物語の概要
『ファクトフルネス』は、世界に対する誤解や偏見を取り除き、データに基づいて現実を正しく理解するための方法論を提示するノンフィクション書である。著者は、私たちが無意識に抱く「10の思い込み」を明らかにし、それらがいかにして世界の見方を歪めているかを解説する。本書は、教育、貧困、医療、環境、人口などのテーマを取り上げ、統計データと実例を通じて、世界が実際にはどのように変化しているのかを示している。
著者プロフィール
• ハンス・ロスリング:スウェーデン出身の医師、公衆衛生学者。カロリンスカ研究所の国際保健学教授を務め、ギャップマインダー財団を共同設立。世界保健機関(WHO)やユニセフのアドバイザーとしても活動し、TEDトークでの講演は3500万回以上再生されている。2017年に逝去。
• オーラ・ロスリング:ハンス・ロスリングの息子。ギャップマインダー財団の共同創設者であり、データビジュアライゼーションツール「トレンダライザー」の開発者。
• アンナ・ロスリング・ロンランド:オーラ・ロスリングの妻。ギャップマインダー財団の共同創設者であり、情報デザインとユーザーエクスペリエンスの専門家。
書籍の特徴
本書の最大の特徴は、直感や感情に左右されがちな人間の認知バイアスを「10の本能」として体系的に整理し、それぞれに対する具体的な対処法を提示している点である。また、統計データを視覚的にわかりやすく示すグラフやチャートを多用し、読者が直感的に理解できるよう工夫されている。さらに、専門家や高学歴者ほど誤解しやすいという逆説的な事実を示し、誰もが陥りやすい認知の罠を明らかにしている。
書籍情報
ファクトフルネス
10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
著者:ハンス・ロスリング 氏 オーラ・ロスリング氏 アンナ・ロスリング・ロンランド 氏
出版社:日経BP
発売日:2019年1月12日
ISBN:978-4-8222-8960-7
Audible:Amazon


(PR)よろしければ上のサイトから購入して頂けると幸いです。
あらすじ・内容
ファクトフルネスとは データや事実にもとづき、世界を読み解く習慣。賢い人ほどとらわれる10の思い込みから解放されれば、癒され、世界を正しく見るスキルが身につく。
世界を正しく見る、誰もが身につけておくべき習慣でありスキル、「ファクトフルネス」を解説しよう。
世界で100万部の大ベストセラー! 40カ国で発行予定の話題作、待望の日本上陸
ビル・ゲイツ、バラク・オバマ元アメリカ大統領も大絶賛!
「名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない一冊だ」 ビル・ゲイツ
「思い込みではなく、事実をもとに行動すれば、人類はもっと前に進める。そんな希望を抱かせてくれる本」 バラク・オバマ元アメリカ大統領
特にビル・ゲイツは、2018年にアメリカの大学を卒業した学生のうち、希望者全員にこの本をプレゼントしたほど。
◆賢い人ほど、世界についてとんでもない勘違いをしている
本書では世界の基本的な事実にまつわる13問のクイズを紹介している。たとえば、こんな質問だ。
質問 世界の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供はどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%
質問 いくらかでも電気が使える人は、世界にどのくらいいる?
・A 20%
・B 50%
・C 80%
答えは本書にある。どの質問も、大半の人は正解率が3分の1以下で、ランダムに答えるチンパンジーよりも正解できない。しかも、専門家、学歴が高い人、社会的な地位がある人ほど正解率が低い。
その理由は、10の本能が引き起こす思い込みにとらわれてしまっているからだ。
◆教育、貧困、環境、エネルギー、医療、人口問題などをテーマに、世界の正しい見方をわかりやすく紹介
本書では世界の本当の姿を知るために、教育、貧困、環境、エネルギー、人口など幅広い分野を取り上げている。いずれも最新の統計データを紹介しながら、世界の正しい見方を紹介している。
これらのテーマは一見、難しくて遠い話に思えるかもしれない。でも、大丈夫。著者のハンス・ロスリング氏の説明は面白くてわかりやすいと評判だ。その証拠に、彼のTEDトークの動画は、累計3500万回も再生されている。
また、本書では数式はひとつも出てこない。「GDP」より難しい経済用語は出てこないし、「平均」より難しい統計用語も出てこない。誰にでも、直感的に内容を理解できるように書かれている。
感想
『ファクトフルネス』は、日々当たり前のように受け入れてしまっている「思い込み」を、事実とデータでやさしく、そして鋭く打ち砕いてくれる作品だった。
読み進めるほどに、自分がどれほど世界をドラマチックに、そして悲観的に捉えていたかを思い知らされ、驚きとともに何度も頷かされる読書体験であった。
特に印象的だったのは、「分断」「ネガティブ」「単純化」「犯人捜し」「焦り」といった10の“本能”が、いかに人間の判断を曇らせてしまうかという点であった。
筆者はそれを、医師としての経験や世界各国でのフィールドワークを通じて、臨場感のある具体例とともに示しており、どれもが説得力に富んでいた。
たとえば、世界の1歳児の予防接種率が80%に達しているという事実には、正直に言って衝撃を受けた。
自分では「事実を見ようとしている」と思っていたが、実際にはメディアの煽る「ドラマチックすぎる世界観」に少なからず影響されていたのだと気づかされた。
また、「犯人を悪者にして問題解決と錯覚する傾向」や「いますぐ対処しないと手遅れになるという焦り」などは、日々のニュース消費の中で無意識に自分も陥っている姿を思い出し、身につまされる思いがした。
構成上、やや説明が冗長に感じられる箇所もあったが、図表や実例によって直感的に理解できるよう工夫されており、統計やデータに苦手意識のある読者でも読み進めやすい点は評価したい。
とりわけ「世界はレベル1から4の所得に分けて見た方が正確である」とする視点は、自分の物差しを見直す契機となった。これまで「先進国」「途上国」といった単純な二分法でしか世界を理解していなかったことに気づき、少なからず反省も覚えた。
読後、情報を受け取る態度を見直すようになった。
特定の事象を見聞きした際に、すぐに善悪で判断したり、感情的に断定したりするのではなく、「それは事実なのか?」「他の可能性はあるか?」と一歩引いて考える姿勢が芽生えたのは、この本の大きな収穫である。
また、ネット上で見かけた訳者による批判への回答や脚注も読み、著者たちがどれほど誠実にデータと向き合っていたかを改めて感じた。
示された「10の本能」が科学的に仮説にすぎないという冷静な視点も好ましく、決して盲信を促す内容ではない点にも安心感があった。
『ファクトフルネス』は単なる「知識本」ではなく、「考え方の本」である。
情報を信じ込むのでもなく、疑ってかかるのでもなく、事実とデータに立脚して、複雑な世界を複雑なまま受け止める。
その姿勢を持ち続けることが、これからの時代に必要な知性であり、希望の源なのだと実感した。
読み終えて、自分もまた“ファクトフル”な視点で世界を見る訓練を重ねていきたいと心から思った。
今後、ドラマチックな言葉や映像に触れたとき、まずは深呼吸して「本当にそうか?」と問うてみる。
そんな習慣こそが、この本が最も伝えたかったことなのだろう。
最後までお読み頂きありがとうございます。


(PR)よろしければ上のサイトから購入して頂けると幸いです。
展開まとめ
イントロダクション
サーカスへの憧れと医師としての進路
幼少期からサーカスに魅了されていた語り手は、ジャグラーや綱渡り芸人の技に心を奪われ、サーカス団員になることを夢見ていた。しかし、教育を受けられなかった両親の期待を背負い、医学の道へと進んだ。
医学講義と剣飲み芸人との出会い
医学部時代、喉の機能についての講義中に教授が紹介した剣飲み芸人のレントゲン写真に衝撃を受けた語り手は、自らの過去の夢が再燃するのを感じた。喉の反射実験で優れた結果を出した経験を思い出し、自分にも剣飲み芸ができるのではないかと考えるに至った。
初挑戦と挫折
決意を新たにした語り手は、剣の代わりに釣り竿を使って練習を始めたが、3センチほどしか飲み込めず、結果的に夢を諦めてしまった。
研修医時代の偶然の再会
3年後、研修医として働いていた語り手は、咳が長引く高齢の男性患者を診察した。その男性は過去に剣飲み芸人だったことが判明し、なんと医学部時代に教授が見せたレントゲンの人物その人であった。釣り竿での挑戦を語った語り手に対し、患者は「平たいものしか喉の奥には入れられない」とアドバイスを与えた。
再挑戦と成功への道
その助言を得て、語り手はスープのおたまの取っ手を用いて練習を再開した。まもなくして取っ手の全長を飲み込めるようになり、剣飲みの技術を体得。さらに新聞広告で入手した1809年製スウェーデン陸軍の銃剣を用いて本格的な剣飲みに成功した。
剣飲み芸の由来と授業での実演
剣飲みはインド起源の芸であり、不可能を可能にする象徴として人々に教訓を与えてきた。語り手も授業の終わりに演台に立ち、剣飲みを実演することで学生にインパクトを与え、固定観念を打ち破る象徴的行為として用いていた。
クイズと世界に対する誤解の実態
講義後には世界に関する13問のクイズを出題し、受講者の世界認識の偏りを明らかにした。クイズの正答率は著しく低く、世界の基本的事実さえ誤認している人が多かった。優秀な人々でさえ、直感に基づく誤った世界観に囚われていた。
知識不足の根源とアップデートの限界
語り手は、人々が間違った知識を持ち続けているのは情報の更新がされていないからだと考え、教育用ツールやアニメーション付きのチャートを用いて講演活動を行った。しかし、それでも人々の認識は容易には変わらず、知識のアップデートだけでは限界があることを悟った。
ドラマチックな世界観の正体
世界を必要以上に悲観的に捉える「ドラマチックすぎる世界の見方」が、多くの人に共通する認知バイアスであると語り手は結論づけた。これは脳の進化に起因する本能的な傾向であり、瞬間的判断や感情的な物語への偏重が誤解を生んでいると指摘した。
チンパンジーとの比較と希望の提示
クイズの成績は、無作為に答えを選ぶチンパンジーよりも低い結果になることが多く、知識よりも先入観や思い込みが影響していることが明らかとなった。語り手は、「ファクトフルネス」という習慣を日常に取り入れることで、事実に基づいた世界の見方を身につけるべきだと主張した。
サーカスと世界の見方のつながり
剣飲み芸は、現実の限界を超える可能性を象徴するものであり、人々の思い込みを打ち破る力がある。語り手は、自らの芸を通して、思い込みから解放された視点で世界を見ることの大切さを体現してきた。
希望と呼びかけ
この書は、世界の事実と向き合い、自らの思考を問い直すための一冊である。語り手は、読者がこの本を通じて世界への理解を深め、前向きに未来と向き合う勇気を得てくれることを願っている。
第1章 分断本能 「世界は分断されている」という思い込み
分断という幻想との闘い
授業での実体験と誤解の発見
1995年10月、筆者は授業を通して学生たちに乳幼児死亡率の重要性を説いた。サウジアラビアやマレーシア、ブラジルなど複数国の統計を比較しながら、乳幼児死亡率が社会全体の健康と福祉の指標であることを示した。配布されたユニセフのデータをもとに、学生たちは自らの先入観と実際の数字との乖離に驚かされた。
分断本能の正体と教育現場での実感
授業の休憩後、学生の一人が発した「西洋諸国以外の人々は自分たちのような生活を送れない」との意見から、筆者は「分断本能」の実例を目の当たりにした。世界を「豊かな我々」と「貧しい彼ら」の二項対立でとらえる考え方が、学生たちの中に根強く存在していたのである。
チャートを用いた勘違いの解体
筆者はその考えが誤っていることを、出生率と乳幼児生存率のデータをもとに示した。1965年の世界では国々が確かに二極化していたが、最新のチャートでは多くの国が「低出生率・高生存率」のグループに移行しており、「分断」は消えつつあることが可視化された。世界人口の85%は、もはや旧来の「先進国」枠内にあるか、そこへ向かっている途中であった。
誤解の再生産とメディアの影響
それにもかかわらず、デンマークのテレビ番組ではジャーナリストが「豊かな国と貧しい国」の差を当然視していた。筆者は世界銀行や国連のデータを根拠に、「分断はもはや存在しない」と強く反論した。多くの人が、もはや存在しない貧困層を多数派だと誤解し続けている現実に直面した。
二段階式の勘違いの罠
筆者は、勘違いの根深さを測るため、「低所得国に暮らす女子の初等教育修了率」などの問いを投げかけた。その結果、回答者の多くが実際よりもはるかに悲観的な選択肢を選び、正答率はチンパンジーのランダム回答を下回った。さらに「世界人口の何%が低所得国に暮らしているか」との問いには、平均で59%という誤った回答が返されたが、実際はわずか9%にすぎなかった。
現実の構造と所得レベルによる新分類
筆者は、「先進国/途上国」という二分法を捨て、世界を4つの所得レベルに分ける新たな枠組みを提示した。1日あたりの所得を基準にしたこの分類により、大多数の人々が中間層に属していることが明らかになった。この分類は、テロリズムから性教育に至るまで、世界の諸問題を理解するための基本となる。
思い込みを打ち破る必要性と未来への提言
筆者は、授業や講演、テレビ出演を通して、世界の見方を改める重要性を訴えてきた。30年遅れの認識に基づく意見が蔓延している現状に強い危機感を抱き、より正確なデータと分類による「事実に基づく世界の見方」の普及に努めてきた。そして、分断を前提としない認識が、人道的視点にも、ビジネスチャンスの発見にも、より適していると結論づけた。
世界を四つのレベルで捉える思考法
極度の貧困:レベル1の暮らし
レベル1の人々は、1日1ドル以下で生活していた。裸足で水を汲みに行き、泥混じりの粥しか食べられず、病気にかかっても治療を受けることができなかった。調理の煙で末娘が咳をこじらせ、薬も手に入れられず亡くなるといった悲劇が現実であった。こうした暮らしをしている人々は、世界に約10億人存在していた。
改善の兆し:レベル2への前進
生活がやや向上し、1日の収入が4ドル程度になるとレベル2に移行した。食生活に変化が生まれ、サンダルやバケツ、自転車の購入によって生活の質が向上した。子供たちは学校に通えるようになり、灯油のストーブや電気の恩恵も受けられるようになった。しかし病気になると生活が後退する脆弱さは依然として残っていた。レベル2の暮らしをしている人々は、世界でおよそ30億人を占めていた。
安定とリスクの共存:レベル3の現実
さらに努力を重ね、1日の収入が16ドルに達するとレベル3となった。水道や電気が整備され、冷蔵庫やバイクを所有できるようになった。家族旅行を楽しむ余裕も生まれたが、事故や病気によって収入が不安定になるとすぐに下のレベルへ逆戻りする可能性もあった。レベル3で暮らす人々は、世界に約20億人いた。
豊かな消費者:レベル4の暮らし
1日32ドル以上を稼ぐレベル4では、相対的に3ドルの増減は生活に影響を与えなかった。長期間の教育、外食、車や飛行機の利用が一般的であり、多くの人がこの本の読者と同様にこのレベルで暮らしていた。レベル4の生活は他のレベルとの違いを見えにくくし、世界の実情を理解する妨げとなっていた。
人類史と生活水準の進化
人類の大半は長らくレベル1に留まり、200年前までは85%が極度の貧困にあった。近年ようやく、世界の多くがレベル2や3に達し、これは1950年代の西ヨーロッパや北アメリカに相当する水準であった。これにより、世界の分断というイメージは現実とは乖離しつつあった。
分断本能とその根強さ
分断本能は、世界を「先進国」と「途上国」に分ける思考に現れていた。筆者が世界銀行で講義を始めてから、「4つのレベル」に切り替えられるまでに17年を要し、未だ国連などでは旧来の呼称が使用され続けていた。分断本能は、人々が単純でドラマチックな対立構造を求めてしまう認知バイアスであった。
分断を生む三つの誤解
第一に「平均の比較」によって分布の実態が見えなくなり、男女間や国別の違いが誇張される。実際には多くの数値が重なり合い、分断は存在しない。第二に「極端な数字の比較」により、大富豪と極貧層の対比が強調され、中間層の存在が見落とされる。第三に「上からの景色」は、レベル4の人々が下位レベルの違いを正確に認識できないことを示していた。
メディアとドラマチックな誤解の再生産
メディアは対立構造を好み、ストーリー性の高い極端な事例を報じがちであった。これは分断本能を刺激し、実態とは異なる世界観を人々に植えつけていた。世界は「金持ち対貧乏人」ではなく、重なり合う分布の中で大多数の人が生活しているという事実が見落とされていた。
四つのレベルの重要性とファクトフルネスの核心
分断ではなく、四つのレベルで世界を捉えることが、事実に基づいた思考「ファクトフルネス」の第一歩であった。これは単に数字を見るのではなく、その背後にある現実、すなわち人々の生活を理解する視点であった。分断本能を抑えるには、平均ではなく分布、極端な例ではなく多数派、そして俯瞰ではなく共感による視点が必要であると結論づけられていた。
第2章 ネガティブ本能 「世界がどんどん悪くなっている」という思い込み
ネガティブ本能を抑える方法
思い込みの原因としてのネガティブ本能
筆者は長年にわたり世界に関するクイズを出題してきたが、人々の正答率が極めて低いことに気づいていた。その原因の一つが、世界を悲観的にとらえるネガティブ本能であった。多くの人々が戦争や貧困、自然災害などの悲劇的な出来事を過大評価し、世界は年々悪くなっているという誤解を抱いていた。
報道の性質と人間の本能の関係
人間の脳は、進化の過程でドラマチックな出来事に敏感に反応するようにできていた。そのため、メディアが伝える衝撃的なニュースばかりに注意が向き、穏やかな進展や改善には気づかなくなっていた。これは、本能がかつては生存に役立った一方で、現代の情報環境においては誤解を生み出す要因となっていた。
事実に基づく進歩の認識
実際には、極度の貧困層の人口は過去20年で半減し、子供の予防接種率は世界的に80%に達していた。平均寿命も上昇し、教育を受ける女性の数も増加していた。しかし多くの人々はこれらのポジティブな事実を知らず、世界を過去のままの姿でとらえていた。こうした事実が広まらないのは、報道が事件性のある例外ばかりを伝えていたためである。
ネガティブ本能が生む誤解とその対策
人々は悪いニュースばかりを見聞きし、それを世界全体の傾向と誤認していた。その背景には、情報の供給者であるメディアが視聴率を優先し、センセーショナルな報道を繰り返していた現実があった。これにより、地道な改善やポジティブな変化は見過ごされていた。ネガティブ本能に打ち勝つには、事実を定点観測する姿勢が求められていた。
ネガティブな印象への冷静な対応
世界で起きる悪い出来事は依然として存在していたが、それらは長期的な進歩と矛盾しなかった。つまり、世界は同時に悪くなりつつも、良くもなっていた。物事を多面的にとらえることで、偏った悲観主義に陥ることを防げた。個別の不幸を否定せず、それを大局的な変化の中で正しく位置づける思考が必要であった。
データと感情のギャップを埋める姿勢
情報に接する際には、データと感情の間にあるズレを自覚し、冷静に現実を把握することが重要であった。ネガティブな出来事に直面した際も、それが長期的な傾向にどう影響しているのかを判断する習慣が、「ファクトフルネス」の中核であった。この思考法により、世界をより正しく理解し、過度な悲観主義から自らを解放することが可能となっていた。
第3章 直線本能 「世界の人口はひたすら増える」という思い込み
過激本能に対処する方法
過激本能の正体とその誤認
人間は、物事の「平均」や「中間」に注目せず、極端な事例に意識を奪われやすい性質を持っていた。この本能は、「分断された世界」や「格差が拡大している」といった印象を強めていたが、実際には世界の多くの人々が中間的な生活レベルに位置していた。平均値ではなく両極端の例ばかりに注目することが、現実の誤認を引き起こしていた。
所得水準の誤解と中間層の実像
人々は世界を「豊かな国」と「貧しい国」の二極に分けて理解する傾向にあったが、実際には中間所得層が大多数を占めていた。所得がある一定水準を超えると、生活の質が急激に向上するが、その変化は見えづらく、目立つのは極端な貧困や富裕であった。そのため、世界の全体像を正しくとらえるためには、中間層の存在に注目する必要があった。
平均値と中央値の誤用による誤解
「平均〇〇人」という統計表現は、現実とはかけ離れていた場合が多かった。例えば、一人っ子と大家族が混在する地域で「平均三人兄弟」と言われても、実在する人間像とは一致しなかった。また、平均値よりも中央値の方が、現実の多数派に近いことも多かった。この違いに気づかないまま統計を解釈すると、極端な例を現実の基準と錯覚してしまっていた。
極端な印象を助長するメディアと教育の影響
メディアでは、ドラマチックな変化や極端な事例ばかりが取り上げられ、中間層の実情は報道されにくかった。教育においても、国家ごとの差ばかりが強調され、徐々に変化していく生活レベルの連続性が無視されがちであった。こうした情報環境が、極端な世界観の形成を助長していた。
正しい認識のための統計的視点の転換
過激本能を抑えるためには、極端な数値や事例に飛びつかず、分布全体を意識する姿勢が求められていた。散布図を用いた視覚的な把握や、階層別の人口割合などを通して、世界が一様ではなく、連続的に変化しているという事実を受け止める必要があった。また、偏った思い込みに抗うには、統計の表現方法にも意識を向ける必要があった。
「分断された世界」という思い込みの払拭
一部の例外的な国家や出来事ばかりが取り上げられる中で、多くの人が「世界は分断されている」と信じ込んでいた。しかし、実際のデータは、生活レベルや教育、健康の面で、国や地域の間に連続性があることを示していた。世界はグラデーションで成り立っており、単純な二項対立では語れない現実があった。過激本能を克服することで、人々はより正確で落ち着いた世界観を持てるようになっていた。
第4章 恐怖本能 「実は危険でないことを恐ろしい」と考えてしまう思い込み
恐怖と判断力の喪失
1975年、スウェーデンの小さな病院で、新米医師として初勤務中の著者は、飛行機事故の負傷者を受け入れる緊急事態に直面した。到着した患者の軍服やロシア語風の発言から、著者は誤って彼をソ連の戦闘機パイロットと判断し、第三次世界大戦の勃発を想像してパニックに陥った。しかし、血に見えたものは破損した液体容器の中身であり、患者もてんかんではなく低体温症だった。後に判明したのは、彼がスウェーデン空軍の訓練中のパイロットであり、著者の早合点は恐怖による誤判断だった。
関心フィルターと情報の取捨選択
人間はすべての情報を処理できないため、「関心フィルター」を通じて情報を取捨選択している。このフィルターは10の「本能」によって形作られ、特にドラマチックな物語やネガティブな内容が通過しやすい。メディアはこの性質を利用し、視聴者の本能に訴えるニュースばかりを報道する。その結果、人々の頭の中は、稀で恐ろしい出来事の印象に満ちていく。
恐怖本能とその由来
「身体的な危害」「拘束」「毒」への恐怖は、人類の進化の過程で育まれた。これらは生存に直結する危険を示唆するため、強く反応してしまう。メディアはこうした恐怖本能を刺激する内容を優先的に報道し、人々の注意を集めている。結果として、実際のリスクとは関係なく、「怖いもの」が過大評価されやすくなる。
レベルによる恐怖の影響の違い
生活レベルが1や2の人々にとって、自然や生物的な脅威は現実的な危険である。しかし、生活水準が高まると、進化で獲得した恐怖本能が現実と乖離し、誤ったリスク認識を生み出すようになる。恐怖心が根拠なき不安や誤解を助長し、社会的な進歩や正確な認識の妨げになる。
災害による死亡率の減少
自然災害による死亡率は、過去100年間で劇的に減少した。特に、低所得国でも教育の普及や国際的な支援により備えが進んでおり、犠牲者数は確実に減っている。しかし、このような「進歩」はニュースにならず、メディアは依然として悲惨な映像を中心に伝えるため、世界が危険に満ちているという印象が残る。
航空事故とメディアの偏向
2016年には約4000万機の飛行機が無事に到着したが、メディアが報道するのはわずか10件の事故だけであった。空の旅は70年前よりも2100倍安全になっているにもかかわらず、人々は事故のイメージを強く持ち続けている。これはメディアが「恐怖本能」に訴える情報ばかりを報道するためである。
戦争と平和の誤認識
著者の生涯の間に、世界は過去最も平和な時代を迎えた。大国間の戦争は起きず、戦争による死者も著しく減少した。しかし、メディアが現在の紛争をセンセーショナルに取り上げるため、平和の進歩は見落とされがちである。過去と比較した事実に基づけば、戦争の規模と頻度は明らかに減少している。
危険物質と過剰な恐怖
放射線や殺虫剤など、目に見えない危険物質に対する恐怖も、事実を無視した過大評価が蔓延している。福島原発事故では、放射線による死者は確認されていないにもかかわらず、避難の過程で高齢者が多く亡くなった。また、DDTの使用も過度な恐怖により非合理的に制限されている。真のリスクよりも、感情が政策や行動を左右している。
テロと統計的リスク
テロによる死亡者数は、世界全体で見ると非常に少ない。レベル4の先進国では、むしろテロによる死者数は減少傾向にある。それにもかかわらず、メディアはテロを過剰に報道し、人々の不安を煽っている。統計的には飲酒や病気の方が遥かに多くの命を奪っているが、それらは報道されにくく、恐怖の対象にならない。
恐怖と危険を見分ける視点
本当に危険なものは、必ずしも「恐ろしい」と感じるものではない。恐怖本能が強く反応する対象に意識を集中しすぎると、実際に命を脅かすリスクを見逃してしまう。恐怖本能に基づく判断を抑え、冷静に統計と事実に基づいてリスクを評価することが、人間社会において重要な能力である。
第5章 過大視本能 「目の前の数字がいちばん重要」という思い込み
過去への過大評価
過去はしばしば現在よりも良かったという錯覚を与えるが、それは主観的な記憶や偏った報道によるものであった。著者の医師としての経験でも、昔の医療現場には清潔さや安全性が欠け、病院内感染や治療ミスが多発していた。にもかかわらず、当時は問題が認識されていなかっただけであり、現代の改善された医療と比較すると、過去が良かったという認識は誤りであった。
進歩の見落としとメディアの影響
人々は進歩の過程をゆっくりと進むものとして捉えにくく、変化が目に見えにくいためにその存在を忘れがちであった。メディアは劇的な出来事を報道するが、徐々に改善していくポジティブな変化は取り上げられない。そのため、世界は悪化しているという印象ばかりが強まり、実際の進歩が見過ごされていた。
知識の誤差と「より良くなっている」という事実
人々の世界に対する理解には、深刻な誤差が存在していた。著者が行ったクイズの結果からも、教育レベルや収入に関係なく、多くの人が世界の実態を正確に捉えていなかった。これは直感に基づいた判断や古い知識に頼る傾向によるものであり、データに基づいて確認すれば、多くの国で生活水準や健康状態、教育が改善されているという事実が明らかであった。
過去との比較と「良くなっている」の正しい認識
世界には依然として問題が残されているが、過去と比較すれば状況は確実に改善されていた。子どもの死亡率、識字率、極度の貧困率など、多くの指標において長期的な前進が見られた。状況が「完全」ではないことと「進歩している」ことは両立し得るという視点が、正しい世界認識には不可欠であった。
ネガティブ本能とその抑制法
人間にはネガティブな情報に強く反応する本能が備わっており、これは生存本能の一部であった。この本能が誤った世界観を形成する原因となっていたが、認識を修正するためには、メディアの見せるネガティブな出来事の背後にある全体の傾向やデータを見ることが重要であった。「すべてが悪い」と感じたときほど、現実の全体像を確認する姿勢が求められた。
第6章 パターン化本能 「ひとつの例にすべてがあてはまる」という思い込み
思い込みとパターン化の罠
異文化との出会いと即興の嘘
著者は栄養調査のため訪れたコンゴの村で、もてなしとしてネズミの丸焼きと巨大な幼虫を出された。幼虫をどうしても食べられなかった著者は、「スウェーデン人は文化的に幼虫を食べない」ととっさに嘘をついたが、その出まかせは村人に納得され、結果的に場を穏便に乗り切ることに成功した。
パターン化とその功罪
人は物事を素早く理解するため、経験からパターンを作り、それを他にも当てはめる傾向がある。しかし、それが過剰になると誤認を生む。異なる国や人々を同じグループと見なし、個々の違いを無視してしまうことが、偏見や誤判断を招く原因となる。
ワクチン接種とグローバルな誤解
著者が行った講演では、世界中の1歳児の80%が予防接種を受けているにもかかわらず、多くの専門家が20%程度と誤認していた。特にグローバル金融の幹部らが誤った回答をする率が高く、誤認がビジネスチャンスの損失につながっている実態が明らかになった。
企業が見落とす市場の実態
欧米の大企業は、豊かなレベル4の消費者ばかりを重視し、レベル2や3にいる数十億人の女性たちのニーズを無視していた。実際には、こうした層に向けた商品開発こそが将来の成長市場となり得ることが示されていた。
旅による認識の更新
学生を途上国に連れていく著者のプログラムでは、彼らが現地の生活実態を知り、自国の常識が世界に通じないことを体感する。衛生、医療、インフラに関する現地の事情を目の当たりにすることで、偏った先入観が修正されていった。
身をもって学んだ過ち
著者自身も学生時代、インドで学んだ際に、自国の教育レベルが最先端だという思い込みが覆された。また、スウェーデンでの乳児への対応において、過去の戦場での知見を赤ん坊に当てはめてしまったことで、大きな誤りを犯した経験を語っている。
ドル・ストリートという可視化の試み
著者の娘アンナは、世界の生活水準を可視化する〈ドル・ストリート〉を開発し、国や文化ではなく「所得」によって生活の実態が大きく変わることを示した。同じ所得レベルにある人々は国が違っても生活様式が似ており、国単位の分類がいかに無意味かを浮き彫りにしている。
分類の見直しが思い込みを防ぐ
同じグループ内の差異、異なるグループ間の共通点を探すことで、誤ったステレオタイプや思い込みを修正できる。著者は、過半数の意味の誤解や例外の過度な一般化、自分の経験を普遍とみなす危険性を指摘し、より正確な世界の見方を持つための注意点を提示している。
ファクトフルネスとは何か
ファクトフルネスとは、思い込みに基づく誤ったパターン化に気づき、分類や印象を常に見直し、正確な情報に基づいた判断をする姿勢である。間違いを受け入れ、証拠に基づいて柔軟に考え直すことが、より良い意思決定につながると説かれている。
第7章 宿命本能 「すべてはあらかじめ決まっている」という思い込み
宿命本能──変化を信じられない心の壁
投資家たちの固定観念
著者はイギリスの高級ホテルで行われた投資家向け講演に招かれ、アジアやアフリカの成長をデータで示しながら解説した。聴衆は関心を示したが、退場時に一人の老紳士が「アフリカは変われない」と断言した。その発言に、著者は現実を受け入れない「宿命本能」の存在を確信した。
変化を拒む本能の正体
人間は生存のため、環境が変わらないと信じる方が適していた。しかし現代では、この「変わらないという思い込み」が世界の進歩を見誤る原因になっている。文化や宗教、国家までもが永遠に不変であると錯覚し、変化を拒絶してしまうのが宿命本能の正体である。
男女平等と教育の進展
30歳の女性は平均で9年間の教育を受けており、男性との差はわずか1年であった。この事実は、特に男女平等が進んでいないとされる地域でも文化が変化していることを示していた。しかしメディアに映る偏った映像によって、「変わらない」という思い込みが強化されていた。
アフリカの進歩と誤解
アフリカの平均寿命や乳児死亡率、教育水準は過去数十年で大きく向上していた。特にナイジェリアやエチオピアなどは急成長を遂げていたが、多くの人々は「アフリカは永遠に貧しい」と信じ込んでいた。これは事実ではなく、過去のイメージに縛られた誤解に過ぎなかった。
宗教と出生率の関係性の誤認
出生率の高さは宗教ではなく、主に所得によって説明できる。イスラム教徒もキリスト教徒も、極度の貧困層に属していれば子どもの数は多い。文化や宗教よりも経済的な背景の方が、家族計画や避妊の実施に大きな影響を与えていた。
スウェーデンの文化変化と家族観
著者自身の祖父は昔ながらの男性像の典型であったが、時代とともにスウェーデンの文化は大きく変化した。かつては違法だった中絶も合法化され、女性の権利が尊重される社会へと変貌した。これにより、文化とは変えられないものではないという実例が提示された。
個人の意識変化が社会を動かす
韓国やバングラデシュ、アフガニスタンなどでも、若い女性たちは新しい価値観を持ち始めていた。「主人」や「家父長制」を拒否し、教育や家族計画を重視する姿勢が広がっていた。彼女たちの発言は、社会変化の兆しを如実に示していた。
知識の賞味期限と更新の重要性
社会に関する知識は時間とともに陳腐化する。著者がかつて実施したクイズも、十数年後には正答が変わってしまっていた。変化を認識するためには、常に新しいデータを取り入れる必要があり、古い思い込みに固執していては世界を見誤る。
文化変化の具体例を探る姿勢
価値観が変わらないという主張に対しては、逆の事例で反論できる。スウェーデンにおける性や中絶、アメリカにおける同性婚の支持率の急上昇などがその例である。これらは文化が柔軟に変化し得ることを証明していた。
ビジョンの欠如とアフリカからの問いかけ
著者はアフリカ連合で講演する栄誉を得たが、委員長から「ビジョンがない」と厳しく指摘された。極度の貧困の克服だけでは足りず、豊かになった人々が世界に羽ばたける未来を語るべきであるという教訓を受けた。
自省と未来への展望
モザンビークでの過去の会話を思い出した著者は、自分が「上から目線」の見方を完全には捨てきれていなかったことに気づいた。真のビジョンとは、すべての人々が自由に生き、旅行し、家族とともに幸せを感じられる未来を想像し、共有することであると理解した。
第8章 単純化本能 「世界はひとつの切り口で理解できる」という思い込み
単純化本能──世界を誤解する思考の罠
世界を一つの視点で理解しようとする危険性
人々は複雑な現実を単純な原因と解決策で捉えたがる傾向があり、この「単純化本能」が世界の理解を妨げていた。自由市場や平等といったシンプルな概念に頼りすぎることで、すべての問題を特定の原因に結びつけ、異論を排除する思考に陥っていた。これは思考の手間を省ける一方で、現実の多面性を見失う原因となっていた。
専門家と活動家の限界
専門家の知識は貴重である一方、自分の専門外では誤解や無知に陥ることが多かった。活動家もまた、自身の信念に固執し、実情よりも問題を誇張する傾向があった。たとえば、女性教育や野生動物の保護に関する認識のずれが、正確な理解を妨げていた。正しい情報の共有と、進歩の評価が欠如していたことが明らかになった。
専門知識に固執する「トンカチの法則」
人は得意な手段に頼りすぎる傾向があり、他の有効な方法を見失うことがあった。医師や活動家が、自身の分野の手法だけで社会問題を解決しようとすると、現実と乖離した対応となっていた。靴やレンガなど、生活の具体的な観察の方が信頼できる指標になることもあると示された。
数字と現実のバランス
数字は世界を理解する重要な道具であるが、数字だけでは人々の生活実態を完全に把握できない。モザンビークの元首相が、経済成長の実感を靴や建設現場から観察していたように、数字の裏にある人間の現実を見る視点が不可欠であった。
政治思想にとらわれる危険性
キューバでは計画経済の失敗により国民が栄養不足に陥り、アメリカでは市場原理への過信が高額な医療費と平均寿命の短さを招いていた。どちらも特定の思想に凝り固まった結果、柔軟な対応ができなかった。政治思想は理想を描く上で重要である一方で、それに固執すれば現実から乖離し、社会に悪影響を与える可能性があると警鐘が鳴らされた。
民主主義と社会的成果の相関性
民主主義が必ずしも経済成長や健康の改善に直結しない事例として、韓国などの非民主国家の急成長が挙げられた。民主主義は重要な価値であるが、それ単独では社会の進歩を保証しないことが証明された。
複雑な現実を受け入れる態度の重要性
ファクトフルネスとは、一つの視点に頼らず、多様な意見やデータから総合的に現実を捉える態度であった。単純な答えや理想に飛びつかず、複雑さを受け入れて、異なる分野の視点を融合させることが現実的な問題解決につながると説かれていた。
結論──ケースバイケースの思考と柔軟性のすすめ
世界を理解するには、単一の解決策や思想に頼らず、ケースバイケースで柔軟に対応する姿勢が求められる。数字や専門知識を重視しつつも、常にその限界を認識し、異なる意見に耳を傾け、現実を多角的にとらえることが、真の理解と進歩を導く鍵であると結ばれていた。
第9章 犯人捜し本能 「だれかを責めれば物事は解決する」という思い込み
犯人捜し本能──誰かを責めても世界は変わらない
製薬会社を責める学生との対話
講義中、貧しい人々の病気に無関心な大手製薬会社を糾弾すべきだと語る学生に対し、講師は冷静に問い返し、問題の本質が特定の個人ではなく、株主の意向に従う企業の仕組みにあることを明らかにした。製薬会社の株主の多くは退職年金の受給者であり、安定株を好む人々であった。問題は特定の誰かではなく、経済構造に根ざしていた。
犯人捜しによる学びの停止
人は不都合な出来事の原因を単純化して誰かに帰属させたがるが、これは「犯人捜し本能」と呼ばれる思考の罠であった。たとえばシャワーの温度調整の失敗を他人の責任と考えるような例に見られるように、問題の本質を見誤ると学習の機会を逸する。複雑な問題に対して個人を責めることで、真の原因となるシステムの理解を妨げていた。
偏見に基づく企業批判の誤り
アンゴラ向けの安価なマラリア薬供給業者を調査する際、講師は製薬会社への偏見を抱いていたが、現地で出会った企業は、世界最速の製薬機器と自動化によって超効率的な生産体制を実現していた。誤解と先入観が事実を覆い隠していたことが明らかになった。
ジャーナリズムへの過剰な期待とその誤解
メディアの偏向報道を非難する声は多いが、実際にはジャーナリスト自身が世界を誤解している場合もある。多くのジャーナリストは善意で報道しており、知識の欠如が原因であった。ドラマチックな報道の背景には、視聴率を意識した構造的な制約があった。
難民問題に潜む制度的要因
難民が命を賭けてボロボロのボートで海を渡るのは、航空会社が入国書類のない人の搭乗を拒否するEUの指令によるものであった。制度上、合法的な手段が封じられていたため、密輸業者が繁栄し、悲劇が生まれていた。単純に密輸業者を悪者にしても問題の解決にはつながらなかった。
環境問題における他国批判の危険性
西洋諸国の学生は、インドや中国などの発展途上国に地球温暖化の責任を押し付けていたが、実際にはCO₂排出量の大半はレベル4の先進国が占めていた。真の責任は自国にあるにもかかわらず、他者を非難する姿勢が自己の責任を見失わせていた。
指導者の影響力の限界
毛沢東やローマ教皇の例からも明らかなように、権力者の命令が直接的に人々の行動を変えるとは限らなかった。出生率の低下や避妊具の使用など、社会変化の多くは個々の選択や社会構造によって左右されていた。
名もなきヒーローの存在
エボラ出血熱の封じ込めにおいて成果をあげたのは、著名な団体ではなく、地元で地道に働く無名の医療従事者や公務員であった。また、産業革命の恩恵も、リーダーの指導ではなく洗濯機などの技術革新がもたらした。こうした社会基盤と技術の進歩が世界を前進させていた。
テクノロジーと人々の願い
洗濯機は母親たちの時間を解放し、教育や余暇の機会を広げた。現在でも多くの人々が電気や下水道、冷蔵庫などの基本的インフラを求めており、それを享受する権利は普遍的である。発展を望む人々を非現実的な制限で縛ることは無意味であり、全人類の生活向上を可能にする技術の開発が求められていた。
責任追及よりもシステムの理解を
問題の責任を誰か一人に押しつけるのではなく、複雑に絡み合った背景やシステムを理解することが重要であった。犯人捜しに没頭すると思考が止まり、将来の失敗を防ぐ機会も失われる。世界を変えるには、現実を正しく認識し、柔軟かつ総合的に対応する必要があった。
第10章 焦り本能 「いますぐ手を打たないと大変なことになる」という思い込み
焦り本能による判断ミスとその教訓
感染症と毒物の誤認による悲劇
1981年、モザンビークのナカラで原因不明の病が流行した。医師であった語り手は、症状が教科書に記されていないことから感染症でないと推測したが確信を持てず、妻子を避難させた。その不安から市長に道路封鎖を提案し、実行された。翌朝、封鎖された道路を避けてボートでナカラを目指した女性と子供たちが海で命を落とすという悲劇が起こった。語り手は、この判断がもたらした結果を長く悔やむことになった。
毒の正体と背景にある社会構造
その後の調査により、原因は毒抜きされていないキャッサバの摂取にあったことが判明した。政府によるキャッサバの高値買い取りが背景にあり、農民は飢えのあまり加工せずに食べてしまったのである。この発見を契機に語り手は研究者へ転身し、毒物と社会経済の関連を長年にわたって調査するようになった。
繰り返された道路封鎖の弊害
1995年、コンゴでのエボラ流行時にも道路が封鎖され、キャッサバの供給が断たれた結果、中毒症状が広がった。2014年のリベリアでは、過去の教訓を活かし、政府が封鎖を避け、住民との信頼構築に重点を置いた対応が功を奏した。感染経路の追跡には協力が不可欠であり、信頼の喪失は致命的であると判断された。
焦り本能の構造と悪影響
「いますぐやらなければ」という圧力は、冷静な判断力を奪い、拙速な行動を招く。焦りは他の本能も刺激し、最悪の事態を回避しようとするあまり、過激な選択を取ってしまう。一方で、遠い将来のリスクには人々が鈍感になりやすく、これを打破しようとする活動家は、焦りを煽る手法に頼りがちになる。
恐怖と誇張による説得の限界
アル・ゴアとの対話を通じて、語り手は誇張による問題提起には否定的であった。正確なデータに基づいた中庸なシナリオを提示することこそ、長期的な信頼を築く鍵であると信じていた。過激な表現や誇張された未来像は、信頼を損ない、問題から人々を遠ざける可能性がある。
感染症とデータの重要性
2014年のエボラ危機では、「感染の疑いがある人」の数が急増し、現場は混乱した。だがデータを集計すると、感染確認者数は減少しており、対策が効果を上げていることが判明した。この経験は、危機における信頼できるデータの重要性と、感情や善意に流されない冷静な分析の必要性を証明した。
温暖化とグローバルな誇張の危険性
地球温暖化もまた、恐怖や焦りによって語られることが多いが、語り手はそれに否定的である。誇張は人々の信頼を失わせ、科学的な根拠に基づく対策の妨げとなる。温室効果ガスの排出実態を正確に測定し、計測と評価を重ねることが必要である。スウェーデンではその実践として、排出量の四半期ごとの公表が始まった。
注目すべき五大グローバルリスク
語り手は、感染症の世界的流行、金融危機、世界大戦、地球温暖化、極度の貧困の五つを最大のリスクと捉えていた。これらはいずれも現実味があり、人類の進歩を数十年単位で妨げ得るものである。とりわけ極度の貧困は現在進行形の問題であり、これを解決するには既存の対策の徹底と国際的協力が求められる。
焦り本能を抑えるための指針
焦りに駆られず、深呼吸し、情報を集め、正確なデータを重視することが推奨されている。極端な予測や過激な対策に流されず、小さな一歩を重ねることが効果的である。現実的な分析を通じてのみ、真の解決策は導き出されると説かれている。
第11章 ファクトフルネスを実践しよう
命を救ったファクトフルネス
誤解から生じた緊迫した状況
1989年、著者はコンゴ民主共和国の辺境マカンガ村で、神経麻痺症「コンゾ」の調査を行っていた。しかし、村人への説明を怠った結果、村人に誤解を与え、暴徒化を招いた。村人は血液採取が目的であることを不信と捉え、著者を騙し者と疑い、命の危険にさらす事態となった。
対話と理解による危機の回避
恐怖のなか、著者は勇気をもって事情の説明を試みた。かつての調査の事例や写真を提示し、病気の原因を究明するためであることを訴えた。だが村人の不信は強く、説得は難航した。そのとき、ひとりの高齢女性が群衆を前に進み出て、冷静かつ論理的に著者の主張を支持した。彼女は自らの体験を交えながら、調査の必要性と有効性を村人に説き、最終的に彼らを納得させた。
ドラマチックな本能への対抗としてのファクトフルネス
この女性の行動は、恐怖本能、犯人捜し本能、焦り本能など、村人たちのドラマチックな本能を抑えるものであった。教育を受けていなかったにもかかわらず、彼女は冷静に思考し、周囲を説得する力を持っていた。この出来事は、ファクトフルネスが教育や知識以上に、人間の理性と勇気に根ざすものであることを示した。
教育におけるファクトフルネスの重要性
世界の現状を事実に基づいて伝える教育の必要性が説かれていた。特に所得レベルや健康状態の多様性を理解させることが強調され、古い偏見を払拭する教育の仕組みとして、批判的思考とファクトフルネスの導入が求められていた。好奇心と謙虚さを育てることが、持続的な学びと理解につながるとされた。
ビジネスにおける事実の重要性
グローバルな市場において、過去の固定観念に基づいた意思決定はもはや通用しなかった。データへのアクセスが容易になった現代では、誤った世界観をアップデートする努力が求められている。実際の世界情勢を把握したうえで意思決定を行うことが、企業の競争力を左右する時代であった。
メディアと政治の役割と限界
ジャーナリストや活動家、政治家もまた、ドラマチックな本能に影響されている存在であり、彼ら自身も知識の更新が必要であると指摘された。正確で退屈な情報が敬遠される中、ファクトフルな報道を受け止める姿勢は読者や視聴者に委ねられていた。
組織内の知識不足の可視化と対処
個人や組織においても、基本的な事実が知られていない実態があるとされた。まずは質問を投げかけ、現状を把握することが第一歩であり、それにより知識を共有し、好奇心を刺激することが可能であると説かれていた。
事実に基づく見方がもたらす心の安らぎ
筆者は、事実に基づいて世界を見ることがストレスを減らし、心に平穏をもたらすと結論づけた。世界は完全ではなくとも、改善されつつある現実を見据えることが、前向きな行動と社会の進歩につながると信じていた。事実に基づいた見方こそが、誤った本能に支配されない生き方の礎であると述べて締めくくられていた。
おわりに
父のがん告知と創作への決意
2015年9月、著者らは父を含めた3人で本を執筆することを決めた。だが翌年2月、父は末期のすい臓がんと診断され、余命は数カ月と告げられた。父は動揺しつつも覚悟を決め、すべての仕事を断ち切り、本の執筆に集中することにした。本づくりは彼にとって知的刺激であり、希望でもあった。
執筆の日々と父の最期
3人は短期間で膨大な資料を整理し、執筆に取り組んだ。議論を重ねる従来の作業スタイルは、父の体調により難しくなり、挫折しかける場面もあった。2017年2月2日、父の容態が急変し、4日後に息を引き取った。最期の時間、父は原稿を手放さず、完成間近の本に深い満足を覚えていた。
別れの儀式と父の人柄
父の死後、世界中から追悼の言葉が寄せられた。カロリンスカ医科大学でのお別れの会とウプサラ城での葬儀では、父の多面的な人柄が偲ばれた。芸を披露する友人や孫の演出もあり、最後は「マイ・ウェイ」を皆で歌って見送った。その選曲には父の人生観が象徴されていた。
父の中の矛盾と情熱
父は音楽に無関心を装っていたが、実際は一人で歌を口ずさむような一面もあった。世界の問題を案じながらも、人生を楽しむ姿勢を持ち合わせていた。その両立こそが父の魅力であった。
執筆の継続と癒し
18年間、父と仕事を共にしてきた著者たちは、父の死後も本の完成に力を注いだ。作業を通じて父の声を感じ、彼と共にいるような気持ちになった。本の完成は父の思い出を守る行為となった。
使命の継承
父が本書の宣伝活動に参加できないことは承知していたが、その意志は子らが引き継いだ。「事実に基づく世界の見方」は、著者たちの中で生き続け、読者にも伝わることを願っていた。
感謝の言葉
著者は、知識を与えてくれた世界中の人々に深い感謝を示した。データ以上に、人との対話や経験から多くを学んだと述べている。また、編集者、支援者、家族、友人、そして孫たちにも敬意を表し、共に過ごした時間の価値を認めた。
訳者のあとがき
訳者は、ハンス・ロスリングの経歴と彼がこの書を通じて伝えたかった思いを紹介した。世界に対する誤解を正すための「10の本能」と向き合い、自分自身をも批判的に見ることの大切さを説いている。
許しと謙虚さのすすめ
情報社会において、事実に基づく視点の欠如は危険である。本能に支配された間違いを許し合える社会こそが『ファクトフルネス』の目指した空気であった。ハンス自身も過ちを認めていたように、読者も自己を省みる姿勢を持つべきだと結ばれている。
その他ノンフィクション

Share this content:
コメントを残す