物語の概要
■ 作品概要
『草枕』は、明治時代の文豪・夏目漱石による長編小説である。主人公である一人の洋画家が、人間関係のわずらわしい俗世間から離れ、「非人情」という芸術的な境地を求めて山中の温泉宿を訪れる。そこで出会った不思議な雰囲気を持つ女性・那美との交流や、美しい自然の中での思索を通じて、芸術と人生の本質を追究する物語である。物語全体が絵画的な情景描写に満ちており、物語的な劇的展開よりも、静謐な観察と心理的な洞察に重きが置かれた世界観を持つ。
■ 主要キャラクター
余:物語の語り手である30歳の洋画家。世俗の煩わしさを嫌い、感情や情熱に流されない「非人情」の心境に憧れ、旅先で出合う風景や人々を独自の芸術的視点で観察する。
那美:温泉宿の娘。かつて嫁いだ先から離縁して戻ってきた過去を持つ。周囲からは「気狂い」と噂されるほど型破りな行動をとるが、主人公は彼女の振る舞いに類まれな美しさを見出し、自身の絵のモチーフとして強く惹かれていく。
■ 物語の特徴
本作の最大の特徴は、小説でありながら「俳句的な美しさ」を意識した芸術論としての側面を持つ点である。一般的な起承転結を主軸とした物語とは異なり、著者の文学的・美学的思想が色濃く反映された「感覚美」の追求がなされている。冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」という一節に代表される、生きづらい社会に対する批評的な視点と、それを超克しようとする芸術の力は、現代の読者にとっても普遍的な思索の糧となる。また、説明的な描写を極力排し、読者の脳裏に鮮やかな色彩の情景を浮かび上がらせる筆致は、他の漱石作品と比較しても極めて独創的である。
書籍情報
草枕
著者:夏目漱石 氏
初出:1906年(明治39年)『新小説』
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あらすじ・内容
明治期の文学者、夏目漱石の初期の中編小説。初出は「新小説」[1906(明治39)年]。「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」との書き出しは有名。三十歳の画家の主人公が文明を嫌って東京から山中の温泉宿(熊本小天温泉)を訪れ、その宿の美しい娘、那美と出会う。那美の画を描くことをめぐって展開するストーリーに沿って、俗塵を離れた心持ちになれる詩こそ真の芸術だという文学観と「非人情」の美学が展開される。低徊趣味や俳句趣味の色濃い作品。
感想
読んでまず印象に残ったのは、主人公である画家の「余」が抱く世俗への強い距離感である。
余は智・情・意地が複雑に絡み合う人間社会を煩わしく感じ、芸術家として一歩引いた場所から世界を眺めようとする。
読んでいて興味深かったのは、それが単なる現実逃避ではないという点だ。
彼は現実を否定しているわけではない。むしろ人間の苦悩や葛藤を、美という視点を通して見つめ直そうとしている。その姿勢には、現実と向き合いながらも飲み込まれないための知恵のようなものを感じた。
また、本作の魅力として自然描写の美しさも挙げられる。
山中の温泉地で過ごす余は、人間社会の喧騒から離れ、自然の中へ溶け込むような感覚を味わっていく。
読んでいるこちらも、忙しない日常から少し距離を置き、静かな風景を眺めているような気分になった。
百年以上前の作品でありながら、その空気感は今読んでも不思議な心地よさがある。
そんな余の前に現れるのが、温泉宿の娘である那美だ。
彼女はどこか捉えどころがなく、余は芸術家として彼女を理解しようと試みる。しかし、簡単にはその本質へ辿り着けない。
読んでいて感じたのは、余が追い求めているのは単なる女性としての那美ではなく、人間そのものの本質なのではないかということだった。
だからこそ二人の関係は恋愛小説のようには進まず、どこか哲学的で不思議な緊張感を保ち続けている。
そして終盤、日露戦争へ向かう若者を見送る場面で、那美の表情に「憐れ」が浮かび上がる。
この場面は本作の中でも特に印象深かった。
それまで超然とした存在にも見えていた那美が、一人の人間として感情を見せる。
その瞬間に余は、長く追い求めていた芸術的な完成形を見出すのである。
人間の根源的な感情を目の当たりにしたことで、余の中で一枚の絵が完成するという結末には深い余韻が残った。
読んでいて感じたのは、『草枕』は「非人情」を描いた作品でありながら、実際には人間の感情を非常に丁寧に見つめた物語だということである。
感情に流されない立場から人間を観察しようとする余だったが、最終的に彼が辿り着いたのもまた人間の感情だった。
その過程が非常に興味深かった。
自然、美、そして人の心。
それらを静かに見つめながら描かれる本作は、派手な物語ではない。
しかし、だからこそ読後には不思議な余韻が残る。
百年以上前の作品でありながら、今なお多くの読者を惹きつける理由がよく分かる一冊だった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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考察・解説
非人情の旅
『草枕』における主人公の非人情の旅は、世俗の利害や人間関係のしがらみから離れ、純粋に芸術的な観点から世界を眺めようとする試みである。この非人情の思想と旅の展開については、以下のポイントにまとめられる。
世の中の住みにくさと芸術の役割
物語の冒頭で、主人公は「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と思索する。
- 人間の世は利害や感情が絡み合うため、どこへ行っても苦労や煩わしさから逃れることはできない。
- 金や恋など、喜びに思えるものすら、深まればかえって苦しみを生む。
この住みにくい世を少しでも寛いで生きるために必要なのが、詩や画などの芸術である。芸術とは、自己の利害を棚に上げ、余裕のある第三者の立場に立つことで、現実の苦しみを離れて景色や物事を一幅の画や一巻の詩として美しく眺める行為だと主人公は考えている。
東洋的な出世間の境地への憧れ
主人公が目指す非人情とは、愛や正義、自由といった西洋文学が重視するような世俗的な感情すらも超越した状態である。
- 西洋の詩歌が浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じているのに対し、陶淵明や王維などの東洋の詩歌は、超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちを与えてくれる。
主人公が絵の具箱を背負って春の山路を歩くのは、この東洋の詩人たちの境地を吸収し、少しの間でも非人情の天地に遊びたいという願いからである。
見立てによる人間観察
しかし、旅をしていても完全に人間と関わらずにいることは不可能である。そこで主人公は、以下のような方針を立てる。
- 旅先で出会う人々を、現実の人間としてではなく大自然の点景や能役者の所作、画中の人物として仮定して観察する。
- 相手の心理や事情を詮索したり、利害の交渉を持ったりすれば俗になってしまうため、超然とした遠い上から見物し、美的に鑑賞しようと試みる。
非人情の観察と憐れの完成
この旅における最大の観察対象となるのが、那古井の温泉宿の娘である那美である。
- 彼女は突拍子もない行動や謎めいた言葉で主人公を翻弄するが、主人公は彼女の背景にある義理や人情を詮索せず、あくまで画の題材や芝居として彼女を見ようと努める。
- 鏡が池のほとりで那美を画にしようと考えた際、主人公は彼女の顔の表情に何かが足りないことに気づく。嫉妬や怒り、恨みなど様々な感情を思い浮かべた末、足りないのは憐れの情だと悟る。
- 那美の普段の顔には、人を馬鹿にする微笑と焦りしかなく、もし一瞬でも憐れが閃けば画が成就すると考える。
その瞬間は、旅の終わりに訪れる。
- 満州の戦場へ向かう従弟の久一を駅で見送る際、動き出した汽車の窓から、没落して満州へ渡ろうとしている那美の元夫が顔を出す。
- その時、汽車を見送る那美の顔に、今まで見たことのない憐れが浮かぶ。
それを見た主人公は「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と告げるのである。
まとめ
徹底して世俗のしがらみを退けて世界を美的に観想しようとした非人情の旅は、最後に過酷な現実に直面した人間の根源的な感情である憐れを美として見出した瞬間に、主人公の胸中で一枚の芸術として完成を迎えたのである。
芸術家の使命
『草枕』における主人公(余)の思索を通じて、「芸術家の使命」は本作の根幹をなすテーマとして語られている。芸術家の使命やその役割については、以下のポイントで考察できる。
住みにくい世を長閑にし、人の心を豊かにする使命
物語の冒頭で主人公は、智・情・意地が絡み合う人の世は住みにくいと定義するが、そこから逃げ出して人でなしの国へ行くことはできないと悟る。
- この越すことのできない住みにくい世の中を少しでも寛いで、束の間でも住みよくすることが詩人や画家の天職であり使命であると語っている。
- 彼らは、自己の利害を棚に上げて第三者の余裕ある視点に立つ。
- 世俗の煩わしさや苦しみを引き抜いて、世界を一幅の画や一巻の詩として美しくまのあたりに写し出すことで、人の心を豊かにし、世の中を長閑にする尊い役割を担っているのである。
自身の苦悩を客観化する義務
主人公は、詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有していると述べている。
- これは、腹立ちや悲しみなどの自己の苦痛を、そのまま抱え込むのではなく、俳句や画といった芸術の形にまとめる(自己から遊離させる)行為を指す。
- 例えば、涙をこぼした時にそれを即座に十七文字の俳句にすれば、苦しみの涙は自分から切り離され、おれは泣く事の出来る男だという客観的な嬉しさだけの自分になることができる。
- このように、自らの感情や苦悩を美的な観想の対象へと昇華させることも、芸術家の重要な姿勢とされている。
美しき所作による他者の教化と天下の模範
さらに主人公は、あえて人情なる狭き立脚地に立って世俗の観点から芸術を定義するならば、それは邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強をくじき、どうしても堪えられぬと云う一念の結晶であると語る。
- 芸術家(画工)は、美的な趣味を追求する者であるからこそ、世俗の没風流漢よりも高尚であり、社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っていると強い自負を見せる。
- 芸術のたしなみがある者は、そうでない者よりも美しき所作を実践することができる。
- その所作こそが俗世における正・義・直の体現となって、天下の公民の模範になるべきであると主張している。
まとめ
総じて『草枕』における芸術家の使命とは、単に美しい作品を制作することにとどまらず、煩悩や利害にまみれた現実世界に美と余裕をもたらし、自らの苦悩すらも美に昇華させ、さらにはその美的な生き方(所作)そのものをもって社会の模範となるという、極めて倫理的かつ崇高なものとして描かれている。
自然との同化
『草枕』において自然との同化は、利害や煩悩に満ちた俗世から解放され、純粋な芸術的境地へ達するための最も重要なプロセスとして描かれている。主人公は、自然の景物と一体化することで自己の苦悩や執着を消し去り、絶対的な美と安らぎを得ようと試みる。自然との同化の様相については、以下のポイントにまとめられる。
所有を捨ててその物になり済ますこと
主人公は、富や名誉など物に着することから苦しみが生まれると考えている。
- 真の詩人や画家の楽しみは物を所有することではなく、対象に同化してその物になることにある。
- ある時は一弁の花に化し、ある時は一双の蝶に化すなど、自然の景物と完全に一体化した時、自己を主張する余地は茫々たる大地を探しても見出せなくなる。
- そこに徹骨徹髄の清き境地が現れると語っている。
刺激のない安楽としての春との同化
主人公の同化は、特定の事物だけにとどまらない。縁側でまどろむ彼は、自分の心が特定の何かではなく、ただ春と共に動いていると感じる。
- 春の色、風、音といった精気が知らぬ間に毛穴から染み込み、心が春そのもので飽和されてしまった状態である。
- 彼は、普通の同化には刺激や愉快さが伴うが、自分が何と同化したか分からないほどの同化は毫も刺激がないため、窈然として名状しがたい楽をもたらすと表現している。
- それを海の底をゆっくりと動く水流のようだとも形容している。
湯泉との同化と風流な土左衛門
温泉の湯船に浸かっている際にも、主人公は同化の感覚を深く味わっている。
- 分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずすことで、クラゲのように魂を漂わせ、湯泉そのものと同化してしまう。
- 彼は流れるものほど生きるに苦は入らぬと思索を進め、流れる水の中に魂まで任せてしまう土左衛門すらも風流であるという独自の美意識を展開している。
- ミレーの描いた水に浮かぶオフェリアの姿にも芸術的な共感を寄せている。
徹底した平等観と真の芸術家の完成
主人公にとって自然とは、人間の権力を全く意に介さず、冷然として対絶の平等観を無辺際に樹立している存在である。
- だからこそ、人間社会で探偵に監視されるような窮屈な生活を離れ、名も知らぬ山里の暮れんとする春色のなかに五尺の痩躯を埋めつくし、自然の中に完全に没入した時に初めて、真の芸術家としての態度を確立することができる。
- その時、美の天下を我が物にすることができるのだと確信している。
まとめ
このように『草枕』における自然との同化は、自己という窮屈な枠組みを自然界へと溶かし去ることで住みにくい世を超越しようとする、主人公の芸術至上主義的な生き方そのものを表している。
日常からの解脱
『草枕』において、日常からの解脱は、主人公(余)が利害や感情に縛られた住みにくい世から逃れ、純粋な芸術的境地(非人情)へと至るための中心的なテーマとして描かれている。この試みは、以下のポイントから考察できる。
住みにくき世からの逃避と芸術の力
主人公は、人間の世は智・情・意地が絡み合い、どこへ行っても苦労や煩わしさから逃れることはできない住みにくい場所であると思索する。
- 金や恋など、喜びに思えるものすら、深まればかえって苦しみを生むのが日常である。
- この煩わしい日常から一時的にでも解脱し、世界を美しく眺め直すための手段が芸術であると主人公は考えている。
- 愛や正義といった世俗的な人情にとらわれた西洋の詩歌よりも、利害損得の汗を流し去った陶淵明や王維のような東洋の詩歌の出世間的な境地(非人情)に憧れ、春の山路へと旅に出るのである。
見立てによる人間関係からの超越
旅先であっても、人間と完全に関わらずにいることは不可能である。そこで主人公は、以下のような方針を立てる。
- 出会う人々を現実の人間としてではなく、大自然の点景や能役者の所作、画中の人物として仮定して観察する(見立てる)。
- 相手の心理や事情を詮索したり、利害の交渉を持ったりすれば俗(日常)に引き戻されてしまうため、超然とした遠い上から見物し、純粋に美的に鑑賞しようと努める。
- 自らの感情すらも、腹立ちや悲しみを即座に十七文字の俳句にまとめることで、自己から切り離し(解剖し)、客観的な観想の対象へと昇華させようとするのである。
自然との同化による我の忘却
日常の煩悩から解脱するための究極のプロセスが自然との同化である。
- 主人公は、物を所有すること(執着)を捨て、対象に同化してその物になることで苦しみが消え、徹骨徹髄の清き境地が現れると語っている。
- 例えば、春の色や風といった精気が毛穴から染み込み、心が春そのもので飽和されてしまうことで、刺激のない名状しがたい楽を感じる。
- また、温泉に浸かっている際にも分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずすことで湯泉と同化し、流れる水に魂を任せてしまう土左衛門(水死体)すらも風流であるという独自の境地に至るのである。
解脱の限界と憐れの発見
徹底して人情を排そうとした非人情の旅であるが、那古井の宿の娘・那美の不可解な行動や、日露戦争という避けられない現実(出征する青年・久一)の介入によって、完全に日常から解脱し続けることはできない。
- しかし、旅の終着点である駅のホームで、満州へ出征する久一を乗せた汽車が動き出し、偶然その汽車に乗っていた没落した元夫の姿を見た那美の顔に、これまで欠けていた憐れの感情がふっと浮かび上がる。
- 過酷な日常(現実と運命)に直面した人間の根源的な感情である憐れを、主人公が第三者の視点から一つの美(画)として客観的に見出したその瞬間に、彼の求めていた非人情の芸術は胸中で見事な完成を迎えるのである。
まとめ
このように『草枕』における日常からの解脱は、現実を完全に捨て去るのではなく、現実の苦悩やしがらみを芸術のフィルターを通して美へと昇華させるための、極めて高度な心的態度の獲得として描かれている。
那美の謎
『草枕』における最大の謎であり、物語の核心を担うのが、那古井の温泉宿の娘である那美の存在である。彼女の予測不能な言動や不可解な表情は、主人公(余)の非人情の旅を大きく揺さぶり、最終的に彼の芸術を完成させる重要な役割を果たしている。那美の謎めいた人物像については、以下のポイントで考察できる。
世間からの気狂いというレッテルと不幸な過去
那美は、京都での遊学経験があり、教養と美貌を兼ね備えた女性であるが、銀行の破綻によって婚家を離縁され、実家に出戻ってきた身である。
- 茶店の婆さんによれば、彼女はかつて二人の男の間で苦しみ、淵川に身を投げた伝説の長良の乙女のように運命に翻弄された過去を持っている。
- 村人や床屋の親方からは、寺の若い坊主に抱きついたなどの突飛な噂を立てられ、気狂い扱いされている。
- しかし、観海寺の大徹和尚からは機鋒の鋭い女と高く評価されており、世俗の枠に収まりきらない彼女のスケールの大きさが、俗人には狂気と映っていることが窺える。
悟りと迷いが同居する統一感のない顔
余が初めて那美の顔をまともに見たとき、その表情には静と動、軽薄さと慎み深さ、悟りと迷いが同居しており、激しい違和感を覚える。
- 余はこれを、彼女が不幸に圧し潰されながらもそれに打ち勝とうとしている、心に統一のない証拠だと見抜いている。
- 普段の彼女の顔には、人を馬鹿にする微笑と、勝とうと焦る気配ばかりが満ちている。
- 強がりと葛藤が彼女の心を支配していることが示されている。
美しくも不可解な非人情の所作
那美の行動は常に主人公の意表を突くものである。
- 春の夜に長良の乙女の歌を口ずさみながら朧気に現れたり、夜の廊下を振袖姿で幽霊のように往復したり、風呂場に全裸で現れたりと、その所作はあまりにも現実離れしている。
- また、余の非人情な恋愛観に飄々と応じ、因縁のある鏡が池については、身を投げるに好い所です、私が身を投げてやすやすと浮いているところを綺麗な画にかいて下さいと、自らの死すらも芸術的かつ非人情的に語る不気味さを持っている。
- 余は彼女の行動を芝居や画中の人物として観察し、美的な対象としてのみ捉えようと努めている。
苛烈な態度と最後に現れた憐れ
彼女の気性の激しさは、満州へ出征する従弟の久一に対する言葉にも表れている。
- 御前も死ぬがいい、生きて帰っちゃあ外聞がわるい、死んで御出でという過激な言葉は、彼女の死生観や国家観の苛烈さを示している。
- 一方で、自分を離縁し没落して満州へ渡ろうとしている元亭主に対しては、言葉を交わすことなく懐から財布を差し出して金を渡すという、複雑な態度を見せる。
- 余は那美を絵に描こうと試行錯誤するが、彼女の顔には神にもっとも近い人間の情である憐れが欠けているため画にならないと悩んでいた。
- しかし物語の結末、停車場から離れていく汽車に乗る元亭主と那美がふと顔を見合わせた瞬間、彼女の顔にこれまで一度も見せなかった憐れの表情が一面に浮かび上がる。
まとめ
過酷な運命に直面した人間に対する根源的な憐れが彼女の顔に現れた瞬間、余は「それだ、それが出れば画になりますよ」と告げる。那美の謎に満ちた存在は、余の胸中で見事な一枚の芸術として完成を迎えるのである。
憐れの完成
『草枕』の結末において描かれる憐れの完成は、主人公が追求してきた非人情の芸術が、逆説的にも最も深い人間の感情を通して成就する瞬間を描いた、本作の最大のクライマックスである。この憐れの完成に至るまでの過程とその意義については、以下のポイントで考察できる。
芸術の欠落としての憐れ
主人公は那古井の宿で出会った那美を、ミレーの描いたオフェリアに重ね合わせ、彼女が水に浮かぶ姿を画にしようと構想する。しかし、彼女の顔を想像した時、どうしても画が成り立たないことに気づく。
- さまざまな情緒を当てはめてみた末に、主人公は彼女の顔に欠けているものが憐れという感情であると悟る。
- 主人公にとって憐れとは、神の知らぬ情で、しかも神にもっとも近き人間の情という極めて崇高なものであった。
- しかし、普段の那美の顔には人を馬鹿にする微笑と、勝とうと焦る八の字ばかりが充満しており、この憐れの念が少しも表れていないため、画として物足りなかったのである。
主人公は、ある咄嗟の衝動で彼女の顔にこの情が閃いた瞬間にこそ、自分の画が成就すると予感していた。
停車場での過酷な現実
その瞬間は、旅の終わりである停車場で訪れる。
- 主人公たちは、満州の戦場へ出征する青年の久一を川舟と汽車で見送る。
- 那美はここでも死んで御出でと苛烈な言葉を投げかけ、強気な態度を崩さない。
- 容赦のない文明の象徴である汽車が動き出し、行く者と見送る者との因果が次第に断ち切られていく中、最後の三等列車の窓から突然、茶色の中折帽を被った野武士のような男が名残惜しげに顔を出す。
- それは、那美を離縁し、没落して満州へ渡ろうとしている彼女の元夫であった。
憐れの顕現と芸術の成就
動き出す汽車の中で、那美と元夫は思わず顔を見合わせる。
- 元夫の顔が走り去る汽車とともに消えた後、那美は茫然として汽車を見送る。
- そして、その茫然とした彼女の顔に、これまで主人公が一度も見たことのなかった憐れの感情が一面に浮かび上がったのである。
- 過酷な運命に直面し、強がりや虚栄心を取り払われた瞬間に、彼女の奥底にあった人間としての根源的な憐れが引き出された。
それを見た主人公は、思わず那美の肩を叩き、それだ、それだ、それが出れば画になりますよと小声で告げるのである。
まとめ
世俗の利害や人情を徹底して排斥し、すべてを非人情の観点から美的に眺めようとした主人公の旅は、現実の過酷な運命に翻弄される人間の最も深い情である憐れに直面し、それを第三者の視点から一つの芸術として捉えきったその刹那に、胸中の画面が見事に成就するという、感動的な結末を迎えたのである。
登場キャラクター
主人公
余
本作の主人公であり、世俗の利害や人情を離れた非人情の境地を求める30歳の画工である。那美の不可解な言動に翻弄されながらも、彼女を芸術の対象として観察しようと試みる。
・所属組織、地位や役職
画工。詩人。
・物語内での具体的な行動や成果
絵の具箱と三脚を担いで春の山路を歩き、那古井の温泉宿に滞在する。旅先で出会う人々や出来事を絵や詩として捉えようと試みた。最終的に那美の顔に憐れの表情を見出し、胸中で画を完成させた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
現実の俗世から逃れるために旅へ出た。しかし那美や出征する久一の姿を通じて、完全に人情を捨てることはできないと気付く。人間の深い感情に触れることで、芸術を成就させた。
志保田家
志保田の隠居
那古井の宿の主人で、那美の父親である。かつて東京に住んでいたことがあり、現在は骨董品を愛好しながら静かに暮らしている。
・所属組織、地位や役職
那古井の温泉宿の隠居。
・物語内での具体的な行動や成果
余や大徹和尚、久一を自室に招いて茶を振る舞った。自慢の端渓硯などを客へ披露する。甥である久一の出征に際しては、川舟に乗って吉田の停車場まで彼を見送った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
妻を前年に亡くしている。娘の那美が出戻ってきたことを案じながらも、道具を弄って平穏に過ごしている。
那美
志保田の隠居の娘である。銀行の破綻によって離縁され、実家へ出戻っている。
・所属組織、地位や役職
志保田家の娘。
・物語内での具体的な行動や成果
夜の廊下を振袖姿で歩き、風呂場に裸身で現れて余を翻弄する。満州へ出征する従弟の久一へ短刀を渡した。別れ際には元夫へ金を渡して立ち去った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
村人からは気狂い扱いされている。しかし大徹和尚からは機鋒の鋭い女と評価されている。最後に元夫の姿を見た際、それまで欠けていた憐れの表情を浮かべた。これが余の芸術を完成させる契機となった。
那美の兄
那美の兄であり、蜜柑山の白壁の家に住んでいる。
・所属組織、地位や役職
志保田家の本家の主。
・物語内での具体的な行動や成果
久一を吉田の停車場まで見送る際、川舟に同乗した。軍隊の話を久一と交わす。那美に対しては、軍人になったら強かろうと冗談を言った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
那美とは仲が悪いと村の床屋で噂されている。
久一
那古井の宿を訪れていた青年である。志保田の隠居の甥にあたる。
・所属組織、地位や役職
軍人。志保田の隠居の甥。
・物語内での具体的な行動や成果
鏡が池で写生をしていたところを和尚に見つかる。那美から短刀を餞別に受け取った。停車場から汽車に乗って満州の戦地へ向かった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
日露戦争で召集された。芸術や夢を追い求める余とは対照的に、過酷な現実の運命に引き寄せられていく存在として描かれている。
小女郎
那古井の温泉宿で働く若い下女である。
・所属組織、地位や役職
那古井の温泉宿の下女。
・物語内での具体的な行動や成果
余が宿に到着した際の案内や給仕を担当した。湯壺への案内なども無言に近い形でこなしている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
赤い帯を締め、古風な紙燭を手に余を案内した。その姿は、余に現実離れした感覚を与えた。
観海寺
大徹
観海寺の住職である。達磨のような丸顔と白い髭を持つ老人である。
・所属組織、地位や役職
観海寺の和尚。
・物語内での具体的な行動や成果
隠居の部屋で余や久一とともに茶を飲み、骨董や絵について語り合った。寺を訪れた余を迎え入れ、那美の性格や泰安の出奔について説明している。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
世俗の知識には疎い。しかし心に執着を留めない性格であり、余から真の芸術家の資格を持つ人物だと評されている。
了念
観海寺に住む小坊主である。
・所属組織、地位や役職
観海寺の小坊主。
・物語内での具体的な行動や成果
村の床屋へ髪を剃りに来て、親方と軽口を叩き合う。夜に寺を訪れた余を案内し、下駄を揃えさせた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
お使いの途中で道草を食っても和尚に怒られないなど、のびのびと暮らしている。
泰安
かつて観海寺にいた納所坊主である。
・所属組織、地位や役職
観海寺の元納所坊主。
・物語内での具体的な行動や成果
那美へ思いを寄せて手紙を送った。しかし逆に本堂で那美から抱きつかれて面食らい、寺から姿を消した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
床屋の親方は恥をかいて死んだと噂している。しかし了念によれば陸前の大梅寺へ修行に行っており、後に良い知識になると大徹和尚から期待されている。
村の住人・その他の人物
茶店の婆さん
山道にある茶店を営む老女である。かつて志保田家に奉公していた。
・所属組織、地位や役職
茶店の主人。
・物語内での具体的な行動や成果
雨宿りに訪れた余に茶と菓子を出した。那古井の嬢様の嫁入りや、長良の乙女の伝説について余へ語って聞かせる。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
余は彼女の顔を能の高砂の媼に重ね合わせた。春の山路にふさわしい人物として絵に描こうとした。
源兵衛
村の馬子であり、那古井の住人である。
・所属組織、地位や役職
馬子。薪売り。
・物語内での具体的な行動や成果
茶店に立ち寄って婆さんと世間話をする。那美の嫁入りの際には馬を引いたことを振り返った。のちに鏡が池でも余と出会い、池の伝説について語っている。久一が旅立つ際には荷物の世話をして舟に同乗した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
特になし。
髪結床の親方
村の床屋を営む江戸っ子の職人である。神田松永町の出身で、食い詰めて田舎に流れてきた。
・所属組織、地位や役職
髪結床の親方。
・物語内での具体的な行動や成果
余の髭を乱暴に剃り上げる。志保田の隠居や那美に関する噂、泰安の騒動について一方的に語り聞かせた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
その俗っぽさがかえって春の長閑さを際立たせる存在として、余から観察された。
野武士のような男
那美の元夫である。髭を生やし、中折帽と藍縞の着物に下駄という粗野な身なりをしている。
・所属組織、地位や役職
特になし。
・物語内での具体的な行動や成果
草原で那美と出会い、無言のまま彼女から金を受け取って立ち去る。その後、久一が乗る汽車の窓から顔を出した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
事業に失敗して没落し、満州へ渡ろうとしている。彼が汽車から顔を出したことが、那美の顔に憐れの表情を引き出す決定的な要因となった。
釣人
川の岸辺にある大きな柳の下で、舟に乗って釣りをしている男である。
・所属組織、地位や役職
特になし。
・物語内での具体的な行動や成果
余たちの乗る川舟が通り過ぎる際、顔を上げて久一と目を合わせた。しかしすぐに釣りに戻っている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
他人の事情に無関心な彼の態度は、余へ浮世の距離感のありがたさを感じさせた。
胃病の田舎者
停車場前の茶店に座っていた男である。
・所属組織、地位や役職
特になし。
・物語内での具体的な行動や成果
膝に継布を当てた姿で、牛のように胃袋が二つあるといいと隣の男と語り合っていた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
余の写生帖に姿を描き取られた。満州へ赴く青年の運命や現代文明の弊害などとは無縁に生きている存在として描写されている。
御倉さん
余の幼少期の記憶に登場する酒屋の娘である。
・所属組織、地位や役職
万屋の娘。
・物語内での具体的な行動や成果
春の昼過ぎになると必ず長唄の稽古をしていた。幼い頃の余は、庭でその音を聴くのを日課としていた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
那古井の温泉宿で聞こえてきた三味線の音から、余が昔の情景を思い出すきっかけとなった。
伝説の人物
長良の乙女
この村に伝わる昔話に登場する人物である。
・所属組織、地位や役職
長者の娘。
・物語内での具体的な行動や成果
二人の男から懸想されて思い悩む。あきづけばという和歌を残して淵川へ身を投げた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
その境遇が那美の身の上と重なるとして、茶店の婆さんによって語られた。
ささだ男
長良の乙女に懸想した二人の男のうちの一人である。
・所属組織、地位や役職
特になし。
・物語内での具体的な行動や成果
長良の乙女に求婚し、彼女を悩ませた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
那美は、自分ならささだ男もささべ男も男妾にすると語っている。
ささべ男
長良の乙女に懸想した二人の男のうちのもう一人である。
・所属組織、地位や役職
特になし。
・物語内での具体的な行動や成果
ささだ男と共に長良の乙女に求婚し、悲劇の原因となる。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
ささだ男と同様、那美の恋愛観を引き出すための比較として出された。
志保田の庄屋
鏡が池の伝説に登場する人物である。
・所属組織、地位や役職
志保田家の先祖。
・物語内での具体的な行動や成果
娘が虚無僧と一緒になりたいと頼んだが、聞き入れずに彼を追い出した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
この行動が原因で娘は身投げをした。これが鏡が池の伝説となった。
虚無僧(梵論字)
鏡が池の伝説に登場する僧である。
・所属組織、地位や役職
虚無僧。
・物語内での具体的な行動や成果
志保田の庄屋に滞在していたところ、庄屋の娘に見初められる。しかし庄屋によって追い出された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
娘は彼の後を追って身を投げたため、池の伝説の発端となっている。
集団
村のもの
那古井の村に住む人々である。
・所属組織、地位や役職
村民。
・物語内での具体的な行動や成果
那美の言動を噂し、彼女を気狂いとして扱っている。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
世俗の常識にとらわれており、那美の本当の人物像を理解できていない存在として描かれている。
展開まとめ
一
住みにくい世への思索
山路を登りながら、余は人の世の住みにくさについて考えていた。智を働かせれば角が立ち、情に流されれば翻弄され、意地を通せば窮屈になる。人間同士が作り上げた世の中そのものが、生きづらさを生み出しているのだと感じていた。
しかし、どこへ行っても人の世から逃れることは出来ない。だからこそ、少しでも住みやすくするために詩や絵画が必要になるのだと考えていた。芸術は、煩わしい俗世を一時忘れさせ、人の心を豊かにする力を持っているのである。
余は、芸術とは現実の苦しみをそのまま写すだけではなく、俗世を清らかなものとして眺め直す行為だと考えていた。そして、詩人や画家とは、そうした視点を持つことで俗世の束縛から解放される存在なのだと感じていた。
人生観と世俗への疲労
余はこれまでの人生を振り返り、喜びには必ず苦しみが伴い、楽しいことほど後に重荷になると悟っていた。金が増えれば心配も増え、恋が深まれば失う不安も大きくなる。世の中とは、そのような矛盾に満ちた場所だったのである。
だからこそ、利害や感情から離れた境地へ身を置きたいと願っていた。自然の中で芸術的な視点を持てば、煩悩から離れた清浄な世界へ近づけるように思えたのである。
山路の景色
歩いているうち、余は険しい山路と周囲の風景を眺めていた。蒼黒い木々の中に山桜が霞み、禿山や赤松が遠くに見えていた。路は岩や石だらけで歩きづらく、川底のように窪んでいた。
しかし余は急ぐ旅ではなかったため、七曲りをぶらぶら進みながら、自然の姿をゆっくり味わっていた。
雲雀と菜の花
やがて足元から雲雀の鳴き声が聞こえてきた。姿は見えないが、声だけが空へ向かってどこまでも登っていくように響いていた。余は、雲雀が雲の中へ消え、声だけが空へ残るのではないかと空想していた。
さらに崖下を見下ろすと、一面の菜の花畑が広がっていた。余は、雲雀が菜の花の黄金色の原から飛び立っていくように感じ、その景色へ強い喜びを覚えていた。
春になると、人間は借金すら忘れるほど気が緩む。しかし菜の花や雲雀を見ると、魂の在り処がはっきりするように感じられた。余にとって雲雀は口で鳴いているのではなく、魂全体で歌っている存在だったのである。
シェリーの詩と詩人の苦悩
余はシェリーの雲雀の詩を思い出し、覚えている部分を口の中で暗唱した。その詩には、真実の笑いには悲しみが伴い、美しい歌ほど深い哀しみを含んでいると書かれていた。
余は、詩人とは幸福なだけの存在ではなく、常人以上に鋭敏で苦悩の多い存在なのかもしれないと考えた。芸術的感性は超俗的な喜びを与える一方で、深い悲しみも背負わせるのである。
自然と非人情の境地
余は、自然を詩や絵画として眺めている間は、利害や苦労が生まれないことに気付いていた。景色を土地や利益として見れば俗世へ戻ってしまうが、純粋に美として見れば心は穏やかになるのである。
そのため余は、人情や利害から離れた「非人情」の境地へ憧れていた。普通の芝居や小説は人情を刺激し、読者を苦しみへ巻き込む。しかし余が求めているのは、世俗を離れた静かな詩境だった。
西洋文学は愛や正義など現実の人間関係を重視しているが、東洋詩には俗世を超越した境地があると余は考えていた。陶淵明や王維の詩は、利害損得を忘れさせ、眠るような安らぎを与えてくれるのである。
旅の目的と人間観察
余は、こうした非人情の世界へ少しでも近づくために旅へ出ていた。絵の具箱と三脚を担ぎ、自然の中を歩きながら、俗世から離れた感覚を味わおうとしていたのである。
もっとも、完全に人情を捨てることは出来ない。旅先では人間とも出会う。しかし余は、これから出会う人々を能の役者や絵の中の人物のように観察し、利害抜きに芸術的対象として見ようと決意していた。
そうすることで、人間同士の感情的衝突から距離を置き、美そのものを味わえると考えていたのである。
春雨の中の孤独
やがて空模様が怪しくなり、春雨が降り始めた。余は雨具を持っていなかったため、濡れながら歩き続けた。雨に煙る山々や木々は、夢の中の景色のようにぼんやりとしていた。
途中で馬子と出会い、茶屋までまだ十五丁あると聞かされた。雨脚はさらに強くなり、余の羽織や肌着はすっかり濡れてしまった。
余は、自分自身を一人の旅人ではなく、雨の風景の中へ溶け込んだ絵の中の人物として眺めようとしていた。しかし、雨の冷たさや足の疲れを意識した瞬間、非人情の境地は崩れ、自分もまた俗世の一人に過ぎないと思い知らされていた。
二
山中の茶店への立ち寄り
余は雨を避けるため、山中の小さな茶店へ立ち寄った。声を掛けても返事はなく、煤けた障子や吊された草鞋、駄菓子箱と散らばった銭だけが静かに置かれていた。鶏が臼の上で羽を膨らませ、線香だけがのんびりと煙を上げていた。
余は返事を待たずに中へ入り、床几へ腰を下ろした。都会なら考えられない無防備さでありながら、それがかえって非人情な世界の趣として面白く感じられていた。
やがて奥から婆さんが現れ、余を火へあたらせて茶を出した。鶏を追い払いながら世話を焼く様子は自然で穏やかであり、余はその姿へ強く惹かれていた。
婆さんの姿への感銘
余は婆さんの顔を見て、以前宝生の舞台で見た『高砂』の媼を思い出していた。老女でありながら穏やかで柔らかな表情を持つその面影が、目の前の婆さんと重なって見えたのである。
さらに、蘆雪の描く山姥のような凄みではなく、春風や桜へ自然に溶け込むような優しさを感じていた。余は、天狗岩を指差す袖無し姿の婆さんこそ、春の山路へ最も相応しい景物だと考えていた。
そのため余は写生帖を取り出し、婆さんの横顔や姿勢を描き始めた。しかし描こうとした瞬間、婆さんは自然に動いてしまい、余は芸術として固定出来ない現実の存在に、どこかもどかしさを感じていた。
自然への感受と俳句
婆さんと会話を交わす中で、余は山里の静けさや鶯の声について尋ねた。婆さんは、この辺りでは夏も鶯が鳴くと語った。
竈の火にあたりながら、余は煙や山嵐、天狗岩の景色を眺めていた。雨上がりの山の風景は清々しく、余は自然と絵や詩の題材としてそれらを捉えていた。
その後、馬の鈴の音や馬子唄を聞きながら、余は句を帳面へ書き付けた。春雨の山路と馬子唄の響きは、俗世から離れた夢のような調和を生み出していたのである。
源さんと那古井の嬢様の話
やがて源さんという馬子が現れ、婆さんと世間話を始めた。その中で、那古井の嬢様の話題が持ち上がった。
婆さんによれば、その嬢様はかつて裾模様の振袖と高島田姿で、馬へ乗って嫁入りしていったという。桜の花びらが髪へ散りかかった光景を、婆さんは今でも鮮明に覚えていた。
余はその情景を想像し、写生帖へ句を書き付けた。しかし花嫁の顔だけはどうしても思い浮かばず、代わりに西洋絵画のオフェリアの姿が頭へ浮かんできたため、その想像を打ち消していた。
長良の乙女の伝説
さらに婆さんは、那古井の嬢様を「長良の乙女」に似ていると語り始めた。
昔この土地には、長者の娘である長良の乙女という美しい女性がいた。二人の男から求婚された彼女は、どちらへも靡けず、ついには歌を残して淵川へ身を投げたという。
婆さんは、那古井の嬢様もまた二人の男に求められ、一方を望みながら親の都合で別の男へ嫁がされたのだと語った。その後、世間では彼女を薄情だと噂したが、本来は内気で優しい人物だったらしい。近頃は気性が荒くなり、周囲も心配しているという。
余は、このまま話を聞き続ければ、せっかく築いてきた非人情の境地が崩れてしまうと感じていた。人情話へ深入りすれば俗世の匂いが強くなり、旅の趣が失われてしまうからである。
旅立ち
余は会話を切り上げ、茶代として十銭銀貨を床几へ置いた。婆さんは、長良の乙女の五輪塔を通る近道を教えながら、気を付けて行くよう送り出した。
三
宿で感じた非現実感
余が那古井の宿へ着いたのは夜八時頃だった。暗さのため建物の様子も分からず、廻廊のような場所を幾度も通された末、小さな座敷へ案内された。
不思議だったのは、取次から給仕、湯壺への案内、床敷きまで、すべて一人の小女が無言に近いまま世話をしていたことである。赤い帯と古風な紙燭を手に、同じような廊下や階段を幾度も行き来する姿を見ているうちに、余は自分が現実ではなく絵の中を歩いているような気分になっていた。
さらに、夜になると宿全体から人の気配が消え失せ、余は奇妙な孤独感を覚えていた。昔房州を旅した際、荒れた大きな家で一夜を明かした時の、不気味で幻想的な記憶まで思い出されていた。
室内の美術品と夢想
床には若冲の鶴の図が掛かり、欄間には黄檗風の書が掲げられていた。余は、その書や絵へ美術的な興味を抱きつつ眺めていた。
やがて眠りへ落ちると、長良の乙女と那古井の嬢様の話が混ざり合った夢を見た。花嫁姿の女がオフェリアのように川を流れ、余はそれを追い掛けていた。夢は和歌や西洋絵画のイメージが入り混じった奇妙なものだった。
目を覚ますと、月明かりが障子へ差し込み、木の枝の影を映していた。その静かな春夜の中で、余は誰かが歌をうたっているような声を聞いた。
夜半の歌声と女影
その歌声は細く低く、どこか遠くから聞こえてくるようだった。しかし余には、長良の乙女の歌を繰り返しているように感じられた。
声は次第に遠ざかり、余はたまらず障子を開けた。すると、海棠の木を背にした朧な女影が見えた。女はすぐに宿の棟の角へ消え、その姿は月夜の景色へ溶け込むように消えていった。
余は布団へ戻り、あれは化物ではなく女だろうと考え続けていた。恐怖よりも、むしろ芸術的な情趣としてその光景を捉えようとしていたのである。
芸術家と感情の距離
余は、自らの不安や恐怖も、一歩引いて眺めれば芸術の材料になると考えていた。失恋や苦悩ですら、客観視すれば詩や絵画となる。芸術家とは、自分自身の感情を観察対象へ変える存在なのだという信念を改めて思い返していた。
そのため余は、不安を鎮めるため、夜具の中で俳句を作り始めた。海棠や朧月、歌声などを題材に次々と句を書き留めるうち、気分は次第に落ち着いていった。
余にとって俳句とは、感情を十七文字へ変換することで、自分自身を感情から切り離すための手段だったのである。
幻影の女
やがて余は半ば夢、半ば現実の境地へ入っていった。その時、入口の唐紙が静かに開き、女の影が部屋へ入って来た。
余は驚きも恐れもせず、ただその姿を幻のように眺めていた。女は白い肌と濃い髪を持ち、ぼかした写真を見るような曖昧さで浮かび上がっていた。
女は戸棚の前で立ち止まり、何かを取り出したように見えた。その後、笑い声のようなものを残して姿を消した。余は、それが現実だったのか夢だったのか判然としないまま眠りへ落ちていった。
朝の出会い
翌朝、余が浴衣姿で風呂場から出ると、昨夜の女が突然現れた。そして当然のように着物を余の肩へ掛け、「昨夕はよく寝られましたか」と穏やかに声を掛けてきた。
余は突然のことに狼狽しながら礼を述べ、改めて女の顔を見つめた。その表情には静と動、強さと弱さ、軽薄さと慎み深さが入り混じっており、余はどう形容すべきか迷っていた。
女は悟りと迷いが同居しているような、不思議な表情をしていた。余は、その顔に統一がないのは、この女自身の人生に統一がないからだと感じていた。不幸へ押し潰されながら、それに抗おうとする人間の顔だったのである。
女は軽やかに去っていき、余はその後ろ姿を見送りながら、那古井での出来事がますます現実離れしていく感覚を覚えていた。
四
戸棚に残された痕跡
余が部屋へ戻ると、室内は綺麗に掃除されていた。気になって戸棚を開けると、小さな用箪笥や友禅の扱帯、書物などが残されていた。
さらに、昨夜書き散らした俳句の下へ、誰かが添削のような句を書き加えていた。筆跡は女とも男とも判別し難く、余は昨夜の出来事が夢ではなく事実だったのではないかと思い始めていた。
宿と庭の構造
余は障子を開け、庭や宿の造りを観察した。海棠の木の奥には竹藪が広がり、崖や赤松が春の日を受けていた。反対側には山桜を映した岩間の水溜りや熊笹、生垣、竹藪などが見え、静かな山里の景色が続いていた。
宿は崖へ張り付くように建てられており、前面は二階でも裏は平屋になる複雑な構造だった。そのため昨夜は、廊下や階段を上り下りしている感覚が奇妙だったのだと理解した。
余は、この宿にはほとんど客がおらず、閉ざされた静けさが満ちていることに気付いていた。そして、こうした非人情な環境こそ、自分の旅に最も相応しいと感じていた。
小女郎との会話
ようやく運ばれてきた食事を眺めながら、余は小女郎へ若い女について尋ねた。すると、あれはこの宿の若奥様であり、主人の娘だと教えられた。
若奥様は普段、針仕事をし、三味線を弾き、さらに寺へ通っているという。余は、寺と三味線という取り合わせへ妙な違和感を覚えた。
また、小女郎の話から、大徹という禅僧が昨夜見た額を書いた人物であり、戸棚にあった『遠良天釜』も若奥様の持ち物だと察した。余は、この女がただの田舎娘ではなく、どこか教養や趣味を持つ人物だと感じ始めていた。
欄干の女
食後、小女郎が襖を開けた瞬間、中庭を隔てた向こう二階の欄干に、銀杏返しの女が頬杖を突いて座っている姿が見えた。
今朝の快活な様子とは違い、その姿は静かで沈んでいた。余は、眼の動き一つで人の印象が大きく変わることを改めて感じていた。
しかし女は突然こちらへ視線を向けた。その鋭い眼差しは毒矢のように余の眉間へ突き刺さり、余は思わず息を呑んでいた。
銀杏返しの女との対話
その後、銀杏返しの女自身が部屋へ現れた。昨夜は何度も邪魔をしたと笑いながら、気軽に余へ話しかけてきた。
女は羊羹と茶を持参し、余の前へ自然に座り込んだ。余は、羊羹や青磁の皿を芸術品として眺め、その色彩や質感を西洋菓子と比較しながら賞賛していた。
女は余の言葉を冗談半分に受け取りながらも、落ち着いた調子で応じていた。余は、女が東京や京都にもいたことを知り、単なる田舎育ちではないと理解した。
さらに女は、世の中は結局気の持ちよう次第であり、蚤の国を嫌って蚊の国へ移っても意味がないと語った。その考え方には、余自身の厭世観に通じるものがあった。
絵と芸術観の応酬
余は写生帖へ、女が馬へ乗り山桜を眺める姿を素描し、「この中へ入れば蚤も蚊もいない」と差し出した。
しかし女は、それでは横幅ばかりで窮屈だ、まるで蟹だと笑って退けた。余は、その率直な返答を聞いて思わず大笑いした。
二人が笑い合う中、鶯が鳴き損ねた声を立て、しばらくして再び高く鳴き始めた。その自然の響きは、二人の会話をどこか詩的なものへ変えていた。
長良の乙女への見解
やがて話題は長良の乙女へ移った。女は和歌をそらで詠み上げ、茶店の婆さんから聞いた話を自然に引き継いでいた。
余が、長良の乙女の話は哀れだと言うと、女は自分なら淵川へ身投げなどしないと断言した。そして、ささだ男もささべ男も両方とも男妾にしてしまえばよいと、平然と言い放った。
その大胆さと飄々とした態度に、余は強い印象を受けていた。女は悲劇へ流される人物ではなく、自らの意思で世を渡ろうとする気性を持っていたのである。
最後に鶯が勢いよく鳴き始めると、女は「あれが本当の歌です」と静かに語った。余は、その一言の中に、この女自身の生き方や感情までも感じ取っていた。
五
江戸っ子の髪結職人
余は村の床屋へ入り、髭を剃ってもらうことにした。親方は見るからに江戸気質の男であり、余の言葉遣いから東京者だとすぐ見抜いた。
親方自身も神田松永町出身の江戸っ子であり、食い詰めてこの田舎へ流れて来たのだと語った。余は、その乱暴で騒々しい口調に辟易しながらも、どこか滑稽さを感じていた。
しかし髭剃りの腕は乱暴極まりなく、刃が頬で音を立て、頭を掻き回されるたびに脳まで震えるほどだった。酔ったような臭いまで漂わせるため、余は咽喉を切られるのではないかと本気で危ぶんでいた。
それでも余は、この粗野な親方が、春の海辺や陽炎の景色の中では妙に調和して見えることへ気付いていた。俗っぽく騒がしい男でありながら、その軽薄さそのものが春の長閑さを際立たせる一つの彩りになっていたのである。
志保田の隠居と若奥様の噂
親方は、余が泊まっている志保田の宿について語り始めた。隠居は東京にいた頃からの知り合いであり、今では骨董ばかり弄って暮らしているという。
さらに、宿の若奥様について「あぶない女」だと噂し始めた。銀行の破綻で贅沢が出来なくなり、出戻ってきた女であり、本家との仲も悪いというのである。
余は、親方の下世話な語り口を半ば聞き流しながらも、女に関する土地の噂へ次第に興味を引かれていた。
狂女扱いされる若奥様
やがて親方は、村中が若奥様を「気狂い」扱いしていると語り出した。観海寺の納所坊主である泰安が、若奥様へ文を送ったことが発端だったのである。
親方によれば、若奥様は突然本堂へ飛び込み、泰安へ抱き付いたという。その騒ぎの後、泰安は姿を消したため、親方は恥をかいて死んだのだろうと勝手に決めつけていた。
しかし余には、その話がどこまで本当なのか判然としなかった。親方自身も話の辻褄を合わせられず、曖昧なまま噂を語っているだけに見えたのである。
春景色と俗世の混在
床屋の外では、春風が暖簾を揺らし、燕が鏡の中を横切っていた。向かいの家では老人が静かに貝を剥き、陽炎の中へ貝殻を積み上げていた。
余は、その穏やかな春景色を眺めながら、親方の騒々しい俗談すら、この土地の長閑な風景を構成する一部に見えてきていた。俗悪さと自然の静けさが対立せず、むしろ一体となって漂っていたのである。
そのため余は、嫌気を覚えながらも席を立たず、親方の与太話を聞き続けていた。
小坊主・了念の登場
そこへ、了念という小坊主が髪を剃りに現れた。了念は、和尚から遊び歩いたことを逆に褒められたと平然と語り、親方を軽口でやり込めていた。
親方は坊主たちは石段の上に住んでいるから気楽で口が達者なのだと毒づきつつ、再び若奥様の話題を持ち出した。すると了念は、「狂印」など知らず、志保田の娘なら今でも寺へ来ていると答えた。
さらに了念は、老師である和尚が若奥様を立派な女だと褒めていることまで語った。
噂と現実の食い違い
親方は、和尚が何を言おうと若奥様は気狂いだと決めつけ続けていた。しかし余には、親方の噂話と、これまで自分が接してきた女の姿とが一致しているようには思えなかった。
女は大胆で気まぐれではあるが、単なる狂人ではなく、むしろ世俗を超えて自由に振る舞おうとしているようにも見えていたのである。
余は、村人たちの噂や偏見が、この女の本当の姿を歪めているのではないかと感じ始めていた。
六
静寂の宿と春の気配
余は夕暮れの机へ向かい、障子も襖も開け放っていた。宿には人影がなく、主人も娘も下女も下男も、いつの間にかどこかへ消えていた。
余には、それらの人々がただ別室へ移ったのではなく、霞や雲の国へ立ち退いたように思われた。あるいは春の精気へ溶け込み、雲雀や虻、落椿となって自然の中へ紛れ込んだのではないかと空想していた。
空虚な宿を吹き抜ける春風は、誰かを迎えるためでも拒むためでもなく、ただ自然の意志として静かに通り過ぎていた。余自身の心もまた空虚であり、そのため春風は遠慮なく胸中を吹き抜けていくように感じられた。
詩人と画客の境地
余は、人間が利害や名誉へ執着するから苦しみが生まれるのだと考えていた。恋も富も名声も、一見甘美に見えながら、必ず苦悩を伴うものだったのである。
しかし詩人や画家は違う。彼らは自然や景色へ執着するのではなく、自らがその景色と同化してしまう。そのため、霞を食い、露を飲み、紫や紅を味わうように自然の中へ溶け込めるのである。
余は、こうした詩境や画界は特別な天才だけのものではなく、人間なら誰でも心の奥に持っている境地だと感じていた。
春との同化
余は机へ凭れながら、何事も考えず、何物も見ていない状態に入っていた。しかしその一方で、確かに何かと共に動いている感覚があった。
それは花でも鳥でも人間でもなく、ただ「春」そのものだった。春の色、風、音、気配が、知らぬ間に身体へ染み込み、心全体を満たしていたのである。
余は、この状態を、刺激のない静かな幸福だと感じていた。激しい感情ではなく、海の底をゆっくり流れる大水流のような、窈然とした充足感だったのである。
絵画による表現への苦悩
余は、この心境を絵へ出来ないかと考え始めた。しかし普通の絵画は、目に見える花や人物を描くものであり、今感じているような漠然とした気分そのものを描くには向いていなかった。
雪舟や蕪村、大雅堂などの画境を思い浮かべながらも、自分の感じているものは、それよりさらに複雑で捉え難いと思っていた。
余は、色や線だけでなく、心そのものを画布へ移さなければならないと考えていた。しかし、どんな形を借りればこの感興を表現出来るのか、どうしても掴めなかった。
詩作への転換
そこで余は、絵ではなく詩にしてみようと思い立った。鉛筆を取り、机へ向かいながら、少しずつ漢詩を書き始めた。
最初は言葉が出なかったが、葛湯が次第に粘りを帯びるように、少しずつ句が形になっていった。そして春の静けさや閑花、素琴、篆煙などを詠み込んだ漢詩を完成させた。
さらにもう一首作り、自らの静かな心境を詠み込んだ。しかし読み返してみると、今しがた味わっていた神秘的な境地そのものを完全には写し取れていないと感じていた。
振袖の女の出現
その時、入口の襖の向こうを、美しい影が通り過ぎた。余が目を向けると、振袖姿の女が向こう二階の縁側を静かに歩いていた。
女は長い振袖を引きながら、音も立てずに往復していた。その姿は暮れゆく春の空気へ溶け込み、まるで夢の中の存在のようだった。
余には、女が何故そんな格好で何度も歩き続けているのか理解出来なかった。しかし、その姿には不思議な統一感と静粛さがあり、ただ異様な美しさだけが際立っていた。
幽玄なる女の姿
夕闇が深まるにつれ、女の帯や裾模様だけが、ぼんやりと闇の中へ浮かび上がっていた。余には、その姿が春の星が紫の空へ沈んでいく様子にも見えていた。
さらに余は、この女を、眠ったまま冥府へ連れて行かれる人間のようだと感じ始めていた。自分では死を意識しないまま、静かに現世から遠ざかっていく存在に見えたのである。
余は、その女へ声を掛け、現実へ引き戻してやろうかと考えた。しかし、女がすうっと通り過ぎる姿を見るたびに、どうしても声を掛けることが出来なかった。
女は、余の存在や心配など微塵も気に掛けず、ただ静かに同じ場所を歩き続けていた。その超然とした態度は、現実と幻の境を漂う存在そのものだったのである。
春雨の終幕
やがて空を覆っていた雲が耐え切れなくなり、しめやかな春雨が降り始めた。雨は振袖の女の姿を薄く覆い隠し、その影を静かに封じ込めていった。
七
温泉への陶酔
余は手拭を提げて湯壺へ下りた。御影石を敷き詰めた風呂場の中央には、石造りの湯槽が据えられ、透明な鉱泉が静かに溢れていた。
余には温泉の効能などどうでもよく、ただ白楽天の「温泉水滑洗凝脂」という句だけが頭に浮かんでいた。温泉とは、この句のような優雅な気分を味わわせてこそ価値があると思っていたのである。
湯へ浸かると、乳の辺りまで温かさが広がった。夜の春雨はしめやかに降り、湯気は床から天井まで立ち込め、余を柔らかく包み込んでいた。
余は、この春宵の湯気へ「酔う」という感覚を覚えていた。霞とも霧とも違う、春の夜だけが持つ曖昧で温かな靄が、身体も心も融かしていくようだったのである。
水へ漂う感覚
余は湯槽の縁へ頭を預け、身体を水へ漂わせた。魂まで水へ流してしまえば、世の中ももっと楽になるだろうと感じていた。
その感覚から、余は水死体――土左衛門すら風流ではないかと考え始めた。水へ沈み、流れに任せる姿は、美術的にも成立し得ると感じていたのである。
さらに余は、ミレーのオフェリアを思い浮かべながら、水へ浮かぶ人間の表情について考えていた。苦悶し過ぎても俗っぽくなり、平然とし過ぎても神話になってしまう。その中間にある顔こそ、画として理想的なのではないかと模索していた。
やがて余は、「浮かば波の上、沈まば波の底、春の水なら苦はなかろ」と、土左衛門の賛まで口の中で作り始めていた。
三味線が呼び起こす過去
その時、どこかで三味線の音が聞こえ始めた。余には音楽の専門知識はなかったが、静かな春の夜に遠くから響く三味線は、ひどく心地良かった。
その音色は、余の少年時代の記憶を呼び覚ました。神田の万屋という酒屋の娘・御倉さんが、春の昼下がりに長唄の稽古をしていた頃の情景である。
三本松と鉄灯籠、苔や春草の匂いの中で、幼い余はしゃがみ込みながら、その三味線を聞くのを日課にしていた。
今では御倉さんも年を取り、昔の景色も変わっているだろう。しかし余の中では、その春の記憶だけが鮮やかなまま残っていた。
風呂場への来訪者
三味線の余韻へ浸っている最中、突然風呂場の戸が開いた。余は身を浮かせながら入口へ視線を向けたが、立ち込める湯気と雨の暗さのため、すぐには誰か分からなかった。
しかし、静かに石段を下りる影の輪郭を見た瞬間、余は相手が女であると悟った。
やがて女は湯気の奥から完全に姿を現した。余は礼儀や風紀などを忘れ、ただ一つの美しい画題を見出したという感覚だけへ支配されていた。
裸体美への芸術的感動
余は、西洋の裸体画に常々不満を抱いていた。それらは裸体であることを過度に強調し、美を露骨に押し付け過ぎていると感じていたのである。
しかし今、目の前に現れた女の裸身には、その俗悪さが全くなかった。衣を脱いだ姿ではなく、初めから衣という概念を持たぬ神代の存在のように自然だったのである。
湯煙の虹霓の中に浮かび上がる輪郭は、柔らかく統一され、どの曲線も無理なく繋がっていた。余は、その身体を、これ以上ないほど自然で調和した造形だと感じていた。
しかも女の姿は、露骨に裸身を見せつけてはいなかった。湯煙と灯影が輪郭をぼかし、幽玄な気配の中で美をほのめかしていたのである。
余は、その姿を、月界から降り立った嫦娥のようだと感じていた。
女の笑い声と消失
しかし次の瞬間、女の黒髪が風を起こすように揺れた。白い姿は階段を軽やかに駆け上がり、鋭い笑い声が廊下へ響き渡った。
余は驚きのあまり湯を飲み込み、そのまま湯槽の中へ突っ立っていた。波立つ湯が胸へ当たり、溢れた温泉の音だけが、静かな風呂場へさあさあと響いていたのである。
八
隠居部屋での茶会
余は宿の隠居に招かれ、茶の馳走を受けた。同席していたのは観海寺の和尚・大徹と、二十四五ほどの若い男だった。
隠居の部屋には大きな紫檀の机が据えられ、支那風の花毯が敷かれていた。余は、その少し間の抜けた趣味の中に、支那器具特有の「ぼうっとした」味わいを感じていた。
余にとって、日本の美術は細かく神経質であり、西洋の美術は巨大で緻密だが俗気が抜け切らないものだった。それに対し、支那の器具は気の長い民族が生み出したような、どこか抜けた余裕を備えていたのである。
和尚・大徹との対面
大徹和尚は、丸顔に白い髭を蓄えた達磨のような風貌をしていた。隠居とは旧知の仲らしく、気安い調子で話していた。
隠居は朱泥の急須から、玉液のような茶をわずかずつ茶碗へ注いだ。余は、その濃く甘い香りを舌先で味わいながら、玉露とは飲むものではなく、香気を楽しむものだと感じていた。
和尚は余へ、田舎暮らしは淋しくないかと尋ねた。余は返答に困ったが、隠居が代わって、余は絵を描くために来ているのだから忙しいくらいだと説明した。
和尚は南宗画かと尋ねたが、余は曖昧に否定した。西洋画だと言っても、この老人たちには通じまいと思ったのである。
久一との会話
若い男は久一と呼ばれていた。鏡が池で写生しているところを和尚に見つかったと語り、本人は絵を大したものではないと謙遜していた。
余は、その池の場所を尋ねた。和尚は観海寺の裏にある幽邃な場所だと説明し、滞在中にぜひ来るよう勧めた。
また和尚は、御那美もよく寺へ来ると語った。さらに、御那美が芹摘み帰りに和尚へ泥だらけの芹を無理やり押し込んだ話を豪快に笑いながら披露した。
余は、御那美の奔放さを思い浮かべながら、その自由な振る舞いが村人たちから「気狂い」と噂される理由でもあるのだろうと感じていた。
骨董談義と硯の披露
やがて隠居は、紫檀の書架から緞子袋に包まれた硯を取り出した。山陽が愛蔵していたと伝わる端渓硯であり、九つの「眼」を持つ珍品だった。
和尚と隠居は、春水の替え蓋や杏坪、山陽、徂徠などの書について盛んに論じ始めた。余には学識そのものより、古びた錦欄や木蘭、砂壁が作り出す全体の調和の方が印象的だった。
硯そのものは、蜘蛛を象ったような彫刻を施され、九つの眼が整然と並ぶ逸品だった。余は、その肌合いや色彩の変化へ感嘆しながらも、山陽自作の松皮の蓋については、技巧を凝らし過ぎて俗っぽいと遠慮なく評した。
和尚はすぐ余へ同意し、隠居だけが少し不機嫌そうな顔を見せた。しかし硯そのものの価値については、余も和尚も認めざるを得なかった。
久一の出征
話の流れで、和尚は久一へいつ出立するのか尋ねた。久一は二三日のうちに立つと答えた。
余が行き先を問うと、久一は簡単に「支那です」と答えた。そこで隠居は、久一が元志願兵であり、今度の戦争で召集されたのだと説明した。
余は、その事実に強い現実感を覚えた。春の山里は、花と鳥と温泉だけの非人情な世界だと思い込んでいた。しかし実際には、戦争という現実が海や山を越え、この静かな土地にまで迫っていたのである。
久一の胸に響く鼓動の中には、遠い戦場へ向かう運命が既に宿っているのかもしれなかった。一方の余は、夢や詩だけを価値あるものとして生きようとしている。そんな対照的な二人が、偶然同じ座敷で茶を飲んでいることへ、不思議な感慨を抱いていた。
九
読書を巡る対話
余が部屋で洋書を開いていると、女が遠慮なく入って来た。くすんだ半襟から浮かぶ白い頸の色が鮮やかで、余はまずその対照へ強く目を引かれていた。
女は余が読んでいる本について尋ねたが、余は自分でも内容はよく分からないと答えた。小説は最初から最後まで筋を追うのではなく、適当に開いた箇所を漫然と読む方が面白いのだと説明したのである。
女は不思議そうに問い返したが、余は筋を追えば探偵のようになってしまい、非人情の趣が失われると主張した。余にとって重要なのは、物語の因果ではなく、その場その場に漂う情趣だったのである。
非人情な恋愛観
会話はやがて恋愛へ移った。女は、年を取っても惚れた腫れたが面白いのかと尋ねた。余は、それは死ぬまで面白いと即答した。
さらに余は、画工だからこそ非人情な惚れ方をすると語った。惚れても必ず夫婦になる必要はなく、その瞬間の感興そのものを楽しめばよいのである。
普通の人間は恋愛を筋道や結果で考える。しかし余は、小説を拾い読みするように、人との関わりも一場の趣として味わえばよいと考えていた。
女は、その考え方を面白そうに聞きながらも、どこか試すような眼差しを向けていた。
洋書の朗読
女に頼まれ、余は洋書の一節を日本語で読み始めた。そこには、男と女がヴェニスへ向かう船上で寄り添う情景が描かれていた。
女はドージとは何か、男女は誰なのかと問い掛けた。余は、そんなことはどうでもよい、ただその場限りの気分が面白いのだと説明した。
ヴェニスの塔が沈みゆき、男が女の手を握る描写を読み進めながら、余はそれを非人情的に聞けば趣があるのだと語った。しかし女は、あまり非人情でもないようだと微笑していた。
さらに読み進めると、男は女を望まぬ結婚から救い出そうと決意していた。余が途中で文法に詰まりかけると、女は「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」と返し、余を軽く翻弄していた。
地震と接近
その時、轟音と共に地震が起こった。山の木々が鳴り、一輪挿しの椿が揺れた。
驚いた女は思わず余の机へ身を寄せ、互いの身体が触れ合うほど近づいた。外では雉子が鋭く羽搏いて飛び立った。
女の呼吸が余の髭へ触れる距離まで接近したが、女はすぐ姿勢を正し、「非人情ですよ」と鋭く言った。余も即座に「無論」と答えた。
余は、岩間の春水が揺れながらも形を崩さない様子を眺め、人間も非人情であれば、このように円満に揺れ動けるのだと感じていた。
振袖姿と風呂場の真意
女は、昨日の振袖姿について褒美を求めた。余が茶店の婆さんへ振袖姿を見たいと頼んだことを知っていたのである。
余が返答に窮すると、女は忘れっぽい人へ尽くしても駄目だと、嘲るように言葉を重ねた。
そこで余は、昨夜の風呂場も親切からだったのかと切り返した。しかし女は答えず、大徹和尚の額を眺めながら話題を逸らした。
余はさらに、和尚や久一について話を向けた。女は久一が従弟であり、戦地へ赴く前の暇乞いに来ているのだと明かした。
また、鏡が池を回ってきたことを語り、余が画の題材に向いているか尋ねると、「身を投げるに好い所です」と静かに答えた。
那美の死の願望
余が、まだ身を投げるつもりはないと言うと、女は自分は近々投げるかもしれないと平然と語った。余は、そのあまりに思い切った言葉へ思わず顔を上げた。
さらに女は、自分が苦しまず静かに水へ浮いている姿を、綺麗な画へ描いてほしいと頼んだ。
その言葉は冗談とも本気とも判別出来なかった。しかし女の表情は存外真剣であり、余は返答を失って茫然としていた。
十
鏡が池の景観
余は観海寺の裏道を通り、鏡が池へ向かった。杉林の谷を抜けると、路は自然に池を囲むように二股へ分かれていた。
池は一見広そうに見えたが、実際に歩いてみると三丁ほどしかなく、不規則な形をしていた。水際には岩が自然のまま横たわり、岸辺は波を打つように起伏を繰り返していた。
周囲には雑木が繁り、芽吹いた下草の間へ壺菫が淡く咲いていた。余は、その静かな景色を眺めながら、東京では味わえない「立ち止まる自由」を感じていた。都会では、立ち止まれば巡査や探偵に追い立てられるが、ここでは誰も咎めないのである。
余は草の上へ腰を下ろし、自然だけが完全な平等観を持つ存在だと考えていた。人間社会の利害や権力争いより、自然の中で独り起臥する方が遥かに得策だと感じていたのである。
池底の水草と死のイメージ
水際まで近寄り池を覗き込むと、底には細長い水草が沈んでいた。その姿は、動こうとする形を保ちながら、永遠に動けないまま生きているように見えた。
余は、その水草を「往生して沈んでいる」としか形容出来なかった。波に靡くこともなく、死に切れず、水底で時を待ち続けているようだったのである。
余は功徳のつもりで石を池へ投げ込んだ。泡が浮かび、濁りが底から立ち上った。その時、水草の間に長い髪のようなものが揺れたため、余は思わず南無阿弥陀仏と唱えていた。
しかし池は何事にも取り合わず、ただ静かに沈黙を保っていた。余も次第に石を投げる気を失っていた。
深山椿への恐怖
池を回り込むと、暗い岸辺に椿が群れて咲いていた。葉は黒々と沈み込み、花だけが異様な鮮やかさで浮かび上がっていた。
余は、深山椿を見るたび妖女を連想していた。黒い眼で人を誘い込み、気付かぬうちに毒を血へ流し込む存在のように感じられたのである。
椿の赤は単なる華やかさではなかった。屠られた囚人の血のような、不吉で沈んだ色調を底へ秘めていた。
やがて花がぽたりと水面へ落ちた。椿は桜のように散らず、塊のまま枝を離れる。その様子が余にはひどく毒々しく思われた。
花は次々と落ち、水辺を赤く染めていった。余は、幾千年も落ち続けた椿が池を埋め、やがて元の平地へ戻してしまうのではないかと空想していた。
御那美を画題にする構想
余は、こんな場所へ美しい女が浮いている画を描いたらどうかと考え始めた。昨日、御那美が冗談めかして語った「自分が浮いているところを描いてほしい」という言葉が、何度も記憶へ押し寄せていたのである。
余は、御那美の顔を種にして、椿の下へ静かに浮かせる構図を思い描いた。しかし、あの顔には何か決定的に足りないと感じていた。
嫉妬や憎悪、怒りや恨みでは違う。長く考えた末、余は不足しているものが「憐れ」の情だと気付いた。
御那美の顔には、人を馬鹿にする微笑と、勝とうと焦る気配ばかりが満ちている。しかし、そこへ一瞬でも憐れの感情が浮かべば、自分の画は完成するだろうと考えていた。
源兵衛から聞く鏡が池の伝説
そこへ薪を背負った源兵衛が現れた。余は以前峠で会った馬子だと気付き、話を交わした。
源兵衛によれば、この池には昔から伝説が残っているという。昔、志保田の庄屋の娘が、一人の虚無僧へ恋をした。しかし父親は坊主へ娘をやれぬと反対し、虚無僧を追い出してしまった。
娘は虚無僧の後を追い、この池へ身を投げた。その時、一枚の鏡を持っていたため、この池は「鏡が池」と呼ばれるようになったのである。
さらに源兵衛は、志保田の家には代々気狂いが出ると囁いた。今の御那美も少し変だと村人は噂しているのだという。
余は煙草の吸殻を見つめながら、何も答えなかった。
画題への執着
余は、せっかく絵具箱を持って来た以上、何か描かなければならないと思い、池の景色を写生し始めた。
松、笹、岩、水――景色そのものは纏まっていたが、水面へ映る影が複雑で、どう構図を収めればよいか分からなかった。いっそ実物ではなく、水へ映った影だけを描くのも一興かと考えていた。
しかし、ただ奇抜なだけでは駄目だった。余は、水面を見つめながら工夫を重ね、次第に視線を上へ移していった。
岩上の御那美
そして、危岩の頂へ視線が達した瞬間、余は思わず画筆を落とした。
夕日を背に、蒼黒い岩頭の上へ、御那美が立っていたのである。花の下、幻影、振袖、風呂場――これまで幾度も余を驚かせた女が、再びそこへ現れていた。
余の視線は、蒼白い女の顔へ釘付けとなった。女もまた、一指も動かず余を見下ろしていた。
次の瞬間、余が飛び上がると同時に、女はひらりと身を翻した。帯の間に赤いものがちらつき、そのまま向こう側へ飛び下りて消えた。
夕日は樹梢を掠め、熊笹はいよいよ青さを増していた。余は、またしても御那美に驚かされたのである。
十一
観海寺への夜歩き
余は山里の朧夜に誘われるように、観海寺への石段を登っていた。和尚へ会う用事もなく、ただ足の向くまま歩いているうちに、自然と寺へ辿り着いたのである。
石段を登りながら、余は自分の散歩を『トリストラム・シャンディ』の無責任な文体になぞらえていた。最初だけ自力で始め、あとは成り行きへ任せるという考え方だった。余は神に責任を預けることすらせず、すべてを泥溝へ投げ捨てたような無責任さを楽しんでいたのである。
石段を一段登るたび、余は立ち止まり、影や星を眺めながら句を考えた。そうして「仰数春星一二三」という句を得ながら、ついに山門まで登り詰めた。
禅寺への好感
余は昔、鎌倉の円覚寺で出会った禅僧を思い出していた。境内を見たいと頼む余へ、坊主は「何もありませんぞ」とだけ言い残し、振り返りもせず去っていったのである。
余は、そのきびきびした態度に強い好感を抱いていた。世間にはしつこく他人へ干渉し、人の屁の数まで勘定したがる連中が溢れている。それに比べ、禅僧の簡潔さは実に爽快だったのである。
余は、人の行動を逐一監視し、後ろからあれこれ口を出す人間を激しく嫌悪していた。そうした俗世の煩わしさから逃れるためにも、こうして春の夜に方針もなく歩き回ることこそ、高尚な生き方だと感じていた。
覇王樹の怪異な姿
本堂の端では、妙な影が一列に並んでいた。近づいて見ると、それは巨大な覇王樹だった。糸瓜を押し潰したような節が、際限なく上へ継ぎ足されていたのである。
余には、その突飛な形が滑稽でありながら不気味にも見えた。夜のうちに廂を突き破り、屋根瓦まで伸びそうな勢いすら感じられたのである。
さらに余は、昔読んだ晁補之の怪異譚を思い出し、この覇王樹も時と場合によっては人の魂を震わせる存在になり得ると考えていた。
木蓮と春夜の美
庫裏の前には大きな木蓮が立っていた。枝は重なり合いながらも空を遮らず、白に近い淡黄の花が空いっぱいへ広がっていた。
余は、その花が決して人目を奪おうとしていないことに感心していた。露骨な白さではなく、あたたかみを含んだ色調が、奥床しさを生み出していたのである。
余は「木蓮の花ばかりなる空を瞻る」という句を得て、しばらく花を見上げ続けていた。
了念との再会
庫裏へ入ると、小坊主の了念が現れた。余が和尚への取次を頼むと、了念は「画工さんか。それじゃ御上り」と軽く応じた。
しかし上がる前に、「脚下を見よ」と書かれた紙を示され、余は自分の下駄をきちんと揃え直した。了念は妙に得意そうだった。
余は、その小生意気で無邪気な態度をどこか面白く感じていた。
和尚との対話
和尚の部屋は狭く、囲炉裏の鉄瓶が鳴っていた。和尚は障子を開け、眼下へ広がる朧夜の海を余へ見せた。
海には漁火が点々と浮かび、その先は空へ溶け込み星になろうとしているようだった。余は、この景色を毎晩見られる和尚を羨ましく感じていた。
余は、和尚も美を感じている以上、ある意味では画工と同じだと語った。和尚も笑いながら、達磨の画くらいは描けると答えた。
床には先代和尚の描いた達磨図が掛かっていた。技術的には拙いが、俗気がなく無邪気な画だった。余は、その画から先代の気質まで感じ取っていた。
屁の勘定と都会批判
和尚は、余が旅をしている理由を尋ねた。余は、東京では屁の勘定をされるから嫌になったのだと説明した。
余にとって都会とは、人の行動を細かく監視し、分析し、後ろから口を出す場所だった。探偵や警察は、人の屁の数まで勘定する存在に思えたのである。
和尚は、それならば澄ましていればよい、自分にやましいことがなければ警察もどうにも出来まいと笑った。さらに、人間は日本橋の真中で臓腑をさらしても恥ずかしくない境地へ達してこそ修行だと説いた。
余は、画工になり澄ませば、その境地へ達せられるかもしれないと応じていた。
御那美への評価
和尚は、御那美もまた人の目を気にして苦しみ、自分のもとへ法を問いに来たことを語った。
さらに、御那美は今ではかなり「出来てきた」と評価し、機鋒鋭い女だと称賛した。泰安という若僧も、御那美との因縁を通して大事を窮明し、よい知識になるだろうと語った。
余は、御那美が単なる気狂いではなく、和尚にとっても特別な存在なのだと改めて感じていた。
夜の終わり
帰り際、和尚は鳩を呼ぼうとして手を叩いた。しかし夜で鳩の目が利かないため、一羽も飛んでは来なかった。了念だけが余の顔を見て小さく笑っていた。
余は山門で二人と別れた。振り返ると、大きな丸い影と小さな丸い影が、石畳の上を前後して庫裏へ消えていった。
十二
真の芸術家とは何か
余は観海寺の和尚について考えていた。和尚は達磨図を得意げに掛け、画工にも博士があると思い込み、鳩が夜でも目が利くと信じている。世間的な知識や趣味とは無縁でありながら、それでもなお芸術家の資格を持っているように思われた。
それは和尚の心が、何事にも停滞せず、自由に流れているからだった。俗世の塵滓を内部へ沈殿させず、行く先々へ自然に同化していく。その無碍な在り方こそ、芸術家に必要な境地だと余は感じていた。
一方で余自身は、都会で探偵に屁の数を勘定されるような生活を送る限り、本当の画家にはなれないと思っていた。画を描く技術は持っていても、芸術家の人格へ到達出来ていないのである。
だからこそ余は、名も知らぬ山里へ身を置き、春色の中へ痩せた身体を埋めている今こそ、自分が真の芸術家になれていると感じていた。
芸術と美の思想
余は、この旅へ出てから一枚も画を描いていなかった。絵具箱すら酔興で担いできたようなものだった。だが、それでも今の自分は立派な画家だと確信していた。
名画を描くことと、芸術家であることは別である。しかし真に名画を描ける者は、必ずこの境地を知っていなければならないと考えていた。
余は、芸術とは悲酸の中へ潜む快感の別名だと思っていた。苦しみや犠牲を超えてなお、美しい所作を貫こうとする精神が、人を壮烈にも閑雅にもするのである。
そのため余は、美しい所作を成し得る芸術家は、俗人より高尚であり、人情世界においても正義や直を体現する存在だと考えていた。
那美を画として見る決意
余は、那美の奇妙な言動を芝居や能の人物として見ることに決めていた。もし義理や人情を基準に現実の女として向き合えば、その刺激の強さに耐えられなくなるからである。
しかし芸術の眼鏡を通して見れば、那美は今まで見たどの女よりも美しい所作をする存在だった。本人に演技の意識がない分、役者以上の自然な美を備えていたのである。
余は、この旅の間だけは人情世界へ戻らず、人間社会の砂を振るい落として、美しい金だけを見つめて生きようとしていた。那美ですら、ただの画題として眺めるほかないと考えていたのである。
草原での詩作
余は山道を登り、海の見える草原へ辿り着いた。春の日差しは海面を照らし、紺青の水には細かな銀の鱗が揺れていた。
余は草の中へ寝転び、木瓜の花を眺めていた。木瓜は真直ぐな短い枝を無骨に組み合わせ、その間へ紅とも白ともつかぬ花を安閑と咲かせていた。
余は木瓜を、愚かでありながら悟っている花だと思った。昔、木瓜の枝で筆架を作って楽しんだ幼少期の記憶まで蘇り、その頃の方がよほど出世間的だったと感じていた。
やがて余は、木瓜を見ながら漢詩を書き上げた。春風、古寺、落花、孤愁などを詠み込み、世俗を忘れて漂う感覚をそのまま写し取ろうとしていた。
野武士のような男
しかし突然、咳払いが聞こえた。余が振り返ると、雑木林から中折帽を被った男が現れた。
男は藍縞の着物を端折り、素足に下駄という野武士のような格好をしていた。きょろきょろと辺りを見回し、歩いては止まり、また戻るという奇妙な動きを繰り返していた。
余は、その不審な男からどうしても目を離せなかった。すると、やがて別方向からもう一人現れた。それは那美だった。
那美と男の邂逅
二人は春の山を背に、春の海を前にして向き合った。しばらくは互いに動かず、ただ言葉だけを交わしているようだった。
男が立ち去ろうとすると、那美は帯の間から紫色の包みを取り出した。それは九寸五分の懐剣かと思われたが、実際には財布のようなものだった。
余は、その瞬間の姿勢と距離感に強い美を見出していた。引き留めようとする女と、去ろうとする男。二人の間には緊張感がありながらも、不即不離の均衡が保たれていたのである。
背の低い野武士のような男と、細面で華奢な那美。粗野さと優雅さの対照は、余にとって絶好の画題だった。
しかし男が財布を受け取った瞬間、その均衡は崩れた。二人は別々に歩き出し、画としての魅力も消えてしまったのである。
那美の告白
那美は余へ気付き、「先生」と声を掛けた。余が木瓜の中から出ると、那美は先ほどの場面を見ていたかと尋ねた。
余が正直に見ていたと答えると、那美は笑いながら男について語り始めた。男は金に困り、日本を離れて満洲へ行くらしいという。
そして那美は、ふと口元の笑みを消し、「あれは、わたくしの亭主です」と打ち明けた。さらに、今の亭主ではなく、離縁された元亭主だと静かに続けた。
余は、その突然の告白へ完全に不意を突かれていた。
兄の家と短刀
その後、二人は蜜柑山に建つ白壁の家へ向かった。それは那美の兄の家だった。
那美は縁側へ腰を掛け、しばらく蜜柑畑を見下ろしていた。やがて久一を呼び出すため障子を開けた瞬間、白鞘の短刀が畳の上へ転がり出た。
那美は、それを「御伯父さんの餞別だよ」と言いながら久一へ差し出した。短刀は静かな畳の上を滑り、刃先が一瞬だけ冷たく光った。
十三
川舟による見送り
余は久一を吉田の停車場まで見送るため、川舟へ乗った。同行していたのは久一、老人、那美、那美の兄、荷物番の源兵衛、そして余だった。
余自身は招かれただけであり、特に意味も考えず同行していた。非人情の旅には思慮など不要であり、呼ばれればただ従うだけでよかったのである。
舟は底の平たい筏のような造りで、春の川を静かに流れていった。老人を中央に、余と那美が一方へ、久一と兄が反対側へ座っていた。
那美の苛烈な言葉
舟の中で、那美は久一へ軍隊が好きか嫌いかと問い掛けた。久一は、実際に行ってみなければ分からないが、苦しい事も愉快な事もあるだろうと答えた。
すると那美は、短刀など貰うと戦争へ出たくなるだろうと妙な事を口にした。さらに、平気な顔で軍隊など務まるのかと久一へ詰め寄っていた。
兄が、那美が軍人なら強かろうと冗談めかして言うと、那美は、自分が軍人になれたならとっくに死んでいると返した。そして久一へ向かい、「御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃあ外聞がわるい」と言い放った。
老人は慌てて、死ぬだけが国家のためではない、凱旋して戻って来いと取り成した。しかしその声の末尾には涙が潜んでいた。久一は何も答えず、ただ岸の方へ顔を向けていた。
春景色と人間の無関心
岸辺では、一人の釣人が黙々と浮標を見つめていた。一行の舟が通っても、男は魚の事しか考えておらず、久一の胸中など知ろうともしなかった。
余は、その無関心をむしろ幸福だと感じていた。もし日本橋を行き交う全ての人間の葛藤や苦悩が互いに見えてしまえば、浮世は到底耐え難いものになるからである。
だからこそ、人は知らぬ者同士として出会い、別れていく。その距離感が文明社会を成立させているのだと余は考えていた。
運命へ引かれる久一
春の川は穏やかに流れていた。しかし余には、久一だけが既に運命の縄へ繋がれ、北の戦場へ引き寄せられているように思えた。
そして偶然同じ時代、同じ場所で関わった余たちもまた、その因果が尽きるまで彼に引かれていかねばならないのだと感じていた。
だが因果が尽きる時、久一は戦場へ向かい、残された者たちは否応なく別の場所へ留まる。その断絶は避けられないものだった。
那美の肖像画談義
川沿いには柳や藁屋根の家が続き、機織りの音や女の歌声が水面を渡っていた。そんな中、那美は余へ自分の画を描いてほしいと頼んだ。
余は即興で一句を書き付けて見せたが、那美はそれでは駄目だ、自分の気象が出ていないと不満を漏らした。
余は、那美の顔はそれだけでは画にならず、まだ何か足りないのだと答えた。那美が、自分の顔は生まれつきだから仕方がないと言うと、余は、人の顔はいくらでも変わるものだと返した。
しかし那美は、自分は既に毎日充分変わっているではないかと笑った。その言葉に、余は明確な返答を返せなかった。
文明批判と汽車への嫌悪
やがて舟は停車場近くへ着いた。余は汽車を見るたび、現代文明への嫌悪を覚えていた。
汽車は何百という人間を同じ箱へ押し込み、個性を無視したまま一律に運搬する。文明とは個性を発達させる一方で、その個性を鉄柵の中へ押し込めるものだと余は考えていた。
人間は自由を与えられた虎のように猛りながら、同時に檻へ閉じ込められている。現代社会の平和とは、動物園の虎が寝転んでいるような不自然な均衡に過ぎなかった。
余は、文明の危うさが至る所へ充満していると感じながら、停車場前で蓬餅を食べていた。
久一との別れ
やがて汽車が轟音と共に到着した。久一は車内へ乗り込み、老人、兄、那美、余は外から見送った。
那美は再び、「死んで御出で」と言った。老人は別れを惜しみ、兄は荷物を気に掛けていた。久一は無言のまま窓からこちらを見ていた。
車掌が次々と扉を閉めるたび、久一とこちら側との距離は確実に広がっていった。ついに列車が動き始め、双方の因果も切れかかっていた。
野武士の再登場と「憐れ」
その時、最後尾近くの窓から、髯だらけの野武士のような男が顔を出した。かつて那美へ金を受け取っていた、元亭主だった。
那美と男は、一瞬だけ顔を見合わせた。列車はそのまま走り去り、男の顔も消えた。
その瞬間、那美は茫然として汽車を見送っていた。その顔には、余が今まで一度も見たことのない「憐れ」の感情が浮かび上がっていたのである。
余は思わず那美の肩を叩き、「それだ。それが出れば画になりますよ」と小声で告げた。余の胸中で追い求めていた画面は、この刹那に完成したのであった。
夏目漱石の作品





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