小説「オルクセン王国史 1 第一部 へいわなオークのくに」感想・ネタバレ

小説「オルクセン王国史 1 第一部 へいわなオークのくに」感想・ネタバレ

物語の概要

物語の概要

本作は異世界ファンタジーに分類される作品である。「銃と魔法」が共存する時代を舞台とし、オーク族を中心とする魔種族連合国家「オルクセン王国」と、美しく高潔とされるエルフ族の国家「エルフィンド王国」との長年にわたる対立を描いている。故国を失ったダークエルフ氏族長がオルクセンに身を寄せ、異種族国家の形成・国力増強・そして旧敵対国エルフィンドに対する革命的な行動へと発展していった経緯が語られる。

主要キャラクター

  • グスタフ・ファルケンハイン:オルクセン王国国王。オーク族出身で、魔種族連合国家を統率し多民族国家として王国を成長させた。
  • ディネルース・アンダリエル:ダークエルフ氏族長。故国エルフィンドで迫害を受け、オルクセン王国に亡命。後に軍団を率いて王国軍内で重職に就く。

物語の特徴

本作の特徴として、まず「オーク=野蛮」「エルフ=高潔」という既成のファンタジー構図を敢えて逆転させている点が挙げられる。美しいエルフ国家が排他的・加害的に描かれ、かたや“野蛮”とされるオーク国家が理知的・統率的に国家運営を行う構図が新鮮である。また、「銃と魔法」が共存する近代化段階にある異世界という設定により、軍事・兵站・国家運営といった重厚な要素も強く描かれており、単なる冒険物語を超えた戦記・史劇としての読み応えをもたらしている。

書籍情報

オルクセン王国史~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~
著者:樽見京一郎 氏
イラスト:THORES柴本  氏
出版社:一二三書房
レーベル:サーガフォレスト
発売日:2023年12月15日
ISBN:978-4824200754

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あらすじ・内容

「銃と魔法」の時代。オーク族を筆頭に多数の魔種族を擁する連合国家オルクセンと、美しいエルフたちの国エルフィンド。歴史的対立を深める両国家の国境で、オークの王グスタフと、故国を追われたダークエルフ氏族長ディネルースは、運命の邂逅を遂げた……。平和なエルフの国を、野蛮なオークが焼き尽くす――そんな「異世界ファンタジーあるある」の常識を覆した異世界戦記がここに誕生!

オルクセン王国史~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~ 1

感想

物語の舞台は、「銃と魔法」が共存する世界である。オーク族の国オルクセンと、エルフの国エルフィンドとの対立が軸にあり、とくに今巻はダークエルフへの迫害と民族浄化が、重くのしかかるテーマとして描かれていた。

物語は、白エルフに追われ、国境の大河シルヴァンを越えて逃げてきたダークエルフの氏族長ディネルースが、瀕死の重傷を負ったところを、オークの王グスタフに救われる場面から始まる。
ここでディネルースは「人を喰う野蛮な魔物」と教え込まれてきたオーク像と、医者や看護婦を備えた近代的な山荘での手厚い治療という現実とのギャップに直面し、価値観を揺さぶられていった。
やがて自分たちの村々が焼かれ、ダークエルフだけが体系的に狩り立てられていた事実が告白され、エルフィンドで起きていることが民族浄化そのものだと明示されていく。

一方のオルクセンは、食人を法で禁じ、多種族を受け入れ、農業・工業・魔術技術を組み合わせて発展してきた「文明国家」として描かれいた。
イメージはドイツか?
首都ヴィルトシュヴァインの様子や、鉄道・砲・工場・冷蔵技術、徹底的に考え抜かれた兵站と軍制など、人間の近代国家を思わせる要素が緻密に積み重ねられていくのがとても面白い。また、大食漢なオークたちが作る料理の描写がやたらと美味しそうで、燻製肉やスープ、パンといった食事シーンは完全に飯テロであった。

ディネルースたちダークエルフは、やがてオルクセンへの集団移住を受け入れ、グスタフの庇護のもとに新しい旅団「アンファングリア」として編成される。
ここからは、種族特性を活かした騎兵旅団構想、師団対抗演習、鉄道機動や兵站・魔術通信を含めた近代戦術の図上演習など、本格的な軍事パートが続く。
オークの体力を前提に携行弾薬を増やす発想や、大鷲の空中偵察と魔術探知を絡めた索敵など、「種族×技術×ドクトリン」を組み合わせた戦い方が丁寧に描かれておりなかなかに面白い。

読み進めるうちに、グスタフがなぜここまで異質な発想と近代的な知識を持っているのか、自身には「コイツ、転生者ではないか」という疑念が自然と浮かぶ。
そして終盤、その推測がほぼそのままの形で明かされ。
大きな驚きというより、「あぁ、やはりそうか」と腑に落ちる。
彼の国家観や行動原理に一本筋が通ることで、今後どこまで世界を変えていくのかという期待がむしろ強まった。

外伝「狼は眠らない」では、アンファングリア旅団に属する猟兵ウルフェンの視点から、射撃訓練とダークエルフ兵の内面が掘り下げられる。
白エルフに家族と村を奪われた彼女が、喚き散らすのではなく、黙々と技量を研ぎ澄ませる姿は、まさに「獲物を決めた狼は眠らない」というタイトルそのものだった。
民族浄化で傷ついた者たちが、それでも生きて戦うために自分の武器を磨く物語として、とても印象に残るエピソードである。

白エルフに虐げられた種族がオルクセンに集い、産業と軍事力を積み上げていく。その裏側には、転生者グスタフの存在と、ダークエルフたちの復讐心がある。
オルクセンがこれからどのような戦争と政治の局面に踏み込んでいくのか。ディネルースと仲間たちは、本当に故国への復讐を果たせるのか。
重厚な世界観と緻密な戦記描写ゆえに、続きが非常に気になる作品である。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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登場キャラクター

グスタフ・ファルケンハイン

オルクセン王国を統べるオーク族の王であり、狩猟を好みつつも農業・工業・軍制を一体で運営する統治者である。天候を左右する特異な魔術と、異世界の記憶に基づく長期的な国家観を持ち、ディネルースら亡命民を受け入れて多種族国家を形づくっている。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国・国王。陸軍最高指揮官。

・物語内での具体的な行動や成果
 シルヴァン川沿いの巻狩りで重傷のディネルースを救助し、エリクシエルで治療させた。
 ダークエルフ迫害の実態を聞き取り、武器供与だけでなくオルクセンへの集団移住を提案した。
 第一七山岳猟兵師団などを動かし、ダークエルフ約一万二千名の大脱出と渡河を実現させた。
 師団対抗演習を主導し、鉄道機動・兵站・諸兵科連合戦術の検証と、第六号作戦計画の修正を行った。
 浮橋事故では演習中止と全軍捜索を命じ、天候操作で雨を止めてタウベルト救出の条件を整えた。
 図書室で自らの転生と前世の知識をディネルースに明かし、軍事改革の背景を共有した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 かつての「食人を行うオークの国」を改革し、種族間捕食を禁じる国法を定めた。
 巨狼・ドワーフ・コボルト・大鷲など多種族を受け入れ、国家と軍を一体運用する体制を築いている。
 天候を操る力により、過去には戦場と農業の双方で国を幾度も飢えと敗北から救ってきた。
 アンファングリア旅団を国王直轄部隊として編成し、首都防衛と政治的示威の両面で用いている。
 ディネルースに対して個人的な好意を抱きつつも、その立場と過去をおもんぱかり、慎重な距離感を保ってきた。

ディネルース・アンダリエル

ダークエルフの氏族長であり、白エルフによる迫害と虐殺から一族を導いた指導者である。強い復讐心と同時に、現実的な判断力と学習能力を持ち、オルクセン軍の一角として新たな戦い方を身につけている。

・所属組織、地位や役職
 ダークエルフ氏族の長。アンファングリア旅団・旅団長(少将)。

・物語内での具体的な行動や成果
 シルヴァン川渡河中に銃撃を受けて倒れたが、救助後は仲間十四名との再会を果たした。
 白エルフによる民族浄化の経緯をグスタフに証言し、虐殺の実態と偽史を明らかにした。
 ダークエルフ全体の移住提案を受け入れ、各氏族との連絡と脱出の指揮を引き受けた。
 最終渡河では最後尾で一二〇〇名の渡河完了を確認し、自らも渡り切ったのち王に脱出人数を問いただした。
 王への忠誠を宣言し、「命は王ひとりのもの」と述べてオルクセンへの帰属を明確にした。
 将軍たちの丘での演習視察に参加し、鉄道動員・兵站・諸兵科連合戦術の特徴を観察した。
 魔術探知と通信に三角測量を導入する案を示し、参謀本部に大きな影響を与えた。
 指揮官の派手な軍装が狙撃の標的になる危険を指摘し、将校装備の簡素化決定を引き出した。
 閲兵式ではアンファングリア旅団を率いて行進し、復讐の意思を込めた旅団歌を披露させた。
 図書室でグスタフの異世界出身を見抜き、互いの来歴と感情について踏み込んだ対話を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 エルフィンドでは国境防衛の戦士であったが、祖国喪失後は亡命民を率いる軍事指導者へと立場が変わった。
 オルクセン側では旅団長として、騎兵三連隊と山岳猟兵連隊などから成る機動部隊を統括する地位を得た。
 王と参謀本部からは、戦術眼と異なる文化背景を持つ軍人として重視されている。
 グスタフとの関係は、主君と臣下であると同時に、個人的な好意と信頼を含んだものへと変化している。

アドヴィン

巨狼族の戦士であり、グスタフの側に常に付き従う護衛である。戦場と日常の双方で王の行動を支え、多種族間の橋渡し役も担っている。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国軍・巨狼部隊。国王グスタフの近衛的立場。

・物語内での具体的な行動や成果
 国境での巻狩りの際、負傷したディネルースの匂いを嗅ぎ取り、遠吠えで王を呼び寄せた。
 過去には、崖から落ちたグスタフを救い出してゼーベックとシュヴェーリンのところへ運んだ。
 師団対抗演習や視察にも随行し、王の安全を守りながら各将官と同席した。
 旅団名候補として挙がった巨狼始祖「アンファングリア」の名を承認し、ダークエルフへの継承を勧めた。
 ディネルースに「白エルフどもをその顎にかけよ」と告げ、復讐の象徴として名を託した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 グスタフと他種族の信頼関係を築く最初期の存在として、王の推戴過程にも関わった。
 巨狼族としての威圧感と同時に、言葉を選んで話す姿勢により、ダークエルフ側からも尊敬を受けている。

ヴェルナー・ラインダース

大鷲族の将官であり、空中偵察部隊を率いる少将である。過去にエルフィンドでディネルースと遭遇した経験を持ち、その記憶を越えて協力関係を築きつつある。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国軍・大鷲偵察部隊長。少将。

・物語内での具体的な行動や成果
 師団対抗演習で上空から滑空し、「将軍たちの丘」に着地してグスタフに敬礼した。
 大鷲部隊による天候観測と空中偵察の任務内容をディネルースに説明し、新戦術の概要を伝えた。
 過去に狩猟中のディネルースに狙われたが、撃たれずに逃れた出来事を認め、言葉の棘を詫びた。
 自らの白い羽根を抜いてディネルースの軍帽飾りとして渡し、和解の意思を示した。
 巨狼・ドワーフ・コボルトがダークエルフを簡単に受け入れられない心情を、慎重な言葉で説明した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 空からの偵察と魔術通信を組み合わせることで、諸兵科連合戦術の要となっている。
 大鷲部隊は今後、三角測量を用いた索敵研究を任される予定であり、その中心的存在である。

ヴィルヘルム・ゼーベック(ゼーベック上級大将)

オルクセン陸軍参謀総長として、作戦・兵站・通信・地誌を統括する上級大将である。大規模作戦計画と兵站理論をまとめ上げ、軍が国家を動かす仕組みを設計している。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国軍・参謀本部。参謀総長・上級大将。

・物語内での具体的な行動や成果
 師団対抗演習において、演習目的と対エルフィンド第六号作戦計画の内容を各将官に説明した。
 北部とベレリアント半島を描いた地図上で、五十万規模の兵棋演習を進行させた。
 浮橋事故後の参謀本部演習では、輜重縦列の限界と兵站停滞の条件を整理した。
 その結果として、やむを得ない場合の現地調達を正規行為として認める方針をまとめた。
 ディネルースの魔術探知三角測量案を受け、作戦前の魔術通信封止と逆探知活用の方針を採用した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 国有鉄道・電信網・食糧庫・動員制度を一体で運用する参謀本部体制の中心人物である。
 グスタフとシュヴェーリン、アドヴィンと共に、オルクセン軍を支える「核」として位置づけられている。

アロイジウス・シュヴェーリン

北部軍を指揮する上級大将であり、右眉から口元まで古傷を持つ老練な指揮官である。過去のロザリンド渓谷戦ではエルフ軍と激しく戦った経歴を持つ。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国軍・北部軍司令官。上級大将。

・物語内での具体的な行動や成果
 師団対抗演習のため騎馬で「将軍たちの丘」に到着し、ディネルースへ過去の戦いの話を求めた。
 青軍側の繞回作戦について、二〜四日の無茶を許容すべきだという現場寄りの意見を述べた。
 略帽とサーベル布巻きの決定には騎士的誇りから反発したが、王の説明を受けて了承した。
 グスタフの若き日の慈雨の奇跡を語り、王が選ばれた理由をディネルースに伝えた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 かつてロザリンド渓谷で敗北を経験したが、その教訓を踏まえて現代戦の指揮にあたっている。
 現場感覚を重んじる姿勢により、前線指揮官からの信頼が厚い重鎮である。

リア・エフィルディス

アンファングリア旅団の兵站を担当するダークエルフ将校であり、物資管理と魔術感知に優れた視点を持つ。オルクセン式兵站システムに学びながら、新たな管理法の芽を生み出している。

・所属組織、地位や役職
 アンファングリア旅団・兵站将校。ダークエルフ。

・物語内での具体的な行動や成果
 青軍側兵站駅を視察し、貨物ホーム・輜重馬車・木箱などの規格化された構造を確認した。
 生鮮食料用木箱の冷却刻印魔術の残滓を感知し、刻印の違いで中身を判別できる案をコボルト曹長に示した。
 浮橋崩壊現場に先行して到着し、葦の下からタウベルトを発見して救助した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 彼女の提案は、後に軍と市民社会の物流を変える「刻印魔術式物品管理法」に発展する種となる。
 兵站視点からの観察と提案により、ダークエルフ旅団の価値を戦術面以外にも広げている。

フロリアン・タウベルト

コボルト族の輜重兵であり、商家出身の若い兵士である。軍で技能兵資格を得て、将来の進学を目指しながら兵站任務に従事している。

・所属組織、地位や役職
 オルクセン王国軍・第七擲弾兵師団補給大隊。コボルト輜重兵。

・物語内での具体的な行動や成果
 大演習で浮橋を使った繞回補給任務に参加し、前線へ温かいジャガイモを届けようとしていた。
 増水と泥濘で不安定になった浮橋上で重輜重馬車の転落に巻き込まれ、川へ落ちて行方不明になった。
 リアの捜索により葦の下から発見され、救助されて一命を取り留めた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 徴兵制度を通じて技能兵資格を得ており、商業大学への進学を目標としていた。
 この演習では過失なく事故に巻き込まれた存在として描かれ、兵站任務の危険性を象徴している。
 後の戦争で戦死することが示されており、平時演習での救出が一時的な猶予であったことが示唆されている。

ウルフェン・マレグディス

山村出身のダークエルフ猟兵であり、実射訓練で頭角を現した二等兵である。寡黙で執念深い射手として、仲間から「眠らない狼」のようだと評されている。

・所属組織、地位や役職
 アンファングリア旅団・猟兵連隊所属二等兵。

・物語内での具体的な行動や成果
 被服支給や体力訓練、座学を経たのち、三百メートル射撃教練で高得点を連続して記録した。
 猟師としての経験を生かし、教官の指導を取り入れながら選抜射手訓練の対象となった。
 優秀な成績により、長銃身のGew七四を与えられ、狙撃手として特別訓練を受けるようになった。
 毎朝早く起きて小銃整備と射撃練習を続け、夜は他の兵と同じく装備の手入れを欠かさなかった。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 白エルフに村と氏族長を奪われた過去を持ち、その喪失を表に出さず技量向上に向けて静かに燃やしている。
 同僚たちからは、その執念と集中力が巨狼の追跡に重ねられ、精神的な支えとして見られている。

展開まとめ

第一部 へいわなオークのくに

第一章 国境の大河

国境の大河シルヴァンと狩猟を兼ねた偵察

グスタフ・ファルケンハインは、趣味と実益を兼ねて国境の大河シルヴァン流域で巻狩りを行っていた。かつてドワーフの国があったものの今は滅亡し、入植地や街道も古びたこの一帯は、国境線が複雑に入り組んだ未確定地域であり、将来の戦場候補地でもあった。そのためグスタフは側近たちを従え、地形や植生、天候を自らの足で確かめつつ狩場を駆け巡り、七頭のヘラジカと十羽ほどの雉を仕留めて今宵の宴を楽しみにしていたのである。

巨狼アドヴィンが導いた負傷した闇エルフとの遭遇

狩りが終わった後、巨狼族の一頭アドヴィンが長く吠え、グスタフは単身その声の方向へ駆けた。濃い森林の中で血の匂いを辿ると、窪地に長躯の女が倒れていた。栗色の髪と茶褐色の肌、尖った耳と白い戦化粧を持つその女は、川向こうに住まう闇のエルフ、ダークエルフであった。女は左肩と右脇腹に軍用銃による貫通傷を負い、血だまりを作るほど出血していたため、グスタフは軍用の高純度万能薬エリクシエルを飲ませ、さらに林檎の蒸留酒で気付けを行い、アドヴィンの背に担いで山荘へ運んだ。

オークの山荘での治療とエルフから見た文明化したオーク像への驚愕

山荘では側近の報告を受けたグスタフが医者と療術士の手配を命じ、周辺の捜索と魔術斥候の出動を指示した。闇エルフの女ディネルース・アンダリエルが目を覚ますと、そこは高い木組みの天井と清潔な室内を備えた病室であり、白い病衣を着せられ大きな寝台に横たえられていた。彼女はまず首から下げた白銀樹の護符が無事であることを確かめ、看護帽と青縞のワンピースを着た巨体のオーク族看護婦と、眼鏡に白衣姿のオーク族の医者の存在に驚いた。かつてロザリンド渓谷で戦った経験から、ディネルースはオークを野蛮で貪欲な魔物と認識していたが、脈を診る医者や丁寧に接する看護婦の姿は、そのイメージとあまりにかけ離れていた。

オーク王グスタフとの対面と「食人を捨てた国」の説明

やがて狩猟装いを纏った牡オークが現れ、ディネルースの戸惑いを理解しつつも、オーク族は他種族を食らう習慣を七十年ほど前に捨て、今では国法として禁忌となっていると説明した。彼は自らをオルクセン国王グスタフ・ファルケンハインと名乗り、ディネルースが族長であると見抜いたうえで、事情を聞きたいと静かに願い出た。また、彼女を助けた後に同じ一帯で負傷したエルフをさらに十名ほど保護し、すでに治療を終えて別室に収容していることも告げた。

郷土料理風の食事とディネルースの回復・記憶の呼び覚まし

グスタフの合図で看護婦が運んできた食事は、小麦入りライ麦パンにバターと苔桃ジャム、杏子茸と雉団子のクリームスープ、ヘラジカの香草煮込み、そしてスパイスを効かせた熱い赤ワインという、ディネルースの郷土料理を意識した豪華な膳であった。飢えと疲労にあえいでいたディネルースはそれをあさましいほどに完食し、温かな料理と酒が四肢に力と気力を満たしていくのを感じた。同時に、血の匂い、悲鳴、銃声、炎と殺戮の光景が記憶として甦り、逃走の末に力尽きた経緯も思い起こしていった。

仲間との再会と生存者数の確認

ディネルースは看護婦に頼んで着替えを済ませ、山荘の階下にある大部屋へ案内された。そこにはイアヴァスリル、アルディス、エレンウェをはじめとする見知った闇エルフたちが集まっており、彼女は彼らと抱き合い、再会の喜びと安堵から涙した。オーク側の説明によれば、ディネルースとともに大河シルヴァンを越えようとしていた三十名のうち、いま無事が確認できたのは十四名のみであり、入念な捜索にもかかわらず残りは発見されていなかった。

白エルフへの憎悪と復讐の誓い

生存者の少なさから、ディネルースは残る仲間たちが命を落としたと悟り、胸中に燃え上がるのは白エルフへの激しい憎悪であった。故郷に戻り、白エルフを一人残らず殺すという決意が改めて固まり、ディネルースは絶対に許さないという怨念と復讐心を深く心に刻んでいた。

エルフィンドにおける民族浄化とダークエルフ迫害

グスタフ・ファルケンハインは山荘の談話室でディネルース・アンダリエルの証言を聞き、ベレリアント半島エルフィンドで起きている事態が、白エルフによるダークエルフへの一方的な殺戮であると理解した。長年同じ国に住みながら文化と居住地を分けてきた両者は、科学技術と資本主義の浸透により経済格差が固定され、白エルフが富と地位を独占し、ダークエルフが国境防衛の戦士に留め置かれる構図が生まれていたのである。王家側近のダークエルフ失脚事件を導火線に、「ダークエルフ狩り」は本格化し、村々は焼かれ、銃殺や絞首、生き埋め、自死に追い込まれた者が続出していた。

グスタフの自責とディネルースの復讐方針

エルフィンドの過去の対外戦争相手がオークであったことから、グスタフはオルクセン建国とオーク側の変化が、結果としてエルフ系内部の矛先をダークエルフへ向けさせたのではないかと自責した。それでもディネルースは「戻る」と言い切り、氏族と他氏族を救い出し、白エルフに可能な限りの抵抗を行うと宣言する。数で圧倒的不利と承知しながらも「白エルフをひとりでも多く殺す」という怨嗟の炎だけが、彼女の行動原理となっていた。

オーク王による移住提案とその打算

ディネルースが武器と医薬品の供与、負傷者の保護を乞い、自身の命を代償として差し出そうとすると、グスタフは別案として「ダークエルフ全体のオルクセンへの移住」を提案した。彼は将来、白エルフとオルクセンが国家総力戦規模の戦争を行うと確信しており、その際に背を預けられる同胞を一種族でも多く確保しておきたいと考えていたのである。これは明確な打算であったが、同時にダークエルフを民族として救う策でもあった。

白エルフの偽史と他種族駆逐の告白

グスタフは一二〇年前のロザリンド渓谷の戦争を引き合いに出し、敗走するオークを退けた後、白エルフがそのまま南岸のドワーフ王国を奇襲し滅ぼした事実を語った。エルフィンドでは「オークがドワーフを滅ぼした」と教えられていたが、それは白エルフによる作り話であり、巨狼、コボルト、大鷲など他の魔種族も、牙や商才、知能を疎まれて駆逐されてきたと明かす。これらの種族は現在オルクセンに受け入れられ、家政、放牧、冶金、空からの偵察といった形で国を支えており、それゆえグスタフは種族間捕食を国法で禁じていた。真相を知ったディネルースは、自らが白エルフの道具として他種族駆逐に加担してきた可能性に戦慄し、憎悪を一層募らせる。

人間族の技術と「次なる戦争」を見据えた国家観

ディネルースは「将来オークが覇権を握ったとき、今度は他種族を虐げない保証はあるか」と問い質す。グスタフはオークの膨大な人口と食料需要ゆえに、すでに単独覇権など不可能であり、食糧増産と工業化のために他種族の能力を不可欠なパートナーとして位置づけざるを得ないと説明した。さらに、その先には銃砲、大砲、鉄道、電信、鉄の船を備えた人間族との戦争が控えており、魔力と腕力だけでは対抗できない時代である以上、種族の垣根を越えた国家運営こそが唯一の生存戦略であると語る。この徹底した合理性と長期視野は、ディネルースに「オークとは思えぬ、人間族のような王」という評価を抱かせた。

最終合意と異種族同盟の成立

グスタフの腹蔵ない説明と打算の開示を受け、ディネルースはオルクセン移住案を受諾し、各氏族に対する説得と脱出指揮を引き受けることを決意する。両者はぎこちなさを残しつつも握手を交わし、オーク王とダークエルフ族長の間に、白エルフへの復讐と将来の共闘を前提とした政治的同盟が成立したのである。

ダークエルフ大脱出作戦と渡河の困難

一ヵ月半後、季節は秋から冬へ移り、ツェーンジーク山脈とシルヴァン川周辺は厳しい寒さと雨に包まれていた。エルフィンド軍は橋と渡渉地を哨所で固め、包囲網を狭めながらダークエルフを追い詰めており、前半の脱出組は上流の断崖と濁流を泳いで越える危険な渡河を強いられていた。グスタフは第一七山岳猟兵師団から野戦炊事車と輜重隊、野戦病院を投入して救護に当たる一方、大規模部隊の展開を避けて国境紛争化を防ぐ必要に迫られていた。参謀の提案により、オルクセン側は小規模の山岳猟兵部隊を意図的にエルフィンド側へ見せつけ、白エルフに「国境異変への監視」と誤認させることで、渡渉地周辺の騎兵斥候を一時的に撤収させることに成功する。その隙を突き、最後の一団約一二〇〇名が東部下流域の浅瀬から渡河を決行した。

渡河完了とダークエルフ一万二千名の救出

冷雨のなか、ダークエルフたちは戦化粧を施したフード付きコートに身を包み、護符を握りしめながら兵士の目で川を見据え、黙々と渡った。先頭で全員の渡河完了を見届けたのはディネルースであり、最後尾として渡り切った彼女に、グスタフは自ら毛布を掛けて横抱きにし、療術魔法で体を温めながら野戦病院へと運んだ。ディネルースの問いに、グスタフは「約一万二千名が脱出に成功した」と告げる。虐殺前に国境部にいたダークエルフがおよそ七万名であったことを踏まえれば、大半が失われ、残余も北部へ農奴として連行された計算であり、短期間に膨大な死者が出た背景には、エルフが絶望から生じる「失輝死」に脆い精神生命体である性質もあった。

ディネルースの忠誠宣言とグスタフの「同胞」宣言

グスタフが「もっと早く気づいていれば」と詫びると、ディネルースは護符を握りしめ、「救いの手がなければダークエルフは滅んでいた」と感謝を述べたうえで、「今この瞬間から自らの命は王ただひとりのもの」と宣言し、忠誠を誓う。これに対しグスタフは牡泣きしつつ、「汝とその仲間は我が民であり、我が同胞である」と応じ、全身全霊をもって報いると約束した。こうして、白エルフに追い詰められたダークエルフたちは、オルクセンの庇護下で新たな居場所と主君を得ることになり、将来の対エルフ最終戦争に向けた決定的な同盟関係がここに固められたのである。

第二章 豊穣の大地

ヴィルトシュヴァインの繁栄とオルクセン王国の統治

星暦八七六年初春、ダークエルフの指導者ディネルース・アンダリエルは、オルクセン王国首都ヴィルトシュヴァインに到着していた。ここは森林と河川に囲まれた低湿地帯の大都市であり、人口約一〇〇万を抱える多種族混住都市であった。旧市街と新市街、郊外農村から成る市域には、公正な行政、平等な教育、統一言語、職業選択の自由、明確な徴兵制度が行き渡り、人間族の公使館と聖星教会まで存在していた。オルクセンには議会こそなかったが、国王グスタフが統治権・外交権・立法権・司法権を一手に握りつつも恐怖政治に走らぬ中央集権国家として機能していた。

ダークエルフ旅団とヴァルダーベルク

ロザリンド渓谷からの脱出後、ダークエルフたちは首都北西郊外ヴァルダーベルクの旧陸軍演習地と農事試験場一帯を下賜され、新たな定住地とすることになっていた。そこでは兵営を拠点に一個旅団規模のダークエルフ部隊を編成しつつ、周辺の共同農地で軍に属さぬ者の生計基盤も整備されていた。被服・装備・火器・当座の生活資金、さらには給金までがオルクセン持ちであり、旅団は正規陸軍部隊として臨時軍事会計から予算措置されていた。王の勅命に対し行政も国民もほぼ無抵抗に従い、ダークエルフは事実上、王直轄の庇護下で新しい立場を得ようとしていた。

グスタフ王の人柄と日常

三月上旬、グスタフは護衛の巨狼アドヴィンとディネルースを伴い、官邸裏の森林公園ヴァルトガルテンの朝市を徒歩で訪れていた。王は将官常装に外套を羽織っただけの質素な姿で、露店を巡り苺やソーセージを自らの財布から代金を払って買い求め、市民の歓呼には手を軽く上げて応えていた。その後、官邸での朝食では苺のクレープと濃いコーヒーを共にし、側近には敬語を禁じて気さくな口調で語らせていた。読書好きで蔵書室に籠もりがちな一方、饒舌で活字中毒、食事中も新聞を離さず、大食漢で甘味とコーヒーと煙草を好むなど多くの癖も抱えていた。しかし贅沢や暴虐に溺れず、質素な私生活と勤勉な政務運営に努める姿勢が、ディネルースには好ましく映っていた。

オルクセンの軍制改革とダークエルフ旅団構想

グスタフはダークエルフの部隊を「騎兵を中核とした旅団戦闘団」として編成する構想を示していた。三個騎兵連隊に山岳猟兵連隊一個、山砲大隊と工兵中隊、さらに輜重・衛生を備え、戦時充足で約八〇〇〇名規模の独立集団とする案であった。これは、巨体のオークが輓用馬に頼らざるを得ないため騎兵科全体の機動力が低いという弱点を補うためであり、斥候・追撃に用いる真の軽騎兵戦力をダークエルフに担わせる意図があった。ディネルースはこの構想を高く評価し、自ら少将として旅団長に就任することになり、選抜された氏族長級の仲間たちが連隊長や参謀を務める予定であった。

産業・魔術技術と豊穣国家オルクセン

オルクセンは一二〇年の改革の末、農業と工業と魔術技術の三本柱で大陸有数の豊穣国家へ成長していた。ドワーフの技術でモリム鋼を大量生産し、鋼鉄製砲や鉄道・船舶・建築物を造り出し、銑鉄一二〇万トン・鋼鉄九〇万トンという生産量を誇っていた。加えて、冷却と送風の刻印式複合魔術による冷蔵・空調技術が食料保存と輸送、居住環境を一変させ、北海産の魚介類が内陸の首都でも日常的に消費される段階に達していた。軍では魔術通信と魔術医療が体系的に導入され、大隊規模まで即時連絡が可能となり、オークの低機動性を通信能力で補う戦い方が追求されていた。

農業政策とダークエルフへの農地付与

農業はオルクセンにとって生存戦略そのものであり、各地の農事試験場を拠点に輪栽式農法と灌漑が徹底されていた。小麦・ライ麦・大麦に加え、カブやジャガイモ、甜菜、クローバーなどを組み合わせる輪作体系により、休閑を最小化しつつ地力を維持する仕組みが構築されていた。ダークエルフに渡された旧試験場は一五ヘクタール、周辺開墾予定地は六〇〇ヘクタールという規模であり、ライ麦だけでも数千人を養える潜在力を持っていた。国有・州有地を貸与しつつ税と備蓄と価格調整に組み込む制度は、「母なる大地は我らのもの」という国歌の一節に象徴される共有意識の上に成り立っており、かつて「我のもの」と歌っていたオークの意識を多種族共同体へと転換していた。

文化・言語の違いと統合への課題

一方で、ダークエルフとオルクセン社会の間には、歴史的対立に由来する不信と心理的な軋轢も残っていた。軍高官の一部はダークエルフ受け入れに複雑な感情を抱き、ダークエルフ側もオークやドワーフ、巨狼、コボルト、大鷲にそれぞれ恐怖や苦手意識、後ろめたさを感じていた。そのうえで、彼女たちはまず低地オルク語を学び直し、オルクセン式の農業・軍事教練・装備運用を吸収する必要に迫られていた。ディネルースは、王の庇護と旅団直轄という恩義が重い責務でもあると理解し、ヴァルダーベルクでの日々の訓練と学習を通じて、「救われた種族」としてではなく「成果を上げる新戦力」として国家に認めさせることを目指していた。

第三章 将軍たちの丘

早朝の演習場への行軍と軍馬不足

ディネルースと麾下将校団は、首都ヴィルトシュヴァイン郊外のオルクセン陸軍首都大演習場へ、零度近い冷気のなか騎乗で向かったのである。旅団用乗用馬にはベレリアント半島原産のメラアス種が用いられていたが、国内では輓用馬中心の馬産であるため頭数も馬具も不足していた。蹄鉄や鞍、銜の寸法違いが次々に発覚し、造兵廠や民間業者、さらには旅団内の蹄鉄工・鞍工まで動員して急造する事態となり、将来のメラアス種軍馬育成まで旅団に押しつけられかねない気配に、ディネルースは「やってみないとわからぬ細事」の連続に疲労を覚えていたのである。

「将軍たちの丘」と参謀本部の威容

首都大演習場は草原・丘・森林・河川・湖沼・農地・模擬村を備え、この地方のあらゆる戦場環境を再現する場として整備されていた。その一角の小高い丘には、天幕を連ねた演習統制部が設けられ、観測鏡や野戦電信設備、伝令騎兵中隊、巨狼憲兵まで配置されていた。天幕内にはグスタフ王と巨狼アドヴィン、参謀総長ゼーベック上級大将をはじめ、作戦・兵站・通信・兵要地誌各局長ら参謀本部中枢が勢揃いし、まさしく「将軍たちの丘」と呼ぶにふさわしい光景であった。ディネルースはエルフ式の独特な敬礼をそのまま認められていることに誇りを感じつつも、巨狼・ドワーフ・コボルトらの視線に、自分たちダークエルフへの根強い警戒と反感を感じ取っていた。

大鷲ラインダースとの再会と種族間のわだかまり

演習開始前、大鷲族のヴェルナー・ラインダース少将が、巨大な黒褐色と白の翼を翻して上空から着陸し、統制部の丘に姿を現した。彼は空中偵察部隊の長として軍に所属しており、グスタフから紹介された瞬間、ディネルースは彼が七十年前、エルフィンドで狩猟中に遭遇し、撃たずに逃がした若い大鷲そのものであると気づいたのである。ラインダースもそれを認め、斃された同族への感情からつい棘ある口調になったことを詫び、左翼の白い羽根を一本抜いて軍帽の飾りとして贈った。彼は、巨狼・ドワーフ・コボルトも頭では事情を理解しているが心が追いつかず、ダークエルフを簡単には受け入れられないと慎重に言葉を選んで語り、その姿勢と高潔さがディネルースの胸を強く打った。

空中偵察・兵站・通信が支える「軍が国家を動かす」体制

ラインダースは、自らの部隊が天候観測に加え、魔術と視力を活かした空中偵察――行軍中の敵や森に潜む伏兵を空から探知する任務――を担いつつあると説明した。これにより従来の三兵戦術を超えた「諸兵科連合戦術」が現実になりつつあるとされ、ディネルースはその効果に衝撃を受けた。さらに彼女は、参謀科・通信科・輜重科・測地測量部など、兵站と指揮に特化したオルクセン独自の制度と、デュートネ戦争の反省から巨大化した参謀本部の役割をあらためて理解した。国有鉄道・電信網・食糧庫・動員制度が一体運用されており、「国家が軍隊を動かす」のではなく「軍隊が国家を動かす」構図が、この国の現実であると悟って身震いするに至ったのである。

北部軍司令シュヴェーリンとの邂逅と世代を越えた敬意

やがて北部軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン上級大将が、騎馬と部下を引き連れて到着した。右眉から口元までの古傷を持つ闘将であり、ディネルースはロザリンド谷の戦いで「絶対に一騎討ちを挑んではならないオーク」として名を聞いていた人物だと気づく。シュヴェーリンは朗らかにディネルースを迎え、かつて自軍がエルフ側に敗れたロザリンド渓谷戦の経緯を、いつか本人から詳しく聞きたいと申し出た。それは老将なりの敬意と気遣いであり、過去に刃を交えた者同士が、いまは同じ王の下で語り合うという構図に、ディネルースは奇妙な感慨と高い評価を抱いた。

鉄道機動・徴兵制・郷土部隊方式による大兵力運用

演習に参加するのは、首都防衛の第一擲弾兵師団と北部の第七擲弾兵師団の戦時編成抽出部隊であった。両師団は事前に予備役兵を動員し、被服と装備を再支給して短期間で戦力を充足させていた。徴兵制と郷土部隊方式により、兵役経験者が各地に均等に蓄積され、召集令状一つで短期間に動員できる仕組みが完成しているのである。特に第七擲弾兵師団は、最北州メルトメアから二百五十キロ離れた演習場までを、兵站局鉄道部と国有鉄道社の緻密な時刻表運用により、わずか一日で輸送されていた。貨車編成数・火砲・馬車・飼料・配食計画まで計算し尽くした輸送能力は、ディネルースにとって前例のないものであり、他国軍を圧倒するオルクセンの機動力を体感させる結果になった。

対エルフィンド第六号作戦計画の図上演習と衝撃

午前九時五十分、ゼーベック上級大将が演習目的の説明を開始し、机上の天鵞絨布が外されると、大演習場ではなくオルクセン北部とベレリアント半島南半分を描いた大地図が姿を現した。そこには拡大スケールで青赤の兵棋が並び、国境シルヴァン川流域における両軍五十万規模の布陣が示されていたのである。ゼーベックは、この師団対抗演習を「鉄道機動実験」と「最新戦術実験」、さらに対エルフィンド侵攻を想定した国軍参謀本部第六号作戦計画の第五次修正図上演習に利用すると明言した。想定戦域の鉄道路線六本が完成し、想定敵兵力のうち七万が既に何らかの事情で消失したことから、計画修正が必要になったとも述べ、ディネルースは「自分たちもかつては侵攻目標として数えられていた」事実を突きつけられる形となった。

グスタフ王の「試し」とディネルースの選択

演習を「紙の上の戦争」と呼んだグスタフは、ディネルースを砲隊鏡の横に呼び寄せ、「これで臣下を辞めたくなったのではないか」「降りるなら今だ」と問いかけた。ディネルースは、オルクセン最大の仮想敵国がエルフィンドである以上、侵攻計画や自分たちダークエルフを仮想敵として扱ってきたことは筋の通った行為であり、それを隠さず見せたのは王の誠実さだと断じたうえで、真に試されているのは自分たちではなく軍高官たちだと見抜いた。グスタフは彼女の指摘にしおれた様子で謝罪し、その優しさと配慮が却って伝わりにくい性格であることを示してしまい、ディネルースは「王としてはもっと堂々と傲慢であってよい」と言い返しつつ、その底知れぬ慈悲深さを認めたのである。

エルフィンドへの復讐とオルクセンへの忠誠の再確認

ディネルースは心中で、ダークエルフ旅団が純粋な軍事的手段であるだけでなく、エルフィンドの「清廉で静謐な王国」という虚像を打ち砕く政治的象徴でもあると理解していた。自分たちは白エルフに国を追われ、故国そのものを最大の仇として憎んでおり、旅団の存在はその事実を周辺諸国に突きつける道具にもなる。グスタフが「軍に入らず平穏に暮らす道」も残しつつ、あえて地獄のような戦争に付き合う覚悟を問うていることも察し、彼女は降りる気は微塵もないと心に決めた。エルフィンドという得物を射抜くその日まで矢をつがえ続けることこそ自分たちの大願であり、オルクセンの軍隊の一部として戦場に立つことが、ダークエルフの新たな生き方であると、改めて受け入れたのである。

第四章 師団対抗演習

オーク擲弾兵連隊の展開と散兵陣地の構築
第一擲弾兵師団のオーク中隊が三差路に到着し、灌漑路を利用して散兵線を構築していた。先頭小隊が正面、他小隊が左右へ素早く展開し、枯れた灌漑路を壕として転用し、円匙で掘り下げて土を盛り、伏射に適した胸壁を整備したのである。続いて大隊・連隊規模で同様の動きを拡張し、防御正面約八百メートル、縦深五百メートル、予備中隊と大隊砲・連隊砲を備えた本格的防御陣が一時間足らずで完成していた。側面には中隊・小隊単位の「援隊」を置き、側面攻撃や逆襲にも対応できる布陣であり、かつて密集突撃を主としたオーク軍が、完全に散兵戦術へ移行した姿が示された。

オークの体力と教育水準がもたらした軍事力
ディネルースは、巨体ゆえ鈍重と見なされがちなオークが、実際には敏捷な動きと膂力を兼ね備えている事実を再確認していた。彼らは行軍直後でも休まず円匙を取り出し、命令を待たずに壕掘りと補強を開始していた。これは体力だけでなく、平時からの教育水準と訓練、そして指揮官命令を先取りして行動する教範教育の成果であった。かつて「オークの嵐」「オークの津波」と恐れられた突撃が、今や火器と散兵戦術に結びつき、より厄介な脅威となっていることが強調されていた。

兵站・兵食と種族配慮に支えられた組織力
連隊陣地の背後には野戦炊事車が集結し、林の陰で煙を隠しながらシチューとコーヒーを調理していた。二十リットル級の保温缶にシチューを充填し、オーク兵が背負って前線へ運ぶことで、伏せたままでも兵に温食が行き渡る体制が整っていた。さらに製パン中隊が焼いたライ麦パンを「鉄道の枕木」のように大量搬入し、一人一本を一日分として配給していた。玉葱や葱を食べられないコボルト族に配慮し、軍全体の献立からこれらを外す措置まで講じており、代わりに肉類を増量する規定も定められていた。王や上級将校も兵食と同じ牛スープを口にし、その味や量、配給法について真剣に論じていた点から、兵站が軍制の中核に位置付けられている実態が示されていた。

階級差の薄い風通しのよい指揮文化と訓令戦術
統制部天幕では、国王グスタフから少将・中佐クラスまでが同じ食卓を囲み、砲兵長や参謀が遠慮なく意見を述べていた。オルクセン軍の「高級指揮官教令」第一項は、用兵を自由かつ創造的な行為と定義し、指揮官の寛容さと部下の進言・異議申し立てを積極的に認めていた。兵もまた命令の大目的を理解し、自主判断で行動し、異常な命令には反論すべしと教育されている。これは上意下達と敬礼儀礼を重んじる他国軍とは対照的であり、「訓令戦術」として全軍に浸透していた。この柔軟な文化が、先ほどの迅速な陣地構築や兵の自主的行動の背景にあるとディネルースは理解していた。

大鷲の空中偵察と新型小銃Gew74の衝撃
青軍側には大鷲族の小隊が配属され、高度九百メートルの上空から軍用地図を首元に装着して飛行し、魔術通信で連隊規模の赤軍防御線の位置・規模・砲門数を正確に通報していた。これにより青軍は三差路陣地の全貌を把握し、攻撃態勢を整えていた。赤軍はコボルト通信兵の報告で上空の大鷲に気づき、小銃で射撃した結果、演習判定として「命中・撤退」を通知される。ここでラエルノアが警護兵から照尺の最大数値(一五〇〇メートル)を聞き出し、新型小銃エアハルト Gew74の真の性能が明らかになる。Gew74は密閉性の高い高精度機関部と褐色火薬、尖頭弾・ボートテール弾の組み合わせにより、最大射程一七〇〇メートル級の長射程と高貫通力を実現していた。他国が八百〜千二百メートル級に留まる中、オルクセンの歩兵は一〇〇〇メートルを理想交戦距離とし、一方的な弾幕を形成できる優位を得ていた。

携行弾薬一四〇発と「火力こそ牙と盾」というドクトリン
歩兵装備目録の確認により、オーク擲弾兵一人が一一ミリ弾を一四〇発携行している事実が判明した。これは他国歩兵のほぼ二倍であり、本来なら行軍能力を損なうはずの重量であった。オルクセンはオークの体力を前提に、後方弾薬段列二回分を兵本人に持たせることで、兵站負担を軽減する逆転発想を採用していた。演習実験では一戦闘あたり一人十発前後が最大消費であり、百四十発携行なら複数戦闘に耐えうると確認されていた。これに基づき操典は「歩兵戦闘は火力により決戦すべし」「突撃は敵がほぼ崩れた後に限定すべし」と明記し、かつての肉弾突撃を明確に否定していた。砲兵も五七ミリ山砲と七五ミリ野山砲による効力射を連続して行い、銃砲の集中火力で敵を圧倒する近代火力戦の姿が描かれていた。

偽正面と浮橋架橋による繞回作戦
青軍は川向こうの放牧地石垣を利用して散兵線を敷き、連隊規模で射撃を行いつつも、あえて兵力を薄く見せて赤軍正面の注意を釘付けにしていた。本命は東方六キロの地点であり、そこに工兵と擲弾兵を集中させ、架橋資材を泥濘の河岸まで八百メートル手運びして浮橋を敷設していた。赤軍はこの地点を「川幅と地盤の問題から架橋不可能」と判断しており、既存の橋を焼いたことで青軍の渡河手段を封じたつもりでいた。だが北方出身の農民・酪農民で構成された兵たちは、粗食と重労働に慣れた体力を生かし、二日分の携行糧食で無茶な作業と繞回運動を完遂しつつあったのである。

繞回と迂回の区別、兵站と機動のせめぎ合い
オルクセン軍では、戦術目的で側面・後方から敵陣を叩く行動を「繞回」、敵の退路や兵站拠点を大きく迂回して戦略的打撃を与える行動を「迂回」と区別していた。今回の青軍の動きは前者に当たり、完成した浮橋から赤軍三差路陣地の側面と後背を突き、橋と要地を同時に奪取する構想であった。シュヴェーリン上級大将は、兵站を重視する王と参謀本部の方針を尊重しつつも、「二〜四日程度の無茶は前線指揮官の責務」とし、街道や鉄道に拘束されすぎれば「尾を引く」(行動の足かせ)になると指摘していた。一方グスタフは完璧な兵站など存在しないと認めつつも、空を見上げ、翌日の雨を予感しながら、今回の強行軍が天候悪化とどう噛み合うかを憂慮していた。

ディネルースの学びと他国軍との差異認識
ディネルースは、オルクセン軍の技術・兵站・ドクトリン・指揮文化に深く感服しつつも、それをそのまま自軍に移植することは不可能であると冷静に認識していた。オークの体力を前提とした携行弾薬や兵食量は他種族には真似できず、自分たちは自分たちなりのやり方を探さねばならないと理解していた。同時に、大鷲による空中偵察と魔術通信、小銃と大砲の長射程火力、訓令戦術と開かれた指揮文化、そして無茶な繞回を支える農民兵の体力と兵站思想が、近代戦におけるオルクセン軍の本当の強みであると見抜き、その分析を続けていた。

第五章 雨にとなえば

大雨到来と演習地の泥濘化
グスタフの予告通り夜半から激しい雨が降り、気温も急降下して演習地一帯は真冬並みの寒さとなった。風積土主体の土壌はすぐに泥濘と化し、街道から外れた場所では歩兵すら足を取られる状況になっていた。騎兵や軍用馬車にとっては致命的な悪条件であり、とくに街道外で行動している青軍側の兵站には深刻な影響が出始めていたのである。

リアの青軍兵站駅視察と高機能な兵站駅構造
ダークエルフ旅団兵站将校リア・エフィルディスは、前日に見学した赤軍側拠点があまりに整然としていたため、より「実戦的な混乱」が見られると勧められた青軍側兵站駅を視察していた。駅は簡素な駅舎ながら三本の屋根付きホームを備え、そのうち貨物用ホームは貨車の床・倉庫床・輜重馬車荷台の高さが全てそろえられた構造であった。これにより荷役は極めて効率的であり、砲も無蓋貨車から横方向へ直接出し入れできる設計になっていた。鉄道隊が砕石と枕木、床板を積み上げるだけで簡易ホームを作る手順や、可搬式傾斜路や起重機車による火砲荷役の方式も兵站教範に示されており、リアはエルフィンドには存在しない徹底した鉄道兵站思想に感嘆していた。

輜重馬車・木箱・修理体制の徹底した規格化
オルクセン軍輜重部隊には一・五トン積み四頭曳きの重輜重馬車と、一トン積み二頭曳きの軽輜重馬車があり、車輪の大きさや荷台床面の高さ、主要部品は共通規格であった。野戦炊事車もこの規格に基づき製作されており、部品流用と修理の容易さが確保されていた。さらに、使い古しの軍用馬車が安価に民間へ払い下げられた結果、民間馬車も同規格に収斂し、全国の馬車修理工や鍛冶工に軍規格部品が自然に流通する状況が生まれていた。物資用木箱も板厚一五ミリと二〇ミリに統一され、弾薬など重量物には二〇ミリ厚を用いることで強度と再利用性を両立させていた。これらの規格化は、荷重計算・車両必要数の算定・予備部品の集積管理を著しく簡略化し、兵站将校にとって大きな負担軽減となっていた。

コボルト輜重兵の役割と刻印魔術式物品管理法の着想
兵站駅では、荷役の重労働をオーク兵が担い、輜重馬車の馭者は主にコボルト兵が務めていた。コボルト族は商業・金融業に携わってきた歴史から識字率と計算能力が高く、また体重が軽いため積載量を圧迫しないという利点があった。リアはコボルト曹長と会話する中で、生鮮食料の木箱に冷却刻印魔術の残滓が残っていることを感知し、「乾燥食と生鮮食で刻印を変えれば、魔術感知だけで中身の種別を判別できる」と示唆した。曹長はその発想に強い衝撃を受け、このささやかな会話が後に軍と市民社会の物流を一変させる「刻印魔術式物品管理法」へ発展していくことになるが、その時点で両者はその影響の大きさをまだ知らなかった。

フロリアン・タウベルトの視点と浮橋への過負荷
第七擲弾兵師団補給大隊所属のコボルト輜重兵フロリアン・タウベルトは、商家出身のビーグル種であり、徴兵を通じて技能兵資格を得て将来は商業大学進学を目指していた。軍隊を「厳しいが悪くない場所」と感じ、大演習を半ば旅行のように楽しんでいた彼は、今回の演習で自師団が浮橋を使って街道外から渡河し、首都師団に勝利したことを誇りに思っていた。一方で、砲兵弾や照明弾が底を突きつつあり、街道から外れた渡河点周辺は泥濘と増水で馬車が次々に埋まる状況となり、連隊補給隊が動けなくなった結果、師団段列が直接補給を担うことになっていた。タウベルトは、寒さと雨に震える前線の仲間に温かいジャガイモを届けたいと願いながら、野戦憲兵の指示を待ち、縦隊一の手腕を自負しつつ浮橋に向かっていた。

不運の連鎖による浮橋崩壊とタウベルトの失踪
野戦憲兵の合図で三台ずつ浮橋を渡り始めたとき、タウベルトは自分の技量を信じて前進していた。しかし、前を行く重輜重馬車には泥塊の付着による車輪の滑りや荷の偏りがあり、増水によって緩んだ索縄のせいで浮橋は微妙に揺れていた。さらに、恒久使用を想定した補強木杭がまだ打ち込まれておらず、タウベルト自身は母から贈られた手袋を兵站駅に忘れ、かじかんだ指で手綱を握っていた。小さな要因が重なった結果、先頭馬車が平衡を失って川へ転落し、それに巻き込まれて計三台の重輜重馬車とともに浮橋はあっけなく崩壊した。怒号と悲鳴の中、救助活動が開始されたものの、橋上にいた五名の兵のうち一名が行方不明となる。それが、前線に温食を届けようとしていたフロリアン・タウベルトであり、彼には何らの過失もなかったことが強調されていた。

王の決断と「雨止め」
浮橋事故の報を受けたグスタフは即座に師団対抗演習の中止と全軍による捜索を命じ、平時に兵を失うことは王として許されないと断じた。さらに自ら天幕を出て豪雨の中で謎の詠唱を行い、膨大な魔術力の波動を放って雨雲を一気に晴らした。この異常な光景はディネルースの価値観を揺さぶった。

王の奇跡と過去の恩恵
シュヴェーリンとゼーベックは、若き日のグスタフが撤退中の軍を救う慈雨を無自覚に呼び、以後も日照りや長雨を調整し、時には魚群まで降らせて国を豊穣へ導いてきた事実を語る。シルヴァン渡河時に雨や雪が弱まっていたのも王の力であり、彼こそがオルクセンの王に推戴された理由だと明かされた。

タウベルト救出と演習の収束
グスタフは捜索にコボルトたちの魔術探知を動員させたが、現場に向かっていたリアが先行しており、葦の下からタウベルトを発見して救出していた。雨が止まなければ探知できなかったとリアは語り、王の天候操作が結果的に一兵士の命を救った形となった。タウベルトは一時入院後に復帰するが、後の戦争で戦死することが示される。師団対抗演習は全面中止となり、事故調査的な場に変わった。

兵站の限界と現地調達の原則
参謀本部演習は続行され、ゼーベックは輜重縦列が一日片道四十キロ、往復二十キロほどしか安定輸送できず、街道から外れると補給が容易に停滞する現実を整理した。そのうえで、最大限の兵站努力を尽くしても停滞が生じる局面では、現地調達を「最後の手段」として認めざるを得ないと結論づける。ただし調達は対価を支払う正規の行為に限定し、徴発や略奪は規模と状況に応じて厳しく統制・処罰すべきとされ、部隊規模での運用と憲兵による監視の必要性が確認された。

魔術探知の欠陥発見と三角測量の提案
ディネルース・アンダリエルは、オルクセン軍の魔術通信と魔術探知には重大な欠陥があると気づき、視察将官という立場に迷いながらも発言する決意をした。彼女は黒板に大隊記号を描き、複数地点から同じ対象を探知し、その方向線の交点から敵位置を割り出す「三角測量」の考え方を示した。この方法は魔術探知だけでなく、魔術通信の逆探知にも応用可能であり、複数の探知報告を重ねるほど精度が増すと説明したのである。

エルフ側への筒抜けという衝撃と対処方針
グスタフはその説明を聞き、笑いながらも本質を言い当てた。すなわち、この方法を用いれば、強力な魔術力を持つエルフ族は、すでにオルクセン軍の魔術通信と探知をほぼ筒抜けにしていた可能性が高いという指摘である。ディネルースは、自身と部下の探知結果からこの演習での両軍配置をほぼ正確に再現した書き付けを示し、ゼーベックを唖然とさせた。グスタフは、これは一二〇年前のロザリンド渓谷での敗北理由を説明するものだと認め、以後の対処として「作戦発動前は徹底した魔術通信封止」「会敵までは敵の魔術通信を探知・逆探知で利用し、連絡は電信と伝令に限定」「味方の魔術通信は封止解除後に使用開始」という運用方針を示した。また大鷲部隊に対しても、上空からの三角測量による索敵研究を命じた。

エルフィンドの指揮官狙撃と軍装の危険性
続けてディネルースは、一二〇年前にエルフィンド軍が用いた戦法として「敵指揮官・将校の狙い撃ち」を挙げた。目立つ旗印や独特のスパイク付き兜、派手な軍装を手掛かりに、指揮官を優先して撃つ戦法である。これは旧来の騎士道的価値観からすれば禁忌に近いものだが、戦術的効果は極めて高かった。彼女は、現在の軍用兜が当時の将軍兜の意匠を引き継ぎ、将校の兜やサーベルが戦場で良い的になっていると指摘した。グスタフは即座に「動員時は全将兵略帽で出征し、サーベルの鞘には布を巻く」と決定し、見栄えより生存と指揮継続を優先する方針を示した。シュヴェーリンは騎士的誇りから反発したが、王は現代戦では指揮官喪失こそ大量死を招くと説き、略帽も階級で差は残ると説明して納得させた。

有意義な演習の終幕と新旅団名の授与
演習の講評後には、牛肉のスープ煮や大麦スープなどの豪勢な夕食が供され、各将官との歓談も進み、ディネルースにとってこの視察は軍事的にも人的にも収穫の多い場となった。解散後、彼女が宿舎へ戻ろうとしたところをグスタフが呼び止め、「いつまでも仮称ダークエルフ旅団では書類上も締まらない」として、新たな正式名称を示した。それは「アンファングリア旅団」であり、古典アールブ語で「巨大なる顎」「血の顎」を意味し、白エルフ女王を食らい尽くしたという巨狼族始祖の名でもあった。

巨狼アドヴィンの承認と誇りの継承
自らを狩った過去を持つ種族が巨狼の始祖名を名乗ることに一瞬の逡巡を覚えたディネルースに対し、巨狼アドヴィンは初めて彼女に直接言葉をかけた。アドヴィンは、ダークエルフたちは誇り高く強く、自分たちの種族以上にその力を知っているのは巨狼たちだと告げ、同じ運命を辿った者として祖の名を使うことを勧めたうえで、「白エルフどもをその顎にかけよ」と述べ、名の継承と復讐の象徴とするよう促した。ディネルースは片膝をつき頭を垂れて新たな旅団名を謹んで受け入れ、この演習はダークエルフ旅団にとって軍制面と精神面の両方で大きな転機となったのである。

第六章 アンファングリア旅団

アンファングリア旅団の編成完了と部隊構成

星暦八七六年七月、仮称ダークエルフ旅団は正式にアンファングリア旅団として編成を完了した。軍靴・被服・小銃エアハルトGew七四・ヴィッセル社製の五七ミリ山砲と七五ミリ野山砲・各種輜重車・医療馬車・メラアス種軍馬などが次々と配備され、騎兵連隊三個、山岳猟兵連隊一個、山砲大隊一個、工兵・架橋・弾薬中隊、輜重大隊、野戦衛生隊、野戦病院部から成る総兵力八三一〇名の大部隊となった。法制上は「旅団」だが、実質は諸兵科連合の騎兵師団級戦力として高い即応力と機動力を備えるに至ったのである。

閲兵式と旅団歌が示すダークエルフの決意

編成完結に合わせ、グスタフ王臨席のもとで盛大な閲兵式が行われた。国歌「オルクセンの栄光」と行進曲に合わせ、黒の熊毛帽と肋骨服に身を包んだ騎兵連隊三個が約三千騎の黒い奔流となって進み、その先頭でディネルース・アンダリエルは青毛の牝馬シーリに騎乗し、大鷲の羽根を飾った軍帽で視線を集めた。続く山岳猟兵連隊は尖耳を収める特製筒型軍帽と山刀を帯びた黒装の縦隊で行進し、砲兵・工兵・輜重部隊も次々と姿を現した。式中にはダークエルフ自身が作詞作曲した旅団歌「アンファングリア」が演奏され、「白銀樹は無し」「血濡れた顎で噛み殺せ」といった凄絶な歌詞が、故郷を虐殺された者たちの復讐心と決意を象徴するものとして上層部を驚かせる結果となった。

国王グスタフの訓示と対エルフィンドへの政治的宣言

グスタフ・ファルケンハインは訓示において、「ゆえなくして故郷を追われた」ダークエルフたちをオルクセンが新たな祖国として迎え入れたと明言し、彼女らが銃と轡と砲を取って同国に仕える選択を決して忘れないと宣告した。そのうえで、黒き森と豊穣の大地、北の海と空を「彼女たちの母なる国」と呼び、胸を張って誇れと促した。この演説は、エルフィンドによる虐殺を暗に告発しつつ、アンファングリア旅団の存在を通じて「機会があればエルフィンドを打ち倒す」方針を内外に示す政治的メッセージであり、各国公使や報道機関を通じて広く人間諸国に印象づけられることになった。

国王官邸警護任務とディネルースの日常

アンファングリア旅団はその後、国王直轄部隊として実働任務に入り、騎兵一個中隊ずつが日々ヴァルダーベルクから首都の国王官邸へ騎行して警護に就く体制を整えた。正門・裏門・国王執務室前に配置された尖耳の女騎兵たちの姿や、小銃操演を含む交代式はたちまち市民の話題となり、外交筋や新聞の外電にも取り上げられる観光名物に変わる。これはグスタフの安全確保であると同時に、「亡命ダークエルフが国王の近衛を務める」という図像をエルフィンドに突きつける政治的演出でもあった。任務開始当初、ディネルースは各中隊に付き添い練度向上を図るが、やがてグスタフに昼食へ頻繁に呼ばれるようになり、国王官邸図書室への自由な出入りも許されて読書と歓談の時間を共有する日々を送るようになった。

図書室での対話と異世界・世界観の共有

図書室には各国の蔵書や標本・収集品が並び、ディネルースはここでグスタフと神話・地理・歴史について語り合うようになる。大断崖と大瀑布で大陸が二分される南方世界、三百以上の藩王を抱えるマウリア、大瞑海の果てに続く嵐、東方絶島の戦闘的な島国など、グスタフは豊富な知識を示しつつ、かつて巨大な月が大瞑海に落ちたことで磁針が常に西を指すようになったという仮説を語った。ディネルースは、王が語る専門用語や戦略概念、天候操作の魔術、そしてオークとしては特異な睡眠・性への感覚から、彼の存在に異質さを感じ取り、やがてエルフ伝承における「別世界から来た転生者ヴィラール」の話を切り口に、グスタフも異世界の出身ではないかと推理して問いを投げかけるに至る。

グスタフの転生告白とアドヴィンを含む「核」の共有

問い詰められたグスタフは、ロザリンド会戦後に唯一の天候操作魔術と共に前世の記憶が甦り、本来いた世界の科学技術や軍事概念をこの世界の改革に応用してきたことを打ち明けた。その世界には巨大な飛行機や大船、超高速鉄道、世界中を結ぶ通信網が存在し、異世界転生は神話ではなく娯楽小説の題材にすぎなかったとも述懐する。さらに、崖から転落した自分を救い、ゼーベックやシュヴェーリンのもとへ運んだ巨狼アドヴィンが、オークと他種族を結ぶ最初の存在であり、自身の特異性を理解して支え続けた仲間であった事実も語られる。ディネルースはこの告白を通じて、グスタフ個人のみならず、その周囲の三上級大将と巨狼を中心とした「核」の結束の理由を理解するに至った。

恋慕の確認とすれ違いの理由、関係の一歩前進

同時にディネルースは、グスタフがオークとしての性質をほぼ示さず、ダークエルフである自分にだけ特別なまなざしを向けていることから、王が自分に惹かれていると判断する。彼女はあえてその感情を言葉にして問いただし、グスタフもそれを否定しない。しかし王は、虐殺と亡命直後の弱い立場にある者に立場を利用して手を出すべきではないという倫理観と、自らの巨体が相手を肉体的に傷つけるかもしれないという懸念から距離を保ってきたと明かす。ディネルースはそれを「ただ優しい性分」と受け止めつつ、ダークエルフの頑健さを示して不安を和らげ、冗談にエリクシエル剤や軍医・野砲まで引き合いに出して場を崩すことで、互いの感情と立場を確認したうえで一歩踏み込む覚悟を固めた。こうしてアンファングリア旅団の錬成が進む陰で、ディネルースにとっては穏やかな日常と新たな関係の始まりが静かに形を取りつつあったのである。

外伝 狼は眠らない

射撃教練の開始とウルフェンの戸惑い

星暦八七六年八月上旬、アンファングリア旅団の練成が本格化するなか、山村出身のウルフェン・マレグディス二等兵は猟兵連隊の実弾射撃教練に臨んでいた。彼女はエルフィンド国境警備隊での経験を持っていたが、オルクセン軍ではまず被服支給、身体検査、基礎体力・行進訓練、そして詳細な座学を経なければ小銃を撃たせてもらえない慣行に従ってきた。実包構造や弾道学まで踏み込む徹底した座学や、立射実弾を省き伏射重視とする教令は、旧来の横隊射撃を重んじるエルフィンド式とあまりに異なり、彼女やダークエルフ側下士官たちに困惑を抱かせていたのである。

優秀な成績と狙撃手への抜擢

しかし実射が始まると、ウルフェンは三〇〇メートル先の標的に対し膝射・伏射とも安定した命中を重ね、五点圏を含む高得点を連発した。教官たちは再射を命じて実力を確認し、猟師としてキツネ撃ちをしていた過去を聞き出すと、教本どおりの姿勢を指導しつつも射撃技量を高く評価した。その結果、彼女は選抜射手訓練の対象となり、起床前からの特別訓練に組み込まれる。やがて射撃成績優秀者の徽章を許され、猟兵共通の短小銃ではなく、選び抜かれた長銃身のGew七四を与えられた。名目上は各小隊一名の長銃身配備による装備節約策に過ぎなかったが、ウルフェンの場合は努力と成績がその小銃を「正当な代価」として周囲に認めさせるものであった。

寡黙な努力と村の悲劇

ウルフェンは誰よりも早く起床し、小銃の分解整備と射撃訓練に励み、夜には他の兵と同じく皮革装備の手入れも欠かさなかった。狙撃手は単独行動も想定されるため体力訓練にも妥協がなく、その生活は常に張り詰めたものであったが、彼女自身は騒がず淡々と日課をこなした。同隊の兵たちは「いつ眠っているのか」と呟きつつ、その気迫の背景に思い至る。ウルフェンの村では、氏族長までもが白エルフたちに連れ去られたという。事情を知った兵たちは、復讐心を露わにせず静かに技を研ぎ澄ませる姿勢に戦慄と畏怖を覚え、彼女を心の支えとみなすようになったのである。

「眠らない狼」としてのウルフェン像

同僚たちはウルフェンを「獲物を追う巨狼」のようだと評した。巨狼は獲物を狩ると決めたとき、三日でも四日でも執拗に追い続けるが、それは激情ではなく、冷静で揺るぎない執念である。ウルフェンにもまた、喚き立てる代わりに寡黙に標的を見据え続ける気配があり、その在り方は「そんなときの狼は眠らない」という言葉に象徴された。こうして彼女は、アンファングリア旅団の中で、過去の喪失を胸の奥に秘めたまま、眠らぬ狼のごとく黙々と狙撃手としての技量を高めていったのである。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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