物語の概要
■ 作品概要
本作は、大森藤ノによるファンタジー小説シリーズの第8巻である。広大な地下迷宮「ダンジョン」を中心に栄える巨大都市オラリオを舞台とし、女神ヘスティアと冒険者ベル・クラネルの成長を描く物語である。 第8巻は、前巻までの激闘から一転し、キャラクターたちの日常と過去に焦点を当てたオムニバス形式の短編集となっている。軍事国家ラキア王国の軍勢がオラリオに攻め寄せるという緊迫した情勢を背景にしつつも、都市の内部では各キャラクターの恋愛や家族愛、秘められた過去が情緒豊かに綴られる。
■ 主要キャラクター
- ベル・クラネル: 本作の主人公。ヘスティア・ファミリア所属の冒険者である。急速な成長を遂げつつも、純粋で心優しい性格は変わらない。本巻では、ギルド職員のエイナを護衛したり、街娘シルとの交流を深めたりと、周囲の女性たちとの関係性が描かれる。
- ヘスティア: ベルが所属するファミリアの主神である。ベルに対して深い慈愛と独占欲を抱いている。本巻の終盤では、神と人との寿命の差というシリアスな命題に向き合い、ベルとの絆を再確認する重要な役割を担う。
- リリルカ・アーデ: ヘスティア・ファミリアのサポーター。小人族(パルゥム)としての出自に悩む中、本作では最大派閥の首領フィンから突然の求婚を受けることになり、自身の進むべき道を模索する。
- ヴェルフ・クロッゾ: ベルの仲間である鍛冶師冒険者。魔剣を打つことを拒んでいた過去や、主神ヘファイストスへの複雑な恋心が深く掘り下げられる。
- ヤマト・ミコト: ヘスティア・ファミリアの団員。かつて所属していたタケミカヅチ・ファミリアへの思いや、仲間を大切にする真面目な性格が、ある事件を通じて描かれる。
- シル・フローヴァ: 酒場「豊穣の女主人」の看板娘。ベルに対して献身的に接するが、時折見せる謎めいた一面が、読者に彼女の正体への興味を抱かせる。
■ 物語の特徴
本作の最大の特徴は、これまでの「ダンジョン攻略」という縦軸の物語から一時的に離れ、個々のキャラクターの「愛」と「背景」を深く掘り下げている点である。 特に、小人族の再興を願うフィンとリリの対峙や、ヴェルフの職人としての矜持など、他作品の追随を許さないほど緻密なキャラクター描写が魅力である。また、不死である「神」と寿命ある「人間」の埋められない差を直視しながらも、それでも共に歩むことを誓う感動的な幕切れは、シリーズ全体を通じても屈指の名シーンとして知られている。手に汗握るアクションだけでなく、登場人物たちの心の機微を丁寧に描くことで、読者の作品世界への没入感を一層高めている。
書籍情報
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 8
(Is It Wrong to Try to Pick Up Girls in a Dungeon?)
著者:大森藤ノ 氏
イラスト:ヤスダスズヒト 氏
出版社:SBクリエイティブ(GA文庫)
発売日:2015年6月13日
ISBN:978-4-7973-8314-0
(PR)よろしければ上のサイトから購入して頂けると幸いです。
あらすじ・内容
大森藤ノ×ヤスダスズヒトが贈る、最強ダンジョンファンタジー、第八弾!
──王国(ラキア)軍出兵。
軍神アレス率いる王国軍の突然の来襲。迷宮都市へ進撃する軍勢その数、三万。
迫りくる軍靴の音に、オラリオは──何も変わらなかった。
「せっかくだし、たまにはベル君達には羽を伸ばしてもらうさ」
強過ぎる冒険者達の手によって市壁の外で侵略者達の悲鳴が上がる中、オラリオは平穏な日々を過ごしてゆく。
小人族(パルゥム)の求婚、愛しのボディガード、街娘の秘密、神々への恋歌──そして女神が紡ぐ愛の歌。
神と子供達が送るささやかな日常編!
「ボクはずっと君の側にいるよ、ベル君」
これは、少年が歩み、女神が記す、
── 【眷族の物語(ファミリア・ミィス)】──
感想
物語の構成と世界観への印象
本作は、これまでのダンジョン攻略を中心とした物語から一歩外に踏み出し、キャラクターたちの日常と内面に深く迫る短編集であった 。物語の背景ではラキア王国による軍事侵攻という大きな事態が起きていたが、都市内部の住人たちがそれを「いつものこと」として受け流す様子が印象的であった 。この日常と非日常の奇妙なバランスが、オラリオという都市の特異性を浮き彫りにしていたといえる 。
侵略者たちの描かれ方
侵攻を仕掛けてきた軍神アレスの存在感は、どこか拍子抜けするほど軽い点が非常にユニークであった 。三万の軍勢を率いる神でありながら、オラリオの圧倒的な戦力の前ではその野望が空回りし続け、どこか喜劇的な彩りすら添えていた 。しかし、この「軽さ」があったからこそ、後の深刻な展開との対比がより鮮明に際立ち、物語に独特のリズムを生んでいたのである 。
命の終わりと神の慈愛
最も心に深く残ったのは、物語の終盤で描かれた、最期を迎える人間を神が見送る場面であった 。ベオル山地で静かにその時を待っていたカームと、彼を包み込んだヘスティアの姿は、本作のなかでも屈指の美しさを放っていた 。
- 不死である神にとって、人間の命は一瞬の輝きに過ぎなかった 。
- それでもなお、神がその一瞬の絆を大切に想い、慈しむ姿には、切なさと共に救いが感じられた 。
- ベルが抱いた「取り残される神への恐れ」と、それに対するヘスティアの誓いは、二人の関係性をより高潔なものへと昇華させていた 。
キャラクターたちの新たな一面
本作では、普段の探索では見られないキャラクターたちの表情が瑞々しく描かれていた 。
- 一族の誇りと使命の狭間で揺れたリリや、職人としての矜持をかけて父と向き合ったヴェルフの姿には、一人の人間としての成長が強く感じられた 。
- また、シルの私生活やエイナの災難など、賑やかな日常パートが物語に厚みを与えていた 。
- 短編形式でありながらも、最後にはそれらのエピソードが侵略という一本の線に集束していく構成は、非常に見事であった 。
総評
戦いという華やかな舞台の裏側で、彼らが何を想い、どのように生きていたのかを知ることで、作品世界への没入感が一層深まった。神と人間という、本来交わるはずのない二つの存在が織りなした「愛の歌」は、読後の心に温かな余韻を残した 。ただのファンタジーという枠を超え、生と死、そして愛について深く考えさせられる、贅沢な一冊であった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
(PR)よろしければ上のサイトから購入して頂けると幸いです。
考察
ラキア王国の侵攻
ラキア王国の侵攻(第六次オラリオ侵攻)は、圧倒的な戦力差によって一方的な展開を見せた戦争である。この侵攻の裏には特定の目的が隠されており、単なる武力衝突に留まらない背景が存在する。その全貌を以下に整理する。
ラキア王国と侵攻の概要
- ラキア王国は大陸西部に位置する君主制国家であり、その実態は軍神アレスを頂点とする巨大な国家系ファミリアである。
- 兵士や軍人はすべて神の恩恵を授かった戦闘員であり、好戦的なアレスの神意によって古くから戦争を繰り返してきた歴史を持つ。
- かつて魔剣の力で不敗神話を誇ったこの王国は、三万という大軍勢を動員し、迷宮都市オラリオへの侵攻を開始した。
侵攻の真の目的
- 表向きはオラリオに対する大規模な軍事侵攻であったが、その真の狙いはオラリオ内に滞在するヴェルフ・クロッゾと、彼が打つクロッゾの魔剣の奪取であった。
- 王国軍が都市外で複数の部隊を分散させて決定的な攻勢に出なかったのは、オラリオの上位派閥を市壁の外に釘付けにするための陽動であった。
- その隙に、ヴェルフの父親であるヴィル・クロッゾらが密かにオラリオ内部へ潜入し、ヴェルフを連れ戻そうと暗躍していたのである。
圧倒的な実力差と奇妙な戦場
- 三万の軍勢とはいえ、王国軍の兵士の能力はほぼレベル1であり、オラリオの冒険者たちとは絶望的な実力差が存在した。
- ロキ・ファミリアのガレスが単騎で騎兵隊を吹き飛ばし、アイズが姿を見せただけで部隊が逃走するなど、戦闘はオラリオ側の仮連合軍による一方的な蹂躙となった。
- オラリオ側は将来的な賠償金を見越して兵士を峰打ちに留め、戦闘の裏では商人が敵陣に乗り込んで法外な値段で回復薬を売りつけるなど、戦争の常識を覆す特需に沸いていた。
作戦の失敗とアレスの暴走
- 都市内部でのヴェルフ拉致作戦は、ヴェルフ自身の強い拒絶とヘファイストス・ファミリアの介入によって完全に失敗に終わった。
- 切り札を失い、戦線も崩壊して敗戦濃厚となったが、主神アレスは撤退をよしとしなかった。
- 彼は自らオラリオに潜入し、ヴェルフとの交換材料にするために主神ヘスティアを強引に誘拐するという暴挙に出たのである。
ラキアへの苛烈な代償と結末
- ヘスティアを連れてベオル山地へ逃亡したアレスたちであったが、アイズやベルの追撃と、アスフィが呼び込んだオラリオの援軍によって捕縛された。
- 総大将である主神を捕らえられた王国軍は、オラリオ側が提示したすべての降伏条件を呑むこととなった。
- 天界送還こそ免除されたものの、捕らえられた約一万人の兵士がステイタスを封印され、莫大な賠償金という過去最大の損害を被った。
- アレスは血の涙を流しながら、不眠不休で兵士のステイタス封印作業を行わされるという皮肉な結末を迎えた。
まとめ
都合六度目となったラキア王国のオラリオ侵攻は、完全な敗北をもって幕を閉じた。この事件は、オラリオの冒険者たちが持つ圧倒的な実力を改めて世界に知らしめると同時に、神々の思惑が絡み合う迷宮都市の複雑な情勢を浮き彫りにしたと言える。魔剣という強大な力を巡る争いは、結果としてヘスティア・ファミリアの結束をより強固なものとしたのである。
命の恋心と短剣
ヤマト・命の主神タケミカヅチに対する恋心と、その象徴として贈られた雌雄一対の短剣にまつわるエピソードは、彼女の心の機微と成長を描く重要な物語である。命が抱く情愛の深さと、二人の絆を象徴する品について以下に整理する。
恋心の原点と家族の絆
- 命がタケミカヅチに特別な感情を抱くようになった原点は、幼い頃の記憶にある。
- 極東の社で孤児として育った彼女に対し、タケミカヅチは俺の娘になれと告げ、家族として迎え入れた。
- 貧しいながらも彼女のささやかな願いを全て叶えてくれたタケミカヅチを、命は父として慕うようになり、その親愛はやがて純粋な恋慕へと変わっていった。
- 恩恵を授けて神血を分けた家族になるという約束は、彼女にとって生きる指針となったのである。
募る想いと無自覚な天然ジゴロへの嫉妬
- ヘスティア・ファミリアへ改宗した後も、タケミカヅチから変わらぬ絆を告げられたことで、命の恋慕は一層強まった。
- しかし、タケミカヅチが他の女性たちに対し、無自覚かつ親しげに接する姿を目撃したことで、彼女の心に強い嫉妬が芽生える。
- タケミカヅチが春姫の作った菓子を直接口にした際、ついに感情が爆発し、手作りケーキを彼の顔面に叩きつけて逃走するという騒動を引き起こした。
- この事件は、冷静な武人である命が情動を抑えきれないほど、主神を深く想っていることを露呈させた出来事であった。
送別会での告白未遂
- 自己嫌悪に陥りながらも謝罪のためにタケミカヅチを訪ねた命を待っていたのは、彼女を驚かせるために用意された送別会であった。
- タケミカヅチからの温かい言葉に背中を押され、命は長年秘めてきた想いを打ち明けようと決意する。
- しかし、決定的な瞬間にタケミカヅチが別の話題を切り出したため、告白は未遂に終わることとなった。
雌雄一対の短剣と未来への誓い
- タケミカヅチが命のために用意していたのは、特注品の雌雄一対の短剣、天華と地残であった。
- 彼は借金をしてまでこの贈り物を用意し、雌の剣である地残を命の腰に結び付けた。
- もう一振りの白い短剣である天華を自ら預かり、彼女が帰還した時に手渡すと約束したのである。
- この番の剣が揃う時こそ、改めて恋慕を伝えようと命は心に誓った。
- 周囲からは婚約指輪のような贈り物であると指摘されるほど、タケミカヅチの深い慈愛が込められた品であった。
まとめ
ヤマト・命にとって、タケミカヅチから贈られた短剣は単なる武器ではなく、未来の再会と愛の成就を約束する希望の象徴となった。主神の無自覚な優しさに翻弄されながらも、彼女は自らの想いを糧に、冒険者として、そして一人の女性として力強く歩み続けている。二人の物語が真に重なる瞬間は、迷宮都市の新たな英雄譚の一頁として刻まれるに違いない。
フィンの求婚
ロキ・ファミリアの団長である第一級冒険者フィン・ディムナが、ベル・クラネルのサポーターであるリリルカ・アーデ(リリ)に対して行った求婚は、小人族(パルゥム)としての使命と個人の想いが交錯する重要なエピソードである。その全貌と結末について、提供された資料に基づき整理する。
求婚の真意と小人族の再興
フィンの求婚は個人的な恋慕に基づくものではなく、小人族の再興という彼が生涯を懸けた使命に根ざしたものであった。
- かつて一族の心の拠り所であった女神フィアナへの信仰が衰退し、一族が活力を失う中、フィンは自らが新たな希望の旗頭となるべく名声を築いてきた。
- その希望の光を絶やさぬためには、自身の血を引き継ぐ純粋な小人族の後継者が不可欠であり、同族の伴侶を必要としていたのである。
リリが選ばれた理由と勇気の資質
数ある同族の中からフィンがリリを選んだ決定的な理由は、彼女が過去に示した勇気にあった。
- フィンは、ベルがミノタウロスと遭遇した際、リリが自身の危険を顧みずアイズたちへ助けを求めた姿を目撃していた。
- 身体能力に劣る小人族にとって、自分より巨大な存在に立ち向かう勇気こそが最大の武器であり、リリの行動に伴侶としての確かな資格を見出したのである。
ベルの提案とリリの絶望
フィンから縁談の話を聞いたベルは、リリの幸せを願うあまり、彼女に直接この話を伝えてしまう。
- ベルに恋心を抱いていたリリにとって、想い人から他者との縁談を勧められることは、自身が異性として意識されていないことを突きつけられる残酷な行為であった。
- 傷ついたリリは自暴自棄な言葉を残してホームを飛び出し、自身の想いと現実の剥離に苦しむこととなった。
フィンとの対面と下された決断
翌日、小人族専用の酒場でフィンと対面したリリは、自身の過去の悪行を告白して自らを卑下したが、フィンは現在の彼女を真っ直ぐに評価した。
- 一族のために自己を犠牲にするフィンの高潔な生き様に触れたことで、リリは逆に自分を救ってくれたベルの傍にいたいという自身の覚悟を再確認した。
- フィンが一族に身を捧げるように、自分はベルに人生を捧げると決意したリリは、縁談を明確に断った。フィンも彼女の意志を尊重し、求婚は白紙に戻された。
ベルの乱入と深まった絆
縁談が断られた直後、ベルが酒場に現れ、リリを連れて行かないでほしいとフィンに直訴した。
- ベルはリリを大切なパートナーであると断言し、彼女が必要であることを改めて言葉にした。
- その後、二人は互いの非を認め合い、これからも共に歩むという本心を確かめ合った。この騒動を経て、ベルとリリの間の信頼関係はより強固なものへと昇華された。
まとめ
フィンの求婚は、リリにとって自らの居場所と覚悟を再定義する大きな試練となった。一族の未来を背負うフィンの高尚な志に触れつつも、最終的にベルへの献身を選んだリリの決断は、彼女が過去の呪縛を完全に断ち切った証でもある。この一件は、ヘスティア・ファミリアにおける仲間としての結束を、より一層深める結果となったのである。
ヴェルフと鍛冶師の誇り
ヴェルフ・クロッゾの物語は、呪われた血筋である魔剣と、純粋な鍛冶師としての誇りの間での葛藤と決着を描いている。ヴェルフの鍛冶師としての在り方と、彼が辿り着いた覚悟について、以下の通り詳細を整理する。
ヴェルフの理想と魔剣への嫌悪
- ヴェルフは、一族の代名詞であるクロッゾの魔剣を作ることを頑なに拒んできた。その理由は、魔剣が強大すぎるがゆえに使い捨てられ、最終的に砕け散る運命にあるからである。
- 彼にとって武器とは単なる破壊の道具ではなく、使い手の半身であり、苦楽をともにして道を切り拓く魂の片割れであるべきだという強い信念を持っている。
- 彼の鍛冶師としての原点であり究極の目標は、主神ヘファイストスが神の力を使わずに己の技術のみで打ち上げた始源の剣である。
- ヴェルフは忌むべき血の力に頼らず、純粋な鍛冶の腕だけでその神の領域に辿り着き、追い抜くことを夢見ていた。
椿による厳しい現実の突きつけ
- ヴェルフの理想は、18階層リヴィラの街において、最上級鍛冶師の椿によって打ち砕かれた。
- 椿は、ヴェルフがベルのために打った短剣を、純粋な武器としての格の違いによって容易くへし折ったのである。
- 椿は、あるもの全てを注ぎ込まねば至高の武器には至れないと告げ、魔剣の才能を忌避して神の領域を目指すヴェルフの甘さと無謀さを指摘した。
- この出来事により、ヴェルフは自分の至らなさを痛感し、深い失意に沈むこととなった。
父ヴィルとの対峙と鍛冶師の誇り
- オラリオに侵攻してきたラキア王国の真の目的がヴェルフと魔剣の奪取であることが判明し、彼は実父ヴィルと対峙した。
- 没落した鍛冶貴族の栄誉を取り戻すために魔剣に狂信する父に対し、ヴェルフは武器に求められるのは力だと割り切る父を殴り飛ばした。
- 鍛冶師は矜持を持って使い手に武器を届けるべきだと叫び、槌と鉄、そして燃え上がる情熱さえあれば武器はどこでも打てると、かつて教わった鍛冶師としての原点を突きつけた。
血筋の受容と至高への覚悟
- 父の魔剣を己の魔剣で打ち破ったヴェルフに対し、祖父ガロンは一族の宿命が魔剣の道へと引きずり込む中で信念を曲げないのかと問うた。
- ヴェルフは即座に曲げないと断言し、魔剣を超える武器を作ってみせる、血筋を見返してやると宣言した。
- これは自身の血筋から逃げるのではなく、それを受け入れた上でクロッゾの魔剣を超える自身の武器を作り上げるという真の覚悟の表れであった。
- 最終的にヴェルフはヘファイストスに対し、自身のやり方で神に追い付き、追い抜いてみせると堂々と宣言した。
まとめ
自らの血筋と向き合い、鍛冶師としての誇りを取り戻したヴェルフは、神の領域という果てしない高みへ挑む決意を新たにした。自身の適性や宿命を否定するのではなく、それら全てを糧にして至高を目指す彼の姿勢は、真の職人としての門出を象徴している。彼の打つ武器が、今後ベルたちの冒険においてどのような役割を果たすのか、その進化から目が離せない。
キャラクター紹介
ヘスティア・ファミリア
ベル・クラネル
ヘスティア・ファミリアの団長を務める少年冒険者である。彼は弱者に対しても誠実に接する性格を持つ。憧れの存在に追いつくため、並外れた速度で成長を続けている。神々からは将来の英雄候補として期待を寄せられている。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。団長。LV.3冒険者。
・物語内での具体的な行動や成果
迷宮十七階層での階層主討伐戦に加勢した。ギルド職員エイナの用心棒を引き受け、求婚者達の騒動を収束させた。王国軍に誘拐された主神ヘスティアを救出するため、ベオル山地へ向かった。エダスの村で衰弱したヘスティアの看病を行い、彼女を守り抜く決意を新たにした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
LV.3へと昇格し、その異常な成長速度が改めて確認された。成長の根源がアイズへの強い想いにあることが、主神以外の仲間達にも共有された。
ヘスティア
ヘスティア・ファミリアを司る主神である。眷族であるベルを誰よりも大切に想っている。彼女は嫉妬深い一面を持つが、慈愛に満ちた女神としての顔も併せ持つ。ベルの急成長を支える特別な力を独りで管理し続けてきた。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。主神。
・物語内での具体的な行動や成果
ベルの成長の秘密であるスキル「憧憬一途」の正体を、ヴェルフやリリ達に明かした。薬草採取のために都市の外へ出た際、ラキア王国の軍神アレスに誘拐された。転落した渓谷やエダスの村で衰弱したが、ベルの献身的な看病によって回復した。亡き友神を愛した老人カームの最期に立ち会い、愛の言葉を伝えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ラキア王国軍による侵攻の際に人質とされたが、無事に救出された。ベルとの絆を深め、永遠の時間を超えて彼を愛し続けることを誓った。
ヤマト・命
極東出身の女戦士であり、ヘスティア・ファミリアの中衛を担う。彼女は義理堅く、真面目な性格である。主神タケミカヅチに対して、父親としての慕情以上の恋慕を抱いている。武人として己を厳しく律し、仲間の支援に尽力する。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。冒険者。
・物語内での具体的な行動や成果
階層主ゴライアスとの戦闘中、春姫の魔法による強化を受けて巨人を足止めした。タケミカヅチへの贈り物としてケーキを作ったが、彼の無自覚な振る舞いに激怒して顔面に投げつけた。最終的にタケミカヅチと和解し、彼から特注の短剣を贈られた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
タケミカヅチから贈られた雌雄一対の短剣を、将来の契りの約束として受け止めた。帰還を待つ主神への想いを新たに、鍛錬に励んでいる。
ヴェルフ・クロッゾ
クロッゾ一族の血を引く魔剣鍛冶師である。彼は魔剣を嫌い、使い手とともに成長する武具を打つことを信条としている。仲間を思う気持ちが強く、時に熱くなりやすい一面を持つ。主神ヘファイストスに対して職人としての憧れと異性としての恋心を抱いている。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。冒険者兼鍛冶師。
・物語内での具体的な行動や成果
仲間のために「ゴライアスのローブ」や新刀「虎鉄」を鍛え上げた。第一級冒険者椿に自らの技量を否定され、自らの限界に直面した。王国軍とともに現れた実父ヴィルと対峙し、己の魔剣で祖先の魔剣を打ち破った。ヘファイストスに自らの想いを告白し、彼女を認めさせる武具を打つと誓った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
実家であるクロッゾ一族との因縁に決着をつけた。神会によって「不冷」という二つ名を与えられた。
リリルカ・アーデ
小人族のサポーターであり、パーティの司令塔としての役割を持つ。彼女は現実主義者で、時に毒舌を振るうが、仲間への情は厚い。自身の無力さやベルへの想いに悩み、他者と比較して劣等感を抱く傾向がある。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。サポーター。
・物語内での具体的な行動や成果
迷宮探索の管理や作戦立案において、パーティを支え続けた。第一級冒険者フィンから、一族再興のための伴侶として求婚を受けた。ベルとの関係や自分の本心を見つめ直し、フィンの申し出を正式に断った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
勇者フィンの求婚を拒否したことで、ベルの側に居続ける覚悟を固めた。ベルに対して「お姉さん」としての立場を意識し、新たな関係性を築き始めた。
サンジョウノ・春姫
ヘスティア・ファミリアに加わった狐人の少女である。彼女は温厚で内気な性格だが、仲間を想う心は強い。他者の能力を一段階昇華させる稀少な妖術を操る。自らの過去を恥じているが、物語の英雄のようなベルの姿に救いを見出している。
・所属組織、地位や役職
ヘスティア・ファミリア。妖術師(サポーター兼務)。
・物語内での具体的な行動や成果
初めてのダンジョン探索に参加し、サポーターとしての基礎を学んだ。階層主討伐戦において、魔法「ウチデノコヅチ」を命に使用して戦局を覆した。館の掃除や炊事など、家政の面でも派閥を支えている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
正式にパーティの一員として認められ、下層攻略に不可欠な戦力となった。
ロキ・ファミリア
フィン・ディムナ
ロキ・ファミリアの団長を務める小人族の第一級冒険者である。彼は冷静沈着な判断力と高い知性を持ち、連合軍の総指揮を執る。衰退した小人族の旗頭となる使命を背負っている。自身の目的のために感情を切り捨て、一族の繁栄を最優先に考えている。
・所属組織、地位や役職
ロキ・ファミリア。団長。LV.6冒険者。
・物語内での具体的な行動や成果
ラキア王国軍の侵攻に対し、オラリオ連合軍の総帥として采配を振るった。敵の真の狙いが都市内部にあることを見抜き、部隊を撤退させた。リリに小人族の勇気を見出し、一族再興のための伴侶として求婚した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
リリに求婚を断られたが、彼女の意志を尊重し、穏やかに身を引いた。
アイズ・ヴァレンシュタイン
「剣姫」の二つ名を持つロキ・ファミリアの主力冒険者である。彼女は無口で感情表現が乏しいが、戦いに対しては極めてストイックである。ベルの成長に影響を与える存在であり、時に彼に稽古をつける。黒竜に対しては、深い憎悪と複雑な過去を抱いている。
・所属組織、地位や役職
ロキ・ファミリア。冒険者。LV.6。
・物語内での具体的な行動や成果
ラキア王国軍の奇襲部隊を単独で敗走させた。アレスに連れ去られたヘスティアを救出するため、ベルとともにベオル山地を追跡した。エダスの村で衰弱したヘスティアを守り、村の祭りでは彼女とともに踊りを披露した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ベルやヘスティアと村での時間を共有し、剣士ではない一人の少女としての素顔を垣間見せた。
その他の神・関係者
ヘファイストス
鍛冶を司る女神であり、ヘファイストス・ファミリアの主神である。彼女は厳格な職人魂を持つが、眷族や友人への配慮を欠かさない。天界ではその右眼の醜さから嘲笑されてきた過去を持つ。ヘスティアとは唯一の親友であり、ヴェルフの師であり憧れの対象でもある。
・所属組織、地位や役職
ヘファイストス・ファミリア。主神。
・物語内での具体的な行動や成果
王国側の密偵からヴェルフを守るため、派閥を挙げて倉庫を包囲した。ヴェルフとヴィルの親子喧嘩を見守り、一族の決着を見届けた。自らの醜い右眼を明かし、ヴェルフの自分への想いを試した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
自らの素顔を受け入れたヴェルフの熱意を認め、彼に神の領域へ到達する挑戦を許した。
エイナ・チュール
ギルド本部に勤務する受付嬢であり、ベルのアドバイザーを務める。彼女は真面目で世話焼きな性格である。冒険者を死なせたくないという強い信念を持ち、ベルに対して厳しい座学を課すこともある。
・所属組織、地位や役職
ギルド。受付・相談員。
・物語内での具体的な行動や成果
しつこい求婚者達の視線に怯え、ベルを用心棒として雇った。自分を影から見守っていた追跡者の正体が、神々に踊らされたルヴィス達であったことを突き止めた。窮地を脱するため、ベルを恋人であると公言し、その場を収束させた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ベルとの擬似的な恋人関係を通じて、彼に対する異性としての意識を強めた。
シル・フロヴァ
酒場「豊穣の女主人」で働く看板娘である。彼女は温厚で慈愛に満ちているが、時にベルを翻弄するような言動を見せる。その私生活は謎に包まれており、一部の神々や強力な冒険者達が彼女を見守っている。
・所属組織、地位や役職
酒場「豊穣の女主人」。店員。
・物語内での具体的な行動や成果
ダイダロス通りの奥にある孤児院へ通い、子供達の世話や食糧の支援を行っていた。ベルを孤児院へ案内し、自らの生い立ちや子供達への想いを語った。地下通路での怪物遭遇時、アレンに守られる形で無事に帰還した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
自身の知られざる一面をベルに共有したことで、彼との心理的な距離を縮めた。
アレス
大陸西部の軍事国家ラキア王国の国王であり、軍神である。彼は好戦的で傲慢な性格だが、策に溺れやすく、神々からは「阿呆」と見なされることも多い。クロッゾの魔剣を手に入れるために手段を選ばない。
・所属組織、地位や役職
ラキア王国。国王。主神。
・物語内での具体的な行動や成果
三万の軍勢を率いてオラリオへ侵攻したが、一方的な敗北を喫した。起死回生の策としてオラリオへ潜入し、ヘスティアの誘拐に成功した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
最終的にアスフィ達に捕縛され、ギルド前庭で処分を言い渡された。一万近い兵士の経験値を消去する罰を科され、敗北を認めざるを得なくなった。
展開まとめ
プロローグ 進撃の軍神
ラキア王国軍の出兵
ラキア王国軍の出兵は、国境沿いを進む大軍の目撃によって近隣諸国へ瞬く間に伝わった。重厚な甲冑を纏った兵士、鎧を装備した無数の軍馬、そして何万もの長槍を携えた軍勢が曇天の下で進軍していたのである。大陸西部の君主制国家ラキア王国は、軍神アレスを頂点とする国家系【ファミリア】であり、兵士達は神の恩恵を受けた眷族として軍を構成していた。好戦的なアレスの意志のもと、王国は古くから戦争を繰り返してきた。今回の出兵もその延長であり、三万の軍勢は迷宮都市オラリオを目指して西進していた。
迷宮都市オラリオの日常
ラキア王国の侵攻が迫る中でも、迷宮都市オラリオの様子は普段と変わらなかった。市内では商人が商品を売り、職人が武具を整備し、神ミアハが回復薬を配るなど、住民達は動揺する様子を見せなかった。都市の人々はラキアの侵攻を特別視せず、また始まったかという程度の認識で受け止めていたのである。平穏な都市の外では戦の気配が近づいていたが、都市の生活は変わらず続いていた。
ガレス・ランドロックによる騎兵隊迎撃
オラリオ東方三十キロの大平原では、ラキア王国軍の騎兵隊が突撃を開始していた。しかし、その前に立ちはだかったのは【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者ガレス・ランドロックであった。大戦斧を構えたガレスは突撃してくる騎兵隊を一撃で吹き飛ばし、無数の騎士と軍馬を宙へと舞い上げた。LV.6の能力を持つガレスと、ほとんどがLV.1である王国騎兵隊との間には圧倒的な実力差が存在していたためである。騎兵隊は次々と崩壊し、戦場は瞬く間に混乱に陥った。
フィン・ディムナの指揮とオラリオ仮連合
主戦場では【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナが総指揮を執り、各戦域へ的確な指示を出していた。オラリオ側は都市の管理機関の命令によって複数の【ファミリア】が集められた仮連合軍であり、三万の王国軍に対して迎撃を行っていた。フィンは敵の戦術や配置を見抜きながら戦況を掌握し、ガネーシャ・ファミリアへの指示やリヴェリア達への派遣を行い、戦局を有利に導いていった。冒険者達は各方面で王国軍の部隊を壊滅させ、連合軍は多頭竜のように戦場全体で敵軍を圧倒していった。
神々の余裕と戦場の一方的状況
戦場後方の丘では、ロキやフレイヤなどの神々が戦況を眺めながら暇を持て余していた。冒険者達の実力は王国軍と比べて圧倒的であり、戦闘はほとんど一方的な展開となっていたためである。さらにオラリオの冒険者達は兵士達を峰打ちで制圧しており、戦死者は出ていなかった。ラキア軍は敗走を続ける一方、オラリオ側の商業系ファミリアは敵軍陣営へ入り込み、回復薬や武具を売りつけて利益を得るなど、戦場は奇妙な様相を呈していた。
混乱するラキア王国軍とアレスの怒り
王国軍の陣営では、前線部隊の壊滅や作戦の失敗が次々と報告され、士気は著しく低下していた。さらにオラリオの商人や娼婦達が陣営に入り込み、軍規は乱れ混乱が広がっていた。主神アレスはその報告を受けて激怒するが、戦況を覆す手立てはなく、将校達も沈黙するしかなかった。戦の神であるアレスは存在していたが、勝利を司る神ではなかったのである。
ヘルメスの判断とヘスティア派の不参加
迷宮都市の市壁上では【ヘルメス・ファミリア】の主神ヘルメスと団長アスフィが戦況を見守っていた。ヘルメスはベルを戦場へ送り込む案を否定し、さらにギルドと交渉して【ヘスティア・ファミリア】には召集がかからないよう手配していた。最近続いていた事件を考慮し、彼らに休息を与えるためであった。
剣姫アイズの登場と敵軍の崩壊
主戦場北部の森では、奇襲を試みていたラキア軍部隊の前にアイズ・ヴァレンシュタインが現れた。階層主を単独で討伐したことで知られる「剣姫」の姿を見た兵士達は恐怖し、部隊長の制止も聞かずに逃走を始めた。リヴェリアやベートは追撃を命じ、アイズもそれに従って行動することになった。
第六次オラリオ侵攻の始まり
こうしてラキア王国による軍事行動は、後に「第六次オラリオ侵攻」と呼ばれることになる戦争の幕開けとなった。しかし迷宮都市オラリオでは、神々と眷族達がそれぞれの日常を送りながら、誰にも知られない小さな物語を紡ぎ続けていた。
一章とある武神への恋歌
命が家族を得た幼い日の記憶
命は夢の中で、幼い頃の自分とタケミカヅチの記憶を見ていた。故郷である極東の社の裏手で、幼い命は自分に父母がいない理由を問いかけた。孤児となった命は、祭りや街で親子の姿を見たことで、胸の奥に押し込めていた寂しさに耐えられなくなっていたのである。タケミカヅチは、命を産んだ両親は天に還り、命が生きている間に再会できるかはわからないと告げた。それを聞いた命は悲しみを堪えきれず、体を震わせていた。
その姿を見たタケミカヅチは、命を軽々と持ち上げ、自分の娘になれと告げた。そしていつか自分の恩恵を授ければ、二人は神血を分けた家族、すなわち眷族になれると語った。さらに、父親や母親と何をしたかったのかを命に尋ね、肩車や添い寝、金平糖を一緒に食べたいという願いを一つずつ受け止めた。貧しい社の暮らしの中でも、タケミカヅチは後日その約束を守った。命は他の眷族ではなくタケミカヅチがよいと強く告げ、その言葉を受けたタケミカヅチは深く喜んだ。この日を境に、命は彼を父として慕い、その親愛はやがて恋慕へと変わっていった。
懐かしい夢から現在の暮らしへ戻った朝
命は目を覚まし、夢で見た記憶の余韻に浸りながら穏やかな朝を迎えた。隣の布団では、【イシュタル・ファミリア】での一件を経て再び結びつきを取り戻した春姫が静かに眠っていた。命は春姫を起こさないよう金の髪と狐の耳をそっと撫で、今の自分の居場所が【ヘスティア・ファミリア】のホーム『竈火の館』であることを改めて意識した。
二人に与えられた三階の部屋には、極東風の調度や衣装が置かれており、故郷を離れた今もその面影が残されていた。幼馴染との絆を取り戻した安心感と、懐かしい夢によって澄んだ心を抱えたまま、命は窓の外へ目を向け、清々しい気持ちで一日を始めた。
命と春姫が支えた穏やかな朝食の時間
朝の大食堂では、命が手際よく朝食を作り、春姫が配膳を手伝っていた。春姫は入団直後に自ら館の管理役を望み、慣れないながらも掃除や給仕を覚えようとしていた。命はそんな春姫の姿を微笑ましく見守りつつ、調理を進めていた。都市の外ではラキア王国軍とオラリオ側の連合が戦っていたが、召集を受けていない【ヘスティア・ファミリア】の館には穏やかな日常が流れていた。
その日の食事当番であった命は、極東の味噌を手に入れたことから、久しぶりに故郷の料理である味噌汁を作っていた。ベルとヘスティアはその味を口にして、どこか安心する味だと喜び、命の料理の腕前を褒めた。幼い頃から社で炊事を担ってきた命の腕前は、眷族内でも高く評価されていたのである。
嫁という言葉に動揺した命
ヘスティアが命はきっとよい嫁になると口にした途端、命は激しく動揺した。未熟な自分にはそのような言葉は相応しくないと必死に否定しながら、照れ隠しのあまり包丁を持ったまま大きく手を振ってしまったため、ベルとヘスティアは慌てて止めに入ることになった。命にとって嫁という言葉は、ただの褒め言葉では済まされないほど強く心を揺さぶるものであった。
春姫の迷宮探索参加を巡る話し合い
朝食後、ベル達は居室に集まり、春姫を迷宮探索へ同行させるかどうかを話し合った。進行役となったリリは、春姫の魔法【ウチデノコヅチ】が極めて強力であり、パーティにとって大きな武器になると主張した。一方で命は、その効果が他者に知られれば春姫が再び狙われる危険を懸念していた。春姫の魔法は他者の能力の階位を一段階昇華させる超越魔法であり、その価値と危険性は誰の目にも明らかであった。
ヴェルフは、春姫が以前の派閥でどのように扱われていたのかを尋ねた。春姫は、通常の探索や遠征には連れて行かれていたものの、荷物のように運ばれるか守られるだけで、モンスターと戦ったことは一度もないと打ち明けた。そのため戦力としては不安が残り、留守番をさせる案も出た。そこで命は、派閥の団長として春姫救出に尽力したベルの意見を求めた。
ベルの誓いと春姫の決意
ベルは、何が最善かはわからないとしながらも、ダンジョンでもどこでも春姫を守ると約束した。その言葉は不器用ながらも明確な誓いであり、春姫もそれを受けて顔を赤らめた。リリはやや面白くなさそうな表情を見せたが、命はそのやり取りを微笑ましく見守っていた。
最後に春姫は、自分も皆の力になりたいと明言し、さらに自分達は家族だからと小さな声で告げた。その言葉によって一同の気持ちは固まり、命も反対を口にしなくなった。こうして春姫はサポーター兼妖術師として、ベル、ヴェルフ、リリ、命とともにダンジョン攻略へ加わることになった。
春姫を加えた五人での迷宮攻略開始
春姫を加えた五人はダンジョンへ入り、十五階層まで進出していた。ベルは第二級冒険者として成長しており、ヴェルフの新しい装備も加わったことで、探索は堅実かつ順調に進んでいた。白く輝く新しい防具をまとったベルは素早く動き回り、命も長槍で大虎を一撃で仕留めるなど、前衛と中衛は高い戦闘力を発揮していた。後衛ではリリが援護し、その隣で春姫は圧倒されながらも必死についていっていた。
命は探知系の魔法【八咫黒鳥】を使い、モンスターの接近を察知して仲間に伝えていた。その警戒により、春姫への奇襲を未然に防ぎつつ、一行は着実に進行していたのである。
ミノタウロス戦と魔剣使用を巡る対立
探索中、一行はミノタウロスを含む複数のモンスターに襲われた。ミノタウロスの咆哮が放たれると、リリは春姫を守るためにすぐ耳を塞ぎ、前衛のベル、ヴェルフ、命は動じず戦闘を継続した。ベルがミノタウロスを撃破した後も敵の増援は続き、リリは緊急手段として『クロッゾの魔剣』を使用した。放たれた業火は通路を埋め尽くし、モンスター達を一掃した。
しかし戦闘後、ヴェルフは魔剣を容易に使うべきではないと強く反発した。魔剣に頼ればパーティの力や意識を腐らせると考えていたからである。これに対しリリは、ダンジョンでは何が起こるかわからず、安全を最優先すべきだと譲らなかった。両者とも仲間を思っての主張であり、どちらにも正当性があったため、ベルと命は苦笑しつつ仲裁に回り、春姫もおずおずと二人をなだめた。結果として一行は言い争いを収め、再び探索へ意識を戻した。
春姫が非戦闘員として役割を学んだ探索
戦闘後、春姫はリリの指導を受けながら、灰となったモンスターの残骸から魔石やドロップアイテムを回収した。春姫は【イシュタル・ファミリア】時代の巫女装束に似た戦闘衣を身につけ、筒型の荷物袋を背負っていたが、役割はあくまで非戦闘員であった。リリは春姫を今後サポーターとして鍛えるつもりでおり、春姫も深く頭を下げて従っていたため、二人の間には自然と師弟のような関係が生まれていた。
その後も一行は十五階層を順調に探索しながら、現在のパーティの戦力バランスについて確認していった。前衛のベルとヴェルフは非常に強力であり、中衛の命も支援と戦闘を両立していたが、後衛はリリと春姫の戦力不足が課題であった。リリは治療師や魔導士の不在も弱点として挙げ、酒場のリューのような人物が加われば理想的だと語った。ベルはそれを現実的ではないと苦笑した。
春姫の魔法運用に向けた準備
探索を続けながら、一行は春姫の魔法を安全に使う準備についても話し合った。しばらく探索を続けた後、十四階層の人気のない安全地帯へ戻り、パーティの各自に春姫の魔法を試しておく方針が確認された。突然強化を受ければ混乱するおそれがあるため、事前に感覚を掴んでおく必要があったのである。ベルは過去に一度その魔法を受けた経験があり、光に包まれた後に力が強くなり、速く動けるようになったと説明した。
命はその間も【八咫黒鳥】による警戒を怠らず、春姫を守りながら仲間達を支えていた。こうして五人の新たなパーティは、春姫という重要な仲間を迎えた上で、慎重に迷宮攻略を進めていった。
帰還した命達をタケミカヅチが迎えたこと
命達が探索を終えて地上へ戻ると、街は夕焼けに包まれていた。戦利品を換金し、中央広場の雑踏を抜けてホームへ戻った一行を、館ではタケミカヅチが迎えた。ベル達は、主神も団員も外出して館を空にする危険を避けるため、この日は【タケミカヅチ・ファミリア】に留守番と警備を頼んでいた。タケミカヅチは、それも助け合いの一つだと気軽に受け止め、風呂を借りたことまで冗談めかして語ったため、ベル達は改めて礼を述べた。
仕送りを断られた命の迷い
団員達がそれぞれの部屋へ戻った後、命は一人で玄関に残り、自分の取り分である報酬の小袋をタケミカヅチに差し出した。極東の社へ仕送りしてほしいという願いからであった。しかしタケミカヅチは、その金はベル達とともにダンジョンで稼いだものであり、今の仲間のために使うべきだと受け取りを拒んだ。命は社のために何もできないことへ焦りを覚えたが、今の自分は【ヘスティア・ファミリア】の一員だという指摘を受け、反論できなくなった。
タケミカヅチが家族の絆を言葉にしたこと
仕送りを巡るやり取りの中で、命はタケミカヅチの眷族であったことを忘れたくないという思いを胸に抱いていた。するとタケミカヅチは、かつて命に娘になれと告げたことを持ち出し、改宗しても最初に与えられた神血は消えず、自分は今でも命の息吹を感じ取れるのだと語った。そして命はいつだって自分の娘であり家族であるから、そんな顔をするなと優しく告げて頭を撫でた。さらに千草や飛鳥も成長しており、自分達も上手くやっているから心配するなと続けた。その言葉を受けた命はようやく頷き、去っていくタケミカヅチの背を見送りながら、彼から一度離れたことでかえって恋慕が強くなっていることを自覚した。
千草に恋心を見抜かれた命
タケミカヅチの背を見つめていた命は、背後から声をかけてきた千草に驚いた。千草はかなり前からその場におり、仕送りを断られて落ち込んでいた姿も、頭を撫でられて赤面していた様子も、すべて目撃していた。命は羞恥に耐えきれず泣き叫ぶようにやめてほしいと訴えたが、千草は申し訳なさそうにしつつも本題を切り出した。仲間達と今年もタケミカヅチの祝いをしようと話しており、春姫も誘って贈り物を用意するつもりだが、命はどうするのかと尋ねた。命はその話を聞き、驚きながらも心を動かされた。
命が贈り物選びのため街へ出たこと
【タケミカヅチ・ファミリア】と夕食をともにした日から二日後、命は迷宮探索の休みを願い出て、ベルとヴェルフを伴い街へ出た。理由は、近日中に行われるタケミカヅチの祝いのため、きちんとした贈り物を選ぶためであった。これまでは資金が乏しく、真心はあっても立派な品を贈ることはできなかったが、今は以前より懐事情もよくなっていたため、今年こそは相応しい贈り物を渡したいと考えていた。そこで命は、同じ男性であるベル達にタケミカヅチが喜びそうなものを教えてほしいと頼み込んだ。
贈り物選びに迷い続けた命
命はベルとヴェルフに連れられて店を見て回ったが、なかなか決めることができなかった。以前の暮らしで贈っていたものは、綺麗な貝や木の実で作った首飾りなどであり、今の参考にはなりにくかった。買い物に慣れていない命は、店先に並ぶ品物を一つひとつ真剣に見つめながら迷い続け、日が高くなる頃になっても何を選べばよいのかわからずにいた。
料理を贈り物にする案を選んだこと
途方に暮れる命に対し、ベルは品物ではなく食べ物を贈るのはどうかと提案した。命は料理が得意であるため、美味しいものを祝いの席に出せばよいのではないかという考えであった。その言葉を聞いた命は、社にいた頃からご馳走らしいものをあまり振る舞えなかったことを思い出し、次第にその案に心を動かされた。ヴェルフが祝いの席ならケーキがよいのではないかと口にすると、命は思案の末、自分はケーキを作ると決めた。
豊穣の女主人で作り方を学んだこと
命達はケーキの作り方を知るため、『豊穣の女主人』を訪れた。事情を説明したベルの頼みに、店側は色恋沙汰の匂いを面白がりつつも、昼食を取ることを条件に協力を認めた。命は店員達にからかわれながらも、ケーキの調理法を教わった。さらに土産としてホールケーキまで持たされ、それを手本にすれば作れそうだと手応えを得た命は、ベルとヴェルフに感謝しながら店を後にした。
街中で見たタケミカヅチの振る舞いに命が動揺したこと
ホームへ戻る途中、ベルが前方にタケミカヅチの姿を見つけた。命が目を向けると、彼は蜂蜜色の長髪を持つ女神デメテルに声をかけ、顔色を心配して額を寄せていた。さらに、相手だからこそそうしているのだと自然に言い、女神を赤面させていた。命はそれを無言で見つめ、心の内に動揺を溜め込んでいった。
女性達への無自覚な接触に命の嫉妬が募ったこと
その後もタケミカヅチは、助けたことに礼を言いに来た少女達の頭を撫でるなど、次々に女性達と親しく接していた。相手の年齢や種族を問わず自然に距離を詰めるその振る舞いは、彼自身が何も自覚していないからこそ余計に始末が悪かった。命はその様子を見続けるうち、手にしていたケーキの容器を歪ませるほど感情を昂らせていった。ベルとヴェルフはその異変に怯えながらも声をかけたが、命の耳には届いていなかった。
春姫への言葉が決定打になったこと
そして決定的な場面が訪れた。春姫が作った餡団子を差し出すと、タケミカヅチは春姫の口元についた餡に気づき、自ら手を伸ばしてそれを取り、そのまま口にした。さらに春姫を褒め、気立てがよく健気であり、神でなければ自分がもらってやりたいくらいだと笑った。その言葉を聞いた命の中で何かが切れ、理性は完全に限界を迎えた。
命がケーキを投げつけて逃げ出したこと
命は無言のまま二人の前へ進み出ると、持っていた容器の蓋を開けた。何が起きるのか理解していないタケミカヅチに対し、命はついに怒りを爆発させ、天然ジゴロだと叫びながらホールケーキを顔面へ叩きつけた。春姫の悲鳴が響く中、命はその場から一気に逃走した。物陰に潜んでいた神々は命の行動を喝采したが、命はそれに構うことなく、瀕死同然となったタケミカヅチを置き去りにして走り去っていった。
ケーキをぶつけた直後の命の自責
街中を逃げ続けた命に追いついたベルとヴェルフは、神の顔面にケーキを叩きつけた行動を厳しく咎めた。命もまた、自分が軽率であったことを理解しており、感情を抑えきれず体が勝手に動いたと謝罪した。しかしその一方で、胸の内ではなお激しい情動が渦巻いており、自らを律せなかったことを口惜しく思っていた。通りの真ん中で四つん這いになりながら自責する命の姿には、周囲から奇異の視線が集まった。
嫉妬を自覚した命の苦悩
命は、以前からタケミカヅチに女性相手の距離感の近さがあったことを思い出していた。だが極東にいた頃は交流範囲が狭く、あそこまで露骨に見せつけられることはなかった。オラリオに来てから交友関係が広がり、自分の知らないところで同じようなやり取りが繰り返されていたのだと思うと、命は耐えきれなくなっていた。自分が抱いている感情が、タケミカヅチの振る舞いへの不満であると同時に、身勝手な嫉妬でもあると理解していたため、その想いを惨めで浅ましいものだと責め、涙すらこぼれそうになっていた。
謝罪のためにケーキを作る決意
ベルとヴェルフに今後どうするのか問われた命は、予定通りケーキを作り、それを持って謝ると答えた。タケミカヅチに非礼を詫びなければならないという思いは揺らがなかったが、今すぐ顔を合わせれば何を言い、何をしてしまうかわからなかった。複雑な感情に怯えながらも、まずは祝いのためのケーキを完成させることを優先し、命は意気消沈した様子でホームへ戻っていった。
失敗を重ねながらケーキ作りに没頭したこと
祝事当日の朝、命は館の調理場にこもってケーキ作りを始めた。前日には試作も行っていたが、珍しく失敗を重ね、試食役となったベルとヴェルフを苦しめていた。それでも命は沈みそうになる気持ちを振り払い、自分を叱咤しながら調理へ集中した。春姫が前日のことを気遣って声をかけても、命は気にしていないと繰り返し、ほとんど耳を貸さなかった。事情を聞いたヘスティアやリリも、タケミカヅチの無自覚さに呆れつつ、あえて深入りせず見守る姿勢を取った。
完成したケーキを抱えて旧ホームへ向かったこと
命は『豊穣の女主人』で教わった手順を忠実に再現し、ついに果実を飾った立派なホールケーキを完成させた。だが完成したことでかえって現実へ引き戻され、これからタケミカヅチと顔を合わせなければならないことを改めて意識した。空が暗くなり祝事の時刻が近づくと、命はケーキを箱に収め、かつて自分が暮らしていた【タケミカヅチ・ファミリア】の古い集合住宅へ向かった。気まずさを引きずったまま辿り着いた命は、誰も出迎えに来ないことを不思議に思いつつ廊下を進み、居室の扉を開けた。
送別会という真意が明かされたこと
扉を開けた瞬間、命の頭上には紙吹雪や花びらが降り注ぎ、部屋の中から拍手と歓迎の声が向けられた。そこには桜花や千草達だけでなく、春姫までもが笑顔で待っていた。部屋は飾り付けられ、料理も並べられており、まるで命自身が主役であるかのような光景であった。困惑する命に対し、桜花はこれはタケミカヅチの祝いであると同時に、【ヘスティア・ファミリア】へ移った命の送別会でもあると明かした。表向きは主神の祝事として進めていたが、本命は命の門出を祝うことにあったのである。
春姫の行動の意味を命が理解したこと
春姫もこの祝いの準備に加わっており、料理作りを手伝っていたことが明かされた。命はテーブルに並ぶ団子を見て、前日に街で見た春姫とタケミカヅチのやり取りが、祝いの準備に関するものだったのだとようやく理解した。タケミカヅチが命の送別会をやろうと言い出したと千草に教えられたことで、命の胸には一気にさまざまな感情が込み上げた。
タケミカヅチの謝罪と命の告白未遂
やがてタケミカヅチが前へ進み出て、昨日は悪かったと命に謝った。自分が何をして彼女を怒らせたのかはよくわかっていないが、また無神経なことをしてしまったのだろうと認めたのである。それに対し命は、自分が勝手に不満と憤りと嫉妬を抱いただけであり、悪いのは自分だと涙ながらに訴えた。するとタケミカヅチは、言いたいことがあるなら何でも言え、自分は神であり父親なのだから受け止めると告げた。その言葉を受け、命はついに恋慕の想いを伝えようと決意し、勇気を振り絞って言葉を発しようとした。
間の悪い贈り物と雌雄一対の短剣
しかし命が告白しようとしたその瞬間、タケミカヅチはまったく気づかないまま、渡したいものがあると言って部屋の隅へ向かった。周囲が呆れる中で差し出されたのは、雌雄一対の短剣であった。白と黒の二振りは特注品であり、桜花達にも知らせず、タケミカヅチが自ら働き、さらに借金までして用意したものであった。命はその事実に大きく驚き、強い想いが込められた贈り物を前に涙をこらえきれなくなった。
帰還を待つという約束
タケミカヅチは、黒の短剣《地残》を命に預け、白の短剣《天華》は自分が持つと告げた。そして命が自分達のもとへ帰ってきた時、そのもう一振りも渡すと約束し、必ず帰ってこい、いつまでも待っていると笑ってみせた。命は涙を流しながら、その言葉と温もりを胸に刻んだ。そしてこの番の剣が真に揃う時こそ、今日伝えられなかった恋慕を打ち明けようと決意した。剣に相応しい自分になって、今度こそこの想いを伝えるのだと心に誓い、待っていてほしいと笑顔で応じた。
祝宴の再開と命の笑顔
命は涙を拭いながら、自分が作ったケーキをタケミカヅチと皆に差し出した。タケミカヅチが受け取って声を上げると、部屋は一気に賑やかになり、男達は待ちきれない様子で料理へ手を伸ばした。千草や春姫達は命のそばへ寄り添い、背中や肩に手を添えて微笑みかけた。命もそれに笑い返し、かつての社を思わせる狭いホームには、賑やかな笑い声が満ちていった。
贈られた短剣と命の新たな励み
翌日、初夏の日差しが降り注ぐ【ヘスティア・ファミリア】の中庭で、命はタケミカヅチから贈られた短剣《地残》を手に鍛錬へ励んでいた。その様子を回廊から見守るベルとヴェルフ、そして商品を届けに来たナァーザは、昨夜の出来事を思い返していた。命はときおり立ち止まって短剣を見つめ、そのたびに頬を緩ませていた。タケミカヅチと仲直りできたこと、そして自分だけのために用意された贈り物を手にしたことが、命を心から喜ばせていたのである。
雌雄一対の短剣が持つ意味
ナァーザは、神と眷族がそれぞれ一振りずつ持つ雌雄一対の短剣は、まるで婚約指輪のようなものだと指摘した。ヴェルフとベルも、その言葉を否定できず苦笑した。求婚にも等しい形で贈り物を渡されれば、命が浮かれるのも当然であると二人は感じていた。その時、命は鍛錬の手を止め、皆にも一緒に鍛練をしようと明るく声をかけた。雌雄一対の剣を手にした命の表情には、迷いのない晴れやかな笑みが浮かんでいた。
二章 パルゥムの求婚
フィンが王国軍の真意を見抜いたこと
迷宮都市の外では、オラリオの【ファミリア】連合とラキア王国軍の戦闘がなお続いていた。開戦から五日が経過した大草原地帯の野営地で、ロキは戦争の長期化にうんざりしていたが、フィンは敵軍の動きに違和感を抱いていた。王国軍は決定的な攻勢を仕掛けず、部隊を広く散らして浅く押しては退く動きを繰り返していたのである。将軍級も前に出てこず、追撃させること自体が目的であるかのような戦い方であった。
そこへラウルが戻り、港町や湖方面にも怪しい艦隊の気配がないと報告したことで、フィンは海路からの侵攻という可能性も捨てた。そして敵は戦争を長引かせ、オラリオの有力戦力を都市の外へ釘付けにしているのだと結論づけた。つまり本当の狙いは都市の中にあると見抜いたのである。
ロキ・ファミリアが戦域を離脱したこと
敵の目的が都市内部にあると判断したフィンは、【ロキ・ファミリア】を戦域から撤退させる決断を下した。ラウルには各員への伝令を命じ、撤退を悟られないよう団旗だけは残させた。ロキはようやく帰れることに喜び、さらにギルドから罰則を受けている【フレイヤ・ファミリア】へ厄介事を押しつけられると愉快そうに笑った。
こうして【ロキ・ファミリア】は野営地を引き払い、白亜の巨塔を目指してオラリオへ引き返し始めた。移動の途中では、ティオネが相変わらず隠そうともしない好意をフィンへ向けていたが、団員達はすでに見慣れた光景として受け流していた。やがてリヴェリアとガレスが今後の動きを尋ねると、フィンは指示だけ出した後、自分は別件にあたるため暇をもらいたいと語った。冒険者としての働きとは別に、進んでいないもう一つの使命を果たしに行くつもりであった。
リリがノームの万屋を訪れた朝
一方その頃、リリは早朝のうちに骨董品店『ノームの万屋』を訪れていた。店主ボム・コーンウォールは寝起きのまま白湯を飲んでいたが、リリはそんな彼に構わず開店準備へ取りかかった。この店は、かつてリリが身を隠すために住み込みで働かせてもらった場所であり、今でも恩返しを兼ねて世話を焼きに来ていたのである。
ボムは低級の地精霊でありながら強い人格を持ち、鑑定の力と器用さで商売を営んでいた。リリは朝食を用意し、倉庫の魔石灯の交換や在庫の補充まで済ませると、今日もダンジョンへ向かうことを明るく告げた。十六階層進出を目指していること、自分も仲間達の足を引っ張れないことを楽しげに語るリリを見送った後、ボムは彼女があのように笑えるようになったことを嬉しく思いながら、静かにその背を見送った。
ステイタス更新でリリが自分の限界を意識したこと
夜の【ヘスティア・ファミリア】本拠では、団員達が順番にヘスティアの部屋を訪れ、一週間ごとの【ステイタス】更新を受けていた。リリも更新用紙を受け取って内容を確認したが、能力値の伸びは決して大きなものではなかった。以前の派閥で長く更新されていなかった時期があったこともあり、改宗後に能力を一新できたとはいえ、現在の成長は下級冒険者の中でも低い部類に留まっていたのである。
リリはサポーターである以上、能力が伸びにくいことも、自分に冒険者として突出した適性があるわけではないことも理解していた。しかしそれでも、半年ほどでは劇的な変化など望めない現実に、歯痒さを抱かずにはいられなかった。
ヘスティアがステイタスを隠していなかったこと
更新を終えて居室へ戻ったリリは、ふと窓に映る自分の背中を見て、【ステイタス】が服の隙間から見えていることに気づいた。そこで以前からの疑問として、どうしてヘスティアは【ステイタス】を隠蔽していないのかと問いかけた。するとヴェルフ、命、春姫ら他派閥から移ってきた者達も同じ疑問を口にし、逆にヘスティアとベルは、隠す方法があること自体を知らなかった。
リリ達は、神専用の技術で【神聖文字】を不可視化する『錠』の存在を説明した。ヘファイストスやタケミカヅチ、イシュタル、さらにはソーマでさえ施していた常識を知らなかった主神と眷族に対し、皆は呆れつつも放っておけない思いを抱いた。ヘスティアはようやく事情を理解し、今度きちんと教わると慌てていた。
仲間達の更新値とベルの異常な成長
その後リリは、ヴェルフ、命、春姫の更新用紙を見せてもらった。そこには自分と大きく変わらない、常識的な範囲の成長が記されていた。だが最後にベルの更新用紙を見た瞬間、皆はそろって口を噤んだ。ベルはレベル三でありながら、能力値の上昇幅はレベル二や一の仲間達よりもなお大きかったのである。
同じようにダンジョンを攻略し、同じ敵と戦ってきたにもかかわらず、その成長速度は誤差では済まされなかった。ヴェルフは本当にどうなっているのかと率直に問い、ベル自身もわからないと戸惑っていた。リリは、これはベル個人の資質だけではなく、何か特別な力が働いているように思えた。
ベルを風呂へ向かわせて真相を聞き出したこと
異常な更新値を前に、リリ達はヘスティアが何かを隠していると察した。そこでヴェルフが風呂の話を持ち出し、命も湯を張ってあるから入るよう勧め、春姫も不自然に尻尾の毛繕いを始めて場を整えた。リリはヘスティアと話があると告げ、皆で主神を囲んだ。ベルが居室を出た瞬間、彼女達はすぐにヘスティアを包囲し、今日こそベルの成長の秘密を話してもらうと迫った。
ヘスティアは観念し、他言無用と念を押した上で、ついにベルの秘密を明かした。こうしてリリ達は、ベルが持つ特別な【スキル】の存在を知ることになった。
憧憬一途の正体が明かされたこと
ヘスティアが語ったのは、ベルの【憧憬一途】という【スキル】であった。その力は、想いを抱き続ける限り成長を加速させるという前代未聞のものであり、その効果はベルが胸の内に抱く懸想の強さによって高まるというものであった。つまりベルは、ある少女への想いを糧に、常識外れの速度で成長していたのである。
ヴェルフが、それは惚れた【剣姫】に追いつくためということかと確認すると、ヘスティアは苦々しげに認めた。こうして、ベルがアイズ・ヴァレンシュタインに片想いしているという事実も、あわせて明らかになった。
リリと春姫が受けた衝撃
その真実を聞いたリリは、大きな衝撃を受けた。ベルが何かのために必死に頑張っていることは薄々感じていたが、それが【剣姫】への想いによるものだったとは思っていなかった。異性への憧れや恋慕そのものは不自然ではないと頭では理解できたが、【スキル】に表れるほど強い想いだと知ったことで、リリの心は大きく揺れた。
命が、ベル本人には何も知らせていないのかと尋ねると、ヘスティアは、ベルは隠し事が苦手だから知らせればすぐに秘密が漏れるし、何よりアイズへの想いに関わる内容など口にしたくないと本音を漏らした。その会話を聞きながら、リリの衝撃はさらに深まっていった。
ヘスティアの本音と春姫の発言
リリは思わず、ヘスティアはそれでよいのかと問い返した。ヘスティア自身もベルを強く想っているはずなのに、そのまま受け入れているのかと聞かずにはいられなかったのである。するとヘスティアは、ベルが自分で強くなりたいと決めた以上、その決意を止めることはできないと答えた。しかし同時に、ベルを誰にも渡すつもりはなく、いつか必ず自分を振り向かせてみせると闘志も露わにした。
その流れの中で春姫もまた大きな衝撃を受けており、自分は娼婦の身であったからベルの恋路に口を出す資格はないとしながらも、側室や夜伽くらいなら自分でもと口走ってしまった。これに激怒したヘスティアが飛びかかり、命とヴェルフが慌てて止めに入ったことで、その場は一気に騒がしくなった。
リリが言葉を失ったまま立ち尽くしたこと
騒ぎの中でも、リリは一人茫然としていた。ベルの隣を自分が独占できるとは思っていなかった。それでも、彼の想いがそこまで強く、しかも【スキル】にまで結びついていると知った衝撃は大きかった。ベルに想い人がいたという事実と、その想いが今の成長の原動力であるという現実を前に、リリは言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
眠れぬ夜の末にベルの鍛錬を目撃したこと
夜の騒ぎの後、自室へ戻ったリリは寝台に入ってもまったく眠れなかった。天井を見上げても、目を閉じても胸のざわめきは収まらず、何度も寝返りを打ちながら感情の整理がつかないまま夜を過ごした。やがて夜が薄らぎ始めた早朝、リリはついに眠ることを諦めて部屋を出た。
水を飲もうとして厨房へ向かう途中、中庭から鋭い風切り音が聞こえたため、リリは窓辺から外を覗いた。そこにいたのは、一人で鍛錬に励むベルであった。ベルは紫紺と紅緋のナイフを振るい、見えない強敵を相手に模擬戦を繰り広げていた。リリは、その仮想の敵が第二級冒険者となったベルでも及ばないほど強い存在であると見抜き、やがてベルが敗れたように動きを止め、大量の汗を流しながら息を切らす姿を目にした。リリは、彼がアイズを相手に想定して鍛えているのではないかと察し、そのひた向きさに少女への想いの強さを改めて突きつけられた。
迷宮探索の最中にリリの劣等感が深まったこと
その日の探索で一行は十五階層を越え、十六階層へ進出した。順調な攻略によりパーティ全体の士気は高まっていたが、リリだけは一人暗い表情を浮かべていた。ベルに体調を気遣われても、寝不足なだけだと笑顔を作って答えたが、心の動揺は収まっていなかった。ダンジョンで余計なことを考えるべきではないとわかっていても、ベルの想い人の存在を知ってしまったことで、自分の価値を考えずにはいられなかった。
リリは、自分がただのサポーターであり、前衛のようにベルを守る力もなければ隣に立つ資格もないと痛感していた。さらに真横にいる春姫を見て、その劣等感はいっそう強まった。春姫には【階位昇華】という強力な魔法があり、支援役としての価値も高く、容姿にも恵まれていた。成長した春姫に自分の居場所を奪われるのではないかとまで思い詰めたリリは、一瞬、サポーターの指導をやめてしまおうかと考えてしまい、その浅ましさに自分で強い嫌悪を抱いた。
アイズとの差を痛感して絶望したこと
リリは、自分の苦しみの正体が、ベルの想い人であるアイズに対する強烈な劣等感であると理解した。美しく、強く、凛々しく、多くの冒険者の憧れの的であるアイズに対し、自分は何一つ敵わないと感じていたのである。ベルの視線の先にいるのは常にあの高みにいる少女であり、自分はその視界にすら入れない存在なのだと突きつけられ、リリは絶望にも似た落胆を覚えた。戦闘後、春姫とともに魔石を拾いながら、みじめな自分の姿に胸を痛めていた。
ベルがリリの異変を気にしていたこと
探索後、ベルは一人でギルド本部を訪れ、エイナに十六階層まで無事に探索できたことを報告した。予想以上にドロップアイテムが出たため荷物が限界に達し、探索を切り上げたことも伝えたが、ベルが早めに戻った理由の一つには、リリの様子が気になっていたこともあった。半日を通して元気のない彼女の姿を思い返しながら、ベルは何かあったのではないかと案じていた。
フィンがベルに接触したこと
ギルド本部を出ようとしたベルは、突然自分の名を呼ばれた。振り向いた先にいたのは【ロキ・ファミリア】の団長フィン・ディムナであり、ベルは驚愕した。フィンは敵意がないことを告げた上で、ミノタウロス戦や十八階層での出来事もあり、一度ベルと話をしてみたかったのだと説明した。だが今の【ヘスティア・ファミリア】は中堅派閥として注目を集めているため、堂々とホームを訪ねると他派閥に余計な警戒を抱かせるおそれがある。そのため、本部でベルを待っていたのであった。
フィンは、時間があればゆっくり話したいと持ちかけ、ベルは断れずに応じた。二人は裏通りを通って南西区画の喫茶店『ウィーシェ』へ向かい、そこで向かい合うことになった。
フィンが都市内の異変を警告したこと
店内でフィンはまず、戦争遊戯の勝利と派閥結成を祝福し、ベル達の戦いぶりを見事だったと称えた。その後、最近身の回りで何か変わったことはないかと尋ね、都市の中は一見平和でも、近頃は物騒だから注意した方がよいと忠告した。王国軍との戦闘が続いている中で団長である彼が都市内に戻ってきていることに、ベルは疑問を覚えつつも、その助言の意味を測りかねていた。
フィンがリリへの縁談を持ち出したこと
やがてフィンは本題を切り出し、ベルのサポーターである栗色の髪の小人族、すなわちリリと会わせてほしいと告げた。さらに率直に言えば、同族である彼女に縁談を申し込みたいのだと明かした。突然の話にベルは激しく動揺したが、フィンは冗談ではなく真剣であることを静かに伝えた。
フィンが一族再興の使命を語ったこと
フィンはまず、自分がなぜ他派閥の同族にそのような申し出をしようとしているのかを説明するため、小人族の間でかつて信仰されていた架空の女神『フィアナ』の話を持ち出した。『古代』に活躍した小人族の騎士団が神格化されたその存在は、小人族にとって最初で最後の栄光であり誇りであった。しかし本物の神々が地上に降りた『神時代』の到来によってその信仰は廃れ、小人族は心の支えを失って急速に衰退していった。
フィンは、その落ちぶれた一族に再び希望の光をもたらすため、名声を得て旗頭となることを目指し、オラリオに来て冒険者となったのだと語った。世界の中心で勇名を轟かせることで、小人族に新たな誇りを与えようとしていたのである。しかしそれだけでは足りず、希望を長く保つには次代へ続く後継者が必要であり、それも自分の血を引く純粋な小人族でなければならないと考えていた。
フィンがリリを求める理由を明かしたこと
小人族の繁栄のためには、同族の伴侶が必要になる。ベルがようやくその意味を理解すると、フィンはリリを妻に迎え、自分の子を産んでもらいたいと真正面から告げた。ベルはあまりの話の大きさに顔を真っ赤にして動揺したが、さらに他派閥同士の結婚は問題にならないのかと尋ねた。
それに対しフィンは、自分が【ロキ・ファミリア】に加わる際、一族再興への協力とそれを邪魔しないことをロキとの条件にしていたため、主神からはすでに許しを得ていると明かした。派閥創設自体が利害関係に基づくものであり、その契約は今も履行されているのだという。ただし今は【ファミリア】に愛着も責任もあるため、本人や神ヘスティアが拒めばそれまでであり、無理強いする気はないとも付け加えた。
フィンの年齢と覚悟にベルが圧倒されたこと
フィンは、自分はすでに四十を過ぎているとさらりと語った。幼い外見からは想像もつかない年齢にベルは驚愕したが、フィンは【ステイタス】の昇華によって老化が遅くなるため、高レベル冒険者は見た目で判断しない方がよいと教えた。さらに彼は、自分はもう理屈を捨てており、この身は一族再興のためだけに捧げる覚悟だと静かに言い切った。そして、もしよい返事がもらえるなら、リリに真摯に向き合い、きちんとした関係を築くつもりであり、決して不幸にはしないと約束した。
リリが選ばれた理由が勇気にあったこと
ベルは、なぜリリなのかと尋ねた。第一級冒険者であるフィンなら他にも候補はいくらでもいるはずであり、恋慕から選んだようにも見えなかったからである。するとフィンは、ミノタウロス戦の日のことを挙げた。あの日、リリは怪我も顧みず、ベルを救うためにアイズ達を呼びに走った。その姿にフィンは強く感銘を受けたのだという。
フィンが一族に必要だと考えているのは、小人族が失ってしまった唯一の武器である『勇気』であった。小人族は身体能力にも魔法にも他種族に劣るが、自分達より大きな相手にも立ち向かう勇ましさこそが本来の強みであった。リリはその勇気を示した存在であり、だからこそ伴侶候補として見込まれたのであった。
リリ個人への特別な恋慕ではないと知ったベルの衝撃
しかし同時にフィンは、リリでなければならないというわけでもないとあっさり認めた。資格と最低限の人格さえあれば、自分は誰にでも求婚するだろうし、複数の伴侶を持つことも厭わないとまで口にした。その言葉にベルは大きな衝撃を受けた。だがフィンはすぐに、現実には団長としての立場があり、複数の女性を囲うような真似はしないと苦笑しつつ訂正した。
それでも、彼の考えがあくまで一族再興を最優先にしたものであり、恋慕よりも使命と理屈に基づいていることは明白であった。フィンは最後に、返事をする気があるなら翌日この店へ来てほしい、断るなら来なくてよい、自分は一日待っていると告げ、場所を書いた羊皮紙を残して店を去った。
ベルが伝えるべきかどうかで苦しんだこと
一人残されたベルは、卓上の羊皮紙を見つめながら重い気分に沈んだ。フィンや【ロキ・ファミリア】には、アイズの件も含めて多くの借りがある。だからこそ無下に扱うこともできず、この話をリリに伝える義理はあるように思えた。しかしもしリリがその申し出を受けたら、自分はどうすればよいのかという思いが頭を離れなかった。答えの出ない迷路に迷い込んだような感覚の中で、ベルはただ天井を見上げ続けていた。
夕食の席でリリが平静を装ったこと
ホームでの夕食の時間、リリは胸の内を隠しながら団員達と会話を交わしていた。食卓の空気を重くしないよう、陰鬱な感情を押し込め、笑みまで作って振る舞っていたのである。命と春姫が担当した夕食を褒め、他愛のない話題にも加わった。ヴェルフは何も聞かず、ヘスティアもすべて承知しているかのように普段通りの態度を崩さなかった。ベルだけは何度もリリの様子を窺っていたが、リリは気づかないふりを貫いた。
ベルが二人きりで縁談を伝えたこと
食後、リリが自室へ戻ろうとしたところをベルが呼び止めた。使われていない二階の空き部屋へ移動した二人きりの場で、ベルはフィン・ディムナからリリへの縁談を持ちかけられたことを伝えた。羊皮紙を受け取ったリリは呆然としつつも、すぐに衝撃の本質を理解した。あの勇者が自分を望んでいること自体ではなく、その話をベルの口から聞かされたことが、彼女の胸を強く抉ったのである。自分はやはりベルにとって異性として意識される存在ではなく、他人との縁談を平然と伝えられる相手なのだと感じてしまった。
ベルの態度がリリの感情を爆発させたこと
ベルは、嫌なら断ってよいし、自分がフィンに伝えるとも慌てて付け加えた。しかしリリにとっては、その気遣いさえも痛みを深めるものとなった。そこでリリは、この縁談についてベル自身がどう思うのかを尋ねた。だがベルは明確な言葉を返せず、うろたえるばかりであった。その曖昧さに、リリの中で積み重なっていた感情はついに爆発した。ベルの優柔不断なところが大嫌いだと叫んだ上で、自分は勇者に会いに行くと宣言した。
勢いに任せたリリは、フィンとの縁談は誰もが羨む玉の輿であり、あの人物は力も金も名声も持っているとまくし立てた。そして、ベルよりずっと格好よく立派だとまで言い切った。その一言はベルに大きな衝撃を与えたが、リリはそのまま部屋を飛び出し、ホームからも走り去っていった。
フィンが縁談に本気で向き合っていたこと
一方その頃、【ロキ・ファミリア】本拠『黄昏の館』では、フィンが副団長リヴェリアに翌日もホームを空けると伝えていた。リヴェリアは、使命そのものは昔から聞いていたが、色恋に関心が薄そうだったフィンが、縁談のためにこれほど積極的に動くことを意外に思っていた。するとフィンは、自分もようやく少しはそうしたことへ目を向けられるようになったのかもしれないと語った。さらに、最近の戦いを通して、自分がいつ命を【ファミリア】のために使い切るかもしれないとも思うようになったと打ち明けた。
ただしそれは悲観ではなく、保険のような意味合いも含んでいた。そして何より、良き同族に巡り会えたことが大きいと述べた。自分の心はあの時から揺り動かされていたのだと認めた上で、果たして彼女は来てくれるだろうかと、月夜の街を見つめながら静かに思案していた。
リリが逃避の末に待ち合わせ場所へ向かったこと
ホームを飛び出したリリは、その夜『ノームの万屋』へ押しかけ、店主に頼み込んで一晩泊めてもらった。ベルが息を切らして探しに来た時も、不在を装って帰してもらっていた。翌朝、人混みの中をとぼとぼと歩きながら、リリは自分の行動をみっともないと責めていた。ベルに少しでも不安や心配、あるいは嫉妬を抱いてほしいという浅ましい感情があったのではないかと自分を罵りつつも、結局は少年と向き合うことから逃げた自分の弱さを認めざるを得なかった。
そうして歩くうちに、リリはフィンから指定された店の前に辿り着いた。人目の届きにくい隘路に建つその店は『小人の隠れ家亭』という、小人族専用の酒場であった。もうどうにでもなれという半ば自暴自棄な気持ちで、リリは扉を開いた。
小人族の酒場でルアンと再会したこと
店内はすべて小人族向けの大きさで作られており、客も店員も皆小人族であった。そこでリリは、店員として働いていたルアン・エスペルと再会した。かつて【アポロン・ファミリア】に所属していた彼は、戦争遊戯後に派閥解体の憂き目に遭い、今ではこの酒場で働いていた。ルアンは、自分が冒険者から酒場の店員に落ちぶれたのは【ヘスティア・ファミリア】のせいだとリリを責めたが、リリはもともと抗争と戦争遊戯を仕掛けてきたのは向こうだと反論した。
もっとも、戦争遊戯の最中に変身魔法を用いたリリがルアンに成りすまして裏切り者に仕立て上げた結果、彼の悪評が都市中に広まってしまったのも事実であった。リリは多少の後ろめたさを感じ、謝意も込めて自分達の【ファミリア】に入るかと提案してみたが、ルアンは借金まみれの派閥などご免だと即座に拒否した。こうして二人の不毛な応酬は終わり、リリは待ち人のもとへ進んだ。
フィンと正式に向き合ったこと
酒場の隅、窓辺の席にフィンはいた。変装用なのか眼鏡をかけ、小さな本を読んでいた彼は、リリに気づくと穏やかに笑いかけた。名高い第一級冒険者が待っていた相手がリリだったことで、店内の視線は一斉に彼女へ注がれた。ルアンまで口を開けて固まるほどであった。
リリは皮肉混じりに、半信半疑なら最初から声をかけなければいいと返してしまったが、フィンはそれすら笑って受け流した。促されるまま向かいの席に座ったリリは、互いに名乗り直す形でフィンと正式に向き合った。そしてフィンは、来てくれたということはよい返事が聞けるのかと、柔らかく問いかけた。
リリが自分を選んだ理由を問い質したこと
その問いに対し、リリは即答せず、一つだけ聞かせてほしいと前置きして、どうして自分を選んだのかを尋ねた。心の底では、ベルへの想いが叶わないのなら、フィンの誠実さと器の大きさに身を委ねることで楽になれるのではないかと考えていた。しかしそれでも、自分がその伴侶に相応しいとは到底思えなかったのである。
フィンは、ベルから聞いていないのかと前置きしつつ、自分はリリの『勇気』に見惚れたのだと答えた。強さと勇気は同じではなく、リリは自分の弱さを知りながらも困難に立ち向かえる意志を持っていると評価した。十六階層での出来事も覚えており、他人のために身を挺することのできる、偉大な先祖のような小人族だと真っ直ぐに讃えた。その言葉にリリは一瞬頬を赤らめたが、すぐに首を振った。
リリが過去の罪を告白したこと
リリは、自分はそんな立派な小人族ではないと否定し、かつて『手癖の悪い小人族』として冒険者達から金品を盗んでいた張本人が自分であると明かした。罠に嵌め、金目のものを奪ってきたこと、相手を殺そうと思ったことさえあったことを口にし、自分は最低な存在なのだと訴えた。
だがフィンは、それらの噂を調べたことがあるとした上で、被害者達は皆生きており、リリは誰も殺していないと断言した。リリは違うと叫びたかったが、結局、相手を手にかけられなかったのは、自分が甘かっただけだという苦い自覚が胸に残るのみであった。
フィンが今のリリだけを見ていると告げたこと
フィンは、命を奪わず金品だけを盗んでいくという時点で、この迷宮都市では可愛いものだとすら思えてしまうと半ば冗談めかしつつ、自分は神ではないからリリを裁くつもりも、過去を詮索するつもりもないと告げた。そして、自分が見ているのは今のリリだけだとはっきり言い切った。
さらに、今のリリは小人族が失ってしまった大切なものを持っているのだと重ねた。その碧眼には、表面的な慰めではない、確かな敬意が滲んでいた。
ベルがリリの不在に耐えきれなくなったこと
リリが戻らないまま朝を迎え、ベルは居室で一人不安を募らせていた。昨夜のうちに街を探し回ったものの見つけられず、朝になれば帰ってくると自分に言い聞かせて待っていたが、その願いも叶わなかった。リリはフィンとの待ち合わせに向かったのではないかという思いが強まり、ベルは悩み抜いた末にヘスティアのもとを訪れた。
神室で事情を打ち明けると、ヘスティアはベルがリリの幸せを勝手に考えて身を引こうとしていることを見抜いた。そして、もし自分がリリの立場なら、そのような縁談をベルから持ちかけられたこと自体が傷つくと告げた。さらに、リリが退団を望むなら引き止めはしないが、ベルのその配慮は余計なお節介であり、リリは自分の幸せは自分で決めるはずだと諭した。ベルはその言葉でようやく、自分が逃げていたことに気づき、もっと我儘になるべきだというヘスティアの言葉に背中を押されて、朝食も取らずにホームを飛び出した。
フィンの見合い話がロキ・ファミリアに漏れたこと
同じ頃、【ロキ・ファミリア】の本拠では、ティオナがアイズにフィンが見合いに行ったらしいと興奮気味に話していた。昨日、フィンとリヴェリアの会話を偶然聞き、さらに今朝眼鏡をかけて出ていく姿まで目撃したことで、ティオナはすっかり見合いだと決めつけていたのである。アイズもその話に驚いたが、その背後にはさらに冷たい声が響き、二人は固まった。フィンの見合いの噂は、聞かれてはいけない相手にも届いてしまっていた。
フィンが自らの使命と感情の線引きを語ったこと
一方『小人の隠れ家亭』では、フィンとリリの会話が続いていた。フィンは、自分が【勇者】という仰々しい二つ名を自ら望んでロキに与えてもらったのだと明かし、一族再興のため後継者が必要であることを改めて語った。リリはその覚悟に心を打たれ、気になる異性はいないのかと尋ねた。するとフィンは、自分を慕ってくる厄介で面倒な娘はいるが、人並みの幸せに関心を持ってしまえば、ここまで歩いてきた道のりのすべてが無駄になると答えた。彼にとって最優先なのはあくまで一族の再興であり、そのために自分を捧げる覚悟は揺るがないものであった。
リリが自分の本心を取り戻したこと
フィンの生き様に触れたリリは、その献身の姿に感化されると同時に、自分自身が忘れかけていた思いを思い出した。自分を救ってくれたのは、一族の英雄でも神々でもなくベルであったこと、自分はベルを支え続けるとすでに決めていたことを再確認したのである。たとえ女神がベルを見限ったとしても、世界が彼を罪人と見なしたとしても、自分だけは少年の側に立ち続ける。その決意は、贖罪だけでなく、自らの恋慕も含んだものであった。
そう気づいたリリは、ベルに想い人がいようがアイズがいようが、自分の覚悟には最初から関係なかったのだと悟った。そしてフィンに向き直り、この縁談を断ると静かに告げた。
リリが縁談を断り、フィンがそれを受け入れたこと
縁談を断る理由を問われたリリは、フィンが一族に身を捧げているように、自分もベルに身を捧げているのだと答えた。背負っているものの大きさはまるで違っても、根本にある覚悟は同じであり、そのことを思い出させてくれたことに感謝していると伝えた。フィンはその返答を聞き、やはり駄目だったかと苦笑しつつも、脈がないことは薄々感じていたと語った。
それでも縁談を持ちかけた理由は、リリの勇気に見惚れ、自分の小人族としての心がその勇気に突き動かされたからであった。彼はリリに無理を言うことなく、縁談は振り出しに戻ったと肩をすくめた。二人の間には、断られたにもかかわらず穏やかで親しみのある空気が流れ始めていた。
ベルが酒場へ駆け込んで想いを叫んだこと
その時、店の扉が勢いよく開き、息を切らしたベルが飛び込んできた。遅れて到着したベルは、リリの姿を見つけるなり、フィンに向かってリリを連れていかないでほしいと直訴した。フィンはすぐに状況を察し、悪戯を思いついたような笑みを浮かべると、すでにリリからよい返事をもらったとわざと告げた。ベルは顔を青ざめさせながらも引き下がらず、自分はまだリリと一緒にいたい、離れたくないと必死に訴えた。
フィンはさらに、君にとって彼女は何なのかと問いかけた。ベルは最初、【ファミリア】であり家族だと答えたが、それでは足りないと返されると、リリは初めて自分とパーティを組んでくれた大切なパートナーなのだと叫んだ。ベルの言葉を聞きながら、リリは胸を熱くし、フィンが自分にどれだけ大切に思われているかをベル自身に言わせようとしているのだと気づいた。
決闘騒ぎがティオネの乱入で崩れたこと
フィンはさらに悪ふざけを続け、もし自分に一撃でも入れられたらベルの勝ち、だが自分が勝ったらリリを嫁にもらうと宣言した。店内の小人族達も面白がって盛り上がり、ベルも真剣な表情で身構えた。だがそこへ、凍りつくような声とともにティオネが現れた。フィンの結婚という言葉だけを拾い、完全に誤解したまま迫ってくる彼女に、フィンは本気で顔を引きつらせた。
ティオネはフィンの匂いを辿って店まで来ており、強烈な執念をむき出しにしていた。間合いが詰まった瞬間、彼女は爆発し、フィンは慌てて店を飛び出して逃走した。ティオネはそのままものすごい勢いで追いかけていき、酒場には呆然とした静寂だけが残された。
ベルとリリが誤解を解き合ったこと
騒動の後、ベルはおずおずとリリに声をかけた。自分が話を滅茶苦茶にしてしまったと謝るベルに対し、リリは、あれはフィンが勝手に言っただけであり、自分は求婚を受け入れてなどいないと慌てて説明した。ベルはその言葉を聞いて心底安堵し、肩から力を抜いた。そして、やはりまだリリと一緒にいたいのだと照れながら本音を口にした。
それを聞いたリリも、自分が勝手に怒ってホームを飛び出してしまったことを謝った。互いに自分が悪いと言い合っていた二人は、やがて自然と吹き出し、わだかまりを解いて笑い合った。こうして二人は、一緒にホームへ帰ることになった。
妹扱いされたリリが新たな手応えを得たこと
酒場の店主や客達に迷惑をかけたことを謝り、リリとベルは『小人の隠れ家亭』を後にした。晴れた街路を並んで歩く中で、ベルは照れくさそうに、リリは妹みたいな存在だから離れがたいのかもしれないと打ち明けた。家族が祖父しかおらず兄弟姉妹もいなかった自分にとって、リリは妹のように感じられるのだという。
その言葉にリリはむくれた。妹程度にしか見られていないことは分かっていたが、やはり不満であった。しかしそこでリリは一つの策を思いついた。妹らしい無邪気な笑顔を浮かべてベルに耳を貸すよう促し、近づいた耳元で、自分はベルより年上だと大人びた声音で囁いた。ベルはたちまち肩を震わせ、耳を押さえて顔を赤くした。そんな少年の反応を見たリリは、すぐに無邪気な笑顔へ戻り、どうでしょうかと意味深に返して先を歩き出した。
少年が慌てて追いかけてくる背後の声を聞きながら、リリはお姉さんという立場ならベルに自分を意識させられるのだと手応えを得た。機嫌よく歩く小人族の少女の靴音には、すでに昨夜までの陰りはなく、頬を染めた笑顔には新たな喜びが満ちていた。
三章とある鍛冶神への恋歌
不穏な密談が進められたこと
狭く暗い室内で、外套を被った二人の人物が密談を交わしていた。男の影は、兵達の潜入も無事完了し、事が済めばすぐに脱出できると報告したうえで、近日中に自ら対象へ接触すると告げた。さらに、今さらためらうべきではなく、これは主から直々に任された最後の機会であり、失われた栄光を取り戻すためにもあの力を連れ戻さねばならないと熱を込めて語った。老人の影はその言葉に応じつつも、重い沈黙を保っていた。
ヘファイストスが鍛冶場で異変を知らされたこと
一方、ヘファイストスは工房で炉の炎を見つめながら、鍛えていた剣の手を止めていた。そこへ椿が現れ、鍛冶場にこもりながら鎚も振らず何をしているのかと問いかけた。ヴェルフが巣立って以降、考え込むことが増えたのではないかとからかう椿に対し、ヘファイストスは、眷族が巣立っていくことは誰であっても寂しいものだと素直に認めた。
その後、椿はギルドと【ロキ・ファミリア】からの伝令として、今回の王国軍が一策を企てており、その中でヘスティア達が囮にされる可能性があると報告した。話を聞いたヘファイストスは状況を理解し、ギルドの指示通り動くよう命じ、指揮は椿に任せた。椿はそれを引き受けて工房を後にし、ヘファイストスは再び炉の炎へと視線を向けた。
ヴェルフが工房で仲間の武具を完成させたこと
その頃ヴェルフは、ホームの裏庭にある工房で鍛冶に没頭していた。殺人的な熱気の中、汗を流しながら鉄床の上で真っ赤に焼けた金属を打ち続け、その手には鍛冶の発展アビリティによる赤い光が宿っていた。鉄の響きに耳を澄ませながら、彼は幼い頃の鍛冶場の記憶を一瞬だけ思い出しつつも、ただひたすら武具を鍛え上げていった。
やがて夕刻になり、ヴェルフは完成した刀を命へ手渡した。材料には『ライガーファングの牙』と『黒銀鋼』を用いた複合金属が使われており、激しく使っても折れないだけの性能を備えていた。命はその美しい黒銀の刀身と第三等級武装に値する性能に感嘆し、心から喜んだ。
命の新刀に名前が与えられたこと
新しい刀を前にしたヴェルフは、満足げにその名を考え始めた。当初は《虎鉄》、あるいは《寅弐郎》などと楽しげに口にしたため、命は全力でそれを阻止しようとした。春姫はその名も可愛いと賛同し、ヴェルフは初めての理解者を得て喜んだが、命は泣きそうになりながら懇願し、ついには土下座まで繰り出した。その結果、紆余曲折の末、新武装の名は《虎鉄》に決まり、命は涙目でようやく安堵した。
リリと春姫に新たな防具が与えられたこと
続いてヴェルフは、リリと春姫に漆黒の外套を渡した。それは十八階層でベルが得た『ゴライアスの硬皮』を素材として作られた防具であった。あの漆黒の階層主の硬皮は、上級冒険者達の攻撃すら弾いたほどの耐久を持っており、ヴェルフはそれをなめし、自分なりに加工してサポーター用の一級防具《ゴライアスのローブ》へ仕立て上げていたのである。
リリはその重さを感じつつも、その防御性能の高さに感嘆した。一方、非力な春姫はかなり重たそうにしていた。ヴェルフは、攻撃自体を弾いても衝撃までは防げないため、この防具を過信するなと釘を刺した。リリと春姫はその忠告を真剣に受け止めた。
ベル用ではなく仲間用に防具を作った理由
命は、これほど優れた防具なら前衛であるベルに渡した方がよいのではないかと尋ねた。だがヴェルフは、ベルの武具は自分の手で作るのであり、モンスターの素材をそのまま流用した防具などでは駄目だと頑なに言い張った。職人としての矜持から、ベルの装備は自分の鍛冶師としての仕事で与えたいのである。その態度にリリは呆れ、命と春姫はくすくすと笑った。頬を赤くしながら照れ隠しをするヴェルフは、最後には三人を工房から追い出した。
合同の小遠征が計画されたこと
その後、【ヘスティア・ファミリア】と懇意にしている派閥は、今後のダンジョン攻略を見据えて合同で『小遠征』を行うことを決めた。より深い階層へ挑むためには、迷宮内での宿営に慣れておく必要があると判断したためである。滞在は一日だけであり、毛布や食糧を持ち込み、見張り役を分担しながら迷宮内で一夜を過ごすという試験的な内容であった。
出発当日、ベル達は別れを惜しむヘスティア、笑いながら気をつけろと送り出すタケミカヅチ、そして留守を引き受けてくれるナァーザ達【ミアハ・ファミリア】に見送られながら、『竈火の館』を後にした。総勢十名の合同パーティは七階層まで進み、順調に探索を続けるはずであった。
十七階層で階層主討伐に巻き込まれたこと
しかしベル達が十七階層へ到達した時、予定は大きく狂った。そこでは十八階層『リヴィラの街』の冒険者達が、階層主ゴライアス討伐を決行していたのである。ベル達の地上の情報網では把握できなかった地下の情報によって、彼らは巨大な戦場へ踏み込むことになった。十八階層への通路を塞ぐゴライアスは、街の住人達にとっても通行と商売を妨げる存在であるため、彼らは定期的にこれを討伐していたのであった。
討伐隊は総勢四十名に及んでいたが、王国軍の侵攻により上位派閥の多くが地上戦へ駆り出されていた影響で、高レベル冒険者の数は少なく、連携も粗雑であった。雑兵のモンスターも普段以上に多く湧いており、前衛も魔導士も思うように動けず、戦況は徐々に悪化していた。悲鳴を上げる冒険者達を見過ごせないベルの性格もあり、助けを求められたベル達はそのまま討伐戦へ加勢することになった。
混乱した戦場でベル達が応戦したこと
戦場では、モルドやその一味も階層主討伐に参加していた。かつてベルを敵視していたモルドは、十八階層での出来事を経てベルを認めており、今ではなりふり構わず助けを求めるほどになっていた。命や千草、桜花達もそれぞれモンスターを相手に戦い、ベルは次々に襲いかかる敵へ対応しながら周囲を支えた。
だが、ゴライアスを抑えるための前衛壁役が限界に近づき、援軍到着までまだ時間がかかると分かると、戦場には敗色が漂い始めた。前衛壁役がついに巨人の蹴り上げによって吹き飛ばされ、ヴェルフは仲間を守るため『クロッゾの魔剣』を使う決断をしかけた。
春姫の魔法が伏兵として命を強化したこと
その瞬間、春姫の歌うような詠唱が響いた。人目を避けた場所で、フードを深く被った春姫が【ウチデノコヅチ】を発動し、命へ【階位昇華】を付与したのである。発光する命の姿を隠すため、リリは即座に《ゴライアスのローブ》を投げ渡し、命はそのまま黒い外套を纏って戦場へ飛び出した。
命は《地残》で進路上のモンスターを切り捨てながら一直線に戦場を駆け抜け、ゴライアスの懐へ潜り込んだ。そして新たに手にした長刀《虎鉄》を抜き放ち、渾身の一撃を巨人の足に叩き込んだ。その斬撃は階層主の硬皮と肉を深く裂き、ゴライアスを地に崩れ落とさせる大打撃となった。周囲の冒険者達は正体不明の謎の冒険者の一撃に沸き立ち、ヴェルフもまた春姫の魔法の威力に戦慄した。
命の一撃で戦況が一変したこと
巨人が膝をついたことで、戦場には絶好の好機が生まれた。大頭の冒険者が前衛攻役へ一斉攻撃を命じ、冒険者達は一気にゴライアスへ殺到した。命は正体を悟られぬようすぐ戦域を離脱し、春姫とリリも余計な詮索を避けるためその場から慌ただしく移動した。命の一撃は、崩れかけていた戦況を一気にひっくり返す決定打となったのである。
椿の参戦で討伐が決着したこと
さらにその直後、突如として紅の袴を翻した黒髪の女性が戦場へ現れ、ゴライアスの右腕を一刀で切断した。その人物こそ、【ヘファイストス・ファミリア】の首領であり、鍛冶師でありながら第一級冒険者級の実力を持つ椿であった。左眼を眼帯で覆ったその姿に、冒険者達は【単眼の巨師】の名を叫び、さらに士気を高めた。
椿の登場によって戦場の空気は完全に変わった。高まった士気のまま冒険者達は巨人を攻め立て、ベル達も改めて戦線へ戻った。やがてLV.5の椿の活躍を決定打として、荒くれ者達の討伐隊はついにゴライアスを沈黙させた。
階層主討伐後に露わになった冒険者達の本性
階層主との戦闘を終えた後、そこに待っていたのは戦利品を巡る醜い争奪であった。巨大な魔石や武器素材《ゴライアスの歯牙》だけでなく、大量に発生した雑兵の魔石まで奪い合いの対象となり、街の住人達は競売まで始めた。助っ人扱いのベル達は分配に加われず、その光景を圧倒されながら見守るしかなかったが、しっかり雑兵の戦利品を確保して戻ってきたモルド達に、冒険者などこんなものだと笑われ、苦笑するほかなかった。
十八階層の楽園とリヴィラの街への到着
戦利品争いを眺めていても仕方がないと判断したベル達は、そのまま十八階層へ向かった。豊かな自然と水晶群に囲まれた安全階層の景色は、疲労した一行の心身を大きく和らげた。久しぶりに訪れた春姫も街の景色に目を輝かせ、命や千草達と笑い合った。桜花はその様子に、昔に戻ったみたいだと穏やかに漏らした。
やがて清流で喉を潤し休息していたベル達は、先ほど共闘した街の住人達から、礼も兼ねて街へ来ないかと誘われた。分け前こそ与えられなかったが、食料や酒を無償で提供すると言われ、疲弊していた一行はその誘いに応じることにした。こうして彼らは、湖畔の断崖に築かれた宿場町リヴィラの街へ足を踏み入れた。
リヴィラの街で歓迎を受けたこと
リヴィラの街は以前と同じく、法外な値段で商品を売る店と陽気な酒場に満ちた地下の宿場町であった。王国軍侵攻の影響で同業者の数はやや少なかったものの、平和な空気は保たれていた。そんな中、街の大頭ボールスはベル達に友好的な態度を示し、今後下層へ進出する際にもこの街を利用してくれと勧めてきた。リリはその調子のよさに冷たい視線を向けていたが、ベル達は街の住人達から一定の評価を得たことを知ることになった。
ヴェルフが魔剣作製を求められたこと
しかしベルがボールスと話している間、ヴェルフのもとには別の騒ぎが起きていた。戦争遊戯で使用された《クロッゾの魔剣》の威力が都市中に知れ渡っていたため、リヴィラの冒険者達が一斉にヴェルフへ押しかけ、魔剣を打ってくれと懇願し始めたのである。戦争遊戯の映像を見た彼らは、あの強力な魔剣を自分のものにしたいと熱狂していた。
ヴェルフは、その光景に強い嫌悪を露わにした。怒声を浴びせて魔剣は絶対に売らないし渡さないと宣言し、群がる冒険者達を追い払った。だが、押し寄せてきた連中の言葉は、彼の矜持と過去への反発を強く刺激することになった。
椿がヴェルフを訪ねてきたこと
ひとり街の高台へ離れたヴェルフのもとに、まずベルが追いついた。ベルは街の人々が集まってしまったことを謝ったが、ヴェルフは遠からずこうなることはわかっていたとして、少年を責めなかった。そして新しく打った短剣の使い心地を尋ね、ベルから役に立ったと言われてひとまず満足した。
その直後、二人のもとへ椿が現れた。ヴェルフは、元所属派閥の団長であり、鍛冶師としても第一級冒険者としても格上の存在である彼女に強い警戒を示した。椿は軽口を叩きながら近づいたが、やがてその態度を一変させ、先ほどの戦闘でなぜすぐ魔剣を抜かなかったのか、なぜ魔剣作製を拒み続けるのかと厳しく問いただした。
椿がヴェルフの迷いを暴き出したこと
椿は、至高の武器を目指すなら持てるものすべてを注ぎ込むべきであり、ヴェルフが惚れ込んでいるヘファイストスの領域は、それほど甘いものではないと断言した。魔剣を拒み、自分のやり方だけで神の領域を目指そうとするヴェルフを、椿は容赦なく切り捨てた。ヴェルフはそれに激しく反発し、自分は魔剣で頂点に辿り着こうとは思っていないし、魔剣そのものが嫌いだと叫んだ。そして自分は自分のやり方でヘファイストスの領域を目指すのだと宣言した。
しかし椿は、その言葉すらも真正面から打ち砕いた。ベルの新しい短剣を借り受けるようにして一瞬で眼前に踏み込み、単純な一撃だけでその刀身を叩き折ったのである。技ではなく、純粋な武器としての格の差でへし折られた現実を前に、ヴェルフは言葉を失った。
砕かれた短剣が示した現実
椿は、こんなものは鈍かと冷たく言い放ち、上級鍛冶師になったことで何か勘違いしているのではないかとヴェルフを睨みつけた。そして、この程度の武器を打つ者などいくらでもいる、自分の適性を見誤るなと忠告した。そこには侮蔑だけでなく、職人としての厳しい現実認識が込められていた。
やがて椿は壊した武器の弁償は後日するとだけ告げて立ち去った。だがヴェルフには、その言葉すらまともに届かなかった。砕けた短剣を見下ろす彼は、これまで乗り越えてきた挫折とは比べものにならない衝撃に打ちのめされ、失意の底へ沈んでいった。
曰く付きの宿で一夜を明かすことになったこと
夜になり、ベル達はリヴィラの街で宿を取ることにした。階層主との戦闘で武器も道具も消耗しきっていたため、本来の目的だった小遠征は中止され、迷宮内での野営ではなく宿泊を選んだのである。リリ達が安さを重視して選んだ宿は、一見すると上等な部類に入る建物であったが、かつて冒険者の無残な亡骸が見つかった曰く付きの宿であった。
春姫や命、千草達は強い不安を訴えたが、リリは亡霊など存在しないと押し切って宿泊を決行した。店主の獣人は久しぶりの客に泣いて喜び、軽い食事と酒まで振る舞った。女性陣は恐怖を紛らわせるように同じ部屋に集まり、身を寄せ合って眠ることになった。
ヴェルフが夜の高台でベルに本心を語ったこと
その夜、ヴェルフはひとり宿を抜け出し、昼間と同じ高台に立っていた。そこへ彼の異変を察したベルが追いついた。ベルは何か言おうとしたが、ヴェルフの表情を見て慰めの言葉を飲み込み、ただ隣に並んで夜景を眺めた。
やがてヴェルフは、ベルに《ヘスティア・ナイフ》を貸してほしいと頼んだ。受け取ったナイフを見つめながら、彼はその武器の凄さと、自分がかつて受けた衝撃を重ね合わせた。ヘファイストスの作品だと知った今なら、この武器に注がれた技術と、神の領域に通じる果てしない高みが理解できると感じていたのである。
ヘファイストスとの出会いと目標の原点
ヴェルフは、ベルにヘファイストスとの出会いを語り始めた。ラキア王国を飛び出して諸国をさまよっていた頃、とある剣製都市の鍛冶屋で見習いとして働いていた彼は、偶然店を訪れたヘファイストスの目に留まり、入団の誘いを受けた。そして入団の儀式として、ある部屋に通され、一振りの剣を見せられた。
その剣を見た瞬間、ヴェルフは人はここまでの武器を作れるのかと全身が震えた。神の力に頼らず、人と同じ腕だけで生み出されたその剣は、純粋な技術の極致であり、下界の者が到達しうる一つの極限だった。だからこそ、ヴェルフはあの剣を超える武器を自分も作ってみたいと願うようになったのである。
夢の高さと自分の限界の間で揺れたこと
ヴェルフは、その至高の一振りを見た誰もが鍛冶神へ惚れ込み、その先へ手を伸ばそうとするのだと語った。ベルがアイズを追いかけているように、自分は神の領域を目指しているのだと。しかし、それは人の身にはあまりに険しく、無謀で、果てしない夢でもあった。
そして今日、椿によってその現実を思い知らされた。自分は上級鍛冶師になったことで、知らぬ間に達成感と自信に酔っていたのではないか。忌むべき自分の血を使わなければ、神の領域には触れることすらできないのではないか。魔剣鍛冶師としてでなければ、ヘファイストスのもとへ辿り着けないのではないか。そうした迷いと痛みを抱えながら、ヴェルフは蒼い迷宮の夜空を見上げ、自分はどうすべきなのかを問い続けていた。
十八階層からの帰還後にヴェルフが単独行動を取ったこと
翌日、【ヘスティア・ファミリア】と【タケミカヅチ・ファミリア】は十八階層から地上へ帰還した。階層主戦の消耗と街での出費を補うために中層を探索しながら戻った結果、オラリオへ辿り着いた頃には街は夕焼けに包まれていた。中央広場で仲間達が換金や主神への報告のために別行動を取る中、ヴェルフだけは一人で街角を歩き去っていった。賑やかな酒場や吟遊詩人の音楽が満ちる通りの中を、ヴェルフは無言のまま進み続け、やがて人目の届かない薄暗い路地裏へ足を踏み入れた。
ヴェルフの前に実父ヴィルが現れたこと
路地裏の奥で外套の影が立ち止まり、フードを脱いだ。そこにいたのは、長い歳月と労苦を顔に刻んだ中年の男、ヴィル・クロッゾであった。ヴェルフの実父であり、七年前に自ら縁を切ったはずの相手である。ラキア王国に属する没落鍛冶貴族の現当主である父の姿に、ヴェルフは激しく動揺した。なぜここにいるのかという問いに対し、ヴィルは説明するまでもないと言わんばかりに、今まさに王国軍がオラリオへ侵攻している状況を前提として振る舞った。
王国軍侵攻の本命がヴェルフだったと明かされたこと
ヴィルは、王国とアレスがヴェルフの『魔剣』を認めたのだと告げた。戦争遊戯で明るみに出た『クロッゾの魔剣』の存在を王国も知り、失われた栄光を取り戻すためにヴェルフを狙って動き出したのである。そして今回の王国軍侵攻の本命は、他でもないヴェルフ自身なのだと明言した。オラリオとの戦争準備自体は以前から進められていたが、戦争遊戯の知らせを受けてアレスと王が戦略を急遽変更し、ヴィル自身がヴェルフの説得役を命じられたのだという。ヴィルは、自分とともに来て魔剣を打てば、王国も『クロッゾ』一族も栄光を取り戻せると語った。
ヴェルフが誘いを拒絶したこと
それに対しヴェルフは、誰がついていくものかと即座に拒絶した。自分はすでに一族とも王国とも縁を切っており、父の言うことを聞く理由はないと断言したのである。ヴィルの周囲に潜んでいる複数の気配にもヴェルフは気づいており、もし力ずくで攫おうとするなら、ここは迷宮都市であり騒ぎを起こせば人が集まってくると牽制した。自分は簡単に連れ去られるつもりはなく、相手を返り討ちにする気概すら見せていた。
ヴィルが魔剣による都市破壊を脅しに使ったこと
だがヴィルは、ヴェルフが同伴を拒んだ場合、すでに都市へ潜入している同志達が『魔剣』で街に火を放つ手筈になっていると告げた。しかも使われるのは、正真正銘『クロッゾの魔剣』だという。ヴェルフは王国にもう魔剣は残っていないはずだと叫んだが、ヴィルは『精霊』の呪いによる破壊を免れた五十振りが存在すると明かした。そしてその証拠として、自ら赤い剣身の魔剣を抜いてみせた。ヴェルフの体に流れる血が、それが間違いなく本物の『クロッゾの魔剣』であると知らせた。ヴィルは、自分の合図、あるいは自分が戻らなかった場合には、潜伏している同志達が都市各所で魔剣を解放すると脅迫した。
ヴィルが一族再興への狂気を露わにしたこと
さらにヴィルは、ヴェルフさえ来れば王国は盛り返し、『クロッゾ』一族も再び富と地位と名誉を取り戻せるのだと熱に浮かされたように語り始めた。アレスは、ヴェルフと魔剣が国にもたらされれば一族を再興させると約束してくれたのだと興奮し、一族の悲願を、そして何より自分自身がそれを成し遂げるのだと叫んだ。覇気のなかった双眸には狂気じみた光が宿り、一族の妄執に囚われた男の姿がむき出しになっていた。ヴェルフは、その異様な熱気に気圧されるしかなかった。
今夜の倉庫へ来るよう命じられたこと
最後にヴィルは、オラリオから脱出する準備は今夜整うと告げたうえで、今手元にある『魔剣』をすべて持って、子の刻に都市南西の街外れにある倉庫へ来いと命じた。そして誰かに漏らせば何が起こるかわかっているなと念を押し、立ち去っていった。周囲に潜んでいた気配もまた見張るような距離を保って去っていく中、ヴェルフはその場に立ち尽くし、暗闇の中へ消えた父の背を見つめながら、握り締めた拳を震わせていた。
ヴェルフが工房にこもって答えを探したこと
ホームへ戻ったヴェルフは、ベル達に断りを入れて工房へこもった。父ヴィルとの再会で揺れた心を平静に保てる自信がなく、主神ヘスティアに異変を見抜かれることも避けたかったのである。炉の火を見つめながら、ヴェルフの脳裏には父との再会に引きずられるように古い記憶が蘇った。しかし鍛冶に没頭して鉄を打ち始めると、荒れていた心は次第に静まっていった。そうして出発の刻限が迫る頃、ヴェルフは『魔剣』ではない、一振りの透明な光沢を持つ銀の剣を完成させた。
ベルがヴェルフの後を追い、事情を知ったこと
夜更け、白布にくるんだ武器を抱えて裏門から外へ出たヴェルフを、ベルが追ってきた。ベルはヴェルフの様子がおかしいことに気づき、放っておけなかったのである。ヴェルフはその心配を温かく受け取り、ベルに夕方の出来事をすべて打ち明けた。王国が自分を狙っていること、父ヴィルが『魔剣』とともに現れたこと、その思惑が都市を脅かすものであることを説明したうえで、それでも自分はベル達を置いてどこにも行かないと断言した。そして自分に任せてほしいと告げ、ベルを伴って指定された倉庫地帯へ向かった。
倉庫でヴィル達の包囲を受けたこと
都市南西の街外れにある倉庫地帯で、ヴェルフとベルは密偵に導かれて古びた倉庫へ入った。そこにはヴィル・クロッゾが待ち受けており、さらに周囲からおよそ五十人もの【アレス・ファミリア】兵士達が現れて二人を包囲した。ヴィルはベルが一緒に来たことを咎めながらも、結局は構わないとして、ヴェルフを連れ去ろうとした。ギルドの検問をどうやって抜けたのかという問いには、オラリオも一枚岩ではなく、商会や【ファミリア】を通じた抜け道はいくらでもあると答え、内通者の存在を示唆した。
ヘファイストス・ファミリアが待ち構えていたこと
しかしその直後、倉庫の外から無数の魔石灯の光が差し込み、【ヘファイストス・ファミリア】の団員達が逆に倉庫全体を包囲していることが明らかになった。そこへ椿が現れ、自分達はヴェルフの周囲をずっと見張っており、王国の目論見はとっくに見抜かれていたと告げた。さらに神ヘファイストス自身も姿を現し、倉庫の外で待機していた仲間も既に捕らえたとヴィルに通告した。ヴィル達は完全に挟み撃ちの形となったが、それでもヴィルは『クロッゾの魔剣』があると叫び、兵士達にも『魔剣』を抜かせて最後の脅しをかけた。
ヴェルフが王国側の欺瞞を見抜いたこと
ヴィルは、都市を火の海にしたくなければこちらに来いと再びヴェルフに迫った。しかしヴェルフは前へ進み出て、自分に任せろと周囲を制したうえで、父のもとへ歩み寄った。そして自分が持ってきた剣を掲げ、今ある『魔剣』はこの一振りだけだと告げた。白布に包んでいた他の剣はすべて偽物であり、本物の『クロッゾの魔剣』は自分の手にある一振りしかないと見抜いていたのである。
ヴェルフは、工房にこもって冷静になった結果、王国が残存する『魔剣』を全て危険な計画につぎ込むはずがないと考えた。過去の栄光に異常なまでに執着する王国が、本当に切り札を使い尽くすわけがないと看破していたのである。つまりヴィルの持つ一振りこそが唯一の本物であり、他の兵士が持つものは見せかけに過ぎなかった。
ヴェルフの魔剣が祖先の魔剣を上回ったこと
見抜かれたヴィルは激昂し、自棄になって『魔剣』を振り下ろそうとした。周囲が一触即発の空気に包まれる中、ヴェルフは逆に撃ってみろと挑発した。そしてヴィルが本当に『魔剣』を振り下ろすよりも早く、ヴェルフは自らの紅剣を振るい、《裂進》を放った。ヴェルフの『魔剣』から放たれた大爆炎は、ヴィルの赤剣の炎流と正面から衝突し、そのままあっさりと呑み込んで相殺した。
爆風と火の粉が収まった後、そこに立っていたのは無傷のヴェルフと、尻餅をついたヴィルであった。ヴィルの赤剣は砕け散り、ヴェルフの紅剣だけが健在であった。祖先の『魔剣』に縋るだけの力では、血反吐を吐くように鍛え上げたヴェルフの『魔剣』には及ばなかったのである。
親子喧嘩の中でヴェルフが鍛冶師の誇りを叫んだこと
『魔剣』が砕けたことに絶望したヴィルは、なぜそれほどの力を持ちながら『魔剣』を打とうとしないのか、一族のためにも国のためにも尽くそうとしないのかと叫んだ。さらに、武器など消耗品であり、砕けるのならまた作ればいい、繁栄のためには『魔剣』こそが必要だと主張した。その言葉に、ついにヴェルフは激怒した。鍛冶貴族だの栄誉だのは何の意味もないと叫び、ヴィルを殴り倒したのである。
そこから二人は感情のままに殴り合いを始めた。ヴィルは、王国を追われれば一族に居場所はなく、生きるためには『魔剣』しかないと訴えた。だがヴェルフは、まだ鎚を振るえる手があり、鉄を掴める手が残っているではないかと叫び返した。武器は使い手の半身であり、鍛冶師は誇りを持って使い手に武器を届けるべきだという自分の信念を、拳とともに父へ叩きつけた。さらに、かつて祖父や父から教わった鍛冶の言葉、鉄の声を聞け、鉄の響きに耳を貸せ、鎚に想いを乗せろという教えを思い出させ、お前達こそ鍛冶師の誇りを忘れているのだと涙声で叫んだ。
祖父ガロンが親子喧嘩を止めたこと
激しい殴り合いの末、兵士達の中から老人が一人歩み出てきた。フードを脱いだその人物は、ヴェルフの祖父ガロン・クロッゾであった。寡黙な鍛冶師としてヴェルフの原点でもあった祖父の登場に、ヴェルフもヴィルも驚愕した。ガロンは、ヴェルフを説得するために自分も来ていたことを認めたうえで、もう十分だと告げた。そしてヴェルフの意志は鉄のように硬く、自分達はもう手を引くと宣言した。
さらにガロンは、七年前に幼いヴェルフへ『魔剣を打て』と命じたことを今も悔いていると明かした。だが同時に、『クロッゾ』の血と宿命は今後もヴェルフを『魔剣』の道へ引きずり込もうとするだろう、それでも信念を曲げないのかと最後に問いかけた。ヴェルフは間髪入れずに曲げないと答え、自分は『魔剣』を超える武器を作り、血筋そのものを見返す、自分は『クロッゾ』ではなく自分自身だと叫んだ。
ガロンが降伏し、鍛冶師としての再出発を認めたこと
その答えを聞いたガロンは、生意気な小僧だと目を細めながらも、孫の成長を認めるような表情を見せた。そしてヴィルに向かって、もうやり直すしかない、鍛冶貴族としてではなく一人の『鍛冶師』として生き直すのだと告げた。ヴィルはその言葉に反論せず、うつむいたまま震えるだけであった。
その後ガロンは、ヘファイストスへ向き直り、自分達は投降する、責任はこの老いぼれ一人が負うから他の者には慈悲を与えてほしいと一礼した。ヘファイストスはその降伏を受け入れ、王国兵達も抵抗を諦めて次々と武器を捨てていった。こうしてヴィル達は【ヘファイストス・ファミリア】によって捕縛され、ギルドへ連行されていくことになった。
椿の失望と祖父の微笑をヴェルフが見送ったこと
兵士達が捕縛されていく中、椿はヴェルフの横を通り過ぎざまに、馬鹿めとだけ言い残して去っていった。その声には、彼がまだ答えを得切っていないことへの失望が滲んでいた。ヴェルフは何も返せなかったが、去っていく椿の背を見送るしかなかった。
やがて縄で縛られたヴィルとガロンも倉庫の外へ連れて行かれた。出口へ向かう直前、ガロンは横顔だけでわずかな笑みをヴェルフへ向けた。ヴェルフはその表情をしっかりと目に焼き付けた。祖父達の姿が見えなくなった後も、ヴェルフは月明かりの差す倉庫の中で、ベルとヘファイストスに見守られながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。
夜明け前まで続いたヴェルフの逡巡
夜半を過ぎて街の灯りが消え、夜明けの気配が迫る中、ヴェルフは倉庫の屋根の上で胡坐をかいていた。『クロッゾ』の因縁と決着をつけた後も動くことができず、石像のように座り込んだまま夜を明かしていたのである。そんな彼の背を、ベルは一晩中離れずに見守っていた。
やがてヘファイストスが現れ、ベルにここは任せてほしいと告げた。ベルが場を譲ると、ヘファイストスはヴェルフの隣に立ち、王国兵達はギルドへ引き渡され、内通者の存在も判明したことを淡々と伝えた。ヴェルフはそれを聞いた後、自分の選択は間違っているのかと問いかけた。
ヘファイストスがヴェルフの信念を肯定したこと
ヘファイストスは、椿の言葉も間違ってはいないと認めたうえで、それでもヴェルフにはヴェルフの信念があるのだろうと返した。そして、自分を疑っては駄目だと告げた。中身が空っぽな鉄ほど脆いものはなく、神々はいつでも子供達の意志の力が不可能を覆す瞬間を期待しているのだと、優しく諭したのである。
その言葉を受けたヴェルフは、もう揺らがない決意を口にした。自分は自分のやり方でヘファイストスに追いついてみせる、いや追い抜いてみせると宣言した。ヘファイストスはその答えを面白がるように受け止め、成長したヴェルフの頭を撫でた。ヴェルフはそれに激しく動揺しつつも、彼女への感情を改めて自覚することになった。
ヴェルフが恋心を言葉にしたこと
ヴェルフはやり返すように、椿から聞いた話を持ち出し、ヘファイストスも自分がいなくなって寂しがっていたのではないかと尋ねた。ヘファイストスはあっさりそれを認め、自分はヴェルフのことを目にかけ、育っていくのを楽しみにしていたと明かした。さらに、もし自分を認めさせるほどの作品を持ってくることができたなら褒美を与えようと思っていたのに残念だったと、からかうように告げた。
それを聞いたヴェルフは勢いのまま、ならばヘファイストスが認める武具を作れたなら、自分と付き合ってほしいと告白した。ヘファイストスは意表を突かれて噴き出したが、やがて昔の団員達も同じように求愛してきたこと、しかしそれを叶えた者は一人もいないことを明かした。そして、ヴェルフにそれができるのかと挑むように問いかけた。ヴェルフはそれを真っ向から受けて立ち、至高に届き、彼女を見返してみせると不敵に応じた。
ヘファイストスが自らの傷を明かしたこと
だがヘファイストスは、その話はそれとして、自分のような存在に付きまとわれても損をするだけであり、家庭も築けないのだから、早くいい伴侶を見つけなさいと返した。そして、自分は女として失格なのだと淡々と語り、右眼を覆う眼帯に触れた。その下には神とは思えぬほど醜い顔が広がっており、天界では他の神々から嫌厭され、笑われてきたのだと打ち明けた。眼帯の下を見ても怯えも嘲笑もしなかったのはヘスティアくらいであり、だからこそ無二の神友になれたのだとも語った。
ヘファイストスは、あの眷族達も自分の素顔には怯えたのだから、自分のことはやめておけと告げて背を向けた。だがヴェルフはその言葉に退かず、彼女を追いかけて肩を掴み、強引に振り向かせた。
ヴェルフがヘファイストスの素顔を受け入れたこと
ヴェルフはヘファイストスの制止を無視し、その眼帯を外した。初めて見る彼女の両目と素顔を前にしても、ヴェルフは顔色一つ変えず、この程度で自分を遠ざけられると思っていたのかと笑った。そして、あなたに鍛えられた鉄の熱はこんなものでは冷めないと言い切った。
その言葉にヘファイストスは目を見開き、やがて頬を染めて笑みを浮かべた。これで相子だと軽口を交わし合いながら、二人はようやく互いに一本取ったような形となった。夜明けの光の中で交わされたそのやり取りによって、ヴェルフの迷いは完全に晴れ、ヘファイストスもまたどこか晴れやかな表情を見せた。
惚気話が広まり二つ名の種になったこと
後日、王国兵侵入の件はギルド上層部の判断により極秘裏に処理され、オラリオの日常は何事もなかったかのように続いていった。しかしヘファイストスは、その一件で交わしたヴェルフとのやり取りを椿に何度も嬉しそうに語るようになっていた。椿は呆れながらも、その惚気話を聞かされ続ける羽目になった。
さらにその話は神々の間にも広まり、特にヴェルフが最後に放った決め台詞は大いに笑いの種となった。その結果、後に開かれる『神会』の命名式で、ヴェルフ・クロッゾには【不冷】という二つ名が与えられることになった。将来その由来を知ったヴェルフは、ニヤニヤするヘスティアとリリ、興奮する命と春姫、苦笑するベルに見守られながら、赤面して頭を抱えることになるのであった。
四章 愛しのボディガード
ギルド受付嬢という立場
迷宮都市オラリオのギルド本部では、今日も多くの冒険者が行き交い、窓口受付嬢達が絶え間なく応対していた。迷宮探索の相談、昇格申請、依頼達成の確認、時には下心を含んだ誘いまで、受付嬢達はあらゆる冒険者対応を担っていた。中でも窓口受付嬢は、冒険者にとってギルドの第一印象を形作る存在であり、そのため容姿や物腰に優れた者が選ばれる傾向にあった。
エイナもまた、そのような受付嬢の一人であった。茶色の髪と緑玉色の瞳、そして尖った耳を持つハーフエルフの彼女は、五年ほど前からギルドに勤めていた。仕事量は多く、辛いこともある立場ではあったが、世話焼きな気質もあって職務にやりがいを見出しており、日々冒険者達の助力に尽くしていた。
ミィシャとの昼休みとドルムルの接近
昼時になってロビーの喧騒がやや落ち着くと、エイナは同僚で友人のミィシャに昼食へ誘われた。二人がギルド本部の裏口から街路へ出ると、そこへドワーフの冒険者ドルムルが駆け寄ってきた。彼は偶然を装っていたが、明らかにエイナを待ち伏せしていた様子であり、昼食を一緒にどうかと、代金は自分が払うとまで言って誘ってきた。
ドルムルはLv.3の上級冒険者であり、かつてエイナがアドバイザーを務めていた相手でもあった。悪い人物ではなく、むしろ真面目な好意を向けてきていることが窺えたため、エイナとしても強く拒絶しきれず、扱いに困っていた。そこへミィシャが面白がって茶々を入れたことで、ドルムルはさらに気を良くしてしまった。
ルヴィスの乱入と二人の対立
しかしその場へ、もう一人の上級冒険者ルヴィスが割って入った。エルフの青年である彼も、やはり以前エイナが担当していた冒険者であり、ドルムルと同じく彼女に好意を寄せていた。ルヴィスはドルムルを下賎なドワーフ呼ばわりし、エイナの前へ進み出ると、見つけてきた花束を差し出して受け取ってほしいと迫った。
だがその花束は、すぐさまドルムルに奪われた。そこから二人は、典型的なエルフとドワーフの対立そのままに激しく口論を始めた。エイナは、以前から二人の仲が悪いことを知っており、最近は自分を巡ってその対立がさらに激しくなっていることに頭を悩ませていた。最終的にエイナは、ミィシャを連れてその場を逃げるように離れ、背後でなお争い続ける二人の視線を感じながら、弱ったように眼鏡の位置を直した。
資料室でのベルとの勉強会
場面は変わり、ギルド本部の資料室では、エイナがベルと二人きりで勉強会を行っていた。資料室はダンジョンやモンスターに関する膨大な情報が保管された書庫であり、エイナはそこで担当冒険者であるベルに知識を叩き込んでいた。通常の迷宮探索の相談だけでなく、こうした座学まで課しているのはエイナ独自のやり方であり、その厳しさから彼女の指導は担当冒険者達に恐れられていた。
これまで多くの冒険者が音を上げて逃げ出した中で、ベルだけは何とか踏みとどまっていた。彼を支えているのは、憧れに向かって進み続けようとする愚直さであった。エイナは、その不器用なまでのひた向きさを嫌ってはおらず、むしろ応援したくなる気持ちを抱いていた。この日もベルは必死に課題へ取り組み、燃え尽きるように勉強を終えた。エイナは本来ならもっと厳しく見てもよかったが、この日は苦笑しつつ見逃し、ベルを解放した。
受付嬢達の本音
ベルを見送った後、エイナが事務室へ戻ると、同僚の受付嬢達が揃って彼女を迎えた。話題はすぐに、今日また冒険者に言い寄られていた件へ移った。年長の受付嬢ローズは、エイナばかりが冒険者達から熱心に言い寄られることを半ば呆れながら口にしたが、その表情には複雑な色も滲んでいた。
やがて彼女達の会話は、冒険者という存在そのものへ向かった。受付嬢達は皆、冒険者と必要以上に近づくことを避けていた。彼等は好きだの愛しているだの都合のいい言葉を口にしても、結局は迷宮の奥で帰らぬ人になるかもしれない危うい存在だからである。実際、彼女達の中には、愛した冒険者の死を経験した者もいる気配があった。だからこそ受付嬢達は、表面上は笑顔で接しながらも、本質的には一線を引いていた。
エイナだけが取る特別な距離感
そのような空気の中で、エイナだけは例外的に冒険者達との距離を縮めていた。彼等に無事にダンジョンから帰ってきてほしいという思いから、相談に乗り、打ち合わせを重ね、座学まで行っていたのである。それはきっと、諦観から線を引くのではなく、少しでも死なせたくないという一心から来る行動であった。
同僚達はそんなエイナに対し、八方美人をしていると後悔するし、いずれ面倒なことにもなると警告した。付き合うなら、せめて相手から貢がせるだけ貢がせろという冗談めいた言葉で締めくくられたものの、それは受付嬢という過酷な仕事を続けていくための、先輩達なりの現実的な助言でもあった。笑いが起こる中でも、そこには冒険者に深入りし過ぎることへの痛切な警戒が確かに込められていた。
エイナが帰路で不審な視線に怯えたこと
同僚達との会話を終えた後、エイナは一人で帰路についていた。北地区のギルド職員用集合住宅を目指しながら、先程年長の受付嬢に八方美人だと指摘されたことを思い返し、自分の態度が周囲には媚びているように見えてしまうのかと複雑な思いを抱いていた。冒険者達の助けになりたいという気持ちに偽りはなかったが、親身な態度が好意を招いてしまう現実もまた否定できなかった。
そんな思索の最中、エイナは何者かの視線を感じた。最初は気のせいかと思ったものの、二度、三度と首筋にまとわりつくような視線を覚え、振り返った先で外套を纏った黒い影が物陰へ消えるのを目撃した。恐怖に駆られたエイナは早足になり、やがて高級住宅街へ繋がる人通りの少ない通りに出ると、ついには走り出した。ようやく集合住宅の敷地内へ逃げ込み、振り返った時にはもう不審な人影は見当たらなかったが、執拗に追われていた感覚だけは確かに残っていた。
ミィシャに相談しつつも半信半疑でいたこと
翌朝、ギルド本部の窓口でエイナはミィシャに昨夜の出来事を打ち明けた。ミィシャは大げさなくらい心配し、用心棒を雇うべきだと主張したうえで、都市の外へ連れ去られた女性や娼館に売られた者の噂、さらには王国の騎士侵入の噂まで持ち出して不安を煽った。エイナは流石に大げさだとたしなめたが、昨夜の追跡が思い違いでなかったことは自分でも分かっており、完全に笑い飛ばすことはできなかった。
ベルがエイナの異変に気づいたこと
その時、窓口に並んでいたベルが順番を迎えた。ベルはダンジョン探索の相談を持ちかけたが、同時にエイナの様子が普段と違うことにも気づいていた。面談用ボックスで話を進める中、ベルはエイナに何かあったのではないかと遠慮がちに尋ねた。エイナは一度は隠そうとしたが、ベルの不器用で優しい気遣いに触れて、つい昨夜の追跡の件を打ち明けてしまった。
ベルは話を聞いて強く動揺し、もしよければ自分を使ってほしい、用心棒でも何でもすると申し出た。エイナは最初、自分の相談に乗るのはギルド職員としての務めだから恩返しなど不要だと断ろうとしたが、ベルは昔エイナから贈られたプロテクターの借りを返させてほしいと食い下がった。その言葉にエイナは折れ、住居へ帰る間だけ付き添ってもらうことを受け入れた。
ベルとの帰宅がエイナに安心をもたらしたこと
その日の夕刻から、エイナはベルを伴って帰宅するようになった。ダンジョン帰りで疲れているはずのベルに対して申し訳なさを覚えながらも、エイナは隣に誰かがいる安心感をはっきりと感じていた。さらに、ベルと肩を並べて歩くこと自体が少し気恥ずかしく、同時にくすぐったいような感情も呼び起こしていた。
帰路の途中、ベルは周囲からの視線を感じ取った。エイナには何も分からなかったが、ベルは確かに見られていると断言し、やがて雑踏に呑まれかけたエイナの手を咄嗟に掴んで守った。強く繋がれた手の感触にエイナは頬を染め、慌てて手を離すベルの様子に思わず笑みを漏らした。ベルの存在は、単なる用心棒以上にエイナの心を和らげていた。
ミィシャに機嫌の変化を見抜かれたこと
数日後の朝、ミィシャはエイナの機嫌が明らかに良くなっていることに気づいた。エイナ自身は自覚していなかったが、用心棒として付き添ってくれるベルとの時間を、知らず知らずのうちに楽しんでいたのである。そこへ、かつてしつこく言い寄ってきたドルムルやルヴィスがギルドに姿を見せながらも、最近は以前のように声をかけてこなくなっていることも判明した。エイナは不思議に思いながらも、その変化を深く考えきれずにいた。
エイナがベルとの関係を意識し始めたこと
その夜もベルはエイナを送り届けた。ベルはダンジョンでの出来事を話し、エイナはそれに相槌を打ちながら、今の関係がいつまでも続くわけではないと考えていた。自分の都合でベルを束縛し続けるわけにはいかず、いずれは別の方法を考えなければならないと理解していたのである。
だがその一方で、こうして一緒に帰る時間を手放すことに寂しさを感じる自分にも気づいてしまった。ベルは弟分のような存在だと自分に言い聞かせながらも、気づけばベルのような相手が好みなのではないかと連想してしまい、エイナは一人で赤面した。到着後、疲れの見えるベルに対し、つい部屋へ上がってお茶でもどうかと誘いかけたものの、ベルは神様達が待っているからと丁寧に断った。去っていく後ろ姿を見送りながら、エイナは自分でも驚くほど名残惜しさを抱いていた。
追跡者の正体を暴こうとしたこと
ベルに用心棒を依頼して四日目、ついに状況が動いた。夕刻の帰路で、ベルはこれまでとは違う明確な殺気を感じ取り、それが自分に向けられていると告げた。エイナは思い切って、人気のない裏道へ相手を誘き出そうと提案した。ベルも危険を承知でそれを受け入れ、二人は雑踏を抜けて袋小路の近くに身を潜めた。
やがて荒々しい足音が響き、追跡者が姿を現した。物陰から飛び出したベルと、それに続くエイナが目にしたのは、外套を羽織ったドワーフのドルムルだった。エイナは愕然とし、ベルもまた驚いたが、ドルムルはエイナのことなど見えていないかのように、ベルに向かってエイナをこんな場所へ連れ込んで何をするつもりだと怒鳴り散らした。
ドルムルが嫉妬からベルを襲ったこと
エイナの制止も聞かず、ドルムルは戦鎚を振り下ろしてベルへ襲いかかった。彼はベルのことを【リトル・ルーキー】だと見抜きつつも、自分には勝てないと豪語し、熟練のLv.3冒険者としての経験をもとに猛攻を仕掛けた。エイナは、昇格したばかりのベルでは経験差で不利だと一瞬判断したが、その予想はすぐに覆された。
ベルは驚くほど洗練された動きでドルムルの攻撃をかわし続けた。速度を活かして壁や死角を利用し、一撃離脱を繰り返しながら戦況を支配し始めたのである。その動きには、ただ能力値が高いだけではなく、誰かに鍛え込まれたような技と駆け引きが宿っていた。エイナは、戦争遊戯で見たベルの戦いを思い出し、少年がすでに一端の冒険者へと成長していることを実感した。
ベルが魔剣すら無力化したこと
追い詰められたドルムルは、ついに鎚型の『魔剣』を取り出した。雷属性の魔剣であり、この狭い空間で使われればベルもエイナも無事では済まないはずであった。エイナが危険を悟るより早く、ベルは自ら囮になるように正面からドルムルへ突っ込んだ。
ドルムルが魔剣を振り下ろした瞬間、ベルは紅の短刀でその柄を斬り飛ばした。巨鎚の頭部は空中へ舞い、魔剣は不発に終わった。ベルはすぐにエイナの前へ戻り、彼女を庇う位置へ立った。なおも食い下がろうとしたドルムルであったが、斬り飛ばされた巨鎚の頭部が真上から落下し、そのまま自分の頭頂部に直撃した。雷属性の魔力が暴発し、ドルムル自身が電撃に包まれて黒焦げとなったのである。
エイナが犯人の正体に衝撃を受けたこと
戦いが終わった後、エイナは倒れたドルムルのそばへ駆け寄り、その命に別状がないことを確認した。ベルもまた無事であり、二人はようやく息をついた。しかしエイナの胸中には強い衝撃と悲しみが残った。自分を追い回していた犯人が、よりによってドルムルだったとは信じ難かったのである。
これまで彼は、多少しつこくはあっても根は心優しいドワーフだとエイナは思っていた。だからこそ、今回のような暴走に至った事実をすぐには受け止めきれなかった。そんなエイナの隣で、ベルは袋小路の壁と上方へ視線を巡らせ、なお何か違和感を抱いている様子を見せていた。
ドルムルが犯人ではなかったと判明したこと
気絶したドルムルはベルによってギルド本部へ運び込まれたが、依然として意識を取り戻していなかった。事情聴取もできないまま時間だけが過ぎ、エイナは仕事中も昨夜の件を引きずっていた。そんな中で夜を迎え、ベルの付き添いもなく一人で帰路についたエイナは、再び黒い外套の人物に追われた。ドルムルが犯人ではなかったことを悟ったエイナは蒼白となり、必死に逃げ出した。
ベルが再び現れてエイナを救ったこと
追跡者に追いつかれそうになったその時、炎雷の魔法が石畳に着弾し、外套の人物の動きを止めた。続けて建物の屋根伝いに追ってきていたベルが上空から飛び込み、追跡者に斬りかかった。相手は咄嗟に短剣で防いだが、ベルの一撃で弾き飛ばされた。ベルはエイナの前に立ち、用心棒として彼女を庇った。ベルは以前から複数の視線を感じており、ドルムル以外にも別の追跡者がいる可能性を捨てきれなかったため、今回も密かに後を追っていたのであった。
ドルムルとルヴィスの誤解が明らかになったこと
そこへ今度は、ギルドから壁を壊して抜け出してきたドルムルまでが現れた。さらに外套の人物がフードを脱ぐと、その正体はルヴィスであった。二人ともエイナを追い回していた犯人のように見えたが、事情を聞くと真相は別にあった。ルヴィスもドルムルも、ギルドでエイナが追跡されているという話を耳にし、自分なりに彼女を守ろうとしていたのである。しかもその方法は、それぞれの主神に相談した結果、「影から見守るのがよい男だ」という助言を真に受けたものだった。つまり、二人は善意と好意から、こっそりエイナを見張っていただけであった。
神々の悪戯が元凶だったこと
エイナ達が事態の全体像を理解しかけたところで、建物の屋上から神々の高笑いが響いた。そこにいたのはドルムルとルヴィスの主神であり、二柱は最初から彼等を焚きつけ、滑稽な恋愛模様を娯楽として見物していたのであった。最初に黒い外套を纏ってエイナを追い回したのも、恐らくは彼等自身だった。ドルムルとルヴィスは自分達が神々に遊ばれていたことを知って激怒し、矢や石を投げつけたが、神々は高笑いしながら夜の彼方へ逃げ去っていった。
ドルムルとルヴィスがエイナに求婚したこと
神々に翻弄された怒りと勢いのまま、ドルムルとルヴィスは今度は真正面からエイナに想いをぶつけた。ルヴィスは伴侶の契りを交わしてほしいと告げ、ドルムルもエイナに嫁になってほしいと懇願した。思いがけない求婚にエイナは動揺し、しかも二人とも本気であることが伝わってきたため、簡単に受け流すこともできなかった。返答を迫られ、追い詰められたエイナは、とっさに隣のベルへ縋るように視線を向けた。
エイナが咄嗟にベルを恋人だと言ったこと
しかしベルは状況を見守るばかりで、すぐには口を出さなかった。その態度に焦りと苛立ちを覚えたエイナは、とうとうベルの腕にしがみつき、自分はこの人と付き合っているのだと言い放った。さらに、昔ベルが5階層から無事に帰ってきた際に口にした「大好きです」という言葉を持ち出し、今ここでもう一度言うよう迫った。ベルは観念して、真っ赤になりながらもう一度「だいすきです」と口にした。その言葉を受けたエイナは、こういう守ってあげたくなる人が自分はいいのだとまで言い切った。
その発言により、ドルムルとルヴィスは完全に打ちのめされ、二人揃って失意のまま去っていった。残されたベルとエイナは、互いに真っ赤になりながら立ち尽くすことになった。
エイナがベルに謝罪したこと
二人きりになると、エイナはすぐにベルへ向き直り、勢いで巻き込んでしまったことを謝った。自分の都合でベルを利用したことに強い後ろめたさを感じていたのである。しかしベルは明確に責めることもできず、ただ気恥ずかしさの中で戸惑うばかりであった。
翌朝、二人がいつもの関係に戻ったこと
翌朝、エイナは昨夜の件を思い出しては赤面し、ベルと顔を合わせづらい気持ちを抱えたまま窓口に座っていた。そこへベルが現れ、互いに気まずさから目を逸らしたものの、先に普段通り相談したいことがあると切り出した。エイナもまた、それに応じる形で自然に笑みを浮かべた。二人はそのまま、これまで通りアドバイザーと冒険者として、あるいは姉と弟のような距離感を取り戻した。
そしてエイナは、ベルには聞こえないほどの小さな声で、昨夜はありがとう、もう一度好きと言ってくれて嬉しかったと呟いた。ベルはそれを聞こえないふりをして赤くなったが、エイナはそんな彼の様子を見て、くすぐったそうに満面の笑みを浮かべるのであった。
五章 街娘の秘密
シルが密かに弁当を用意していたこと
シルは誰もいない厨房で一人、黒煙が立ち上るほど危うい料理を仕上げていた。完成したミートパイやサンドイッチを味見もせず籐籠へ詰め込み、上機嫌のまま外出した。彼女はその料理を誰かに届けようとしており、普段の酒場勤めとは異なる私的な目的のために動いていたのである。
ベルが王国軍の影響の薄いオラリオの日常を見つめたこと
夕暮れのギルド本部では、ベル達がいつものように迷宮探索後の手続きを進めていた。ベルはエイナへの報告を済ませた後、掲示板の前で情報収集を行った。そこでは、下層で冒険者の装備を奪うモンスターが出るという話や、鎧と剣を持つ黒いミノタウロスの噂が語られていた。王国軍が市壁の外で戦っているにもかかわらず、ギルド本部の中は平常通り賑わっており、ベルはオラリオの日常がほとんど崩れていないことを実感した。
シルの欠勤が続いていることをベルが知ったこと
翌日、休暇を取るよう神々や仲間に言い渡されていたベルは、昼食の件で『豊穣の女主人』を訪れた。そこで彼は、シルが十日以上も欠勤していることを知った。アーニャやルノア、クロエ達は、シルがしばしば突然姿を消すこと、しかも誰も彼女の私生活や住まいを知らないことを口々に語った。好奇心と不思議さを抱いたベルは、シルの秘密めいた行動に関心を強めた。
ベルが休日の散歩中にシルを見かけて尾行したこと
休暇を与えられたベルは、街を散歩しながら普段見ていないオラリオの風景を楽しんでいた。中央広場で一休みしていた時、彼は薄鈍色の髪を見つけ、シルの姿を発見した。しかも彼女は酒場の制服ではなく、白いワンピースに麦わら帽子という普段とは全く違う装いで、大きな籐籠を抱えていた。その姿に目を奪われたベルは、店員達の言葉も思い出し、結局は彼女の後を追うことにした。
シルがダイダロス通りの奥へ向かったこと
シルは東地区からさらに道を折れ、ベルにとって因縁のあるダイダロス通りへ入っていった。複雑で治安も良くない迷宮街を、彼女は慣れた足取りで進んでいった。ベルは不安を抱きながらも見失うわけにはいかず、護身用の武器を確かめながら慎重に後を追った。やがてシルは、迷宮街の奥に建つ古びた木造の教会へと入っていった。
ベルが教会の中で子供達と出会ったこと
ベルが教会の中へ踏み込むと、そこには外観以上に広く、しかも椅子が積み上げられた秘密基地のような空間が広がっていた。そこで彼は、まずハーフエルフの子供に出会い、続いてヒューマンと獣人の子供達にも囲まれた。彼等の話から、この教会が子供達とマリアお母さんと呼ばれる人物の暮らす家であることが明らかになった。さらに、彼等がシルの弁当から逃げていたと聞かされ、ベルはシルがここへ通っていることを知った。
ベルが子供達に正体を見破られて歓迎されたこと
ライと呼ばれた少年は、白髪と赤い目からベルを【リトル・ルーキー】だと見抜いた。その瞬間、教会の中にいた子供達が一斉に飛び出し、ベルに群がった。武器を見せてほしいとせがまれ、突進や抱きつきに押され、ベルはついに床へ倒れ込んだ。冒険者としての名声が、こんな形で子供達にまで広がっていることが明らかになったのである。
シルが駆けつけてベルと再会したこと
ベルの悲鳴と子供達の歓声を聞きつけ、祭壇の奥の部屋からシルと年配の女性が駆けつけた。床に倒れ込み、子供達に取り囲まれたままのベルを見つけたシルは、驚いた表情で彼を見下ろした。ベルは何とか武器だけは守りながら、情けない空笑いを返すしかなかった。こうしてベルは、偶然の尾行をきっかけに、シルが隠していた教会と子供達の存在に踏み込むことになったのである。
孤児院の正体
ベルはシルに連れられる形で教会の奥にある食堂へ移動し、そこでマリア・マーテルから、この場所が孤児院であると知らされた。捨てられた子供達を保護し続けた結果、マリアはこの空き教会を拠点に孤児達と暮らすようになっていたのである。迷宮都市では冒険者同士の刹那的な関係や死別によって行き場を失う子供が少なくなく、そうした子供達がこの貧民街に置き去りにされる現実も語られた。ベルは孤児院の成り立ちに衝撃を受けたが、ライに憐れむような目を向けるなと咎められ、この子供達が今の暮らしを不幸だと思っていないことを悟った。
孤児院を支える事情
ベルが孤児院の生活費を案じると、マリアは一部の神々が寄付という形で支援してくれていることを明かした。それによってどうにか食いつなげているが、決して余裕のある暮らしではなかった。シルもまたこの孤児院にたびたび通っており、子供達の世話をしながら食べ物を差し入れていた。酒場を休んでいた理由もそこにあり、彼女はこの場所と深く関わっていたのである。
子供達と冒険者の話
子供達はベルが【リトル・ルーキー】であることを知ると、迷宮での冒険話をせがんだ。ベルは戸惑いながらも、これまでの探索や階層主との戦いを語って聞かせた。しかしその最中、マリアの表情が曇る。彼女は、かつて育てた子供達の多くが孤児院を支えるために冒険者となり、迷宮へ入ったまま誰一人帰ってこなかったことを打ち明けた。ベルは不用意に冒険者稼業を面白く語ってしまったことを悔いたが、年長のライは『学区』へ進んで勉強し、冒険者以外の道で力をつけると宣言した。子供達もそれに続き、孤児院に別の未来を見ようとしていた。
シルの弁当と子供達の受難
正午の鐘が鳴ると、シルは持参した籐籠を開け、子供達のための料理を並べた。だが子供達は目の前の料理を前に一様に押し黙り、意を決したように恐る恐る手をつけた。ベルも食べようとしたが、シルに止められた。やがて子供達の苦悶に満ちた反応と囁きから、ベルはシルの弁当の味がかなり危険であり、普段自分が受け取っていた昼食の裏で、この子供達が試食台になっていた事実を知ることになった。孤児達の悲鳴が響く中、ベルは何も言えず顔を引きつらせるしかなかった。
遊びの時間と子供達の素顔
昼食後、ベルとシルは子供達に請われて教会内で一緒に遊ぶことになった。関所遊びや冒険者ごっこに付き合う中で、ベルはライ、フィナ、ルゥをはじめとする子供達それぞれの性格に触れていった。ライは年長者らしく気丈でやんちゃな性格をしており、フィナは快活で人懐こく、ルゥは常にぼんやりとして掴みどころがなかった。シルもまた子供達に囲まれながら、普段の酒場では見せない柔らかな表情で接していた。ベルは、子供をあやし、抱き締め、笑い合うシルの姿に新鮮な印象を受け、彼女の知らなかった一面を強く意識するようになった。
スカートめくりと膝枕の罰
遊びの最中、ライが悪戯心からシルのスカートをめくり上げてしまい、偶然それを目撃したベルは大いに狼狽した。シルは羞恥に顔を赤らめつつも、下着を見た罰として自分の願いを一つ聞くようベルに迫った。当初は膝枕をしてほしいと言い出したが、途中で思い直し、最終的にはベルに自分を膝枕させる形へと変わった。周囲の子供達はその光景を面白がり、ベルは羞恥で赤面しながらも、シルの満足がいくまで彼女を膝の上に乗せ続ける羽目になった。
昼寝の後の静かな時間
遊び疲れた子供達は次々と眠りに落ち、ベルとシルはマリアに子守を任せて教会の外へ出た。二人は裏庭から迷宮街の廃墟じみた一角へと歩み出し、その途中でシルは自分もまた貧民街育ちの孤児であったことをベルに明かした。だからこそマリアや孤児達を放っておけず、この孤児院に通うようになったのだという。ベルはその告白に驚きつつも、自分もまた両親の顔を知らずに育った身であることを思い、孤児達への共感をいっそう深めていった。
シルの照れ隠しとベルの動揺
その後、シルはベルに、今日見せたような自分の姿を本当は知られたくなかったと打ち明けた。子供達と遊ぶことも、弁当作りに熱中することも、ベルに見られると何故か恥ずかしいのだと告げたのである。廃墟の上を歩いていた最中、足を滑らせたシルをベルが咄嗟に抱き留めると、二人は至近距離で見つめ合うことになった。そこでベルは、シルが普段の余裕ある態度とは違い、本気で赤面し、戸惑っていることを目の当たりにした。シルの一連の振る舞いが、からかいではなく照れ隠しでもあったと察したベルは、これまでと異なる感情で彼女を意識し始めた。
甘い思い出と不審な視線
シルは最後に、ベルに見つけてもらえて良かった、甘い思い出ができたからと笑ってみせた。その言葉にベルはますます動揺し、シルへの印象が大きく変わっていくのを自覚した。だがその直後、ベルは周囲から視線を感じ取り、複合住宅の高所に立つ一人の猫人の青年を見つけた。どこかで見覚えのある相手だったが、シルが声をかけてきた一瞬の隙に、その人物は姿を消していた。こうしてベルは、シルの秘密に触れただけでなく、彼女の周囲にまだ何か別の謎が潜んでいることまで感じ取るのであった。
孤児達からの依頼
夕暮れが近づく頃、ベルとシルが孤児院へ戻ると、目を覚ました子供達が一斉に二人へ駆け寄った。マリアはそのまま夕食まで食べていくよう勧め、ベルも子供達の熱意とシルの頼みに押されて滞在を延長することにした。夕食までの間、ベルが手持ち無沙汰になっていると、ルゥが三枚の金貨を差し出し、ライとフィナも加わって“冒険者依頼”を申し込んだ。内容は、廃墟の海の近くから聞こえる謎の唸り声の正体を調べてほしいというものであった。
地下通路の発見
ベルは子供達に案内され、シルも合流した上で、教会裏手の廃墟地帯へ向かった。現地で耳を澄ませると、確かに不気味な唸り声が地下から響いていた。ベルは瓦礫をどかし、地中に埋もれていた石板状の扉を掘り当てる。それはかつて歓楽街からの脱出で通った秘密地下道の入口に酷似しており、地下へ続く通路の存在を示していた。ベルは危険を承知しつつ調査に向かおうとしたが、子供達もシルも同行を望み、結局全員で地下へ降りることになった。
地下広間の怪物
地下通路には魔石灯が備え付けられており、構造も歓楽街の秘密通路と似ていた。やがてベル達は広間へ辿り着き、そこで唸り声の主と遭遇する。現れたのは、大型級モンスター『バーバリアン』であった。本来なら深層付近に出没する怪物が、傷だらけの状態でこの地下空間に潜んでいたのである。ベルは【ファイアボルト】で牽制し、《神様のナイフ》で応戦したが、相手は単なる暴力だけではなく戦法めいた動きも見せ、強敵ぶりを発揮した。ベルはこの怪物に、かつての片角のミノタウロスにも似た異様さを感じ取っていた。
子供達の危機と第一級冒険者の介入
戦闘の最中、ライが思わず石を投げて怪物の注意を引いてしまい、バーバリアンはシルと子供達へ襲いかかった。ベルは止めようとしたが間に合わず、危機が目前に迫る。その瞬間、一本の長槍が飛来し、バーバリアンの身体を貫いて即座に絶命させた。助けに現れたのは【フレイヤ・ファミリア】の第一級冒険者【女神の戦車】アレン・フローメルであった。ベルは礼を述べようとしたものの、女子供も守れないのかと厳しく叱責され、謝罪するしかなかった。シルはそんなアレンを見て穏やかに微笑み、彼が酒場の得意客であることを明かした。
地下道の処理と新たな疑問
ベルは地下広間を再確認し、奥に崩落で塞がれた別の通路があることを突き止めた。迷宮街の地下に広がるこの空間が、歓楽街の秘密通路と同系統のものであることを確信しつつ、後はギルドに通報して任せるべきだと判断した。子供達には二度と近づかないよう言い聞かせ、石板の扉も閉じて地上へ戻る。その帰路で、ベルは【フレイヤ・ファミリア】が本来戦線に出ているはずなのに、なぜアレンがこの場にいたのかという疑問を抱いた。
アレンの立場とフレイヤの思惑
場面は王国軍との戦線にある【フレイヤ・ファミリア】の本営へ移った。主神フレイヤは敵軍の瓦解を聞きつつ、アレンに戦場を離れていたことをねぎらった。アレンは、護衛対象である“娘”が酒場を離れて動き回るため、その護衛に駆り出されたことを不満げに報告した。フレイヤはシルが彼に感謝しているはずだとからかい、アレンは照れを隠しきれずに反発した。さらにフレイヤは、アレンが縁を切ったと言い張る妹アーニャとも関わるよう諭し、彼は渋々それを受け入れた。こうして、シルの背後にはフレイヤの意向とアレンの監視が存在していたことが示された。
酒場へ戻ったシル
夜が明け、シルはようやく『豊穣の女主人』へ戻ってきた。店に入ると、アーニャをはじめとする店員達が一斉に彼女を迎え、長く店を空けていたことへの文句と安堵を入り交ぜながら騒ぎ立てた。クロエは溜まった仕事を馬車馬のように働いて返せとからかい、リューはそれなら同じくサボっていた者も罰を受けるべきだと冷静に返し、ルノアはどこへ行っていたのかと心配を口にした。しかしシルは詳しい事情を明かさず、ただ「内緒」と笑って誤魔化した。
恋の気配を見抜く同僚達
そんなシルの様子を見たクロエは、彼女がベルとの間に何かあったのだとすぐに見抜いた。すっかり上機嫌で、しかも乙女らしい表情になっていると指摘されたシルは、思わず頬を押さえながら苦笑するしかなかった。彼女の変化は、店員仲間の目から見ても明らかであり、シルの胸中が穏やかな高揚に満ちていることを示していた。
ミアの確認とシルの決着
そこへ女将ミアが姿を現し、もう大丈夫なのかと短く問いかけた。シルはそれに対し、「もう大丈夫です」とはっきり答えた。迷いも揺らぎもなくなった彼女の返答を聞いたミアは、それ以上踏み込まず、ならば早く働けと店員達を一喝した。シルはその言葉を受け入れながら、静かに笑みを浮かべた。
街娘としての日常への復帰
やがて開店の時刻となり、シルは店の扉に『Open』の札を掲げた。そして入ってくる客に向かって、いつもの街娘としての笑顔で「『豊穣の女主人』へようこそ」と迎え入れた。ベルとの一日を経て心の中に新たな思い出を得た彼女は、それを胸に秘めたまま、再び日常の中へ戻っていったのである。
六章とある女神の愛歌
王国軍本営の混乱
王国軍本営では、アレスが兵士達の損耗と作戦失敗に激怒していた。副官マリウスは、兵士が次々とオラリオ側に捕らえられ、戦線維持も軍資金の確保も困難になっている現状を冷静に突きつけ、撤退以外に道はないと進言した。さらに、ヴェルフ・クロッゾの説得に失敗し、切り札であった『クロッゾの魔剣』獲得も叶わなかったことで、今回の侵攻の意義は失われたと断じた。
アレスの暴走と新たな奇策
しかしアレスは敗北を認めきれず、自らオラリオへ潜入し、ヘスティアを誘拐してヴェルフとの交換材料にしようと考えた。マリウスはその無謀さに呆れ果てたが、アレスは聞き入れず、夜陰に紛れて出発するよう命じた。こうして、戦局が決していたにもかかわらず、王国軍による最後の無謀な奇襲計画が動き出した。
春姫の無理とベルの気遣い
一方、オラリオの市壁内は平穏を保っており、ベルは朝のホームで洗濯物を運ぶ春姫に声をかけた。春姫は迷宮探索と家事を両立させようと懸命に働いていたが、自分はまだ皆の役に立てていないと感じ、無理を重ねていた。ベルは、自分もかつて神を困らせるほど無理をして体を壊した経験を語り、仲間に頼ることも大切だと伝えた。その言葉に心を動かされた春姫は、冷え切った手を温めてほしいと願い、ベルはためらいながらもその手を包み込んだ。
ヘスティアの介入と接触禁止騒動
だがその光景を目撃したヘスティアは激怒し、二人の手を引き離した。春姫が事情を説明しても、ヘスティアは「不純異性交友」を禁じると宣言し、手を繋ぐことさえ禁止だと言い出した。春姫はしょんぼりと従ったが、尻尾でベルの手首に巻きついてしまい、再びヘスティアの怒りを買った。こうして朝の中庭は騒然となった。
女神との恋愛を巡る議論
朝食後、ヘスティアは改めてリビングで男女の接触禁止と他派閥との恋愛禁止を宣言した。これにリリが強く反発し、神自身も規則に従うべきだと食ってかかった。議論はやがて、神と下界の者の恋愛はあり得るのかという話題へ発展した。ヴェルフは、神々との恋愛も不自然ではないと語り、自分はヘファイストス一筋であると明言した。それを聞いたヘスティアは大いに喜び、ベルにも同じ問いを投げかけた。
ベルの返答とヘスティアの傷心
ベルは、もし女神に求愛されても断ると率直に答えた。理由は、神々は敬い崇める存在であり、恋愛対象として考えるなど恐れ多いからであった。その返答を聞いたヘスティアは大きな衝撃を受け、感情を抑えきれずベルを罵ってリビングを飛び出してしまった。突然の事態にベルは動揺し、彼女を追うしかなかった。
残された眷族達の見解
ベルが去った後、ヴェルフはリリに、あの場であのような言葉を投げたことを問いかけた。リリは、ヘスティアは自分達の主神であり、いつまでも拗ねていられては困ると答えたうえで、彼女にはいつも余計なお節介をされていると付け加えた。命と春姫はその素直ではない態度に苦笑し、ヴェルフもまたリリの意図を察した。そして、今日は迷宮探索を中止し、女神とベルが仲直りして戻るのを待つことに決めたのである。
ベルの捜索と男神達との対話
ヘスティアを探して街に出たベルは、行き交う人々にその姿を尋ねながら都市を駆け回った。やがて都市西部でミアハとヘルメスに出会い、事情を察した二柱から相談に応じると持ちかけられた。ベルは神々が子供達を恋人や伴侶として愛することがあるのかを尋ね、二柱は神ごとに愛の形が異なると答えた。アポロンのように激しく執着する神もいれば、タケミカヅチやミアハのように親の立場を崩さず見守る神もいるのだと語られた。
神々の愛の短さと誠実さの教え
ミアハとヘルメスは、神々にとって子供達との時間は永遠の中のほんの一瞬であり、それゆえ恋や愛も一瞬で生じるのだと説明した。その上で、神の求愛を恐れて逃げるのではなく、受け入れるにせよ断るにせよ、ただ誠実に向き合えばよいとベルに諭した。ミアハに頭を撫でられながらその言葉を受け取ったベルは、自分の迷いを見透かされた思いに打たれつつも、すぐには答えを返すことができなかった。
ヘスティアの愚痴と都市門への道
一方その頃、ヘスティアは街を歩きながら、ベルが神々を敬い過ぎていることへの不満をぶつぶつと漏らしていた。神を過剰に崇める必要などないと通りすがりの人々にまで同意を求めつつ、拗ねたように歩き続けていたところ、ジャガ丸くんの同僚に声をかけられた。材料となる薬草を都市の外へ取りに行く手伝いを頼まれたヘスティアは、バイト休みではあったものの行く当てもなかったため協力を決めた。ただし主神である自分は本来都市の外へ簡単には出られないと説明しながら、同僚達とともに北門へ向かった。
ガネーシャの独断による門外行き
北門前でヘスティアは、戦場から戻ってきたガネーシャと遭遇した。王国軍との戦いが終息に向かい、捕らえた兵士達を都市へ運ぶため帰還してきたという彼に、ヘスティアは薬草採取の事情を打ち明けた。するとガネーシャは、ジャガ丸くんの材料確保は都市にとって有益であると勝手に判断し、正式な許可もないままヘスティアの都市外行きを認めてしまった。団員達やギルド職員が慌てて止めようとしたものの、群衆の主としての強引な裁量を押し通した結果、ヘスティアは同僚達とともに市壁の外へ出ることになった。
アレスの潜入と誘拐の成功
その頃、王国側ではアレスが自らオラリオへ潜入し、ヘスティアを攫ってヴェルフとの交換材料にするという無謀な作戦を決行していた。副官マリウスに呆れられながらも、旅人に偽装して北門の列へ紛れ込んでいた彼は、都市を出てきたヘスティアと偶然鉢合わせた。互いに相手を認識した次の瞬間、アレスは即座にヘスティアへ体当たりを仕掛け、そのまま彼女を肩に担ぎ上げた。王国兵達も一斉に動き、門衛を斬り伏せて撤退を開始した。こうしてヘスティアは、都市の外で敵軍の主神に誘拐されるという最悪の事態に巻き込まれたのである。
アスフィとの合流と緊急事態の共有
ヘルメスとミアハの助力を得てヘスティアを捜していたベルは、ヘルメスの従者アスフィと合流した。主神に振り回されていた彼女は怒りを露わにしていたが、ベル達から事情を聞くと即座に状況を把握した。そこへ完全武装の【ロキ・ファミリア】一団が駆け込んできたことで、ただならぬ異変が起きていることが明白となった。
ヘスティア誘拐の発覚
アイズに促されて北門へ向かったベルは、そこでヘスティアが王国の兵士達に攫われた事実を知らされた。門前ではロキ、フィン、ガネーシャらが集まり、事態の収拾に追われていた。ガネーシャが独断でヘスティアの門外行きを認めていたことも判明し、ロキは彼を痛烈に非難した。フィンは、王国側の狙いがヴェルフあるいはクロッゾの魔剣にあると見抜き、ヘスティアを神質にした揺さぶりが都市内部の対立すら招きかねない危険な一手であると判断した。
追跡役としてのアイズの名乗り
王国兵は複数の部隊に分かれて逃走しており、どこに本命がいるのかは不明だった。地理にも精通する敵を相手に、追跡は困難を極めるとフィンとロキが話し合う中、アイズは自分が追うと申し出た。最も足が速く、単独での行動力にも優れる自分が適任だと判断したのである。ロキはしらみ潰しに近い追跡になることを懸念しつつも、彼女の申し出を退けることはできなかった。
ベルの同行表明
その場でベルもまた、自分はヘスティアの眷族であり、必ず追いかけると強く訴えた。ロキは彼とアイズの実力差を冷然と突きつけ、足手まといになるだけだと牽制したが、ベルはなおも同行を願い出た。神を助けたいという強い意志を見せるベルに対し、ロキは明確には認めないまま、実質的に同行を黙認した。ベルはその判断に礼を述べ、アイズの追跡に加わる覚悟を固めた。
ヘルメスの助力とアスフィの役割
追跡隊の人手不足が問題となる中、ヘルメスはアスフィならヘスティアの居場所を探り当てられると申し出た。万能者の二つ名を持つ彼女は渋々ながらも、自分の手段を用いれば三十分ほどで位置を絞れる可能性があると答えた。フィンはそれを信用し、ヘルメスの助力を受け入れた。こうして、アイズとベルを中心とした救出行動が、他派閥の支援も受けながら急速に整えられていった。
救出への出発
ヘルメスはベルとアイズに、ヘスティアを連れ戻してほしいと託した。ベルはその願いを受け止め、アイズとともに必ず救出すると応じた。巨大な都市門が開かれる中、ヘスティア奪還のための追跡隊はついに出発することとなった。
王国軍の窮状とアレスの暴走
【アレス・ファミリア】本営では、オラリオとの戦で兵士の損耗と捕縛が増え続け、もはや戦線維持が困難になっていた。副官マリウスは撤退を進言したが、アレスはなおもクロッゾの魔剣への執着を捨て切れず、自らオラリオへ潜入してヘスティアを人質にし、ヴェルフとの交換を迫るという暴挙を思いついた。周囲が反対する中でも軍神は聞き入れず、王国軍最後の無謀な策が動き出した。
春姫との触れ合いとヘスティアの動揺
オラリオでは、朝の支度をしていた春姫をベルが手伝っていた。新しい生活に馴染もうと無理を重ねる春姫に対し、ベルは自分もかつて無理をして倒れた経験を語り、頼ってほしいと優しく伝えた。その言葉に心を動かされた春姫は、冷えた手を温めてほしいと願い出た。そこへヘスティアが現れ、二人の接触に強く反応した。館に戻った後、ヘスティアは「風紀」の名目で男女の接触を禁じるような極端な規則を言い出し、さらに他派閥の者との恋愛まで否定した。しかし、神との恋愛について問われたベルは、神々をあくまで敬う存在として捉えており、求愛されても断ると率直に答えた。その返答はヘスティアを深く傷つけ、彼女は館を飛び出してしまった。
ベルへの問いと神々の愛の形
ヘスティアを捜しに出たベルは、ミアハとヘルメスに出会い、神々が子供達に向ける愛の形について教えられた。神々にとって下界の者達との時間は永遠に比べれば一瞬であるが、それでも恋に落ちることはあり、愛し方は神ごとに異なるのだと二柱は語った。伴侶として望む神もいれば、親のように見守ることを選ぶ神もいるが、共通しているのは子供達への想いが真実であることだった。ミアハは、神の求愛に対して畏れから逃げるのではなく、誠実に向き合うべきだと諭した。ベルはその言葉を受け止めながらも、自分の気持ちを整理し切れずにいた。
北門での偶然とヘスティア誘拐
一方、ヘスティアはジャガ丸くんの材料調達を手伝うため北門へ向かっていた。都市外には出られない立場だったが、偶然そこへ戻ってきたガネーシャが独断で門外行きを認めたことで、彼女は同僚達とともに市壁の外へ出た。そこで、オラリオ潜入を図っていたアレスと偶然鉢合わせた。アレスはこの好機を逃さず、ヘスティアに体当たりを食らわせて捕縛し、そのまま王国兵とともに離脱した。こうしてヘスティアは本当に人質となり、オラリオに衝撃が走った。
救出隊の結成とベルの決意
ヘスティア誘拐の報せはすぐに都市へ届き、北門にはロキ、フィン、ガネーシャらが集結した。王国軍は複数部隊に分かれて撹乱しており、本隊の位置特定は困難だったが、アスフィが飛行用魔道具を使って追跡できると申し出た。アイズは単独で追うことを決め、ベルもまた自分はヘスティアの眷族であるとして同行を強く願い出た。ロキは実力差を指摘しつつも、最終的にはベルの決意を黙認した。こうしてアイズとベルは、アスフィの支援を受けてヘスティア奪還へ向かった。
ベオル山地での追跡と実力差の痛感
王国軍はヘスティアを連れ、険しいベオル山地を北上していた。そこを追うアイズとベルは、山道を全力で駆け続けたが、ベルはアイズの圧倒的な速度と持久力の前に、彼我の差をまざまざと思い知らされた。それでもヘスティアを助けたい一念と、アイズに無様を晒したくない意地によって、ベルは防具すら捨てて食らいつき続けた。アイズはそんなベルを一瞥し、完全には見捨てず速度を調整しながら先へ進んだ。
王国軍本隊との接触と渓谷への転落
アスフィの上空からの追跡により、王国軍本隊はついに捕捉された。アイズは単独で部隊に突撃し、兵士や将軍を次々と斬り伏せた。ベルも遅れて戦場に飛び込み、ヘスティアのもとへ急行した。だが混戦の最中、兵士に押し飛ばされたヘスティアは山道から谷へ転落した。ベルは迷わず崖下へ飛び込み、彼女を抱き止めた。その直後、アイズもまた戦闘を切り上げて渓谷へ飛び降りた。上空ではアスフィが王国兵に足止めされ、ベル達の援護に回れなくなっていた。
渓谷での逃走とハーピィの襲撃
渓谷の底では大雨と激流によってヘスティアの体温が急速に奪われていた。ベルは彼女を背負い、アイズとともに雨宿りできる場所を求めて走った。そこへ地上モンスターであるハーピィの群れが襲来したが、アイズは渓谷を縦横無尽に駆け、ベル達を守るように怪物を次々と斬り落としていった。その圧倒的な強さを前に、ベルはあらためてアイズの実力を思い知らされた。やがて前方に灯りと人の声が見え、二人はそこへ向かって走り出した。
エダスの村での保護と神の看病
渓谷で出会った人々に導かれ、ベル達はベオル山地の隠れ里であるエダスの村へ辿り着いた。村人達は事情を聞くとすぐにヘスティアを保護し、村長カームの家を休息の場として提供した。ベルは暖炉のある部屋で眠るヘスティアに付き添い、その手を握りながら看病を続けた。高齢の村長カームは体が弱っていながらも、ヘスティアの快方を願って深い気遣いを見せた。ベルはその献身に感謝すると同時に、彼の病弱さにも不安を覚えた。
アイズの帰還と村での待機方針
その後、雨の中を動いていたアイズが戻り、王国軍やアスフィの姿はすでに消え、現場には戦闘の痕跡だけが残っていたと報告した。悪天候と地形の険しさから、オラリオへの連絡も救援も当面は期待できず、三人はヘスティアの回復までこの村に留まる方針を固めた。ベルはリリ達に心配をかけることを気にしながらも、神を無理に動かすより村で静養する方が賢明だと受け入れた。
村の正体と温かな人々
翌日以降、ヘスティアは徐々に意識を取り戻し、ベルはこのエダスの村の由来を知ることになった。元は古代から続く妖精の里であったが、神々の降臨以後、外界に出る者と外から流れ着く者が交じり合い、今では行き場を失った人々の子孫が多く住む隠れ里へと変わっていた。訳ありの者や世捨て人を受け入れてきた村は、余所者であるベル達にも寛容であった。ヘスティアも村の子供達に手を振り返しながら、その温かな空気に心を和ませていた。
祭りの準備とアイズの素顔
村では豊穣を祈る祭りの準備が進められており、ヘスティアに頼まれたベルは恩返しのため手伝いに出ることにした。そこで彼は、村娘の衣装を借りたアイズと再会した。戦闘装束ではない赤いロングスカートと白の中衣に身を包んだ彼女は、普段の剣士姿とは異なる素朴な可憐さをまとっていた。ベルはその姿に見惚れ、思わず似合っていると告げる。アイズもまた、自分も世話になったのだから手伝いたいと申し出て、二人はともに村の祭りの準備に加わった。
黒竜の鱗と村を守る恐怖
準備の最中、ベルは村の外縁に置かれた黒曜石のような巨大な物体の正体を知った。それはかつて隻眼の黒竜がこの地の上空を通過した際に落とした鱗であり、村人達はそれを祀っていた。ベオル山地がモンスターの生息地でありながら村が襲われずに済んでいるのは、この鱗が竜の気配を放ち、怪物達を近付けないためであった。村人達は竜を敬っているのではなく、むしろ圧倒的な災厄を恐れ、それを鎮めるために祈っていたのである。ベルはその事実を通して、三大冒険者依頼の一角である黒竜討伐が、単なる伝説ではなく世界規模の悲願であることを改めて実感した。
アイズの激しい拒絶
黒竜の鱗を前にしたベルは、それが村人にとって神のように扱われていることを率直に口にした。するとアイズは、それを神などではないと鋭く否定した。普段感情を表に出さない彼女が見せたその冷たく強い拒絶は、ベルに明確な恐れを抱かせた。だが次の瞬間にはいつもの無表情に戻り、何事もなかったかのように戻ろうと告げたため、ベルはその変化に戸惑いながらも、何も聞けないまま彼女の後を追うしかなかった。
カームの過去と神への愛
ベルがヘスティアの様子を見に戻ると、寝ている女神の傍らにカームが立っていた。彼はベルを自室へ招き、自らの過去を語り始めた。カームはかつて女神の眷族であり、その主神と互いに愛を誓い合っていた。しかし旅の最中にモンスターの群れに襲われ、彼は女神に庇われて命を繋ぎ、その代償として彼女を天界へ送還させてしまった。失意の末にベオル山地で死のうとした彼は、この村に辿り着き、生き延びた命を村のために使うことを決めたのである。さらに彼は、今の娘達が血の繋がらない養子であることも明かし、ベルに対して、己と同じ後悔をしないようヘスティアを守れと静かに訴えた。その言葉は、ベルの胸に深く刻まれた。
ヘスティアの回復と祭りへの参加
その頃、ヘスティアはようやく寝床から起き上がれるまでに回復していた。だるさは残っていたが、もはや寝続ける必要はないと感じていたところへ、村娘姿のアイズがスープを運んできた。彼女の格好に対してヘスティアは激しく反応し、ベルを誘惑する気ではないかと勝手に対抗心を燃やした。そのうえでヘスティアは、アイズにベルへの印象を探るような問いを投げかけたが、決定的な答えを引き出すことはできなかった。やがてヘスティアは村の祭りへ出たいと言い出し、カームの娘に頼んで自分も村娘風の服に着替えた。ベルが部屋へ戻ると、そこにはアイズと並んだ姉妹のような装いのヘスティアが立っており、彼はその姿に驚きつつも、体調を案じた。しかしヘスティアは祭りに行く気満々であり、ベルとアイズを伴って広場へ向かった。
祭りとヘスティアとの踊り
広場では焚き火が焚かれ、村人達が歌い、踊り、祭りはすでに始まっていた。ヘスティアの回復を知った村人達は大いに喜び、彼女に祝福と踊りを求めた。そこでヘスティアは、三日前の喧嘩を水に流す条件として、ベルに自分を正式に踊りへ誘うよう要求した。ベルは大勢の前で赤面しながらも彼女に手を差し出し、神様と踊ってほしいと願い出た。ヘスティアはそれを嬉々として受け入れ、二人は焚き火の周りで郷土舞踏を踊った。ぎこちなくも楽しげに手を取り合って踊る二人の姿は、村人達の歓声と拍手に包まれた。ベルはヘスティアの無邪気な笑顔に引き込まれ、自らも頬を熱くしながらその時間を過ごした。
アイズの孤独とベルの誘い
祭りの最中、ベルは一人広場の隅に立つアイズに気付いた。彼女は祭りの輪に入れず、楽しそうに過ごす村人達を眺めていた。ベルが声をかけると、アイズは皆が楽しそうで、自分は入ってはいけないように思えたこと、そして踊ってくれる相手がいないことをぽつりと漏らした。それを聞いたベルは、強く意識して迷いながらも、自分でよければ踊ると申し出た。アイズは驚きながらも、それを受けようと手を伸ばした。しかしその瞬間、ヘスティアが横からベルに体当たりを食らわせ、強引にアイズを踊りの輪へと連れ込んだ。
女神と剣姫の共演
ヘスティアはアイズと手を取り合って焚き火の周りで踊り始めた。幼く可憐な女神と、神秘的な美しさを持つ剣姫が並んで踊る姿は、村人達の視線を一身に集めた。まるで仲の良い姉妹のようなその光景に、村の誰もが歓声を上げた。ベルは吹き飛ばされたままその様子を見守り、思わず笑い出した。周囲の人々の温かな笑顔に包まれた中で、アイズの唇にもまた、かすかな笑みが浮かんだ。こうして祭りは夜更けまで賑やかに続き、ベル達は束の間ながら穏やかで温かな時間を共有したのである。
祭りの終わりと村を発つ決意
村祭りが終わると、ベル、ヘスティア、アイズの三人は村の片隅で一息ついた。ヘスティアは体調が万全ではないのに子供達と踊り続けたせいで疲れ切っており、ベルに小言を言われる始末であった。そんな中、ベルは今後の方針を切り出し、アイズの判断によって翌朝に村を出てオラリオへ戻ることが決まった。神様の体調も回復しており、これ以上村に留まる必要はないと判断されたのである。三人は別れを前に、村の景色と夜空を静かに眺めた。
カームの最期
そこへ、カームの娘が慌てた様子で駆け込んできた。遠くから怪物の遠吠えが木霊する中、彼女は涙をこらえながら、父の最期を見届けてほしいと三人に懇願した。部屋へ向かったベル達が見たのは、義理の息子達に囲まれ、寝具に沈むカームの姿であった。顔にはもはや生気がなく、最期が近いことは明らかであった。カームはヘスティアを見つけると、彼女の中にかつて愛した女神ブリギッドの面影を見出していたことを語った。さらに、ヘスティアとブリギッドが神友であったことも判明し、その偶然にカームは安堵と驚きを覚えた。
ブリギッドの言葉と旅立ち
死の淵にあるカームは、自分が守れなかった主神と再会できるのかを、ヘスティアに尋ねた。ヘスティアは、ブリギッドならきっと見つけ出すと優しく答えたが、カームは会えないことも、会うことも怖いと本音を漏らした。そこでヘスティアは、まるでブリギッド本人が乗り移ったかのように口調を変え、カームの手を包み込みながら「ありがとう、私を愛してくれて」「今も、これからもずっと、貴方を愛している」と語りかけた。それは女神の愛の詩そのものであり、カームはその言葉を聞いて涙を流しながら、自分も愛していると答えた。そうして彼は、ヘスティアの手の中で安らかに息を引き取った。彼の死に、娘や義理の息子達は崩れ落ち、ベルも涙を止めることができなかった。カームの最期の顔は、誰よりも安らかなものとなっていた。
ベルの恐れと神々の愛
その後、ベルは悲しみに耐えきれず森へ逃れるように離れ、一人で座り込んでいた。そこへヘスティアが現れ、彼の隣に腰を下ろした。ベルはカームが本当にブリギッドに会えるのかを尋ねたが、ヘスティアは、魂は本来、死と転生を司る神々の領分であり、天界では白紙に戻されて再び下界へ生まれ変わるのだと語った。そのうえでヘスティアは、ベルが神々との恋愛や愛の誓いを恐れている本当の理由を見抜いた。ベルは祖父を失ったときの喪失感を知っているからこそ、自分と深く結びついた神様が、永遠の命の中で癒えない悲しみを抱えることを怖れていたのである。人間同士ならいずれ共に老い、別れの先で終わりがある。しかし神々は取り残され、何百年何千年も喪失を抱え続けなければならない。そのことが、ベルには耐えがたく恐ろしかった。
ヘスティアの誓い
ベルの恐れを受け止めたヘスティアは、静かに彼の手を握った。そして、自分はずっとベルの傍にいると告げた。たとえベルが老いても、死んでも、生まれ変わってベルでなくなったとしても、何百年何千年何万年かかっても、必ずまた会いに行くのだと語った。そして、その時には再び「ボクの眷族にならないか」と声をかけるのだと微笑んだ。神であるからこそ永遠を生き、何度でも絆を繋ぎ直せるのだと伝えられたベルは、ついに堪えていた涙を溢れさせた。自分の中にあるこの想いの正体はまだわからない。それでもベルは、神様とずっと一緒にいたいと泣きながら口にした。ヘスティアはその言葉を受け止め、ベルを抱き締め、ずっと一緒にいると優しく誓った。月光に照らされた森の中で、ベルはヘスティアの胸の中で泣き続けた。
アイズの独白
その一部始終を、アイズは少し離れた木の幹にもたれて背中越しに聞いていた。ベルの涙と、ヘスティアの愛の言葉を耳にしながら、彼女は「ずっと一緒に」という言葉を反芻した。そして月を見上げながら、小さく「お母さん」と呟いた。その声は静かな夜の森に溶け、彼女の胸の奥にある喪失と記憶を静かに浮かび上がらせるのであった。
エダスの村との別れ
霧が立ち込める早朝、ベル、ヘスティア、アイズの三人は『エダスの村』を出発した。カームの埋葬を手伝い、その冥福を祈るためにさらに一日を費やしていたため、遭難から五日目の朝での出立となった。村人達からは、年長者が街へ買い出しに向かう際に使う抜け道を教えられ、三人は森や絶壁の隙間を抜け、穏やかになった川を見下ろしながら山を下っていった。去り際、三人は村の思い出を語り合い、また訪れたいという穏やかな願いを交わした。悲しい別れを経験した後でありながら、その会話にはどこか晴れやかな空気があった。
アスフィとの再会と戦後処理の報告
下山の途中、上空から飛来したアスフィが三人の前に着地した。彼女は『飛翔靴』を用いて彼らを探しており、ようやく無事を確認できたことに安堵していた。アスフィは、ベル達と別れた後の経緯を説明した。王国軍本隊を逃がさぬため、フィン達はベル達の捜索よりも敵軍の捕縛を優先し、負傷者を抱えて動きの鈍った本隊に上級冒険者達が攻勢をかけた。その結果、一部の兵士は逃したものの、敵軍の主神アレスは捕縛され、戦争の勝敗は決したのである。これにより昨夜から本格的な捜索隊が編成され、アスフィがその任を担っていたことが明かされた。
帰還の決意
アスフィは『飛翔靴』によって一人ずつなら都市へ運べると申し出たが、ヘスティアはそれを辞退した。彼女は、自分の足でオラリオへ帰りたいと語り、ベルとアイズも同じ気持ちを示した。アスフィはその決意を受け入れ、自分だけ一足先に都市へ戻って、彼らの無事を待つ者達へ朗報を届けることにした。不可視となる兜を用いて姿を消し、飛び去っていくアスフィの背を見送りながら、ベルは改めて彼女の魔道具の異能ぶりに驚かされた。
オラリオへの帰路
アスフィと別れた後、ヘスティアはアイズに対してもあらためて感謝を伝えた。ベルとアイズもまた、ヘスティアの言葉に笑みを返した。やがてヘスティアは、ヴェルフ達を安心させるためにも早く帰ろうと声を上げ、山道を勢いよく駆け出した。ベルとアイズもその後に続き、危なっかしく転びかけたヘスティアを支えながら、朝焼けに染まる山を抜けて進んでいった。そうして三人は、眼下に広がる巨大な迷宮都市オラリオを目指し、確かな足取りで帰還の道を辿っていった。
エピローグ バースデー
第六次オラリオ侵攻の終結
ベル、ヘスティア、アイズがオラリオへ帰還した後、ラキア王国軍との戦争は速やかに終結した。王国軍は迷宮都市近辺へ侵入したものの、アイズの強襲によって部隊は大きく損耗し、さらにアスフィが呼び寄せた援軍によって主神アレスまでも捕縛された。軍神はギルド本部前庭へ連行され、ロキをはじめとする神々から処分を言い渡された。天界送還は見送られたものの、その代償として王国兵士達が戦闘で得た経験値を全て放棄することを命じられた。およそ一万もの兵士の【ステイタス】を改宗と封印によって消去する作業を、アレスは不眠不休で行う羽目となったのである。
王国軍の敗北
兵士達と主神の身柄は、王国側の莫大な賠償と引き換えに返還された。主神を捕虜にされた王国は、オラリオ側が提示した条件をすべて受け入れざるを得なかった。こうしてラキア王国による六度目の侵攻は完全な敗北に終わり、『第六次オラリオ侵攻』は幕を閉じた。都市自体は終始大きな被害を受けることなく、平和を保ったままであった。
オラリオへの帰還
北門をくぐり都市へ戻ったヘスティアは、ようやく帰ってきたことに安堵しながら大きく息を吐いた。隣に立つベルも、見慣れた街並みを眺めながら静かに目を細めた。ヘスティアはベルに向かって、これからもずっと一緒だと告げる。ベルは満面の笑みでそれに応え、二人は手を取り合って門前を歩き出した。やがて彼らのもとへは、泣きながら駆け寄るヘスティア・ファミリアの仲間達や、笑顔で迎える友神達、共に戦った冒険者達が集まってくる。ベルは空いている手を大きく振りながら彼らに応え、迷宮都市オラリオはいつもと変わらぬ青空の下に広がっていた。
迷宮で生まれる存在
その頃、地下深くの迷宮では新たな異変が起こっていた。樹木の迷路のような迷宮の壁面に亀裂が走り、そこから新たなモンスターが誕生した。青白い肌と鱗を持つ人型の体躯、青銀の長髪、額には紅い宝石が埋め込まれている。そのモンスターはゆっくりと起き上がり、虚ろな瞳で周囲を見渡した。やがて天井を見上げ、震える声で問いかける。ここはどこなのかと。
ダンまち シリーズ一覧
ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 一覧





















ダンジジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝 ソード・オラトリア











アストレア・レコード







その他フィクション

Share this content:


コメント