小説【楠木邸】「神の庭付き楠木邸 9」黒豹のクロ大暴れ 感想・ネタバレ

小説【楠木邸】「神の庭付き楠木邸 9」黒豹のクロ大暴れ 感想・ネタバレ

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どんな本?

『神の庭付き楠木邸9』は、えんじゅ氏による人気シリーズの第9巻である。
本作は、神々との賑やかなスローライフを描いた物語であり、特に湊と山神が新たな仲間・黒豹のクロの子育てに奮闘する姿が描かれている。
また、富士山のふもとでの神々との対面や、湊が狼になって神域を駆け巡るなど、引き込むエピソードが満載である。

主要キャラクター
• 湊:主人公であり、神々との交流を通じて成長していく青年。彼の秘密がついに発覚する。
• 山神:湊のパートナーである神。人間界での生活を楽しみながら、湊と共に様々な出来事に立ち向かう。
• クロ:新たに加わった黒豹。そのヤンチャぶりで湊と山神を振り回すが、物語に新鮮な風をもたらす存在である。

物語の特徴

本シリーズは、神々と人間が共存する世界観と、スローライフをテーマにしたストーリーが特徴である。第9巻では、子育てや新たな出会いを通じて、キャラクターたちの絆や成長が丁寧に描かれている。また、江戸時代の人間との交流を思い出すエピソードなど、歴史的な要素も取り入れられており、物語に深みを与えている。

出版情報
• 著者:えんじゅ
• イラスト:ox
• 定価:1,430円(本体1,300円+税)
• 発売日:2025年3月17日
• 判型:B6判
• ページ数:292
• ISBN:9784049162691

読んだ本のタイトル

神の庭付き楠木邸 9
著者:えんじゅ 氏
イラスト:ox  氏

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あらすじ・内容

隣神との賑やかスローライフ第九弾! 湊と山神、子育てに大奮闘!?
 播磨の新しい相棒――黒豹のクロがやってきて数日。あまりのヤンチャぶりに、湊と山神もお世話をすることに! 遊びに付き合ったり、神由来の超パワーでじゃれつかれたり、子育ては楽しくもバタバタです。
 富士山のふもとで神々とご対面したり、湊が狼になって(!?)神域を駆け巡ったり。今回も賑やかです。
 さらに方丈町南部に出かけた山神は、江戸時代の人間との交流を思い出し……。

神の庭付き楠木邸 9

感想

湊と神々の関係性が深まる巻

本巻では、湊がなぜこれほどまでに神々に受け入れられているのかが明かされる。山神や眷属たちと共に過ごす日々の中で、彼がただの人間ではなく、特別な存在であることが少しずつ示唆される。しかし、それでも人間は堕落することがあり、その業の深さを山神は改めて思い知る。過去に関わった者たちを思い出しながら、彼は昼寝をし、心を休めるのであった。

クロの騒動と成長

クロが湊の家で大暴れする。机をひっくり返し、椅子に爪を立て、障子を突き破るなど、猫科の獣らしいやんちゃぶりを発揮する。しかし、山神たちの前では、そんな行動は大したことではなく、単なる子供の遊びに過ぎなかった。山神はクロの力がまだ完全に覚醒していないことを見抜き、その成長を見守る。湊はクロのために、噛んでも壊れないおもちゃを用意し、彼が適切な遊び方を覚えるよう導く。

眷属たちの交流と新たな神域

セリ、トリカ、ウツギは、湊が安心して泊まれるよう、新たな神域の創設を計画する。動物や妖怪が押し寄せても問題のない環境を整え、湊が何も知らずにそこを選ぶように仕向けることが目的であった。ウツギは釣り場や温泉を提案し、トリカは防御機能を強化しようとする。神々の間でのやり取りが活発になり、それぞれの立場や役割がより明確になっていく。

山神と過去の執着

一方、山神はかつて願いを叶えた女のことを思い出す。彼女は山神にすがり、何度も願いを求めたが、執着しすぎたために魂が穢れてしまった。今でもその名残が街の片隅に残り、湊と山神はそれを断ち切るために動く。神の力を行使することで、山神は過去の清算を果たし、穏やかな日常を取り戻す。

旅する麒麟と四霊の動向

旅を終えた麒麟が帰還し、四霊の消息が語られる。鳳凰は朱雀と交わり、応龍は青龍と語り、霊亀は玄武の存在を確認する。さらに、異国の神獣・白澤の話も登場し、神々の世界がさらに広がっていく。

湊と神々の未来

最後に、湊と神々の関係がさらに深まる兆しが描かれる。彼は神域に足を踏み入れ、眷属たちと共に新たな試練を乗り越える。クロもまた、自身の力を発揮し始め、播磨との関係がより強固なものとなる。神の庭に新たな風が吹き、これからの物語がどのように展開していくのか、期待が高まる一冊であった。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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楠木邸 8巻レビュー
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楠木邸 10巻レビュー

備忘録

第 1章  陽気な神と眷属らご来訪

狼の訪問と焼肉大会の始まり

湊が管理人の仕事を終えた頃、大口真神とその眷属たちが裏門に現れた。彼らの到来を察知した湊は、すぐに出迎えた。真神たちは新鮮な猪肉を持参しており、焼肉大会の開催を提案した。湊はこれを快諾し、一同は宴の準備を始めた。宴の場は楠木邸の渡り廊下まで広がり、賑やかな食事が繰り広げられた。

狼たちの食事風景と個性

焼肉が始まると、各々が豪快に猪肉にかぶりついた。山神と真神は肉の味やタレの付け方について語り合い、眷属たちもそれぞれの性格を見せながら食事を楽しんだ。特に白狼は食いしん坊であり、食欲を抑えきれずに苦しむほど食べ続けた。一方、湊は狼たちの世話をしながら、彼らの関係性や特徴を観察していた。

護符の話題と狼の神徳

食事の合間に、狼たちは自身の神徳や護符について語った。湊は真神の護符を見せられ、その歴史的な価値に感心した。彼は自身の護符も披露したが、眷属たちにはやや地味に映ったようであった。白狼は率直に意見を述べつつ、さらなる肉を要求するなど、遠慮のない振る舞いを見せた。

狼への転生と新たな体験

真神は湊に狼の体を提供し、一時的に転生させた。湊は初めは驚いたものの、狼の身体の軽やかさや敏捷さに感動した。山神は湊が過去に狼として転生していた可能性を示唆し、それがこの体に馴染みやすかった理由ではないかと語った。湊はその説を聞き、自身の過去生について思いを巡らせた。

競争の開始と真神の神域

焼肉の後、一同は真神の神域に移動し、特別なフリスビーを用いた競争を開始した。狼の姿となった湊も参加し、神の力を駆使しながら挑戦した。競争は激しく、山や川、森林などを駆け抜けながら、フリスビーを追いかける展開となった。

神域の罠とペナルティ

競争の最中、セリが苔を剥がしてしまい、ペナルティで強制退場させられた。山神勢は湊の風を利用して移動したが、真神勢は樹を利用した大ジャンプで先行した。さらに、砂場では蟻地獄のような罠が仕掛けられており、金狼が仲間を助けるために自らを犠牲にする場面も見られた。

吊り橋の決戦と湊の転落

最後の舞台は吊り橋であり、湊と真神がフリスビーを奪い合った。だが、橋が崩れたことで二人は不安定な状態に陥った。その隙にカエンが炎を操り、フリスビーを落とすことに成功した。しかし、ウツギが焦って飛び出し、フリスビーを破損させてしまった結果、勝負は引き分けとなった。

元の身体への帰還と湊の感想

勝負の決着後、湊は元の身体に戻された。しかし、吊り橋の崩落時に転落を経験したことで、彼は狼の体験よりも落下の恐怖が強く残った様子であった。山神に感想を聞かれた湊は、二度と体験したくないと強く訴えた。

第 2章  猪突猛進な眷属ご来訪

真神と眷属たちの旅立ち

真神が次の目的地を問うと、眷属たちは伊吹、白山、御嶽、筑波と、各地の神々のもとを訪れたいと声を上げた。真神は全ての場所へ向かうことを即決し、眷属たちは歓喜しながら去っていった。湊は彼らを見送り、静かになった楠木邸で、元の身体に戻ったことを実感していた。セリやトリカ、ウツギも湊の人の姿に安堵し、違和感のあった狼姿よりも馴染みがあると口々に語った。

風鈴とカエンのやり取り

山神は静かに眠り、カエンは興奮冷めやらず、木の枝を動かしながら風鈴に語りかけていた。風鈴は騒がしく揺れながらも抗議の音を発することなく、カエンの自慢話を黙って聞いていた。風鈴は意図的に若者言葉で応じ、カエンをからかうような態度を見せた。湊はその様子を見上げ、二者の関係が単なるからかいではなく、風鈴が精神的に未熟なカエンの話し相手になっていることを理解した。

ヒサメの訪問

突如、強力な神気をまとった光の塊が高速で楠木邸を通り過ぎ、直角に曲がって戻ってきた。それは伊吹山の神の眷属であるヒサメであった。彼は風呂敷包みを背負い、元気よく挨拶を交わすと、裏門から自ら邸内へ入ってきた。その自由奔放な振る舞いに、初対面のセリとトリカは戸惑ったが、ウツギは大喜びでヒサメを迎えた。

神々の物々交換

ヒサメの訪問の目的は、ウツギが求めるマンドラゴラの種と交換するためであった。神々の世界では通貨が存在せず、等価交換が基本である。ヒサメはまず、自身の用件を先に済ませるとして、湊に土産を披露することにした。湊は当初警戒したものの、ヒサメがただ見せるだけだと説明すると安心した。

笙の紹介と試奏

ヒサメが取り出したのは、雅楽に用いられる「笙」という楽器であった。鳳凰の翼を畳んだ姿に似ていることから「鳳笙」とも呼ばれるこの楽器は、神の手によって作られたものであった。湊は試しに音を出してみると、美しい和音が響いた。

笙の特殊な力

演奏を続けると、突如として大量の赤トンボが周囲に集まり始めた。あまりの異様な光景に湊は驚愕したが、ヒサメはただ集まるだけだから心配は不要だと説明した。だが、あまりにも数が増えすぎたため、山神が神気を放ち、一瞬で赤トンボを四散させた。その圧倒的な力に、ヒサメは感嘆の声を上げた。

交換の交渉

ウツギは自身の作った柑橘類とマンドラゴラの種を交換しようと提案した。ヒサメはこれに興味を示したが、ただ美味しいだけの神産物には魅力を感じないと指摘した。そこでウツギは、神や眷属が食べると体毛が艶やかになる効果があると付け加えた。この特異な性質にヒサメは興味を持ち、交換に応じることを決めた。

ヒサメの頼みごと

交換の条件として、ヒサメはとある女神が失くした物を探す手伝いをするようウツギに頼んだ。ウツギは慎重に考えた末に了承し、セリやトリカも協力を約束した。ヒサメは安堵しながら、神々が人間のように新しいものを生み出すことは稀であり、だからこそ人間の作るものに興味を持つ神が多いのだと説明した。

伊吹山の神の目覚め

その話の最中、山神がヒサメを呼びかけると、ヒサメの瞳が紫色に変わり、伊吹の神が顕現した。山神は、長く眠り続ける伊吹の眷属たちが目覚める兆しがあるかを尋ねた。伊吹は、短時間だけ覚醒することはあるが、完全には目覚めていないと明かした。これはヒサメが持ち帰る神産物の影響もあるようで、伊吹はそれが確実に眷属たちに影響を与えていると認めた。

伊吹の去り際とヒサメの想い

伊吹は、自身の眷属たちの目覚めが徐々に近づいていることを伝えたが、ヒサメには話していないと明かした。山神は、その秘密主義を改めるべきだと指摘したものの、伊吹は軽く流して去っていった。ヒサメは自身の記憶が遮断されていたため、何が話されたのか分からなかったが、山神はただの世間話だったと誤魔化した。

第 3章  ひときわ高い霊峰へ……?

ウツギの興奮と霊亀の甲羅磨き

ウツギは困っている女神のもとへ即座に向かおうとしたが、湊が落ち着かせ、翌朝に予定を延期した。その晩、ヒサメが帰宅し、湊は大池のそばでウツギとともに霊亀の甲羅を磨いていた。霊亀の甲羅は通常のものとは異なり、山のように木々が生い茂り、川が流れていた。磨けば磨くほど輝くため、やりがいもあったが、その日は何かが曇っているように感じられた。

霊亀の甲羅の扉とその中身

湊が扉を強めに磨くと、かちりと音を立てて開き始めた。驚いた湊とは対照的に、ウツギは興味津々で扉の中を覗き込んだ。中は散らかっており、霊亀は手が届かないため片付けられないと説明した。ウツギは自ら小さくなり、中に入り込んで掃除を始めた。その間、霊亀の甲羅の中から次々と種が転がり出てきた。それらは神気を帯びており、霊亀がかつて木の神ククノチと賭け事をして手に入れた戦利品だった。

霊亀の報酬と蓬萊山の枝

湊とウツギが甲羅の内外を綺麗にすると、霊亀はその労をねぎらい、報酬を与えると言い出した。湊は遠慮したが、ウツギは喜んで受け取った。すると、霊亀の甲羅の山頂から黄金の枝が伸び、そこに無数の真珠が実った。その枝はウツギのもとへ落ち、湊はその神秘的な光景に言葉を失った。

富士山へ向かう旅と茶屋でのひととき

翌朝、湊、山神、ウツギは新幹線で移動し、富士山の近くの茶屋へ立ち寄った。店主は神々に慣れているらしく、山神やウツギに特別な配慮をしてくれた。湊はつきたての安倍川餅を味わいながら、富士山を眺め、その壮大さに感慨を抱いた。その時、視界の端を白い球状の物体が横切った。

ケサランパサランとの遭遇

白い綿毛のような物体は、ケサランパサランであった。山神によれば、それは山の神々が飛ばすものであり、幸運をもたらす存在だった。湊は興味を持ちつつも、それを捕えようとはせず、自由に漂う姿を見守った。すると、一人の青年が駆け寄り、ケサランパサランを自分のものだと主張した。青年は長年ケサランパサランを探し続け、ついに捕まえることができたのだった。

コノハナサクヤヒメとの再会

青年が去った後、桜色のワンピースを纏った美しい女性と巨大なヒグマのような神が現れた。女性はコノハナサクヤヒメ、その隣のヒグマは姉のイワナガヒメであった。コノハナサクヤヒメは湊たちと歓談しながら、お茶と菓子を楽しんだ。しかし、彼女は夫であるニニギノミコトとの喧嘩の愚痴をこぼし、怒りのあまり富士山の神気を荒れさせた。山神が素早くマグマを飲み込み、事態を収めたことで、大事には至らなかった。

蓬萊山の宝の枝と失せ物の発見

コノハナサクヤヒメの目的は、息子ヤマサチヒコが失くした宝を探すことであった。それは蓬萊山の宝の枝であり、黄金の枝に真珠が実る貴重な品であった。ウツギは自身が霊亀からもらった枝を差し出し、コノハナサクヤヒメは感謝の意を示した。彼女は他にも、かぐや姫伝説に登場する五つの宝を並べ、それらを揃えることで月へ行けると語った。

ヒサメの依頼の完了

こうして、ヒサメから頼まれた女神の失せ物探しは成功し、ウツギは念願のマンドラゴラの種を手に入れることができた。

第 4章  多種多様なご近所さん

木の精探しとケヤキの精霊

湊は最近、新たな趣味として木の精探しに熱中していた。精霊の宿る木は極めて珍しく、人の住む地域ではほとんど見かけない。しかし、彼には精霊の気配を感じ取り、意思疎通を図ることができた。

その過程で、最寄りのバス停近くの神社に生えるケヤキに目をつけた。その木は幹が大きく湾曲し、根がむき出しで、まるで歩き出しそうな形をしていた。精霊の気配は感じられたものの、その姿をはっきり見ることはできなかった。湊が何度観察しても、ちらりと姿を見せるだけで、本性を明かそうとはしなかった。

枝の股にかすかに浮かぶ緑の毛玉を見つけた湊は、精霊の存在を確信した。しかし、人の気配が近づくと、それはすぐに消えてしまった。湊は何度も試みたが、精霊はなかなか心を開こうとしなかった。

カカシの行列と田の神

ケヤキの調査を終え、湊は神社近くのベンチに腰掛ける地元の人々と挨拶を交わした。しかし、その場の雰囲気はどこか沈んでいた。話を聞くと、最近「カカシの行列」に遭遇した者が増えているという。

ある高校生は、朝練に向かう途中、通学路の両側にずらりと並ぶカカシに見つめられたと証言した。さらに、近隣の田んぼで似たような現象を目撃した中年女性もいた。彼女は「へのへのもへじ」の顔が描かれたカカシたちの視線を強く感じ、恐怖に駆られながらその間を走り抜けたという。

中でも特徴的だったのは、行列の最後にいたピンクのリボンをつけた麦わら帽子のカカシであった。その話を聞いた翁は驚き、今年田の神に奉納したカカシこそ、その特徴に一致すると語った。毎年、地域の者が田の神のためにカカシを作り、それを奉納するという風習があるらしい。翁は今年の担当者だったのだ。

湊は、その話からカカシの行列が田の神によるものだと確信した。田の神が過去に奉納されたカカシたちを集め、何らかの意図を持って人々に見せているのではないかと考えた。

天狐の眷属と北部稲荷神社の宮司

神社を離れた湊は、帰路の途中でメノウという小さな子狐に飛びつかれた。メノウは天狐の眷属であり、生まれてまだ十日も経たない幼獣だった。今日は姉のツムギとともに、悪霊払いの役目を果たすため外出していた。

そこへ北部稲荷神社の宮司が現れた。彼は柔和な笑顔を浮かべながらも、湊に対し明らかに嫉妬の感情を向けていた。どうやら宮司はツムギに恋心を抱いており、彼女が湊と親しくしていることに強い不満を抱いていたようだ。ツムギはそれを軽くいなしていたが、宮司はなかなか諦めそうになかった。

そんな中、遠くから神気を帯びた女神が現れた。彼女は宙を漂い、メノウを愛らしそうに眺めていた。一方、別の神気も感じられた。茂みに隠れていたのは若い男神であり、ツムギをじっと見つめていた。ツムギはそれに気づくと、神気を発して威圧し、男神はすぐに姿を消した。どうやら彼もまた、ツムギに執着する者の一人だったようだ。

田の神との対話とカカシの行列の目的

帰宅するため田んぼ道を進むと、そこにはカカシの行列ができていた。町の人々が語っていた光景が、まさに目の前に広がっていた。カカシたちは綺麗な状態を保ち、まるで並んで田を見守っているように見えた。

その時、田神が姿を現した。湊がカカシの行列の目的を尋ねると、田神は「もうすぐ新しい体が捧げられる時期なので、これまでの体を大切に保管していることを知らせるため」だと答えた。

田神は人間との関わりを深めようと考えており、これがその一環であるらしい。カカシの行列を目撃した者たちは戸惑っていたが、その意図を知れば、少しは安心できるかもしれない。

湊は田神に、カカシの行列の意味を町の人々に伝えてもよいかと尋ねた。田神は快諾し、人間との関係を築こうとする姿勢を示した。その矢先、田神の神気を知らない裏島岳がカカシの行列を目にし、驚愕の声を上げていた。

第 5章  振り回される播磨

神の武器としてのクロ

播磨は、祖神から授かった黒豹・クロが、親族が持つ神の武器と同じ性質を持つのか疑問に思っていた。姉と妹も同様の関心を抱き、実家の居間でクロを観察していた。

クロは播磨の腕の中で大人しくしていたが、姉と妹が触れようとすると牙を剥いて威嚇した。播磨は使用人たちにも試させたが、彼らは問題なくクロに触れることができた。この結果から、神の武器の所有者である姉と妹だけが拒まれていると推測された。

さらに、妹が薙刀を召喚すると、クロは武器に向かって飛びかかり、激しい戦いを繰り広げた。薙刀も独自の意思を持って応戦し、二者の衝突は火花を散らした。妹が必死で薙刀を消すと、クロは悔しげに絨毯に爪を立てた。

播磨はクロの行動を分析し、神の武器にのみ興味を示し、人工物では満足できないのではないかと考えた。姉はその仮説に同意し、クロが神の武器を相手にすることで戦いを楽しんでいるのではないかと推測した。

クロの扱いに困惑

クロは普段は抱えられると大人しくなるが、問題は姿を隠すことができない点であった。播磨は、クロが常に実体を保っていることで、仕事に支障が出ることを懸念していた。その証拠に、クロは大型犬用の頑丈なロープを一噛みで引き裂き、驚異的な咬合力を見せた。

妹の薙刀には一切傷がつかなかったが、武器自体がクロに応戦するかのように動いていた。姉と妹は、クロが神の武器に対し執着する理由を理解しようとしたが、明確な答えは得られなかった。

翌日、播磨はクロを抱えたまま仕事へ向かった。そこで一条と由良にクロを見せると、一条は怯え、由良は「やんのかステップ」と呼ばれる猫特有の狩り前の動きを指摘した。クロの行動は、猫科の本能に基づいたもののように見えたが、ただの黒豹ではないことは明白であった。

由良はクロを抱えるためのスリングを用意し、播磨に渡した。播磨はスリングを使ってクロを身につけることにしたが、その姿に由良は半笑いを浮かべた。

クロを置いていくことの難しさ

播磨は、クロを実家に残そうと試みたが、クロは激しく鳴き叫び、家財を破壊し始めた。放置することは不可能だったため、最終的に山神に相談することを決意した。

クロは今朝突然、常人には見えなくなる能力を得たため、公共の場でも問題なく移動できた。しかし、その成長が止まっている点が気がかりであり、食事を取らないことも異常であった。この点についても、山神に尋ねる必要があると考えた。

タクシーで楠木邸へ向かう途中、クロは突然覚醒し、窓越しに方丈山を見つめた。そして次の瞬間、車のドアをすり抜け、外へ飛び出してしまった。播磨は運転手に急ぐよう頼むしかなかった。

クロは迷うことなく方丈山へ向かい、疾風のごとく駆け抜けていった。彼が目指しているのは、間違いなく楠木邸にいる山神であった。

第 6章  クロい豆台風襲来

神の庭の穏やかな時間

神の庭では、霊獣や眷属たちがそれぞれ思い思いに過ごしていた。大狼、麒麟、鳳凰はクスノキの木陰でまどろみ、霊亀と応龍は湊のそばにいた。大池には、セリ、トリカ、ウツギ、カエンが小舟に乗り、静かに漂っていた。

湊は霊亀の甲羅をブラシで磨いていた。霊亀は満足げに前脚を上げ、順番待ちをしている応龍は不満げに羽を広げたが、文句は言わなかった。湊は山神に、天狐の眷属であるメノウについて尋ねた。山神は、メノウが非力な赤子であるとしつつも、ツムギの最強の護りとなると断言した。

山神は、神々や眷属が若者には寛容であり、特に赤子を害そうとする者は許されないと説明した。湊はその話に驚きながらも納得し、応龍の羽を丁寧に磨いた。

竜宮門の異変

湊が眷属たちの世話をしていると、大池でレースが始まった。テンのセリは鼻先で舟を押し、モモンガのウツギは前脚で漕ぎ、カエンは驚異的な速さで進んでいた。トリカが僅差でリードしていたが、突如水中に沈んだ。

仲間たちは驚き、トリカは竜宮門に吸い込まれたと報告した。焦った湊や霊獣たちは事態を見守ったが、しばらくしてトリカは水面から浮上した。彼は派手な光景に圧倒されたと語り、特に危険はなかったようであった。

霊亀は、竜宮門は単独では通れないが、動物体の者と接していると吸い込まれる可能性があると説明した。湊はその事実に驚き、慎重になることを誓った。

クロの突然の訪問

その時、庭の塀を黒い影が飛び越え、大池に落ちた。山神は黒豹の子であると告げ、湊は播磨のクロだと気づいた。クロは溺れかけ、眷属たちが協力して引き上げた。

カエンの能力で身体を乾かされたクロは落ち着きを取り戻した。そこへ播磨が現れ、焦りながらクロを迎えた。湊は播磨が親らしくなったと指摘すると、播磨は複雑な表情を浮かべた。クロの行動に手を焼いているようだったが、湊は微笑ましく思った。

クロの問題点と山神の助言

播磨は、クロが飲食をしないことを相談した。山神は、神のつくりし獣であるため問題はないと答えた。播磨は納得したが、クロの破壊癖についても懸念を示した。山神は、幼いクロが周囲を理解するために物を破壊していると指摘した。

また、クロはまだ赤子であり、好奇心が旺盛であることも理由に挙げた。湊は、クロが播磨の言うことを聞かないのは、単に甘えているからではないかと推測した。

播磨は明日、厄介な悪霊祓いの仕事があり、クロを連れて行くことは難しいと語った。山神は、その間クロを預かると申し出た。播磨は感謝し、クロを湊に託して帰っていった。

クロと眷属たちの戦い

クロは置いて行かれたことを騒ぐかと思われたが、すぐに山神へと向かった。しかし、その前にセリ、トリカ、ウツギが立ちはだかり、戦いを挑んだ。クロは応戦し、互いに容赦なく嚙みつき、爪を立てた。

その後、カエンも加わり、オールを武器に応戦した。クロはクスノキの幹に爪を立てたが、湊に止められた。代わりに、初代クスノキの木材を与えられ、爪とぎを始めた。

しかし、クロはその後、神域の保管庫に興味を持ち、中に踏み込んだ。山神は入口を閉じ、クロに軽率な行動の危険性を学ばせた。

クロの新たな試練

数分後、山神が入口を開くと、クロは猛然と飛び出し、湊にしがみついた。クロはそのまま湊の上に乗り、寝床にしようとしたが、踏み心地が気に入らなかったようだった。

その後、クロは山神の前脚に身を寄せ、牙を立てた。播磨のいない寂しさを紛らわすためか、神域に閉じ込められた腹いせなのかは不明であったが、山神は気にする様子もなく、ただ大あくびをしていた。

第 7章  キミもすくすく育つといい

クロの遊びと噛み癖

クロは山神の前脚を枕にして眠っていたが、一時間ほどで目を覚ました。そして湊の膝の上で仰向けになり、手にじゃれついた。爪を出さずとも、腕をしっかり抱え込み、指先を甘噛みしていた。

湊はクロの口を開けて歯を確認したが、その行為が気に入らなかったのか、さらに強く噛まれてしまった。山神は、クロが湊を普通の人間とは認識せず、神の力を持つ者として遠慮なく接していると指摘した。

湊は、仔猫と同じように人の手で遊ばせるのは良くないと考え、クロが思い切り噛めるおもちゃが必要だと感じた。しかし、人工物ではすぐに破壊されてしまうため、適したものを探す必要があった。

えびす神の眷属の訪問

その時、大池の端で光のドームが出現した。竜宮門を通ってくる者がいる証である。山神は四霊ではないと告げた直後、大きな桜色の鯛が水面を破って飛び出した。

えびす神の眷属であるこの鯛は、頻繁に訪れ、湊たちと親しくしていた。湊が歓迎の言葉をかけると、鯛は大口を開けたまま静止した。山神によれば、鯛は湊に口の中へ手を入れるよう促しているとのことだった。

湊はためらったが、勇気を出して手を差し込んだ。その瞬間、空間が歪み、神域の入口が現れた。そして、手のひらに棒状のものが吸い付いた。引き抜くと、それは竹製の釣り竿であった。

えびす神の予備の釣り竿であり、先端の釣り針を羽根のおもちゃに変えていると山神が説明した。これはクロのために貸してくれたものであった。

クロの俊敏な動き

鯛が露天風呂へ向かった後、クロは宙に揺れる羽根に釘付けになった。湊は廊下へ移動して遊ばせようとしたが、クロは境目で立ち止まった。その様子を見た山神が、床を広げ、池の上まで覆い尽くすようにしてくれた。

釣り竿を振ると、クロは俊敏に飛びついた。湊の顔の高さまで跳躍し、鋭い反応を見せた。湊も本気になり、あらゆる方向に竿を振ったが、クロはそれについてきた。

一時間が経過してもクロの動きは衰えず、むしろ速度も跳躍力も増していた。湊は次第に疲弊し、二時間後にはついに力尽きた。クロはなおも遊びを求め、羽根を咥えて湊に引っ張らせようとしたが、湊にはもう余力がなかった。

クロの食事と歓迎会

湊は露天風呂で疲れを癒し、その後、クロの歓迎会を開くことを決めた。山神も賛成し、肉料理を用意した。

クロは焼肉には興味を示さなかったが、煮込み料理には強く反応した。湯気をかぐと鼻をひくつかせ、興味津々で近寄ってきた。しかし、熱いまま口にしたため、やけどをしてしまった。さらに、山神が差し出した水鉢で舌を冷やそうとしたが、それが炭酸水だったため驚き、クスノキの樹冠まで跳び上がった。

冷ましてから改めて提供すると、クロは慎重に舐め、一口ずつ食べ始めた。食べられるとわかると、次第に他の食材にも興味を示すようになり、ついには焼いた牛肉を奪い、クスノキの枝の上で食べ始めた。

その様子に湊と山神は呆れたが、野生の豹が獲物を木の上で食べる習性を思い出し、納得した。風鈴はクロの行儀の悪さに憤慨していたが、湊がなだめた。

神の眷属たちの再会

その時、大池に隣町の神の眷属である金鯉が現れた。かつて滝を昇るため修行していた幼い鯉たちが、立派に成長した姿を見せに来たのである。

成魚となった彼らは、色とりどりの美しい姿で水面を回遊していた。湊は感慨深げに彼らを見つめ、成長を喜んだ。

クロはそんな鯉たちにちょっかいを出し、池に落ちないよう慎重に身を伏せながら水面を叩いた。山神はそれを見て、クロのわずかな成長を認めたようだった。そして、その横で山神は静かに馬刺しを咀嚼していた。

第 8章  人もいろいろなら妖怪もいろいろ

方丈山と妖怪たちの集まり

方丈山は緑に包まれた雄大な山であり、日中は人々に安らぎを与える存在であった。しかし、夜になるとその様相は一変し、不気味な妖気が漂う場所へと変貌する。山神の本宅である磐座には、多くの妖怪たちが集い、町の噂話や山の現状、痴話喧嘩に至るまで、さまざまな話題を持ち寄っていた。

山神は基本的に彼らの話を適当に聞き流しつつ、手元で白い粘土のようなものをこね続けていた。妖怪たちの数は日を追うごとに増え、山神に相談を持ちかける者も後を絶たなかった。近年、多くの人間が山を訪れるようになった影響もあり、それを歓迎する者と警戒する者が入り混じる状況であった。

山神自身は、人間が侵入することを特に問題視してはいなかったが、一部の妖怪たちは不満を募らせていた。そんな中、山の片隅では人間を排除しようと企む妖怪たちが、密かに集会を開いていた。

不穏な妖怪たちの陰謀

楠木邸の裏側にある朽ち果てた小屋に集まっていたのは、巨漢の妖怪、一本足の一つ目、そして狸の妖怪であるたぬ蔵であった。巨漢と一つ目は、方丈山に訪れる人間が増えたことに憤りを感じていた。彼らは、かずら橋の修繕がなければ山に人間が来ることもなかったと考え、その責任を湊に押し付けていた。

たぬ蔵は、これまで妖怪たちが人間に手を出さないよう制止してきたが、今回はあえて黙っていた。妖怪もまた、実際に経験しなければ学ばないものであり、彼らが軽はずみな行動を取ることで何が起こるかを見届けようとしたのである。

山中での湊の散策

翌朝、湊は方丈山を散策していた。四霊の加護を受けているため、山の気配を敏感に感じ取ることができた。野生動物たちとも遭遇し、ムササビやエナガが肩にとまるなど、普段通りの山歩きを楽しんでいた。

しかし、途中で不審な気配を感じ、木立の間にうずくまる人影を見つけた。声をかけると、その人物はのっぺらぼうであったが、湊は驚くことなく立ち去った。さらに道中、突然飛びかかってきた野衾を反射的にはねのけ、その場を収めた。

さらに進むと、今度は美しい女性が現れ、妖艶な仕草で湊を誘おうとした。しかし、湊は妖怪であることを見抜いており、まったく相手にせず通り過ぎた。その直後、女は憤慨し、山姥の本来の姿へと変貌した。

送り犬との遭遇と妖怪の襲撃

山を下る途中、湊は送り犬と遭遇した。送り犬は、転ぶと食われるという伝承があるが、湊は特に警戒することなく、まるで犬の散歩を楽しむかのように同行した。送り犬も律儀に湊の後をついてきた。

その様子を陰から見ていたのは、たぬ蔵であった。しかし、彼の視線の先には別の異変があった。巨漢と一つ目の妖怪が、湊を奇襲しようと企んでいたのである。

その瞬間、空から猛禽類の羽ばたき音が響き渡った。突如として烏天狗が現れ、二体の妖怪を踏みつけて制圧した。烏天狗は、公平な性格を持ち、卑怯な行為を決して許さない。今回の襲撃も見逃すことなく、妖怪たちに制裁を加えたのであった。

それを遠巻きに見守っていたたぬ蔵は、山の樹冠がざわめくのを感じた。それは、まるで山神が「よくやった」と告げているかのようであった。

第 9章  山神にとって、方丈町南部は忌まわしい地でもある

商店街の風鈴と過去の記憶

方丈町南部の商店街には、まだ夏の名残が色濃く残っていた。目抜き通りを行き交う人々は和服を乱し、男たちは肌を晒している者も多い。暑さをあまり感じない山神であっても、そんな町の光景を見ていると、暑苦しさを覚えた。

そんな中、風鈴の音が響いていた。しかし、その音色がよく聞こえない。理由は、すぐそばで叫び続ける娘のせいであった。

かつて、山神を敬い、和服を整え、髪を結い上げていた彼女は、今や髪を振り乱し、怒りをあらわにしていた。山神に貢いできたことを強調し、願いを叶えるよう迫る。かつて清らかだった魂が、いつの間にか濁り始めていた。

山神は、その時の光景を夢に見ていた。そして、自らの寝言で目を覚ました。そこは楠木邸の神の庭、傘のように広がるクスノキの下であった。寝言を言っていたことに気づき、山神はため息をついた。

商店街での散策と違和感

湊と山神は、方丈町南部の商店街を歩いていた。早朝からの訪問であり、山神の足取りは軽かった。湊が持っていたのは、木彫りの彫刻。いづも屋に納めるために、三体の狼と小粒なテンを彫ったものであった。

普段はのんびりと歩く山神であったが、この日はどこか急いでいるように見えた。湊がそれを指摘すると、山神は否定したものの、その歩調は明らかに遅くなった。

やがて鳥居の前を通りかかった。その神社は、商売繁盛を祈願するための小さな社であった。

その前を、腕を組んだ男女が通り過ぎる。男は、不機嫌そうに「一万円も賽銭を入れたのに、ご利益がなかった」と不満を漏らした。

それを聞いた山神は、無言で立ち止まり、尻尾をだらりと下げた。そして、次の瞬間には小型犬ほどの大きさになり、神気も薄れてしまった。

湊は明るい声で促した。「早く用事を済ませて、きび団子を食べに行こう」と。すると、山神は小さな声で返事をし、再び歩き出した。

古びた石とその持ち主

商店街の一角で、風鈴の音が響いていた。音の出所を探ると、それは呉服屋の軒先に吊るされた南部鉄の風鈴であった。その店舗の脇には、妙な石が落ちていた。

拾い上げてみると、河原にあるような丸みを帯びた石であった。裏を見ると、三本の爪痕が刻まれている。湊は、山神の爪痕と似ていることに気づいた。

山神もそれを確認し、ため息をついた。かつて人間に授けた物だという。その石は、願いを三つだけ叶える力を持っていたが、すでに効力を失っていた。

「なぜ、こんな所に?」と湊が問うと、山神は「用済みになったから捨てられたのだろう」とそっけなく答えた。しかし、湊は否定した。石は汚れておらず、丁寧に磨かれた形跡があった。

すると、近くで下を向いて何かを探している若者がいた。湊が石を見せると、その若者は安堵の表情を浮かべ、駆け寄ってきた。

石は、彼の先祖が山神から授かった物だった。先祖は、生涯この石を大事にし、最期の時まで願うことをためらったという。そして、今では若者自身が大切にしている。

「もう願いを叶える力はないが、これはお守りなんです。神様がくれた物だから」と、若者は誇らしげに語った。

江戸時代の記憶と甘味処

それは江戸時代のこと。

山神は野道を進んでいた。照りつける太陽の下、目指すは町の甘味処。山神は甘味を求めて町を訪れるのが常であり、その姿を視認できる者たちは、競って供え物をしようと争った。

その日も、呉服屋の跡取り息子が、先を争うように甘味を供えた。山神はそれを堪能し、至福の表情を浮かべた。

その光景を見ていた町の人々は、まるで神の喜びが自分たちの喜びであるかのように満ち足りた顔をしていた。

山神は、そんな彼らに礼をすることを忘れなかった。呉服屋の跡取り息子には、願いを三つ叶える石を授けた。しかし、彼はそれを使わず、大切に持ち続けた。

その石が、今、若者の手元にある。

山神は、若者を静かに見つめながら、遠い記憶を思い返していた。

その時、強い風が吹き、呉服屋の風鈴が鳴り響いた。かつての時代と変わらぬ音色が、山神の心にかすかな余韻を残した。

第 10章  その者の野望は見果てぬ夢で終わるのか

社長の愚痴と山神への想い

小豆色ののぼり旗が目印の食事処は、落ち着いた和風の佇まいを持っていた。新装開店したばかりの店内は、天然木の香りが漂い、料理の邪魔をすることなく心地よい雰囲気を演出していた。照明は柔らかく、さりげなく配置された盆栽が彩りを添えている。料理も申し分なく、仕事の合間の昼食には最適であった。

十和田は、取材のために様々な店を訪れてきたが、この店には唸るほどの完成度があった。しかも今回は社長の奢りであったため、なおさら満足感が高かった。ただし、社長の愚痴が付きものという難点があった。

対座する社長は、かぼちゃの天ぷらを咀嚼しながら、ため息混じりに言った。「山神様とこの食事を共にできたらどれほどよいか」と。さらに、山神は旬のものを好むため、秋鮭の天ぷらも喜ぶだろうと続けたが、すぐに訂正した。甘味好きの山神には、こし餡の和菓子のほうがふさわしいと確信していた。

十和田は相槌を打つだけで、無駄な反論をしなかった。社長の山神愛が並々ならぬものであることは周知の事実であり、彼の大きな野望は「山神様と酒を酌み交わすこと」であった。それは社長の先祖が成し遂げたことであり、自身も叶えたいと切望していた。しかし、武蔵出版社の社員たちは皆、「それは無理だ」と確信していた。

社長の探りと十和田の防戦

突然、社長が箸を置き、十和田をじっと見つめた。「最近、調子がいいようだな」と言い、探るような視線を向ける。十和田は、予想していた質問が来たことに内心で警戒しながら、茶を飲んでごまかそうとした。しかし、社長はさらに踏み込む。「以前より顔色が良くなった」と断言した。

それは事実であった。十和田は霊に憑かれやすい体質であり、幼少の頃から苦しめられてきた。しかし、地域情報誌の山神専用ページを担当し続けたことで、山神から悪霊を払う木彫りを授けられた。そのおかげで、今では霊の干渉を受けることなく過ごせている。

だが、それを社長に悟られるわけにはいかなかった。もし知られれば、間違いなく執拗に尋ねられ、木彫りを見せるよう迫られるであろう。十和田は慎重に話を逸らした。

山神の招待という噂

社長の追及をかわそうと、十和田は最近聞いた話を持ち出した。方丈山に登った中年男性が行方不明になったという噂であった。

その男性は一人暮らしで、登山へ行くと明言したわけではなかったが、会社の同僚に「次の休みに御山へ行くかもしれない」と話していたという。そして、消息を絶った。

この話を聞いた社長は、衝撃を受けるどころか興奮した。年配者たちは「山の怪に遭い、山神様に隠されたのだ」と噂していたが、社長はそれを「山神様の自宅に招待された」と解釈した。

その反応に十和田は呆れつつも、話を続けた。年配者たちによれば、過去にも同様の事例があり、行方不明になった者たちは無事に戻ってきていたという。ただし、彼らはすでに鬼籍に入っており、直接話を聞くことはできない。

社長は落胆したが、それでも山神に対する執着は薄れなかった。

鳥遣いの青年への嫉妬

社長は話題を変え、「先日、山神様と一緒にいた青年は何者なのか」と尋ねた。その嫉妬に満ちた表情からも、社長にとって山神の隣に立つ者の存在が受け入れがたいことが伺えた。

十和田は、あの青年について調べた情報を提供した。彼は北部の商店街では有名な存在であり、「鳥遣いの人」と呼ばれていた。彼が現れると、商店街の空が鳥で埋まるほどであり、犬や猫、さらにはアライグマまでもが彼の言うことを聞くという噂もあった。そのため、一部では神のように扱われていた。

社長は震えながら、山神と共にいるからこそ神がかっているのではないかと推測した。そして、抑えきれない嫉妬心を吐き出した。「あの青年が羨ましい、羨ましい……!」

その様子を見た十和田は、社長がついに危険な領域に踏み込んでしまったと感じた。

山神の登場と宣告

その時、鈴のような音が響いた。それは社長と十和田だけに聞こえる、特別な音であった。

のぼり旗の向こうに、白い狼の姿が現れた。

かつて見たことのある堂々たる山神の姿とは違い、今の山神は子狼のように小さかった。しかし、その気配は確かに山神そのものであった。

山神が社長を見据えると、濃密な神気が広がり、圧倒的な存在感が場を支配した。社長は反射的に身を引き、言葉を失った。

そして、山神の口が開き、静かに告げた。

「──我はいま禁酒中の身である。許せよ」

それは、「お前とは酒を酌み交わせぬ」という明確な拒絶であった。

しかし、社長は言葉の意味を理解していなかった。ただただ、山神の姿を目に焼き付けることに必死であった。

十和田は、残念すぎるその姿にため息をつきながら、山神が去るのを見送った。その向かう先には、鳥遣いの青年が立っていた。

社長がそのことに気づかぬことを、十和田はただ願った。

山神の禁酒と社長の執着

通りを歩く山神は、子狼のような小さな姿のまま、ゆっくりとした歩みを続けていた。その後ろをついて行きながら、湊は山神に尋ねた。「禁酒なんてしていたっけ?」

山神は、武蔵出版社に行って以来、一度も酒を飲んでいないことを明かした。しかし、もともと酒を嗜むことは少ないため、特に意識しているわけではなかった。

それでも、湊は出版社の地域情報誌にやけに居酒屋関連の記事が増えたことを思い出した。おそらく、社長が山神との飲み会を夢見て動いていたのだろう。しかし、その願いは叶わぬままである。

ふと、山神の耳が後方へ倒れ、低く唸った。そして、神気がゆらめき、まるで何かを振り払うように胴震いをした。

その後、山神は何事もなかったかのように歩き出した。

ただ一言、「──うっとうしい」とつぶやきながら。

第 11章  神に嫌われる者と好まれる者

猫神の領域と異質な猫たち

湊と山神がいづも屋へ向かう途中、前方の路地から猫の威嚇する声が響いた。それも一匹ではなく、複数匹であった。猫の鳴き声に慣れた湊であったが、このように統率された威嚇は初めてであった。

路地を覗くと、そこには四匹の巨大な猫がいた。メインクーンやラグドールなどの洋猫で、長い毛並みが一際目を引く。その巨猫たちは一人の若い男を取り囲み、敵意をむき出しにしていた。

男は慌てた様子で助けを求めたが、湊は警戒した。猫たちがここまで露骨に敵対するということは、何かしらの理由があると考えたためである。しかし、男は潔白を主張し、自身がいづも屋で働く鞍馬の店員の弟であることを明かした。

その後、湊が猫たちに声をかけると、先ほどまでの威嚇が嘘のように甘えてきた。やはり、麒麟の加護の影響であろう。湊の説得により、猫たちは渋々ながらも背を向け、路地の奥へと去っていった。ただし、その途中で鞍馬の弟を牽制するように牙を見せた。

湊はその様子に感心しつつ、「よほど嫌われているのだな」とつぶやいた。鞍馬の弟は「守護神様」と湊を呼び、共にいづも屋へ行くよう懇願した。

いづも屋の結界と拒絶される者

いづも屋へ向かう途中、鞍馬の弟が突然弾かれた。透明な壁にぶつかったかのように後方へ弾かれ、驚愕の表情を浮かべた。

その光景は、かつて北部稲荷神社の眷属が楠木邸の表門で弾かれた時と同じ現象であった。湊はすぐに察し、山神も冷めた目で「いづも屋の神に嫌われている」と告げた。

鞍馬の弟は涙目になりながら、兄を呼んでくれるよう湊に頼んだ。湊は「守護神様呼びをやめること」を条件にそれを承諾した。

猫神の歓迎と動く看板

店の前に立つと、看板に見慣れない猫の絵があった。顔だけが描かれたハチワレ猫の絵が、突然瞬きをし、前足を浮かび上がらせ、手招きをしてきた。

山神はそれを見て「歓迎されている」と笑った。いづも屋の神が表に出ることは珍しいようであり、湊は思わず「今日は幸運だったのかもしれない」と考えた。

猫の神ゆえに、先ほどの洋猫たちを自在に操れるのだろうと納得したが、山神によれば、猫たちは自主的に動いていたらしい。その知能の高さに湊は感心した。

神々の訪れと神産物の取引所

店内へ入る直前、湊は天女のような姿の神が舞い降り、店の中へ入るのを目撃した。山神によれば、その神は神産物を交換しに来たのだという。

いづも屋の裏には、神々の間で神産物を取引する場があるらしく、そこがヒサメの言っていた「神産物交換所」であったことを湊は知った。しかし、その場に入るには神産物を持参する必要があり、今は訪れることが叶わなかった。

小人神と注文された木舟

店内では、鞍馬の店員が女性と向き合っていた。その女性の肩には、小人の神が胡坐をかいていた。その神は以前、湊が食事処で見かけた存在であった。

小人神は、湊が視えるようになったことに喜び、さっそく持ち込んだ品に興味を示した。しかし、今回は木舟ではなく、神は落胆した。

それでも、「次は帆のない丸木舟をつくってくれ」と具体的な注文をし、購入を約束した。その会話を聞いていた女性──松江は、苦笑しながらもその注文を受け入れた。

スクナヒコナとの邂逅

松江と小人神が去った後、湊は山神に小人神の名を尋ねた。すると、それが「スクナヒコナ」であると告げられ、湊は驚愕した。

スクナヒコナは国づくりに関わった神であり、薬神としても名高い。そんな神が気軽に注文を入れることに、湊は改めて神域の深さを実感した。

山神の警戒と不穏な兆し

山神が突然、店内の一角に視線を向けた。そこには赤珊瑚のブレスレットがあった。店内の商品は神域に住まう者の手によるものであり、山神が嫌悪を示すようなものはないはずであった。

その違和感を問いかけようとした矢先、店の戸口が開き、一人の男子が入ってきた。彼の頭上には、白龍の姿があった。

龍神と男子の交流

白龍は山神に気づくと、「久しぶり」と語りかけた。山神もまた、「たまに来る」と返したが、白龍は「数百年ぶりではないか」と指摘した。

そのやり取りを見守る中、男子は湊に「つくり手か」と尋ねた。彼が手にした勾玉のブレスレットは、強い神気を帯びていた。そのつくり手に礼を言いたかったようだ。

龍神と山神はその光景を見つめながら、「彼の魂は特別である」と囁いた。男子の魂は濁りがなく、転生を重ねた末に到達する一歩手前の境地にあるものだった。

暗い視線と神を狙う者

山神はふと、外の様子を見た。通りを挟んだ場所に、一人の女がいた。彼女の魂は穢れに満ち、叶わぬ想いに焦がれていた。

龍神もその存在を認識していたようで、「何度断っても諦めない」と嘆いた。山神は「想いを断ち切ればよい」と助言したが、龍神は「それはできない」と困惑した。

その会話を聞いた湊と男子は、何かを察し、問いかけようとした。しかし、その瞬間、鞍馬の店員が戻ってきた。

彼の表情は硬く、ただの兄弟間の問題ではなかったことを示していた。そして、彼は静かに告げた。

「ここ最近、街によからぬ念が渦巻いている。狙われているのは、神様だけのようだ」

その言葉は、これから起こる異変の前触れであった。

第 12章  神を狙う愚者

龍神と男子の静かな歩み

男子と龍神は南部の目抜き通りを進んでいた。龍神は店舗の間を気ままに行き来しながら浮遊し、男子はそれに合わせるように歩んでいた。やがて二人は賑やかな通りから脇道へ逸れた。

道を外れると、雰囲気は一変し、寂れた家々が並び、人気もなくなった。コンクリートの壁が続く中、突如として龍神が男子の腕から離れた。すると、影から一人の女が飛び出し、男子の背後に腕を振りかぶった。

呪物を手にした女の襲撃

女は二十代ほどの小太りの人物であった。手に握る黒いモノから煙のような気配が立ち上り、それは次第に液状化していた。明らかに異様な気配を放つその手を、鬼七が背後から掴んだ。

鬼七の握力は強く、女は微動だにできなかった。腕を振りほどこうと必死にもがくが、鬼七の手はびくともせず、彼は軽い口調で「ろくでもない呪物」と評した。

女の手を包み込むように鬼七が印を結ぶと、二人の間に梵字が螺旋を描き、帯のように巻きついた。女は悲鳴を上げたが、鬼七は「中途半端な呪術では自滅する」と冷ややかに言い放った。

その言葉通り、呪物は無力化され、女は膝から崩れ落ちた。震えながら逃げ去る女を、鬼七は冷たく見送った。

鬼七の術と湊の学び

湊は地面に落ちた呪物を見下ろした。解呪された今、それはただの黒い塊であり、かつて感じた禍々しさは消えていた。

その光景を見て、湊はふと考えた。禁呪に対抗できる手段があるなら、自身も身につけるべきではないか。そう思い、鬼七に「術を習得できるか」と尋ねた。

鬼七は即座に「無理だ」と答えた。理由は単純で、湊には霊力がないからであった。霊力は先天的なものであり、後天的に得ることはできない。

しかし、鬼七はさらに続けた。湊が「神の力を持っている」ことは明白であり、それを行使すれば、人間の術など簡単に破壊できるはずだと指摘した。

湊は確かに神の力を持っているが、それを使うことを避けていた。それを鬼七に伝えると、彼は即座に理解した。「他者に知られれば、利用される」と察したのだ。

鬼七はしばし考えたが、「関わらなければいい」とあっけらかんと答えた。それ以上の解決策は思いつかないようであった。

呪いに囚われる女

その会話の最中、山神は女の去った道を見つめていた。女の魂の穢れは晴れず、むしろ悪臭を増していた。その姿が、かつて南部にいたある女と重なった。

江戸時代、山神が南部に訪れると、すぐに人々に囲まれた。皆、神を敬い、一定の距離を保っていた。


しかし、ある女だけは違った。赤珊瑚のかんざしをつけたその女は、人垣をかき分け、山神に向かって叫んだ。「願いをもう一度叶えてほしい」と。

かつて山神が与えた願いを叶える小石は、すでにその力を失っていた。しかし、女はその石を握りしめ、血がついてもなお必死にすがりついていた。

だが、女の魂はすっかり煤け、悪臭を放っていた。その変わり果てた姿に、山神は嫌悪を覚えた。

邪念の襲来と山神の神威

思い出に沈む山神の耳に、またしても女の声が響いた。

それと同時に、地面から蛇のような邪念がうごめき始めた。

それらが湊や鬼七にまとわりつこうとした瞬間、山神は神気を解放し、その身を巨大化させた。一瞬で邪念を消滅させた山神の姿に、鬼七は驚き、飛び退いた。

彼には山神の姿は見えずとも、その圧倒的な神気は感じ取れた。これまで抑えられていた神気が、一気に放たれたのだから無理もなかった。

鬼七は神を敬う者ではなかったが、山神の存在感にはさすがに気圧されたようだった。それでも無理に平静を装い、湊に別れを告げると、韋駄天のような勢いで立ち去った。

邪悪の源を断つために

鬼七を見送った湊が山神に視線を戻した。その表情には緊張が浮かんでいた。

山神は静かに告げた。「うっとうしいモノを始末しに参るぞ」と。

湊は即座に理解し、ためらうことなく頷いた。

二人は足を速め、邪悪の根源へと向かっていった。

第 13章  その執念をぶった斬る

穢れた空間と石祠の異変

南部の近代的なビル群の狭間に、ぽっかりと開けた方形の空間があった。そこは舗装もされず、苔むした湿った土地であり、中央には古びた石祠が鎮座していた。かつてそこには山神と武蔵が通った甘味屋があったが、今ではその面影すらない。

湊はその場所の不気味さに言葉を詰まらせた。人の気配はなく、周囲のビルの窓もすべてすりガラスかはめ殺しになっていた。石祠には供え物一つなく、まるで祀られているようで祀られていない場所だった。

山神はその石祠を見つめながら、ここに近づくだけで精神に異変をきたす者もいるだろうと述べた。そして、その下には呪物が埋められていると指摘した。

呪われた女の執着

石祠からは黒い煙が立ち昇り、不快な女の声が響いていた。山神は、それが己を呼び続ける呪いの残滓であると断言した。女は山神を待ち続け、待ちきれずに呪物を用いてまで召喚しようとしたのだ。しかし、人の術ごときで神を操ることはできず、中途半端な呪詛は異様に変質していた。

突然、空間に圧が生じ、湊の体が後方へ傾いた。女の叫び声は止むことなく響き続けた。山神が敷地内へ踏み込むと、石祠から蛇のような黒い触手が無数に伸び、襲いかかってきた。しかし、山神は一喝でそれらを蹴散らした。

呪物の正体と街を覆う悪念

山神は、これこそが鞍馬が言っていた「街に渦巻くよからぬ念」の出所であると湊に説明した。湊は迷いながらも境界を超え、その場に踏み込んだ。

途端に世界は赤黒く染まり、縦横無尽に管が走る異様な空間が広がった。息苦しい湿度と鼻を刺す悪臭が満ちており、湊は思わずえずいた。

そんな状況にもかかわらず、彼は「山神がどのように後始末をつけるのか見届けたい」と述べた。山神は呆れつつも、湊がこの領域を視認できることに驚いた。それは彼の望みによるものだが、今後吉と出るか凶と出るかは分からなかった。

神威の解放と呪詛の破壊

山神は鼻先から光の槍を放ち、石祠の下部に突き立てた。その瞬間、赤黒い膜が弾け飛び、爆風が吹き荒れた。神気を放出し、あたり一帯を浄化すると、悪臭も湿度も一掃された。

その後、石祠から白いもやが立ち昇り、やがて和装の女の姿を形作った。しかし、かつて美しかった彼女は老いさらばえ、ざんばらの白髪となり、赤珊瑚のかんざしも失っていた。

女は「ずっと山神を待っていた」と恨みがましく呟いた。その眼孔は黒く沈み、その中で赤い灯火が揺れていた。

だが、彼女はすでに幽霊ですらなく、ただの思いの残滓にすぎなかった。呪物が破壊されたことで、その執着すらも消え去る運命にあった。

山神は彼女の変わり果てた姿を黙って見つめた。かつて彼女は「山神様が喜んでくれるだけで幸せ」と語っていた。しかし、一度願いを叶えたことで、彼女は欲に溺れ、さらなる願いを強要するようになった。

神の存在を知り、神の力に触れたとしても、人が変わらないこともある。いま湊の魂が微塵も汚れず、驕ることもないように。

かの女が欲に目を曇らせなければ、あと数度の転生で湊と同じ境地に至ったかもしれない。だが、彼女は振り出しに戻り、これから再び数百回の転生を繰り返さねばならなくなった。

過去を断ち、新たな甘味処へ

山神と湊は目的を果たし、周防庵へ向かった。新しく建て替えられた店舗は和風の佇まいであり、店頭には赤い敷布がかかった長椅子と番傘が設えられていた。

湊が店主に注文を済ませた後、山神と並んで腰掛けた。山神の昔馴染みであった初代店主はすでにおらず、今の店主には神を見る力はなかった。

しかし、盆を持った白衣の若旦那が店内から出てきた。彼は山神の前に立ち、「山神様、今日は何をお求めで?」と、まるで見えているかのように尋ねた。

店の入り口には、孫娘が祖父とともにそっと覗いていた。その光景に、山神は一瞬呆けたようになったが、すぐに応じた。「むろん、ただのきび団子ぞ」

かつて繰り返された懐かしいやり取りが、再び交わされた。

騒がしい犬と赤珊瑚の兆し

その穏やかな空気を破るように、近くで犬の吠え声が響いた。

小型犬のシーズーが飼い主に向かって必死に飛びつき、抱き上げてもらおうと必死に足をばたつかせていた。

その犬の首輪には、赤珊瑚色の玉がついていた。

そして、抱き上げられた犬の肉球には、斜めに走る奇妙な線が刻まれていた。

山神がその犬に視線を向けた瞬間、シーズーは恐怖に駆られたように激しく吠え、飼い主の胸にしがみつこうとした。

澄み渡る青空の下、再び奇妙な気配が漂い始めていた。

第 14章  大きくなったモノとこれからのモノ

鳳凰の復活と麒麟の帰還

楠木邸の屋根に、紅色の鳥が優雅に佇んでいた。長くきらびやかな尾羽を風になびかせ、堂々とした姿を見せるそれは、鳳凰であった。完全な姿に戻った霊獣は絶好調であり、屋根の上で様々なポーズを取りながら身体を伸ばしていた。

その光景を見上げる湊のもとへ、山の頂上から黄みがかった真珠色の光が迫ってきた。麒麟が旅から戻ったのである。彼は空中でぴたりと停止し、ゆっくりと降下すると、湊に挨拶を交わした。

麒麟は今回の旅土産として、神気を纏ったオタネニンジンを持ち帰っていた。それは人間の作物よりも何百倍もの効能を持つ神産物であり、疲労回復や血行促進、ストレス軽減といった効果を発揮するという。しかし湊は、神産物には不老不死の効果が含まれることが多いため、警戒を強めた。麒麟はそれを否定し、湊が望まないものを渡すはずがないと断言した。

湊は恐る恐るそれを受け取り、眺めていると、麒麟は今回の旅で出会った神獣たちの話を始めた。

四霊の交錯と白澤の動向

麒麟は旅の途中で、天の四方を司る朱雀や青龍、そして玄武と出会っていた。鳳凰は朱雀の消息を聞き、喜びをあらわにした。応龍もまた、青龍の話を聞くと深く考え込んだようだった。一方、霊亀は玄武が人間界に現れたことに驚きを隠せなかった。

さらに麒麟は、異国の神獣である白澤とも何度も遭遇したことを語った。白澤は万物の知識に精通する神獣であり、病魔を防ぐ力を持つとされる。その姿を描いた符が古来よりお守りとされていたという。彼は南の島、氷に覆われた北の大地、人間で溢れる東の都会、そして闇市でも姿を現していた。

四霊たちは白澤の行動について、珍しいものを探し求める彼の習性に変わりがないと語り合った。鳳凰はその探求心に共感を示し、職人たちが生み出すものに強く惹かれる自分の性分と似ていると述べた。

湊は四霊の交流を聞きながら、改めて自身が非常に特殊な環境にいることを実感した。

神域での暮らしと眷属の動向

楠木邸の廊下では、トリカとクロが肉弾戦を繰り広げていた。水を苦手とするクロは、大池を避けながら戦っており、動きがやや鈍っていた。

湊は彼らに眷属の動向を尋ねた。セリは御山を見回り、ウツギはマンドラゴラの育成に励んでいるという。カエンも活動的になってきたが、まだ人間への忌避感が完全には拭えず、慎重に行動しているようだった。

さらに、以前神域に連れて行かれた中年男性の様子についても尋ねた。彼は神域内で、まるで原始的な生活を送っているという。電気も水道もない環境で、自給自足を強いられているにもかかわらず、生き生きとしているらしい。セリに「ここにずっといたい」と懇願したが、即座に拒否されたようだった。

麒麟の加護の喪失と異変

湊がクスノキの部屋へ向かう途中、クロが突然、麒麟の足跡を引っ掻いた。すると、煌めく光が床に落ち、その輝きが急速に消えていった。

その瞬間、湊の背筋を凍らせるような不安が襲った。見えない何かが押し寄せる感覚に、全身が震え、強烈な焦燥感に駆られた。

そこへ、麒麟が慌てて駆け寄ってきた。彼は湊の背中に前足を押し付け、加護を再び刻み直した。今回はより強固なものとするため、白虎の力も用いたという。

麒麟の加護が戻ると、湊の不安は潮が引くように消えていった。しかし、この異様な感覚が何を意味していたのか、彼には分からなかった。

播磨の来訪とクロの能力

その直後、玄関のチャイムが鳴り、播磨がクロを迎えに訪れた。しかし、その姿は以前よりも疲弊しており、明らかに寝不足であった。

クロは播磨に駆け寄り、喉を鳴らして甘えた。すると、播磨は意識を失いかけ、ふらついた。湊が支えたことで転倒は免れたが、彼は「クロの喉の音を聞くと眠ってしまう」と語った。クロの鳴き声には、人を眠りへ誘う力があったのだ。

山神は、それがクロに与えられた能力の一つであり、播磨の祖神が彼の無茶な行動を抑制するために持たせたものだと説明した。播磨があまりに無理をする時には、強制的に眠らせるように指示されているという。

その力を実感する間もなく、播磨はクロの喉鳴りによって完全に眠りに落ちてしまった。湊はその静かな寝顔を見つめながら、クロの能力の強さを改めて思い知った。

神産物のぬいぐるみと播磨邸の防衛策

山神は、クロのために特製のぬいぐるみを用意していた。それはチョウチンアンコウを模したもので、クロの噛みつき攻撃にも耐えられるように作られていた。

クロはすぐにそれに飛びつき、提灯部分を咥えたり、振り回したりして遊び始めた。しかし、どんなに噛みついても傷一つつかず、提灯部分を引っ張っても伸びるだけで切れなかった。

播磨は最初、このぬいぐるみの受け取りを拒もうとしたが、湊は「これはクロにあげるものだから」と説得した。クロが喜んで遊ぶ様子を見て、播磨もついに折れた。

その後、湊はさらにクロの爪研ぎ用にクスノキの木材を用意していた。播磨は恐縮していたが、最終的にはそれも受け取ることとなった。

クロの喉鳴りが響く中、クスノキの葉擦れの音と風鈴の音色が穏やかに重なった。

そして、その音に背を押されるように、鳳凰は屋根の上から力強く飛び立った。いわし雲の浮かぶ青空へ、翼を大きく広げ、羽ばたいていった。

セリとトリカとウツギの日常

霊獣たちの交流と新たな眷属

セリは方丈山の麓で、黒狐のツムギと対峙していた。ともに神気をまとう存在であるため、木々の間を通る人間にはその姿も声も知覚されることはなかった。二体は世間話を交わしており、ツムギは新たな眷属であるメノウについて語った。

ツムギの主である天狐は、もともと多くの眷属を抱えていたが、新たに生まれたメノウをツムギの監督下に置くよう命じたという。ツムギ自身は単独行動を好むが、主の命には逆らえなかった。

セリは、天狐がツムギを大切に思っていることを理解していた。特に、南部稲荷神社の眷属がツムギに執着していることを憂慮し、湊に迷惑をかけることを避けるため、メノウを伴わせることで牽制しているのだろうと推測した。

天狐が機嫌をよくしている理由も明白であった。湊が天狐に対して一切の恋愛感情を抱かなかったからである。もし湊が天狐に惹かれていたならば、ツムギを通じて接触を図る可能性が高く、それを回避できたことで天狐は満足しているのだろう。

神域での観察と中年男の変化

セリは自身の神域へ戻った。そこは方丈山と同じ植生を持つが、気温は低く、秋の気配が漂っていた。そこでは、神域内で生活する中年男の様子を観察することができた。

中年男は槍を担ぎながら山を登っており、以前と比べて足腰が強くなり、息遣いも乱れていなかった。その背には、ウツギが作成した神産物によって再生した三つ編みの髪が揺れていた。

この神産物の効果にはセリも感心していた。ほぼ死滅していた毛根を復活させることができるなど、人間に知られれば騒動を引き起こしかねない代物であった。

中年男はここで狩猟を主体としたサバイバル生活を送っていたが、その様子は日に日に生気を増し、以前の疲弊した姿とはまるで別人のようになっていた。

霊道と彷徨う霊の説得

セリはトリカのもとへ向かった。霊道の付近にいたトリカは、浮遊する霊と対峙していた。

その霊は本来行くべき霊道へ進まず、現世に留まろうとしていた。トリカはまず説得を試みたが、霊は右往左往を続け、青白かった光が徐々に濁り始めていた。

このままでは悪霊へと変質することは明白であった。トリカは最後の警告として、威圧的な神気を放ち、牙を剥いて見せた。すると霊は震え上がり、ついに霊道へと飛び込んでいった。

それを見届けたトリカは深いため息をつき、半日かけて説得したことに不満を漏らした。セリは「もっと早く神気を使えばよかったのではないか」と指摘したが、トリカは「今後は一時間経過したら実力行使する」と応じた。

ウツギのマンドラゴラ栽培

二体はウツギの神域へ向かった。そこには果樹園が広がっていたが、並ぶ果実の中には金や銀に輝くものがあり、明らかに失敗作と見て取れた。

ウツギは果樹園の隣の小さな耕地で、マンドラゴラの苗に水を与えていた。その植物はすでに葉を動かし、注がれる水を弾いて遊ぶような動きを見せていた。

セリは、その成長の遅さを気にかけていたが、葉の瑞々しさと動きの活発さから、大きな問題はないと判断した。

ウツギは湊のように風を操る力があれば、霧状にして水をやれるのにとぼやいていたが、愛情を注ぎながら育てている様子は明らかであった。

湊のための新たな神域計画

セリは、近々湊が山へ泊まりに来ることに関して、懸念を抱いていた。湊が滞在するとなれば、野生動物や妖怪たちが大挙して押し寄せるのは明白であり、普通のキャンプなど不可能であった。

ウツギは「湊のテントなど簡単に突破される」と予測し、トリカもまた「妖怪なら交渉もできるが、動物には通用しない」と指摘した。

そこでセリは提案した。「新たに湊のための神域を作ればよい」と。

この案にウツギとトリカは賛同し、意見を出し合いながら構想を練り始めた。山の形、植生、宿泊施設の種類まで多岐にわたり、さらに湊が楽しめるよう釣りが可能な環境を整える案も浮上した。

ウツギは「いっそ海や川を作ろう」と盛り上がり、トリカは「魚竜を復活させよう」と提案したが、それはさすがに危険すぎるため却下された。

そして、この神域の存在は湊には伏せておくこととなった。湊が気を遣わず自然にそこを選ぶよう、ウツギがさりげなく誘導する役割を担うことになった。

三体の霊獣がそれぞれの役割を確認するなか、中央のマンドラゴラも意気込みを示すように若葉をぴんと立てていた。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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