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物語の概要
ジャンル:
歴史ファンタジー・戦国始動譚である。本作は、室町末期から戦国時代への過渡期を舞台に、下克上・武将としての成長・権力闘争を描く物語である。
内容紹介:
明応の政変がついに完了し、京にて細川政元が清晃を次期将軍として布告する。だが義材を捕らえるため出陣した細川軍は畠山政長らの抵抗によって苦戦を強いられる。一方、新九郎は駿河で清暯・茶々丸討伐の命を待つ立場にあったが、その道を政元と貞宗の策謀が阻む。室町幕府の威光は衰え、有力大名や家臣らが実権を握ろうと動き始める。動かぬ情勢の中、新九郎は自らの勝負に打って出る。
主要キャラクター
- 伊勢 新九郎(いせ しんくろう/後の北条早雲):本作の主人公である。下から這い上がる志を持ち、政治・軍略の才を磨きながら乱世を駆け抜けようとする武人である。
- 細川 政元:京の実権を握ろうとする政党の中心人物であり、次期将軍布告を主導する勢力である。政変後の支配構造を掌握しようと策を巡らす。
- 足利 清晃:次期将軍とされた人物。政元らに後ろ盾を与えられながら、将軍位を巡る争いの中心に立つ。
- 義材:捕縛対象の一人として名が挙げられる。政変後の混乱において重要な駒として扱われる。
- 畠山 政長:政変側に抵抗する大名の一人。細川軍に対して激しい抵抗を行い、混乱を続かせる存在である。
物語の特徴
本巻では、「明応の政変」という歴史的事件が物語の転換点となる。将軍交代、幕府の権威低下、大名同士の駆け引きなど、政治の舞台でさまざまな思惑がせめぎ合うリアルな歴史描写が魅力である。戦闘だけでなく会議・交渉・裏工作といったインテリジェンス要素が強まっており、主人公・新九郎がいかにして乱世を切り開いていくかが問われる。また、「下克上」「乱世の始まり」をテーマとする作品の文脈で、新九郎自身の覚悟や選択が物語に重量を与える。歴史的背景を踏まえたリアルな描写と、登場人物たちの人間ドラマが見応えを持って読者を引き込む。
書籍情報
新九郎、奔る! 21巻
著者:ゆうきまさみ 氏
出版社:小学館(ビッグコミックス)
発売日:2025年10月10日
ISBN:9784098636358
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あらすじ・内容
明応の政変、完了。
明応の政変が起こり、
京では細川政元が清晃を次期将軍として布告する。
しかし、義材を捕らえるために出陣した細川勢は
畠山政長らの必死の抵抗に苦戦していた。
一方、新九郎は駿河にて清晃の茶々丸討伐の命を待つが、
それは政元と貞宗に阻まれており……
室町幕府の威光は陰り、
有力な大名や家臣が政治をコントロールする乱世の入り口。
動かぬ状況に、新九郎も勝負に出る---!
感想
今巻では、伊豆の土地を取り戻すため、なりふり構わず悪どいロビー活動に精を出す。(弥太郎が)
新将軍に取り入ろうとする姿は、以前の彼からは想像もできないほどだ。しかし、それもこれも一家の勢力を保つため。
なりふり構っていられない切迫感がひしひしと伝わってくる。
偽造したはずの綸旨が本物として扱われる展開は、まさに室町幕府の権威失墜を象徴していると感じた。
そして、新九郎が大義名分を手に入れるものの、兵力不足という大きな壁にぶつかる様子が描かれていた。
兵力という現実的な問題に直面し、新九郎は葛山氏を説得しようと奔走するが…
物語は、新九郎が伊豆へ攻め込むという結末に向かって進んでいるのは間違いない。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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展開まとめ
第136話 政変完了 その1
長尾景春との会見
伊勢新九郎盛時は、長尾景春と面会した。景春は上杉家中で名を馳せた剛勇の士であり、太田道灌に敗れ続けた経歴を持つ人物であった。新九郎はその意外な過去に驚いたが、景春は明るく笑い飛ばし、互いに道灌に苦戦した者同士として打ち解けた。
扇谷家と今川家の関係確認
景春は、扇谷上杉定正と今川家の関係を探るために訪問したと明かした。昨年より扇谷家は今川家に挨拶を交わしており、その真意を確認するためであった。新九郎は、取次が別の人物であることを説明し、慎重な態度で応対した。
関東管領との立場確認
景春はさらに、関東管領・上杉顕定に対する今川家の立場を問うた。新九郎は即答を避け、「奥方に伝えておく」と答えた。景春はそれを了承しつつ、今川家が扇谷方に与すれば関東管領を敵に回すことになると警告した。新九郎はその覚悟の重さを感じつつ、即断を避けた。
会談後の情勢整理
景春が去った後、新九郎は家臣たちと今回の会談内容を共有した。伊豆の国人の多くは元来関東管領の被官であり、今川家が軽々に敵対すれば伊豆全体を巻き込む危険があった。守護家としての立場を守るため、慎重な政治姿勢が必要であると確認した。
複雑化する関東情勢
家臣たちは地図を前に、関東各地の勢力関係を整理した。関東管領・上杉顕定を中心に、扇谷上杉定正、古河公方、足利茶々丸、そして武田信昌・信縄兄弟らが入り乱れ、連携と対立が複雑に交錯していた。今川家の動き次第では、いずれ伊豆も渦中に巻き込まれる恐れがあった。
新九郎の皮肉と判断
討議の中で、長尾景春が「敵は上杉定正ただ一人」と語ったことが話題に上る。新九郎はその徹底した姿勢を評し、「関東管領 絶対殺すマンだな」と皮肉を漏らした。家臣たちは笑いながらも、その覚悟の強さに感嘆しつつ、今川家としては軽率な敵対を避けるべきだと一致した。新九郎は状況を見極め、関東管領との対立を回避する方針を固めたのである。
九郎盛利の登場
新九郎のもとを、若者が突然訪れた。家臣が案内してきたその人物は、伊勢掃部助盛時(三男)の子であり、名を九郎盛利と名乗った。新九郎は父から「三男が自分の屋敷に居候している」と聞いていたが、本人と対面するのはこれが初めてであった。
父からの書状と盛利の確信
盛利は、父・伊勢盛定からの紹介状を差し出した。書状を受け取った新九郎の前で、盛利はじっと彼の顔を見つめ、兄・弥太郎の面影を重ねながら「この人こそ父だ」と確信した。視線に気づいた新九郎は、「俺の顔に飯粒でもついているか」と冗談を返し、場を和ませた。すると、部屋の外で控えていた家臣が堪えきれずに笑いを漏らす一幕もあった。
働き口の相談と採用
盛利は、父の命で伊勢家に仕えることを希望していると述べた。新九郎は「今は分け与える土地もなく、給与もわずかである」と率直に告げたが、盛利は「覚悟の上です」と即答した。新九郎はその熱意を認め、「帳簿は読めるか」と問いかける。盛利は「伊勢家の人間です」と胸を張って答え、その姿勢を新九郎は気に入った。
新九郎の心中
新九郎は、真面目で礼節ある若者に好感を抱き、「しばらく預かろう」と決めた。家臣たちにも「面倒を見てやれ」と指示を出し、盛利はこうして伊勢家の一員として新たな生活を始めることになった。
籠城戦の報せと新九郎の警戒
数日後、新九郎のもとに弥次郎から報告が届いた。河内の廃領所に籠もっていた畠山左衛門督政長が、畠山一党と共に籠城を開始したという。これを聞いた新九郎は驚愕し、河内の諸勢力が公儀(将軍家)の方針に背く形で抵抗している事態を深刻に受け止めた。家臣たちは今後の影響を懸念し、今川領にも波及する危険を指摘した。
情勢分析と出陣準備の決意
新九郎は冷静に状況を分析した。籠城軍の勝算は薄く、援軍と民心の変化を待つ以外に勝機はないと見た。また、河内に布陣する大内・赤松両軍が動かず静観している点からも、戦局は膠着状態にあると判断した。家臣は「両軍が籠城側につけば流れが変わる」と危惧したが、新九郎は「万が一にもそのようなことはあるまい」と断じた。
しかし、赤松政則が細川右京大夫政元の姉を娶っている関係を考慮すると、政局の動向は読めない。新九郎は「どう転ぶか分からぬ以上、備えを怠るな」と指示を下した。そして、閏四月七日を期して、今後の不測の事態に備え出陣準備を進める決意を固めた。
正覚寺の籠城戦
閏四月、河内国では前将軍・足利義材が畠山政長父子とともに正覚寺へ籠城していた。これは将軍軍(細川政元・上原元秀ら)による畠山政長討伐に対する抵抗戦であり、義材にとっても自らの将軍位を追われた後の再起を懸けた戦であった。
戦況の推移と義材の指揮
義材方はすでに城を固め、包囲する細川軍に対して果敢に応戦した。左衛門督や大納言らが打って出て奮戦し、矢雨の中で兵たちは士気を保っていた。義材は楼上から戦況を見守り、敵味方の動きを冷静に見極めながら、「間もなく援軍が来る」と兵に檄を飛ばして士気を鼓舞した。籠城側にとって援軍到着の希望が唯一の支えであった。
援軍の遅延と義材の焦燥
義材は堺の大内・赤松両家に救援を要請していたが、返答はなく、両家とも動きを見せなかった。側近は「攻めかかってもこぬ」と報告し、義材は沈痛な表情で「理解しがたい」とつぶやく。大内家はかつて将軍義尚に味方したが、今は細川政元と貿易利権を争う関係にあり、容易に参陣できぬ状況であった。赤松家もまた細川家と姻戚関係にありながら動かず、戦局は膠着したままであった。
義材の決意
援軍の望みが薄いことを悟りながらも、義材はなお戦を続ける意志を捨てなかった。彼は「堺の両軍がどちらにも付かぬうちは敗北ではない」と己を奮い立たせ、将として最後まで指揮を執り続けた。こうして正覚寺の籠城戦は、前将軍義材の苦闘と細川政元の包囲がにらみ合う、長期戦の幕開けを告げるものとなった。
細川政元、赤松家の沈黙に不信を抱く
閏四月、河内の戦が膠着する中、細川右京大夫政元の陣営に報せが届いた。
大内家は足利義材にも味方せず、いつの間にか西国へ退却していた。政元はその不可解な動きを冷静に受け止めつつも、同盟関係にあるはずの赤松家の沈黙に焦りを覚える。
政元は「姉を嫁がせ、左京大夫の官位まで与えた甲斐がないな。まさか、この期に及んでこちらを裏切る気ではないだろうな」と語り、赤松政則の動向に疑念を抱いた。家臣たちは「赤松殿が裏切るはずはございません」と応じるが、政元は容易に信じなかった。
やがて政元は上原元秀を通じて、和泉国堺へ諜問の使者を派遣するよう命じる。
烽火が上がる夜の堺では、細川家の情報戦と警戒の網が静かに広がり始めていた。
正覚寺攻防の情勢と政則の焦り
京兆家(細川政元)からの要請を受け、赤松兵部少輔政則は正覚寺攻防戦の成り行きに神経を尖らせていた。
政則は「幕閣の一員として動かねば立場を失う」と焦りを見せ、洞松院(めし)に「いま出兵せねば、堺の連中に笑われる」と訴えた。だが洞松院は冷静に「落ち着かねばならぬ」と諫め、軽挙を戒める。
洞松院の策謀と政則の逡巡
洞松院は、義材方の籠もる正覚寺はまだ落ちる気配がないこと、また弁明の使者がすでに派遣されたことを伝え、今は兵を動かすべきではないと説いた。さらに「その間に御家の値を吊り上げましょう」と静かに笑みを浮かべる。
赤松家が軽々しく出兵せず、慎重に構えることで、幕府内での発言力を高める意図であった。政則は一瞬ためらうも、洞松院の言葉に押され、弁明と牽制の策を受け入れる。
紀州勢の上陸と戦局の一変
閏四月二十二日早朝、紀州からの援軍一万が堺近郊に上陸。畠山政長が待ち望んだ救援であり、この報せは一気に戦局を動かす。洞松院はその報告を受け、「めでたいことです、御屋形様」と口にするが、政則は「この状況の何がめでたい」と声を荒げる。
洞松院は「紀州勢が河内に流れ込めば戦局は変わる。これを利用すれば、赤松家が政変の鍵を握れる」と説明した。政則はようやく洞松院の意図を理解し、赤松家が細川政元にも義材方にも与せず、自家の立場を高める好機だと悟る。
女の謀略と政則の決断
洞松院はさらに「紀州勢と手を結べば、疲弊した細川軍を打ち破れる」と揺さぶりをかける。
政則はその野心を恐れつつも、洞松院の才覚に圧倒され、「なんだこの女は……」と内心で戦慄した。だが直後、堺北庄方面で細川軍との間に緊張が走り、報告が相次ぐ。政則は即座に「全軍出陣の御下知を!」と号令を下し、事態は急転。
この時、駿河国では前将軍義材がなお粘りの戦を続けており、関東・河内・駿河――三方面の政変が並行して進行していた。
戦況分析と方針の確認
伊勢新九郎の陣営では、六日前の情報をもとに戦況の確認が行われていた。紀州勢の上陸以後も大きな動きはなく、正覚寺の攻防は膠着状態にあった。山中才四郎が「この調子では事態はさほど動いていないだろう」と報告し、大道寺太郎も同意する。
清晃の立場と外交上の懸念
才四郎は地図を示しながら、関東方面の情勢にも触れ、「茶々丸殿は関東管領とつながりがあり、関係は悪くない」と説明する。新九郎はそれを踏まえ、「その細川との橋渡し役が清晃殿だ」と分析するが、現状では清晃の地位がまだ不安定で、動かぬ状況にあると見ていた。
新九郎の決断
才四郎は「松田殿や遠江殿を動かすには、大義名分が必要だ」と進言し、新九郎も「よく気づいた、その通りだな」と評価した。
そして「命令が出ぬなら命令を作るのみだ!」と力強く言い放ち、自ら戦局を動かす意思を示す。模擬戦を続けていた在竹三郎はその言葉に気を取られつつも構えを崩さず、陣中に緊張と活気が満ちた。
赤松政則、出兵を決断す
同時刻、和泉国・堺。赤松兵部少輔政則の陣に、家臣が駆け込み「古市街道の入口で小競り合いが始まっております!」と報告する。政則は動揺し、頭を抱えて逡巡したが、すぐに決意を固めた。
「決めたぞ、めし!」と洞松院に告げ、「儂が出馬する!紀州勢を一兵たりとも通すな!」と号令を発する。洞松院は静かに「どちらにお決めになりました?」と確認するが、政則は迷いを断ち切ったように力強く命じる。
その決断が、後に「赤松殿が紀州勢に打ちかかった由」として伝わることとなり、戦局の均衡を破る一手となった。
場面は夕刻の細川政元邸へと移り、政元がその報を受ける描写で幕を閉じる。
清晃、初めての将軍命を下す
細川右京大夫政元と伊勢伊勢守貞宗の前に、当代将軍・香厳院清晃が姿を見せる。紀州勢が赤松政則によって阻まれ、河内への救援が途絶えたとの報を受けた清晃は、義遐(前将軍・足利義材)の勢力はもはや衰退し、将軍位を阻む者はいないと宣言する。
そして清晃は、怒りに満ちた表情で初めての命を発する――
「伊豆の茶々丸を殺し、その首を母と弟の墓前に捧げよ!」と。これは彼自身の過去と因縁を断つための復讐命令であった。
しかし、政元と貞宗はその命に即座に反対し、「それは――なりません!」ときっぱり拒絶。清晃は唖然としつつも、初めての命令が否定されるという屈辱に、将軍としての力の無さを突きつけられる形となった。
第137話 政変完了 その2
赤松勢の大勝と洞松院の冷静な応対
堺周辺での戦は赤松勢の圧倒的勝利に終わり、紀州勢は撃退された。夕刻、戦場から戻った赤松政則は声を枯らして「勝ったぞ!」と報告する。洞松院は「お疲れ様でございました」と落ち着いた口調で迎え、政則の声のかすれを気遣う。政則は興奮のあまり上機嫌で「これで大勢が決した」と満足げに言い放つ。
勝利の意義と洞松院の進言
洞松院は、この勝利が赤松家の功績を高めるものであり、細川政元への恩を売る絶好の機会になると指摘した。政則も「儂の決断は正しかったと思わぬか?」と得意げに問いかける。洞松院は「よいお働きでございました」と応じた上で、油断を戒めるように「だが血がたぎる思いのままでは先が見えませぬ」と冷静に続ける。
今後の展望と慎重な策
洞松院は、紀州勢を押し留めたことで戦の収束は早まるが、同時に赤松家が過度に動けば「細川家と対立する危うさもある」と示唆する。政則はこれを聞いて一考し、「なるほど、確かに短期決戦にはなるが……」と頷いた。
二人の間に一時の静寂が訪れ、洞松院は控えめに礼を取り、「お見それいたしました」と頭を下げる。政則は満足げにうなずき、戦勝の余韻に浸るのだった。
清晃の怒りと討伐命令の理由
細川政元邸を訪れた将軍・香厳院清晃は、伊豆の茶々丸討伐の命を出さぬ政元の対応に疑念を呈した。清晃にとって茶々丸は、母と弟を殺し家督を奪った仇敵であり、「討伐せぬ理由などあるものか」と感情を爆発させる。
政元は冷静に、「事情はすべてを把握しているわけではないが、堀越公方家の家督継承には一定の経緯があった」と応じた。さらに伊勢伊勢守貞宗も、討伐の理を欠くことを諭すように述べ、場を鎮めようとした。清晃はなおも「父上は弟を嫡子と定めていた」と訴えるが、その怒りは理解されつつも、政治の理に押し返されていった。
感情と政治の乖離
政元は、幕府が堀越家の継承を黙認していた経緯を示し、将軍の私怨で出兵すれば幕府の威信を損なうと説明する。貞宗はさらに踏み込み、「御所様の御無念は重々承知しております。しかし、それは私情」と明言した。清晃はその言葉に沈黙し、感情と政道の隔たりを痛感する。
政元の冷徹な論理
政元は、関東管領が伊豆と良好な関係を維持しており、幕府としても連携を崩せぬ状況にあると説く。そして、「室町殿が私情で命を下せば、天下の安寧を乱す元となります」と断言した。清晃は理屈では理解しながらも、怒りを完全には収められず、静かに視線を落とした。
新たな登場人物と将軍の苦悩
場面は清晃の居館に移り、彼は苛立ちを酒で紛らわせようとする。しかし、側近の正親町三条実望(おおぎまちさんじょう・さねもち)がこれを止め、「お若い身ゆえ、お身体をお労りください」と諫める。
実望は新九郎の姪・かめの夫であり、若くして沈着な人物である。彼の穏やかな諫言に、清晃は短く頷きながらも、己の無力と理不尽への憤りを胸に秘めるのだった。
援軍途絶と敗戦の報
閏四月二十三日、河内の正覚寺では、畠山左衛門督政長が紀州勢との連絡を待っていた。だが援軍は到着せず、堺での合戦において紀州勢が赤松軍に打ち破られたとの報が届く。これにより正覚寺は孤立を余儀なくされた。兵糧は残りわずか、籠城の限界は二、三日と見積もられ、将兵たちの間に動揺が走る。
籠城戦の終焉と総崩れの兆し
政長は息子に「明日打って出る」と決断を告げ、潔く戦い抜く覚悟を示すが、兵の士気は既に限界であった。夜の陣中では敗戦と援軍途絶の噂が広まり、兵たちは戦意を喪失する。「もう戦はつまらん」と嘆きながら脱走する者が続出し、正覚寺の陣形は夜明けを待たずして崩壊を始めた。
葉室光忠の提案と義材の冷静さ
報を受けた足利義材のもとに、葉室大納言光忠が現れる。光忠は政長の敗戦を重く受け止め、「今は和睦を申し入れるべき」と進言した。政長は激昂し、「不利な状況で和睦など応じる敵があるものか!」と声を荒げるが、光忠は「援軍が来ぬことで政長の責を問う者はおりませぬ」と宥め、冷静に和議の使者を立てようと促す。
戦の終息と義材の静かな決意
義材は「皆、やれることはやった」と述べ、敗北を認めつつも部下を責めず、穏やかな笑みを浮かべた。政長の怒りを前にしても動じず、「そう怒るな」と諭す姿には、将としての静かな覚悟が漂っていた。戦況は決定的に傾き、河内正覚寺の敗戦は目前に迫っていたのである。
上原元秀の降伏勧告
閏四月二十三日午後、天王寺の陣に布陣する上原元秀は、籠城を続ける足利義材・畠山左衛門督政長の動向を注視していた。援軍の望みが絶たれたと判断した上原は、降伏勧告を命じる。
その条件は苛烈で、政長の自害、重臣・遊佐長直の切腹、さらに**将軍家の家宝「小袖」**の引き渡しであった。上原は「和睦とは笑止」と言い放ち、返答の期限を翌日までと定め、拒否すれば総攻撃を実施する方針を取った。
義材の拒絶と光忠の涙
正覚寺では、勧告を受けた足利義材が「無用」と即答し、降伏を拒んだ。
葉室大納言光忠は涙を浮かべつつ「政長の申した通りであったな」と語り、義材の気高さと頑なさを噛みしめた。義材は「政長を差し出して生き延びるなど、性に合わぬ」と言い切り、徹底抗戦の意思を示す。光忠は嗚咽をこらえながら「御所様のそういうところが……大好きでございます」と言葉を絞り出した。翌閏四月二十四日夕刻、細川右京大夫政元の軍勢が総攻撃を開始した。
正覚寺陥落と政長の最期
夜を徹した激戦ののち、正覚寺は炎上し、ほとんどの防備が失われた。畠山政長は「俺はここで死ぬ」と言い残し、家臣たちに「良き敵を見つけよ」と命じた。翌二十五日早朝、細川軍の猛攻が始まり、政長は仏前で切腹し、籠城戦は終焉を迎えた。
義材の拘束と光忠の最期
戦後、足利義材は逃亡せず、小袖を引き渡すために自ら残留した。そこへ上原元秀の家臣たちが到着し、義材の身柄を拘束する。
このとき、葉室大納言光忠は「お供いたします」と進み出たが、上原方の兵によって制止された。義材は抵抗せずに連行され、京への護送が決まる。
四日後、光忠は「義材の行動を誤らせ、世を乱した罪」に問われ、処刑された。
忠義を貫いた畠山政長、矜持を保ち続けた足利義材、そして主君を案じて殉じた葉室光忠――三者の最期は、室町幕府の終焉を象徴する結末として描かれている。
義材の幽閉と回想
畠山政長の死とともに戦が終結し、足利義材は閏四月の末に捕縛され、翌五月に京へ護送された。最初は龍安寺に幽閉されたが、ほどなくして上原元秀邸へ移送され、そこで監禁生活を送ることとなった。
義材は、政長や葉室光忠をはじめ、自身に殉じた多くの者たちを思い返し、「俺のやり方が間違っていた」と内省する。だがその一方で、「生きてさえいれば、もう一度くらいチャンスはある」と自らを奮い立たせる姿も描かれ、義材の粘り強い生への執念が示された。
寿王の将軍就任と激変する政局
その頃、伊豆・堀越御所では新たな動きが起こる。五月初旬、**寿王(義澄)**が新将軍に擁立されることが決定し、室町幕府の後継が公式に交代する。知らせを受けた者たちは驚愕し、「あの寿王が室町殿になるのか!」と声を上げた。
義材の敗北により、政権の正統性は細川政元側に完全に移り、「明応の政変」はここに確定した。
茶々丸の反応と堀越家中の混乱
一方、伊豆では足利茶々丸が激昂していた。堀越公方家の重臣・外山豊前守が、「寿王様の将軍就任を祝い、円満院様と潤童子様への使いをお送りください」と述べたところ、茶々丸は「僕に寿王に頭を下げよと申すか!」と激しく怒り、手元の器を叩き割った。
その憤怒の姿は、政変によって失われた権威と、伊豆公方家の孤立を象徴するものであった。
第138話 堀越公方 足利茶々丸(その1)
新田開発と伊豆統治の課題
五月中旬、駿河国富士下方の新田地帯で伊勢新九郎盛時は、家臣の大道寺太郎らと開発の進捗を確認していた。田は着実に増えていたが、地勢上これ以上の拡張は困難とされる。新九郎は民の労苦を労いながらも、遠隔地・伊豆の支配には新たな統治体制が必要と感じていた。
善徳寺館での会議と分析
翌日、善徳寺館において新九郎は重臣たち(大道寺太郎・在竹三郎・荒川又次郎・山中才四郎・荒木彦次郎・多米権兵衛)を集め、京の政変と地方情勢について論じた。足利義材が失脚し、細川政元が権力を掌握した現状を受け、幕府の支配構造が大きく変化したことを指摘する。
京兆家(細川)と並ぶはずの斯波家・畠山家が家督争いにより衰退した点を分析し、「家中の内輪揉めこそが一門を弱体化させる」と強調。斯波・畠山両家の分裂を例に挙げ、伊勢家も例外ではないと戒めた。
内訓としての家督継承の教え
議論の中で新九郎は、内紛防止の重要性を説くため、仮の話として自身の子千代丸と松寿丸を引き合いに出す。二人の家督継承争いを防ぐため、家臣の又次郎と太郎にそれぞれの傅役を命じ、「器量の差を見極め、嫡子を誤らぬよう育てよ」と語る。
家臣らは冗談交じりに反応するが、新九郎は「内輪揉めの練習をするな」と釘を刺し、真剣な面持ちで「その芽を摘む方法を考えねばならぬ」と続けた。
領地拡張計画の提示
新九郎は「不満を生む余地を減らすには、領地を増やすほかない」と述べ、領土拡張を具体策として打ち出す。自らの三百貫文に加え、千代丸・松寿丸の分としても三百貫文ずつの新地を確保する意向を示した。これにより家臣たちは驚愕するが、新九郎は「知行を広げれば家中に活気が戻る」と断言する。
伊豆平定の決意
荒木彦次郎が「堀越公方・足利茶々丸の所領を奪うのは無謀」と懸念を示すも、新九郎は「伊豆を手に入れれば領地が増える」と即答する。北伊豆を制するには戦を避けられぬとしたうえで、「ならばその戦を勝ち抜けばよい」と力強く述べ、伊豆攻略を念頭に据えた。
家臣たちの反応と締めくくり
在竹三郎が「今のは戯言ですよね?」と念を押すも、新九郎は曖昧に微笑みつつ「伊豆を奪える兵力はどこにある?」と問い返す。家臣たちは一様に動揺しつつも、彼の本心を測りかねる。
会議は冗談交じりに終わるが、周囲の笑いの中で新九郎の瞳だけは真剣であり、伊豆統一への布石が静かに打たれたことを示唆して幕を閉じた。
伊豆攻略の現実的課題と国情分析
伊勢新九郎盛時は、「堀越御所を落とし、足利茶々丸を討つ」との構想を述べるが、家臣たちはそれを半ば本気と受け止めて驚愕する。新九郎は冷静に、伊豆国の情勢を分析した。伊豆は昔から関東管領との結びつきが深く、もし堀越を攻め落としても国人衆が容易に服すはずがないと指摘する。
地図を前に説明を進めながら、新九郎は「伊豆には必ず戦の後に主を失った“欠所”がある」と述べ、そうした土地を押さえることで小規模な領地拡大が可能だと考えていた。得られるのは五〜六百貫文ほどの土地であるが、それには戦に耐える兵力が必要であり、現状ではそれが足りないという問題を認める。
家臣たちの反応と結論
家臣の大道寺太郎が「ではやはり越言(冗談)だったのですね!」と喜ぶが、在竹三郎は半笑いで「いや、半分は本気だ」と返す。彼らの会話は冗談めかしつつも、新九郎の真意が単なる夢想でなく、現実的な調査と分析を踏まえた構想であることが伝わる。
最終的に新九郎は、「伊豆国を丸ごと狙うのではなく、国情の隙を突いて少しずつ地歩を固める」という現実的な結論を導き、会議は一段落を迎える。
新たな奉公方の任命
伊豆・堀越御所では、足利茶々丸が家臣の進言を受け、江間新三郎を新たな奉公方に任命した。新三郎は戸惑いつつも拝命を受け、感激の面持ちで出立の準備を整える。茶々丸は「狩野の吉祥丸も同じく任命するつもりだ」と語り、若い家臣たちの登用に意欲を見せた。
外山豊前守との対立
出立の際、堀越公方家重臣の外山豊前守は、将軍就任祝いの使者を送る件を巡って苦悩していた。茶々丸は「暴力で将軍位を奪うなど逆賊の所業」と激昂し、義澄(寿王)の将軍就任を断固として認めぬ姿勢を示す。豊前守が諫めるも聞き入れられず、茶々丸は「近臣を奉公方に任じ、次々と所領を与えている」と公家・幕府との関係悪化を指摘されても動じなかった。
若い奉公方の実態
新たに任命された奉公方の多くは、松田・遠山ら旧奉公方の元家臣や遊び仲間であり、豊前守は「いざという時に役立たぬ」と不安を漏らす。茶々丸は彼らを呼び戻すよう命じ、自ら馬を駆って狩りに出かけた。
無邪気な狩りと茶々丸の人柄
狩りの最中、茶々丸は若い家臣たちとともに石投げ遊びに興じる。十回以上石を跳ねさせては得意げに笑い、童心をのぞかせる姿が描かれる。家臣たちは「御所様は執念深い」と冗談めかして語り、父が「その執念深さで公方の座を勝ち取った」と話していたことを思い出していた。
狩りの終わりと帰路
やがて雨が近づき、茶々丸は「今日はこれまで」と狩りを切り上げて帰途につく。従者たちは彼の遊び心と気まぐれな気性を微笑ましく見守っていた。
桑原平内介の登場と衝突
帰路の途中、見知らぬ男が現れ、茶々丸は「何者だ」と警戒する。その男は桑原平内介に仕える者で、奉公人の弥蔵と権助と名乗った。茶々丸は一瞬考えた後、「奉公人風情が直答するとは何事か」と激怒し、馬上から手打ちを加えさせる。慌てた従者たちは平内介への非礼を謝罪し、弥蔵らを制止する。
茶々丸の命令と余韻
茶々丸は怒りを収めぬまま「帰って桑原に伝えよ。御所の修繕にもっと人を出せ」と命じ、そのまま御所へ戻った。従者たちは苦笑しつつ、「新参者にはあれくらいの試しがあるもの」と語り合い、彼の激情と気まぐれが共存する複雑な性格をうかがわせる場面で締めくくられている。
第139話 堀越公方 足利茶々丸(その2)
桑原平内の憤りと伊勢九郎の変装
桑原郷では、奉公人として堀越御所に赴いた弥蔵と伊勢九郎盛時(変装中)が帰還し、主の桑原平内に報告を行った。茶々丸の無礼な振る舞いに平内は激怒し、「いきなり斬られなかっただけで御の字」と嘆息する。盛時は顔を伏せて沈黙し、内心の観察を悟らせぬよう努めていた。平内は「奉公人に身をやつして打擲されるとは恥」と怒りを募らせるが、弥蔵は「お方は変なんだ。あの人は戦で下人姿のまま敵陣に乗り込んだことがある」と語り、茶々丸の異常な行動力と狂気を伝えた。
桑原平内の苦境と警戒
平内は、幾度も官職を解かれながらも伊豆の領地を取り戻せず、父の代からの所領を失った現状に屈辱を覚えていた。
「己の所領を売り払い、奉公人姿で辱めを受けるなど恥だ」と吐き捨てつつも、「あの若造が公方の威を借りて威張っておる」と冷静に現状を分析した。盛時は、変装の身でありながら平内の言葉を心に刻み、伊豆の政治的腐敗と不満の根を探っていた。
内乱の前兆と不穏な空気
外では雨が降り始め、屋敷の者たちは「雨にあたる前に戻られた」と口々に言い交わす。
しかし平内は、「こういう時こそ不満が澱み、人心が離れる」と不穏な予感を漏らした。
弥蔵が「戦はもう始まっとるんじゃ、九郎殿」とつぶやき、盛時の正体を暗に示す場面で締めくくられる。
伊豆国内ではすでに、堀越公方・足利茶々丸と在地勢力との対立が表面化しつつあることを象徴する場面となっている。
梅雨の長雨と訪問の目的
駿河の今川館では、梅雨明けが遅れ雨が続いていた。伊勢新九郎盛時は、姉の伊都を訪ねて館を訪れる。伊都は「四山の話をしに来たの?」と問うが、新九郎は特別な用件はなく、ただ顔を見に来たと答え、穏やかなやりとりが交わされる。冗談めかす伊都に、新九郎は「常に姉上のことを案じている」と返し、和やかな空気の中で伊都が「ちょっと相談に乗って」と話を切り出した。
龍王丸の成長と元服の相談
まもなく僧侶・瀬名一秀が来訪し、伊都が新九郎とともに迎える。伊都は龍王丸の元服の時期を決めかねており、「女の私には見極めがつかない」と相談する。一秀は龍王丸の年齢を尋ね、伊都が「二十一」と答える。新九郎は「やや遅いがちょうど良い時期だ」と判断した。伊都は「新九郎がもう少し父親代わりをしてくれれば」と言いつつ龍王丸を呼び寄せ、面談が始まる。
新九郎と龍王丸の問答
龍王丸は庭いじりの最中に現れたが、新九郎は「これからいくつか問う」と切り出す。
まず「国をどうしたいか」と問うと、龍王丸は「駿府を京のように栄えた街にしたい」と答える。さらに「そのために何をすべきか」との問いに「田や畑を開く」と即答し、新九郎はその気概を評価する。だが同時に「国を治めるのは容易ではない」と釘を刺した。
政治の自覚と判断力の試し
続いて新九郎は「自分の所領を奪われ、高貴な者に押領されていたらどうするか」と問う。
龍王丸は答えに窮し、伊都が口を挟もうとするが、新九郎はあえて息子の自主性を促す。龍王丸は「母上が答えることではありません、龍王が考えます」と毅然と応じるが、結局は「公方様に仲裁を願う」と答えた。
新九郎はその平和的な選択を評価しつつも、「公方は東国に興味がなく、仲裁は期待できぬ」と現実を説く。龍王丸は戦を避けたいと怯えながらも、「新五郎を攻めた後悔もある」と正直に語り、自身の未熟さを露わにした。
新九郎の思索と伊都の助言
問答を終えた新九郎は、龍王丸の誠実さを認めつつも、甘さを指摘する。伊都は濡れた龍王丸に着替えを促し、「将軍の座を奪うような時代になる」と世の変化を暗示する。
新九郎は「龍王の答えを試したのではなく、自らの覚悟を問うていた」と独白し、伊豆奪還の決意を固める。しかし伊都は「兵力が足りない」と現実的な問題を指摘し、今川家の支援も期待できないと告げた。守護職が伊豆の方家と対立すれば、さらに混乱するとの懸念も示される。
決意と余韻
最後に龍王丸が再び新九郎のもとを訪れ、「何か悩んでおられますか?」と気遣う。
新九郎はその素直な姿勢に微笑み、「よければ相談に乗ってもらう」と返す。
雨音の中、師と若き主の対話は静かに終わり、新九郎の胸中には伊豆奪還への覚悟と、龍王丸の成長への希望が交錯していた。
龍王丸への言葉と新九郎の決意
新九郎は龍王丸の肩に手を置き、「お主は駿河のことだけ考えておればよい」と静かに告げた。
龍王丸がその手を強く握ると、新九郎は「叔父は己の道を行く」と心中で覚悟を固める。
彼は自らが龍王の父にはなれぬと自覚しながらも、「せめて背中ぐらいは見せてやらねばならぬ」と決意を語る。
この言葉には、若き当主を守り導こうとする新九郎の責任感と、己の進むべき戦乱の道への覚悟が滲んでいた。
豊前守の説得と茶々丸の激昂
梅雨の長雨が続く伊豆・堀越御所で、豊前守は茶々丸に対し「今こそ義澄との関係を修復し、円満院様へ祝いの使者を出すべき」と進言した。これに対し茶々丸は激しく反発し、「頭を下げても寿王の恨みが晴れるものか」と怒りを露わにする。さらに、「寿王が自分を恨むことこそおかしい」と叫び、義澄や潤童子への不信と憤りをあらわにした。
豊前守との対立と外山殿の冷静な忠告
茶々丸は「潤童子が家督を奪おうとした」と主張し、母・円満院を「謀反人」と断じた。豊前守は「それでは事態が悪化する」と諫め、かつて重用された勝幡院様の時代とは違うと説くが、茶々丸は聞き入れず。外山殿は、豊前守の態度を「近臣筆頭のようで皆が困っている」と指摘し、身を引くように促した。
出仕停止の命
激昂した茶々丸はついに「もうよい、豊前守は下がれ! 命があるまで出仕を禁ずる!!」と絶叫。豊前守は深く頭を下げつつも、理不尽な命に怒りを抑え、屋敷に戻った。周囲の家臣は「このままにはしておけぬ」と憂慮する。
対策の模索
豊前守は冷静さを取り戻すと、「来月、狩野介殿・関戸播磨守殿らがこちらに参る。御所様(足利政知)を説得してもらうようお願いしてみよう」と語り、茶々丸の孤立を回避する策を練り始めた。
彼の胸中には、主君の暴走を止めねば伊豆は滅びるという強い危機感が芽生えていた。
狩野介祐員の登場と状況分析
六月、堀越・狩野館にて。茶々丸の後見人である狩野介祐員(かののすけすけかず)は、豊前守らから事情を聞き、祝いを出さぬのは問題だが、御所様(茶々丸)の気性の強さも理解せねばならぬと語った。彼は伊豆公方家の長男としての立場を守るためにも、軽率な対立は避けたいとの姿勢を示した。
秋山殿との会談と旧臣たちの立場
狩野介は秋山殿や関戸播磨守吉信らと対面し、伊豆公方家の現状を憂えた。秋山殿は、茶々丸が円満院や潤童子への憎しみを抱いており、その怒りが抑えがたいことを指摘する。一方、関戸は「そのことを口にすれば、茶々丸様の信頼を失う」と諫め、伊豆の結束が崩壊しかねない危険を説いた。
秋山殿の苦言と狩野介の決断
秋山殿は、実母と弟を自らの手にかけた茶々丸の行為を暗に非難し、「そのことを知れば御所様の心が壊れてしまう」と危惧した。狩野介は、「それを黙っていれば我らへの信頼も失う」としながらも、外山殿らと協議して御所説得にあたる決意を固めた。
説得の方針と今後の動き
狩野介は豊前守に「外山殿と秋山殿で進めよ。ただし弁明は無用だ」と指示し、二人に御所(茶々丸)説得の役を命じた。彼は「茶々丸様は前将軍義尚公も認めた正統の公方家継承者である」と強調し、伊豆公方府の再興を望む意志を明らかにする。
一方で、外山殿の過激な性格に懸念を示し、「胸を張って伊豆を治めていただかねば」と静かに杯を傾けた。
京の政局と伊勢弥次郎盛興の登場
同じ頃、京の細川政元邸(兼将軍御所)では、新九郎の弟・伊勢弥次郎盛興が登場する。弥次郎は将軍・足利義澄(法号:香厳院清晃)のもとを訪れ、政元の側近としてその動きを探っていた。義澄は細川政元を管領として擁しながらも、実権を握れずにいる状態であった。
赤松勢敗北の報と将軍の苛立ち
弥次郎が「赤松の水軍が紀州で敗れた」との情報を伝えると、義澄は激しく反応し、周囲の者に「政元を呼べ!」と怒声を上げた。彼は「なぜ早く知らせぬ」「尾張守(細川政元)を放置しておくのは危険だ」と不満を募らせる。政元が現れると、義澄は「先月の戦のことをなぜ伏せた」と詰め寄り、苛烈な口調で叱責した。
政元との応酬と将軍の焦燥
義澄は「なぜ敵を討たぬのか」と問い詰め、さらに「前将軍義尚を弔う気もないのか」と政元を非難する。だが政元は冷静に応じ、「暑さゆえ警固の労が多い」と言い訳し、場を取り繕った。義澄は苛立ちを抑えられず、「何か上手く行っておらぬ」と不安を吐露する。
弥次郎の進言と新九郎の名
場が静まると、弥次郎が一歩進み出て「兄・伊勢新九郎が駿河におります」と名乗る。政元はそれを承知しており、「父・盛定は公方家に仕えながら何も為せなかったが、新九郎は違う」と評した。弥次郎は「兄は堀越公方家への忠義を尽くしており、いまは骨身を削る思いでおります」と訴え、兄弟の再起を願い出る。
密談と一声の約束
弥次郎は「御所(将軍)の一声があれば、一度大きく働きたい」と申し出る。政元は慎重に応じ、「失敗した時は兄の独断とすればよい」と冷静に策を巡らせた。弥次郎はその狡猾なやり取りを理解し、笑みを浮かべて「一声で動きます」と誓う。
政元は「このことは義澄にも真宗にも漏らすな」と念を押し、両者は密約を交わした。
物語は、伊勢兄弟と細川政元の思惑が京と伊豆の両面で動き出す予兆を残して幕を閉じる。
第141話 謀り事
弥次郎の策略の始動
弥次郎盛興は将軍・足利義澄のもとを訪ね、兄・新九郎の名を掲げて伊豆の動向を報告する。彼は「兄は粗忽だが忠節者である」と語り、義澄の一声さえあれば新九郎が堀越茶々丸討伐に動けると進言した。義澄はその提案に興味を示し、弥次郎の狙い通り、討伐計画が現実味を帯び始める。
義澄の慎重な態度と弥次郎の説得
義澄は「兵は足りるか」「今川勢に命を出すべきか」と逡巡するが、弥次郎は「兄一人に任せればよい」と断言する。彼は「粗忽ではあるが、悪知恵だけは長けております」と新九郎を持ち上げ、義澄の決断を促した。義澄は次第に弥次郎の言葉に引き込まれていった。
偽文書の提案と義澄の改名
弥次郎はさらに策を重ね、「御所様のご署名をいただければ、兄が動きやすくなる」と偽文書作成をほのめかす。義澄はすでに改名して「義遐(よしはる)」と名乗っていたが、弥次郎は「東国ではまだ伝わっておりませぬ」と指摘し、「旧名『義遐』の署名を用いるべき」と勧めた。
義澄は「それは立派な偽文書だな」と皮肉を言いつつも、最終的に同意する。
弥次郎の確信と進展
弥次郎は「万が一露見しても、御所様は知らぬ存ぜぬで押し通せばよい」と進言し、義澄もこれを了承。弥次郎は内心で「これで兄を動かす一声を得た」と確信する。
一方、同じ京の細川政元邸では、政元が側近たちに「徳阿弥(弥次郎)の策を用意せよ」と命じるが、側近の一人は「反対でございます」と異を唱える。
弥次郎の策謀と政元の思惑が交錯し、伊豆と京を結ぶ新たな火種が生まれようとしていた。
政元邸での論争と反対意見
細川政元の屋敷では、将軍義澄への工作を巡って評議が行われた。側近の上原は政元の功績を称えつつも、細川家の行動が過剰ではないかと指摘する。政元は「攻めの成功は元秀の奔走あってのこと」と述べ、赤松家との婚姻工作などを挙げてその正当性を主張したが、家中の一部は「内衆でも抜きん出た働きとは思えぬ」として強く反対した。議論は紛糾し、政元は渋々「考え直す」と答え、表面上は矛を収めた。
家臣団の不満と嘲笑
評議後、家臣たちは政元の気まぐれを揶揄し、「今出川殿とはウマが合わぬ」と噂した。将軍を入れ替えた前年の経緯を蒸し返し、「薬師寺元一殿が御所様(義澄)に肩入れするのは過ぎたこと」「御屋形様(義材)に従うべきだった」との意見も飛び交う。しかし別の家臣は「すでに京兆家は幕閣の中で確固たる地位を得た。もはや揺るぎようがない」と笑い飛ばし、細川家の優位を誇示した。
義材の消息と前将軍の現状
場面は変わり、前将軍・足利義材のもとに上原元秀が訪れる。元秀は自らの功績が政元に認められたことを報告し、義材に美酒を献上する。義材は感謝を示しつつも、政元からの扱いに皮肉を感じていた。元秀が「政元公は剣術にも長けている」と言うと、義材は「身体を動かさず酒に溺れるのは性に合わぬ」と不満を漏らし、かつての自由を懐かしむ。
義材の小豆島配流決定
やがて元秀は「御所様の御意により、小豆島へお渡りいただくことに」と告げる。これは事実上の配流であった。義材は静かに受け入れ、「鷹狩りや遠乗りもできぬな」と呟いた。
勝者と敗者の対話
結びでは、元秀と義材がかつての陣中を回想する。元秀は「夕陽に向かって走ったあの頃が懐かしい」と語るが、義材は「お断りいたします」と冷ややかに返す。両者の立場の隔たりが決定的となり、「勝者と敗者の他愛ない会話だった」と締めくくられる。
伊勢九郎盛利、豊前守を訪う(伊豆国・外山豊前守館)
伊豆国・外山豊前守館に、九郎盛利が来訪した。盛利は主の名を冠した書状を携え、過去に行われた所領手続きの礼を述べるためであった。豊前守は、その折に伊勢家の助力を受けたことを覚えており、「ことさらに親しくしたわけではないが、恩義は心に残っておる」と語った。盛利は深く頭を下げ、「お困りの際には必ず力を尽くす」と返答した。二人の間に交わされた言葉は、表向きは旧交の確認であったが、背後には伊豆の情勢に対する探り合いの気配があった。
千鶴姫の消息と駿府への転換(駿河国・今川邸)
豊前守がふと、「千鶴姫は駿河でどうしておられるのか」と問うと、場面は駿府へ移る。
足利政知の長女で、堀越公方茶々丸の異母妹にあたる千鶴姫は、今川家の庇護のもと丸子館で静かに暮らしていた。幼いながらも気品に満ちた姿で侍女たちに囲まれ、政治的には今川家の保護を象徴する存在となっていた。
新九郎と伊都の議論(駿府・今川邸)
同じ駿府の今川邸にて、新九郎は姉・伊都を訪ね、千鶴姫の扱いについて意見を交わした。伊都は「まだ九歳の子どもを政略に使うなど、人の心があるのか」と強い憤りを見せた。これに対し新九郎は、「使えるものは何であれ使う」と冷徹に言い放ち、現実主義者としての立場を崩さなかった。伊都は「子を道具にするなど許されぬ」と諫めたが、新九郎は「他家の姫君の行く末を私が決めることはできぬ」と静かに応じた。
そのうえで新九郎は、「先ほど姉上に話した件は、すでにある者たちに示唆しております」と語り、その対象を「伊豆で茶々丸殿から遠避けられている重臣たち」と明かした。彼は駿府で表向き静観を装いながら、裏で堀越公方旧臣を動かす布石を打っていたのである。
豊前守と遠避けられた重臣たちの密議(伊豆・外山豊前守館)
場面は再び伊豆の外山豊前守館に戻る。そこには、茶々丸に疎まれて職を解かれた三名の重臣が豊前守のもとに集まっていた。
彼らは堀越家の再興策を密かに協議しており、その焦点は「正統血統を継ぐ千鶴姫」の存在にあった。
豊前守は沈思の末に言葉を発した。
「千鶴姫のいられる駿河・今川家とも渡りをつけておきたい。伊勢新九郎という者に取次を任せたいのだが、異論はござらぬか?」
重臣たちは即座に首を縦に振り、「豊前殿にお任せいたす」と答えた。
この決定によって、伊豆と駿河を結ぶ新たな政治の糸が結ばれ、後の「堀越公方再興計画」の端緒となった。
龍王丸の来訪
駿河・丸子館に今川龍王丸が訪れ、竹若を呼び出した。竹若は驚きながらも応じ、龍王丸を客間に迎え入れた。互いに挨拶を交わした後、龍王丸は何か良い案を思いついたと語り始めた。
龍王丸の提案
龍王丸は竹若に対し、「元服せずともできることを考えた」として、小鹿家の再建を提案した。竹若はその発想に驚きつつも関心を示し、龍王丸の考えを尋ねた。龍王丸は、自らが元服したら行うつもりであった小鹿家再建を、先に竹若に任せたいと述べた。
元服の勧め
龍王丸は竹若が十七歳になることを踏まえ、「まずは元服せよ」と勧めた。竹若は「龍王丸様より先にですか」と驚いたが、龍王丸は「上手くなってから見せようとするのは遅い」と諭し、挑戦の重要さを説いた。竹若は圧倒されつつも感銘を受け、龍王丸の勢いに押される形で頷いた。
龍王丸の決意と伊都への直談判
龍王丸は話を終えると、「今後のことは追って知らせる」と言い残して席を立った。館を出た後、彼は伊都のもとを訪ねる。伊都は龍王丸の突然の来訪に驚いたが、彼の真剣な様子を見て話を聞く姿勢を取った。龍王丸は「竹若を先に元服させることにした」と告げ、自身はまだ覚悟が定まっていないと前置きした上で、「叔父上に兵を貸してあげてください」と頼み込んだ。伊都はその申し出に戸惑いつつも、龍王丸の真意を探っていた。
第141話 興国寺会談 その1
暴風雨の夜と上原元秀邸
明応二年六月二十九日、京は前夜からの暴風雨に見舞われていた。
その嵐の中、上原元秀邸では「室相中将!」という声が響き、足利義材(室町将軍)が屋外に出ようとするのを家臣が必死に制止していた。家臣・香川三郎は「館にお戻りください、外には出てはなりませぬ」と叫び、将軍の外出を止めようとした。
義材の登場と覚悟
しかし義材は雨に打たれながらも毅然と姿を現し、「このひと月、世話になった故、手荒な真似はしたくないのだ」と静かに告げた。
彼は上原家への礼を尽くしつつも、すでに決意を固めており、「通してくれぬか」と前に進む覚悟を示した。その姿は、嵐の中にあっても揺るがぬ将としての威厳を放っていた。
足利義材の脱出と新九郎の館
香川三郎は「お通しするわけには参りませぬ!」と刀を抜き、必死に阻もうとするも、義材の決意を止めることはできなかった。
この日、上原元秀邸から義材の姿は消え、将軍の幽閉は破られた。
同じ頃、駿河国・富士下方の新九郎居館にも嵐が押し寄せ、「来たか!!」という声が上がる。
将軍の脱出は、駿河と京の両地で新たな動きを引き起こす序章となったのである。
弥次郎の来訪
駿河国・新九郎の館に、弟の弥次郎が姿を見せた。
彼は「石脇の又次郎より伺い参上しました」と述べ、兄のもとへ重要な文書を届ける。
新九郎は「お前が自ら来るとは思わなかった」と驚きつつも、弟の真摯な態度を受け入れた。
弥次郎は「大切な文書です。他人には任せられませんでした」と答え、手ずから書状を差し出した。
香厳院清晃(足利義高、後の義澄)の書状
文書には「源義高」と署名があり、新九郎がその名に目を留める。
弥次郎の説明によれば、この書状は香厳院清晃(足利義高、後の義澄)が発したもので、
六月十九日に義遷から義高へと改名し、その上意によるものであるという。
弥次郎は「御本名で署名すれば偽文書の体を取りづらくなります」と懸念を述べたが、
香厳院清晃は「偽文書など出すつもりはない」ときっぱり否定した。
母と弟の仇討ち命令
書状の内容は、伊豆堀越の義意、円満院、潤童子の仇を討つ命令であった。
香厳院清晃は血の涙を流してその無念を綴り、「堀越茶々丸の首を母と弟の墓前に備えよ」と命じていた。
香厳院清晃は「我が母と弟の仇を討つこと、これが我らの務めである」と語り、
「本名で命じずして何とするか!」と強い意志を弥次郎に示した。
弥次郎はその覚悟を受け止め、深く頭を垂れた。
命日の確認と準備
弥次郎は、七月二日が円満院と潤童子の命日であることを報告する。
その日に法要が営まれる予定であり、香厳院清晃からも号令を出すよう求められていると説明した。
新九郎は「二日しかない」と焦りを見せたが、弥次郎は「御所様も承知の上」と落ち着いて応じた。
今後の対応
新九郎は最終的に「この文書は十日ほど寝かせてから扱う」と決定した。
弥次郎は八郎と阿茶殿を伴っての来訪であり、兄にすべてを託して退出した。
兄弟はそれぞれの立場で、円満院母子の弔いと堀越討伐に向けた覚悟を固めていた。
新九郎と弥次郎の相談
新九郎と弥次郎は、香厳院清晃(足利義高)から受け取った文書の扱いについて話し合った。
新九郎は「この文書は十日ほど寝かせて扱う」と決め、弥次郎も了承した。
弥次郎は、八郎と阿茶を伴って新九郎のもとに来ており、その報告を済ませると今後の予定を確認した。
新九郎は「今日は天候が悪いので、近いうちに自分が迎えに行く」と述べ、法永の館に滞在中の者たちを気遣った。
長谷川法永の館への滞在
八郎は、船旅の疲れを癒すため阿茶を長谷川法永の館へ案内したと説明した。
法永は穏やかに二人をもてなし、「ようこそ小川においでくださいました」と笑顔で迎えた。
八郎は法永とその息子・次郎左衛門を前に、「叔母がすっかり参っておりますので、一日二日お世話になると思います」と伝え、礼を尽くした。
法永は「ご遠慮を召されるな」と答え、次郎左衛門も「父の申す通りです」と応じて場は和やかに進んだ。
阿茶の病状
その後、別室では阿茶が伏せっていた。
長旅と気候の変化により体調を崩しており、回復には時間を要する様子であった。
新九郎の移動と興国寺の印象
六月三十日、富士下方の東端地域へ向かった新九郎は、馬上から興国寺を望んだ。
「この寺はいいな」と呟き、その立地と規模に深い関心を示す。
同行していた大道寺太郎は「まず沼津の湾が近い」と説明し、新九郎は「伊豆を攻める時は興国寺を本拠にしたい」と構想を語った。
大道寺太郎は「あの寺は複雑では」と返すが、新九郎は「そこだな」と答え、あえてその地を選ぶ意志を見せた。
義高の決意と伊勢守の焦燥
七月一日、足利義高(後の義澄)は、母・円満院と弟・潤童子の法要に臨み、今出川(足利義材)の行方を伊勢伊勢守貞宗に尋ねた。貞宗は京兆家が探索を続けていると答えたが、義高は「母と弟の仇を討つ」との強い意志を表明した。貞宗は、公的な命令がまだ出ていないことを理由に慎重な対応を求めたが、義高は「公儀などあてにせぬ」と言い切り、すでに決意を固めていた。
伊勢守の訪問と新九郎への疑念
伊勢守貞宗は、伊勢家邸内の新九郎居宅を訪れ、正鎮(伊勢盛定)と面会した。貞宗は「新九郎が伊豆で何か行動していないか」と探りを入れたが、正鎮は「何も聞いておらぬ」と答え、自らは楽隠居で新九郎と直接の相談はないと述べた。
貞宗は、以前に新九郎から「伊豆で何が起きても見て見ぬふりをしてほしい」と言われたことを明かし、正鎮は一瞬緊張を見せた。
貞宗は「独断でそんなことをする男ではない」としながらも、新九郎の真意を測りかねていた。
会話の終わりに、貞宗は「弥次郎と八郎が京にいない」と伝え、何かあれば知らせてほしいと頼んだ。正鎮はそれを了承し、貞宗は不安を残したまま屋敷を後にした。
正鎮とぬいの対話
貞宗の退席後、正鎮のもとにぬいが現れ、伊勢守が帰ったことを告げた。正鎮は「忙しい男だ」と述べ、新御所(義高)の政務を一手に担っている状況を語ったうえで、「右京大夫(細川政元)は実務で頼りにならぬ」と嘆いた。
さらに、正鎮は「今日は少し腹が立った」と続け、貞宗が新九郎を過小評価したことに不快感を示した。彼は、新九郎が細部にまで気を配る几帳面な性格であることを例に挙げ、「あの性格をもってしても大きな決断ができぬと決めつけられては腹が立つ」と語った。ぬいはそれを聞き、「伊勢守様がそのようなことを? 失礼しちゃいますね」と憤り、正鎮も同意して苦笑した。
静かな幕引き
二人のやりとりの最中、奉公人が現れ、「大殿様、お客様がお見えでございます」と告げた。正鎮は表情を引き締め、応対へと向かう。屋敷には静かな緊張が残り、伊豆で動き始めた新九郎の影が、誰にも見えぬまま確実に迫りつつあった。
奉公衆の動向と新九郎の近況
駿河国小川の長谷川邸では、新九郎と弥次郎が奉公衆の情勢について語り合っていた。
弥次郎は「父・正鎮が現役奉公衆の相談役のような立場にあり、伊奈弾正忠と共に長老格として影響力を持っている」と述べた。奉公方は先の政変以来分裂気味であり、今後の進退を模索する者も多いという。
正鎮は東国を「まだ見ぬフロンティア」と称して鼓舞しており、弥次郎は「そのうち誰かが兄上(新九郎)を頼ってくるかもしれぬ」と笑った。さらに義姉・ぬいが「義父上は悪徳ブローカーみたい」と評したことも伝えた。
弥次郎は冗談めかして「自分も兄に使ってほしい」と申し出たが、新九郎は「加賀守家はどうする気だ」とたしなめ、余裕のなさをにじませた。
阿茶の回復と縁談の話
そこへ八郎と阿茶が訪れた。阿茶は病み上がりで、「二日間休めて回復した」と新九郎に報告した。
新九郎は「阿茶にはよい話がある」と切り出し、以前に約束した縁談を持ち出した。相手は在国奉公衆・葛山備中守の嫡男・幸松であり、まだ元服前ながら将来有望な家柄であった。新九郎は「婚約という形で縁を結び、阿茶に行ってもらいたい」と命じた。
阿茶の拒絶と伊都の怒り
しかし阿茶は即座に「いやです」と拒否し、周囲を驚かせた。八郎が「悪い話ではない」と諭したが、阿茶は「良い話でも悪い話でも、嫌なものは嫌」と言い切った。さらに「鄙の地の方に嫁ぐのはいや。こんな話なら京に帰ります」とまで言い出し、新九郎は「勝手なことを申すな。先方にも打診している」と叱責した。
その後、場面は丸子館に移り、伊都が新九郎を厳しく問い詰めた。伊都は「阿茶は富士遊覧を勧められて下向しただけで、縁談など聞いていない」と怒り、「身内に騙し討ちのような手を使うのか」と非難した。
堀越攻めの構想
新九郎は「葛山家は奉公衆の中でも独立心が強く、これを動かさねば堀越攻めは成らぬ」と説明した。
今川家からの助力が得られず、奉公方だけでは兵力が不足しているため、葛山との縁組を“土産”にして協力を得ようと考えたのである。
伊都は「それが妹を政略に使う理由なのか」と冷ややかに返し、「たしかに今川との繋がりも強くなるかもしれないが、阿茶にとっては悪い話だ」と断じた。
姉弟の対立と忠告
新九郎が「武家の女は家のために役を果たすものだ」と主張すると、伊都は「私の時は騙し討ちじゃなかった」と強く反論した。
さらに「千鶴殿の一件といい、人を道具としか見ていない」と指摘し、「戦に勝つためならなおさら、あなたの最大の武器――嘘をつかない誠実さ――を思い出しなさい」と説いた。
「妹を騙して便利使いすれば、身内の信頼を失う」と釘を刺し、「阿茶はしばらく丸子で預かる。説得はしない」と言い残して立ち去った。
興国寺での会談と苦境
数日後、新九郎は興国寺で葛山氏堯と会談した。
新九郎は「阿野庄(富士下方の一角)に兵を入れたい」と申し出たが、葛山家が禁制を出しているとの噂を聞き、その真偽を確かめに来たと説明した。
氏堯は「以前の領主が何もせぬままだった」と認めつつも、「今日は妹御との面会のために息子を連れてきた」と述べた。
新九郎はとっさに「妹・阿茶は急に体調を崩した」と取り繕ったが、内心では「葛山への土産が何もない」と焦りを隠せずにいた。
第142話 興国寺会談 その2
葛山氏尭との再会と新九郎の思惑
興国寺での会談を控え、新九郎は阿茶の欠席による不都合を案じていた。
妹との縁組を材料にした同盟案が崩れた以上、葛山家との関係を利害によって結ぶしかないと考える。
しかし、下手に条件を提示すれば足元を見られかねず、彼は「こちらの計画を率直に打ち明けてみるか」と覚悟を固めていた。
初姫の登場
そこへ、葛山氏尭の娘・初姫が女官の多岐を伴い、興国寺に参詣していた。
初姫は庭先に佇む新九郎を目に留め、「なんだか禅寺のお坊様のよう」と興味を抱く。
多岐がたしなめるも、初姫は新九郎の品格に惹かれ、つい視線を向け続けていた。
新九郎も彼女に気づき、「市女笠に虫の垂衣とは古風で趣き深い」と声をかけた。
新九郎と初姫の初対面
新九郎は「さぞや高貴な姫君とお見受けいたす」と丁寧に言葉をかけたが、初姫は緊張のあまり赤面し、「私の顔に何かついていますか?」と狼狽した。
多岐が取り繕おうとしたが、初姫は「後は任せます!」と女官の背に隠れてしまい、周囲は一時騒然となった。
氏尭の登場と叱責
その騒ぎを聞きつけた葛山氏尭が現れ、「その大声は多岐だな!? 初も一緒か!」と怒鳴った。
多岐が「大山寺の方から物詣でに参った」と説明すると、氏尭は「女どもだけでか!? 道中で何かあったらどうする!」とさらに叱責した。
多岐が「太郎左殿が門外で警固しております」と答えると、氏尭は「太郎左は女たらしだから近づけるなと言ったはずだ!」と憤った。
親子のやり取りと幸松丸の登場
新九郎が「姫御でござるか?」と尋ねると、氏尭は「ひとり娘でござる」と答え、「はしたない娘でお恥ずかしい」と苦笑した。
さらに「参詣が済んだら早々に帰れ。幸松丸、姉を館まで送ってやれ!」と命じ、場を収めた。
幸松丸は「姉上、館までお送りいたします!」と素直に応じ、その様子を見た新九郎は「姫御を慈しんでおられるようですな」と感想を述べた。
氏尭は笑いながら「ほれた女の娘ですからな」と語り、妻への愛情の深さを明かした。
新九郎の内心と新たな発見
新九郎が「姫御は葛山からここまで?」と尋ねると、氏尭は「母親と共に沢田の館に住んでいる」と答えた。
「沢田からここまでなら女子の足でも難しくはない」と語る氏尭の言葉から、新九郎は周辺がすでに葛山家の勢力圏であることを悟り、内心で驚きを隠せなかった。
「女たちが自由に往来できるほどの支配力……この地は完全に葛山の手中にある」と分析したのである。
話題の転換と再交渉の予感
最後に氏尭は、「さて、縁組の話は先送りになり申したゆえ、この寺に兵を入れたいという話に戻しますかな」と切り出した。
新九郎は阿茶を欠いたまま、再び政治的な交渉の場へ引き戻されることとなる。
堀越攻めの真意を問う
葛山氏堯は、新九郎が興国寺に兵を入れようとする意図を問いただした。
氏堯は「今川家が関東に出兵する理由はないはず」と訝しみ、寺域を押さえる必要性を疑問視した。
新九郎は「この地をお借りしたいだけ」と述べ、表向きには控えめな姿勢を示したが、内心では伊豆侵攻の拠点とする意図を隠していた。
葛山の懸念と新九郎の説明
氏堯は「興国寺に兵を入れれば、葛山が今川と結託したと見なされる」と指摘し、地域内での誤解を懸念した。
それに対し新九郎は、「私が睨んでいるのは堀越であり、葛山を巻き込む意図はない」と明言した。
彼はさらに「命により堀越公方・足利茶々丸を討つ」と告げ、京からの正式な命令であることを強調した。
堀越討伐の命と氏堯の反応
新九郎の発言に、氏堯は驚愕の表情を見せた。
「堀越殿を討つとは、伊勢殿がなさるのか」と問い直し、新九郎の覚悟を確かめた。
新九郎は「御所様の奉公衆として命に従う」と断言し、たとえ一騎であっても伊豆に乗り込む覚悟を示した。
氏堯はその熱意を認めつつも、「それでは混乱を招く」と慎重な態度を崩さなかった。
混乱の懸念と阿野郷の支配権
新九郎は、堀越攻めが成功しても「伊豆のその後」が問題となると説明した。
氏堯は「機を見て、伊豆側の阿野郷を押さえれば、葛山の勢力拡大になる」と語り、私益への思惑をのぞかせた。
新九郎はそれを見抜き、「この寺を使い、伊豆への出入りを円滑にする拠点としたい」と提案した。
両者は実利を軸とした交渉に移り、戦略的利害が静かに交錯した。
氏堯の保留と新九郎の焦燥
氏堯は「話が大きくなった」と述べ、即答を避けた。
「家老らとも合議し、後日返答する」として会談を一旦終えた。
新九郎は、阿茶の不在による不手際を悔やみながらも、堀越攻めの足がかりを得るための糸口を模索し続けた。
静寂の中、興国寺の山風が吹き抜け、交渉の行方を暗示するように場面は締めくくられた。
新九郎の苦悩と反省
興国寺での会談を終えた新九郎は、帰路の途中で深いため息をついていた。
「参ったな。手の内を明かしてしまったぞ」と漏らし、当初は自らの態勢を固めてから葛山氏を巻き込む計画であったことを悔やんだ。
護衛の彦次郎は、「葛山はこちらを侮っております」と冷静に指摘し、
「舐めているからこそ、出方次第で大慌てさせることも可能」と進言した。
新九郎はそれを聞き、今後の策を静かに練り直した。
氏堯の分析と慎重な判断
一方、葛山氏堯は興国寺での新九郎との会談を振り返っていた。
「単騎で堀越に殴り込むだと? 威勢はいいが、たどり着く前に討たれるのが関の山よ」と冷笑しつつも、
新九郎の過去の駿府攻めを思い出し、「小鹿新五郎を相手にした手際は悪くなかった」と一定の評価を口にした。
しかし、それも「今川の有力家臣を味方につけた結果にすぎぬ」と断じ、
「あの口ぶりでは今川の協力を得られておらぬ。堀越攻めなど夢のまた夢」と結論づけた。
重臣の進言と今川家の影
氏堯の重臣・半田惣左衛門は異を唱え、「しかし殿、あの男は今川家御後室の弟。泣きついて今川の兵を引っ張ることもあるやもしれませぬ」と進言した。
氏堯はその可能性を否定しきれず、「そうなれば堀越攻めにも現実味が出てこよう」と一考したが、
最終的に「京の御所様がいかなる命を下したのかが判らぬ以上、軽挙はできぬ。しばし様子を見る」と慎重な姿勢を崩さなかった。
静かな均衡の時
両者はそれぞれに計算と警戒を抱きつつ、直接の行動には移らなかった。
伊豆・興国寺周辺の情勢は一時的に膠着し、静けさの裏に緊張が張り詰める状況となっていた。
物語は、次なる策謀と戦の火種が静かに燻る場面で幕を閉じている。
小鹿家再興と新五郎の誕生
七月中旬、丸子の今川館にて小鹿竹若丸の元服の儀が行われた。
新九郎が烏帽子親を務め、「今川新五郎範続」が誕生したのである。
範続は「駿河守護家の御為に身命を賭して働く」と誓い、小鹿家旧臣たちは感涙にむせんだ。
儀式の後、伊都は息子・龍王丸に対し「旧臣を竹若の許へ戻すこと」を不安視したが、
龍王丸は「母上が育てた子です。必ず我が家のために働きます」と断言した。
瀬名一秀も「新九郎殿が反対せず烏帽子親となった以上、問題はございません」と述べ、伊都は安堵した。
新九郎の帰還と朗報
翌日、石脇城館に戻った新九郎は、大道寺太郎から「伊豆より権兵衛が帰還した」と知らされる。
権兵衛は「雲見の高橋左近将監殿、説得成りましてございます」と報告し、
新九郎は歓喜して「成ったか!」と声を上げた。
さらに権兵衛は「近隣国人の説得も任せよ、ただし奉公方の富永四郎左衛門殿が所領に籠もっております」と伝える。
理由は「茶々丸殿が近習を次々任命することに不満を抱いたため」とのことであった。
新九郎は「所領安堵を約すれば味方に引き込める」と判断し、交渉の糸口を得た。
阿茶との対立と縁談破談の危機
その一方で、新九郎は妹・阿茶との縁談をめぐり苦戦していた。
阿茶は「いやなものはいやです」と強く拒絶し、新九郎は「女子は家のために嫁ぐもの」と諭すが通じない。
仲介役の八郎は「叔母上を元気づけるための外出が、まさか縁談に発展するとは」と抗議した。
さらに阿茶は「兄らしいことをされた覚えはありません」とまで言い切り、
新九郎は「それを言われると辛い」と苦悩する。
最終的に阿茶は「嫁げと言うなら尼になりまする」と宣言し、髪を切ろうとするのを新九郎が必死に止めた。
初姫の恋心と氏堯の警戒
数日後、沢田の葛山邸では、氏堯が娘・初姫の様子を気にかけていた。
初姫は「興国寺の会所で見かけた殿方」――すなわち伊勢新九郎のことを思い出し、
顔を赤らめながら「どちらの方か」と問う。
氏堯は「あれは京下りの文官、今川家後室の弟・伊勢新九郎だ」と説明し、
その功績を簡潔に述べた。
初姫は「姿のよろしいお方でした」と呟き、父は「背筋を崩さぬ男だった」と回想した。
しかし娘の様子を察した氏堯は「何を考えておる!? あれは父と歳も変わらぬ男ぞ!」と激昂した。
阿茶の決意と兄妹の和解
一方、新九郎は阿茶との対話を続けていた。
彼は「兄として頼みを聞いてくれ」と懇願するが、阿茶は「兄上から兄らしいことをしてもらった覚えがありません」と返す。
それでも新九郎の誠意を見て、阿茶は「わかりました。どうしてもと仰るなら嫁ぎます」と承諾した。
兄妹の間にわずかな理解が生まれたが、新九郎の心には複雑な思いが残った。
父娘の会話と初姫の興味
その後、沢田の邸にて初姫は再び新九郎のことを話題にした。
氏堯は「興国寺によく行っておるわけではない」と答えたが、
初姫は「またいらっしゃいますか? 奥様はいらっしゃるのかしら」と呟き、
恋慕の情を隠せなかった。
氏堯は「待て初、何を考えておる! あれは父と歳の違わぬ男だ!」と狼狽し、
娘の心の変化に頭を抱えた。
終章:新九郎の独白と次章への布石
場面は再び新九郎に戻り、
「齢三十八にして女子の気持ちが理解らぬ……」と独りごちる姿で章が閉じられる。
氏堯の家では初姫が想いを募らせ、新九郎は妹や政事に振り回される日々を送る。
それぞれの思惑と感情が交錯する中、
次回「満を持す」への幕引きとして、物語は新たな局面へ移行する構成となっていた。
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