ドキュメント「小池百合子 権力に憑かれた女」感想・ネタバレ

ドキュメント「小池百合子 権力に憑かれた女」感想・ネタバレ

どんな本?

「小池百合子 権力に憑かれた女 ドキュメント東京都知事の1400日」は、和田泰明 氏の著書籍で、光文社新書から2020年7月15日に出版された。
この本は、東京都知事としての小池百合子氏の行動や政策を詳細に追ったドキュメンタリー形式の本。

本書では、小池氏がテレビカメラの前で記者からの質問に即座に答える様子や、「ロックダウン」「東京アラート」などのフレーズをメディアに取り上げさせる手腕など、彼女がメディアの特性を熟知していることが描かれている。
また、築地市場移転や東京五輪への対応、新型コロナウイルス対策などについても触れられていた。

しかし、政治家としてのビジョンはなかなか見えてこないとも述べられている。
本書は、小池氏が一体何をやりたいのか、何を目指しているのかを「週刊文春」の記者が徹底的にレポート。
この本は、小池百合子氏の政治活動について深く理解するための一冊と言えるかも?

読んだ本のタイトル

小池百合子 権力に憑かれた女~ドキュメント東京都知事の1400日~
著者:和田泰明 氏

gifbanner?sid=3589474&pid=889059394 ドキュメント「小池百合子 権力に憑かれた女」感想・ネタバレBOOK☆WALKERで購入 gifbanner?sid=3589474&pid=890484848 ドキュメント「小池百合子 権力に憑かれた女」感想・ネタバレ

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あらすじ・内容

徹底検証!
テレビカメラを前に、フリップを出して、記者からの質問に当意即妙に答える。「ロックダウン」「東京アラート」といったフレーズを、メディアに撮り上げさせる――。小池百合子はメディアの特性を熟知している。築地市場移転、東京五輪にメスを入れはした。新型コロナウイルス対策でも、愚策を続ける安倍晋三と政権与党との差は歴然だった。だが、政治家としてのビジョンはなかなか見えてこない。いったい、何をやりたいのか?何を目指しているのか?「週刊文春」記者がつぶさいレポートする。

小池百合子 権力に憑かれた女ドキュメント東京都知事の1400日

感想

この本は、小池百合子東京都知事の政治生涯を追ったドキュメントであり、彼女がいかにして権力の頂点に登りつめたか、またその過程で見せた政治手腕やメディア戦略、さらには個人的な苦悩や孤独にも焦点を当てる。

小池氏はメディアを巧みに利用し、自らの政治イメージを構築する一方で、記者会見では具体的な質問を避ける傾向にあった。

新型コロナウイルス感染症の拡大期においても、そのメディア対応は計算されたものであり、政治戦略の一環であることが指摘される。

東京五輪や新型コロナウイルスへの対応など、さまざまな局面で小池氏の政治姿勢が試された。

特に東京オリンピックのマラソン会場変更問題や学歴詐称疑惑など、様々な問題に対する彼女の対応は、メディアや公の場で大きな議論を呼んだ。

さらに、都議会議員選挙での「都民ファーストの会」の設立や、希望の党への挑戦など、彼女の政治キャリアは数多くの挑戦と転機に満ちていた。

この本では、週刊誌記者である著者の視線から、小池氏がどのようにして女性初の東京都知事となり、その後、都政をどのように運営してきたのかが描かれていた。

また、自民党東京都連のドンとして知られる内田茂氏との関係や、野田数氏といった側近との政治的な関わりについても詳細に述べられる。

さらに、築地市場の移転問題や、自らの政治スタイルがもたらす批判や問題点についても触れられていた。

この本の結末では、小池氏が新型コロナウイルス感染症の対応や都政運営においてどのようなレガシーを残したのか、また政治家としての彼女の評価はどのようになるのかが考察される。

小池氏は長年にわたり政治の世界で活躍してきたが、その背後には常に政治的な計算やメディア戦略が存在していた。

そして、彼女の政治生涯は、権力に憑かれた女性政治家の軌跡を浮き彫りにしている。

結局のところ、小池百合子という政治家の真の姿や価値は、読んだ人それぞれがこの本を通じて判断することになるだろう。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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Nonfiction

備忘録

はじめに

小池百合子東京都知事は、新型コロナウイルス感染拡大期にメディアからの一方的な発信を続け、直接的な取材には応じずに都政の情報を提供した。
2020年4月10日には、YouTubeでのヒカキンとの対談動画の視聴数が急増したことを発表する場面で、他の重要な質問には答えずに立ち去った。
小池はメディアを巧みに利用し、自らの政治活動を有利に展開している。
これはメディアが彼女の行動を取り上げ、有意義な議論が行われているように見せかけるための計算された行動である。
しかし、実際の記者会見では重要な質問に対して具体的な答えを避ける傾向がある。
これにより、記者たちは小池の政治姿勢を詳細に検証する機会を失っている。
小池のメディア対応は、メディアの性質を熟知している彼女の政治戦略の一環であると言える。

第 1章  東京五輪と新型コロナ

小池百合子は、2020年6月10日の東京都議会第二定例会最終日に、都民ファーストの会所属議員のみが出席する中で、自身に関する学歴詐称疑惑に揺れた。この疑惑は、石井妙子著の『女帝 小池百合子』によって提起され、小池の「カイロ大卒」という経歴に疑問が投げかけられた。この問題を巡り、都議会では小池に卒業証明書の提出を求める動きがあったが、小池与党が過半数を占めていたため、実現はしなかった。小池はこの期間、公に学歴問題について言及することはなかった。

2020年は東京オリンピックの開催予定年でもあり、マラソンと競歩の会場を札幌に移転するという国際オリンピック委員会(IOC)の決定に、小池は公然と不満を示した。この決定は、開催都市のトップである小池が事前に知らされていなかったこと、また、東京の夏の暑さへの対策として様々な努力をしていたにも関わらず、IOCが一方的に札幌移転を決定したことに起因する。小池はこの状況を「ジャンヌ・ダルク」として戦う姿勢を見せ、自身の政治舞台「小池劇場」を演出し続けた。

IOC調整委員会会議において、東京から札幌へのマラソン会場移転が事実上決定された。小池百合子は、開催都市としての立場や都民の意見が無視されたことに対する怒りを表明した。会議後の記者会見では、小池の強硬な態度が注目され、会場移転の費用負担を東京都が拒否する姿勢を明確にした。その後、IOCからの提案で、大会後に東京で「セレブレーションマラソン」を開催することが決定し、これにより小池は移転を受け入れることとなった。しかし、この結果、五輪史上初めて花形競技のマラソンが開催都市圏外で行われることになった。

このマラソン会場変更問題は、小池にとって大きな挑戦であり、都民や国民にその存在感を改めてアピールする機会となった。しかしながら、IOCとの間での交渉は容易ではなく、最終的には開催都市としての東京の意向が尊重されない形で決着を見た。この一連の出来事は、小池が直面した政治的な課題の一例であり、彼女の政治手腕が試された瞬間であった。

IOC委員のディック・パウンドが、コロナウイルスの影響で東京オリンピックの開催を疑問視する発言をしたことから、五輪開催に対する懸念が広がった。この発言は日本政府と組織委員会に動揺をもたらし、国内では通常通りの開催が困難であるという見方が強まった。一方で、国会議員や政界関係者はコロナ感染拡大の影響で会食のキャンセルが相次ぎ、記者を会食に誘うケースが増えた。3月にはIOCが緊急声明を発表し、予定通りの開催を強調したが、組織委理事の高橋治之が1、2年の延期を現実的な選択肢と発言し、これに森喜朗が強く反発した。しかし、結局、IOCは中止を議題にせず延期を検討するとの声明を出し、3月24日には安倍晋三首相とIOC会長のバッハとの間で延期が正式に決定された。

この期間、東京都知事の小池百合子は冷静に政府と連絡を取り合い、コロナウイルス対策の緊急記者会見を積極的に開催した。五輪延期が決定された後、小池はコロナ対策のための記者会見を頻繁に行い、都民への情報提供に努めた。しかし、記者会見では指名される記者を選別し、一部の記者との質疑応答では不快な気分にさせることもあったという。

小池百合子の新型コロナウイルス対策は、7月の東京都知事選挙を意識した「政治利用」の側面もあった。自民党幹事長の二階俊博の要請に応じて、東京都は中国に医療従事者用の防護服を提供したが、そのプロセスは明らかにされていなかった。小池は政権与党に対しても積極的に行動し、国の対応とは別に独自の政策を打ち出すことでリーダーシップを演出した。これには西村康稔経済財政担当相との交渉などが含まれている。

また、小池はコロナウイルス対策に関する広報活動に巨額の予算を投じ、自身が出演するCMを放映し、YouTubeチャンネルでも情報発信を行った。これらの行動は選挙活動と捉えられる側面があり、都庁職員の間ではその方法に疑問の声も上がっていた。しかし、批判が高まると小池は戦略を変更し、YouTubeチャンネルの活用など、新たなアプローチでコロナ対策の情報提供を続けた。

東京都知事の小池百合子は、コロナウイルス対応の一環として、様々なゲストを招いた「百合子チャンネル」を配信している。その中で、大阪府知事の吉村洋文もゲストとして登場した。吉村は政界で急速に出世し、コロナウイルス対策においても迅速な対応を見せ、公表やイベントの中止など独自の措置を打ち出した。これにより、吉村は広く評価され、小池との比較でも先行していると見られがちだった。小池は、五輪開催という足かせがある中で、吉村を「百合子チャンネル」に招くことで、新世代の政治家との連携をアピールしようとした。

その後、小池は「ロードマップ」という言葉を用いて、都独自のコロナウイルス対策の方針を示し、独自の「出口戦略」を模索していた。しかし、実際には具体的な出口戦略には踏み込まず、結論を先延ばしにする態度を取った。このような対応は、過去に市場移転問題で見せた小池のスタイルと似ており、政策の不透明さが指摘された。

一方で、大阪府知事として吉村が発表した「大阪モデル」は、コロナウイルス対策の具体的な指標と段階的な緩和策を提案し、高く評価された。これに対し、小池は東京都として独自のロードマップを作成し、吉村の動きに対抗しようとしたが、そのロードマップは吉村のものとは異なる内容となり、両者の政策の差が明らかになった。

小池の政策の不透明さと遅れは、過去の経験や都知事選を意識した cautiousな姿勢によるものと考えられる。しかし、コロナウイルスという未曽有の危機において、そのような姿勢が都民の支持を得るかは不確かである。

第 2章  女性初の東京都知事

2016年7月30日の東京都知事選挙の最終日、小池百合子は池袋駅西口で最後の街頭演説を行い、感動のあまり涙を見せた。この選挙で小池は自民党を敵に回し、単独で挑戦する道を選んだ。彼女にとっては、政治生命をかけた戦いであり、敗北は政治家としての終わりを意味していた。しかし、翌日の投票では、小池は歴代4位の獲得票数で圧勝し、女性初の東京都知事となった。

小池の政治キャリアは、常に「女性初」のタイトルを追求してきた。海外での経験やメディアでの活躍を経て、1992年に日本新党から参院選に出馬し、政界入りを果たす。その後、小沢一郎や二階俊博といった政治家との連携を経て、2002年には自民党に入党し、環境相として初入閣した。

小池は環境相時代にクールビズを推進し、政治家としての地位を確立する。しかし、安倍晋三の登場により、彼女の「女性初の総理候補」という位置は脅かされる。自民党が野党に転落した後も、小池は自民党三役に就任し、「女性初」の地位を維持したが、第2次安倍政権では影響力を失った。

そんな中、小池は東京都知事選への挑戦を決意し、自らを再び「女性初」の地位に押し上げる。東京都知事として、約13兆円の予算執行権を手にし、新たな政治の舞台で活躍を始めた。

1995年と1999年の東京都知事選で、出馬表明を遅らせた候補が勝利したことから、「後出しジャンケン」が有利という神話が存在していた。しかし、小池百合子は2016年の都知事選挙において、他の候補者よりも早くから意欲を示していた。ニコニコ動画での配信中、小池は出馬に関する話題を自ら振ることで、メディア戦略を巧みに操った。この時期は舛添要一都知事の不祥事が報じられており、小池はこの機会を利用して自らの存在感を高めた。

小池はメディアを通じて、舛添批判を行うことで、自民党内の舛添支持派と距離を置き、都知事選挙における自身の立ち位置を明確にした。自民党は小池の野心を警戒し、実務型の候補者を擁立する方針を示したが、具体的な候補者は決まらなかった。小池は自らの出馬表明を舛添の辞任直後に行い、自民党内の動きを出し抜く形で注目を集めた。

小池の出馬表明は、自民党が推薦する他の候補者選びに影響を与え、結局、自民党からの公式推薦を受けられない状況となった。しかし、小池はこれを逆手に取り、「ブラックボックス」と批判していた都連の閉鎖性を公に問題視し、自らの選挙キャンペーンに利用した。公約には非現実的なものも含まれていたが、小池のメディア戦略により、その不備を指摘する余地を与えなかった。

小池は参院選後、自民党本部に直接出向き、「推薦の取り下げ願い」を提出するなど、党内の決定に反旗を翻す行動をとった。これにより、小池は都知事選における自らの立場を一層際立たせ、メディアや世論の注目を集めることに成功した。小池のこれらの行動は、彼女が自らを「劇場」の中心に置くための戦略的なものであった。

自民党東京都連は、党紀の保持に関する厳しい指針を設け、小池百合子以外の候補への支援を禁じた。これに対し、小池は自らを支援する議員に対する一族郎党処分を批判し、若狭勝がこの指針の法的な問題点を指摘した。石原慎太郎の不適切な発言や、野党共闘の候補である鳥越俊太郎に関するスキャンダル報道は、相手陣営にとって大きな痛手となった。

小池は「市民 VS 大組織」の構図を先鋭化させ、メディアの注目を集めることに成功した。彼女はジャンヌ・ダルクに例えられることもあったが、自身を若くはないが覚悟を持って立ち向かう者と位置づけた。選挙戦では、オリンピック開催費用の問題や築地市場の移転問題にも言及し、これらを「ワイズスペンディング」の観点から批判した。彼女の政治家としてのスタンスは、現実的な準備不足よりも夢を追求することに重きを置いていたとも言われる。

最終的に、小池は巨大な組織である自民党に立ち向かい、メディアと有権者の間で熱狂を生み出す「小池劇場」を形作った。その後、彼女は政治家として脱皮を図り、聴衆の期待に応えようとした。

第 3章  自民党東京都連のドン

東京都議会において「千代田」と呼ばれる男、内田茂は自民党東京都連のドンとして知られていた。内田の政治手法は「根回し」や「気配り」に長けており、さまざまな方法で都政に影響を与えてきた。その一方で、後継の自民党東京都連幹事長となった高島直樹は、「あんこ屋」と呼ばれ、対照的な性格の持ち主であった。内田は2005年、浜渦武生副知事を百条委員会に引きずり出し、自身の影響力を示した。2016年の東京都知事選での敗北を受けて、内田と石原伸晃の体制に終止符が打たれ、下村博文が都連会長に就任した。

内田は築地市場の移転計画においても重要な役割を果たしたが、小池百合子知事が移転を延期し、内田が調整に尽力した計画に一太刀入れた。さらに2017年の千代田区長選では、小池支援の石川雅己が圧勝し、内田支援の与謝野信は敗れた。この選挙の結果は、小池による中間テストでの成功を示した。

内田は都議引退を発表し、政界からの引退を否定しつつも、自民党のために政治活動を続ける意向を示した。都議会自民党は、内田と小池との確執の末、一つの時代の終わりを迎えた。内田の政治家人生では初の経験となる多くのメディアに囲まれた取材に応じたが、内田と小池の間で直接的な対話は実現しなかった。

2017年7月2日の東京都議会議員選挙で、内田茂の後継者として中村彩が出馬したが、都民ファーストの会候補に敗れた。小池百合子知事は、都政運営において内田の影響を感じざるを得なかった。例えば、入札制度の改革を進めようとした際に、入札不調が重なったことが挙げられる。改革により予定価格を大幅に上げざるを得なくなったケースもあり、一部では内田が背後で動いているとの噂があった。

また、安倍政権による地方消費税の配分見直しは、東京都にとって約1000億円の減額を意味し、これは小池への意趣返しと見られた。小池はこの問題に対応するため、自民党幹部を訪ね歩いたが、状況を変えることはできなかった。小池が内田への接触を試みたが、内田はこれを無視し、直接の支援を拒否した。

東京五輪に関連する「Tokyo Tokyo FESTIVAL」の騒動では、自民党都議の質問を受けて、統括プロデューサーの川上量生がプロデューサー職を退任することになった。川上は内田に接近しようと試みたが、内田は協力を拒否した。

2017年末、自民党東京都連の定期大会で、内田は最高顧問に就任した。これは異例のことであり、内田の影響力の大きさを示す出来事だった。内田はその後も、都連幹事長の高島直樹らと共に、自民党内で影響力を持ち続けている。

第 4章  側近政治

野田数は、小池百合子東京都知事の政治資金パーティで記者たちと名刺交換を行うなど、きめ細やかな対応で知られている。かつて都議会議員選挙の選挙対策責任者や知事特別秘書として「小池劇場」を支えたが、現在は「東京水道株式会社」の代表取締役社長を務めており、コロナ危機対策に専念したいとの理由で取材を断っている。特別秘書としての彼の役割は、都の局長級に相当する重要な職であり、年収約1400万円である。彼は小池の長年の盟友であり、政治の世界に深い影響を与えてきた。

一方、小池知事は都政改革本部を設置し、外部識者を特別顧問として招聘した。特別顧問の中心的な役割を担ったのは慶應義塾大学教授の上山信一で、彼は「小池劇場」で重要な位置を占めている。都庁幹部からは「第二の浜渦」と呼ばれるほどの影響力を持ち、五輪会場変更の根回しやIOCとの協議にも関わっている。上山は自身の役割をプロフェッショナルとして捉え、小池知事の直接の任命を受けて活動しており、都庁職員からは「7階の意向」として畏怖される存在であった。

東京・六本木にある「バーレスク東京」というショークラブを頻繁に利用していた野田数は、小池百合子東京都知事から全幅の信頼を寄せられていた。野田は、小池の政治塾「希望の塾」の事務局長として活動し、大阪維新の会の「維新政治塾」を目標に、最終的には4827人から応募があり、2902人が入塾した。この塾から得た資金は、翌年の東京都議選に使われ、1億6881万円の収入が記録された。野田はその後、「都民ファーストの会」の地域政党としての活動を始め、多くの候補者選定を一手に担った。

野田は都議選での成功後、突然政治の表舞台から遠ざかり、後任として荒木千陽が「都民ファーストの会」代表に就任したが、野田は公明党との関係を維持するための「戦後処理」を行っていた。小池の国政挑戦とその後の失速により、都民ファーストの会は支持率を下げ、野田はその深刻な状況に危機感を抱いていた。しかし、小池は再び野田に戻ってくるよう促し、野田は都民ファーストの会の更なる活動に関与することとなる。

平昌五輪のスピードスケート女子パシュートで日本が金メダルを獲得した際、小池百合子東京都知事はその競技からインスピレーションを受け、特別顧問制度を廃止する決定を下した。この制度は、小池の先頭を切って改革を推進してきた上山信一を含む特別顧問たちによって構成されていたが、小池はもはやこの制度に「風圧」を感じなくなったと判断した。特別顧問の一人であった小島敏郎が辞任したことも、この決定の前兆であった。2018年3月、小池は正式に特別顧問制度の廃止を発表し、上山を含む特別顧問たちはお役御免となった。

廃止に抵抗した企業再生の専門家・安東泰志を含め、特別顧問たちの中には小池の方針に不満を抱く者もいたが、都政改革本部自体は職員主導で継続された。上山は特別顧問としての経験を振り返り、都庁職員に外向きの学習モードを促した成果を誇りに思っている。一方で、野田数は小池の「側近政治」を象徴する存在として、特別秘書としての役割から退き、東京水道サービス株式会社の社長に就任した。小池はこれにより、都政運営のスタイルを官僚主導へとシフトさせ、より安定した都政運営を目指した。しかし、築地市場移転問題など、未解決の問題も残されている。

第 5章  築地か、豊洲か

元東京都中央卸売市場ナンバー2の次長である澤章は、小池百合子都知事による市場問題への取り組みについて批判的に語った。彼は小池知事が市場問題に対して明確なビジョンを持っていなかったとし、問題に対処するためにさまざまな会議を立ち上げることが、「やってる感」を出すための「煙幕」に過ぎなかったと指摘した。澤は都庁を退職後、市場問題に関する内幕を詳述した著書『築地と豊洲』を出版し、これに対し小池知事は職員に対し購入を控えるよう指示したとされる。

小池知事の市場問題に対するアプローチは、都民の「安心・安全」を掲げつつ、実際は内田茂ら自民党利権に立ち向かう壮大なパワーゲームとして機能し、政争の具となった。豊洲市場の「盛り土」問題は、この問題の深刻さを象徴する事件として、市場移転問題の調査報道を促す契機となった。

移転延期の決断において、小池知事は重要な役割を果たしたが、この決断が後に自らの首を絞める結果となることも示唆された。市場問題に対しては、複数のプロジェクトチームや専門家会議が立ち上げられ、特に「市場のあり方戦略本部」が重要視された。しかし、市場移転に伴う補償の問題や、土壌汚染対策に関する疑問など、解決すべき課題は多く残された。

2017年2月に開会された定例会で、都議選を前にした東京都議会は、石原慎太郎元都知事や浜渦武生元副知事を喚問するための百条委員会の設置を全会一致で決定した。これは、民主党による「やらせ質問」問題以来、12年ぶりの百条委員会の設置であった。石原は記者会見で自らの立場を説明しようとしたが、高齢が隠しようのない状況であった。浜渦は自身に関する質問に対して、「全く知らない」と否定し続けた。

百条委員会では、東京ガスとの間で交わされた「二者間合意」の問題が焦点となったが、実態解明には至らなかった。その後、浜渦と赤星経昭元政策報道室理事が偽証の疑いで告発されたものの、1年後に不起訴処分となった。

一方、小池百合子都知事は市場問題をめぐる会議を数多く設置したが、具体的な進展は見られず、「ルー大柴化」と揶揄されることもあった。市場移転に関する「小島私案」が提出された際には、都側は戸惑い、法的拘束力がないことをいいことに小島は参考人招致を拒否した。

小池は「築地は守る、豊洲を生かす」という方針を発表し、豊洲市場の追加安全対策の実施と築地市場の再開発を進める計画を明らかにしたが、具体的な内容は不明瞭であった。都議選後、市場問題の収束に向けて急速に動き出したが、江東区との間で新たな問題が生じた。

結局、市場移転の方針が固まった後、小池は市場関係者への謝罪や、築地市場への訪問などを通じて関係改善を図ったが、市場問題に関する小池の方針変更や対応には批判も存在した。

「安全宣言」と同じくらいの難問だったのは、「食のテーマパーク」構想の後始末であった。この構想には、豊洲市場内に大浴場やフードコートを含む「千客万来施設」を設ける計画が含まれており、その施設の運営は万葉倶楽部が担当する予定だった。しかし、築地市場に同様の施設が設けられる可能性があるため、工事が一時停止していた。小池百合子都知事は万葉倶楽部会長の高橋弘との間で謝罪を含む交渉を行ったが、当初は謝罪なく、最終的には小池が謝罪して事業継続が決定した。

豊洲市場の追加工事が完了し、専門家会議が安全性を確認した後、小池は豊洲市場の安全性についての宣言を行った。この宣言は、「市場移転に関する関係局長会議」で行われた。

築地市場は83年の歴史を閉じ、業者たちの大引っ越しが行われ、豊洲市場が開場した。開場当日、小池は豊洲市場を訪問し、新たなスタートを切る業者たちにエールを送った。その後、人気寿司店「大和寿司」で寿司を味わい、観光客で賑わう豊洲市場の新たな日常が始まったことを象徴する場面となった。

第 6章  「排除いたします」

2016年5月、あるベテランの国会議員秘書が、以前は親しかったが疎遠になっていた小池百合子に国会内で遭遇し、意外にも親しげに話しかけられた。その後、小池が都知事選への出馬を表明したことで、彼女が関係を使い分けることが理解された。小池は、政治家としての「資質」を持っており、目的のためには人間関係を利用することに躊躇がない。彼女自身、「万能足りて一心足らずでいい」との考えを持っているとされる。

小池の政治行動は、自分に利益があるかどうかで人との距離を変えることが特徴であり、そのような姿勢が政治家として成功するためのものと考えられている。彼女は過去に自民党内でのコミュニケーションを避ける一方で、必要とあらばその場に適応する柔軟さも見せてきた。

小池の家族関係、特に破天荒な父との複雑な関係も彼女の政治的な行動に影響を与えているようだ。また、政界フィクサーである朝堂院大覚との関わりや、石原慎太郎やその他の政治家との複雑な関係も小池の政治生活において重要な役割を果たしている。

小池は政治的に冷徹で、目的達成のためには手段を選ばないことが示唆されており、これが彼女が都知事として様々な局面で強硬な態度を取る原因となっている。特に築地市場問題では、石原慎太郎や元副知事の浜渦武生との関係が特に注目され、小池の政治行動の先鋭化が見られた。

2016年の東京都知事選では、小池百合子を支援した現職の都議はわずか3人であったが、これらの都議は「ファーストペンギン」と称された。2017年には、「都民ファーストの会東京都議団」として再編された。しかし、その後、音喜多駿ら一部は小池と袂を分かつことになる。音喜多は、小池の政治活動における機敏さや、市場問題への取り組み方に不安を感じ始め、やがて離党を決意する。

音喜多は小池と初めて話した際、彼女が自民党を離れる覚悟について疑問を持っていたが、小池は自身の決断を「ルビコン川を渡った」と表現した。選挙戦中、音喜多は小池との距離感に変化を感じ、特に市場問題に関する立場の変遷に疑念を抱いた。都議選でトップ当選した後、音喜多は小池から祝福を受けるが、それと同時に過度の自信を戒められる。

「都民ファーストの会」が大きくなるにつれて、ファーストペンギンと呼ばれた彼らは重要な役職に就けず、メディア露出も制限された。最終的に音喜多は離党を決意し、小池からは何の連絡もなかった。離党会見は小池にとって大きな打撃となった。

音喜多は後に小池政治の批判者となり、「空」という言葉で小池を表現する。彼は小池の政治手法において、人材の育成(ビルド)よりも排除(スクラップ)に長けていると指摘する。また、小池が「新党は3日でできる」と述べたことがあり、彼女が政治家としてのビジョンや方向性を持たないことを示唆する。音喜多は小池によって政治家としてのキャリアが大きく変わったと認めつつも、彼女の政治スタイルに対する批判的な見解を持っている。

若狭勝が小池新党の可能性について公の場で初めて言及したのは、2017年7月9日であった。その後、若狭は政治団体「日本ファーストの会」を設立し、「輝照塾」を開始する計画も発表された。細野豪志も新党設立の動きに関わることとなり、小池百合子は若狭と細野の二人を前面に出す「二頭立て」戦略を採用した。しかし、細野には人望がなく、政治的動きも複雑であった。

若狭と細野は民進党からの新党準備を進めていたが、小池は9月25日の記者会見で新党「希望の党」を発表し、自身が代表を務めることを明らかにした。この動きは政界に衝撃を与え、小池の「リセット」発言は特に注目を集めた。しかし、「希望の党」の設立と運営は混乱し、候補者選定や党の方針に関する問題が続出した。

特に問題となったのは、小池が民進党の一部の議員を「排除」する方針を示したことであり、これが「希望の党」の失速の一因とされた。また、党の運営や候補者調整に関する不手際が明らかになり、党内の混乱が指摘された。

結果的に、「希望の党」は政権交代を実現するほどの力を持つには至らず、小池の「女性初の総理」への道も閉ざされた形となった。この一連の動きは、計画の不足と混乱、政治的判断の誤りが重なった結果であるといえる。

小池百合子の国政進出の可能性についてはメディアで大きく取り沙汰され、彼女自身も出馬を否定し続けた。希望の党としての選挙戦は、若狭勝と細野豪志を中心に進められたが、小池が直接出馬することはなかった。選挙戦は混乱し、最終的に希望の党は大きな敗北を喫した。特に輝照塾からの当選者はゼロであった。選挙後、小池は希望の党の代表を辞任し、特別顧問となったが、その後の党の運営にはほとんど関与しなかった。

その後、希望の党は存在感を示せずに支持率が下がり続け、国民民主党との合流協議が進んだ。小池は商標登録した「希望の塾」や「希望の党」を手放し、都政に専念する道を選んだ。玉木雄一郎は希望の党から国民民主党の代表となり、小池との関係はドライであるものの、コロナ対応を含む都政のために協力関係を維持していると語った。この一連の動きは、小池が政治家として適切な判断を下すことができず、野党を分断し、最終的に自らの政治的地位を低下させる結果となったことを示している。

小池百合子の政治行動は、目的達成のために手段を選ばないマキャベリストというよりは、自身の保守的な信条に基づくものであった。小池は「保守」を標榜し、夫婦別姓や外国人参政権に反対し、憲法改正にも積極的な姿勢を見せていた。また、在日外国人への対応では特に強硬な態度を取り、保守系論客としての色合いを強めていった。

小池は、ダイバーシティを掲げながらも、その実際の理解に疑問符がつく行動も見せていた。たとえば、性的マイノリティの差別を禁じる条例を制定する一方で、拉致被害者家族の記者会見での軽口や、特定秘密保護法審議時に差別的なヤジを飛ばしたことが指摘されている。これらの行動から、小池が政治的な目的のために思想信条を利用する面があることが示唆されるが、彼女の保守的な立場は一貫している。

第 7章  権力に憑かれた女

小池百合子は、効率的な生活を目指し、毎朝5分でセット可能なショートヘアを貫いている。彼女はイベントを巧みに使い、政治的なアピールを行うのが得意であり、例えば、自民党が野党に転落した際には髪を伸ばすことを宣言し、自民党が与党に返り咲くと、断髪式を行った。また、都議選前には髪をさらに短くし、断酒宣言をするなど、選挙の盛り上げに一役買っている。しかし、実際には酒量が少なく、断酒宣言は大きな苦ではなかったとされる。

小池は「ワイズスペンディング」を唱えながらも、都のカネを使ったプロジェクトにおいては空回りすることがあり、例えばLED電球交換キャンペーンには予算として15億円が計上されたものの、目標達成には至らず、予算を使い切る形で終了している。また、彼女の人事には、目配りが行き届いており、都庁内での信頼や忠誠を重んじる姿勢が見られる。女性管理職の増加や副知事人事においても、小池の意向が色濃く反映されている。

しかし、その一方で、電通や若き起業家など外部の人物への発注や起用には批判もあり、特にドワンゴ創業者へのプロジェクト委託は利益相反の疑念を招き、最終的には辞任に至っている。さらに、小池が公の場で面目を潰されることを極端に嫌う性格から、不都合な情報源を探る動きもあったという。これらの行動や人事から、小池の政治スタイルや権力行使に対する姿勢が垣間見える。

2019年4月24日、改元に伴う10連休前に、都庁内で注目される人事が報じられた。元副知事で東京信用保証協会理事長だった村山寛司が特別秘書に起用されることとなり、これは都庁内で大きな話題となった。村山は都の中枢で重要な役割を担い、部下を厳しく育成することで知られており、彼の門下生が今も都の中枢を支えている。村山の起用は、自民党だけでなく、公明党への配慮を示すものとも見られている。小池百合子は村山を特別秘書として迎え、その報酬を高額に設定したことで批判を受けたが、彼女はこれを「温故知新」と称している。村山は副知事たちと共に、小池の政治戦略の一環として機能し、「V0」と称されるほどの重要な役割を果たしている。

一方、小池が新しいアイデアやベンチャー精神を重んじることも明らかにされており、民間から副知事を登用する動きも見られた。ヤフー元会長の宮坂学が民間副知事に任命され、小池の広報対策強化の一環として重要な役割を担った。宮坂は新型コロナウイルス対策サイトの立ち上げを指揮し、大きな反響を呼んだ。

しかし、職員アンケートでは小池の支持率が低く、彼女の改革が職員には実際にはそぐわないと感じられていることが示されている。また、小池が身内に対しては特別な配慮を示す一方で、政治家や都庁幹部を使い捨てにしているという批判も存在する。特に、身内びいきの人事やポピンズへの依頼など、小池の身内に利益を与える動きが指摘されている。

このように、小池の人事戦略や政治スタイルは都政に新しい風を吹き込む一方で、批判や問題点も浮き彫りにしている。

都民ファーストの会(都民ファ)は、東京都議選で「都議会の悪しき慣習を一掃」する公約を掲げ、議員公用車の廃止などの改革を約束したが、実現には至らなかった。議会改革検討委員会は設置されたものの、成果は出せず、公用車は9台に減らすに留まった。この状況は、都民ファの新人議員の間で不満を生じさせ、小池百合子知事への直接的な不満もあらわにされた。小池知事は、新人議員を自宅に招き、意見交換を行うなどの対応を見せたが、党内での変化は見られなかった。

一方、公明党は小池知事との協力関係を築き、都議選での選挙協力や政策提案で影響力を持つようになった。特に、私立高校の授業料無償化など公明党の主張が小池都政に反映されたことは、公明党の戦略が成功したことを示している。しかし、このような動きは都民ファの一部からは批判の声も上がり、最終的には都民ファから3議員が離党する事態となった。小池知事は、離党を表明する議員たちとの面会で強い不満を示したが、都民ファの結束を促す結果ともなった。

公明党と小池知事の協力関係は、都政において重要な役割を果たしているが、公明党の存在が自民党との関係にどのような影響を与えているかは複雑である。公明党は自民党との連携を続ける一方で、都政では小池知事と協力することで、独自の政治基盤を維持している。

政治家としての小池百合子は、他の政治家と異なり、家族を政治活動に活用することがなく、独身で家族も政治に関わっていない。小池の生活における会話の相手は、愛犬「そう」ちゃんが主である。政治家としての小池の強さは、その孤独感から来ている可能性がある。また、小池は過去に結婚と離婚を経験しており、仕事を優先する生き方を選んだ結果、家庭を持つことがなかった。政治家として成功しているものの、個人的な生活では孤独を抱えていると推測される。

小池は記者会見などで、政治活動以外の個人的な話題にも触れることがあり、その際には自身の経験や感情を率直に表現している。特に子どもがいないことへの言及は、彼女の内面に深い影響を与えていることを示している。また、小池の政策の中には、経済的に厳しい生活を送ってきた経験が反映されていると見ることもできる。このように、小池百合子は政治家としては成功しているが、その背景には個人的な挑戦や孤独、苦労がある。

第 8章  安倍と二階と官邸と

2016年8月、小池百合子はリオデジャネイロで開催されたオリンピック閉会式に出席するために訪れた。その際、自民党の都議2名と会談を行い、相互に協力することを話し合ったが、実際には小池は自民党都議会との協力を深めることはなかった。また、小池は自身の政治塾を立ち上げるなど、自民党との距離を置く動きを見せた。自民党との関係は複雑であり、小池と自民党幹事長の二階俊博との間には長い歴史がある。小池は東京都議会での権力バランスを見極めながら巧みに立ち回り、自民党とは一定の距離を保ちつつ政治活動を展開していった。

小池は衆院補選に関する自民党内の対立を利用し、自身を支持する「7人のサムライ」と呼ばれる区議たちとの関係を維持しながら、自民党との間で政治的な駆け引きを行った。また、小池は財政調整を通じて政治的な思惑を反映させるなど、独自の政策を推進していった。特に、二階との関係を深めることで、自民党との間で複雑な政治的バランスをとりながら、自身の政治基盤を強化していった。

小池百合子が都議選に向けて示した「離党カード」には、自民党からのオウンゴールが続いた。自民党は小池との対決姿勢を強め、議会で彼女を厳しく追及したが、これが逆効果となり、メディアでは小池が自民党にいじめられているように映った。小池は安倍晋三首相との会談で五輪バッジを付けるパフォーマンスをし、都議選や新党設立について話し合ったが、安倍は小池の期待に応える動きを見せなかった。その結果、小池は「都民ファーストの会」を地域政党として立ち上げ、自民党と正面から対峙することになった。

一方、安倍政権は「モリカケ」問題により大きな打撃を受けた。この問題は安倍政権にとって政治生命を脅かすほどの危機となり、小池の動向に対する安倍の態度は消極的だった。小池は自民党を離党し、都議選の総決起大会でこの決断を発表した。これにより、自民党は内部からも批判を受けるようになり、都議選で大敗することとなった。自民党は過去最低の議席数にまで減少し、落選した都議からは安倍の顔を見たくないという声が上がった。

衆議院解散後、小池百合子は元総理の小泉純一郎を頼り、原発ゼロを掲げる「希望の党」を立ち上げた。小泉との会談はメディアに大きく取り上げられ、安倍晋三の解散決断のニュースを霞ませた。しかし小泉は希望の党に肩入れせず、小池が知事を辞めず国政に進出しなかったのは、小泉が後任に関心を示さなかったからとも言われている。その後の衆議院選挙では安倍が力を回復した。

小池と小泉は以降も定期的に会合を開き、小池が政治的な支援を受ける一方で、小泉は小池に対して政治的なアドバイスを提供した。小池が国政への関与を深める中、彼女は受動喫煙防止条例を成立させ、その政策で高い支持を集めた。

一方で、小池が品川区長選と沖縄知事選に関わったが、どちらも支援した側は敗北した。特に品川区長選では、自民党との関係が複雑な影響を及ぼし、最終的には小池が選挙に介入する姿勢を後退させた。この一連の動きは小池の政治基盤に一定の影響を及ぼし、その後の彼女の行動にも影響を与えたと考えられる。

2018年10月、小池百合子は安倍晋三首相に会い、地方法人課税について議論した。小池は五輪を盾に税収の地方流出の猶予を求めたが、安倍からは具体的な回答を得られなかった。それでも小池は、与野党問わず支援を求めて奔走し、最終的に自民党都連幹事長や二階俊博とも会談を行い、過去の行動を謝罪した。しかし、結果的に都から地方への税収流出は年間4000億円から9000億円に増え、小池の努力は実を結ばなかった。

小池は政治的に孤立しているとの認識が強く、自民党との連携不足が税収増につながったとの皮肉も受けた。それでも小池は公私ともに活動を続け、新たな政治団体「百成会」を設立し、再選に向けた動きを見せた。

また、小池は各政党の幹部と会い、都の予算を説明するなど、都政推進に向けて精力的に活動した。しかし、自民党や維新の会との関係は複雑で、特に維新の会とは経済的な面で折り合いがつかなかったようだ。小池の政治的な動きは一定の評価を受けつつも、都議会自民党との関係は硬化している様子が伺える。

街頭に立たない小池   1947年に参院選と統一地方選挙が行われて以降、 4年に一度の統一地方選(4月)、 3年に一度の参院選(7月)が重なるのが亥年である。  この「亥年選挙」は各政党にとって鬼門だ。地方議員が自身の選挙で死力を尽くし、参院選の時には使い物にならなくなってしまうからだ。  実際、第 1次安倍政権は 2007年、統一地方選挙後の参院選で大敗を喫した。それによって、民主党が参院で第一党になる「ねじれ国会」となり、安倍は自らの体調もあって辞任に追い込まれている。だから 19年の亥年選挙は、安倍にとって決して油断できないものだった。  一方の小池は、都民ファが設立されて初の統一地方選にもかかわらず動く気はない。「私、現在も都民ファーストの特別顧問を務めているわけでありますけれども、党からの要請ということについては、それぞれ対応について検討していきたいと考えています」(4月 10日会見)  こうして小池は二元代表制を都合よく使い分ける。  都民ファの公認候補 28人、推薦 1人。自民の 392人はともかく、同じく初陣となる立憲民主( 121人)、国民民主( 38人)よりも少なく、失速を印象づけないための「守りの選挙」であった。定数が 48もある杉並区議選にすら候補者を立てなかった。  小池は渋谷区長・長谷部健、豊島区長・高野之夫という圧勝が約束される区長候補、元秘書の都民ファ都議・樋口高顕の地元新人の激励に訪れただけだ。演説はすべて屋内で、街頭には立たなかった。ちなみに 2年前の千代田区長選では 5回も街頭演説を行っている。  今も小池のホームページには「東京大改革」なる文句が躍っている。トップに立つ政治家は、自らの政治信条に共鳴してもらうため、街を歩き、足元の議員を一人でも増やそうとするものではないか。しかし小池にそんな気はないのだった。  結果は 24人が当選、現職は全員当選した。ただし 7人を擁立した小池のかつての選挙区・豊島区(定数 36)で、「サムライ」の面々は当選を果たしたものの、最ベテランの里中郁男は最下位当選という有り様だった。  都民ファの足腰の弱さが露呈した形となった。  第二定例会後の6月 20日、都民ファは初の代表選を行った。これまで小池、野田数、荒木千陽と所属議員のコンセンサスもないままに代表が決まっており、新人議員らが代表選実施の声を上げていたためだ。  だが執行部の多数派工作が実り、立候補の届け出は代表の荒木のみ。無投票当選で小池―荒木ラインの信任が得られたとはいえ、荒木は「知事とは親子のような関係。でも親をきちんと批判できる子ども」と言い、小池も、荒木について不満が上がると「私の育て方が悪い。ごめんなさい」とかばう、他の議員からはアンタッチャブルな関係だ。小池が転べば、都民ファもろともとなり、 2年後の都議選への不安は高まるばかりだった。  7月 21日投開票の参院選についても小池は、「今のところ考えておりません」(7月 5日定例会見)と、応援に入ることを否定した。小池が政治家になって国政選挙に携わらないのは、子宮筋腫手術で入院した 1998年参院選以来だ。  新執行部は、参院選で勝手な応援を控えるよう所属議員にメールを送る。  果たして都民ファは何を目指しているのか。政治家が選挙で何もするなというのは、自らの存在意義を否定するようなものだ。単なる都議会の採決要員に成り下がったということか。  反発する議員が出るのも当然だった。  都民ファ新人の茜ヶ久保嘉代子がよりによって、小池に反旗を翻して離党し、日本維新の会から出馬している音喜多駿の応援に入ったのだ。〝お忍び〟の建前だが、堂々と街頭演説し、それが動画で拡散されてしまう。  党内に動揺が走る。小池の元秘書の都民ファ都議・尾島紘平は、〈組織というものを、一から議論し考え直さなくてはなりません。じゃないと党がもたない〉  とツイート。音喜多は私の取材に「名前は言えませんが、十数人くらい水面下で応援してもらってます」と語り、荒木体制への不信感が露呈した。都民ファ都議が自民党候補の演説会に私服で顔を出している姿も、私は目撃している。「いきなり評論家になりますけれども、あまり(議論が)深まっているとは思いがたいですね」(7月 19日会見)  小池は参院選を他人事のように語った。 21日の投開票日には、自身のフェイスブックで翌 22日から「スムーズビズ推進期間」が始まることを投稿する手の込みようで、ついに全く参院選に関わらなかった。  こうして小池は腕をだらりと下げ、ガードをしないポーズを取り続けつつ、自民党の他の重鎮をも押さえにかかっていた。  6月、東京パラリンピックを盛り上げる有識者懇談会を設置する際、車椅子生活の自民党前総裁・谷垣禎一を小池自ら口説きにかかったのだ。  小池が知事選に出馬する際、「進退伺い」を突きつけた相手は、当時幹事長だった谷垣だ(第 2章)。谷垣は不幸にもその 1週間後、趣味のサイクリング中に転倒、頚椎を損傷してしまう。リハビリ生活となり、翌年の衆院選には出馬せず、政界引退を余儀なくされた。二階は今回の参院選に出馬するよう打診したが、固辞されている。  その谷垣に小池は目をつけ、懇談会会長に据えようとするのである。谷垣は政策グループ「有隣会」を実質率いる立場だ。谷垣の起用は、新旧幹事長と「有隣会」を押さえる意味合いもあるだろう。  漫画家・長谷川町子の自宅があったことから「サザエさんの町」と呼ばれる世田谷区桜新町に、谷垣の自宅はある。小池はわざわざ谷垣の自宅に足を運んで打診するのだ。  だが谷垣は、小池の露骨な意図を汲み取り、「政治的に受け取られる」  と会長職は固辞したという。ただし名誉顧問は引き受けた。懇談会が開かれたのは 20年1月までわずか 3回だが、小池からすれば谷垣が名を連ねているという事実さえあればよかった。安倍の小池支持発言  8月 20日、前年と同じ日に開かれた「百乃会」第 2回セミナーのゲストは二階俊博であった。都知事 2選目に向けた発言があるのではと、幹事長担当記者も大勢つめかけた。  会費は 1万円。水と「世界の都市総合ランキング」の冊子が配られるだけだが、 250人ほどの席は満席だ。  ところが二階の到着が遅れるというハプニングが起こる。小池は自ら出迎えに行く。来場者より二階の方が大切とでも言わんばかりに。会代表の元法相・杉浦正健がスピーチで間をつなげなければならず、弛緩した空気が広がった。  二階は小池とともに 20分遅れで入場した。その後、大きな巻紙を持って登壇し、左肩を幾分落としながら、それをひたすら読むことに終始した。声は聞き取りづらく、災害や観光といった硬い話題ばかりでスピーチは盛り上がらない。途中退場する出席者もいたほどだ。あげくに 2選目に関する言及はなく、スピーチが終わるとそのまま退席。ぶら下がり取材を受けることもなく、記者らは無駄足となった。  だが小池にすれば、二階との接点をアピールできさえすればよく、その思惑通り、蜜月ぶりが報じられた。  一方で都議会自民党に対しては厳しい対応を取った。都政において前代未聞のことが起きていた。  都議会の質疑は 1カ月ほど前から都議と都幹部が膝詰めで擦り合わせる。都議にとって、自らの質問で知事の踏み込んだ答弁を引き出すことが〝手柄〟となる。ところが 2019年9月の第三定例会から、質疑直前になって職員側から「質問を変えてほしい」とか「知事の答弁を減らす」といった通告が、特に自民党に対して頻発していたのだ。「もちろん事前にそうしたやり取りはありますが、局長が OKを出したものを、さらに上のレベルで変えるということは聞いたことがない。かわいそうなのは板挟みになる課長ら。『都政史上最悪だ』と漏らす課長もいました。村山寛司特別秘書ら側近が知事に忖度したものと見られています」(職員)  すでに書いたように、小池も 16年 12月の定例会本会議で、事前通告なしで自民党議員から 40問近い質問を浴びせられ、立ち往生した過去がある。その仕返しをお見舞いしたというわけだろう。  都連は小池の対抗馬擁立に向けて重い腰を上げていた。 19年6月 27日に党本部で初会合を開いて以降、断続的に協議はされるが何も決まらない。丸川珠代、松岡修造、鈴木大地といった著名人の名前が浮かんでは消えた。当初は候補擁立を息巻いていた主戦論者たちも「責任を取ってお前が出ろとなったらまずい」と、次第に口を閉ざすのだった。  ついに、総理の安倍がしびれを切らした。「小池さんに勝てる人はいない。東京都連も小池さんとの関係修復を考えないと」   12月 17日昼、二階と官邸で面談した際、安倍はそう発言したという。安倍が「小池支持」を口にしたのは初めてのことだ。  小池は、見事に寄り切ったのである。候補者擁立断念の舞台裏「なんて運がいい女なんだ」  第 1章で詳述した新型コロナウイルス、東京五輪延期は、ただでさえ優位にあった小池の立場を揺るぎないものに変えた。ある現職閣僚は記者たちに、そんな失言気味の本音を漏らしている。  五輪の開催が危ぶまれ始めた 20年3月 12日昼前、小池は官邸に安倍晋三を訪ねた。コロナ対応の要望書を渡すためだ。報道陣向けに握手でなくグータッチを披露し、人払いをすると、とたんに二人の会話はきな臭くなった。小池「政治休戦をしたい。関係を元に戻したい」安倍「高島さんに言えばいいじゃないか」小池「高島さんに謝っても意味がなかった」   18年 11月、小池が自民党東京都連幹事長・高島直樹と会い、「ブラックボックス」と批判した過去を詫びたことにはすでに触れた。それから 1年以上経っても、都連の態度は硬化するばかり。それは二階や安倍にすり寄る小池にこそ原因があるのだが、国難に乗じて、トップダウンで都連を鎮圧にかかった。  安倍にとっても、コロナ抑え込みのキモになる東京での政治闘争は、自身の足を引っ張ることでもあった。  安倍は側近の文科相・萩生田光一に指示を出す。都連総務会長でもある萩生田は、小池と直接話をした上で、都議会に密かに乗り込んで総理の意思を伝えた。だがファイティングポーズを取り続ける都議会自民党からすると、タダで呑める話ではない。  そこに登場するのが〝自民党東京都連のドン〟こと内田茂である。  ターゲットは小池が任期を通じて最も腐心した市場移転問題だ。都は都心一等地の築地の土地を売却するはずだったが、小池はそれを所有したまま、「築地再整備」によって賃借料を回収し続けるという案に変更した。その「再整備」案を白紙撤回するなら、自民は予算案に賛成するという〝政治のプロ〟ならではの落としどころだった。  内田や萩生田は都議会幹部を集め、その腹案を話すが紛糾する。「もちろん反発しましたよ。私たちからすれば、予算案の賛成と対抗馬を立てないことは別の話。小池さんには乗れない。人としてふさわしい方だったらいいけど」(小宮安里政調会長)  ここで皮肉にも、小池がかつて批判した「ブラックボックス」が機能し始める。3月 23日、萩生田も含む都連五役が集まって候補者擁立断念の方針を決め、 24日昼、二階、内田、高島の食事の席で事実上了承されるのだ。現場の都議からすれば、後ろから撃たれたようなものだった。  自民は 27日の本会議で 3年ぶりに予算案に賛成した。それは 24日の都議会予算特別委員会での、以下の小池の答弁を受けてであった。「築地まちづくり先行事業の実施方針につきましては、今年度策定の予定でございました、え〜一方、今ご指摘がございましたように、東京 2020大会の開催につきまして(略)状況の大変化がございます。よって、この状況の変化を踏まえまして、その動向が明らかになって以降、その結果を踏まえながら、内容の見直し、公表をすることといたします」「先行事業」とは、都が築地再整備の「 0段階」と位置づけるもので、まずは船着き場など海に面した部分を整備していくもの。市場当局が本音では再整備したくないという〝時間稼ぎ〟に見えなくもない。  あくまで小池は、築地跡地本体の再整備でなく、「先行事業」を見直すと言ったに過ぎないが、自民はそれを築地再整備計画自体の見直しととらえた。  狐と狸の化かし合いのような議論だが、小池にしてみれば、安倍、二階という党本部を押さえ、自民が予算に賛成する以上、どうでもよいことだった。  だからその齟齬はあっさり露呈する。  定例会閉会後の自民党会派控室への挨拶回りでのこと。小池は「大事な予算に賛成いただきありがとうございました」と礼を言って立ち去ろうとすると、幹事長代理・吉原修から「内容の見直しもありがとうございました」と声をかけられた。それに小池はこう返した。「いろんな見方がありますから」  自民議員たちは「いろんな見方?」と顔を見合わせるのだった。  その後、私は自民党控室前で高島を直撃した。 ――二階幹事長との会談で小池支持となった? 「(小池支持の話は)出てない。(賛成にまわった)予算のことも話してない」 ――では、小池再選支持といった報道が出て驚いた?「うん。驚き桃の木山椒の木だよ」  高島は都連五役のうち唯一の都議だけに、現場の都議と党本部との板挟みにあっているようだった。現場の不満を感じ取った二階は、こんな言葉を都議らに届けたという。「小池には内田に詫びを入れさせるから」  第二定例会最終日の前日にあたる6月 9日、元総理の小泉純一郎、党幹事長の二階らによる恒例の割烹料理屋「津やま」での会合が開かれた。  店は赤坂の狭い路地を入った所にある。路地入り口には政治部記者だけでなく週刊誌や夕刊紙の記者、カメラマンが集まった。  ターゲットはもちろん小池である。小池はまだ出馬表明をしていないが、二階はすでに、党の推薦を出すと公言している。両者の蜜月ぶりがアピールされると思われた。  開始予定の 6時前、小泉内閣の〝偉大なるイエスマン〟武部勤元幹事長が到着。その後、小泉、中川秀直、山崎拓両元幹事長と続き、二階は 6時 25分頃店に入った。  ところが小池は現れない。  実は前日の段階で、新型コロナウイルスの警戒を呼び掛ける「東京アラート」が発令中との名目で、欠席を告げていたのだった。  いずれも 80歳前後の老人ばかりとなった。  会が盛り上がらないと考えたのだろう。武部は急遽、タレントとして活躍する「小泉チルドレン」杉村太蔵・元衆院議員を呼んだ。たまたま赤坂を歩いていた杉村はすっ飛んでいき、出席者を喜ばせている。  会の途中、武部は小池に電話を入れた。そしてその場にいる一人ひとりと代わり、「がんばれ」と、知事選に向けた激励をしたという。   9時前に店から出てきた二階はしかし、不機嫌だった。「密」の状態で追いすがる記者から「都知事選の話は出たか」と問われると、「選挙の話をするわけないだろ!」  と吐き捨てた。  二階はようやく察したのではないか。  小池百合子は、二階や小泉といった〝過去の〟権力者を利用し終えたのだと。そして、さらなる権力をつかもうとしているということを。

おわりに

2020年6月18日、東京都知事選挙の告示日に、小池百合子はコロナ禍を理由に街頭演説を避け、動画を通じて選挙戦の第一声を発した。これは以前の選挙とは異なるアプローチで、コロナウイルス感染防止への配慮を示したものであった。小池はこの選挙で、どの党からも推薦を求めずに立候補することを決め、自民党幹事長・二階俊博にその旨を伝えた。これは二階にとっては予期せぬ事態だったが、小池の緻密な政治判断と評価される。しかし、その過程で小池のかつての選挙時の潔さは見られなかった。

小池は以前掲げた「七つのゼロ」の政策のうち、ペット殺処分をゼロにすることに成功したものの、他の目標は完全に達成されていない。小池都政は具体的なレガシーを残すことには成功していないが、彼女の政治手腕は都政や都民との関わりにおいて評価されるべき点がある。一方で、政策に対するその場しのぎの発言や方針の変更は批判されるべき点である。

小池は30年以上にわたり「見出しになる人」としてメディアに登場し続け、特に権力の近くにいる政治家としての地位を確立してきた。この本は、小池百合子という一人の政治家の姿を描こうとする試みであり、最終的な評価は読者に委ねられている。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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