「戦国小町苦労譚 7 胎動、武田信玄」第二次織田包囲網 【感想・ネタバレ】

「戦国小町苦労譚 7 胎動、武田信玄」第二次織田包囲網 【感想・ネタバレ】

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簡単な感想

第二次織田包囲網の中心人物は武田信玄だった。
遂に武田が上洛に動き出す。

どんな本?

戦国小町苦労譚は、夾竹桃氏によるライトノベル。
農業高校で学ぶ歴史好きな女子高生が戦国の時代へとタイムスリップし、織田信長の元で仕えるという展開が特徴。
元々は「小説家になろう」での連載がスタートし、後にアース・スターノベルから書籍としても登場。

その上、コミックアース・スターでも漫画の連載されている。

このシリーズは発行部数が200万部を突破している。

この作品は、主人公の静子が現代の知識や技術を用いて戦国時代の農業や内政を改革し、信長の天下統一を助けるという物語。
静子は信長の相談役として様々な問題に対処し、信長の家臣や他のタイムスリップ者と共に信長の無茶ブリに応える。

この物語には、歴史の事実や知識が散りばめられており、読者は戦国の時代の世界観を楽しむことができる。

戦国小町苦労譚

2016年に小説家になろうで、パクリ騒動があったらしいが、、、
利用規約違反、引用の問題だったらしい

読んだ本のタイトル

戦国小町苦労譚  7 胎動、武田信玄
著者:#夾竹桃 氏
イラスト:#平沢下戸 氏

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あらすじ・内容

1572(元亀3)年。平和なお正月を持て余すお市ファミリーとソリ遊びに興じる一方で、何やら画策をしている静子。

はりはり鍋やピザパーティ、マグロ祭りの開催に続き、マンゴーまで収穫? 捕鯨の管理やスクリュー船、高炉のお披露目を控える中、いよいよ奇妙丸の初陣が決まる。ついに動き出す武田軍や、直江兼続まで登場と見どころ満載。織田徳川の連合軍VS戦国最強の武田軍。全てをかけた三方ヶ原の戦いが今始まる!

戦国小町苦労譚 七、 胎動、武田信玄

感想

武田家を主とした織田包囲網。

織田家の内情を調べて密かに準備をするが、織田信長の思惑はさらにその上を行く。

そして、武田家の問題点。

当主の権力の弱さと財政逼迫。

金山を持っているが掘削する事が出来ないほど困窮。

それで訳の分からない税金を諏訪の領民に多数かけて、領民は生活が困窮して他領へ流れ流民を多く出していた。

 その分、織田家は静子主導の下。

様々な産業を育て経済的に裕福。

農産物も豊富で土地も肥沃。

 それを背景に職業軍人を創り訓練に次ぐ訓練。

そんな織田家に武田家が侵攻をかける。

半農のトレーニングを受けていない武田家の雑兵が、鬼のように過酷な訓練をうけてる織田軍に勝てる訳もない。

それでも、武田信玄は織田を倒して上洛するために三河に出てくる。

もう戦略的に負けてるのに、、

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備忘録

元亀三年決戦、三方ヶ原の戦い

千五百七十二年一月上旬

正月の静けさが漂う中、静子は例年通り新年を過ごし、織田家の重臣への挨拶も終えた。普段は賑やかな静子邸も、一時的に親族の元へ帰省した者たちが多く、静かだった。静子は雪景色を眺めながら、茶を飲んで過ごしていた。

しかし、十日未明には光秀からの文が届いた。坂本城の築城に派遣していた黒鍬衆の派遣期間を延長してほしいとの内容であった。静子は派遣期間を年明けまで延長することにした。続いて、信長からも朱印状が届き、志賀郡北部の城攻めに備えて武具の生産を命じられた。静子は物流部隊にコンテナ輸送を指示し、後方支援作業を進めた。

そんな中、市が正月の暇を持て余して静子を訪ねた。静子は彼女の相手をしながらも書類整理を続けたが、市と娘たちの要求に応じてソリ遊びを提案した。市たちはソリを楽しみながら坂を滑り降り、再び滑るために坂を上る姿が見られた。静子は彼らの楽しむ様子を見て微笑んでいた。

静子たちは30回ほどソリ遊びを楽しんだ後、冷えた身体を温めるため温泉につかることにした。市は温泉でリラックスし、茶々や初は乳母に助けられながら湯を楽しんでいた。新たに発見された源泉が静子の家に取り込まれたことで、彼女たちは温泉を利用することができた。

市は自身の状況を静子に語り、浅井家との関係が変わる可能性についても話した。静子は信長からの信頼を感じつつも、日々の仕事に励んでいた。市は、静子が兄の信長に気に入られていると話し、静子もそれを少し自覚している様子だった。

その後、静子は捕鯨船が帰港することを伝え、はりはり鍋の計画を立てていた。市は静子の活動を不思議に思い、彼女の知識と技術に感心した。静子は水に硝石を加えることで氷を作る方法についても考えており、製氷機の可能性に思いを巡らせていた。

最終的に、茶々が静子から氷入りの茶を求めるなど、日常の中での和やかなひとときを過ごした。静子は彼女たちの要求に応えつつ、微笑ましい日常を楽しんでいた。

静子は正月を過ごした後、捕鯨船の帰還を迎えるため港町へ向かった。港町では捕鯨が盛んであり、捕鯨には捕鯨組合への加入や鯨寺への報告などの細かい規則があった。捕鯨組合に加入すると、個人の情報が鯨寺に保管され、捕鯨帳に捕鯨の詳細が記録された。捕鯨帳に記録されなければ、浜に打ち上げられた鯨にも手を出してはならなかった。捕獲した鯨は解体前に鯨寺での神事を行う必要があり、鯨の舌を海に流して海神への感謝を示す儀式が行われた。

神事の最中に襲撃者が現れたが、静子は危機を乗り越え、神事を無事に終わらせることができた。襲撃者は小刀を持っていたが、静子の巧妙な対応で撃退された。襲撃者が海に逃げ込んだ後、シャチたちが鯨の舌を求めて集まり、神事の続行が急がれた。

静子は無事に神事を終わらせ、鯨の舌を海に流した後、捕鯨の解体が許可された。襲撃者について静子は背後にある可能性のある勢力について考えたが、証拠が乏しいため判断は難しかった。彼女は神事を終えたことを報告し、周囲の人々は安心した。

捕鯨の神事は問題を抱えながらも無事に終了したが、刺客の行方は不明であった。港町の警備衆が謝罪したが、静子は失敗をどう挽回するか考えるよう促した。刺客を阻止した石投げの援護をしたのは慶次と彼の友人であった。

友人の少年は後に直江兼続として知られる与六で、彼は静子に宿を求めた。静子は与六の素性に戸惑い、上杉家との関係を考慮して断ることが難しかった。最終的に慶次の庵に泊まることに決まり、静子は二人に対応を任せた。

兼続は自分が上杉家の近習であることを明かし、これからの対応に頭を悩ませる静子を困惑させた。

千五百七十二年三月上旬

静子は兼続が素性を明かしたことで警戒を強める護衛たちに囲まれ、頭を抱えていた。兼続はその反応を当然と受け止め、自分が間者でないことを主張した。静子は彼が上杉家の後継者争いに重要な役割を果たす人物であることを知っていたが、深入りを避けようと考えた。

静子は信長から運営を任された街に入り、そこで兼続に説明をしながら街の様子を見せた。街は商人や兵士たちが多く、静子の邸宅や軍が集まっているため賑わっていた。街は近代的な設計がされており、主幹道路や給水槽が整備されていた。

静子が街を歩いていると、多くの人々から親しげに声をかけられた。彼女はその対応をユーモアを交えて行い、支配者と被支配者の関係ではなく、顔見知りのような関係に見えた。この様子を見た兼続は驚き、慶次は「よぉく見物しておけよ、あれが静っちだ」と言った。

兼続は、街が気になったため静子と別れて見物することにした。静子は慶次に道案内を任せたが、慶次も兼続を一人にして立ち去った。兼続は信頼されているのか侮られているのかを考えつつ、街の情報誌を見つけてその内容を読み始めた。

情報誌には宿泊施設や旅籠の情報が詳しく書かれており、ポイント制度などの特典があることが紹介されていた。兼続はこれに感心しながら、料理屋が並ぶ街道へと向かい、酒の安さに惹かれるも、金銭的な理由から一度は踏みとどまった。

街は五つの区画に分かれており、商業地区は特に賑わっていた。兼続は、街での犯罪に対する厳しい取り締まりと、商人や旅人の信頼を得ていることに気付いた。彼は謙信の言葉を思い出し、織田家が民と共存していることを理解した。

織田家の強さを認識しつつ、兼続は織田家と上杉家が手を取り合えば、多くの民が救われる可能性があると考えた。そして、静子の見分を楽しもうと思いながら、彼は慶次のいる方へと足を進めた。

静子は兼続のことを彩に話し、上杉家との関係について相談した。彩は上杉家の者を自宅に引き入れることに疑問を抱いたが、静子は上杉家が兼続の行動を監視しているだろうとし、自分も特に重要な案件に関わっていないため、問題ないと答えた。ただし、念のため信長には確認を取るつもりだった。

静子は、ヴィットマンたちの監視があるため、兼続が間者の真似事をするのは難しいと考えた。また、警戒心が強い丸太も部屋に入れておくことにした。彩は信長に兼続の件を報告するために準備を始め、静子は書類の処理を始めた。

静子の邸宅には家臣たちの子供が使用人として派遣されており、彩はその管理を任されていた。彩は実力を認められて邸宅の取りまとめ役に就任したが、一部の者には不満があった。それでも静子の実力主義は揺るがず、彩を信頼していた。

彩は静子に自分の意志で何ができるかを試したいと話し、静子もその意志を尊重した。彩は信長に報告するため部屋を去り、静子は書類の処理に集中した。そこに慶次が現れ、与六の件について話し合いが行われた。静子は酒を飲まないことを条件に慶次に協力し、夕餉後に鍵を渡す約束をした。

慶次が去った後、静子は再び書類の処理に戻り、夕餉の時間まで作業を続けた。

兼続は静子の屋敷での驚きの連続を経験した。彼は、静子が家臣や侍女と同じ食卓を囲み、白米を食べていることに驚愕した。通常、武士の食事は玄米や塩辛い副食が中心であったが、静子は自ら栽培した米や野菜を使用し、味噌も手作りしていたため、経費を抑えていた。静子の発言に困惑した兼続であったが、静子は鮭の稚魚の放流を行っており、技術を他者に教えることも厭わなかった。これには特許制度が関与しており、静子の技術を他者が知っても問題はなかった。

兼続はこの状況に戸惑いを覚えながらも、静子たちと共に食事を続けた。その後、彼は初めての入浴を体験し、満足感を得た。そして、慶次と共に庵で酒を酌み交わし、茶碗酒を楽しんだ。そこへ才蔵と長可が焼き鳥を持って現れ、四人で酒宴が始まった。

兼続は、才蔵との飲み比べに応じ、慶次や長可と共に酒を楽しんだ。互いに酒を飲み干し、翌日には四人とも二日酔いに近い状態になったが、楽しいひと時を過ごした。

兼続は静子の関わる街を訪れ、技術街や醸造街には入れないものの、料理店が並ぶ港街の豊富な海の幸とその香りに感銘を受けた。彼は慶次から、静子が「タレ」を提供した鰻静が大人気であることを聞いた。また、静子が鰻の養殖を計画していることを知り、その背景に海産物の安定供給を確保する意図があると理解した。

その後、彼らは静子の屋敷に戻り、信長が来訪していることに気付いた。信長は兼続に対し、「旨いものは皆で共有すべきだ」と述べ、静子が作る南蛮の「ぴっつぁ」を楽しみにしている様子を見せた。信長の重圧に圧倒された兼続は、彼の存在感に驚きを隠せなかった。

信長は去り際に、「静子と民を良く見ておけ。そこに答えがある」と兼続に伝えた。兼続は信長の存在の異質さと彼の言葉に、織田信長が第六天魔と呼ばれる所以を感じ、深い印象を受けた。

千五百七十二年五月上旬

ピザの歴史は比較的浅く、イタリアで誕生した料理であった。ピッツァは、平らに伸ばしたパン生地の上に具材を載せて焼くシンプルな料理であり、18世紀後半にナポリの露店で登場した。庶民の味として親しまれたが、イタリア王妃マルゲリータが愛したことで広まった。彼女の名を冠したマルゲリータ・ピッツァは、バジル、モッツァレラチーズ、トマトソースを使ったシンプルな料理で、イタリア国旗を思わせる色合いが特徴であった。

ピッツァとアメリカで改良されたピザは別の料理で、ピッツァが生地を主役とするのに対し、ピザは具材をメインとする。静子は信長の要望で16世紀の日本でピッツァを再現した。バジルは容易に栽培できたが、モッツァレラチーズやトマトソースの代用品を工夫して用いた。

静子は、現代の食材と調理法に近づけるために工夫を重ねた。特にマグロの処理については、鮮度を保つための技術を駆使し、現代に匹敵する品質のマグロを提供していた。彼女は、特許制度を用いて技術を保護しつつ、他者にも技術を共有する仕組みを導入した。最終的に、静子の努力で再現されたピッツァは、信長をはじめとする武将たちに好評を博した。彼女の技術と創意工夫は、時代を超えて高く評価されたのである。

静子の邸宅には、彼女の動向を監視するために信長や武将たちの親族が使用人として周囲に配置されていた。彼らは主に静子の食材の動きを監視し、情報を逐一報告していた。この監視体制は、静子が再現した現代料理のレシピが街の飲食店で活用され、料理が広まるきっかけとなった。

特にナマコは評価が一変し、静子の推奨する養殖研究が行われた結果、尾張全域に経済効果が波及した。信長たちは静子の動向を把握し、美味しい料理にありつくことを目的として、彼女を監視していたのである。信長は静子が再現したピッツァを堪能しつつ、米を好む日本人の食文化に感想を述べた。

その日の夕餉にはマグロ料理が振る舞われ、信長たちはその美味しさに驚嘆した。静子はツナを用意し、信長たちに配った。翌日の朝食でツナマヨ握りが提供されると、信長や家臣たちはその美味しさに夢中になり、ツナの瓶詰をすべて持ち帰った。五郎は驚愕したが、今後もマグロを多く仕入れることを期待し、次回の楽しみに心を切り替えた。

マグロ試食会が終わって数日後、静子の邸宅は静けさを取り戻し、静子は作物の栽培状況を確認する時間を持てた。マンゴーは収穫間近で、マンゴスチンやライチなども栽培が進んでいたが、収穫にはまだ時間がかかる状態であった。ドラゴンフルーツは栽培が容易であり、パイナップルも豊作であったが、供給過剰となる恐れがあるため数を調整する必要があった。

兼続は静子の邸宅での活動を控えるようになり、静かに越後に帰還した。謙信に報告を行った際、静子が人々の欲望を巧みに利用し、利益を与えることで人を動かす手腕を持つことを伝えた。また、彼女は自分を害する者には厳しい対処をすると報告した。

謙信は、第二次織田包囲網の中で武田や本願寺、その他の勢力がどのように動くかを注視しつつ、静子の存在を重要視していた。兼続は静子に借りた金の返済方法を模索し、頭を悩ませていた。

五月上旬、第二次三方ヶ原台地の地形調査チームが詳細な報告書を提出した。地形、標高、気温、湿度まで詳しく記録されていたが、三方ヶ原台地の地形調査はもう一度行われ、次回はより軍事的な観点から調査が行われる予定であった。武田軍の布陣場所や、織田・徳川連合軍の最適な移動方法を検討するためであった。

その中、静子は奇妙丸(信忠)の初陣式の参加を求められた。七月には試作のスクリュー船と高炉の試験が予定されており、準備のため多忙を極めることが予想される中、静子は参加を約束したが、スケジュールの調整に苦心していた。彼女は三方ヶ原台地の調査報告書の目的を隠し、キノコ栽培の工業化計画を進めていると装っていた。

静子はブナシメジなどのキノコの人工栽培を推進しており、キノコの栽培技術を広めようとしていた。キノコは保存がきき、旨味も増すため、食料供給の一環として重要視されていた。彼女の活動は食材の多様性を増やし、地域経済にも貢献していた。

一方、奇妙丸は静子の話を興味深く聞き入っていたが、彼のいたずらが露見し、忠告を受けることとなった。静子はその場を冷静に見守り、再び書類作業に戻った。

千五百七十二年七月上旬

五月上旬を過ぎた頃、本願寺と武田が主導する織田包囲網が完成しつつあった。しかし、織田領内には戦時特有の緊張感がなく、本願寺の間者の報告によれば、織田家は武田の裏切りに気づいておらず、包囲が狭まることも認識していないとされていた。

顕如やその側近たちは、この報告にほくそ笑んだ。織田家は弱兵揃いで、天下にその名を響かせる武田に勝つ可能性は百に一つもないと信じていた。彼らは武田に包囲戦を任せ、武田からの要請に応じて動き、裏方仕事に徹する方針を決めた。しかし、彼らは弱兵と嘲られた尾張兵が強兵に変わっていたことに気づいていなかった。

信長は豊富な財力を背景に兵農分離を行い、常備軍を抱えた。静子はさらにこれを推進し、大規模な兵士訓練所を設け、新兵訓練を徹底した。結果、尾張兵は精強な軍隊へと変貌した。訓練修了者は仕官先に困らず、訓練の期間中は食事と住処が保証されていた。

六月下旬、静子はスクリュー船試運転のために知多半島方面へ向かった。試運転はイ型(1人乗り)とロ型(2人乗り)で行われ、低速回転での試験で成功を収めた。しかし、高速回転時にはトルク不足からエンストが発生した。問題はスクリュープロペラの変形によるもので、ギアボックスには不具合がなかったため、改善策が議論された。

試験結果を信長に報告するため、静子は詳細な報告書を作成した。河川輸送では現行の艪が効率的だが、海運での大量かつ高速輸送においてスクリュー船の有用性を確認した。信長の質問を予想し、静子は報告書に疑問への回答を詳細に記載した。報告書作成後、静子は次の試験準備に取り掛かった。

五月上旬を過ぎた頃、第二次三方ヶ原台地の地形調査チームは報告書を提出した。これには、地形や標高、地点ごとの気温と湿度などのデータが含まれていた。地形調査はもう一度行われ、軍事的な観点からも調査された。武田軍が布陣する場所や、織田・徳川連合軍の最適な移動経路などが考慮された。

静子は高炉の試運転に向けた準備を進めた。高炉の試運転は単体試験と結合試験に分かれて行われた。初日はスターリングエンジンを用いた送風機の試運転が行われた。もし試運転で不具合が発生すれば、試験日程がずれ込み、高炉の結合試験日も遅れるため、静子は心の余裕を失っていた。

足満は静子を落ち着かせつつ、焼結試験の進捗を報告した。焼結とは、鉄鉱石を粉砕して粉末化し、コークスと石灰石を混ぜて形を整える工程である。バイオコークスを用いた実証試験も計画されており、実験用の高炉を製造するのはそれほど難しくないと考えられた。

スターリングエンジンの準備が整うと、試験が開始された。スターリングエンジンは加熱部で加熱された空気がピストンを動かし、冷却部で冷却されることで運動エネルギーを生み出した。ギアボックスを介して送風機に伝達されることで、高炉に熱風を送り込むことができた。

試運転は順調に進み、送風機が地面の土埃を吹き飛ばすほどのパワーを発揮した。最終的に、高炉の温度を高める熱風炉の試験も成功を収めた。この結果、静子は試運転の試験結果を信長に報告し、高炉の完成に向けた道筋を確認した。

高炉の試運転は大きな問題もなく進み、最終試験も無事に終了した。小さな不具合が重なり試験予定が数日ずれたものの、巻き返し可能な範囲であった。静子は報告書を信長に提出し、関係者を労うために盛大な打ち上げを行い、しばしの休息を楽しんだ。

高炉の試験が終わったため、奇妙丸の初陣式までの間、静子には特に大きな仕事がなかった。奇妙丸は爺からスパルタ式の特訓を受けており、織田家の嫡男としての役割を果たしているという噂が広まっていた。静子は彼にエールを送った。

高炉で鉄が製造できるようになれば、次は鋼の製造に移行したいところだが、静子にはそれが難しい理由があった。鋼を作る転炉には耐火レンガと同じくジレンマが存在しており、鋼の製造には鋼が必要であった。このため、溶銑を成型し、炭素を調整して鋼に変える必要があった。

高炉の試験は成功を収めたが、これから始まる技術の進歩によって、今後の鉄や鋼の品質向上が求められる。高炉の技術は進化し続け、やがて船は木造から鉄製に変わり、大型の船が建造できるようになることで物流も変わる。また、技術は人類の歴史において危険なものにもなり得るが、その使用目的は使う側の意思に左右される。

静子は、まずは民間で使用して品質を向上させ、その後に軍事利用を検討するという方針を示し、足満もそれに同意した。

千五百七十二年七月中旬

高炉やスターリングエンジンに関する試運転は順調に進み、無事に完了した。静子はこれに安心したが、先送りにしていた製糸工場の視察が必要であることを思い出し、慶次たちを伴って工場へ向かった。

製糸工場は広大な敷地を持ち、居住区、支援区、養蚕区、紡績区の四つの区画で構成されていた。静子はまず蚕室を視察した。蚕室には通常の蚕を飼育する棟、蚕卵を育てる棟、品種改良を行う研究棟、特別な品種である小石丸を飼育する棟があり、それぞれに適した環境で飼育が行われていた。

蚕の飼育は、蚕齢に応じた方法で行われ、特に4齢からは条桑育という方法が採用されていた。工場では生産性向上のために、蚕の生態や人工飼料の研究も行われていた。人工飼料は乾燥させた桑の葉や他の栄養素を混ぜたもので、長期保存が可能であった。

視察中、工場長は静子に蚕の飼育工程を説明し、特に問題は見られなかった。静子は、工場長たちの緊張をほぐしつつ、次の飼育工程へ進んだ。最後に乾燥室を視察し、繭を長期保存するための熱風乾燥の工程を確認した。

工場は蚕や桑、排泄物などを再利用する循環型の生産方式を採用しており、絹糸の生産に関しては問題がなかった。静子は見本帳を確認し、信長にデザインを見せるために受け取った。

視察が終了すると、静子は工場長たちに労いの言葉をかけ、視察を終えた。

静子は帰宅後、見本帳の内容を確認し、染色の色合いについて考察した。現代では完成した反物を選ぶことで色のミスマッチを避けることができるが、この時代では難しいと感じていた。市が現れた際、静子は着物の着心地を確認していたが、市の遊びの誘いを断りつつも、最終的には付き合うことになった。

七月十日、静子は真珠の取引のために京へ向かった。彼女はイエズス会と商談を行い、彼らに真珠を供給し、ヨーロッパの王侯貴族に売り込むことを計画していた。イエズス会のオルガンティノは、真珠の品質を確認し、静子が提案した真珠の取引について理解を示した。

商談は無事に終了し、静子は普段着に着替えた後、男装による疲労を感じていた。彼女の護衛である長可、才蔵、慶次は、商談中に間者の存在を感じ取っていたが、特定することはできなかった。商談後、静子はもう一つの仕事に取り掛かることを決意した。

オルガンティノは教会に戻ると、ハト派のメンバーを集めた。イエズス会にはハト派とタカ派があり、中国での布教を目指していたが、活動方針を巡って意見が分かれていた。タカ派のカブラルが日本の布教総責任者だったため、オルガンティノは布教に不安を感じていた。また、ガスパール・コエリョは日本をキリスト教国家にしようと考えていたため、イエズス会内でも批判されていた。

オルガンティノは、静子から提供された養殖真珠について、教会での使用には躊躇していたが、ヨーロッパの王侯貴族に売ることを考えていた。布教活動には多くの資金が必要であり、日本では身なりを整えることが求められたためである。しかし、トップのカブラルは適応主義に反対し、宣教師が清潔であることを嫌っていたため、不満が募っていた。

オルガンティノは、これ以上カブラルへの不満を口にしないよう、会議を終わらせた。真珠については一旦保留とし、幾つかをゴアに送った後の反応を待ち、改めて扱いについて話し合うことにした。

千五百七十二年八月中旬

信長は七月十九日に信忠の具足始の儀を執り行い、多くの武将たちが集結した。この儀式は、武家の男子が初めて鎧を着用するものであり、元服とは別のものであった。信忠の初陣式も北近江で行われ、信長は五万の軍勢を率いて浅井家を討つため出陣した。

信長は包囲網が解けたことで、浅井攻めに専念できると考えていたが、第二次織田包囲網が形成されつつあることを理解していた。信長は祝儀の目録を受け取り、顕如や武田の行動を「食えぬ狸」と評した。

静子は初陣式に出席し、酒ではなく水を提供されていた。彼女は間者の存在に警戒を示し、尾張に戻る準備を進めていた。静子の軍は強化されており、後方支援部隊も含めて信長からの信頼を得ていた。

信長は浅井と朝倉に対して、虎御前山への築城を命じた。信長は、敵が追い詰められると死兵となる可能性があることを警戒し、武将たちに注意を促した。

信長の作戦は順調に進んでおり、信長は浅井と朝倉が追い詰められた時こそ慎重に行動するよう警告していた。彼は武将たちに機会が訪れることを約束し、士気を高めた。

八月に入り、織田と浅井・朝倉の間は依然として膠着状態であった。信長は何度か朝倉に決戦を申し込んだが、義景は応じず、信長は秀吉を残して横山城に移動した。秀吉は浅井と朝倉の動きがないことに不満を持っていたが、信長の命令通り監視を続けた。

一方、浅井・朝倉攻めから外された静子は尾張に戻り、軍を解散した。彼女は夏の暑さを考慮し、訓練を緩やかに行ったが、武将たちは責任ある立場ゆえに厳しい訓練を受け続けた。特に長可は森可成から厳しい指導を受けていた。

また、八月にはマンゴーの収穫が最盛期を迎えた。尾張では温泉の廃湯を利用した温室でマンゴーを栽培し、収穫されたマンゴーは信長への献上用として選別された。静子はマンゴーの追熟を進めるため、丁寧に収穫作業を行い、余ったマンゴーはドライフルーツに加工した。

ドライフルーツは古代から保存食として利用されており、静子はマンゴーを陰干しし、二週間ほどかけてドライマンゴーを完成させた。作業中、静子は茶々と初に見つかり、つまみ食いを防ぐための対策を講じた。子供たちは静子に引きずられながら楽しそうにしていた。

八月に、もう一つの重要な出来事として、鶴姫の出産があった。妊娠期間は約十ヶ月とされるが、戦国時代には正確な出産予定日は計算できず、鶴姫の出産予定は七月から八月の間とされていた。出産の準備として、静子は産婦人科の病院を建設し、みつおと共に鶴姫の心配を解消するために努めた。

静子は講義を通じて、当時の常識である「男腹」「女腹」などの概念が迷信であることを説明し、子供の性別は主に男性側によって決まることを伝えた。この講義は、鶴姫や他の参加者にとって新しい知識であり、理解が難しいものであった。静子は、結局のところ子供の性別は運に任せるしかないと結論付けた。

一週間後、鶴姫は元気な女の子を出産した。静子は意識改革の難しさを感じつつも、鶴姫の出産が無事に終わったことを喜んだ。

鶴姫が女の子を出産してから一週間が経過し、母子共に健康であった。静子は出産後の鶴姫の体調に気を配り、定期的に訪問して様子を確認していた。鶴姫は当初、乳母に子育てを任せる予定であったが、自分で育てたいと強く希望し、みつおと話し合った結果、乳母に補助をお願いしながら自分が主体となることで合意した。鶴姫は出産後の疲労を感じながらも、自分の限界を認識し、必要な時は助けを求めることを理解していた。

一方、静子は信長に対して、近代的な医療技術を活用して家族計画から出産、育児に至るまでの一貫した方法論を確立することを提案し、織田家の後継者問題を解決するための合理的な理由として説得した。信長の浅井・朝倉攻めの最中、信玄は静子の情報収集を進めていたが、思うような成果が得られず、静子が何を考えているのかを疑問視していた。

また、鶴姫は静子の助言に従い、スキンシップの重要性を理解しながら、親子の絆を深めていった。静子は、出産と育児における母子の栄養や愛情の重要性を強調し、現代の知識をもとに支援を続けていた。

鶴姫が女の子を出産してから一週間が経過し、母子共に健康であった。静子は出産後の鶴姫の体調に気を配り、定期的に訪問して様子を確認していた。鶴姫は当初、乳母に子育てを任せる予定であったが、自分で育てたいと強く希望し、みつおと話し合った結果、鶴姫が主体となって子育てをし、乳母には足りないところを補ってもらうことで合意した。鶴姫は出産後の疲労を感じながらも、自分の限界を認識し、必要な時は助けを求めることを理解していた。

一方、信長が浅井・朝倉攻めをしている間、足満は一人で歩きながら間者を警戒していた。足満は間者に対する対処を一人で行うため、女の噓泣きを無視して進み、やがて襲いかかってきた間者たちを冷酷に排除した。間者たちは彼の冷徹さを目の当たりにし、次の方法を考える必要があると感じたが、足満はそれらをすべて斬り捨てた。

静子の軍は順調に訓練を進めており、間者たちが監視していることを知りつつも、訓練内容が理解できないため、報告されても混乱するだけであった。静子は後方で指示を出す役割を引き受け、訓練の成果を確認しながら兵士たちを指導していた。彼女は溜まった書類を効率よく片付け、仕事を終えた後はヴィットマンたちに囲まれ、リラックスして過ごしていた。

千五百七十二年九月上旬(漫画 16巻)

みつおは育児のために必要なものを買い物していた。抱っこ紐と霧吹きを優先的に購入し、育児の手間を軽減しようと考えていた。みつおは自身の育児経験から、育児に必要な道具をあらかじめ揃えることが重要であると理解していた。彼は金銭での取引の便利さを感じながら、抱っこ紐と霧吹きを手に入れた。

買い物の途中でみつおは四郎という男と出会い、彼と話をする機会を得た。四郎は病気の母を尾張で療養させるために来ており、彼の話にみつおは共感を覚えた。二人は親交を深め、再会を約束して別れた。

一方、織田信長は浅井・朝倉包囲を任せ、自らは岐阜へと帰国した。この突然の帰国に織田の武将たちは驚き、包囲網が再結成される中で、武田の動きが織田にとって重大な脅威となる可能性を懸念した。竹中半兵衛は冷静に分析し、武田が織田に大きな打撃を与えることは難しいと述べた。秀長は竹中半兵衛の知識と判断力に信頼を寄せつつも、彼と静子の秘密の会談について疑問を抱いていた。

秀長は静子の手腕を評価し、前回の包囲網の際に有益な家臣を生き延びさせた彼女の能力を称賛した。彼は今回の静子の行動にも何らかの意図があると考え、今後の展開を期待していた。

織田家の家臣たちが思惑と疑惑を抱えている中、信玄は家臣たちを召集し、織田領への侵攻を決意した。彼らは織田を討ち取るための準備を進め、勝利を確信していたが、敵が対抗策を講じる可能性を見落としていた。信玄は家臣たちに慎重な行動を求めた。

一方、岐阜に戻った信長は武田の攻撃を警戒しつつ、織田の防衛策を整えていた。彼は静子の作戦と新しい技術に期待し、静子を信じて行動することを決意した。信長は不安を抱えていたが、虎次郎という猫を可愛がることで心を落ち着かせていた。

信長の妻である濃姫は、信長が落ち着いている様子に不満を感じつつも、彼の態度に安心していた。彼女は静子のところに向かうことを告げ、信長は濃姫の行動を黙認した。

静子はバナナを収穫しているときに濃姫に出会った。濃姫はバナナに興味を持ち、静子からバナナを受け取って味わった。濃姫はバナナの味を楽しみながらも、種が多くて食べにくいと感じた。

千五百七十二年九月下旬

織田家との約束により、鶴姫は赤子の首がすわるまでの四ヶ月間、入院生活を余儀なくされていた。みつおは一人の生活が気楽だと考えていたが、すぐにその誤りに気づいた。家族と共に過ごすことが当たり前となり、かつての孤独な暮らしを思い出せなかったからである。

みつおは友人の足満、五郎、そして最近知り合った四郎と相談したが、彼らの返答はみつおを満足させるものではなかった。彼らはむしろみつおの惚気話に呆れつつも、彼が用意した鍋を楽しんでいた。

その後、四郎は足満に対し、彼が乱波としての身分を知っているかどうかを尋ねた。足満は知っていることを認めつつ、四郎がみつおの友人であるため、特に問題視しないと告げた。四郎はみつおとの関係を裏切るつもりはないと返答した。

一方、五郎はみつおに冗談を言いながらも、彼の愛妻家ぶりをからかった。みつおは夫婦の円満な関係を維持するための秘訣を語ったが、友人たちは呆れていた。

やがて、酒を飲んでいた四郎が酔いつぶれてしまい、みつおと五郎は彼を横に寝かせた。足満はその様子を眺めながら、静かに盃を傾けていた。

九月下旬、武田軍はいくさの準備を整えていた。そんな中、武田四天王の一人、馬場信春は少数の配下を連れて家康の居城・浜松城へ向かっていた。馬場は後の世に高く評価される武将で、戦場で一度も傷を負わなかったことから「不死身の鬼美濃」とも称されていた。馬場は浜松城に到着し、信玄は彼の動きに「流石は馬場美濃守」と感嘆した。

一方、家康は馬場の訪問に驚きつつも、面会を決断した。家康は会談を断れば、三河が臆病者と見なされる恐れがあると考えたからである。家康は万が一の事態に備え、側近たちを引き連れて根洗松に向かった。

家康が到着すると、馬場は上半身裸で刀も離れた場所に置かれ、兵士たちも武器を地面に置いていた。馬場のこの姿勢は、家康を侮っているのではなく、彼に対する敬意を示すものであった。馬場は家康に対して、武田家に加わることを提案し、織田家を討つ計画を打ち明けた。

家康はその提案に激怒したが、馬場は冷静に武田家の優位性を説明し続けた。家康は自分たちが織田家に加担することのリスクと、武田家の提案の現実性に苦悩した。馬場の話は終わり、足満が立ち上がった。彼は自分の信頼を寄せる相手はただ一人であり、他の全ては利用価値の有無で判断すると述べた。

足満は馬場たちを挑発し、「このいくさ、勝ったのは我らだ」と言い残して去った。家康は馬場の提案に揺れ動きながらも、最終的には断固たる決意を見せた。武田家と徳川家の関係は緊張感を増し、歴史の流れに大きな影響を与えることとなった。

九月下旬、武田軍はいくさの準備を整えていた中、武田四天王の一人である馬場信春が家康の居城・浜松城を訪れ、徳川家に対して同盟の提案をした。しかし家康は提案を断り、馬場も特に気にせず去った。家康が馬場の提案を断った理由には、信長を信頼しているわけではなく、足満の存在が不気味だったことがあった。足満は「勝った」と言い残し、家康はその言葉の意味に不安を感じた。家康は半蔵に足満の言葉の意味を調べるよう指示した。

一方、足満は任務を果たした後、静子に報告し、武田家を含むすべての行動が計画通りに進んでいることを確認していた。彼は趣味に没頭し、みつおの家での宴会を楽しんでいた。四人は日常のストレスを忘れるために宴会を開き、賑やかな時間を過ごした。

静子は武田軍が織田領に進軍する可能性を考慮し、三方ヶ原の戦いの計画を練っていた。彼女は竹中半兵衛と何度も作戦を検討し、最適な戦略を模索した。三方ヶ原の戦いの結果が織田軍の未来を左右するため、静子は慎重に計画を進めた。

ある日、静子は自分の未来について考えていたが、濃姫が部屋に訪れたことで思考を中断した。濃姫は静子に茶会に誘い、彼女を励ました。静子は濃姫に感謝し、彼女と共に茶の間へ向かうことにした。

ちいさなぼうけんしゃ

幼い子供たちである茶々と初は、静子の家で毎日のように探検をしていた。彼女たちは静子や彩に見つかると連れ戻されるが、隠れる遊びを続けていた。ある日、廊下で壁に白い布を被って隠れるという作戦を試みたが、慶次には見え透いており、彼は見なかったことにして通り過ぎた。これを成功と勘違いした茶々は得意げになり、その後も同様の作戦を繰り返していた。

しかし、彼女たちの探検は長くは続かなかった。庭で作業をしている彩を避けて進むうちに、彩に見つかってしまった。彩は静子からの命令を理由に、二人を蔵から引き離すことにした。蔵には静子にとって大切なものや危険な物が保管されており、彩は茶々たちが触れないように注意していた。

彩に引きずられながらも、茶々と初は楽しそうな表情を浮かべていた。子供たちの無邪気な探検は、家の中での冒険として続いていた。

信長と市

織田家における市の立場は非常に危ういものであった。市は信長の妹でありながら、浅井家へ嫁いでいたため、浅井家の情報を織田家に流すスパイの役割を担っていた。しかし、浅井久政の裏切りの際に何の情報も提供できなかったため、無能の烙印を押された。信長が市ら親子を溺愛していたため、表立って彼女を非難する者はいなかったが、影では批判されていた。

市は信長と話す中で、静子の存在が信長にとって大きいことに驚いた。信長は家臣の苦悩に頓着しない人物であったが、静子には特別な気遣いを見せていた。静子が倒れては困るという信長の言葉に、市は信長が静子を大切に思っていることを改めて実感した。

さらに、信長の愛猫・虎次郎に対する態度も、市にとっては新鮮であった。信長は虎次郎に優しい表情を向け、愛情を示す姿勢を見せていた。市はそれを見て、静子が信長にとって愛犬のような存在であると感じた。静子は信長に恩義を感じて忠義を尽くしているため、信長からも信頼を得ていた。

市は信長の静子への溺愛を微笑ましく思いながら、静子が良き主人に恵まれていることに感謝した。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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