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フィクション(Novel)捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです読書感想

小説「捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです4」感想・ネタバレ

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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです 4の表紙画像(レビュー記事導入用) フィクション(Novel)

公爵夫人3巻レビュー
公爵夫人 全巻まとめ
公爵夫人5巻レビュー

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  1. 物語の概要
    1. ■ 作品概要
    2. ■ 主要キャラクター
    3. ■ 物語の特徴
  2. 書籍情報
  3. あらすじ・内容
  4. 感想
  5. 考察・解説
    1. エンカー地方の開発
      1. 農業基盤の確立とインフラ整備
      2. 新技術の導入と生活環境の向上
      3. 特産品の開発と物流の開拓
      4. 大規模な都市計画と防衛
      5. 人材育成と統治体制の強化
      6. まとめ
    2. 領地運営と秩序
      1. 都市計画と防衛・治安の維持
      2. 執政官の導入と冷徹な政治の自覚
      3. 法の整備と領民の権利保護(識字教育)
      4. 次世代を担う直臣の育成
      5. まとめ
    3. 技術革新と発明
      1. 建築の常識を覆すコンクリートの開発
      2. 労働負担を軽減する揚水機(手押しポンプ)
      3. 魔力を応用したベッドメリーと扇風機
      4. 乗り心地を改善する馬車の板バネ(サスペンション)
      5. 魔物討伐の環境を改善する発明
      6. まとめ
    4. セドリックの離脱
      1. 離脱の経緯と背景
      2. 叶わなくなった本来の願い
      3. 別れの夜と未来への約束
      4. まとめ
    5. 聖女の伝承と運命
      1. 神殿の伝承と救済の象徴
      2. フランチェスカ王国建国の史実
      3. 社会構造への影響と各勢力の思惑
      4. ゲームのシナリオとメルフィーナの葛藤
      5. まとめ
  6. 登場キャラクター
    1. エンカー地方
      1. メルフィーナ・フォン・オルドランド
      2. マリー
      3. セドリック・フォン・カーライル
      4. エド
      5. ラッド
      6. クリフ
      7. アンナ
      8. フェリーチェ
      9. ルッツ
      10. フリッツ
      11. ロイド
      12. ニド
      13. エリ
      14. レナ
      15. サラ
      16. マルク
      17. ロド
      18. リカルド
      19. ハンス
      20. エディ
      21. ロイ
      22. カール
    2. オルドランド公爵家・北部
      1. アレクシス・フォン・オルドランド
      2. オーギュスト
      3. テオドール
      4. ローランド
      5. ジグムント
      6. ヘルムート
      7. ギュンター
      8. アウグスト
      9. メリージェーン
      10. クリストフ
      11. マーガレット
      12. ルーファス
    3. ルクセン王国
      1. セルレイネ
      2. サイモン
      3. ユリア
    4. 王宮・象牙の塔・カーライル家
      1. ユリウス・フォン・サヴィーニ
      2. ジョルジュ
      3. フィリップ
      4. メルヒオール
      5. 象牙の塔の魔法使い・錬金術師たち
    5. 神殿・教会
      1. エミル
    6. 冒険者ギルド・商人
      1. カーク
      2. ヨハン
      3. ゲルト
    7. 伝承・過去の人物・その他
      1. マリア
      2. 宰相の息子
      3. 乳母
  7. 展開まとめ
    1. 変化していくもの
    2. 春の再会と移住願い
    3. 開発目標と執政官
    4. 実績と信頼
    5. 水運調査
    6. 視察と馬車の会話
    7. 害虫対策と散布機
    8. 少女と錬金術師
    9. 屋台と発展の光と影
    10. 錬金術師の滞在依頼
    11. トウモロコシと東部の商人
    12. 菜園と実験圃場
    13. 武闘会と聖女の話
    14. 不安と祝福の派遣
    15. 武闘会の終わり
    16. 丸いチーズと公爵家の思い出の味
    17. 思春期と空の星
    18. 提案と温かいチーズケーキ
    19. 司祭の来訪
    20. 「祝福」と「才能」
    21. 持たざる者
    22. ミルクセーキと人の価値
    23. 家令見習い工
    24. 古い手記
    25. 農業用水池と用水路
    26. ベッドメリーと扇風機
    27. 手押しポンプの考案と稲妻
    28. 神様と雷
    29. 領主邸の、とある昼下がり
    30. 捨て子の処遇
    31. 黄金色の幸せパンケーキ
    32. 護衛騎士の休暇願い
    33. 南の小麦と餃子パーティ
    34. 不幸の報せと騎士の願い
    35. 涙と幸せな記憶
    36. さよならの夜
    37. 約束と誓いと 帰る場所
    38. 大工の親方とコンクリート
  8. 捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです 一覧
  9. その他フィクションョン

物語の概要

■ 作品概要

本作は、女性向けライトノベルとして人気を博す「領地改革ヒューマン・ファンタジー」シリーズの第4巻である。夫に疎まれ、不遇な立場に置かれた公爵夫人・メルフィーナが、自身の望む「平穏なスローライフ」を手に入れるために領地運営に奮闘する姿を描いた物語である。 本巻では、春を迎えた領地を舞台に、メルフィーナが本格的な都市計画に着手する。城塞建造や害虫対策、物流の円滑化など、領民が幸せに暮らせる町づくりを進め、順調に見えた領主邸の日常が描かれる一方で、護衛騎士セドリックのもとにひとつの報せが届くことで、新たな展開へと動き出していく。

■ 主要キャラクター

  • メルフィーナ: 本作の主人公である公爵夫人。自らの平穏な生活を勝ち取るべく、前向きかつしたたかに領地改革を進める。身分問わず職人や農民と良好な関係を築き、かつて確執のあった者すらも巻き込んでいく「人たらし」な気質の持ち主である。
  • セドリック: メルフィーナを傍で支える忠実な護衛騎士。第4巻の物語において、彼の元にある報せが届くことが重要な局面の鍵となる。
  • アレクシス: かつては関係に溝があったものの、メルフィーナと和解を果たした人物。彼女の進める都市計画に協力を求められ、町づくりに尽力する。
  • セレーネ: すっかり元気を取り戻し、メルフィーナの領地運営や日常のお手伝いをするようになる人物である。記載する。

■ 物語の特徴

本作の最大の魅力は、見捨てられた主人公が「復讐」や「権力闘争」に走るのではなく、純粋に「平穏なスローライフ」と「領民の幸福」のために行動する点である。単なるのんびりとした日常描写にとどまらず、インフラ整備や物流改善といった、地に足の着いた本格的な内政・都市計画の要素が深く組み込まれていることが、他作品との大きな差別化要素となっている。 また、主人公の行動を通して、かつて疎遠だった人物たちが絆を取り戻し、適材適所で活躍していくヒューマンドラマとしての側面も、読者にとって非常に興味深いポイントである。

書籍情報

捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです4
著者:カレヤタミエ 氏
イラスト:駒田ハチ  氏
出版社:TOブックス
発売日:2026年4月15日
ISBN:9784867949641

(PR)よろしければ上のサイトから購入して頂けると幸いです。

あらすじ・内容

したたか夫人の領地改革ヒューマン・ファンタジー、第四弾!
春を迎えた領主邸で、メルフィーナは都市計画に動き始めた。
城塞建造や害虫対策、物流の円滑化など、
領民たちが幸せに暮らせるように次々と町づくりを進めていく!
これまで関係を培ってきた職人や農民だけでなく、
和解を果たしたアレクシスにも協力をあおいだり、
元気になったセレーネにもお手伝いしてもらったりと人たらしを発揮。
彼女の望む平穏なスローライフの実現に向けて、領主邸は順調に見えた。
しかし、ある日護衛騎士・セドリックのもとにひとつの報せが届き――
「私の光は、もうすでに、あなたなのです」
したたか夫人の領地改革ヒューマン・ファンタジー、第四弾!

捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです4

感想

読み終え、領地の鮮やかな発展と不意に訪れる不穏な影のコントラストに、心を引き込まれた。春を迎えたエンカー地方では、トウモロコシの栽培が浸透し、新たな取引先も増えて、領地は活気づいていたのである。有能な人材も育ち始めており、メルフィーナの思い描く街づくりが形になる過程は、読んでいて心が躍った。かつては冷え切っていた夫アレクシスや、元気になったセレーネたちと協力し合う姿には人を惹きつける魅力が溢れており、温かな日常に安らぎを覚えたのである。

しかし、順調な日々の裏では重い空気が忍び寄っていた。夫が口にした「聖女」という言葉に、メルフィーナは敏感に反応したのである。過去の記録を読み返し、世界が乙女ゲームのシナリオ通りに動いているのではないかと不安を募らせる彼女の心理描写は、真に迫っていた。

最大の衝撃は、攻略対象の一人である護衛騎士セドリックに家族の不幸が届き、彼がエンカー地方を去る展開であった。万事が順調であると安心していた矢先に、ゲームの強制力が働いたかのような「世界の揺り戻し」が起き、思わず息を呑んだ。彼が別れ際に残した「私の光は、もうすでに、あなたなのです」という言葉は切なく、胸を打った。

彼がこの地を離れることで、ゲームの開始時期まで物語から退場してしまうのかが焦点であったのである。あるいは舞台そのものが彼の移動先へ移るのか、先の展開が気にかかった。本来のヒロインが彼に同様のアプローチをすれば、略奪のような愛憎劇が待っているのではないかと想像が膨らんだのである。平穏なスローライフの行方や、予測不能な人間関係にハラハラさせられた。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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公爵夫人3巻レビュー
公爵夫人 全巻まとめ
公爵夫人5巻レビュー

考察・解説

エンカー地方の開発

エンカー地方の開発は、領主メルフィーナが前世の知識を駆使し、荒野の開拓といった初期の生存戦略から始まり、持続可能な農業基盤の確立、生活インフラの整備、特産品の開発、そして大規模な都市計画へと急速な発展を遂げている。

エンカー地方における開発の主な取り組みは以下の通りである。

農業基盤の確立とインフラ整備

飢饉を見据えたトウモロコシの大規模栽培から始まった農業は、連作障害を防ぐための豆類やクローバーの導入、コンポストを用いた土壌改良により持続可能な形へと発展した。さらに、メルフィーナの鑑定能力を活用し、甜菜やトウモロコシなどの種を選別して品種改良を行い、より収穫量や糖度の高い作物を作り出そうとしている。
また、干ばつに備えるため、農業用の貯水池と用水路の建設が進められた。将来的には水漏れや崩落を防ぐため、コンクリート製のU字溝を敷設する構想も立てられている。

新技術の導入と生活環境の向上

村の衛生状態を改善するため共同トイレが設置され、手洗いや水を沸かして飲む指導が行われた。さらに、生活を豊かにする新技術が次々と開発されている。

  • コンクリートの開発:消石灰、灰、砂、小石、水を混ぜて作る新素材。大工のリカルドや計算の才能を持つ少年ロドの協力を得て、最適な配合の試行錯誤が行われている。これが完成すれば、強固な建物を迅速に建設することが可能となる。
  • 手押しポンプ(揚水機):少女レナの着想と錬金術師ユリウスの技術により、井戸水をレバーの操作で汲み上げる装置が考案された。これにより水汲みの重労働が大幅に軽減される見込みである。
  • その他の設備:領主邸には石窯やサウナ風呂が設置され、冬の寒さを凌ぐための天幕用簡易暖炉も開発された。

特産品の開発と物流の開拓

エンカー地方を経済的に豊かにするため、外貨を獲得できる特産品の開発と、それを運ぶ物流網の整備が進められている。

  • 特産品:地下醸造庫を建設し高品質なエールを醸造するほか、ユリウスと協力して銅製のポットスチル型蒸留器を開発し、ジンやウイスキーなどの蒸留酒の製造を開始した。また、秘密裏に甜菜から砂糖を精製する技術も確立し、チーズや生ハムなどの畜産加工品も生産している。
  • 水運調査:物流を円滑にするため、冒険者に依頼してオルレー川からラクレー運河を通る水運ルートの試験航行を実施した。これが成功すれば、農産物の輸出や南方の物品(植物紙や軟質小麦など)の輸入が容易になる。

大規模な都市計画と防衛

人口流入と経済発展に伴い、無秩序な拡大を防ぎ、治安と防衛を強化するための都市計画が進行している。

  • 村の再編:人口増加による魔物発生リスクを抑えるため、エンカー村とメルト村の間に新たな集落を建設し、人口と牧場を分散させる計画が立てられた。
  • 城館と水濠の建設:地魔法を活用し、現在の領主邸を囲むようにミレー川から水路を引いて水濠を建設している。敷地内には行政区、圃場、工房、酒造所を集約し、エンカー地方の新たな中枢となる城館を築く大事業を大工のリカルドに一任した。
  • 治安維持と資源管理:村に兵士の詰め所を設けて小さな罪の段階で更生を促す仕組みや、木材の無計画な伐採を防ぐための専門チームと植林計画が導入された。

人材育成と統治体制の強化

開発を支えるため、人材の登用と教育にも力が注がれている。
公爵家からヘルムートやギュンターといった執政官を迎え入れ、法と秩序に基づく政治体制の構築を進めている。また、領民が不当な契約から身を守れるよう、自らの名前を書けるようにするための手習い帳を制作し、教育の機会を設けた。さらに、演算と分析の才能を持つロドや、文武の才能を持つロイドなどの若者を見出し、特にロイドを将来の家令候補として育成するなど、次世代を担う人材の確保も行われている。

まとめ

エンカー地方の開発は、農地を切り拓く段階を終え、新素材や新技術の投入、水運を利用した物流網の構築、そして防衛と行政機能を備えた都市建設へとフェーズを移行している。メルフィーナの先見性と、それに応える職人や領民たちの努力により、辺境の寒村は王国でも類を見ない豊かな大都市へと変貌を遂げようとしている。

領地運営と秩序

エンカー地方におけるメルフィーナの領地運営と秩序は、開拓と農業振興という初期段階を過ぎ、急速な人口流入と経済発展に伴う治安の維持と強固な統治体制の構築という新たなフェーズへと進化している。

資料から読み取れる領地運営と秩序形成の主な取り組みは以下の通りである。

都市計画と防衛・治安の維持

人が増え、村や街が発展するほど魔物が湧きやすくなるというこの世界の法則に対応するため、メルフィーナは防衛を視野に入れた都市計画を進めている。

  • 城塞化と水濠の建設:大工のリカルドや魔法使いを動員し、ミレー川から水を引いて領主邸や行政区画を囲む水濠を建設し、城館を中心とした防衛体制を築こうとしている。また、商業区と農業区を分け、街道に関所を設けて商人から入市税を管理する仕組みも構想している。
  • 貧民街化の防止と更生:人口増加に伴って窃盗や不法侵入などの小さな問題が起き始めていることから、メルフィーナはエンカー村とメルト村に兵士の詰め所を設けることを決定した。これは、何も持たない貧困層が凶悪犯罪に走って貧民街(スラム)が形成されるのを未然に防ぎ、小さな罪の段階で介入して更生の機会を与えるための治安維持システムである。

執政官の導入と冷徹な政治の自覚

統治体制を強固にするため、公爵家からヘルムートとギュンターという執政官を迎え入れるが、彼らからは優しさだけでは政治は回らないと厳しく諭される。

  • 慈悲深さの弊害:かつて農民や農奴の未納や怠惰に寛容に接した慈悲深い代官の領地が、結果的に規律の崩壊と極度の治安悪化を招いたという逸話を通じて、法と罰の厳格な執行の必要性を突きつけられる。
  • 為政者の重圧:メルフィーナは、領地の裁判権を持つ者として時に非情な決断(罪人の処罰など)を下さねばならず、自らの指示が領民の命や人生を直に左右するという、統治者としての重い責任と覚悟を痛感することになる。

法の整備と領民の権利保護(識字教育)

急速な発展により外部から商人が流入した際、知識のない平民が不当な契約を結ばされ土地や財産を奪われる危険性を見越して、事前対策に乗り出している。

  • 領地法と公証人制度:土地の譲渡等に関する法律の制定と、契約を客観的に証明する公証人制度の導入を文官たちと準備している。
  • 手習い帳の作成:平民が契約書に自らの名前をサインできるよう、王太子セレーネや家令見習いのロイドらの協力を得て、植物紙を使った識字教育用の手習い帳の製作を開始し、領民の自衛力を高めようとしている。
  • 不当な慣習の是正:他領の代官が実質的な結婚税である初夜権を私物化し横領していた問題を公爵家に報告して是正させつつ、不幸な結婚を防ぐための税の仕組み自体は、名前を変えて自領にも適切に導入する意向を示している。

次世代を担う直臣の育成

将来的に広大な領地を一人で管理することは不可能になるため、人材の育成にも着手している。エンカー村の村長の孫であり、文武の才能を持つ青年ロイドをセドリックの従士として迎え、同時に執政官の下で政治や内政を学ばせる家令見習いとして登用し、自らの直臣を育て始めている。

まとめ

メルフィーナの領地運営は、単なる経済的豊かさの追求にとどまらず、防衛設備の拡充、厳格な法と行政機構の整備、そして領民の権利を守るための教育といった、持続可能で安定した秩序を構築する高度な都市経営へと変貌を遂げている。

技術革新と発明

エンカー地方における技術革新と発明は、領主メルフィーナの前世の知識によるトップダウンの提案から始まり、やがて錬金術師や職人、そして領民の子供たちの自由な発想が融合する協働的な開発へと進化している。これらの技術は、人々の生活水準を根本から向上させ、領地を牽引する原動力となっている。

資料から読み取れる主な技術革新と発明は以下の通りである。

建築の常識を覆すコンクリートの開発

石材の切り出しや焼きレンガに頼らず、強固な建築を可能にする新素材コンクリートの開発が進められている。

  • 消石灰、灰、砂、小石、水を混ぜて作るこの素材は、木型に流し込んで自在に成形でき、乾けば石と同等の硬度となる。
  • 現在は大工の親方リカルドや弟子たちが配合の試行錯誤を続けており、演算と分析の才能を持つ少年ロドが配合パターンの計算や計量の均一化を助言することで、開発が大きく前進した。
  • これが完成すれば、新たな城館の建設や、農業用水路の水漏れを防ぐU字溝の敷設など、インフラ整備が劇的に加速すると期待されている。

労働負担を軽減する揚水機(手押しポンプ)

井戸での水汲みという重労働を軽減するため、手押しポンプの開発が行われた。

  • この発案者は元農奴の幼い少女レナであり、彼女は以前メルフィーナが作った噴霧器(霧吹き)の仕組みを応用できないかと考え、図面を描いた。
  • それを錬金術師ユリウスが清書し、内部の弁の仕組みなどを手直しすることで設計が完了した。
  • レバーを操作して筒内を真空状態にし、水を吸い上げるこの画期的な装置に対し、メルフィーナは揚水機と名付け、実用化に向けた後援を約束した。

魔力を応用したベッドメリーと扇風機

レナとユリウスのコンビは、赤ん坊のサラのために風の魔石を動力とした知育玩具(ベッドメリー)も発明している。

  • 車輪のような部品に木製のオーナメントを吊るし、風の力で回転して音を鳴らす仕組みである。
  • これを見たメルフィーナは、将来誘致するガラス工房の換気やガラスの冷却に使える一定の風を起こす装置(扇風機)を発案した。
  • 風量調整の機能や羽根の構造について、ユリウスと助手のレナが熱中して議論を始めており、赤ん坊の玩具から産業用設備へと発想が飛躍していく様子が描かれている。

乗り心地を改善する馬車の板バネ(サスペンション)

この世界の馬車は車輪からの振動がダイレクトに伝わり、乗員への負担が大きい。そこでメルフィーナは、長さの違う鉄の板を曲げて束ね、車軸の上に通して車体を懸架し、振動を吸収する板バネ(サスペンション)の機構を考案した。特許制度がないため一度出回ればすぐに模倣されるが、エンカー地方で便利な馬車が開発されたという実績が、領地の威信を高めることにつながると判断されている。

魔物討伐の環境を改善する発明

北部の過酷な魔物討伐を支援する技術も開発されている。

  • 天幕用簡易暖炉:鉄の箱に空気穴と長い煙突を備えたストーブ。天幕内で安全に暖を取り、湯を沸かすことができる。氷点下の荒野で戦う騎士や兵士の休息環境を劇的に改善するものとして、アレクシスやオーギュストから高く評価され、量産されることになった。
  • トラバサミ:俊敏な魔物サスーリカを捕獲するためにメルフィーナが考案した罠。非常に効果的だが、人や獣を無差別に傷つける残酷な道具であるため、平時は組み立て前の部品として保管し、有事の際のみ使用するという厳格なリスク管理が行われている。

まとめ

エンカー地方の技術革新は、メルフィーナの知識とユリウスの錬金術、そしてレナやロドといった子供たちの無垢な探求心が見事に結びついた結果である。これらの発明は一部の特権階級のためだけでなく、平民の過酷な労働を軽減し、暮らしを豊かにするためのものであり、エンカー地方に希望と持続可能な発展をもたらす重要な柱となっている。

セドリックの離脱

セドリックのエンカー地方からの離脱は、彼の実家であるカーライル宮廷伯家を襲った突然の悲劇と、それに伴う家督相続の義務によるものである。

離脱の経緯と背景

ある日、公爵家の騎士が伝令として駆け込み、以下の悲報が伝えられた。

  • セドリックの長兄フィリップが落馬事故で亡くなった。
  • その報を受けて現地へ向かっていた父(カーライル伯爵ジョルジュ)と次兄メルヒオールも崖崩れに巻き込まれて命を落とした。
  • 上位の継承者が相次いで亡くなったため、三男であるセドリックが家督を継ぐことになり、国王の勅書によって至急王宮へ伺候するよう命じられたのである。

叶わなくなった本来の願い

実はセドリックは、この直前にアレクシスに対して休暇願いを出していたが、その本当の目的はオルドランド家の騎士を辞めることであった。

  • 彼は公爵家から受けた剣や鎧、愛馬を返却するつもりであった。
  • オルドランド家の騎士としての地位を捨ててでも、個人的なメルフィーナの騎士としてエンカー地方で生きていく覚悟を決めていた。
  • しかし、家族の死と家を継ぐという避けられない責務により、その夢は断たれてしまった。

別れの夜と未来への約束

エンカー地方を離れる前夜、セドリックはメルフィーナ、マリーと共に厨房でフレンチトーストを食べながら、名残惜しい時間を過ごした。その後、メルフィーナと二人きりになったセドリックは、将来、亡き兄の遺児が成長してカーライル家を継げるようになった時には、エンカー地方へ戻ってきてもよいかと尋ねる。

  • 王都で地位を得たまま生きることは自分には向いておらず、メルフィーナのみんなで幸せになろうという言葉が忘れられない彼は、エンカー地方を自分の帰る場所にしたいと打ち明けたのである。
  • メルフィーナは宮廷伯となる彼にそんな約束をしてはいけないとたしなめつつも、その時に気が変わっていなかったら戻ってきてと応え、待っていることを約束した。

まとめ

セドリックにとって、家族を失った悲しみ以上に、エンカー地方で得た居場所を失うことへの喪失感は非常に大きなものであった。それでも彼は、まずはカーライル家を安定させ、兄の遺児に家督をつなぐという自らの責務を果たすことを決意する。そして、いつか再び身軽な立場になれたなら、今度こそメルフィーナの騎士として帰るのだと星空の下で静かに誓い、王都へ向かって旅立っていった。

聖女の伝承と運命

聖女の伝承とそれにまつわる運命は、神殿が語る救済のおとぎ話であると同時に、国家の興亡を左右する史実であり、さらにはメルフィーナや周囲の人々を翻弄するゲームのシナリオとして、重層的な意味を持っている。

その全体像は以下の通りである。

神殿の伝承と救済の象徴

神殿の伝承において、聖女は女神の代理人とされている。何百年に一度降臨し、大魔法を自由自在に操り、あらゆる傷や病を癒す存在である。

  • 彼女が治める土地は祝福に満ち、強大な魔力で人間を脅かす四つ星の大魔ですら、聖女の前では塵と化すと言われている。
  • そのため、魔物の脅威や飢饉に苦しむ北部の民や為政者にとって、聖女の降臨は喉から手が出るほど欲しい究極の救済とみなされている。

フランチェスカ王国建国の史実

聖女の降臨は単なる伝承ではなく、現在のフランチェスカ王国の建国に直結する史実である。

  • 二百四十九年前のオルドランド公爵の手記によれば、王城の中庭に光とともに黒髪黒目で十七歳の少女マリアが降臨した。
  • 彼女は卓越した知識と能力で、当時国を揺るがしていた麦の病(寄生する魔物)を解決した。
  • その偉業により多くの有力諸侯が彼女に魅了されたが、マリアは宰相の息子と行動を共にし、やがて王家と宰相家が対立して国が二分する。
  • 最終的に、マリアを旗印とした勢力が旧ブラン王国を滅ぼし、新たな国であるフランチェスカ王国を建国した。

社会構造への影響と各勢力の思惑

聖女の存在は、既存の権力構造を大きく揺るがす。

  • 聖女が現れると病気や怪我が減るため、治癒を担う教会と神殿の社会的優位性が低下する。
  • そして聖女が逝去し、教会などの影響力が回復するまでの期間は、争いごとや戦争が起きやすくなるという歴史的サイクルが存在する。
  • 現在、飢饉の最中であるにもかかわらず、教会と神殿は間近に迫る聖女降臨の兆しを察知して浮き足立っており、地方への新規支援に手が回らない状態である。
  • また、アレクシスも、実際に聖女が現れればその存在を独占しようとする勢力間で実力行使を伴う激しい争いが起きるだろうと危惧している。

ゲームのシナリオとメルフィーナの葛藤

メルフィーナの前世の記憶にある乙女ゲーム「ハートの国のマリア」において、来年初夏に降臨するマリアは、アレクシスやセドリック、ユリウス、セレーネといった攻略対象と出会い、彼らを過酷な運命から救済する。そしてマリアに選ばれた一人が莫大な利益と幸福を得る一方で、悪役令嬢であるメルフィーナは破滅を迎える運命にある。

  • 史実である建国譚と、ゲームのシナリオが酷似していることに気づいたメルフィーナは、この世界そのものが大きな力によって定められた物語を繰り返しているだけではないかと強い恐怖と怒り、嫌悪感を抱く。
  • 親しくなった人々が、聖女マリアのために用意されたキャラクターとして理不尽な運命の渦中に置かれることに苦しみながらも、メルフィーナは運命に抗い、自らと大切な人々の幸福を守り抜く決意を固めている。

まとめ

聖女の伝承は、人々に希望を与える救済の光であると同時に、既存の秩序を破壊し、選ばれない者たちを容赦なく切り捨てる残酷な運命のシステムそのものである。エンカー地方で独自の平穏を築こうとするメルフィーナにとって、来たるべき聖女の降臨は、最も警戒すべき抗い難い脅威として描かれている。

公爵夫人3巻レビュー
公爵夫人 全巻まとめ
公爵夫人5巻レビュー

登場キャラクター

エンカー地方

メルフィーナ・フォン・オルドランド

エンカー地方の領主であり、アレクシスの妻である。前世の記憶を持ち、領民の生活向上と領地の発展を目指している。寛容な性格だが、仕事に集中する傾向を持つ。

・所属組織、地位や役職
 エンカー地方領主。オルドランド公爵夫人。

・物語内での具体的な行動や成果
 都市計画や水運調査の指示を行う。トウモロコシや甜菜の品種改良を進める。チーズパイやパンケーキなどの料理を考案した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「鑑定」の才能を持つ。領民や使用人に慕われている。雷を恐れないため周囲との認識の違いを感じている。

マリー

メルフィーナの秘書であり侍女である。メルフィーナを深く気遣っている。

・所属組織、地位や役職
 領主邸の秘書、侍女。

・物語内での具体的な行動や成果
 多忙な主に苦言を呈す。水運調査の予算見積もりを担当する。雷鳴に怯え、主の身を案じた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 主に対して過保護な面を見せる。

セドリック・フォン・カーライル

メルフィーナの護衛騎士である。生真面目で規律に忠実な性格を持つ。カーライル宮廷伯家の三男という立場にある。

・所属組織、地位や役職
 護衛騎士。オルドランド家の騎士。

・物語内での具体的な行動や成果
 主の護衛や書類整理の補助を行う。武闘会の弓射と剣技に参加する。父と兄の訃報を受け、王宮へ伺候するためエンカー地方を去った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 主の専属騎士になるため騎士爵の返上を望んでいた。将来エンカー地方に戻ることを主と約束する。

エド

領主邸の料理長である。メルフィーナを強く慕っている。

・所属組織、地位や役職
 領主邸の司厨長。

・物語内での具体的な行動や成果
 日常の食事や振る舞いの料理を用意する。教会で祝福を受けるが「才能」がないと判明し、雨の中で涙を流す。主に慰められ、自身の役割を再認識した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 才能がなくても主に厚く信頼されている。

ラッド

領主邸の若い使用人である。エドの同郷の友人という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 領主邸の使用人。

・物語内での具体的な行動や成果
 馬車の用意やチーズの運搬を担当する。食事の際にエールの給仕を行う。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

クリフ

領主邸の若い使用人である。エドの同郷の友人という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 領主邸の使用人。

・物語内での具体的な行動や成果
 チーズの運搬作業を補助する。食事の際にエールの給仕を行う。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

アンナ

領主邸のメイドである。明るい性格でムードメーカー的存在として扱われている。

・所属組織、地位や役職
 領主邸のメイド。

・物語内での具体的な行動や成果
 来客の取り次ぎや食事の配膳を担当する。エドが行方不明になった際にひどく心配する。餃子作りを手伝った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

フェリーチェ

メルフィーナの愛犬である。

・所属組織、地位や役職
 領主邸の飼い犬。

・物語内での具体的な行動や成果
 セレーネの散歩に同行する。机の下で眠る姿が描かれている。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ルッツ

エンカー村の村長である。フリッツの父であり、ロイドの祖父という関係にある。貴族に対して強い苦手意識を持つ。

・所属組織、地位や役職
 エンカー村村長。

・物語内での具体的な行動や成果
 自宅を会合の場として提供する。孫であるロイドの仕官の話を受け入れた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

フリッツ

ルッツの息子である。ロイドの父という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 エンカー村の農民。

・物語内での具体的な行動や成果
 新農村建設や牧場分割の会合に参加する。主の期待に応える決意を語る。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ロイド

ルッツの孫である。真面目な性格を持つ青年として描かれている。

・所属組織、地位や役職
 家令見習い。セドリックの従士。

・物語内での具体的な行動や成果
 兵士の訓練に参加する。武闘会の演武で技量を披露する。セレーネの「手習い帳」作りを手伝った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「文武」の才能を見出され、家令見習いへ抜擢される。

ニド

メルト村の村長である。レナとロド、サラの父という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 メルト村村長。

・物語内での具体的な行動や成果
 害虫被害の状況を領主に報告する。ポンプ開発の報酬受け取りを固辞する。ユリウスの滞在先として自宅の一室を提供した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 元農奴である。

エリ

ニドの妻である。元領主邸メイドという背景を持つ。

・所属組織、地位や役職
 メルト村の住人。

・物語内での具体的な行動や成果
 赤ん坊のサラを育てる。害虫対策の実験経過をまとめる作業を担う。雷鳴に驚き、赤ん坊を庇った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 村の女性たちに裁縫を教えている。

レナ

ニドの娘である。観察眼と発想力に優れる。

・所属組織、地位や役職
 メルト村の子供。

・物語内での具体的な行動や成果
 粒虫がメスのみで繁殖することを発見する。井戸水を汲み上げる手押しポンプの原型を考案する。セドリックの離脱を知って涙を流した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

サラ

ニドとエリの次女である。

・所属組織、地位や役職
 メルト村の子供。

・物語内での具体的な行動や成果
 ユリウスとレナが作ったベッドメリーを目で追う。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

マルク

領主直轄の農場の管理責任者である。

・所属組織、地位や役職
 農場管理責任者。

・物語内での具体的な行動や成果
 会合に参加し、牧場の分割について意見を述べる。新しい職員の試用期間を設ける提案を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ロド

ニドの息子である。

・所属組織、地位や役職
 メルト村の子供。

・物語内での具体的な行動や成果
 伝令として走る。「祝福」で「演算」と「分析」の才能を見出される。コンクリートの試作において配合の組み合わせ数を計算した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 稀有な二つの才能を持つ。セドリックの離脱を知って涙を流す。

リカルド

大工の親方である。

・所属組織、地位や役職
 建築責任者。大工の親方。

・物語内での具体的な行動や成果
 水濠や城館の建設を引き受ける。エンカー地方に移住し、コンクリートの試作に取り組む。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 ソアラソンヌの工房を弟子のエディに譲る。

ハンス

リカルドの息子である。気が優しい性格を持つ。

・所属組織、地位や役職
 大工。

・物語内での具体的な行動や成果
 コンクリートの試作に参加する。ロドの計算能力を頼る。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

エディ

リカルドの弟子である。優れた技術を持つ。

・所属组织、地位や役職
 大工の親方。

・物語内での具体的な行動や成果
 リカルドからソアラソンヌの工房を譲り受ける。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ロイ

エンカー地方の鍛冶師である。カールの相棒という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 鍛冶師。

・物語内での具体的な行動や成果
 散布機の製作依頼のための呼び出しを受ける。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

カール

エンカー地方の鍛冶師である。ロイの相棒という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 鍛冶師。

・物語内での具体的な行動や成果
 散布機の製作依頼のための呼び出しを受ける。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

オルドランド公爵家・北部

アレクシス・フォン・オルドランド

北部を治めるオルドランド公爵である。メルフィーナの夫という関係にある。感情をあまり表に出さない。

・所属組織、地位や役職
 オルドランド公爵。

・物語内での具体的な行動や成果
 武闘会を観覧する。チーズパイを食し、過去の思い出を語る。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 時折柔らかな一面を見せる。

オーギュスト

アレクシスの側近の騎士である。セドリックの従兄弟という関係にある。冗談を好む性格を持つ。

・所属組織、地位や役職
 護衛騎士。公爵家の騎士。

・物語内での具体的な行動や成果
 武闘会を観覧する。ロイドの才能を見抜いて家令への抜擢を提案する。アレクシスから預かった古い手記をメルフィーナに届けた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

テオドール

公爵家の騎士である。顔に大きな傷がある。

・所属組織、地位や役職
 公爵家の騎士。

・物語内での具体的な行動や成果
 セドリックの休暇中の交代要員としてエンカー地方を訪れる。餃子パーティに参加する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ローランド

エンカー地方に駐留する騎士である。

・所属組織、地位や役職
 公爵家の騎士。

・物語内での具体的な行動や成果
 武闘会の弓射や剣技の演武に参加する。セレーネの訓練参加希望についてメルフィーナに相談した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ジグムント

エンカー地方に駐留する騎士である。優れた弓の腕前を持つ。

・所属組織、地位や役職
 公爵家の騎士。

・物語内での具体的な行動や成果
 武闘会の弓射で優勝する。セレーネの訓練参加希望について相談する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ヘルムート

公爵家から派遣された地方執政官である。三白眼で威圧的な雰囲気を持つ。

・所属組織、地位や役職
 執政官。

・物語内での具体的な行動や成果
 会議において、農業優先と平民登用の否定を主張する。あえて悪役を演じ、統治の厳しさをメルフィーナに説いた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ギュンター

公爵家から派遣された地方執政官である。好青年の風情を持つ。

・所属組織、地位や役職
 執政官。

・物語内での具体的な行動や成果
 ヘルムートの言葉を補足し、法を守らせる重要性を説く。水運調査の打ち合わせに同席し、冒険者に厳格な態度を示す。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

アウグスト

前オルドランド公爵である。アレクシスの父という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 前オルドランド公爵。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。過去に家族で修道院を訪れたことが語られる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

メリージェーン

アウグストの妻である。アレクシスの母という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 前公爵夫人。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。過去に家族旅行に同行したことが語られる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

クリストフ

アレクシスの弟である。

・所属組織、地位や役職
 オルドランド家の公子。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。修道院の晩餐でチーズパイをおかわりしたことが語られる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

マーガレット

クリストフの婚約者である。

・所属組織、地位や役職
 オルドランド家の婚約者。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。過去に家族旅行に同行したことが語られる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

ルーファス

オルドランド公爵家の家令である。

・所属組織、地位や役職
 家令。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。暗器を使った戦闘に長けていることが語られる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ルクセン王国

セルレイネ

ルクセン王国の第一王子である。愛称はセレーネ。魔力が強いため虚弱体質を持つ。

・所属組織、地位や役職
 ルクセン王国第一王子。

・物語内での具体的な行動や成果
 ロイドの「手習い帳」作成を手伝う。兵士の訓練に参加したいと希望する。チーズケーキ作りや餃子作りに参加した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

サイモン

セルレイネの主治医である。

・所属組織、地位や役職
 医師。

・物語内での具体的な行動や成果
 メルフィーナの薬草園に出入りする。餃子パーティに参加する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ユリア

セルレイネのメイドである。

・所属組織、地位や役職
 メイド。

・物語内での具体的な行動や成果
 セレーネの散歩に同行する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

王宮・象牙の塔・カーライル家

ユリウス・フォン・サヴィーニ

象牙の塔の魔法使いである。セドリックの幼馴染という関係にある。魔力が強すぎて長い睡眠を必要とする体質を持つ。

・所属組織、地位や役職
 象牙の塔の第一席。魔法使い、錬金術師。

・物語内での具体的な行動や成果
 メルト村のニドの家に滞在する。レナと共にベッドメリーや手押しポンプを考案する。森で捨て子を保護した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ジョルジュ

カーライル伯爵である。セドリックの父という関係にある。

・所属組織、地位や役職
 カーライル宮廷伯。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。赴任地へ向かう途中で崖崩れに巻き込まれ死亡したと伝えられる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

フィリップ

セドリックの長兄である。

・所属組織、地位や役職
 カーライル家の長男。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。赴任地で落馬事故により死亡したと伝えられる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

メルヒオール

セドリックの次兄である。

・所属組織、地位や役職
 カーライル家の次男。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。父と共に崖崩れに巻き込まれ死亡したと伝えられる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 故人である。

象牙の塔の魔法使い・錬金術師たち

魔法研究機関に属する者たちである。

・所属組織、地位や役職
 魔法使い、錬金術師。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。魔力の高い子供が育つには不健全な環境だとユリウスに評される。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

神殿・教会

エミル

教会の司祭である。黒い祭服と黒髪を持つ。

・所属組織、地位や役職
 司祭。

・物語内での具体的な行動や成果
 エンカー地方を訪れ、子供たちに「祝福」を与える。メルフィーナに学校の存在を尋ねた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

冒険者ギルド・商人

カーク

冒険者ギルドから派遣された冒険者である。泳ぎが得意な人物として描かれている。

・所属組織、地位や役職
 冒険者。

・物語内での具体的な行動や成果
 水運調査の依頼を引き受ける。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ヨハン

冒険者ギルドから派遣された冒険者である。丁寧な仕事ぶりを評価されている。

・所属組織、地位や役職
 冒険者。

・物語内での具体的な行動や成果
 過去に測量の手伝いをしており、今回も水運調査の依頼を引き受けた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

ゲルト

東部の商人である。

・所属組織、地位や役職
 商人。商会主。

・物語内での具体的な行動や成果
 公爵家でトウモロコシの茶と料理を振る舞われる。貧困層への調理法の普及を条件に、トウモロコシの輸出業務を引き受ける。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 後に東部屈指の大商人となる。

伝承・過去の人物・その他

マリア

二百四十九年前に降臨したとされる聖女である。ゲームのヒロインと同じ名前を持つ。

・所属組織、地位や役職
 聖女。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。手記の中で、疫病を解決し国を二分させた存在として描かれる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

宰相の息子

過去の時代の宰相の息子である。

・所属組織、地位や役職
 宰相の息子。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。手記の中で、聖女マリアと行動を共にしたとされる。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

乳母

メルフィーナの幼少期の乳母である。

・所属組織、地位や役職
 乳母。

・物語内での具体的な行動や成果
 直接の登場はない。幼いメルフィーナに雷の歌や建国譚、愛情深い子守歌を聞かせたことが回想される。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 特筆事項は記載されていない。

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展開まとめ

変化していくもの

多忙による昼食の遅延と周囲の懸念
メルフィーナは書類整理を終えた後、昼食の遅れに気づいて休憩を提案したが、秘書のマリーとセドリックは彼女の働き過ぎを懸念していた。最近は予定外の報告が増え、昼食の時間が後ろ倒しになることが常態化しており、食事量の減少も相まって体調への不安が指摘された。メルフィーナは謝罪しつつも、現状の忙しさを理由に改善が難しいことを示した。

業務過多の背景とメルフィーナの責任集中
春の訪れとともに、エンカー地方では開発計画が本格化し、新規圃場の開拓や労働力の配置、家屋建設や家畜の増加など、多岐にわたる業務が一斉に進められていた。これらを統括する機関が存在しないため、全てをメルフィーナが主導しており、その負担は明らかに過剰であった。それでも彼女は弱音を吐かず、周囲への配慮を優先し続けていた。

セドリックの内面の変化
セドリックは本来の護衛騎士としての役割を越え、書類整理などの補助を行うようになっていた。かつては主に苦言を呈することに違和感を覚えていたが、今では自らもマリーに同調して進言するようになり、自身の変化に戸惑っていた。メルフィーナの在り方に触れる中で、価値観や立場への認識が大きく変化していた。

メルフィーナの人柄と周囲への影響
メルフィーナは卓越した能力を持ちながらも、普段は穏やかで寛容な性格であり、多忙の中でも周囲に当たることなく、むしろ負担をかけていることを気にしていた。その姿勢はマリーやセドリックに強い影響を与え、主従関係を超えた信頼関係を築いていた。

セドリックの新たな感情の芽生え
セドリックはメルフィーナの将来を思い、どんな困難も乗り越えて進む存在であると確信していた。その一方で、彼女の隣にいる存在が自分ではない可能性を意識し、言い表し難い苦しさを覚えていた。領主と秘書が穏やかに過ごす日常を守りたいという願いは、騎士としての理想とは異なる、新たな感情として彼の中に芽生えていた。

春の再会と移住願い

リカルド一行の来訪と植物紙の説明
雪の名残が残る頃、ソアラソンヌの大工の親方リカルドと弟子たちが領主邸を訪れた。メルフィーナは彼らを迎え、応接室で地図を広げて今回の計画を説明し始めた。その際、地図に使われていた植物紙について、羊皮紙より破れやすい一方で安価で大量に使える利点があると語り、今後は領主邸の書類や報告書にも広く導入していく考えを示した。さらに、北部にもいずれ製紙工場を作りたい意向をにじませつつ、現状ではロマーナとの商取引が重要であることも明らかにした。

新領主邸と水濠建設の大構想
メルフィーナはエンカー地方の行政拠点となる新たな城館の建設をリカルドに任せたいと告げた。その計画は、現在の領主邸を囲う水濠をミレー川から引き、堰によって水深を保ちながら下流で合流させるという大規模なものであった。さらに敷地内には居住部だけでなく、圃場、鍛冶場、宿舎を含む工房、酒造所まで併設する構想があり、単なる建物の新築ではなく、エンカー地方全体の中枢を築く事業として語られた。

信頼による抜擢とリカルドの決意
リカルドは当初、その仕事は築城専門の建築家が担うべき規模であると指摘したが、メルフィーナは技術だけでなく誠実さと信頼を重視し、名匠よりも彼に任せたいと伝えた。これまでの仕事ぶりを見てきたからこその言葉に、リカルドは強く心を動かされ、自分にしか任せられない仕事だと受け止めた。そして、国の歴史に残る領地の城を築く責任者という立場を逃すわけにはいかないと考え、依頼を引き受けた。

移住願いと工房継承の問題
依頼を受けたリカルドは続けて、自身と弟子たちがエンカー地方へ移住し、そこで工房を構える許可を願い出た。その言葉に弟子のエディは驚き、ソアラソンヌの工房をどうするのかと問いただしたが、リカルドは次の親方試験を受けるに足る実力がエディにはあるとして、工房を譲る意向を示した。さらに、自分がいつまでも親方の座に留まるよりも、次の世代に道を譲るべきだという考えを語り、すでに家族とも話をつけていたことを明かした。

メルフィーナによる調整案
突然の話に動揺するエディに対し、メルフィーナは今回の計画が城館建設だけにとどまらず、橋や市壁、新たな村や集落の建設にまで及ぶ長期事業であり、完成には十年以上かかる見通しだと説明した。そのうえで、リカルドが建築責任者としてエンカー地方に移りつつ、エディがソアラソンヌの工房を継ぎ、両者の間に強い結びつきを保てば双方に利益があると提案した。将来的に適任者が育てば工房をさらに継承し、エディがエンカー地方でリカルドの跡を継ぐ形も可能だと示し、この案によって両者の立場を両立させた。

職人たちの希望と領地の未来
リカルドは、自分以外にもエンカー地方への移住を望む職人は少なくないだろうと語り、この土地に将来性と希望があることを認めた。北の果てで不人気だった土地に、今では職人たちが新たな働き口と可能性を見いだし始めていたのである。メルフィーナもまた、領主としてそうした技術と覚悟に応えなければならないと改めて感じ、リカルドとエディに末永い協力を願った。三人は礼節をもって誓い合い、新たな仲間を得た喜びを共有した。

具体的な計画協議の開始
その後、マリーが運んできた茶と軽食を囲みながら、メルフィーナたちは水濠建設に必要な石工の手配や、深さや幅といった具体的な条件の検討に入った。計画は大規模であるがゆえに議論も尽きず、昼食の時間を過ぎても話し合いは続いた。結局、マリーとセドリックが揃って休憩を促すまで、誰も席を立とうとはしなかった。

開発目標と執政官

会合の開催と議題の共有
エンカー村の村長ルッツの家には、領主邸の面々を除いた関係者が集められていた。そこにはルッツと息子のフリッツ、メルト村の村長ニド、領主直轄農場の管理責任者マルク、そして新たに迎えられた執政官二人が顔を揃えていた。領主邸が使えない事情からルッツの家が会合の場となり、メルフィーナはその礼を述べたうえで、新執政官の紹介と今後のエンカー地方の取り組みについて説明を始めた。

農業用水確保の必要性と灌漑計画
メルフィーナは、畑地をさらに拡大するには灌漑設備が不可欠であると述べ、農業用貯水池とそれをつなぐ水路の建設構想を明かした。これまで水に恵まれていたため大きな問題にはならなかったが、干ばつによる収穫減の危険を避けるためには、安定した用水の確保が必要であると考えていた。用水池は地の魔法使いによって穴を掘り、さらに水漏れを防ぐためにコンクリートで表面処理を施し、雨季の前に最低限の形を整えたい意向を示した。

現場の知識を生かした開墾と新農村建設案
地図を広げたメルフィーナは、今年も前年と同規模の開墾を進める方針を示したうえで、エンカー村とメルト村から離れた位置に新たな農村を建てる構想を語った。メルト村には荒地を開墾した経験を持つ者がいるため、農奴の一部を近くに残しつつ、一定数の家族を新集落へ移住させ、開墾の指導役を担わせる考えであった。移住者には同等の家を用意し、空き家については売却か賃貸かを選べるようにすることで、村の再編と人の流動に対応しようとしていた。

牧場分割と新たな雇用の構想
集落の分散に合わせて、メルフィーナは牧場も二つに分ける意向を示した。現在の牧場で働く者はすでに業務をこなせる水準に達しており、その半数ほどを新牧場の設立と指導に回し、同時にエンカー村とメルト村から希望者を新規雇用したいと考えていた。ルッツとニドに推薦を任せ、最終的な採否はマルクに委ねる形とし、さらに牧場の仕事に適性がない者もいることから、試用期間を設ける案も受け入れた。家畜の飼育と肥料生産、牧草の運搬効率を考えても、牧場の分散は合理的な施策であった。

木材確保のための専門伐採体制と植林方針
メルフィーナは、今後数年の開発において安定した木材供給が重要であるとして、森の伐採と管理を専門に担う集団の必要性を訴えた。これまでは農奴や開拓民が農作業と並行して木材の切り出しも担っていたが、それでは乾燥期間を含む安定供給が難しく、去年は運にも助けられていたにすぎなかった。そこで、希望者には一定範囲の森を管理する勅許を与え、計画的な伐採と植林を世代を超えて行わせる方針を示した。森と水源の豊かさに依存するだけではいずれ限界が来るため、資源を持続的に管理する体制づくりを目指していた。

執政官ヘルムートの異論
ここで、新任の執政官ヘルムートが口を開き、公爵家から今年も前年同等かそれ以上の作物輸出を求められている以上、林業は農奴に片手間で行わせればよいのではないかと異議を唱えた。彼は、食糧不足の国全体の事情を理由に、農業を最優先にするべきだと主張した。さらに、無学な平民に村や牧場の運営を任せるのは不適切であり、読み書きや計算のできる代官を置いて管理するべきだと述べ、現在の運営体制そのものに疑問を呈した。

領民の権利をめぐる対立
ヘルムートの言葉に対し、メルフィーナはエンカー地方は長く領民たちが開拓してきた土地であり、その恵みを最も享受する権利は彼らにあると明言した。しかしヘルムートは、メルフィーナが来るまでは寒村にすぎなかったのだから、全ての権利は領主であるメルフィーナ、ひいては公爵家にあると考えるべきだと反論した。そして農民は土を耕し、農奴は賦役に従うべきであり、土地の管理や運営は別の立場の者が担うものだと、生まれによる役割分担を当然視する考えを示した。こうして会合は、開発計画の確認の場であると同時に、領地運営の根本的な価値観の違いが表面化する場にもなっていた。

実績と信頼

ヘルムートへの反論と領民への信頼表明
ヘルムートの意見を受けたメルフィーナは、去年エンカー地方で行った取り組みの多くが前例のないものであり、その中で領民たちが戸惑いながらも粘り強く付き合い、共に結果を出してきたことを指摘した。そして、その過程で身についた手順や経験は今年の開墾にも必ず生きるため、新たに外から代官を入れるより、すでに実績を持つ彼らに任せる方が合理的であると論じた。さらに、領民たちに全幅の信頼を置いていると明言し、その期待が裏切られることはないと断言した。

会合の再開と村側の決意
ヘルムートがそれ以上反論せず口を閉ざしたことで、打ち合わせは再開された。メルフィーナは新しい取り組みにも過度に緊張する必要はなく、やること自体は去年と同じ延長線上にあると伝えた。それに対してフリッツとニドは、期待に応えられるよう尽力し、村へ戻って内容の周知も徹底すると力強く応じた。メルフィーナはその姿勢を受け止めつつ、同時にヘルムートとは改めて話す必要があると感じていた。

帰路で明かされたヘルムートの意図
会合を終えた後、メルフィーナたちは領主邸への帰路についた。馬車の中でメルフィーナは、ヘルムートがあの場で悪役を引き受けたことを気にかけたが、本人は地方執政官には嫌われ役も必要であり、それも職務の一部だとあっさり答えた。ギュンターもまた、ヘルムートはその役回りをむしろ巧みにこなしていると補足した。領主邸では穏やかだったヘルムートが、会合ではあえて冷淡で尊大な態度を取ったのは、今後エンカー地方の発展に伴って必ず生じる価値観の衝突を、村の指導者たちに今のうちから理解させるためであった。

地方執政官としての政治観
ヘルムートは、自分たちは領主であるメルフィーナを補佐するために派遣された執政官であり、優しさや思慮深さだけでは政治は回らないと明言した。そのうえで、任官前に繰り返し聞かされる話として、慈悲深すぎた代官の例を語った。その代官は、税を払えない農民や働けない農奴に寛容に接したが、その結果として農村の規律は緩み、収穫は落ち、治安も悪化していったという。やがて息子が地位を継ぎ、苛烈な統治によって農村の秩序を取り戻したという逸話を通じて、甘さはかえって混乱を招く場合があると説いた。

裁きと統治の厳しさの自覚
さらにヘルムートは、領地が大きくなれば盗賊やならず者も増え、領主には時に厳しい裁断が求められると語った。盗賊を捕らえた際、慣例通り首を刎ねて晒す命令を本当に下せるのかと問われ、メルフィーナは自分にはまだその覚悟が足りないことを自覚した。ギュンターは、メルフィーナが裁判権を持つ以上、本来は法を守らせる責任を果たさなければならず、それができなければ真面目に暮らす領民が被害を受けると補った。そして、自分たち地方執政官は土地との癒着を防ぐためにいずれ去る立場であるからこそ、それまでは補佐しながら、将来的にはメルフィーナ自身が判断できるよう支えていくと約束した。

外部の思惑への警戒
ヘルムートとギュンターは、今後エンカー地方が発展すれば、他領の貴族やオルドランド家の直臣たちが役職や優遇を求めて近づいてくる可能性が高いとも警告した。とくに家督に関わらない次男三男が、自らを高官に取り立てるよう求めたり、知識を提供すると称して食客になろうとしたりする事態は十分あり得ると見ていた。読み書きができるだけで賢者気取りをする若い貴族も少なくないという二人の言葉からは、過去にそうした人物たちに振り回された経験がうかがえた。

マリーの確信と領主邸の空気
そうしたやり取りの中で、マリーはメルフィーナに対して知識を提供するなどという発想がおかしいと笑みをこぼした。メルフィーナが自分にも知らないことは多く、今日も二人に諭されたと謙遜しても、マリーはその優しさは単なる甘さとは異なるものであり、いずれヘルムートとギュンターにもそのかけがえのない価値が分かると断言した。その強い言葉に二人は返答を失い、メルフィーナは秘書が自分を好みすぎるのだと照れ隠しのように語った。やがてマリーがそれは本気の言葉だと重ね、セドリックも同じ考えだと明かしたことで、馬車の中はどこか気恥ずかしくも和やかな空気に包まれた。

水運調査

調査依頼を前にした多忙な日常
午後になってアンナが来客を告げると、メルフィーナはあと少しで片付く書類仕事を中断し、応接室へ向かった。最近は仕事が後ろに押すことも増えていたが、工事や計画が立て込む現状ではやむを得なかった。廊下の窓から見える空堀は日ごとに掘り進められており、地魔法による工事の進み具合に感心しつつも、正門の意匠や紋章の決定など、次々に判断すべき課題が積み上がっていることを改めて実感していた。

ギュンターとの合流と冒険者たちの来訪
応接室の前では執政官ギュンターがすでに待機しており、二人は軽く言葉を交わしてから中へ入った。そこでは、冒険者ギルドから派遣されたカークとヨハンが待っていた。ヨハンは前年の測量にも参加しており、地質や地形、植生の調査で丁寧な報告を上げた実績があったため、メルフィーナはその働きを覚えていて感謝を伝えた。こうした声掛けが冒険者の士気を高めると知っていたこともあり、今回の仕事にも大きな期待を寄せていた。

水運調査の目的と計画の説明
今回二人に依頼されたのは、オルレー川から小舟で出発し、ラクレー運河を通って終点のエルバンまで荷を運び、帰りには新たな荷を積んで戻るという試験航行であった。測量上は航行可能と見込まれていたが、実際の流れや川幅、遡上の難所、馬による牽引の必要性などは現地で試してみなければ分からなかった。舟は二人で扱える小型帆船で、積載量は四百キロを想定しており、初回は安全を見込んでその七割程度の荷に抑えて調査する方針であった。

失敗への不安とメルフィーナの保証
調査にあたって、カークは万一荷物を沈めた場合の罰則について確認した。ギュンターは厳しい調子で失わないようにと告げたが、メルフィーナはすぐにそれを和らげ、今回の舟も積み荷もすべて試験用であり、転覆や失敗があっても最も重要なのは二人が無事に帰還し、調査結果を持ち帰ることだと明言した。そして、失敗そのものを罪には問わないと領主の名で約束し、試掘で成果が出なくても鉱夫を罰しないのと同じことだと説明して、二人の不安を取り除いた。

物流整備への期待と領地発展の見通し
メルフィーナは、エンカー地方がこれまで北端の地として外から物資を受け取るばかりで、輸出を前提とした構造になっていなかったことを語った。街道は細く整備も不十分であり、前年は荷馬車による輸送で大きな混乱が生じていた。そのため、収穫期までに舟による輸送路が確立できれば、加工品の輸入と農産物の輸出の両面で大きな前進となる見込みであった。水運が可能であると証明されれば商人の参入も進み、水運権の競売や通行課税によって領地の収益基盤も強化できると考えていた。

実務的な調整と次段階への布石
調査の報酬や必要経費、日数延長時の扱いについては、マリーが見積書を用意しており、冒険者二人と細かな質疑応答を進めた。予算を超えた分は自己負担となる一方、節約できた分は報酬に上乗せされる仕組みであり、雨や増水による中断が起きた場合は安全を最優先にすることも確認された。メルフィーナはその様子を見守りながら、ギュンターに新造船の増産状況を確認したところ、必要な木材の手配や乾燥はすでに整えられており、試験運行が終わる頃には二隻目と新しい船大工も到着する見込みであると知らされた。

成功への期待と冒険者たちの奮起
ギュンターは、この試験運行の成功がエンカー地方の命運を左右すると述べ、二度目の運行まで成功すれば、水運ギルドの相談役に二人を推薦する可能性も示した。そうした言葉に励まされたカークとヨハンは、雨季までまだ時間があることを踏まえ、必ず成功させると力強く応じた。二人は泳ぎにも自信があり、最悪の場合は人力で舟を引いてでも戻るとまで言い切り、その決意を示した。メルフィーナは、自身の名誉よりもエンカー地方の発展が重要であるとしつつ、この試験が無事に実を結ぶことを強く願っていた。

視察と馬車の会話

朝食の席で決まった視察同行
身支度を整えたメルフィーナが食堂に入ると、領主邸に滞在している者たちの多くがすでに朝食の席についていた。忙しさの増した日々の中で、皆の顔を見られる朝食は貴重な時間となっていた。ラッドから馬車の用意が整ったと告げられたメルフィーナは、メルト村への視察に出ることを伝え、害虫対策のため現地の被害状況を確かめるつもりであると説明した。それを聞いたセレーネとユリウスも同行を願い出て、メルフィーナは二人の申し出を受け入れた。

害虫対策をめぐる説明
朝食の席では、メルフィーナが北部でも病害虫被害は避けられないことを語り、その対策について説明した。病気は虫が媒介することが多いため、最も確実なのは見つけ次第人力で捕殺する方法であった。油や薄めた酢を撒く手段もあるが、大規模な圃場では費用負担が大きくなるため、まずは現地を見て被害の程度を把握する必要があると考えていた。こうして視察は、単なる巡回ではなく、今後の防除策を考えるための実地確認として位置づけられていた。

馬車の乗り心地と改良案
朝食後に一行は馬車へ乗り込み、メルト村へ向かった。移動中、車窓から見える人足たちに手を振りながら、メルフィーナは馬車の改良について考えを口にした。現在の馬車は車輪の振動がそのまま車体に伝わる構造であり、長時間乗れば体への負担も大きかった。そこでメルフィーナは、車軸と車体の間に長さの違う鉄板を重ねた板バネを挟み、衝撃を吸収する仕組みを考えていると説明した。マリーが植物紙と筆記具を差し出すと、メルフィーナは図を描きながらその構造を示し、基本原理を分かりやすく伝えた。

新技術の価値と広報の必要性
メルフィーナは、この板バネ式の構造自体は複雑ではないため、一度世に出ればすぐ模倣されるだろうと見ていた。しかしマリーは、模倣品が現れたとしても開発者としての名まで奪われることはなく、まずはエンカー地方で便利な馬車が生まれたという印象を広めることが重要だと進言した。ユリウスもまた、若い女性領主が治める土地は軽んじられやすいため、有能な領主とその後ろ盾を印象づける必要があると述べた。こうして新技術は実用面だけでなく、領地の威信を高める手段としても捉えられていた。

秋への約束と和やかな空気
セレーネが余計なことを言ったかと気にすると、メルフィーナは収穫後に工房へ相談し、新しい馬車ができれば秋のピクニックに使えるかもしれないと語った。その言葉にセレーネは明るい表情を取り戻し、ユリウスもぜひ連れて行ってほしいと願い出た。メルフィーナは湖畔で過ごした前年の楽しい記憶を思い返しながら、今年は新しい馬車やホットワインのある秋を思い描いた。忙しい日々の中でも、その先の楽しみがあることで前を向けるのだと感じていたところで、馬車が大きく揺れ、一同は驚いた後に自然と笑い合った。

害虫対策と散布機

圃場に広がる被害の実態
メルト村を抜けて圃場に到着したメルフィーナは、ニドたちから村の発展状況を聞いた後、すぐに害虫被害の説明を求めた。被害は森側の豆畑から始まり、周囲の圃場へ少しずつ広がっていた。原因となっていたのは粒虫という小さな虫で、発生の早かった区画ではすでに豆の葉に褐斑が現れ、生育不良も目立っていた。ニドは預かった畑で被害を出したことを詫びたが、メルフィーナは病害虫は誰かの責任ではないとして、早い報告を評価した。

虫の正体と即応の判断
問題の圃場を見たメルフィーナは、葉の裏に緑色の粒状の虫が密集している様子を確認した。虫に触れて鑑定した結果、それが前世でいうアブラムシに近い性質を持つものだと把握した。見た目に不快感を覚えつつも観察を終えた後、マリーから渡されたハンカチで指先を拭い、すぐに対策を指示した。具体的には、牛乳を五倍から十倍に薄めたものを圃場に散布し、それを四日おきに三回実施して効果を見るよう命じた。牛乳が乾いて固まることで虫の呼吸孔を塞ぎ、窒息させる理屈であった。

散布手段の課題と代替案
メルフィーナは、圃場ごとに濃度を変えて最適な濃度を調べるよう求めると同時に、散布を効率よく行うため散布機の必要性を考えた。しかし鍛冶工房は多忙で、相談しようとしたユリウスもその場にはいなかったため、すぐに別の手段を模索した。その中で、一定方向に強い風を起こせるなら広範囲への噴霧が容易になると考え、風魔法使いの雇用に話が及んだ。風魔法は需要が少なく、領都のギルドか公爵家を通じて比較的すぐに派遣を頼めると聞いたメルフィーナは、秋まで継続的に滞在して作業できる風魔法使いの手配をマリーに命じた。

現場対応と準備の並行進行
魔法使いの手配と並行して、メルフィーナは鍛冶工房のロイとカールを翌日に領主邸へ呼ぶようニドに頼んだ。これに対してロドが自ら伝令を引き受け、すぐに走り去っていった。その素早さに驚きつつも、冬の間に十分な食事と休息が与えられた結果として子供たちが健やかに育っていることを知り、メルフィーナは喜んだ。さらに、散布機や風魔法使いが到着するまでの間は、まず刷毛で薄めた牛乳を塗る方法で実験を始めるよう指示し、当日の分の牛乳は村で調達して、費用は領主である自分が負担すると申し出た。

知識を基盤とした対処方針
風属性を持たないことを悔しがるセレーネに対し、メルフィーナは自分も風属性を持ちながら魔法を使えないと語ったうえで、魔法でできることの多くは手間と時間をかければ別の方法でも実現できると諭した。そして、本当に大切なのは身分や立場ではなく、そのやり方を知っていることであると伝えた。また、領主が預けた畑だからこそ最初の対策費用を負担し、報告や対処が遅れることを防ぐ方が全体の被害を抑えられると考えていた。こうしてメルフィーナは、害虫対策を具体的に進めながら、知識と風通しの良さこそが問題解決に不可欠であるという姿勢を示した。

少女と錬金術師

視察後に見えないユリウスの所在
視察を終えて村へ戻る段になっても、ユリウスの姿は見当たらなかった。セドリックは放置しても問題ないと述べたが、メルフィーナは寒さや体調を考慮して捜索を優先した。やがて村人から、ユリウスが村長の娘と話し込んでいるとの報告がもたらされた。

意外な組み合わせに生まれた交流
案内された先では、ユリウスとレナが並んで座り、豆畑を前に楽しげに語り合っていた。幼い少女と象牙の塔第一席という対照的な二人であったが、互いに興味を共有し、自然に打ち解けていた様子であった。メルフィーナが声をかけると、レナは明るく応じ、ユリウスも興奮した様子で話題を続けようとした。

観察から導かれた虫の生態理解
話題は圃場に発生している粒虫に及び、レナはその虫がすべてメスであると語った。観察を重ねる中で、個体差のない形状や繁殖の様子から推測し、実際に捕らえて確認した結果、その結論に至ったという。さらに季節によって産卵形態が変化し、翅を持つ個体が現れることにも気づいていた。ユリウスはその洞察力に強い興味を示し、知的好奇心を刺激されていた。

幼い知性に向けられた評価と期待
メルフィーナはレナの説明に感心し、その思考過程が筋道立っていることを高く評価した。ユリウスもまた、彼女に何らかの才能の可能性を見出し、神殿での祝福を勧めるべきだとまで語った。幼いながらも観察と仮説を積み重ねる姿勢は、将来的な成長への期待を抱かせるものであった。

保護と信頼のもとで続く対話
メルフィーナはユリウスにレナの送迎を任せるよう念を押しつつ、二人の交流を許可した。ユリウスの言動に不安は残るものの、これまでの実績から一定の信頼を置いていた。レナもまた楽しそうに会話を続けており、その関係は自然なものとして受け入れられた。

村の未来を担う芽への確信
レナの成長を見たメルフィーナは、彼女が将来エンカー地方の発展を支える存在となる可能性を感じていた。仮に特別な才能が顕在化しなくとも、その資質は十分に価値あるものであり、いずれどの分野でも活躍できると見込まれた。ニドもまた娘の成長を誇らしく受け止めており、メルト村の未来に対する確かな手応えが共有されていた。

屋台と発展の光と影

賑わいを見せ始めた村の広場
昼頃にメルト村へ戻ったメルフィーナは、整然とした建物が並ぶ村の変化を改めて目にした。広場には食べ物の匂いが立ち込め、平焼きパンの屋台や野菜、卵、香辛料を売る露店が並び、昼時の賑わいを見せていた。ニドの話では、かつて物々交換が主であった村でも貨幣での取引が定着しつつあり、自宅で育てる作物を絞って市場で買い足す者も増えていた。屋台の中には工夫を凝らして人気を集める店もあり、村に商売の感覚が芽生えていることがうかがえた。

滞在者の増加がもたらす新たな需要
人足たちの宿泊先について尋ねると、今のところ空き長屋や天幕広場で対応できているものの、利用者は増え続けており、余裕は次第に失われつつあった。荷馬車ごと滞在できる天幕広場は利便性が高く、一定の需要を確保していたが、密集が進めば別の問題も生じかねなかった。メルフィーナは昼食を屋台で買わせつつ、自らが特定の店で買えば市場の公平を乱す可能性があると考え、あえて村人に購入を任せた。

赤子の誕生が映す生活の安定
ニドの家を訪れたメルフィーナは、かつて領主邸で働いていたエリと再会した。エリは出産を終え、娘のサラを抱いていた。赤子はよく眠り、頬もふっくらとしていて、栄養状態の良さがはっきりとうかがえた。メルフィーナはその様子を喜びつつ、乳児に触れる前の手洗いや、飲み水を一度沸かすことの大切さを伝えた。食事事情の改善により今後は出産も増えると見込み、乳児を抱える家庭に衛生観念を広める必要を感じていた。

村の運営に潜み始めたほころび
昼食を囲みながら、メルフィーナはメルト村の運営上の課題を尋ねた。宿を兼ねた酒場を求める声があり、夜の食事に不便を感じる人足が多いことが分かった。また、家の敷地への無断侵入や、畑の作物を軽い気持ちで持ち去る行為も起き始めていたが、現状では口頭の注意で済ませているという。村の者たちにとっては、顔見知り同士で融通し合う感覚がまだ色濃く残っており、個人所有の意識が十分に定着していない実情も浮かび上がった。

秩序を守る仕組みの必要性
メルフィーナは、こうした小さな問題が大きな盗難や治安悪化に発展する前に、エンカー村とメルト村へ兵士を駐留させる必要があると考えていた。近隣の男たちが力ずくで対処する従来のやり方では、恨みが個人に集中しやすく、公的な統制になりにくいからであった。声を掛け合って解決できる範囲はそれでよいとしつつも、より深刻な事態に備え、詰め所や明確な規則を整えるべきだと判断していた。

貧民街を生まないための先手
ニドが兵士の常駐の必要性を実感できずにいる中で、メルフィーナは人が集まれば必ずそこからあぶれる者が現れ、何も持たない者が犯罪や混乱の火種になり得ると説明した。家族や立場を持つ者は失うものがあるため極端な行動を取りにくいが、何も背負わぬ者はその歯止めを失いやすいと考えていた。だからこそ、働けない者には別の仕事を与え、飢えや病からスラムのような場所が生まれる前に手を打ちたいと願っていた。

小さな罪の段階で立ち直らせる構想
メルフィーナにとって兵士の駐留は、単に罪を罰するためのものではなかった。大きな罪に至る前の小さな過ちの段階で介入し、更生の機会を与えるための仕組みでもあった。発展が進めば、その陰で暗い部分もまた広がっていくことを理解しつつ、それでもなお、そうした場所を生み出さぬ努力を続けるべきだと考えていた。エンカー地方の豊かさを守るためには、物や人の流れだけでなく、秩序と再生の仕組みも同時に築く必要があると見定めていた。

錬金術師の滞在依頼

視察の終わりに持ち上がった新たな問題
害虫駆除の打ち合わせと視察を終えた頃には、太陽もやや傾き始めていた。日が落ちれば行動が難しくなるため、メルフィーナはメルト村を発つ準備を進めたが、ユリウスの姿が見当たらなかった。ニドとの会話では、エリが害虫対策の実験結果をまとめる役を担うことになり、今後もメルト村の報告を文書で届けてもらう方針が固まった。

市場で見つけた意外な熱中ぶり
ユリウスを探して市場まで歩くと、そこにはレナと並んで楽しげに話し込むユリウスの姿があった。圃場で別れてからかなり時間が経っていたにもかかわらず、二人はなお話し足りない様子で盛り上がっていた。メルフィーナが帰る支度を促すと、ユリウスはそれを遮るように、この村にもうしばらく滞在したいと願い出た。

滞在希望に対する戸惑いと難しさ
突然の申し出に、メルフィーナは村には貴族が泊まれるような設備がないことを理由に難色を示した。しかしユリウスは、凍死しない程度の囲いがあれば問題ないと平然と答え、書面で仕事を回してもらえれば対応できると食い下がった。その強い執着に、メルフィーナは無理に連れ帰っても夜中に抜け出して戻ってくるだろうと悟った。

セレーネの提案と村長の配慮
その場でセレーネは、空きのある長屋の一室を使えばよいのではないかと提案したが、メルフィーナは、もしユリウスに何かあれば長屋の住人全体に責任が及ぶ可能性を懸念した。そこでニドが、自宅の一室を空けて受け入れてもよいと申し出た。長屋よりも村長の家に滞在する方が、村の体面や管理の面でまだましであると判断されたのであった。

受け入れの条件とユリウスの了承
メルフィーナはニドの家に滞在する以上、家長であるニドに従うこと、夜更かしや台所でのつまみ食いを慎むこと、赤ん坊の泣き声に腹を立てないことなどを子供に言い聞かせるように確認した。さらに、錬金術の仕事がある時は領主邸へ戻ることも条件として示した。ユリウスは面倒がることなくすべて受け入れ、村に残れることを心から喜んでいた。

別れの後に残った安堵と不安
こうしてユリウスはニドの家に滞在することになり、馬車は来た時より一人少ないまま領主邸へ戻ることとなった。レナと並んで手を振るユリウスは、見たこともないほど嬉しそうであった。帰路の馬車の中で、メルフィーナは数日おきにユリウスの様子を確認するようマリーに指示しつつ、彼の強い興味と執着にわずかな不安を覚えていた。それでも、これまで見てきたユリウスは邪悪な人物ではなく、楽しいことに夢中になる彼らしい姿を信じたいと思っていた。

トウモロコシと東部の商人

公爵家で出されたトウモロコシの茶
公爵家の応接室に通されたゲルトは、出された温かい茶の香りから、それがトウモロコシ由来のものであると気づいた。当初は平民への侮蔑のようにも感じたが、実際に口にすると味は穏やかで飲みやすく、日常の飲み物としてはむしろ適しているのではないかと考えを改めた。そして、安価なトウモロコシからこのような商品が作れるなら、それ自体が商売になる可能性を見いだした。

騎士が語った公爵夫人の先見性
やがて現れた公爵家の騎士は、その茶がメルフィーナ・フォン・オルドランド公爵夫人の愛飲するものであると明かした。さらに、メルフィーナが北部の領地経営を学ぶために最初に選んだ作物がトウモロコシであり、その大規模栽培によって北部は公爵家の蔵を開かずに済んだと説明した。ゲルトは、蔵を開いたという噂が流れてこなかった理由をそこで初めて理解した。

料理として示されたトウモロコシの価値
騎士は続けて、トウモロコシの生地に肉や野菜を挟んだ料理をゲルトに供した。ゲルトはその味に驚き、トウモロコシが単なる家畜の餌ではなく、美味な食事にもなり得ることを実感した。しかもその料理もまたメルフィーナの考案によるものであり、北部ではすでにこうした食べ方が広まりつつあると聞かされる。これによりゲルトは、トウモロコシが飢饉下の主食として極めて大きな価値を持つと認識した。

北部が打ち出した飢饉への備え
騎士は、北部では今年からジャガイモ畑のほとんどをトウモロコシに切り替えていると語った。その一方で、ジャガイモの病はしばらく続くと見越し、健康な種芋だけは小さな畑で厳重に管理して残しているとも明かした。ゲルトはそこに、今の飢饉への対処だけでなく、病が収まった後の未来まで見据えた判断を見て、この公爵夫人が本物の才覚を持つ人物であると確信した。

東部への輸出話と選ばれた理由
そのうえで騎士は、北部全体でトウモロコシを大規模に生産しているため、過剰分を北部の外へ輸出したいと本題を切り出した。東部の商人であるゲルトが呼ばれた理由を問うと、騎士は自分が推薦したのだと答えた。そして、トウモロコシだけの食事を続けると病を招く可能性があること、その症状は調理法ひとつで防げることを前提に、商人ならどう動くかをゲルトに問いかけた。

貧民への配慮を含んだ商人の答え
ゲルトは、大商会なら危険があってもそのまま売るだろうと理解したうえで、自らは違う答えを示した。トウモロコシを各地の行商に売る際には、まず調理法をその場で見せ、さらにその方法を広めることを取引条件にすべきだと提案した。処理済みの商品として高値で売るのではなく、安価なまま流通させ、貧しい者が自分で安全に調理できるようにする方が、主食として根付くためにも重要だと考えたのである。

託された使命と商人としての決意
騎士はその答えに満足し、メルフィーナが求めていたのは、商才だけでなく貧しい者への気配りを忘れない商人であったと告げた。トウモロコシ流通の成否は、公爵だけでなくメルフィーナの思いにも関わるものであり、ゲルトなら安心して任せられると評価した。ゲルトはその信頼を受け、トウモロコシを東部へ広め、食べ方と調理法まで含めて定着させることを誓った。そしてこの日が、後に東部屈指の大商人と呼ばれる男にとって、大きな第一歩となった。

菜園と実験圃場

実験圃場での再会
開け放した窓の外から呼ぶ声が聞こえ、メルフィーナが顔を上げると、マリーがアレクシスとオーギュストを伴って歩いてきていた。メルフィーナは作業の手を止め、セドリックとともに作業小屋から出て二人を迎えた。春が深まり、暖かな日差しの中で、アレクシスはまず厳重に囲われた圃場の様子に目を向けた。メルフィーナは、靴を履き替えさせた理由として、別の土から病気を持ち込ませないためだと説明した。

隔離された芋畑の意味
アレクシスが圃場内の芋に気づくと、メルフィーナは公爵家の畑の様子を尋ねた。アレクシスは、指示通りに処置した隔離畑では問題なく芋が育っていると答えた。メルフィーナは、飢饉が去った後に重要になるのは天候と種芋の確保であり、収穫量と栄養価の面では依然としてジャガイモが優れていると語った。十分な距離を取って病気の持ち込みを防げば、健康な種芋を維持できると確認し、あとは病気が収まるのを待つしかないという認識を共有した。

菜園に設けられた静かな歓談の場
マリーが茶の支度を進める間、メルフィーナはアレクシスを作業小屋に増設したテラスへ案内した。晴天と心地よい風に恵まれたその場で、武闘会の開催に合わせてアレクシスが訪れたことが話題にのぼった。メルフィーナは、公爵家が多忙な中で無理をしたのではないかと案じたが、アレクシスは文官たちが働いて時間を作ったのだと答えた。オーギュストも、皆がアレクシスに少しでも息抜きをしてほしいと思っているのだと補足し、その場の空気をやわらげた。

紅茶と領主邸の変化
マリーが淹れた紅茶を口にしたメルフィーナは、その香りと質の高さに感嘆した。王都でもなかなか味わえないほど上質な紅茶であり、穏やかな天候も相まって心がほどけるような時間となった。アレクシスは、領主邸の周辺が短期間で大きく変わったことに驚きを示し、メルフィーナは水濠や用水路の工事が日々進んでいく様子を見るのが楽しみだと語った。

ユリウスの話題と熊騒動
アレクシスが象牙の塔の魔法使い、ユリウスの近況を尋ねると、メルフィーナは彼が春の熊を一撃で仕留めた話を伝えた。冬眠明けの熊は村を脅かす危険な存在であるが、ユリウスにとってはさほど脅威ではなかったらしい。しかも、その熊は村人たちと鍋にして食べられ、結果としてユリウスは村の人々とも打ち解けたのだという。アレクシスはその規格外の力に呆れと感心をにじませつつ、熊鍋をかつて遠征先で食べた経験も思い出していた。

実験圃場で進める品種改良
アレクシスが実験圃場の役割を尋ねると、メルフィーナはここが自分の所有地であり、結果に責任の伴う実験を村人の畑ではなく自らの圃場で行っていると説明した。その後、セドリックに道具を取ってこさせると、メルフィーナは種の選別作業を始めた。今扱っていたのは甜菜の種であり、「鑑定」を使って、より大きな実をつけ、より多く砂糖のもとを得られる可能性の高い種を選び出していた。そして、その選別と育成を繰り返すことで新たな優良品種を生み出すのだと語った。

鑑定の才能と知識の重み
アレクシスがその作業の気の遠くなるような性質に驚くと、メルフィーナは「鑑定」がある分、むしろ大幅に手間が省けているのだと説明した。そして、「鑑定」の価値は才能そのものだけでなく、それを使う者の知識や経験によって大きく左右されるとも語った。料理や農作物では高い精度を発揮できても、宝石や芸術品では専門の商人に及ばないように、「鑑定」は知識と結びついて初めて力を持つのであった。そのため、農作物の品種改良に使うなら、畑仕事の実態や作物の成長過程まで理解していなければ意味がないとメルフィーナは強調した。

豊かな未来への展望
さらにメルフィーナは、トウモロコシも冬の間に選別しており、数年繰り返せば収穫量も味も大きく向上するはずだと語った。麦についても同様に改良が可能であり、やがては病気や天候に強く、柔らかい白いパンに適した大粒の小麦も生み出せると展望を示した。信頼できる種苗を扱う考え方が将来定着すれば、人々は同じ労働でより多くの実りを得られるようになり、暮らしは格段に豊かになるはずだと語った。その思いにアレクシスは静かに賛同し、今後家を継がない立場で「鑑定」の才能を持つ者が望むなら、その道を勧めるつもりだと応じた。

穏やかな沈黙に満ちた時間
アレクシスは、メルフィーナの多くの人を幸せにしたいという考え方を好ましいものだと認めた。メルフィーナは、彼が見た目ほど頑なではなく、新しいものを受け入れる柔軟さを持つ人物だと改めて感じていた。やがて会話が途切れ、種の選別が終わるまで静かな時間が流れたが、その沈黙は気まずいものではなく、春の風とともに穏やかに場を満たしていた。マリーやセドリック、オーギュストもまた、その空気を自然に受け入れていた。

武闘会と聖女の話

武闘会が呼び込んだ賑わい
武闘会はエンカー村の中心部から少し離れた平野で開かれ、多くの見物人が集まっていた。会場の周囲では杭と麻縄で区画が作られ、よい場所を取ろうと人々が集まり、商機を見た者たちはエールやスープ、平焼きパンのサンドイッチを売っていた。領主邸からもエールが販売されており、長い行列ができるほどの盛況ぶりであった。

祭りの必要性を考える会話
会場の賑わいを見ながら、アレクシスは勤勉さだけでなく娯楽も必要であり、定期的な祭りを作るべきだと語った。メルフィーナはこれまで収穫祭以外に大きな祭りを開いてこなかったことを思い返し、多くの人が青空の下で食べ、飲み、笑うこうした日が必要なのかもしれないと感じた。話題は北部の祭りへ移り、アレクシスはソアラソンヌで行われる花祭りや、各地の音楽祭、エール祭について語った。

花祭りと領主たちのやり取り
アレクシスの説明によれば、花祭りは夏の始まりに家族や恋人、友人へ花を贈り合う祭りであり、街全体が花と音楽で満ちるという。メルフィーナはその美しさに心を動かされ、自分なら多くの人に花を贈りたいと感じた。そして、夏の初めに珍しい花をアレクシスへ贈ると申し出ると、アレクシスもまた敬愛を込めて花と上等な紅茶を贈ると応じた。その返答は不器用ながらも誠実なものであった。

セレーネが語るルクセンの夏至祭り
セレーネもまた、自国ルクセン王国の夏至祭りについて語った。花や葉で飾った柱を立て、人々が踊り、御馳走を食べる祭りだという。しかしセレーネ自身は病弱であったため、それに参加したことはなく、こうした賑やかな空気を味わうのは初めてであると述べた。メルフィーナは、もし彼がその時までエンカー地方に滞在していれば、より大きな祭りにも参加してもらえるだろうと感じた。

武闘会の始まりと北部の騎士装備
やがて騎士たちが入場し、武闘会が始まった。甲冑をまとった三人の騎士による馬術、弓、剣の演武が行われ、その後に兵士たちの演武と模擬戦が続く予定であった。メルフィーナは重そうな甲冑に目を留めたが、アレクシスは北部の実戦では金属鎧は使われず、冷えを防ぐため毛皮を多用した装備が主流であると説明した。甲冑は主に儀礼用や王族警護の場で用いられているのだという。

戦争の記憶と聖女の存在
人間同士の戦争がなければ、なぜ重い金属甲冑が必要なのかと疑問を抱いたメルフィーナは、過去に教会と神殿が戦争を制限できなかった時代があったのかと尋ねた。アレクシスは、教会と神殿の影響力が弱まる時代には争いが起こりやすく、とくに聖女が現れると病や怪我が減って教会と神殿の社会的優位が下がり、その後に戦争が起こりやすくなると語った。そして聖女とは、神から遣わされ、大魔法を操り、あらゆる傷と病を癒し、土地を祝福で満たす存在であると説明した。

建国譚と結びついた衝撃
その話を聞いたメルフィーナは、乳母から聞かされた清らかな乙女の建国譚を思い出し、それが聖女の話と重なるのではないかと尋ねた。アレクシスは、それは史実として知られており、神殿では聖女伝、教会では王の英雄譚として語られていると答えた。さらに、当時の公爵の手記を含む史書もあると述べ、それを届けさせると約束した。メルフィーナは、この世界にすでに聖女が現れていたという事実に強い衝撃を受け、自分の知る物語や現在の状況とのつながりに混乱した。

揺らぐ内心と続く武闘会
聖女の存在を知ったことで、メルフィーナは顔色を失い、指先の震えを隠せなくなった。アレクシスに体調を気づかれるほどであったが、メルフィーナは冷えただけだと答え、マリーに茶を頼んだ。ちょうどその時、会場では騎士たちが騎乗し、観客の歓声が上がっていた。今日の主役は彼らであり、自分はこの武闘会を見届けなければならないと理性では理解していたが、膝の上で握り込んだ拳の震えは、すぐには収まらなかった。

不安と祝福の派遣

揺れた心を落ち着かせる温かさ
マリーは温かいコーン茶と毛皮の上掛けを運び、メルフィーナの冷えた体と心を気遣った。春の陽気の中では大げさにも思えたが、その心配りを無下にはできず、メルフィーナは素直に受け入れた。馴染み深い茶の優しい味によって、先ほどまで抑えきれなかった動揺や震えもようやく鎮まり、自分が聖女の話にあれほど取り乱したことを恥じた。

運命への恐れと怒り
メルフィーナは、いずれ聖女が現れることを前提にこれまで動いてきたが、それでも今生きている世界そのものが誰かに定められた物語であり、自分や周囲の人々の運命までもが大きな力に操られているかもしれないと考えることには、強い恐怖と不快感を覚えていた。とりわけ、親しくなった人々まで理不尽な運命に巻き込まれるかもしれないという想像は、怒りすら伴うものであった。

マリーの気遣いと立て直す意志
顔色を案じたマリーは、もう部屋で休んだ方がよいのではないかと静かに進言した。だがメルフィーナは、冷えただけで大丈夫だと答え、今日の主役は騎士たちなのだから、自分がこの場を離れるわけにはいかないと気持ちを立て直した。マリーは納得しきれない様子ながらも、それ以上は言わず、そっと見守るに留めた。

騎士たちの技が示した本来の姿
会場では騎乗した騎士たちによる弓射が始まり、ローランド、ジグムント、セドリックがそれぞれ見事な腕前を披露した。中でもジグムントは馬を走らせながらでも正確無比な射を見せ、他を圧倒した。メルフィーナは、これまで駐留という形でしか見ていなかった騎士たちが、本来は守る者である以上に戦う者なのだと、改めて強く感じた。

剣に宿る才能への評価
弓術の結果を受けて、アレクシスとオーギュストはジグムントの腕を称えつつ、セドリックの真価は剣にあると語った。さらにアレクシスは、純粋な一騎打ちであれば自分がセドリックに膝をつくだろうとまで言い切った。その率直な評価に、メルフィーナは驚きを覚えた。アレクシスほどの人物がここまで明確に敗北を認めることは、それだけセドリックの剣技が特別であることを物語っていた。

暮らしを支える細かな整備
競技の合間には、会場外の屋台やトイレにも人が群がっていた。とくに屋外トイレについては、元から住む者には習慣化していても、外から来た人足にはまだ定着しておらず、兵士が注意を与えることも多いと分かった。メルフィーナは、数を増やすことで待ち時間や移動の負担を減らし、問題を少しでも抑えられるようにしたいと考え、後に設置場所も含めて相談する方針を決めた。

秘書以上の存在としてのマリー
顔色が戻ったことを喜ぶマリーに、メルフィーナは心配をかけたことを詫びた。マリーが茶を淹れに席を外した後、アレクシスは二人の関係を姉妹のようだと評した。メルフィーナはそれを否定せず、マリーを有能な秘書である以上に、妹のように思っていると率直に答えた。

子供たちへの祝福という構想
その流れでメルフィーナは、エンカー地方の子供たちに神殿と教会の祝福を受けさせたいと打ち明けた。最近は才能の片鱗を見せる子供たちも増えてきており、どの道に進むにせよ、自分の資質を知ることは将来を選ぶ助けになると考えていたからである。するとアレクシスは、集団で移動するよりも神官と司祭を派遣してもらう方法があると教え、オルドランド家と懇意の者たちへ声をかけてもよいと申し出た。

神殿と教会の事情が示すもの
派遣の作法や礼については執政官に確認することとなり、オーギュストは必要な慣例を整えるよう話を通すと請け負った。一方で、エンカー地方に神殿や教会を新設するのは当面難しいだろうとも語られた。プルイーナ討伐の折の神官の様子から見ても、今後数年は派遣による対応が現実的であるというのである。その言い方から、神殿や教会が聖女降臨を見越して動いていることを、メルフィーナは改めて感じ取った。

胸に広がる新たなざわめき
ユリウスが聖女降臨の情報を把握しているらしいことはすでに知っていたが、アレクシスまでもが神殿や教会の内情を知っているような口ぶりを見せたことで、メルフィーナの胸には再びざわめきが広がった。もしアレクシスも、来年聖女が訪れることを知っているのだとすれば、その存在は公爵領との今の穏やかな関係や取引にも大きな変化をもたらしかねない。そう考えると、武闘会の再開を告げる会場の熱気の中でも、メルフィーナの胸の内だけは静かには収まらなかった。

武闘会の終わり

盾と剣が示した実戦の重み
騎士たちは甲冑を脱ぎ、騎士服の上から革鎧を着け、盾と長剣を装備して剣技の型を披露した。儀礼ではなく実戦を意識した装いであり、北部では大型の獣や魔物の牙を防ぐために盾が不可欠であると説明された。アレクシスが大剣のみで前に出ることが多いという話に、主従の軽いやり取りも交わされたが、その雰囲気はどこか親しみのあるものであった。

セドリックの剣に宿る圧倒的な技量
三人の騎士は同じ型を演じていたが、メルフィーナの目にもセドリックの剣だけは際立って見えた。速さや動きそのものが大きく違うわけではないのに、その剣には見る者を圧する鋭さがあり、まるで斬り伏せられるような感覚すら生まれていた。観客たちも騒ぎをやめて静まり返り、三人の剣技を固唾を呑んで見守った末、演武が終わると大きな歓声を上げた。磨き抜かれた技術そのものが、人を惹きつける価値を持っていたのである。

兵士たちの演習が呼んだ熱気
続いて会場には兵士たちが現れ、弓と槍の演武を披露した。騎士たちと比べれば年齢や体格、技量の差は大きかったが、その分見物人は親しみを込めて声援を送り、とくにエンカー地方から出た兵士見習いには家族や友人の応援が大きく飛んでいた。メルフィーナは、この武闘会をきっかけに兵士見習いを志願する若者が増えるかもしれないと感じ、マリーもまた騎士に憧れる子供が増えるだろうと応じた。

埋もれかけていた才能への気づき
兵士の中でも若いロイドに目を留めたアレクシスとオーギュストは、彼に有用な「才能」があると見抜いた。弓を引く目や槍の扱いに、その片鱗が表れていたのである。メルフィーナは、それまでロイドの資質に気づけなかったことにショックを受けたが、オーギュストは本来それを見抜くべきは訓練を統べる騎士たちであるとフォローした。アレクシスもまた、兵士を率いる以上そうした点に注意を払うべきだとしつつ、メルフィーナの取り成しを受けて、ローランドとジグムントを厳しく咎めることは避けると告げた。

武闘会を締めくくる褒賞
模擬戦まで終わると、兵士たちの中から特に優秀な者が選ばれた。選出されたのはオルドランド家から派遣されている壮健な兵士であり、その力量は模擬戦でも際立っていた。アレクシスは彼に労いの言葉を掛け、将来的には従士へ引き上げる案も語った。メルフィーナもまた、騎士たちには領主邸のエール二樽、優秀者にはさらにエール一樽と、エンカー地方で初めて作られた大きなチーズを褒賞として授与した。兵士たちは歓声を上げ、仲間の健闘を称え合った。

労いの成功と次の関心
メルフィーナは参加者全員を労い、宿舎へ十分な量のエールを届けると約束した。兵士たちは明るい笑顔で感謝を返し、一冬のあいだセレーネとエンカー地方を守ってくれた彼らへの慰労は、十分に実を結んだ形となった。武闘会は温かな余韻を残して終わったが、その後アレクシスが褒賞のチーズについて詳しく聞かせてほしいと関心を示したことは、また別の話であった。

丸いチーズと公爵家の思い出の味

完成したチーズの披露
エドたちが大きなハードチーズを運び込み、メルフィーナはその麻布を解いて、黄金色のホールチーズをアレクシスたちに見せた。それは保存性の高い熟成チーズであり、エンカー地方からソアラソンヌまでの輸送にも耐えうる品であった。アレクシスは値も聞かぬうちに買い取ると口にしたが、メルフィーナは公爵家の家臣たちとの食事の席で使ってもらえれば十分だとして、贈る意向を示した。

修道院の味を呼び起こす記憶
チーズを前にしたオーギュストは、高山地帯のラピドゥス修道院で口にした料理を思い出した。アレクシスもまた、それがかつて家族や近しい者たちとともに訪れた旅の中で味わったものに似ていると認めた。干したイチジクと蜂蜜を合わせた食べ方や、晩餐で供されたチーズ入りの熱いパイの記憶が次々と語られ、公爵家の過去の穏やかな時間がそこににじみ出ていた。

思い出の料理を再現しようと決める
その話を聞いたメルフィーナは、せっかくなら昼食にそのチーズのパイを作ろうと提案した。切ってそのまま食べるだけでなく、料理として使えばチーズの魅力をさらに引き出せると考えたのである。記憶通りの味そのものにはならないかもしれないが、自分もそのパイを食べてみたくなったと語り、皆もそれに賛成した。

厨房で進む共同作業
厨房では、セドリックが力仕事としてパイ生地をこね、エドがほうれん草を下ごしらえし、オーギュストがチーズをすり下ろすなど、自然に役割分担が生まれた。メルフィーナはベーコンをバターで炒め、青菜と合わせ、卵とクリームとチーズを混ぜた生地をパイ皿へ流し込んだ。具材には応用が利くことも説明しながら、懐かしい料理を新たな形で再現していった。

焼き上がりを待つ間の期待
焼き上がるまでの間、一同は薄く切ったチーズを茶請けとして味わった。アレクシスとオーギュストは、修道院以外でこれほどの完成度のチーズを口にできることに感心し、旅の道中でパンに載せて食べる贅沢や、スープに溶かして味わう食べ方などを語った。やがて厨房には香ばしく濃厚な匂いが立ち込め、焼き上がりへの期待が高まっていった。

食卓によみがえった懐かしさ
焼き上がったパイは熱々のまま切り分けられ、一同の前に並べられた。中身はチーズの旨味にベーコンの塩気、卵とクリームのまろやかさが重なり合い、ほっとする味に仕上がっていた。エドやクリフ、セドリックが素直な感想を口にする中で、マリーはその美味しさに声を震わせた。オーギュストは以前の味を思い出すと大きな声で語り、アレクシスも静かながら柔らかな声で、この味が好きだと認めた。

新しい思い出としてのチーズパイ
マリーは、この顔ぶれで食べているからこそ、この味がより特別なのだと語り、領主邸のチーズパイが自分の一番の好物になりそうだと微笑んだ。メルフィーナには、彼らが抱く過去の思い出の重みまでは分からなかったが、それでも自分たちも新しい思い出を重ねていけるのだと感じた。そして、このメンバーで集まる時には決まって食卓にチーズパイが並ぶ、そんな習慣が生まれてもよいと思った。

熱々のパイとエールの締めくくり
メルフィーナが、熱いパイにはエールがきっと合うと口にすると、皆はいそいそと席を立ってエールを注ぎ始めた。その様子に笑いが広がり、食卓はさらに和やかなものとなった。メルフィーナがもうひと口すくったチーズパイの中身は、とろりと糸を引くように伸び、出来たての幸福なひとときを象徴するようであった。

思春期と空の星

騎士たちから持ち込まれた相談
応接室に呼ばれたメルフィーナは、ローランドとジグムントから、セレーネが兵舎をたびたび訪れ、ついには自分も訓練に参加したいと申し出たことを聞かされた。二人の騎士は、体調が回復しつつあるセレーネの前向きな変化を喜びながらも、他国の王子に自分たちが訓練を施すことの政治的な問題と、本人の身体への負担を懸念し、判断をメルフィーナに委ねたのであった。

回復の裏にある焦り
二人を見送った後、メルフィーナは、セレーネが以前よりずっと元気になったことを思い返していた。顔色も良くなり、笑顔にも年相応の明るさが増していたが、それでも平均的な子供と比べればまだ弱々しく、夜に咳き込んだり熱を出したりする日もあった。その状態で兵士の訓練に加わることは到底許せるものではなかったが、本人があえてメルフィーナではなく騎士たちに願い出たことから、帰国を意識したうえで焦りを抱えているのではないかとも感じていた。

錬金術師に求めた助言
セレーネを傷つけずに思いに寄り添う道を探るため、メルフィーナはユリウスを領主邸に呼び戻した。翌日、久しぶりに姿を現したユリウスは、メルト村での暮らしを心から楽しんでおり、レナと共に野山や湖畔を巡る日々を嬉々として語った。以前よりもさらに無邪気で、少年のような気配さえ漂わせるその様子から、レナとの時間が彼にとってどれほど特別なものかがうかがえた。

成長を優先すべきという見立て
本題に入ったメルフィーナが、セレーネの訓練参加について相談すると、ユリウスはすぐにその難しさを理解した。生来の強い魔力による虚弱は、多くの場合、成長して体がそれに適応することで安定すると説明し、成長期に訓練へ体力や栄養を回してしまうのは望ましくないと語った。今は無理に鍛えるよりも、まず十分に体を育てることを優先すべきだという助言に、メルフィーナはようやく納得のいく説明を得て安堵した。

友人だからこそ見えた違和感
しかし、食堂を辞したユリウスを追いかけたセドリックは、別の懸念を抱いていた。滅多に他人を名前で呼ばないユリウスが、レナを自然に名前で呼んでいることに気づいていたからである。セドリックは、もし彼女を求めるのであれば、平民であるレナが傷つかぬよう正しい手順を踏むべきだと釘を刺した。

届かない星へのたとえ
ユリウスは、レナをどうこうしようなどとは考えていないと笑い飛ばしつつ、ただ限られた時間をあの子のそばで過ごし、彼女の見ている世界を自分も見たいだけだと語った。そして、あの子を好きになるなどというひどいことは自分にはできないと続け、星がどれほど美しくとも、夜空に手を伸ばしてそれを欲しがるのは無意味だとたとえた。その言葉は軽やかでありながら、どこか達観と諦念を含んだものでもあった。

セドリックの胸に残った苦さ
ユリウスは最後まで本心を明確には語らず、レナとの小島探検の計画を理由に軽やかに去っていった。だがセドリックには、彼があの少女を極めて特別に想っていることは明らかであった。かつて、名前を呼べばその分だけ未練になると語っていた友人の言葉を思い出しながら、セドリックはその複雑でほろ苦い感情を胸の奥に押し込み、何事もなかったようにメルフィーナのもとへ戻っていった。

提案と温かいチーズケーキ

久しぶりの料理に込めた気遣い
ユリウスが持ち込んだ濃い赤色の果実を使い、メルフィーナはセレーネを誘って久しぶりに厨房へ立った。春になってからは新規事業や領地経営に追われ、皆が忙しさの中で役割を担う一方、セレーネだけがその流れから取り残されるような形になっていた。メルフィーナは、最近のセレーネが以前より感情を抑えるようになっていたことを思い返し、自分の配慮が足りなかったことを悔いていた。

甘い香りの中で切り出された本題
二人は果実を使った菓子作りを始め、ビスケットの土台にクリームチーズ、砂糖、卵、生クリームを合わせた生地を流し込み、焼き上がりを待つことにした。食堂に移ってお茶を飲みながら一息つくと、先に口を開いたのはセレーネだった。武闘会を見て、自分も強くなりたいと思い、最近体調も良かったことから、兵士たちの訓練に参加できるのではないかと考えたのだと打ち明けた。

訓練を止める代わりに示した理由
メルフィーナは、ユリウスから聞いた話として、生来の大きな魔力による虚弱は、成長して体が完成することで多くが安定すると伝えた。成長期に訓練へ体力や栄養を割くのは望ましくなく、今は無理をせず、まず背が伸びて体が整うのを待つべきだと説明した。セレーネは素直にそれを受け止めたが、内心ではなお、何かをしたいという気持ちを抱えていた。

新たに託された役目
そこでメルフィーナは、別の形でセレーネに手伝ってほしい仕事があると持ちかけた。それは、植物紙を使って平民が自分の名前を書けるようになるための簡単な教本を作ることであった。エンカー地方の発展に伴い、外部の商人たちが流入すれば、土地を不当に奪われたり、不利な契約を押し付けられたりする危険が高まる。契約を守る制度や公証人の整備が進んでいても、本人が自分の名を書けなければ証拠として弱くなるため、最低限の識字が必要になると考えていた。

役割を得たセレーネの笑顔
メルフィーナは、見本作りや修正、さらに完成後の写本や製本の指導までを含めて、セレーネに協力を求めた。もちろん体調に無理のない範囲でという条件付きではあったが、セレーネはすぐにそれを引き受け、自分も姉の仕事を手伝いたいと明るく応じた。メルフィーナはその表情を見て、久しぶりに子供らしく輝く笑顔を取り戻してくれたことを嬉しく思った。

焼きたての菓子がもたらした和やかな時間
ちょうどその頃、オーブンではチーズケーキが焼き上がっていた。まだ熱を帯びて柔らかい生地に、フォルベリーの濃紫のジャムを添えると、見た目にも鮮やかな菓子となった。四人でそれを口にすると、濃厚な甘さと重たい食感、果実の酸味が調和し、それぞれが感嘆を漏らした。セレーネは初めての味に目を輝かせ、セドリックは黙々と食べ進め、マリーは少しずつ丁寧に味わっていた。

未来への楽しみを共有する
メルフィーナは、この菓子がチーズケーキという名であり、今後ロマーナ産の小麦が入るようになれば、さらに多様なケーキや菓子が作れるようになると語った。料理も菓子も、工夫次第で新しい楽しみを生み出せる世界なのだと伝えると、セレーネは今後も皆でこうして作ってお茶をする時間を楽しみにしていると笑った。忙しさの中にも、こうした穏やかな時間を重ねていけることが、メルフィーナにとっても大きな喜びとなっていた。

司祭の来訪

雨季の合間に訪れた司祭一行
春から夏にかけて雨の多い北部では珍しく、その日は朝から雨が止んでいた。そんな中、メルフィーナは教会から派遣された司祭エミルを迎えた。結婚式の折に参列していたというエミルは、穏やかな物腰と高い教養を感じさせる人物であり、本来なら大司教が赴くところを、自らがソアラソンヌの教区を担う者としてやってきたのだと説明した。

別館への案内と丁重な応対
司祭一行は大型馬車三台で到着し、公爵家の護衛を除いても十人規模の教会関係者を伴っていた。領主邸では手狭であるため、メルフィーナは完成したばかりの別館を宿舎として用意し、食材の手配も申し出た。エミルは神職ゆえに口にできるものが限られていること、料理のできる者も同行していることを伝え、必要最低限の支援だけを求めた。

祝福の派遣を喜ぶ司祭
団欒室で紅茶を囲みながら、エミルは発展途上のエンカー地方の活気に驚いた様子を見せた。さらに、平民の子供たちにも祝福を受けさせたいと願う領主は少なく、その願いに応じて自ら派遣に志願したのだと語った。メルフィーナは、本来ならば子供たちを神殿や教会へ連れて行くのが作法であると承知しつつも、遠方まで足を運んでくれたことに感謝した。エミルもまた、司祭の立場では外へ出る機会が乏しいため、こうした遠出自体が役得なのだと柔らかく応じた。

飢饉の影と教会への支援
会話はやがて領都の現状へと及び、ソアラソンヌでも貧民街の環境が悪化し、炊き出しの回数を増やしたくとも食糧不足で難しいことが語られた。教会も弱者の救済に努めてはいるが、限界があるという事情を知ったメルフィーナは、夫を通じて教会への食糧支援を願い出ると約束した。エミルはその申し出に素直に感謝を示した。

学校という言葉への違和感
窓の外の圃場と建設中の水車小屋を眺めながら、エミルはエンカー地方に学校を建てる考えはないかと尋ねた。読み書きや計算を教える公的機関だという説明を受けたメルフィーナは、農民や農奴が大半を占めるこの土地では、食べて生きるのに直結しない学びのために仕事を休む者はいないと、戸惑いを見せつつ答えた。エミルはすぐにその指摘を認め、話題を収めたが、メルフィーナにはその問いかけに拭いがたい違和感が残った。

胸に残る不穏さ
面会を終えて別館を後にしたメルフィーナは、マリーやセドリックにも学校という言葉に聞き覚えがないことを確認した。読み書きや計算は、この世界では貴族や聖職者、商人の一部に限られた技能であり、平民に広く教えるという発想自体が時代にそぐわないものであった。だからこそ、祝福のために来たはずの司祭がわざわざその話題を振った理由が分からず、ただの雑談では済まない何かを感じ取っていた。

早く終えて帰してしまいたいという決意
祝福のために足を運んでくれたこと自体には感謝していたものの、メルフィーナの胸には嫌な予感が残っていた。余計なことを考え過ぎかもしれないと思いつつも、できるだけ早く用件を済ませて帰ってもらおうと心を決めた。そしてマリーとセドリックを伴い、自分にとって最も安心できる執務室へと、少し足早に戻っていった。

「祝福」と「才能」

祝福の日にも続いた領主の執務
司祭たちを乗せた黒い馬車が早朝に領主邸を出発した後も、メルフィーナは朝から執務を続けていた。急速に発展するエンカー地方では、水車や乾燥小屋、ガラス工房など、整備すべき事業が山積しており、執政官や文官が揃いつつある中でも、領主として判断すべきことは尽きなかった。そんな中、控えめなノックとともにアンナが現れ、メルト村の子がどうしても会いたがっていると告げたため、メルフィーナは仕事の手を止めて短い休憩を挟むことにした。

ロドがもたらした祝福の報せ
玄関へ下りたメルフィーナを待っていたのは、雨に濡れながらも満面の笑みを浮かべるロドだった。ロドは広場で祝福を受けた結果、自分には「演算」と「分析」という二つの才能があると分かったのだと、真っ先に伝えに来たのであった。貴族でも複数の才能や属性を持つ者は珍しく、それもどちらも有用で稀有なものであると知っているメルフィーナは、その結果を心から称賛した。さらにロドは、司祭から教会に来ないかと誘われたが、メルフィーナの役に立ちたいから断ったのだと得意げに語り、喜びのままに村へ走って帰っていった。

才能の価値と子供たちの可能性
ロドを見送った後、メルフィーナたちはその才能の重さについて語り合った。マリーとセドリックは、それが建築家や学者、あるいは芸術家に向いた非常に恵まれた才能であると評した。教会で学ぶ環境自体は確かに魅力的であると認めつつも、メルフィーナはその場ではロドにそのことを告げなかった。才能の有無にかかわらず、子供たちは皆可能性を秘めた存在であるという思いが、彼女の中にはあったからである。

昼を過ぎても戻らない少年
短い休憩を終えて再び執務に戻ったメルフィーナは、しばらくして空腹に気づき、昼食の時刻がとうに過ぎていることを知った。普段ならエドかアンナが声を掛けに来るはずだったが、その気配はなかったため、マリーが下を見に行くことになった。やがて戻ってきたマリーは、エドの姿が見当たらないことを告げた。そこへ市場の買い出しから戻ったアンナも加わり、祝福そのものはすでに終わっており、広場では片付けまで始まっていたのにエドだけが見つからないのだと、不安をあらわにした。

高まる不安と帰らぬ気配
アンナは、エドがごちそうを作るつもりで買い物を頼んできたこと、市場にも広場にも姿がなかったことから、何かあったのではないかと動揺していた。メルフィーナもまた、エドが道に迷うような子ではなく、勝手に仕事を放り出すこともないと理解していたため、その不在に不穏さを覚えた。すぐに兵士へ捜索を命じ、アンナを落ち着かせようとしたものの、時間が過ぎてもエドは戻らなかった。朝から降り続いていた雨は、夕刻に向かうにつれてさらに強さを増していった。

持たざる者

帰らないエドへの募る不安
マリーに兵士たちの指揮を任せ、エドが戻ったらすぐ知らせるようアンナに伝えた後も、メルフィーナは執務に集中できずにいた。太陽は少しずつ傾き、夜が近づいていた。北部の夜は危険が多く、日が落ちれば人の行動は著しく制限される。そんな中でエドが戻らないことは、もはや看過できることではなかった。

司祭の報告でも消えない疑念
やがて教会の馬車が戻ってくると、メルフィーナはすぐに外へ出て司祭エミルに声をかけた。エミルとオーギュストの話では、祝福そのものは滞りなく終わっており、エドにも特に変わった様子は見られなかったという。その返答によって事情はなおさら分からなくなり、メルフィーナの不安はいっそう深まった。

捜索の決断
司祭を見送った後、メルフィーナは日が落ちる前に捜索隊を出すよう命じた。騎士には馬で周辺を探させ、エンカー村にも自宅周辺を重点的に捜すよう依頼することにした。大げさだと笑われても構わないから、とにかく無事に戻ってきてほしいという思いが、その判断を後押ししていた。

雨の中で戻った少年
その時、アンナがエドの姿を見つけた。兵士に付き添われて戻ってきたエドは、ずぶ濡れのまま俯き、顔を上げようとしなかった。メルフィーナが近づいて覗き込むと、彼の目は赤く腫れ、唇は強く噛みしめたせいで血がにじんでいた。怪我を負わされた様子はなかったが、ひどく打ちのめされていることだけは明らかだった。

謝罪の理由
メルフィーナが何があったのかと尋ねても、エドは泣きながら謝るばかりであった。ようやく絞り出した言葉は、自分にはひとつも才能がなかったというものであった。その瞬間、メルフィーナは事情を理解し、同時に、それがエドにとって決して軽いことではないと悟った。雨の中を長時間さまよい、領主邸へ戻ることすらためらうほど、エドは深く傷ついていたのである。

痛ましい誤解
メルフィーナは、才能がないことは謝るようなことではないと何度も伝えた。そして、何より無事に帰ってきてくれたことが嬉しいのだと告げ、エドの手を取って屋敷の中へ促した。エドはそれ以上逆らわず、重い足取りで領主邸へ入っていった。その様子はまるで、自分はもうここにいてはいけないとでも思い込んでいるかのようであり、メルフィーナにはそれがひどく痛ましく感じられた。

ミルクセーキと人の価値

冷えた厨房で向き合う時間
メルフィーナは石窯に火を入れ、まだ濡れた服のまま座るエドと厨房で向き合っていた。ラッドが着替えを取りに向かっていたものの、体を温めるにはまだ時間が必要であった。メルフィーナは、毎日エドが石窯に火を入れ、温かい食事と入浴の支えになってくれていたことを改めて思い返していた。

甘い飲み物でほぐれる気持ち
メルフィーナは体の温まる飲み物としてミルクセーキを作ることにし、エドにも卵を割り、砂糖とミルクを混ぜる手伝いをさせた。弱火でゆっくり温めたそれを三人分用意し、エドとセドリックにも渡した。エドはその優しい甘さに少し気持ちを落ち着かせ、まずはみんなに心配を掛けたことを謝った。

才能の有無に揺れる少年
エドは、自分には「才能」が何もなかったことにひどく打ちのめされていた。周囲に心配を掛けることよりも、自分が望まれる何かになれなかったことばかりを考えていたのである。メルフィーナは、そう思い詰めてしまう背景には、エドがこれまで人の役に立たねばならないと強く思い込んで生きてきたことや、幼い頃から恵まれない扱いを受けてきた来歴も関係しているのだろうと感じていた。

外れ扱いされた自分の記憶
メルフィーナは、自分もまた「鑑定」という外れ扱いされる才能を持っていたため、祝福を受けた帰りの馬車で泣いたことがあると打ち明けた。どんな才能があるかで人の価値が決まるわけではなく、祝福を受けさせたのも、将来やりたいことにつながればよいと思ったからだと伝えた。そして、生き方は自分で選んでよく、笑って幸せに暮らす以上に大切なことはないのだと、エドに静かに語りかけた。

領主邸で積み重ねた一年の重み
さらにメルフィーナは、一年前にラッド、クリフ、エドの三人が領主邸で働きたいと申し出てくれた日のことを思い出させた。ラッドは物資の調達を担い、クリフは屋敷や馬の世話と連絡役をこなし、エドは料理を通じて領主邸の日々を彩ってくれた。エドが作る温かい食事や、明るく気遣いに満ちた振る舞いは、この一年の暮らしを確かに支えてきたものであり、それは才能の有無とはまったく別の価値であった。

大好きだという言葉
メルフィーナは、エドを大事に思う理由は才能があるかもしれないからではなく、この一年、彼が料理を作り、日々を温かくしてくれたことそのものにあるのだと告げた。そして、もし才能がなかったことでその日々まで嘘になってしまうのかと問いかけた。エドは泣きながら、この一年はずっと幸せで、全部本物だったと答えた。そこでメルフィーナは、エドが大好きなのだとまっすぐに伝え、その言葉を忘れないでほしいと願った。

戻ってきた張りと仲間たちの気配
石窯の熱が十分に回り、サウナが使える頃になると、メルフィーナはエドに風呂へ入ってくるよう促し、その後で二人で夕食を作ろうと提案した。エドの声にはようやく張りが戻り、急いで風呂へ向かおうとしたが、厨房の外にはラッドやクリフ、アンナ、ユリア、マリーたちが揃って待っていた。皆はエドを案じて様子をうかがっていたのであり、その存在を知ったエドは照れと気まずさをにじませながらも、心配を掛けたことを謝り、夕食を作ると声を張って告げた。

軽くなった心と冬への楽しみ
やがて皆が散っていくと、セドリックは聞き耳を立てていた面々を追い払わなかったことを少し気まずそうにしながらも、冬に飲むこの飲み物は格別に美味しそうだと漏らした。メルフィーナは、熟成した蒸留酒で割っても美味しいのだと教えた。空になったカップを覗き込むセドリックの目が嬉しそうに輝いているのを見て、メルフィーナは思わず笑い、少しだけ心が軽くなるのを感じていた。

家令見習い工

祝福の結果が示した新たな可能性
司祭来訪三日目の午後、オーギュストから受け取った一覧を確認したメルフィーナは、「祝福」を受けた十八名のうち四人に才能が現れていたことを知った。ロドには「演算」と「分析」、メルト村の少年には「裁縫」、エンカー村の少年には「緑の手」、そしてロイドには「文武」が確認された。とくにロドの複数才能と、農作に向く「緑の手」、裁縫の才能が早く芽吹いたことは、エンカー地方の今後の発展にとって喜ばしい結果であった。

ロイドの才能に見いだされた将来像
ロイドに現れた「文武」は、武と文の両面に優れた均整の取れた才能であり、カーライル家にも時折現れる由緒ある資質だと説明された。これを受けてオーギュストは、ロイドをセドリックの従士として迎え、護衛任務と並行して執政官の下で政治と内政を学ばせ、将来的にはメルフィーナの家令として育ててはどうかと提案した。領地の規模が大きくなるにつれ、直臣として支える存在が必要になることを見越した進言であった。

家令に求められる力と忠誠
オーギュストは、豊かな領地の家令には大きな権力が伴うため、誘惑に負けない忠誠心と、自衛できるだけの強さが不可欠だと語った。本来であればオルドランド家の家令ルーファスの下で修業させるのが近道だが、領地が別である以上そうもいかず、セドリックの従士として育てる案に落ち着いていた。メルフィーナはその理屈に理解を示しつつも、重要な役を担わせる以上、本人の意思が最優先であると考えていた。

騎士の鍛錬に驚く領主
ロイドの指導をセドリックが担うと聞き、メルフィーナはその負担を案じた。だがセドリックは、もともと夜間に走り込みや素振りを続けており、そこへロイドが加わるだけだと答えた。さらにオーギュストも、騎士は幼少から訓練に慣れており、適度に体を動かしていないとかえって落ち着かないものだと補足した。夜の訓練に危険を感じたメルフィーナも、二人の説明を受けるうちに、騎士という身分がそれほど厳しい鍛錬の上に成り立っているのだと改めて思い知らされた。

本人の意思を尊重する結論
最終的にメルフィーナは、ロイド自身の気持ちを確かめたうえで決めるべきだとまとめた。もともとロイドは兵士になる前提で訓練を受けていたが、家令として領地全体を支える道もまた、より広く深くエンカー地方を守る役目につながると考えたからである。頼れる直臣を増やしたいという思いもあり、周囲とうまくやり、よく魚を差し入れに来てくれる優しいロイドなら、その役目にふさわしいと感じていた。

村長一家に届いた仕官の話
数日後、エンカー村の村長ルッツへ正式に孫息子ロイドの仕官の話が持ち込まれた。貴族に対して強い苦手意識を持つルッツは、その申し出に驚き、椅子から転げ落ちるほど動揺したものの、最終的には当のロイドとも相談したうえで了承した。こうしてエンカー地方には、新たな直臣候補が加わることになった。

古い手記

古い史料との対面
オーギュストは、アレクシスから預かった古い書物をメルフィーナに手渡した。それは緋色の布に包まれた、二百四十九年前のオルドランド公爵による手記であり、聖女に関する記述が残されていた。羊皮紙は経年劣化が激しく、虫食いやカビ、張り付いた頁も多く、解読には慎重さが求められたが、メルフィーナは古語の知識を頼りに読み進めることにした。

聖女マリアの降臨
手記によれば、若い女性が王城の中庭に光とともに現れ、聖女として認定されたのであった。彼女は黒髪黒目で、見た目は十三歳ほどでありながら、自らは十七歳だと名乗り、その名はマリアであった。当初、手記を書いた公爵は聖女の存在に懐疑的であったが、王命によって王都に赴き、そこで聖女と対面することになった。

聖女の知識がもたらした変化
マリアは、国中を苦しめていた病の原因が麦に寄生する小さな魔物であると突き止めた。そして祝福した畑から採れた麦では症状が出なくなり、さらに彼女の指示した方法で麦を選別することで発症も大きく抑えられるようになった。手記には、聖女の知識と能力により国の危機が解決へ向かっていく様子と、それに心を動かされていく公爵の心境の変化が断片的に記されていた。

聖女を巡る政治と恋情
手記が進むにつれ、公爵の記述は聖女に強く惹かれていくものへと変わっていった。マリアは宰相の息子と行動を共にすることが多くなり、王都の外へも足を運んでいた。教会と神殿の双方が彼女を求め、王家もまた彼女の周囲の異性を遠ざけ始めていた。公爵は聖女への嫌がらせを行う貴族女性たちに憤り、彼女の近くにいたいという強い感情を隠さなくなっていた。

国を二分した聖女の存在
やがてマリアは王都を離れ、宰相家の領地へ向かったと記されていた。その後、王家と宰相家の対立が激化し、国は二つに割れ始めた。さらに手記には、マリアを旗印に新たな国を興すという通達が宰相家から届き、公爵もまた、聖女は王族より尊い存在であり、この世界の調整者であるとして、彼女のもとへ下る決意を記していた。ここから、後にフランチェスカ王国が建国され、旧ブラン王国が滅んだ流れがうかがえた。

ゲームとの酷似がもたらした嫌悪
手記を読み終えたメルフィーナは、そこに描かれた流れが、自分の知る物語とあまりにも似ていることに強い不快感を覚えた。聖女の降臨、疫病の発生、諸侯の集結、聖女を取り巻く人々の恋慕と対立、そしてその中から選ばれた者が大きな利益と幸福を得る構図は、「ハートの国のマリア」に酷似していたのである。さらに最後の署名に記されていた名がアレクシス・フォン・オルドランドであることを知り、この世界そのものに対してざらついた嫌悪と居心地の悪さを覚えた。自分だけが異物になってしまったような感覚の中で、メルフィーナは本を閉じ、布に包み直した。

農業用水池と用水路

雨季の合間に向かった新設の用水池
教会の馬車を見送った後、メルフィーナはすぐに自らの馬車でメルト村近くの農業用水池へ向かった。雨季の最中で地面はぬかるんでいたが、雨そのものは今年新たに導入した用水池と用水路にとって歓迎すべきものであった。現地にはニドたちメルト村の責任者が先に到着しており、メルフィーナは完成した用水池の様子を確認しながら、今後の運用について話を始めた。

備えとして形になった水の蓄え
メルフィーナは、元々水に恵まれているエンカー地方であっても、水資源は有限であり、干ばつへの備えは必要だと考えていた。実際、ニドも過去に長く雨が降らず、畑が干上がった年を知っており、こうして水を蓄えられることで最悪の事態を避けられそうだとしみじみ語った。メルフィーナも、雨の少ない年には用水池の水量も減るだろうが、それでも枯死を防ぐ備えになることを重視していた。

用水路に残る課題と次の構想
予定されていた用水路はほぼ掘り終わっていたが、雨によって一部が崩れた箇所もあり、雨季明けに補修が必要になる見込みであった。その報告を受けたメルフィーナは、やはり将来的にはコンクリート製のU字溝を敷設したいと考えた。土のままでは雑草や崩落の問題が避けられず、長い目で見れば手間をかけてでも堅牢な設備に移行する方が安全で効率的だと判断していた。

乾燥小屋に生じていた小さな問題
現地視察の途中では、乾燥小屋に人が忍び込む問題も共有された。昼間に追い出しても、日暮れ前になると再び入り込む者がいるらしく、火を使われれば火事の危険もあった。メルフィーナは、乾燥小屋は領主の所有物であることを明確に伝えてよいとしつつ、早めに兵士を駐留させて対処できる体制を整えたいと考えていた。

従士となったロイドの成長
乾燥小屋の確認に向かう中で、ロイドが新たに与えられた栗毛の馬に少しずつ慣れている様子も描かれた。まだ乗せてもらっている感覚の方が強いと本人は言っていたが、セドリックは将来メルフィーナの名代として動く以上、早く乗馬を身につける必要があると告げた。ロイドも素直に応じており、従士としての立場に少しずつ順応し始めていた。

軽食に込められた料理人の気遣い
現地での昼食には、エドが用意した様々な具入りのサンドイッチが並べられた。卵とマヨネーズ、豚肉と玉葱、魚やチーズなど種類も豊富で、メルフィーナの日々の様子に合わせて工夫されていることが伝わる内容であった。白いパンを使ったそれらは平民にとって特別な食べ物であり、メルト村の人々は恐縮しながらも口にしたが、その美味しさに言葉を失った。

「才能」以上に価値あるもの
その夜、ニドたちが領主邸の料理人を讃えていたと聞いたエドは、皆が大袈裟だと少し照れたように笑った。メルフィーナは、その細やかな気遣いと人のために工夫を重ねる姿勢こそ、「才能」以上に価値あるものだと改めて感じていた。用水池や用水路といった大きな整備が進む一方で、そうした日々を支える人の温かさもまた、エンカー地方の発展を形作っていた。

ベッドメリーと扇風機

よく食べる人々と和やかな昼食
ニドたちメルト村の人々は食欲旺盛で、メルフィーナやマリーよりはるかに多くの昼食を平らげていた。食事の席でメルフィーナは、皆と食べることで普段は聞けない話が聞けるのが好きだと語り、こうした食事の時間が信頼関係を築くうえでも役立っていることを感じていた。ロイドも従士と文官見習いの勉強を両立しながら、学ぶことが次々につながっていく面白さを楽しんでおり、その様子にメルフィーナも共感していた。

従士として育つロイドの姿
ロイドが勉強の楽しさに夢中になって身を乗り出すと、セドリックはすぐに礼儀作法を注意した。厳しさを見せながらも、恥をかくのは本人であり、領民の恥は領主の恥でもあると教える姿は、先輩としての責任感に満ちていた。ロイドもまた素直にそれを受け止めており、二人の関係は堅実な師弟の形を取り始めていた。

赤ん坊の成長がもたらす幸福
昼食後にメルト村へ向かったメルフィーナは、ニドの家でエリと再会し、成長したサラを抱かせてもらった。サラは目もぱっちりと開き、髪も増え、健康そのものの様子であった。メルフィーナはその温かさと重みを腕に感じながら、赤ん坊が少しずつ成長していくことそのものに大きな喜びを覚えていた。かつて弟ルドルフを可愛がった記憶もよみがえり、子供の成長を見守ることの尊さを改めて噛みしめていた。

平民の服に馴染む錬金術師
そこへ現れたユリウスは、すっかりメルト村の暮らしに溶け込んだ様子で、麻の平民服を着ていた。ゲームの中の妖艶で甘やかな印象とはまるで異なり、今の彼は子供のように無邪気に笑い、狭い家の中を窮屈そうに出入りしていた。メルフィーナはその違いに奇妙さを覚えつつも、ユリウスがこの村とそこに生きる人々に自然に馴染んでいることを感じ取っていた。

レナとユリウスが作った赤ん坊の玩具
レナに手を引かれて子供部屋へ入ると、そこにはユリウスとレナが協力して作った赤ん坊用の玩具があった。風の魔石を動力にして、糸で吊るした木製の飾りがくるくると回り、ぶつかり合って小さな音を立てる仕組みである。サラはその動きと音を目で追い、手を伸ばして喜んでいた。レナが赤ん坊の反応に気づき、ユリウスが技術でそれを形にしたことで、前世でいうベッドメリーに近い知育玩具が生まれていたのである。

玩具から広がる新しい発想
その仕組みを見たメルフィーナは、風を起こす装置、すなわち扇風機の発想につなげた。雨季明けに誘致予定のガラス工房では、高温の工房内の換気や、ガラスを一定の風で冷やして加工する技術が重要になるため、一定方向に風を起こす装置があれば非常に役立つと考えた。ユリウスはすぐにその案に反応し、筒状の装置や羽根車を使う構造、風の強さを三段階に調整する案まで話を広げた。

幼い発想と技術の危ういほどの相性
レナもまたその話に強く興味を示し、自分も手伝いたいと名乗り出た。ユリウスは彼女を助手だと認め、レナは得意げに笑った。ユリウスは、レナは自分の気づかない重要な点によく気づくのだと高く評価していた。メルフィーナは、二人の相性の良さを微笑ましく思う一方で、レナの自由な発想をユリウスがすぐに形へ変えていく関係に、少し空恐ろしさも覚えていた。ひとつの着想から次々と新しいものが生まれていく、その危ういほどの速さを感じたからである。

回り続ける玩具と動き出す未来
ユリウスとレナは早くも風を生み出す装置の形や羽根の向きについてわいわいと議論を始めていた。そのそばでは、サラがベッドメリーを目で追い続け、楽しそうに見つめていた。赤ん坊のための小さな玩具から、新しい技術の発想が広がっていく光景は、エンカー地方の未来そのものを象徴しているようであった。

手押しポンプの考案と稲妻

井戸水を汲み上げる新たな発想
子供部屋を出た後、メルフィーナたちはニドの家で麦茶を囲んだ。そこでユリウスは、レナがメルフィーナに提案したいことがあると切り出した。レナは、以前作った噴霧器の仕組みを応用し、井戸に取り付けて水をそのまま汲み上げる装置が作れないかと考えていた。彼女は自ら描いた図面を持ち出し、井戸の断面や管、水を引き上げる構造を説明した。ユリウスはそれを清書し、一部の弁の仕組みを手直ししただけだと明かし、発想の中心がレナにあったことが示された。

手押しポンプの価値と報酬をめぐる考え方
メルフィーナは、その図面がほぼ手押しポンプに相当する仕組みであることを見抜き、画期的な発明になると評価した。水汲みは重労働であり、この装置が普及すれば生活は大きく楽になるはずだと考え、領主として開発を後援すると申し出た。さらに、実用化された際にはレナに報酬を支払うべきだと述べたが、ニドは強く反対した。自分たちの暮らしを良くするために、領主の役に立てることへ報酬を受け取るわけにはいかないというのがニドたちの考えであり、レナ自身もそれでよいと笑って受け入れた。メルフィーナはその無防備さに危うさを感じつつも、いったんこの件を預かることにし、ユリウスにレナを守るよう頼んだ。

揚水機という名と未来への期待
装置の名前について考えた末、メルフィーナは水を汲み上げる装置という意味で揚水機という名を提案した。レナはその名を気に入り、嬉しそうに図面を見つめた。ユリウスもまた、宝物を見るようなまなざしをレナへ向けていた。メルフィーナは、レナの自由な発想とユリウスの技術が組み合わされることで、今後エンカー地方に新しい開発が次々ともたらされるかもしれないと感じた。自分一人に発案が集中している現状では限界があるだけに、新たな開発者が現れたことを心強く思っていた。

眠気に沈む錬金術師と穏やかな帰り支度
話が一段落すると、ユリウスは急に強い眠気に襲われ、もう限界だと言って奥の部屋へ引き上げようとした。レナがその後をついて行き、部屋の扉を開けてやるなど、二人の間にはすっかり自然な関係ができ上がっていた。サラの泣き声が子供部屋から響いたこともあり、メルフィーナたちも長居を詫びて帰る支度を始めた。マリーが馬車を呼びに向かおうとした、その時だった。

雷鳴が暴いた感覚の隔たり
外で大きな雷鳴が轟き、家の中にいた全員が強く動揺した。エリはサラを抱いて身をかがめ、マリーもひどく青ざめて震えていた。メルフィーナは驚きこそしたものの、雷はそう簡単に人へ落ちるものではないという感覚で皆を落ち着かせようとした。しかし、その場にいる全員が自分とは違う種類の恐怖を抱いていることに気づき、雷への認識が自分だけ異なっていると悟った。ここで雷を恐ろしくないと断言すれば、自分が決定的に異質な存在として見られてしまうという直感が働いた。

異物であることへの怯え
メルフィーナは、自分も雷は怖いが、皆が怯えている方が心配だと答え、その場を取り繕った。その言葉に周囲は安堵し、雷が遠ざかるまでここに留まることとなった。メルフィーナはエリにサラを抱き直させ、背を撫でて落ち着かせたが、自分の胸の内には別の恐怖が広がっていた。これまで誰より近くにいたマリーやセドリックさえ、自分とは異なる感覚を持つ存在なのだと突きつけられたことで、世界から一人切り離されたような不安を覚えていたのである。

神様と雷

馬車の中に残った雷の余韻
帰りの馬車の中には、雷の直後らしい重く気まずい空気が漂っていた。窓の外では再び雨が降り始め、セドリックとロイドが馬で馬車を囲んで進んでいたが、ロイドは明らかに怯えていた。向かいに座るマリーも表面上は落ち着きを取り戻していたものの、顔色は青白く、なお恐怖を引きずっている様子であった。

雷に結び付けられた信仰と恐れ
この世界において雷は、神に敵対する魔物の王の力であると同時に、神がその敵を討ち払う力でもあるという、相反する意味を持つものとして受け止められていた。さらに雷は人間の及ばぬ神の力であり、恐れるべきものとされていた。魔法の属性にも雷は存在せず、誰もそれを人の扱える力とは考えていなかった。宗教そのものは日常の細部を強く縛るものではなかったが、雷に関しては深い畏怖が人々の中に根を張っていた。

違和感を和らげるための寄り添い
メルフィーナは馬車のランプに明かりを灯し、凍りついたような空気を少しでも和らげようとした。そのうえで、向かい合っていたマリーの隣に移動し、そっと距離を縮めた。怖かったわねと声を掛けると、マリーは今もなお恐ろしく、何よりメルフィーナに何かあったらと思うと耐えられないと答えた。その言葉に、メルフィーナは温かなものを覚えながら、マリーの恐れの由来を尋ねた。

幼い頃に刷り込まれた雷の歌
マリーは、家政婦長から寝かしつけの時に、悪い子や悪い獣は雷に打たれて燃え上がるという歌を聞かされて育ったと語った。メルフィーナもまた、似たような歌を耳にした記憶があると応じたことで、二人の間にわずかな和らぎが戻った。さらに、子供の頃は自分もそれなりにお転婆で、雷や人狼を引き合いに叱られていたとマリーが打ち明けると、メルフィーナは思わず笑みを漏らした。

守りたいという言葉
メルフィーナはマリーの腕に自分の腕を回し、ぎゅっと抱き寄せたうえで、あなたを連れて行かせたりしない、自分は雷とでも戦うと告げた。対するマリーは、もしメルフィーナに雷の罰が落ちるようなことがあれば、自分が代わりになるとまで言いかけた。メルフィーナはそれを止め、自分たちは神を怒らせるようなことはしておらず、あの場にいた者たちは皆いい人たちだったからこそ、そこまで怖くなかったのだと優しく伝えた。

乳母の歌と失われた幼年期
マリーに寄り添いながら、メルフィーナは自分の乳母が歌ってくれた優しい子守歌を思い出していた。そこには雷や罰への恐れではなく、朝の光や木陰や家畜の声、そして明るい明日への祈りが込められていた。今にして思えば、厳しい淑女教育が始まる前の短い幼年期に、乳母だけは愛情深い歌で自分を包んでくれていたのだと、懐かしさとともに思い返していた。

自分だけが異なるという自覚
平民から王都育ちの騎士まで、あれほど雷を恐れていたことを思えば、雷に対する感覚が違うのは自分の方なのだとメルフィーナは理解した。そして、神の力であり神の敵の力でもある雷を心から信じているこの世界で、運命に逆らおうとしている自分は、きっと神にとって敵の側に立つ存在なのだろうと皮肉を込めて考えた。

静かな決意
それでもメルフィーナは、マリーの肩にそっと頭を預け、大丈夫だと繰り返した。神への恐れは、すでに自分にとって過去のものになっていた。何が起きたとしても自分が守るのだと、静かに、しかし強く言い聞かせるように告げたその言葉には、マリーを安心させる意図と同時に、自分自身の立場を引き受ける覚悟も滲んでいた。

領主邸の、とある昼下がり

家令見習いとしての日々

ロイドは、村長の孫ではあっても四男という立場ゆえに、もともとは領都で兵士見習いとして働く未来を当然のものとして受け入れていた。だが「才能」を見出されたことで状況は一変し、今は領主邸で家令見習いとして、礼儀作法や武術、文官としての学びを急ぎ身につける立場になっていた。自分の役割に明確な名前が与えられたことで、以前より強くその責務を果たしたいと思うようになっており、誇らしさと同時に、その立場を失う怖さも抱えていた。

セルレイネと手習い帳の作業

その日の午後、ロイドはセルレイネの手伝いとして、平民が自分の名前を書けるようにするための「手習い帳」づくりに取り組んでいた。基本文字の一覧や、文字を繰り返し練習するための枠を植物紙に丁寧に引く作業は地道ではあったが、紙もインクも高価な品であるだけに、任されていること自体が誇らしかった。セルレイネはロイドの字の綺麗さと覚えの早さを素直に褒め、ロイドもまた、その静かで落ち着いた教え方に自然と助けられていた。

掴みきれない王子の在り方

ロイドにとってセルレイネは、よくわからない相手でもあった。年下で小柄な少年に見えるのに隣国の王太子であり、しかもメルフィーナを姉様と呼んで慕っていながら、多忙な彼女にまとわりつくこともなく、静かに気配を消して過ごしている。その様子は、常に自分を見てほしいと振る舞う村の子供たちとは明らかに違っていた。セルレイネは感情を抑えているようにも見えたが、それでも与えられた役割を真剣に果たそうとしていることだけは、ロイドにもはっきり伝わっていた。

料理長見習いの手習い

そこへエドが茶と菓子を運んで現れ、ロイドはすぐに植物紙とペンを用意して、彼が文字を書くための支度を整えた。エドは以前書いた文字を嬉しそうに見返しながら、野菜や食材の名前を一つずつ確認していた。文字と算術を学びたい理由は、厨房で働く者として、いつか自分でも仕入れができるようになりたいからであった。料理を作るだけでなく、材料の目利きや交渉まで担えるようになりたいという望みが、彼を机に向かわせていた。

才能の有無を越えた信頼

ロイドは、祝福を受けても才能がないと告げられたエドが、それでも領主邸の料理長になると定められていることを知っていた。メルフィーナが、エドの料理の腕と働きぶりをそれほど信頼しているのだと理解していたからこそ、自分は才能があるからここにいられるのだという思いと比べて、複雑な感情も抱いていた。だからこそ、物資の手配は自分が担うのだから、エドはそこまで頑張らなくてもよいのではないかと口にしたのだった。

明日もっと役に立ちたいという願い

その言葉に対してエドは、自分はもともと不器用で、領主邸へ来るまではラッドやクリフの足を引っ張るばかりだったと振り返ったうえで、それでも何でもできるようになりたいのだと答えた。そして、今日より明日のほうが、もっとメルフィーナの役に立てる自分でありたいから頑張りたいのだと、屈託のない笑顔で言った。そのまっすぐな言葉を聞いたロイドは、自分が今こうして努力したいと思えるのも、同じ理由なのだと素直に納得した。

領主がもたらした希望

ロイドは、働くことがただの義務ではなく、喜びや誇りに変わったのは、メルフィーナがこの土地にもたらしたものの大きさゆえだと実感した。今日より明日のほうがエンカー地方は良くなる。そのために自分ももっと多くのことを身につけたいと、自然に思えるようになっていたのである。エドもまた、ロイドが従士と家令見習いとセルレイネの手伝いを兼ねていることを案じつつ、自分にできることなら支えたいと明るく言った。

「弟」の小さな誇り

ロイドとエドのやり取りを見ていたセルレイネは、二人とも十分すぎるほど頑張っており、姉様もそれを分かっているはずだと穏やかに告げた。そして、自分もまた姉様の弟を名乗るなら、もっといろいろなことができるようにならなければならないと口にした。その表情は誇らしげでありながら、どこか少し寂しさも滲ませていた。そうして三人は再び机に向かい、領主邸の一角には、手習いと教本づくりに励む静かな音が、かすかに響き続けていた。

捨て子の処遇

森で保護された少女
雨季の終わりが近づいた頃、ユリウスは領主邸を訪れ、腕の中に幼い少女を抱いていた。少女は青みを帯びた紺色の髪と金色の瞳を持ち、森の中でレナと遊んでいたユリウスによって保護されたのだという。メルト村の住人の子ではないことは確認されており、状況から見てユリウスは捨て子だと判断していた。メルフィーナはその言い方をたしなめつつ、まずは少女をマリーに預け、温かいミルクと食事を与えさせた。

処遇を巡る相談
ユリウスから事情を聞いたメルフィーナは、森に子供を置き去りにする行為が、死んでも構わないという意図を含むほど残酷なものであると感じ、強い痛ましさを覚えた。だが一方で、現在の領主邸は執政官や文官、人足や兵士の出入りが多く、幼い子供を引き取って育てる余裕はないとも理解していた。そのため、近隣の村かソアラソンヌの神殿が運営する孤児院へ預けるのが現実的だという話になった。

孤児院構想と現実の壁
この出来事を受けて、ユリウスは今後こうした子供が増える可能性を見据え、孤児院の設立を考えてはどうかと提案した。メルフィーナもそれが将来的な課題であることは認めたが、今の時点では保護を必要とする子供が少なく、施設を新設するのは難しいと判断した。まずは既存の環境が整った場所へ預ける方がよいという結論になりかけた。

少女に秘められた魔力
しかしユリウスは、少女には強い魔力と高い抵抗性があると見ており、孤児院や奉公先に出せば悪意ある大人に使い潰される危険があると指摘した。象牙の塔に入ることすら可能なほどの資質を持つ可能性があると聞き、メルフィーナは事態の重さを悟った。そこで彼女は、エンカー村かメルト村で人格の確かな家庭を探し、養育費の補助をつけて預ける案を考えた。

里親探しへの切り替え
ユリウスは領主邸でそのまま育てる案も望んだが、メルフィーナは、それでは今後同じ境遇の子供が現れた時に不公平が生じると判断し、領主邸での保護は否定した。その代わり、メルト村で養親を探すことを認め、ニドにも頼んで里親を探す方向に切り替えた。ユリウスは少女を連れてメルト村へ戻り、その過程を近くで見守る立場を取ることになった。

残された違和感
少女は名前も身元も語らず、耳は聞こえているようだが一言も発しなかった。そのうえ、不自然な状況で捨てられていた子供が、象牙の塔に入れるほどの魔力を持っているという事実は、偶然では済まされないかもしれないとメルフィーナは感じた。彼女はマリーに、ユリウスの様子を報告している者へ少女の様子にも気を配るよう伝えさせた。

子供を守る仕組みへの決意
話し合いを終えた後も、メルフィーナの胸には捨て子や孤児という問題への痛みが残った。人間社会から切り離せない問題であると理解しつつも、子供時代だけは少しでも幸せなものであってほしいと強く願った。そして年内には、養護施設についての草案だけでも立てたいと決意するに至った。

黄金色の幸せパンケーキ

届いた軟質小麦への歓喜
製粉された軟質小麦が届いた報せを受け、メルフィーナは予定していた通り午後の仕事を少し早めに切り上げた。冬の終わりから夏の入り口まで休む間もなく働き続けてきたが、これ以上無理をすれば周囲を必要以上に心配させると分かっていたため、念願だった軟質小麦を使った菓子作りに時間を充てることにしたのである。壺いっぱいに詰められた白く細やかな小麦粉を見たメルフィーナは、前世の記憶にある薄力粉の料理や菓子をようやく再現できることに心を弾ませた。

パンケーキ作りの開始
メルフィーナはエドを誘い、軟質小麦を使ってパンケーキを作ることを決めた。卵黄と卵白を分け、卵白に砂糖を加えて角が立つまで泡立ててメレンゲを作り、別のボウルで卵黄とミルク、小麦粉を混ぜ合わせた生地に少しずつ加えていった。さらにセドリックには生クリームを泡立てさせ、マリーにはバターに塩を加えてホイップバターを作らせるなど、皆で役割を分担しながら準備を進めていった。

ふわふわの菓子の完成
生地はバターを溶かしたフライパンに厚めに落とされ、弱火でじっくりと焼き上げられた。焼き上がったパンケーキにホイップバターを載せ、さらに蜂蜜をたっぷりとかけることで、スフレパンケーキが完成した。時間が経つとしぼんでしまうため、メルフィーナは急いで食べるよう皆に促し、まず自ら口に運んだ。

初めて味わう軽やかな食感
パンケーキは熱で溶けたバターと蜂蜜が混じり合い、ふわふわとした生地が口の中で儚く崩れる独特の食感を持っていた。エドは目を大きく見開いて感動し、セドリックは戸惑いながらもすぐに次のひと口を求め、マリーも頬をほんのり染めて静かに味わっていた。メルフィーナは、この食感は硬質小麦では決して出せないものであり、軟質小麦だからこそ実現できるものだと説明した。

懐かしさと新しい可能性
メルフィーナにとってその味は、単なる美味しさではなく、前世の記憶に結びつく懐かしさを伴うものであった。卵やミルクの素朴な風味、蜂蜜の甘さ、柔らかな口当たりは、遠く失われた世界と今の世界を静かにつなぐ片鱗でもあった。そしてこの軟質小麦を使えば、マドレーヌやシフォンケーキ、パイなど様々な菓子へ応用できると語り、今後は順番に作っていこうと提案した。

蜂蜜への新たな構想
パンケーキを食べ進める中で、メルフィーナは蜂蜜にわずかな雑味があることに気づいた。現在流通している蜂蜜は巣ごと荒く採取されたもので、蜜蝋も混じるため純度が高くないのだと理解していた。そのため、いずれエンカー地方でも養蜂を行い、より質の高い蜂蜜を作ってみたいと考えるようになった。蜂蜜は栄養価が高く、保存も利き、さらにチーズや菓子とも相性が良いことから、将来的には有望な輸出品にもなりうると見込んでいた。

未来の思い出へと変わる味
セドリックが目を輝かせて、いつかエンカー地方産の蜂蜜でまたこのパンケーキを食べたいと口にすると、メルフィーナも来年の今頃にはそれが叶っているかもしれないと応じた。皆があっという間に皿を空にし、エドがお茶を淹れに立つ中で、メルフィーナは忙しい日々の合間にこうして息をつける時間の大切さを実感していた。今は前世を思い出させる懐かしい味も、やがてはこの世界で大切な者たちと囲む、あたたかな思い出へと変わっていくのだと感じていた。

護衛騎士の休暇願い

交代要員を伴った来訪
ソアラソンヌとエンカー村の往来が盛んな中、オーギュストが騎士テオドールを伴って領主邸を訪れた。テオドールは以前アレクシスとともに訪れたことのある騎士であり、今回はセドリックの交代要員として来たのだと明かされた。オーギュストは、公爵から許可が下りたことを伝え、セドリックが休暇を願い出ていた事実がそこで判明した。

ようやく出された休暇願い
セドリックは、事後承諾になったことを詫びつつ、十日ほどの休暇を望んでいると申し出た。メルフィーナは、セドリックがまったく休みを欲しがらず、夜には鍛錬まで重ねていることを前々から気にかけていたため、快く了承した。加えて、今後は定期的に休暇を取れる体制を整えた方がよいと提案したが、セドリックは今回を最後に、以後は側を離れたくないとまで言い切った。

領主の理想と周囲の反応
メルフィーナは、自分の理想は平穏でのんびりした暮らしであり、領地運営の体制が整ったら遊興貴族のように怠惰に過ごしたいのだと語った。しかしその言葉に、執務室の面々は半ば呆れ、半ば温かな笑みを向けた。マリーは、そうやって将来のために備えを欠かさない時点で、だらだらした暮らしには向いていないのではないかと評し、メルフィーナは将来こそ本当に怠惰に過ごしてみせると内心で意地を張った。

短すぎる休暇と軽口の応酬
メルフィーナが休暇の使い方を尋ねると、セドリックはソアラソンヌへ向かうつもりだと答えた。往復だけで六日を要するため、実質休みらしい休みはほとんど残らないことにメルフィーナは驚き、もっと長く休んでもよいのではないかと勧めた。するとオーギュストが、セドリックは一日たりともメルフィーナの側を離れたくないのだろうと軽口を叩き、すぐにセドリックの蹴りを受けることになった。そのやり取りは痛烈ながらも、二人の気安い関係を感じさせるものであった。

領主邸の居心地の良さ
マリーもまた休暇を勧められたが、自分は領主邸を離れた方がかえって落ち着かないと断った。さらに、ここで出される食事が美味しすぎて、他所で暮らせる自信がないと真顔で言い切ったことで、場は和やかな笑いに包まれた。テオドールもまた、騎士の間で領主邸の料理が評判になっていると打ち明け、今夜の晩餐への期待を隠さなかった。

雨が変えた予定
セドリックはその日のうちに出立するつもりでいたが、窓の外に再び雨が落ち始めた。メルフィーナは、雨の中の移動は負担が大きいとして、出発を翌日に延ばすよう勧めた。セドリックは不本意そうながらも、その言葉に従うことにした。こうして晩餐は歓迎の席を兼ねたごちそうとなり、メルフィーナも久しぶりに一品作ると約束した。その時はただ穏やかで和やかな午後にすぎなかったが、後になってメルフィーナは、もしあの時雨が降らず、セドリックが予定通り発っていたらどうなっていたのかを、折に触れて考えることになるのであった。

南の小麦と餃子パーティ

南方産の小麦を囲む料理会の始まり

その日の厨房には、メルフィーナを中心に、マリー、セドリック、エド、アンナ、オーギュスト、テオドールまで集まり、いつになく人であふれていた。メルフィーナは人数の多さを活かし、皆で作って皆で食べる料理にしようと決めていた。彼女は、ロマーナから届いた特別な小麦粉を取り出し、それがエンカー地方ではまだ貴重な品であると説明した。植物紙と同じくようやく流通し始めた南方の小麦を前に、メルフィーナは強い期待を抱いていた。

餃子作りへの役割分担

メルフィーナは、小麦粉と別の粉を半々にし、塩と湯を加えて生地を練る工程から作業を始めた。皮を作るための生地はエドに任せ、その間にセドリックには豚肉を細かく叩いてもらい、マリーやアンナとともに葱類、にんにく、生姜、キャベツを細かく刻んでいった。作業台の上では、騎士たちの軽口とセドリックの冷静な応酬も交わされ、にぎやかな空気の中で準備が進んだ。

具の調整と皮の成形

肉と野菜を合わせた具には塩と油が加えられ、しっかりと練り上げられた。メルフィーナは、こうした料理を作るたびに醤油や味噌、出汁のような前世の調味料やうま味成分の不在を惜しみつつも、今ある材料でできる最善を尽くしていた。寝かせた生地は棒状に整えられて等分に切り分けられ、麺棒で丸く伸ばされて皮となった。そこへ具を包み、半月型に整えながらひだを寄せていく作業を、皆で分担して進めていった。

焼き上げと羽根つきの工夫

餃子は鉄鍋に油を引いて並べ、水を加えて蓋をし、蒸し焼きにする形で仕上げられた。さらにメルフィーナは、水に少量の小麦粉を溶いて加えることで、薄く香ばしい羽根を作る工夫も教えた。エドはそのやり方をすぐに飲み込み、三つのコンロを使って手際よく餃子を焼き続けた。領主邸の主であるメルフィーナが最初の一口を取らねばならないため、焼き上がったところで全員は食堂へ移動し、乾杯とともに料理を囲むことになった。

焼き立て餃子とエールの相性

最初に焼き上がった餃子を口にしたメルフィーナは、醤油やオイスターソースのないさっぱりした味わいではあっても、皮の香ばしさと肉と野菜のうま味、にんにくと生姜の香りが十分に満足を与えてくれると感じた。さらに熱い餃子の後にエールを流し込むことで、香りと旨味が重なり合い、豊かな幸福感が広がった。皆もまた同じようにその味を楽しみ、セレーネは熱さに驚きながらも美味しさに目を見開き、オーギュストも皮に閉じ込められた肉汁とエールの取り合わせを称賛した。

広がる賑わいと料理への期待

食堂では、騎士たちやラッド、クリフまでもが無言になるほど夢中で餃子とエールを口に運び、アンナは村の集会でも出したいと目を輝かせた。メルフィーナも、皮に使うロマーナの粉がもっと安定して手に入るようになれば、祭りなどでふるまえる料理になるだろうと考えた。やがてお腹が膨れたメルフィーナは、厨房と食堂を行き来しながら働き続けるエドとアンナを気遣い、代わりに焼こうと申し出たが、二人は強く辞退した。

セレーネの気遣いと次への広がり

その流れを見ていたセレーネは、自分が焼き方を知りたいという形で申し出ることで、エドとアンナが席につきやすいよう助け舟を出した。メルフィーナはその気遣いに感謝しつつ、次は変わり種の餃子やスープ餃子も試してみようと提案した。食堂から楽しげな声が響く中、最後の餃子まで焼き上げて運ぶ頃には、働き詰めだった二人もようやく満足に食事を取ることができた。領主邸の夕べは、南方の小麦と焼き立ての料理によって、温かく満ち足りたものとなっていた。

不幸の報せと騎士の願い

旅立ちの朝を破った急報
雲が去った晴天の朝、メルフィーナは出立の準備を終えたセドリックとオーギュストを見送りに出た。二人はいつものように軽口を交わしていたが、その和やかな空気は、公爵家の騎士を名乗る伝令が敷地内へ馬で駆け込んだことで一変した。伝令は疲弊しきった様子で、カーライル家当主ジョルジュ、その長男フィリップ、次男メルヒオールが相次いで急逝したため、セドリックは至急王宮へ伺候せよとの勅書を届けに来たのだった。

相次いだ死の経緯
伝令によれば、セドリックの長兄フィリップは任地で落馬し、頭を打って亡くなっていた。父ジョルジュと次兄メルヒオールはその訃報を受けて任地へ向かう途中、長雨で崩れた崖に巻き込まれ、馬車ごと転落して死亡したと判断された。使者自身も馬を替えながら無理な移動を続けたため、勅書を渡した直後に高熱を発して倒れ、領主邸で休ませることになった。

当主となる運命の確定
団欒室に重い沈黙が満ちる中、オーギュストは、伯爵家の当主と長男、次男が亡くなった以上、カーライル家を継げるのはセドリックしかおらず、国王の勅書に逆らうことはできないと告げた。セドリックはそれを静かに受け止めたうえで、王都へ向かう前にメルト村へ行く許可を求めた。オルドランド家に立ち寄って騎士爵を返上する必要はあるが、その前にこちらで済ませておきたいことがあるのだと説明した。

別れを前にした静かな微笑み
メルフィーナは、何と声を掛ければよいか分からないまま、それでもセドリックの望むようにしてよいと答えた。セドリックは、父も兄たちも騎士であり、いつ何が起きてもおかしくないと覚悟はしていたと穏やかに語り、むしろメルフィーナを安心させるように微笑んだ。その落ち着いた態度は、かえって彼の悲しみの深さを感じさせるものであり、メルフィーナは何も言えないまま見送ることしかできなかった。

休暇の本当の意味
セドリックが部屋を出た後、オーギュストは今回の休暇の本当の目的をメルフィーナに明かした。セドリックはもともと、オルドランド家の騎士を辞める願いをアレクシスに提出していたのだという。叙任の際に授かった剣も鎧も馬も返し、オルドランド家の誉れを捨ててでも、メルフィーナの騎士になりたかったのだとオーギュストは告げた。

叶わなくなった願い
その事実を知らされたメルフィーナは、セドリックの決意の重さに打たれた。一度誓った忠誠を返上することなど、あの生真面目なセドリックには本来あり得ない選択だったからである。それほどの覚悟でメルフィーナの側に立とうとしていたにもかかわらず、カーライル家の相次ぐ死によって、その願いは永遠に叶わなくなった。メルト村から戻れば、セドリックはソアラソンヌを経て王都へ向かい、二度とエンカー地方へは戻らない運命にあることが明らかになった。

抗えない運命への痛み
ゲームで知っていた通り、セドリックはこれからカーライル宮廷伯として王都に立ち、騎士団長として生きることになる。その運命が現実として動き始めたことを前に、メルフィーナは強い無力感を覚えた。自分のためにそこまでの思いを抱いてくれていた相手に、何一つ返すことができないまま、彼を失わなければならない。その痛みを前にして、メルフィーナはただ歯を食いしばることしかできなかった。

涙と幸せな記憶

塞がる心と進まない執務
メルフィーナは団欒室を離れて執務室に移ったものの、セドリックの件が頭から離れず、仕事に集中できなかった。ゲームの運命から逃れようとしてきたはずなのに、いつの間にかアレクシスやセドリック、セレーネ、ユリウスのことを、人として深く大切に思うようになっていたのである。だからこそ、自分だけが先を知りながら彼らを運命の渦中に置くことが苦しく、何も手につかない状態に陥っていた。

突然訪ねてきた兄妹
そんな中、アンナがメルト村の子どもたちが会いたがっていると告げた。メルフィーナが階下に下りると、そこにはロドとレナが待っていた。二人はメルフィーナの顔を見るなり、自分たちはずっとメルフィーナのそばにいるのだと訴え、レナは涙をこらえきれずスカートに抱きついた。テオドールはその距離の近さに戸惑ったが、マリーにここでは珍しくないことだと諭され、一歩引くことになった。

子どもたちの怒りと悲しみ
厨房に場所を移し、砂糖とミルクをたっぷり入れた紅茶を飲ませてようやく少し落ち着いた二人に、メルフィーナはセドリックに会ったのかと尋ねた。二人は、セドリックが村に来て父へメルフィーナを頼むと言い残し、ユリウスと話すために去ったことを話した。レナは、ずっとここで守ってくれると言ったのに出て行くのは嘘だと怒りをあらわにし、その幼い言葉には、変わってしまう現実を受け入れられない悲しみが滲んでいた。

ロドの理解と抑えきれない感情
メルフィーナは、セドリックが離れることは裏切りではなく、自分とエンカー地方を守るためでもあるのだと静かに説明した。ロドはその理屈を理解していたが、それでも感情を抑えきれず、セドリックが本当は離れたくないはずなのに、なぜ笑って自分たちに頼むなどと言えるのかと涙を流した。セドリックが常にメルフィーナを案じ、自分にも賢くなって守れるようになれと言ってくれていたことを思い出しながら、ロドはその喪失を真正面から受け止めて泣いた。

レナのまっすぐな願い
ロドが泣き崩れると、レナもまた感情を堰き止められなくなり、みんな一緒がよかった、あんなに楽しかったのにどうしていなくなってしまうのかと泣き叫んだ。変わってほしくない、ずっと一緒にいたいというその願いは、あまりにも率直で、メルフィーナの胸を深く打った。領主としても、貴族の娘としても、そうした思いをそのまま言葉にすることはできないメルフィーナにとって、その叫びは眩しくもあり、痛ましくもあった。

抱きしめた悲しみと残したい記憶
もし自分も、どうしてと泣き叫ぶことができていたなら、これまでの理不尽な出来事に何か違う向き合い方ができたのだろうかと、メルフィーナは一瞬思った。北部への婚姻を命じられた時も、愛する気はないと告げられた時も、そして今この時も、自分はただ耐え続けてきたからである。メルフィーナは席を立ち、泣きじゃくるロドとレナを抱きしめた。二人には悲しみを押し流すほど泣ききって、最後にはこの一年余りに積み重ねた幸せな思い出だけが残ってほしいと願っていた。

さよならの夜

夜更けの再会と小さな食卓

子どもたちを村へ帰したあと、夕食を終える頃になってようやくセドリックが領主邸へ戻ってきた。すでに使用人たちも部屋へ下がり、館内は静まり返っていたが、メルフィーナとマリーは彼の帰りを待って厨房に残っていた。遅くなったことを詫びるセドリックに対し、メルフィーナは自分も少し小腹が空いたと言って、三人で軽食を作ることを提案した。マリーもすぐにそれに付き合う意思を示し、セドリックもようやく遠慮を引っ込めた。

フレンチトーストに込めた名残惜しさ

メルフィーナは残っていたパンと卵、ミルク、砂糖を使ってフレンチトーストを作り始めた。フライパンの温度を整えるために一度濡れ布巾の上に置く理由まで丁寧に説明しながら、黄金色に焼き上げていく様子には、去っていくセドリックとの時間を少しでも引き延ばしたい気持ちがにじんでいた。出来上がったフレンチトーストは、バターの香りと卵とミルクのやさしい甘さが際立つ仕上がりで、三人はそれを囲みながら、これまで領主邸で作ってきたお菓子や料理の話に花を咲かせた。セドリックとマリーが、ここで重ねてきた食卓の記憶を静かに懐かしんでいることも伝わってきた。

甘い記憶と変わっていく未来

メルフィーナは、北部で砂糖の生産が安定すれば、セドリックも王都でこうした甘いものを作って食べられるようになるだろうと語った。それは表向きには未来への希望を口にした言葉だったが、その裏には、王都へ行ったあともセドリックにエンカー地方での時間を忘れてほしくないという願いがあった。セドリックがマリアと出会えば、やがてこの地で過ごした日々も色褪せていくかもしれないと知っているからこそ、メルフィーナはせめて食べ物の記憶だけでも彼の中に残したいと願っていたのである。

王都へ向かう前の本音

食事を終えたあと、セドリックはマリーに少し席を外してほしいと頼み、メルフィーナと二人きりで話を始めた。彼は翌日に王都へ発つことを告げたうえで、ユリウスの体質と、彼がメルト村に留まり続けたい理由に触れた。ユリウスが最後に傍にいたい相手を見つけたのなら、その時間を少しでも長く守ってやりたいと考えており、自分は王都で象牙の塔からの干渉を妨げるつもりだと明かした。そしてその言葉の流れの中で、自分もまた本当はこの地に留まりたかったのだと、静かに本心を滲ませた。

帰る場所としてのエンカー地方

セドリックは、兄の遺児が成長してカーライル家を継げるようになったなら、その時はエンカー地方へ戻ってきてもよいかと尋ねた。自分がそのまま伯爵位を継ぎ続ければ、兄の子や義姉を不幸にしかねず、王都で与えられる立場のまま生きることは自分には向いていないと、彼は冷静に見通していた。そのうえで、みんなで幸せになろうと語ったメルフィーナの言葉が忘れられず、ここを自分の帰る場所にしたいのだと打ち明けた。これは騎士としての礼節を越えた、きわめて個人的で真摯な願いだった。

別れの前に交わした約束

メルフィーナは、宮廷伯になるセドリックにそんな約束をしてはいけないとたしなめながらも、最後には、もしその時になっても気持ちが変わっていなければ戻ってきてほしいと応えた。そして自分は待っていると告げた。セドリックもまた、必ず戻ると断言した。騎士としての未来も、生き延びられる保証もない世界で、それでも彼は確信を持って帰還を誓ったのである。どうなるかわからない未来の中で、その約束だけは確かに二人の間に残り、メルフィーナの冷えた心を静かに温めていた。

約束と誓いと 帰る場所

旅の途上で知る領地の広がり

かつてメルフィーナが、やりたいことをすべてやり、皆で幸せになろうと語った言葉を胸に、セドリックは早朝から馬を走らせ続けていた。道中で立ち寄った村では、住民たちがオルドランド公爵家の騎士に深い感謝を示したが、その理由はエンカー地方近くに作られた直轄荘園によって仕事が生まれ、食べていける者が増えたからであった。セドリックは、メルフィーナが進めてきた施策の影響が、エンカー地方の外側にまで確かに及んでいることをそこで知ったのである。

旅籠で思い返す一年半の日々

村の旅籠に着いたセドリックは、馬の世話をしながら、自分がエンカー地方で過ごした日々を振り返った。オルドランド家の騎士として叙任された時から共にあった愛馬リゲルも、騎士爵を返上すれば返却しなければならない存在であり、その別れもまた避けられないものだった。父と兄二人の訃報を受けてもなお、彼の心を最も大きく占めていたのは、家族を失った悲しみそのものよりも、エンカー地方で得た時間と居場所を失うことへの喪失感であった。

騎士としてではなく一人の人間として芽生えた思い

セドリックは、アレクシスの正妻となるメルフィーナの護衛騎士を命じられた当初、それを名誉とは思いながらも、自分が本当に望んでいた戦場や武勲から遠ざかる任務として受け止めていた。だが、メルフィーナの傍で過ごすうちに、彼はこれまで見たことのない光景と価値観に触れ、自分自身が大きく変わっていった。開墾される土地、救われる人々、収穫を喜ぶ村人たち、そのすべての中心で未来を切り開くメルフィーナの姿は、彼にとって眩しく誇らしいものであり、その後ろを守ることは騎士としての務めを超えた意味を持つようになっていた。

失われた夢と消えない希望

本来ならば、オルドランド家の騎士の身分を返上し、愛馬リゲルも個人的に譲り受けたうえで、メルフィーナに忠誠を誓い直し、エンカー地方に戻るつもりであった。それはようやく自分のものになりかけていた夢だったが、父と兄たちの死によって、カーライル家を継ぎ、その家を安定させる責務が生じたことで、今は手の届かないものとなった。それでもセドリックは絶望してはいなかった。メルフィーナが自分一人の不在で歩みを止める人物ではないと、誰よりも理解していたからである。

星空の下で交わされることのない誓い

厩舎を出たセドリックは、夜空に広がる満天の星を見上げた。王都に向かおうとも、エンカー地方の上にあるのと同じ星空が続いていることが、彼にかすかな安堵を与えた。メルフィーナがかつて語った、やりたいことをやり、皆で幸せになろうという言葉は、今も彼の中で消えずに残っていた。今の自分には、まずカーライル家を守り、兄の子に家督を継がせるという果たすべき責務があると理解しながらも、その先にこそ本当に望む未来があると彼は定めた。そして、いつか再び身軽な立場になれたなら、今度こそメルフィーナの騎士として帰るのだと、誰にも届かなくてよい誓いを静かに口にした。

帰る場所を胸に進む決意

セドリックは、いつの日かただいまと告げてエンカー地方へ戻る未来を信じ、その時まで自分を恥じないように歩もうと決意した。メルフィーナの傍で剣となり盾となることが、自分にとって最もふさわしい在り方だと知っていたからである。そうして彼は、わずかなランプの明かりを頼りに、乾いた夜風の中を王都へ向かって進み始めた。

大工の親方とコンクリート

新素材への試行錯誤

リカルドは、長年大工として腕を磨き、工房を弟子に譲ってエンカー地方へ移り住んだのち、乾燥小屋の屋根の下で弟子たちとともに新建材であるコンクリートの試作に取り組んでいた。灰色の大ぶりな試作品は辛うじて形を保っているものの、ざらつきや脆さが目立ち、建材として安心して使える出来には至っていなかった。メルフィーナから原料は消石灰、灰、砂、小石、水だと教えられていたが、肝心の最適な配合までは分からず、職人たちは手探りで試し続けていた。

職人として背負う重み

リカルドは、コンクリートが完成すれば石材や焼きレンガに代わる画期的な建材になると理解していた一方で、配合を誤れば脆く危険な代物になることも痛感していた。もしこの開発に失敗すれば、領主の信頼を裏切るだけでなく、自分が紹介して受け入れられた職人たちの立場まで危うくしかねないと感じていた。そのため、この新素材の完成には、これまでの職人人生とは異なる種類の緊張と責任を覚えていたのである。

ロドの登場と計算の助言

そんな中、乾燥小屋に現れたのは、隣村の少年ロドであった。彼は祝福によって演算と分析の才能を得ており、メルフィーナの役に立ちたいと考えていた。大工たちが配合の組み合わせに頭を抱える中、ロドは試作の通り数を即座に算出し、同じ割合になるものを除けば実際に試すべき数は八十通り程度に絞れると指摘した。さらに、材料を量る容器のばらつきが結果に影響すると見抜き、同じ容量の容器を正確に揃えるべきだと提案した。この発想は職人たちに新たな視点を与え、作業の方向性を一気に具体化させた。

親方と弟子たちの動き出す現場

ロドの助言と、それを後押しするハンスや職人たちの声を受けて、リカルドは試作を本格的に進める決断を下した。材料を量るための小桶を集め、目盛りを揃え、灰や石灰を追加で確保し、試作品ごとに配合が分かるよう番号を振る段取りが次々と決まっていった。弟子たちはすぐさま動き始め、ロドとハンスも自然にその輪に加わった。現場に満ちていた重苦しさは和らぎ、試行錯誤の先にある未来へ向かう活気へと変わっていった。

未来へつながる実感

リカルドは、師匠や仲間、家族、そして最後にこの土地との縁に恵まれてきた自身の人生を振り返りながら、今度はその良縁が弟子や息子の世代にも受け継がれていくのを感じていた。笑い合いながら働く若者たちの向こうに、コンクリートで築かれた新しい施設や豊かな暮らしが広がる未来を思い描き、その建物が千年先まで人々を支えるのだろうと確信していた。こうしてリカルドは、自らの運の良さを噛みしめながら、次代へつながる仕事の手応えを胸に抱いたのである。

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