物としてビー玉を取り出した。
透明なガラス球の内部へ色ガラスを封じ込めた単純なビー玉だったが、それを見た瞬間、イザベッラ王女は指輪以上の衝撃を受ける。
ガラスという素材そのものが、この世界では極めて希少かつ高度な技術産物だったのである。
アウラは、その反応を見逃さず、ビー玉とビーズの価値について尋ねた。
法外な価値評価
イザベッラ王女は、ビー玉一つへ金貨三十枚という破格の値を提示した。
アウラが驚きを示すと、イザベッラ王女はさらに金貨五十枚まで値を吊り上げる。
一方、色付きビーズについては一粒銀貨十枚程度と査定しており、ビー玉への異常な高評価だけが際立っていた。
アウラは、その値付けに何らかの意図があると察しつつも、さらに反応を探るため、多数のビー玉をトレイへばら撒いた。
イザベッラ王女の狙い
トレイいっぱいに広がるビー玉を前にしても、イザベッラ王女が選んだのは、もっとも単純な無色透明のビー玉だった。
それによりアウラは、イザベッラ王女が単なる装飾性ではなく、素材や技術そのものへ価値を見出していると理解する。
アウラは、もし善治郎が手放す意思を見せた場合、最初にイザベッラ王女へ声をかけると約束した。
善治郎への見舞い
会談の終盤、イザベッラ王女は、宝玉の礼として病床の善治郎を見舞いたいと申し出た。
アウラもそれを歓迎し、準備が整い次第、後宮へ案内すると応じる。
こうしてイザベッラ王女は、善治郎との対面へ向かうこととなった。
ビー玉の価値への疑念
イザベッラ王女との会談後、アウラはファビオ秘書官へ会談内容を共有し、ビー玉へ金貨五十枚という値が付けられた件について意見を求めた。
ファビオ秘書官も、その価格は常識外れであり、ただの宝飾品として扱われているとは考えられないと断言した。
特に問題視されたのは、イザベッラ王女ほどの人物が、あれほど露骨に興味を示したことである。
長年王族社会を生き抜いてきた王女が、感情を表へ出して相手へ隙を見せるような真似をした事実そのものが、不自然だった。
透明なビー玉への執着
アウラは、イザベッラ王女が大量のビー玉の中から、最初から無色透明のビー玉へ視線を向けていたことを思い返す。
色付きや模様入りではなく、透明度そのものへ価値を見出しているように見えたためである。
しかし、それならば水晶でも代用できそうに思え、アウラには真意が掴めなかった。
情報不足を悟ったアウラは、後で筆頭宮廷魔法使いエスピリディオンへ相談し、知恵を借りることを決める。
善治郎が持つ莫大な資産価値
ビー玉一つに金貨五十枚の価値が付くなら、善治郎が持ち込んだ大量のビー玉は、総額で金貨二千五百枚近い資産となる計算だった。
それは小規模な砦を築けるほどの巨額であり、王族基準でも無視できない財産である。
ファビオ秘書官は、もし実害がないのであれば、善治郎が自由に売却しても良いのではないかと進言した。
双王国金貨への関心
アウラは、取引相手としてシャロワ・ジルベール双王国王家を確保したいと考えていた。
理由は、双王国が南大陸で数少ない金貨鋳造国だからである。
金山を持たないカープァ王国では、自国製の金貨が存在せず、高額取引には大型銀貨を使わざるを得なかった。
そのため、双王国の新造金貨を大量に得られる可能性は、国家財政上も極めて魅力的だった。
後宮への案内準備
議論が一段落したところで、アウラはこれ以上イザベッラ王女を待たせるわけにはいかないと判断した。
善治郎への見舞いは、表向きには王女の善意による行動であり、賓客への礼節を欠くことは許されない。
ファビオ秘書官から後宮側の準備完了を確認したアウラは、自らイザベッラ王女を善治郎のもとへ案内するため、隣室の扉を叩いたのだった。
イザベッラ王女の見舞い
『森の祝福』を発病して六日目、善治郎は後宮内の別室で寝込んでいた。熱は三十七度台まで下がり、喉の腫れや食欲も回復しつつあったが、まだ本調子ではなかった。
そこへ、イザベッラ王女が見舞いに訪れた。善治郎は寝ぼけたまま彼女を見て、誰なのか分からず問いかけた。イザベッラは丁寧に名乗り、シャロワ・ジルベール双王国の王女であることを告げた。
治癒魔法による回復補助
善治郎は慌てて起き上がろうとしたが、イザベッラは病人のままでよいと制した。善治郎は体が驚くほど軽くなっていることに気づく。
イザベッラは、自分が『体力回復』と『精神疲労除去』を施したためだと説明した。ただし、『森の祝福』は自力で克服しなければ恩恵が得られないため、『病魔快癒』は使わなかったのである。
善治郎はその説明に納得し、イザベッラへ礼を述べた。
夫婦仲を見せるアウラと善治郎
会話の途中で善治郎が咳き込むと、アウラはすぐに吸い飲みで水を飲ませた。善治郎も慣れた様子でそれを受け入れ、自然に礼を言った。
その様子を見たイザベッラは、二人の仲の良さに感心した。アウラは夫婦仲が良いことを隠さず、善治郎との関係をむしろ誇るように振る舞った。
善治郎の失言
イザベッラは、善治郎がアウラとの結婚のために世界を越えてきたことへ触れた。善治郎はそれを聞き、百五十年前に異世界へ愛の逃避行をしたカープァ王家の子孫が、婚姻のために戻ってきたと口にしてしまった。
それは、他国の王族へ明かすには不用意な情報だった。アウラは即座に、百五十年前に記録から消された王族がいたことは事実だが、異世界逃亡や善治郎との血縁を示す証拠はないと補足し、情報の信憑性を薄めようとした。
王族同士の駆け引き
イザベッラはアウラの意図を察し、自分が恋物語に浮かれて軽率な発言をしたと引き下がった。そして病人と長話するべきではないとして、見舞いを切り上げた。
アウラは表面上は穏やかに礼を述べ、イザベッラを部屋の外へ案内した。二人は緊張を隠したまま、王族としての礼節を崩さなかった。
一方、善治郎だけはその空気に気づかず、ベッドに横たわったまま、イザベッラへ素直に感謝を伝えるのだった。
双王国の真意
その夜、アウラは王家の私室へファビオ秘書官と筆頭宮廷魔法使いエスピリディオンを招き、秘密裏に会談を行った。
まずファビオは、イザベッラ王女が治療のために訪れていた相手が、隣国コブラゴ王国の前王ルイス二世であると報告した。しかし、その規模の小国が、法王家でも最高位級の癒し手であるイザベッラ王女を呼ぶのは不自然だった。
イザベッラ王女来訪の本当の狙い
ファビオは、コブラゴ王国が本来依頼したのは別の王族だったが、双王国側が料金据え置きでイザベッラ王女を派遣するようねじ込んだと推測した。つまり、真の目的は治療そのものではなく、善治郎を直接観察することだったのである。
アウラは、善治郎が『森の祝福』で寝込んでいたことまで把握されていたのかと疑ったが、ファビオはそれは偶然だと否定した。むしろ善治郎が病人でなければ、女性であるイザベッラ王女を派遣する必要がなかったと説明した。
善治郎が大国カープァ王国の女王の伴侶となった以上、諸外国がその人柄や政治的野心を警戒するのは当然であり、その確認のためにイザベッラ王女ほどの人物が動く価値は十分にあったのである。
ビー玉への異常な高評価
話題は、イザベッラ王女が善治郎のビー玉へ異常な高値を付けた件へ移った。
アウラは、結婚指輪よりもビー玉へ強い興味を示した王女の態度を不審に感じていた。ファビオも、イザベッラ王女ほどの人物が意味なくあのような反応を見せるとは考えにくいと同意した。
そこでアウラは、宮廷魔法使いエスピリディオンへ意見を求めた。
『雷壁の杖』の噂
エスピリディオンは、南大陸で有名な魔道具『雷壁の杖』について語り始めた。
それは、先の大戦初期にグプタ王国が敵軍五万を半年間食い止めたとされる国宝級魔道具であり、グプタ王家とシャロワ王家が共同で作製したと伝えられていた。
しかし、その作製期間には大きな矛盾が存在していた。通常、強力な魔道具には数年単位の製作時間が必要だが、『雷壁の杖』は移動時間を差し引くと、実質数日程度で完成していた計算になるのである。
そのため、シャロワ王家には、魔道具作製を大幅に短縮する秘法があるという噂が広まっていた。
ビー玉と魔道具作製の関連
エスピリディオンは、その秘法に関する二つの噂を語った。ひとつは王族の命を代償にするというものだったが、アウラは即座に否定した。
そしてもうひとつが、特定条件を満たした物質を用いることで、魔道具作製時間を大幅短縮できるという説だった。
さらに、『雷壁の杖』の先端には、大きな丸い透明の水晶球が飾られていたという噂があるとエスピリディオンは語った。
その話を聞いたアウラは、善治郎の持ち込んだ透明なビー玉と結びつけ、強い興味を抱く。蝋燭の明かりの中で、アウラは獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべるのだった。
第三章 女王の懐妊
病み上がりの朝
『森の祝福』から回復した善治郎は、八日ぶりに普段着へ着替え、朝の涼しい空気の中で身体を伸ばしていた。気温は二十度台前半まで下がっており、以前よりも格段に過ごしやすくなっていた。
善治郎は、病床生活によって体力が大きく落ちたことを実感し、今後は運動を取り入れる必要性を感じる。サッカーボールを使って軽くリフティングを試みるが、部屋中に伸びる電化製品のコードが危険だと判断し、運動用の部屋を別に用意してもらおうと考えた。
同時に、電化製品はいずれ寿命を迎える以上、この世界の気候に自分の身体を慣らしておく必要があるとも痛感していた。
バナナチップスの試食
そこへ侍女が、善治郎の依頼で作らせた揚げバナナを運んできた。これは病中に食べた料理用バナナから着想を得た、ポテトチップス風の菓子だった。
善治郎は試食し、完全に同じではないものの、十分代用品として成立していると評価する。ただし厚みがあるため、次回はもっと薄く切るよう注文した。
病床で日本食を強く恋しく感じた善治郎は、この世界の材料で再現できる料理や菓子を増やそうと考える。しかし乳製品がほとんど存在しないこと、自分自身に高度な料理技術がないことを再確認し、厨房へレシピを伝える形が現実的だと結論づけた。
武術の提案
その夜、善治郎はアウラへ、健康維持のため運動できる場所を後宮内に用意したいと相談した。
するとアウラは、単なる運動ではなく、カープァ王国の武人が修める『十術』を学んではどうかと提案する。走術、槍術、弓術など十種の武芸体系について説明したアウラだったが、善治郎はそれを断った。
善治郎は、男の武術師範と師弟関係を築けば、そこから政治的な接触や派閥的なしがらみが生まれる危険を懸念していたのである。
その慎重な考えに理解を示したアウラは、自分自身が武術を教える役を引き受けてもよいと申し出た。アウラ自身、基本三術に加え騎竜術や剣術を修めていたのである。善治郎はそれに素直な興味を示した。
アウラの食欲異変
二人は一緒にバナナチップスを食べながら談笑していたが、アウラは普段以上の勢いで揚げ菓子を食べ続けていた。
善治郎は、油分の摂りすぎを心配して制止する。アウラは魚料理が泥臭く感じて夕食が進まなかったと言い訳するが、善治郎は病み上がりの自分には特に違和感がなかったため、深く追及しなかった。
アウラ自身も、本来なら油っこい料理を好まないはずなのに、なぜか手が止まらなかったことへ戸惑いを見せていた。
ビー玉の価値とガラス製造
話題は、イザベッラ王女へ渡したビー玉と結婚指輪の件へ移る。アウラは、ビー玉一個に金貨五十枚という破格の値が付いたことを説明した。
善治郎は、その価値が下級貴族の家一軒分だと聞いて驚く。しかし元の世界では、ビー玉は子供用の安価なおもちゃであり、一個十円から三十円程度の品だと説明した。
その会話の中で、善治郎はビー玉を「作る」という表現を使う。そこへアウラが強く反応した。
アウラは、ビー玉が天然鉱石ではなく人工物であることに衝撃を受け、その製法を善治郎へ問い詰める。しかし善治郎は、ガラス製造には専門知識が必要で、自分には再現不可能だと答えた。
落胆するアウラを見た善治郎は、持ち込んだDVDの中にガラス製作を扱った番組があることを思い出し、それを一緒に見ようと提案する。するとアウラは即座に食いつき、強い興味を示すのだった。
ガラス製造への挑戦
数分後、善治郎とアウラはソファーに並んで座り、善治郎が録画していたテレビ番組を見始めた。番組では、男性アイドルグループが村作りやものづくりへ挑戦しており、その中からガラス工芸を扱った回が再生された。
善治郎はリモコンで映像を何度も止めながら、番組内の説明を逐一通訳していく。機械越しの音声には『言霊』が働かないため、アウラには善治郎の解説が不可欠だった。
ガラスを溶かすには千三百度以上の高温が必要であり、そのために『耐火煉瓦』で窯を作る必要があると説明すると、アウラは強い関心を示した。特に、鉄が溶ける温度を超える高熱が必要だと知り、南大陸にはそのような炉が存在しないことを語る。北大陸には鋳鉄技術が存在するが、カープァ王国では鉄は鍛造のみで、鋳造は銅や錫に限られていた。
耐火煉瓦の矛盾
しかし番組の説明が進むにつれ、アウラの表情は次第に険しくなっていった。
『耐火煉瓦』を作る際には、砕いた『耐火煉瓦』を粘土へ混ぜる必要があると聞いたアウラは、最初の『耐火煉瓦』をどう作るのかと問い詰める。さらに、『耐火煉瓦』を焼くための窯も『耐火煉瓦』製だと知ると、ますます不機嫌になった。
善治郎は、あくまでこれは娯楽番組であり、専門的な製造解説ではないと説明するしかなかった。アウラにとっては、『耐火煉瓦』を作るために既に『耐火煉瓦』が必要という矛盾した説明にしか見えなかったのである。
それでもアウラは、どこかに突破口があるかもしれないと期待を捨てず、番組を最後まで見ることを選んだ。
夫婦のやり取り
不機嫌になりつつあるアウラを見て、善治郎は軽口を交えながら宥める。アウラも完全に怒っているわけではなく、善治郎の冗談へ律儀に付き合っていた。
時刻はすでに深夜に近く、本来なら夫婦で寝室へ向かう時間だった。七日間も病床で独り寝を続けていた善治郎は、本来なら久々の夫婦の時間を楽しみにしていたが、アウラの熱意を前に諦め半分で受け入れる。
善治郎は肩へ腕を回してアウラを抱き寄せながら、引き続き番組の通訳と解説を続けるのだった。
アウラの体調不良
翌日の昼下がり、アウラは王家付きの医師であるミシェル医師の診察を受けていた。微熱のような気だるさや立ちくらみ、味覚の変化、下腹部の張り、さらに二ヶ月近く『月のもの』が来ていないことなどを伝える。
ミシェル医師は慎重に問診と触診を重ねた後、断定は避けつつも、アウラが懐妊している可能性が極めて高いと告げた。ただし、まだ最も流産しやすい時期であるため、細心の注意が必要だと忠告する。
アウラは満面の笑みを浮かべ、妊娠による味覚変化について質問した。医師は、果物を欲する者もいれば、脂っこい物や甘い物を求める者もおり、人それぞれだと説明する。また、飲酒を厳しく禁じると、アウラは苦笑しつつも素直に従う姿勢を見せた。
善治郎への報告
その夜、アウラから妊娠の可能性を聞かされた善治郎は、驚きのあまりソファーから飛び上がった。まだ確定ではないと説明されても、動揺を隠せず、アウラの腹部を凝視する。
善治郎は父親になる実感を持てず、喜びと不安の入り混じった感情に圧倒されていた。昨日まで平然と抱き寄せていたアウラの身体が、急に壊れ物のように思えてしまい、普段なら隣に座るところを向かいのソファーへ腰掛ける。
さらに、妊娠の可能性がある以上、同じベッドで寝るのも危険ではないかと考え、寝室へ別のベッドを入れて自分はそちらで寝ると提案した。
側室問題への戸惑い
しかしアウラは、妊娠が公になれば、有力貴族たちが善治郎へ側室を押し付けようと動き出すと告げた。本来、王族が正妻以外の女性を迎えるのは珍しいことではない。
善治郎は、その話を露骨に嫌がった。アウラの腹に自分の子供がいる状態で、他の女性へ目を向ける余裕などないと断言する。これは潔癖だからではなく、第三者の都合で望まぬ女性を押し付けられ、せっかく築いた夫婦関係を壊したくないという我が儘なのだと率直に語った。
善治郎は、もしアウラや国へ深刻な不利益が生じるなら受け入れる努力はすると前置きしつつも、本心では強く拒絶していることを隠さなかった。
アウラの葛藤
善治郎の強い拒絶を受け、アウラは自分が無意識に、善治郎へ貴族と同じ価値観を押し付けていたことに気づく。これまで善治郎が我が儘を言わなかったため、それを当然だと思い込んでいた自分を反省した。
一方で、女王としては、側室拒否が国政へ与える影響も無視できない。周囲からは、善治郎ではなくアウラ自身が夫を独占しようとしていると誤解される可能性も高かった。
悩んだ末、アウラは可能な限り善治郎の意思を尊重すると約束する。ただし、国へ看過できない不利益が生じる場合には、その約束を守れないこともあると正直に伝え、頭を下げた。
善治郎はその事情を理解しつつ、深刻になりすぎないようアウラを気遣った。
別室での就寝
その後、二人は今夜から別々の部屋で寝ることを決める。妊娠の可能性がある以上、少しでも危険を避けるためだった。
アウラは、酒や長湯、一人での入浴まで禁じられたことを冗談交じりに不満そうに語るが、善治郎はそれだけアウラと子供が大事なのだと笑って返した。
薄暗い部屋の出入り口で、二人は抱擁を交わし、静かに口づけを重ねる。しばし互いの体温を確かめ合った後、アウラは名残惜しげな笑みを残し、部屋を後にするのだった。
別室へ向かわなかったアウラ
善治郎へ就寝の挨拶を終えたアウラは、自室へ戻るのではなく、王宮の一室へ向かった。そこでは秘書官ファビオが待機しており、善治郎との会話内容について報告を求める。
アウラは、善治郎が側室を受け入れたくないという我が儘を口にしたことを説明した。側室と関係を持つくらいなら、肌を重ねられなくともアウラと同じ寝室にいたいという善治郎の考えに、ファビオは半ば呆れつつも、アウラが深く愛されていることを認めた。
アウラ自身も、善治郎の聞き分けの良さを当然視していたことを反省していた。善治郎は王侯貴族の知識や理解力を持ち、自分たちの価値観にも合わせてくれていたため、つい根本的な価値観まで同じだと思い込んでいたのである。
価値観の違いへの理解
ファビオは、王族や貴族であれば側室の存在を当然と受け止めるべきであり、善治郎がそれを浮気のように捉えている時点で、根本的に感覚が異なると指摘した。
しかしアウラは、善治郎へそこまで求めるのは贅沢だと返す。善治郎はすでに十分すぎるほど理性的で、こちらの立場も理解しているのだから、全てが理想通りでなくとも仕方がないと考えていた。
側室拒否による政治的問題
とはいえ、側室拒否をそのまま通せば、周囲は善治郎の意思ではなく、アウラの嫉妬や独占欲によるものだと受け取る可能性が高かった。男尊女卑の傾向が強いカープァ王国では、「夫を立てない女」という悪評は無視できない打撃となる。
そのためファビオは、もし善治郎の我が儘を通すなら、今後は善治郎自身が社交の場へ出て、自らアウラへの愛情と側室拒否の意思を表明し、矢面に立つ必要があると進言した。
アウラは、結局善治郎へ負担をかけることになる現実に苦い表情を浮かべる。また、すでに王宮中へ懐妊の噂が広まっており、有力貴族たちからの面会申し込みが殺到していることも知らされた。
ナタリオ騎士の面会願い
そんな中、ファビオは宮廷騎士ナタリオ・マルドナドが、善治郎への面会を願い出ていることを報告する。
ナタリオは、以前善治郎が処遇を決めた『竜弓』を授けられた騎士であり、その礼と忠誠を誓うために直接面会したいという名目だった。アウラも、これ自体は自然な申し出として受け止める。
しかしファビオは、問題はナタリオ本人ではなく、その妹ケイトにあると説明した。ケイトは美しく聡明で王家への忠誠も厚い娘であり、しかも現在善治郎のいる後宮に侍女として勤めていたのである。
善治郎は後宮の侍女たちへ気さくに接しているため、兄が授かった『竜弓』への礼をきっかけに、ケイトが善治郎へ接近する可能性が高いとファビオは警戒していた。
さらにナタリオ自身も、『竜弓騎兵団』への転属が決まっており、これはプジョル将軍が彼を自派へ取り込もうとしている証でもあった。
プジョル将軍の思惑
アウラは、王家への忠誠が厚い騎士ナタリオと、その妹ケイトを利用し、善治郎との縁を作ろうとするプジョル将軍の狙いを理解する。
しかも、プジョル将軍は依然としてアウラへ面会を求めており、妹を側室に送り込む構想も捨てていないとファビオは分析した。
アウラは、再び動き始めた『餓狼』プジョル将軍の野心に頭を抱え、溜息を漏らすのだった。
第四章 双王国からの密文
アウラ懐妊の確定
一ヶ月後、アウラの妊娠は確定的となった。腹はまだ目立たなかったが、妊娠初期の症状が明確に現れ、月のものも三ヶ月以上来ていなかったため、ミシェル医師は懐妊と断言した。
女王懐妊の報せにより、王宮は大きく動き始めた。祝いの品を持って面会を求める者、善治郎への側室候補をそれとなく売り込む者、次代の王の乳母候補を探す有力貴族たちが現れ、善治郎も落ち着かない日々を過ごしていた。
善治郎の後悔
善治郎は後宮の一室で、パソコン内のデータを何度も確認していた。しかし、妊娠中のアウラを助けるための情報はほとんど見つからず、自分の準備不足を悔やんでいた。
善治郎は、哺乳瓶や粉ミルク、育児書など、生まれた後の準備はしていた。しかし、妊娠中の妻を支えるための知識や資料をほとんど持ち込んでいなかったのである。
そのため善治郎は、無意識のうちに妊娠や出産を他人事として捉えていたのだと自省した。
出産への不安
現代日本では出産時の母体死亡率は極めて低いが、カープァ王国では一般市民が出産で命を落とすことも珍しくなかった。
アウラの周囲には王国最高の医療団が付き、本人も健康で体力があるため、ミシェル医師はまず問題ないと保証していた。それでも善治郎は、最悪の可能性を考えずにはいられなかった。
善治郎は、ジルベール法王家の治癒魔法使いを常駐させられれば安心だと考える。しかし、妊娠期間中ずっと法王家の人間を雇うことは現実的ではなかった。
時空魔法習得への焦り
善治郎は、アウラ以外に瞬間移動を使える者がいれば、緊急時にジルベール法王家の治癒術士を呼べると考えた。
本来なら、それは時空魔法の素養を持つ自分の役割だった。しかし、魔法習得には平均三年ほどかかり、出産までに善治郎が瞬間移動を使えるようになる可能性はほとんどなかった。
それでも善治郎は、今後の出産が今回だけとは限らない以上、魔法の修練を怠る理由にはならないと考え直した。
後宮の外へ出る覚悟
善治郎は、魔法の練習時間を増やす方法を考えた。しかし、アウラの妊娠中にオクタビアと会う時間を増やせば、周囲から邪推される危険があった。
そこで善治郎は、噂になりにくい老女の教師を紹介してもらうか、最悪の場合は後宮の外へ出て男の教師につくことも検討し始めた。
さらに善治郎は、アウラが安定期に入るまでは、難しい判断を伴わない公的行事を自分が代理で引き受けるべきかもしれないと考える。
アウラと子供の命を守るためならば、これまで避けてきた面倒事や後宮外での役割も引き受けるべきだと、善治郎は真剣に考え始めていた。
アウラのつわりと苦悩
同じ頃、王宮ではアウラがつわりによる激しい吐き気に苦しめられていた。
戦場で培った忍耐力を持つアウラでさえ、連続的に襲う吐き気には耐え難い苦痛を感じていた。体調悪化によって攻撃性が増していることも自覚しており、病床時の善治郎の心境を理解するようになっていた。
ファビオ秘書官は普段通り淡々と接し、アウラもその忠誠心に甘えながら業務を続けていた。
双王国から届いた書状
体調を落ち着かせたアウラは、シャロワ・ジルベール双王国から届いた書状に目を通した。
書状には、イザベッラ王女を瞬間移動で送り届けたことへの礼と、善治郎の指輪を魔道具化する了承が記されていた。しかし、その中には世間話を装った危険な「噂話」が紛れ込んでいた。
それは、百五十年前に公式記録から抹消されたシャロワ王家の王女に関する話であり、善治郎の血筋へ直結する内容だった。
善治郎の失言と危機の発覚
アウラは、善治郎が以前イザベッラ王女の前で、自分は百五十年前に異世界へ逃れたカープァ王家の子孫だと語ってしまったことを明かした。
ファビオ秘書官は、それによって「噂」の信憑性が極めて高くなったと判断した。アウラも、召喚条件から考えて善治郎がカープァ王家の血を引いていることは間違いないと認める。
さらに問題だったのは、善治郎がシャロワ王家の血も引いている可能性だった。もしその血統が子へ受け継がれれば、双王国の秘匿技術である『付与魔法』が国外へ流出する危険が生じる。
双王国の警戒
アウラは、自分との子供であれば濃いカープァ王家の血によって『付与魔法』の発現は抑え込まれるだろうと考えていた。
しかし、善治郎が他の女性との間に子を作れば話は別である。側室の子供に『付与魔法』が発現する可能性は十分に存在していた。
そのため、双王国が最も警戒しているのは、善治郎が側室を迎えて血統を広げることだと、アウラとファビオ秘書官は結論づけた。
戦争の火種
アウラは、善治郎に側室を迎えさせない方針を示すことで双王国をなだめるしかないと考えた。
しかし、たとえ公的に側室を持たなくとも、密かに子を作る可能性までは否定できないため、双王国が完全に安心することはないだろうとも理解していた。
『付与魔法』の流出は、双王国の国防と財政を揺るがしかねない重大問題であり、最悪の場合、大戦へ発展する可能性すらあった。
アウラの決意
ファビオ秘書官は、今のタイミングで問題が発覚したのは不幸中の幸いだと語った。もしアウラの妊娠前や、善治郎がすでに側室を迎えた後であれば、双王国はさらに強硬な態度に出ていた可能性が高かった。
アウラもそれに同意し、今後は善治郎本人にも事情を隠さず相談する必要があると決断した。
夫婦の問題として向き合うしかないと考えたアウラは、いつの間にかつわりの苦しみも忘れるほど、この問題へ意識を集中させていた。
シャロワ王家の血筋問題
その夜、アウラは善治郎へ、双王国から届いた書状の内容と、それによって判明した危険な事実を説明した。
百五十年前に異世界へ駆け落ちしたカープァ王家の王子の相手は、シャロワ王家の王女だった可能性が高く、その子孫である善治郎は、カープァ王家だけでなくシャロワ王家の血も引いていると推測されたのである。
そのため、善治郎自身ではなく、その子供に『付与魔法』の適性が現れる可能性があること、そして双王国を刺激しないため、今後しばらく善治郎に公的な側室を迎えさせることができなくなった事情が語られた。
善治郎の不安
出生の秘密を聞かされた善治郎は、自分の存在がカープァ王国へ不利益をもたらすのではないかと率直に問いかけた。
しかしアウラは、現在の王国にとって善治郎を失う方が遥かに危険だと断言し、その不安を否定した。
さらに、この事実を知るのは両国王家のみであり、表沙汰になったとしても、カープァ王家の血を引く善治郎を国内貴族が短絡的に排除する可能性は低いと説明する。
ただし、真に警戒すべき相手は、善治郎を『邪魔者』とみなす可能性のあるシャロワ王家だと、アウラは内心で理解していた。
側室拒否の表向きの理由
アウラは、善治郎がシャロワ王家の血を引く事実は極秘事項であるため、それを理由に側室を断ることはできないと説明した。
そのため、表向きには善治郎自身の「我が儘」で側室を拒否する形を取る必要があるという。
具体的には、善治郎が以前口にした、アウラとの二人の時間を邪魔されたくない、子供とアウラのことで頭がいっぱいだ、という感情論をそのまま利用する方針だった。
それにより善治郎は、政治的判断を誤り、一人の女に溺れた愚者という悪評を背負うことになるとアウラは謝罪した。
善治郎の受容と愛情
善治郎は、アウラの隣へ移動すると、彼女の手を取りながら、その悪評を受け入れる意思を示した。
むしろ変に神輿として担ぎ上げられるより都合が良く、さらに噂の内容も事実そのものだと照れながら告白する。
アウラは、顔を真っ赤にする善治郎をからかいながらも、その献身的な言葉へ深い喜びを覚えていた。
一方で、女王自身が色恋沙汰の悪名を背負うことは、政治的に極めて危険であるとも語った。
善治郎の決意
その後、善治郎は自分からも提案を切り出した。
妊娠によって負担が増大しているアウラを支えるため、自分も後宮の外へ出て、公的行事などを代行したいと申し出たのである。
アウラは、その行動によって野心家の貴族だけでなく、自分に忠誠を誓う腹心達からも警戒されると説明した。
しかし善治郎は、アウラの健康を優先したいと考えており、必要なら再び後宮へ引きこもる意思もあると柔らかく答えた。
アウラの決断
アウラは、妊娠によって女王と母を同時にこなす困難さを痛感していた。
元帥や宰相を置けば負担は減るが、その分だけ自らの権限も弱まる。そう考えた結果、能力面では未熟でも、人格的に信頼できる善治郎の存在は大きいと判断する。
最終的にアウラは、善治郎の申し出を受け入れ、今後は彼にも後宮外での役割を担わせることを決断した。
さらに、善治郎が後宮外へ出る際には、自身の腹心であるファビオ秘書官を同行させる方針も決めた。
夫婦の夜
話し合いを終えた後、アウラは最近つわりで夜中に目を覚ますことが多く、早めに休む必要があると語った。
善治郎も、アウラの安全のため夜番の侍女達が待機している現状では、リビングに残っても落ち着かないとして、一緒に寝室へ向かうことを選ぶ。
寝室には別々のベッドが置かれていたが、二人は腕を絡め合いながら、名残を惜しむようにゆっくりと部屋へ入っていった。
第五章 外へと踏み出す一歩
ナタリオへの忠誠儀式
数日後、善治郎は王宮の奥まった一室で、若い騎士ナタリオ・マルドナドへ忠誠の儀式を執り行っていた。
善治郎は跪くナタリオへ、直衛騎士への任命を宣言し、その武勇と忠誠へ期待を示した。
ナタリオは、焦げ茶色の髪と灰色の瞳を持つ典型的なカープァ王国人の青年であり、実直そうな雰囲気を漂わせながら、緊張した面持ちで善治郎の前へ膝をついていた。
善治郎はナタリオから預かった片手剣を抜き、その剣の腹で両肩を叩いて忠誠の儀式を終える。
ナタリオは、主命に背かず、道義に反せず、命を賭して善治郎へ忠誠を尽くすと誓い、その場は滞りなく終了した。
善治郎とファビオ秘書官
儀式を終えた善治郎は、小さく安堵の息を漏らした。
しかし後ろに控えていたファビオ秘書官から声を掛けられると、反射的に身体を震わせる。
善治郎は、ファビオが表向きは自分の部下でありながら、実際には自分を監視対象として扱っていると感じていた。
特に「ご苦労様です」という言葉へ、一瞬日本的感覚で反発を覚えるものの、ここが異世界であり、価値観も異なることを思い出して冷静さを取り戻す。
その後、善治郎は、儀式の内容に問題がなかったか確認し、ファビオから、今後ナタリオは竜弓騎兵団所属であると同時に、善治郎直属の騎士となることを説明された。
さらに、王族直属騎士には年間大型銀貨二十枚の俸禄が支払われること、その実際の支払いはアウラによるものだが、形式上は善治郎が与えていることになっていると教えられる。
忠誠と金銭の現実
善治郎が驚きを見せると、ファビオは騎士の忠誠は金銭で買うものだと言い切った。
もちろん忠誠を高めるのは主君の言葉や行動であるが、その基盤となるのは金銭であり、それなしでは忠誠は成り立たないと冷徹に説明する。
その即物的な考え方に、善治郎は夢のない話だと思いながらも納得していた。
領地と爵位の提案
やがてファビオ秘書官は、善治郎へ領地や爵位を持つつもりはないのかと問いかけた。
カープァ王国には飛び地の王家直轄領が存在し、本来王族である善治郎にも継承権があるという。
さらに今後後宮外で活動するのであれば、肩書きや独自の資金源、直属騎士を維持するための財源が必要になると説明した。
しかし善治郎は、その提案に強い違和感を覚える。
もし善治郎が独自の領地と財源を得れば、それは女王アウラの統制から離れることを意味するからである。
善治郎は、この提案が本心からの助言というより、自分の反応を見るための牽制だと察していた。
善治郎の拒絶
善治郎は、ファビオの視線を感じながらも、慎重に結論を口にする。
財政と権限の一本化こそが王家の健全化に必要不可欠であり、自分に独自の領地や権限は不要だと断言した。
しかしファビオは、それでは後宮外で活動する際に出来ることが限られるのではないかと、さらに問いを重ねる。
その挑発的な言葉に、善治郎はつい感情を露わにした。
自分とアウラの間で決めるべき問題であり、ファビオが女王を飛び越えて提言する立場ではないと、苛立ちを込めて言い返したのである。
言い過ぎたと即座に後悔した善治郎だったが、意外にもファビオ秘書官はその返答へ満足した様子を見せた。
ほんのわずかに口元へ笑みを浮かべたファビオは、深々と頭を下げ、非礼を詫びるのだった。
ファビオ秘書官の帰還
数時間後、ナタリオの忠誠儀式から戻ったファビオ秘書官は、執務室のアウラへ報告に訪れた。
アウラは第二秘書アレハンドロを下がらせた後、まず彼の仕事ぶりについて尋ねた。アレハンドロは言動に可愛げがあるものの、まだアウラの意図へ即応できるほどではなく、今は代役が精一杯だと評価された。
その後、アウラはファビオへ善治郎とのやり取りについて報告を求めた。
善治郎への評価
ファビオは、善治郎が公的な場で表情や言動を取り繕うことに慣れており、礼儀作法も及第点だったと評価した。
細かな指摘点は多いものの、後宮外へ出しても礼儀の不足から致命的な問題を起こす可能性は低いと判断したのである。
さらにファビオは、善治郎へ王家の領地や爵位の譲渡をそそのかしてみたが、一蹴されたと報告した。
領地と爵位の検討
アウラは、ファビオの挑発的な試し方に呆れつつも、善治郎の今後の活動を考えれば爵位や肩書きには検討の余地があると考えた。
しかし、王国最大の港街ワレンティア公爵位と、王国随一の銀山を持つポトシ伯爵位については、自分が王位にある限り誰にも譲らないと断言した。
これらは王権を支える重要財源であり、夫である善治郎にさえ渡すべきではないと判断したのである。
一方で、アウラが妊娠中で瞬間移動による現地視察が難しいことから、善治郎が時空魔法を使えるようになれば、爵位継承ではなく監督官として働いてもらう可能性には触れた。
双王国との秘密交渉
話題は、シャロワ・ジルベール双王国との外交問題へ移った。
アウラは、双王国側がアウラと善治郎の子については制限するつもりがなさそうだと説明した。
しかし、善治郎がアウラ以外の女性と子をなす場合には、確実に介入してくるだろうとも判断していた。
双王国側は、善治郎にシャロワ王家傍系の姫を添わせ、その間に生まれた子を双王国側へ引き取る案まで匂わせていた。
つまり双王国は、カープァ王国に『付与魔法』の血を残させないことより、自国へ『時空魔法』の血を引き込むことを主目的にしているようだった。
血統魔法を巡る長期戦
アウラは、善治郎が本当にシャロワ王家の血を引いているか確定していない以上、双王国の要求をそのまま呑めば、時空魔法の血統を奪われるだけになると警戒していた。
一方で、血統魔法は国の根幹に関わるため、互いに簡単には譲れない。アウラとファビオは、この問題が長期戦になる可能性を認めた。
特に、この件が外部に漏れれば危険だった。プジョル将軍のような野心家が知れば、善治郎に側室を押し付け、積極的に『付与魔法』の血を取り込もうと動くことが予想された。
アウラは慎重に進める必要を痛感し、無意識に自分の腹を撫でながら、長期的な外交戦への覚悟を固めていた。
第六章 交渉という名の鍔迫り合い
双王国との五度目の会談
数ヶ月後、アウラは再びシャロワ・ジルベール双王国の使者と秘密会談を行っていた。
妊娠が進み腹部の膨らみが目立ち始めたアウラは、ゆったりしたドレス姿で会談に臨み、善治郎との婚姻を祝福した言葉を今後も翻すつもりがないのか問い質した。
双王国の使者は、善治郎がカープァ王家の一員である以上、その身の振り方へ干渉するつもりはないと認めつつも、『付与魔法』の血統流出問題について理解を求めた。
アウラは、善治郎が自分以外の女と子をなさないと言っている以上、それで十分ではないかと譲歩案を示した。
しかし使者は、王族の婚姻には予測不能な事情が生じるため、将来善治郎が側室を持ち、その子が『付与魔法』に目覚めた場合を問題視した。
アウラによる切り返し
使者の執拗な追及に対し、アウラは逆に、双王国側の分家王族へ善治郎の素性が漏れ、向こうが先走った場合はどうするのかと問い返した。
この反撃によって使者は言葉に詰まり、最終的には本国へ持ち帰るしかなかった。
アウラは、双王国との問題が簡単には決着しないことを理解しつつも、少なくとも自分と善治郎の子への干渉を抑え込むことには成功していた。
善治郎の名代出席
同じ頃、善治郎はアウラの代理として王宮の式典へ出席していた。
善治郎が座る副座は、玉座とほぼ同格の装飾を施された椅子であり、女王とその伴侶という前例のない立場の難しさを象徴していた。
善治郎は、身重の身体で王務を担うアウラの苦労を思い、人形のように大人しく振る舞いながら式典をやり過ごそうとしていた。
司会の失言と善治郎の叱責
しかし司会の若い文官が、「カープァ王家を代表してゼンジロウ様がお越しくださっております」と発言したことで事態は一変する。
善治郎は即座に立ち上がり、「自分は王家を代表しているのではなく、アウラ陛下の代理としてここにいる」と厳しく訂正させた。
これは、善治郎がアウラを通さず独自に王族権限を行使したという前例を絶対に作らせないためだった。
善治郎は、自分が想像以上に早く「王族」として周囲から認識され始めている現実へ、強い危機感を抱いていた。
立食会での演技
式典後の立食会では、善治郎は積極的に貴族へ声をかけて回った。
その際、どの場面でも自分は「アウラ陛下の命令によってここにいる」ことを繰り返し強調した。
さらに、後宮の外へ出る理由についても、アウラがいない後宮は寂しいからだと語り、自分が完全にアウラへ惚れ込んでいる男であるかのように振る舞った。
善治郎は、自らを「色ボケした駄目男」として周囲へ印象づけることで、王権争いへ関与する意思がないことを示そうとしていたのである。
双王国との会談を終えた帰還
双王国の使者との会談を終えたアウラは、夕暮れ時に後宮へ戻ったが、そこにはまだ善治郎の姿はなかった。
妊娠が進み腹部が目立ち始めていたアウラは、身体を締め付けない服へ着替え、腹を冷やさぬようバスタオルを掛けてソファーに身を沈める。
侍女へ飲み物と軽食を命じた後、アウラは最近善治郎が侍女の存在に慣れてきたことを思い返していた。
以前は他人を生活空間へ入れることを嫌っていた善治郎だったが、妊娠したアウラを気遣い、今では侍女が常に近くへ控えることを受け入れていたのである。
式典帰りの善治郎
やがてノックもなく扉が開き、式典から戻った善治郎が姿を現した。
王族男性の正装を着こなした善治郎は、以前よりも公的な装いが板についてきており、アウラも自然に笑みを浮かべて迎える。
善治郎は汗を滲ませながらソファーへ腰を下ろし、アウラの体調を気遣った。
アウラは、つわりも治まり順調だと答えた後、今度は善治郎の方へ問題がなかったか問い返した。
式典で起きた違和感
すると善治郎は、式典で自分が紹介された際、「アウラ陛下の代理として」ではなく、「王家を代表して」と呼ばれたことを打ち明ける。
善治郎はその場で即座に訂正させたが、アウラもその問題性を理解し、表情を曇らせた。
女王の代理として男の王族が表へ出る機会が増えれば、男尊女卑の価値観を持つ貴族たちが、次第に善治郎を中心とした権力構造を意識し始める可能性があったのである。
夫婦の認識の違い
アウラは、もし司会の言葉が故意ならば、自分たち夫婦を離間させる政治工作だと考えた。
一方善治郎は、逆に「無意識」でその言葉が出たことの方が危険だと語る。
王宮の人間たちが自然と善治郎を「独立した王族」と認識し始めているのなら、やがて王宮内部に「女王派」と「王配派」のような対立構造が生まれる恐れがあるからだった。
さらに、アウラが妊娠・出産へ専念し、男である善治郎が政務を担う方が効率的だという論理には、現実的な説得力も存在していた。
善治郎による自己犠牲の提案
その危険を避けるため、善治郎は自分が権限や財源を求めない人物として振る舞うべきだと提案した。
自ら進んで「面倒事を嫌う怠け者」という評判を引き受けることで、アウラの権力基盤を守ろうとしたのである。
アウラは、その有効性を理解しながらも、夫へ悪評を押し付ける形になることへ複雑な感情を抱いていた。
しかし、ファビオ秘書官も同じ意見だったと聞かされ、最終的には善治郎の案を受け入れる。
ファビオ秘書官への共通認識
話題はやがてファビオ秘書官へ移り、アウラは善治郎が彼と上手くやれていることへ安堵を見せた。
善治郎は、「上手く」はやっているが、「仲良く」はしていないと苦笑混じりに答える。
アウラもまた、ファビオの歯に衣着せぬ物言いには日頃から思うところがあったらしく、家庭でも職場でもあの男がいたら気が休まらないと吐き捨てる。
それでもアウラは、王族へ不快な真実を善意から伝えられる存在は貴重であり、善治郎にも可能な限り上手く付き合って欲しいと頼んだ。
善治郎も苦笑しながら、その頼みを受け入れるのだった。
第七章 密約締結
雨期の後宮と密約文書
一月後、善治郎は後宮のリビングルームでパソコンへ向かい、アウラが読み上げる密約文書の内容を打ち込んでいた。
季節は雨期へ移り変わっており、外では弱い台風のような豪雨が降り続いていた。窓を閉め切った室内は昼間にもかかわらず薄暗く、六つのLEDスタンドライトだけが部屋を照らしていた。
赤いマタニティドレス姿のアウラは、ソファーへゆったりと腰掛けながら、双王国との密約文を読み上げていく。
善治郎はキーボードを叩きながら文章を入力し、その後、自分で読み上げて内容確認を行った。
密約の内容
密約では、善治郎が今後アウラ以外と子をなさないこと、双王国はアウラの直系へ干渉しないことなどが定められていた。
一方で、もし善治郎が他の女性との間に子をなした場合には、その子供の血統魔法適性を双王国が調査できることや、『付与魔法』の素養があった場合は双王国へ留学させることなど、細かな条件も付け加えられていた。
さらに、双王国が亡命を強要した場合はカープァ王国が送還できることや、留学後に本人が自発的に亡命を望んだ場合はそれを止められないことなども定められていた。
善治郎は、条文の大半が「アウラ以外との間に生まれた『付与魔法』持ちの子供」の扱いについて割かれていることから、双王国側もこの密約が完全には守られない前提で動いていると感じていた。
善治郎が感じた違和感
善治郎は、現代日本の契約文書と比較すると、この密約がかなり大ざっぱに感じられた。
将来的な解釈違いや抜け道を防ぐための詳細な条文が存在せず、曖昧な余地が多く残されていたのである。
しかし善治郎は、アウラや双王国の中枢がその欠陥に気づいていないはずがないと考え、あえて解釈の余地を残しているのだろうと推測した。
実際には、この世界そのものに「将来起こり得る全てのケースを先回りして契約で縛る」という文化が薄かったのだが、善治郎はそこまでは理解していなかった。
契約内容への細かな追及
善治郎はプリンタで日本語版の密約文を印刷すると、アウラの隣へ腰を下ろした。
腹の大きくなったアウラが無理に身体を動かさなくて済むよう、善治郎は竜皮紙とコピー用紙を顔の前へ差し出しながら、自分の疑問点を指摘していく。
特に、複数の条文が将来的に矛盾した場合の解釈について善治郎は細かく食い下がった。
アウラは最初こそ当然のように説明していたが、善治郎から「明記されていない以上、強弁できる余地がある」と指摘されると、次第に真剣な表情で考え込むようになる。
こうして二人は、侍女が夕食の時間を告げに来るまで、額を突き合わせながら密約文書の内容を詰め続けるのだった。
双王国使者との会談前
翌日の昼下がり、善治郎はアウラと並んで王宮の廊下を歩いていた。表向きは身重の妻を支えるために手をつないでいたが、実際には善治郎自身が極度の緊張を抑えるため、その感触に頼っていた。
二人の前後には八人の兵士が護衛として付き従っていた。儀礼用に見える装備ではあったが、実際には十分に殺傷能力を備えた武具であり、善治郎はその存在に気圧されていた。
やがて二人は、双王国の外交官が待つ部屋の前へ到着する。善治郎は深呼吸を堪えながら兵士へ扉を開けさせ、使者との会談へ臨んだ。
外交官との対面
部屋で待っていたのは、双王国の外交官モレノ・ミリテッロだった。
善治郎は自らを「カープァ王国国王アウラ陛下の夫」と名乗り、一人の王族ではなく、あくまでアウラの伴侶としての立場を強調した。
アウラは時間が限られていることを理由に、すぐ本題へ入るよう促した。外交官はまず表向きの用件として、魔道具化された結婚指輪を差し出す。
アウラの指輪には『発火』、善治郎の指輪には『水作製』の魔法が付与されており、いずれも双王国王族の高位の『付与魔法』使いによる品だった。善治郎は、指輪から淡く立ち上る魔力を初めて目にし、魔道具として完成していることを実感する。
密約文書の読み上げ
続いて外交官は、本当の用件である密約文書を提示した。
善治郎が現地文字を読めないため、外交官は条文を一つずつ読み上げていく。内容は以前整理していたものと概ね同じであり、善治郎がアウラ以外と子をなさないこと、双王国がアウラの直系へ干渉しないことなどが改めて確認された。
しかし最後に、外交官はわずかに表情を硬くしながら、追加条項を読み上げる。
それは、将来的に第二条と第三条が矛盾した場合、第二条を優先するという内容だった。
これは前夜、善治郎が密約文書の抜け穴として指摘していた問題であり、アウラはその提言を受け、即座に双王国との事前交渉で条項追加を実現させていたのである。
善治郎は改めて、アウラの政治的手腕と行動力に感嘆していた。
調印完了と帰還
密約文書への署名は無事終了し、善治郎とアウラは夕刻過ぎに後宮へ戻った。
二人はすぐ正装を脱ぎ、くつろげる部屋着へ着替える。身重のアウラは侍女たちに着替えを手伝わせ、疲れ切った様子でソファーへ身を沈めた。
善治郎はアウラへ温かいココアを、自分には甘酸っぱい紅茶を用意する。侍女たちが退出した後、善治郎は今回の密約問題がひとまず落ち着いたのかを確認した。
その後、善治郎はポケットに入れていた結婚指輪を思い出し、アウラへ左手を差し出すよう求める。
しかし妊娠によるむくみで薬指には指輪が入らず、アウラは小指にはめるよう頼んだ。
誓いの言葉と再び交わされた指輪
善治郎は照れながらも、初夜に指輪を贈った際と同じ誓いの言葉を口にする。
健やかなる時も病める時も、喜びも悲しみも共にし、この命ある限り真心を尽くすと誓い、その証として指輪を贈るという言葉だった。
アウラは満足そうにその言葉を受け入れ、自らも善治郎へ立つよう求める。
そして今度はアウラ自身が、善治郎の左手薬指へ指輪をはめ、同じ誓いの言葉を返した。
初夜の時には返さなかった誓いだった。あの頃のアウラは、王としての立場を優先し、必要なら善治郎を切り捨てる覚悟を持っていた。
しかし今のアウラには、それが不可能だと理解していた。善治郎が今のままでいる限り、自分はこの男を見捨てられないと悟ったのである。
互いに指輪を交換した二人は、静かに唇を重ねる。
善治郎にとっては二度目、アウラにとっては初めての「誓いの口づけ」は、長い時間続けられるのだった。
エピローグ 王子誕生
女王アウラの出産当日
雨期を過ぎた南大陸西部は、一年でもっとも過酷な酷暑の季節を迎えていた。昼は四十度を超え、夜でも三十五度を下回らない熱気の中、善治郎は後宮のリビングルームを汗だくで歩き回っていた。
隣の寝室では、アウラが出産の最中だった。善治郎は気が休まらず、侍女から冷たいタオルや水を渡されても落ち着きを取り戻せなかった。
寝室では氷扇風機が全開で使われていた。寝室内に氷を置き、扇風機で風を当てて室温を少しでも下げようとしていたのである。それでも室温は三十度台であり、善治郎は次の出産までにはエアコンを設置したいと考えていた。
さらに善治郎は、自分が『瞬間移動』を使えれば、ジルベール法王家の治癒術士を即座に呼べたはずだと悔やみ、自らの未熟さを痛感していた。
産声と安堵
長い緊張の末、ついに寝室から元気な産声が響き渡った。
女王アウラは無事第一子を出産し、善治郎はミシェル医師の許可を得て寝室へ入る。
ベッドに横たわるアウラは、疲労困憊しながらも幸福そうな笑みを浮かべていた。侍女に抱かれていた赤子は男児であり、アウラはそれを自分たちの子だと誇らしげに告げる。
善治郎は恐る恐る我が子を見つめた。見た目にはまだ猿のようにしか見えないが、魔力視認能力に目覚めた善治郎には、その赤子がアウラを上回るほど膨大な魔力を持つことが理解できていた。
初めて我が子を抱く善治郎
善治郎は赤子の小さな手に触れ、その指を握られた瞬間、強い感動を覚える。
さらに侍女の勧めで、生まれたばかりの我が子を自らの腕で抱き上げた。頼りないほど小さく柔らかな身体から、確かな生命の温もりが伝わってくる。
ミシェル医師は、母子ともに無事であることを改めて告げ、疲弊したアウラへ安静を命じた。
善治郎は深く頭を下げ、アウラと子供を守り抜いた医師へ心からの感謝を伝えた。
親となった二人の実感
侍女たちに支えられ、アウラはベッドの上で上半身を起こした。
善治郎は椅子に腰掛け、我が子を抱いたままアウラと語り合う。
アウラは、当初は王としての義務感から始まった妊娠と出産だったが、実際に我が子を見た今は、そんな理屈が吹き飛んだと打ち明けた。
善治郎もまた、この子が想像以上に愛おしい存在であることを実感していた。
二人は、王族が乳母へ育児を任せる理由を心底理解したと語る。自分たちで育てれば、甘やかし過ぎてしまうと感じていたのである。
子供の名前を考える二人
その後、二人は子供の名前について話し合った。
異なる国の出身同士が結婚した場合、双方の文化に基づく名前を一つずつ与える風習があるとアウラは説明する。
善治郎は、自分も名前を考えると答え、我が子に相応しい名を付けようと決意した。
しかし会話を続けるアウラは、出産による疲労で徐々に息が荒くなっていく。
善治郎は心配し、もう休むよう促すが、アウラは少しでも長く我が子を見ていたいと願った。
結局、二人はミシェル医師から止められるまで、生まれたばかりの我が子を飽きることなく見つめ続けるのだった。
付録 主と侍女の間接交流
後宮付き調理責任者ヴァネッサ
ヴァネッサは、カープァ王国の後宮に勤める中年の侍女であり、『後宮付き調理責任者』を務めていた。
正式な宮廷料理人は王宮所属の男達であったが、後宮内の簡単な調理はヴァネッサ達が担当していた。後宮の厨房設備は王宮に匹敵するほど充実しており、ヴァネッサ自身の料理の腕前も高かった。
しかし、男社会であるカープァ王国では、女であるヴァネッサが正式な宮廷料理人になることはできなかった。それでも彼女は事実上の料理長として、厨房を取り仕切っていた。
問題児三人組との菓子作り
ある日、ヴァネッサは若い侍女三人――フェー、ドロレス、レテを率いて菓子作りを始めた。
若い侍女達は各部署を順番に回される制度になっており、この日は厨房担当だった。しかし三人は通称『問題児三人組』と呼ばれる騒がしい侍女達であった。
ヴァネッサは、フェーにはかまど管理、ドロレスには小麦粉のふるい、レテにはメレンゲ作りを担当させる。
特にメレンゲ作りは重労働であり、レテは顔を真っ赤にしながら必死に卵白を泡立て続けていた。
異世界で再現されたカステラ
彼女達が作っていたのは、善治郎が持ち込んだレシピを元に再現された『カステラ』だった。
カープァ王国には乳製品文化が存在せず、多くの洋菓子は再現不可能だった。しかしカステラは乳製品を使わないため、この世界でも作ることが可能だった。
ただし、完全な再現ではなく、植物油やブランデー、天然重曹などを使い、この世界向けに独自改良が施されていた。
ヴァネッサは試行錯誤を重ね、原作とは別物ながらも極めて美味なカステラを完成させていたのである。
侍女達の食欲と欲望
焼き上がったカステラの甘い香りが厨房に広がると、問題児三人組は目を輝かせた。
ヴァネッサは出来の良い部分だけを銀盆へ取り分け、善治郎とアウラへ献上する準備を進める。
しかし三人は、自分達が食べる分を少しでも増やそうと、それぞれ理由を付けて献上用カステラの欠点を指摘し始めた。
レテは形が悪いと言い、ドロレスは小麦粉のダマを指摘し、フェーは切り方が斜めだと騒ぎ立てる。だが実際には、いずれも自分達が食べたい一番美味しい部分を狙っていた。
ヴァネッサの鉄拳制裁
三人の魂胆を見抜いたヴァネッサは、無言で拳を握り締める。
そして次の瞬間、問題児三人組の頭へ容赦なく拳骨を落とした。
こうして厨房には、三人の悲鳴とヴァネッサの怒声が響き渡るのだった。
善治郎への報告と侍女達の休憩
フェー、ドロレス、レテの三人は、善治郎へカステラを届け終えると、厨房へ戻ってきた。
善治郎はカステラを美味しいと喜び、ヴァネッサへの感謝の言葉まで口にしていた。三人はすでに先ほどの拳骨の痛みを忘れており、元気いっぱいに報告を行う。
ヴァネッサはそんな三人を笑顔で迎え、自らお茶を淹れて休憩を許可した。
和気藹々とした厨房の空気
問題児三人組は、残されたカステラの中から自分用の一切れを真剣に選び始めた。
他部署の侍女達へも分ける必要があるため、一人一切れしか選べない。そのため三人は、最良の一切れを巡って全力で吟味していた。
ヴァネッサは木製のカップに入れたお茶を配り、侍女達は和気藹々とした空気の中で菓子と茶を楽しむ。
レテは大量の砂糖をお茶へ入れ、ドロレスとフェーはそれをからかいながら口喧嘩を始めるが、レテはお菓子を静かに味わいたいと不満を漏らした。
ヴァネッサはそんな賑やかなやり取りを苦笑混じりに見守っていた。
新しい異世界菓子のレシピ
ヴァネッサは、ドロレスが持ってきた紙について尋ねる。
それは善治郎が翻訳して渡した、新しい菓子のレシピだった。善治郎は異世界のレシピを少しずつ翻訳し、厨房の侍女達へ提供していたのである。
異世界菓子に強い興味を持つレテは、新作への期待で顔を輝かせる。
フェーはレテ任せにしようとするが、ドロレスは皆で協力すると言い返し、再び小競り合いが始まった。
配置換えと焦る三人
ヴァネッサは、新レシピへいつ挑戦するのかを三人へ問いかけた。
三人は善治郎とアウラが不在になる三日後を予定日に挙げる。しかしヴァネッサは、その日は自分が王宮の夜会料理へ応援に行く予定だと告げた。
善治郎が、自分の食の好みを最も理解しているのは後宮の厨房侍女達だと語ったため、王宮側からヴァネッサへ助力要請が来ていたのである。
三人は動揺し、七日後への延期を提案する。しかしその時には厨房担当の配置換えが終わっており、新レシピへの挑戦権は別の侍女達へ移ってしまうことに気付いた。
冷蔵庫使用権を巡る決意
ヴァネッサはさらに、最初に新レシピを完成させたチームには、一ヶ月間の冷蔵庫私的使用権を与えるつもりだったと語る。
善治郎の持ち込んだ大型冷蔵庫は、暑いカープァ王国の侍女達にとって極めて魅力的な存在だった。
冷水や氷を自由に使える権利に強く惹かれたフェー、ドロレス、レテの三人は、互いに視線を交わした後、三日後に自分達だけで新レシピを完成させると力強く宣言するのだった。
問題児三人組の挑戦開始
三日後の昼、フェー、ドロレス、レテの三人は、誰もいない後宮の厨房に集まっていた。
三人は侍女服の上からエプロンを身につけ、長髪のドロレスとレテは髪をまとめ、調理の準備を整えていた。
彼女たちは、ヴァネッサが不在の間に自分たちだけで善治郎の新しいレシピを再現するつもりだった。ヴァネッサは最初から三人へ挑戦させるつもりだったらしく、食材を自由に使う許可を与えていた。
今回の指揮役は、三人の中で料理が最も得意なレテだった。フェーとドロレスは、原則としてレテの指示に従うことにした。
植物油を使ったパイ作り
善治郎が渡した新しいレシピは『パイ』だった。
ただし、本来のパイ生地にはバターが必要であるため、乳製品のないカープァ王国では作れない。今回のレシピは、バターの代わりに植物油を使う低カロリー版のパイだった。
三人はそれぞれ別々にパイ生地作りへ挑戦した。レテは手際よく作業を進め、同時にフェーが生地をこねすぎていることまで指摘する。
生地に油を塗って折り、伸ばす工程を繰り返す必要があり、作業は思った以上に力仕事だった。暑い厨房で汗をかきながら、三人は汗止めの布を巻き、作業を続けた。
三者三様の具材選び
数十分後、三つのパイ生地が完成した。
レテは杏の砂糖煮、ドロレスはデザートバナナ、フェーは具を入れずに表面へ砂糖を溶かした油を塗る案を選んだ。
三人は上司の目がない状況に浮かれながら、自分好みのパイを作っていく。
しかし、問題は焼き加減だった。薪式のかまどには温度調節機能がなく、普段はヴァネッサの熟練した感覚に頼っていたため、三人だけでは適温が分からなかった。
携帯ゲーム機の時計
そこでドロレスは、善治郎から借りていた携帯ゲーム機を取り出した。
ゲーム機には時計機能があり、三人はゲームを通じてアラビア数字や異世界式の時間の見方を覚えていたのである。
ドロレスは、レシピにある四十分という焼き時間は正確に測れると誇った。
しかしレテが、二百度の温度をどう再現するのかと指摘し、フェーもそこをからかった。時間は測れても、かまどの火力までは分からないという問題は残っていた。
それでも時間を正確に測れることは大きな進歩であり、三人はまず挑戦してみることにした。
黒焦げのパイもどき
四十分後、かまどから出てきたのは、表面から端まで黒く焦げた『パイもどき』だった。
とても成功作とは呼べない出来だったが、レテは焦げた部分を削り落とし、食べられる部分を切り分けた。
三人は渋い表情で試食し、互いの作品へ容赦なく駄目出しをした。ドロレスのバナナ入りは甘みが足りず、レテの杏ジャム入りは甘すぎ、フェーのものは硬すぎた。
彼女たちは自分の作品ではなく、互いの作品を評価することで、少しでも客観的に反省点を見つけようとしていた。
試作を重ねる三人
一度目の失敗にもかかわらず、レテはすぐに二回目へ挑戦しようと声を上げた。
材料はまだあり、フェーとドロレスもそれに続いた。
三人は試作、焼き入れ、試食、反省を何度も繰り返しながら、日が暮れるまで新しい菓子作りへ挑み続けたのだった。
ヴァネッサによる試食審査
翌日の昼過ぎ、後宮の厨房では、フェー、ドロレス、レテの三人が、ヴァネッサ調理責任者の前で緊張した表情を浮かべていた。
彼女たちは昨日一日かけて完成へ近づけた『パイもどき』を披露するため、準備を始める。
フェーがかまどの火力調整を担当し、レテがパイ生地を練り上げ、ドロレスは携帯ゲーム機を時計代わりに置いて、黒砂糖とシナモンを混ぜ合わせた特製の甘味を用意した。
昨日の試行錯誤の結果、中に具材を入れる形式は断念していた。具材の水分で底が抜けたり、逆に堅くなりすぎたりと問題が多かったため、今回は中身のない長方形のパイ生地へ油を塗り、黒砂糖とシナモンをまぶして焼き上げる形へ変更していた。
時間と火力の調整
厨房では昼食後のわずかな空き時間しかなく、挑戦の機会は一度だけだった。
レテが生地を完成させると、フェーはかまどの火力を一定に保つ役割へ集中した。ドロレスは携帯ゲーム機の時計で四十五分を正確に計測し始める。
やがて、かまどから甘く香ばしい匂いが漂い始めた。
三人は固唾を呑みながら、完成した菓子をヴァネッサへ差し出した。
ヴァネッサの評価
ヴァネッサはまず、見た目と香りについては合格点だと認めた。
その後、実際にパイを口にし、静かな厨房の中で咀嚼音だけが響く。
やがてヴァネッサは、レテを中心によく仕上げたと評価した。しかし同時に、生地へ切れ込みを入れて食感を改良できることや、三つ編み状に編む案、さらには焼くより油で揚げた方が美味しくなる可能性など、多くの改善点を指摘した。
そして、このままではまだ善治郎やアウラへ提供できる完成度ではないと判断した。
半分成功という評価
三人は落胆したものの、ヴァネッサは努力自体は高く評価していた。
完成については、次に厨房を担当するカリナ達の班と協力して仕上げると宣言する。
その言葉に、冷蔵庫使用権の褒美を気にしていたフェーが思わず声を上げた。
ヴァネッサは苦笑しつつ、今回の成果を「半分成功」と認定した。残る半分は、後任のカリナ達が完成させることで達成とみなし、その時点でフェー達三人とカリナ達三人、計六人へ一ヶ月間の冷蔵庫使用権を与えると約束した。
その言葉に、三人は満面の笑みで喜んだ。
後任班との協力決定
ヴァネッサが善治郎の元へ向かった後、三人は後片付けをしながら、今後の方針を話し合った。
フェーは、仕事後にカリナ達へ菓子の作り方を教えようと提案する。
ドロレスは携帯ゲーム機を使った時間管理を教えるつもりだと答え、レテも冷蔵庫を早く使えるようになるため賛成した。
こうして三人は、後任班へ知識を共有し、協力して完成を目指すことを決めた。
ヴァネッサが意図していた、若い侍女達同士の交流促進と技術向上は、本人達に気づかれないまま順調に進み始めていた。
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