物語の概要
ジャンル:
医療ミステリーである。救急医の武田航が、搬送された遺体「キュウキュウ十二」が自身と瓜二つであることに衝撃を受けることをきっかけに、捜査と生命倫理の狭間へと導かれていく物語である。高度な医療知識と本格推理を融合した骨太な構成となっている。
内容紹介:
ある夜、救急医の武田のもとに搬送された溺死体「キュウキュウ十二」は、顔かたちのみならず身体的特徴までが武田と瓜二つであった。なぜこの人物が死に至り、どのような関係があるのか。武田は中学時代からの友人で医師の城崎響介と共に調査を始めるが、生殖医療に関わる医師との接触や密室での他殺事件が謎を一層深める。過去と現在が交錯する構造の中で、衝撃の真相が描かれている。
主要キャラクター
- 武田 航:救急医であり本作の語り手。突然現れた瓜二つの溺死体「キュウキュウ十二」との遭遇を機に、自分の出生や生殖医療の秘密を追求する主人公である。
- 城崎 響介:武田と同じ病院に勤める内科医。中学時代の同級生でもあり、冷静沈着な推理力で事件の謎解きに深く関わる“探偵役”的存在である。
- キュウキュウ十二:身元不明の溺死体。武田とは外見だけでなく身体的特徴まで一致しており、事件の発端となる象徴的存在である。
物語の特徴
本作の魅力は、現役医師による精緻な医療描写と倫理的葛藤の描写である。「自分と瓜二つの遺体」という極端な設定は強烈な導入であり、それに続く密室殺人・出生の秘密・生殖医療の倫理的問題を交えた展開は、社会派ミステリーとしての深みを持つ。ラストに向けて次々と明かされる真相は、読者の価値観を揺さぶる余韻を残す。
書籍情報
禁忌の子 〈医師・城崎響介のケースファイル〉
著者:山口未桜 氏
出版社 東京創元社
刊行日 2024年10月10日
ISBN 978‑4‑488‑02569‑4
受賞歴 第34回鮎川哲也賞を満場一致で受賞/2025年本屋大賞 第4位
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あらすじ・内容
救急医・武田の元に搬送されてきた、一体の溺死体。その身元不明の遺体「キュウキュウ十二」は、なんと武田と瓜二つであった。彼はなぜ死んだのか、そして自身との関係は何なのか、武田は旧友で医師の城崎と共に調査を始める。しかし鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手が密室内で死体となって発見されてしまう。自らのルーツを辿った先にある、思いもよらぬ真相とは――。過去と現在が交錯する、医療×本格ミステリ! 第三十四回鮎川哲也賞受賞作。
*第3位〈週刊文春〉2024ミステリーベスト10 国内部門
*第4位 2025年本屋大賞
感想
読み終えて、まず感じたのは、時代というものがもたらす価値観の変遷である。
禁忌とされている事柄も、時代が違えば受け入れられる可能性もあったのかもしれない。同じ遺伝子を持つ者が、育った環境によってかくも異なる人間になるのかと、人間の奥深さを改めて思い知らされた。
物語は、救急医の武田が、自分と瓜二つの溺死体「キュウキュウ十二」の謎を追うところから始まる。旧友の医師、城崎と共に真相を究明しようとするのだが、その過程で予想もつかない展開が待ち受けている。鍵を握る人物に会おうとした矢先、その人物が密室で殺害されるという衝撃的な事件が発生し、読者は一気に物語に引き込まれる。
武田が自身のルーツを辿る中で明らかになる真相は、まさに「禁忌の子」というタイトルにふさわしいものだった。遺伝的にも、そして倫理的にも、決して許されない存在。その結末は、読者の予想を遥かに超えるものだったと言えるだろう。
物語の終盤は、まさに修羅場と呼ぶにふさわしい展開で、ページをめくる手が止まらなかった。
過去と現在が複雑に絡み合い、人間の業のようなものが浮き彫りになる。医療ミステリーとしての面白さはもちろんのこと、人間の心の闇を描いた作品としても非常に読み応えがあった。
作者の力量に感服し、他の作品もぜひ読んでみたいと感じた。医療現場の描写もリアルで、臨場感あふれる物語に引き込まれた。ミステリー好きはもちろん、人間ドラマが好きな人にもおすすめしたい一冊である。
最後までお読み頂きありがとうございます。
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展開まとめ
第一章 発端
CPA患者の搬送と初期対応
2023年4月17日夜、兵庫市民病院救急科の武田は、鳴宮浜沖で発見された心肺停止の身元不明男性の搬送要請を受けた。患者は推定30代で外傷はなく、蘇生の望みは薄かった。初療室では看護師の小宮山と研修医の春田が準備を進め、救急搬送を迎え入れた。搬送後、春田が挿管準備中に患者の顔が武田と瓜二つであることが判明し、死亡確認が行われた。CT検査では後頭部に外傷と急性硬膜下血腫が確認され、警察が事件・事故両面で捜査を開始した。
遺体との相似と警察対応
遺体は身長・体重・体格まで武田と一致しており、特徴的な体毛も同一であった。警察は身元確認後に病院へ連絡する旨を伝え、遺体は剖検予定となった。武田は遺体が大切に扱われることを望み、帰宅後も精神的動揺から眠れず、妊娠中の妻への不吉な報告を避けつつ彼女に会いたいと感じていた。
旧友との再会と緊急症例
翌日、小宮山の提案で、問題解決に長けた消化器内科医・城崎響介に相談する機会を得た。城崎は武田の中学時代の同級生であり、救急現場で大量吐血患者の止血を鮮やかに成功させた。その後、武田は食堂で城崎を昼食に誘い、過去の記憶が甦った。
中学時代の事件と城崎の特異性
19年前、中学2年時に学年一の美少女・水島千沙が事故死し、教室は悲嘆に包まれた。武田は帰宅途中に、悲しみを表に出さず平然と日常行動をとる城崎を目撃し、問い詰めた。城崎は感情が一瞬で消える性質を持ち、感情に振り回されないことで冷静な判断を保つと語った。この出来事をきっかけに、二人は中学卒業まで秘密を共有する特異な関係を続けたのである。
城崎との会話と恐怖の整理
病院食堂で城崎と向き合った武田は、身元不明遺体との異様な類似について相談した。城崎は武田の恐怖を二つに分解し、遺体が自分と関係する可能性と、殺害され自分も狙われる可能性と指摘した。城崎は事件解明に協力を約束し、まず戸籍確認を提案した。武田は市役所で調べ、兄弟や近親者の存在を否定した。
鳴宮浜訪問と帰宅
武田は遺体が発見された鳴宮浜を訪れ、現場の様子を確認して祈りを捧げた。帰宅後、妊娠中の妻・絵里香と親密な時間を過ごし、精神的な緊張が緩和された。翌朝、母の言葉を思い出し、自分に何が見えていないのかを考えた。
警察の訪問と剖検結果
九日後、警部補の後藤が来訪し、遺体の身元が依然不明であること、死因は急性硬膜下血腫を伴う溺死であることを伝えた。事件と事故の両面が検討されたが、署内では事故説が優勢だった。後藤は武田の行動確認を行い、同窓会出席や移動手段について詳細を記録した。
再び城崎との相談
武田は後藤から得た情報を城崎に共有した。城崎は、警察とは異なる背理法を用いた調査を提案し、「遺体と武田の間に関係がない」という命題を証明するために武田自身の身辺を調べるべきと述べた。その第一歩として、母子手帳の確認を指示した。
第二章 連鎖
母子手帳の発見と出生確認
武田は城崎を自宅に招き、母の遺した部屋で母子手帳を探した。押し入れの段ボールから見つかった母子手帳には、自身が単胎で出生したことが明記されており、双子説は否定された。しかし、妊娠16週で通院先が生島病院から阪神中央病院に変わっている記録が城崎の注意を引いた。
生島病院の正体と不妊治療の推測
絵里香の知識により、生島病院が現在の「生島リプロクリニック」であり、不妊治療の名門であることが判明した。武田は両親が不妊治療を受けていた可能性を認めつつ、その事実が今回の出来事と関係するか疑念を抱いた。城崎は現地訪問を提案し、翌日の偵察を決定した。
クリニックでの予期せぬ接触
翌日、大阪市の生島リプロクリニックを訪れた二人は、受付主任の黄信一から「タカハシュウイチ様」と呼ばれる人物が理事長と接触していた事実を引き出した。これにより、遺体の男がその名を名乗っていた可能性が浮上したが、城崎は慎重な姿勢を崩さなかった。
旧友・緑川愛との再会
黄との緊張が高まる中、武田の大学時代の友人で元野球部マネージャーの緑川愛が現れ、場を収めた。彼女は同クリニック勤務であり、外来終了後に院内案内や理事長への取次ぎを申し出た。城崎と武田はその提案を受け入れ、近くの喫茶店で待つことにした。
緑川愛からの情報提供
緑川は理事長・生島一郎に面会し、武田の出生について質問したが、「紹介状が必要」との理由で直接の回答は得られなかった。ただし、旧姓「武田かおり」の名に理事長が反応した様子を確認した。
阪神中央病院での記録確認
武田と城崎は母子手帳に記された阪神中央病院を訪れ、医事課長の協力を得て診療記録を閲覧した。そこには妊娠16週時の腹痛・出血での入院記録が残っており、既往歴に「不妊治療(生島病院)」と記載されていた。また、同日付で「タカハシシュウイチ」と記された紹介状の写しが保管されていた。
遺体との関連性の高まり
紹介状の宛先と遺体の男の名が一致したことから、両者の関連が一層強まった。城崎は「出生に関する情報が事件の核心」と判断し、武田の出生前後の経緯をさらに深く調べる方針を固めた。
蘇生の試みと死亡確認
生島京子が首を吊った状態で発見され、救急医が即座に心肺蘇生を開始した。AEDや挿管などの処置が行われたが心拍は回復せず、午後二時五十五分に死亡が確認された。室内は処置後の器具や薬品が散乱し、現場保存はされていなかった。
密室の成立と鍵の所在
現場は理事長室で、窓とドアは施錠され細工の痕跡はなかった。唯一の鍵は床に落ちており、蒼平が母の所持品と確認した。状況から完全な密室が成立しており、蘇生中の混乱時に誰でも鍵を部屋に戻すことが可能であったと城崎が指摘した。
遺書メールと自殺疑惑への反論
パソコンには蒼平宛の自殺を示唆するメールが残っていたが、城崎は予約送信の可能性を示し、完全なアリバイは成立しないと説明した。武田は直前に面会予定があったことから自殺に疑問を呈し、事件性を主張した。
紙袋の行方と金山の証言
看護師の金山は、朝に京子が茶色の紙袋を持っていたと証言したが、現場からはその紙袋が消えていた。金山は午後二時までの行動について、正午までは看護師業務、正午から十二時半までは着替えと休憩をしていたと述べ、途中で黄とすれ違ったと話したが、この時間帯の完全なアリバイはなかった。
室内の物証と薬物の可能性
机上には飲みかけのコーヒーと空の睡眠導入剤PTPシートがあり、薬物混入の可能性が示唆された。ただし、薬包を現場に残す行為は不自然であり、他殺であれば証拠隠滅が行われるはずと城崎が推測した。流し台には使用痕があり、コーヒー廃棄の可能性も考えられた。
写真と人間関係の示唆
部屋には若き日の京子、蒼平、ジェイムズ・サカモト、そして三十年前の赤坂が写る写真があり、関係性の深さが示唆された。
蒼平の依頼と協力関係
蒼平は城崎と武田に、残る五人の関係者の行動を探るよう依頼した。二人は協力を了承し、まずは金山から情報を引き出した。金山は緑川と黒田の関係を示唆する発言も行った。
警察到着前の捜査継続
警察到着が告げられる直前まで、城崎と武田は現場と証言の確認を進め、紙袋の消失や薬物痕跡、人物の動向などを整理した。これらの情報は今後の警察捜査に引き継がれることとなった。
警察到着と検死の開始
現場に福島署刑事課の観警部補と若狭巡査ら十名以上が到着し、蒼平と武田は第一発見者として事情を説明した。鑑識課の宗形が検死を担当し、首の索状痕や死斑から死因は縊死、死亡推定時刻は午前十一時半から午後一時半と推定された。遺書送信時刻との矛盾から予約送信の可能性が浮上したが、自殺の可能性も否定はできなかった。遺体には帝王切開や腹腔鏡手術の痕、右手親指の骨折が認められた。
現場の不自然さと宗形の見解
宗形は弁当を持参していたことや約束直前の死亡など、自殺としては不自然な点を指摘したが、他殺の痕跡が乏しいため捜査は自殺方向に傾く可能性を示した。
緑川の事情聴取と告白
廊下で緑川から事情を聞き、昼食時に黒田と会っていた事実を確認した。彼女は夫の不倫や家庭不和を打ち明け、過去に武田のメッセージで自殺を思いとどまった経験を語った。黒田とは相談を重ねるうちに親密になったと認めた。
黒田の行動と証言
緑川が黒田を呼びに行く間、武田は若狭刑事の聴取を受けた。福山刑事は蒼平の事件性への疑念に冷淡で、自殺として処理する傾向を示した。聴取後、黒田と会話し、金山との間に京子との接触があった可能性を聞いた。黒田は緑川を守りたい意向を示し、京子との直接的なトラブルは否定した。
密室トリックと犯行可能者の絞り込み
武田と城崎は密室成立の合理性から、発見時刻を七時過ぎと想定した場合に犯行可能な人物を検討した。緑川、黒田、金山はそれぞれ勤務や予定によりその時間帯に鍵をかけられない可能性が高く、犯人候補からは優先度が低いとされた。ただし、緊急時の非論理的行動や共犯の可能性という推理の弱点も残された。
捜査方針と今後の課題
城崎は現場に疑問を持つ宗形の存在や蒼平の協力要請を踏まえ、引き続き院内の人間関係と事件の鍵を握る「消えた紙袋」や京子の発言の真意、過去の出来事との関係を探る必要性を確認した。
城崎の聴取後と刑事から得た情報
城崎の聴取は四十分以上に及び、終了後に黒田、赤坂、蒼平の行動経緯を福山刑事から聞き出していた。黒田は午前の業務後に緑川と会い、二時に別れて帰院。赤坂は昼前に病院を離れ昼食後に戻り、蒼平は講演会と立食会出席後に二時三十五分帰院していた。死亡推定時刻から蒼平はアリバイが成立し、残る不明要素は黄の動向だった。
赤坂との面会と過去の治療
三階研究室で赤坂と面会し、三十年前の写真や当時の治療方針について聞き取った。京子とジェイムズは母体負担軽減と着床率向上を目指し、胚は一個移植・凍結融解胚移植を推奨していた。さらに赤坂は、二人が胚盤胞までの培養法を確立していた可能性を示唆し、一卵性双生児が別の母から生まれる技術的可能性について「ありえる」と答えた。
黄への質問と情報の断片
黄は午前中の行動を説明し、二時の面会予定を他言していないと主張した。また、タカハシュウイチの訪問が一度ではなかったことが判明した。理事長室での会話内容は知らないと答えたが、好意的には見ていなかったことを認めた。
蒼平との対話と過去の様子
蒼平は京子の自殺を否定し、来週三歳になる息子の誕生日を楽しみにしていたことを挙げた。三月以降の元気のなさは感じていたが、具体的なトラブルは知らないとした。京子と金山の会話内容も不明で、金山の正義感の強さに触れた程度だった。
タカハシュウイチの件と蒼平の反応
城崎がタカハシュウイチと武田の類似、母子手帳の受診履歴、京子の手紙を提示したが、蒼平は心当たりを否定した。事件が殺人であれば犯人を知りたいと述べ、防犯カメラ映像や山田医師への接触を承諾した。
犯行可能者の再検討と推理の進展
城崎は、黄が犯人なら武田が蘇生に集中する時間を稼ぐため密室にした可能性を指摘し、条件的に容疑が残るのは黄、赤坂、蒼平に絞られるとした。また、胚盤胞移植の話から武田とタカハシの一卵性双生児説を再確認し、さらに城崎は事件の謎を解く鍵が挿管チューブと京子に似た武田の顔にあると示唆した。
第四章 分数
フォルスマンの逸話と研究の推測
城崎は1956年ノーベル賞受賞者ヴェルナー・フォルスマンの自らの体を使った心臓カテーテル実験の逸話を語り、そこから京子とジェイムズが凍結融解胚移植や胚培養の研究を自分たちの卵子と精子で行っていた可能性を示唆した。採卵に腹腔鏡手術が必要であった当時、第三者の無償提供は現実的でなく、京子は常位胎盤早期剝離により子供を望めない体であったため、残された卵子を研究に用いたと考えられた。奇跡的に一つの受精卵が二つに分裂し、二つの胚盤胞が生じ、それぞれを別の女性に移植した可能性が推論された。
出生の秘密と両親の意図
武田は自身がその胚盤胞移植で生まれた可能性を突き付けられ、両親が血縁を伏せて育てた理由を問うた。城崎は、当時は出自を隠すことが子供のためとされていたと説明し、両親は提供者を知らず匿名として扱ったと推測した。武田は遺伝的な母を失った喪失感に襲われたが、城崎は妊娠出産の過程で確かな母子の繋がりは存在すると述べた。
自殺説への疑義とDNA鑑定の提案
二人は京子が遺伝的親子関係を明かす予定だったと考え、自殺の可能性を否定した。城崎は京子が殺害された可能性と、その動機に関与しうる人物を推測し、DNA鑑定の実施を提案した。鑑定には京子の挿管チューブや武田の母の毛髪、さらに救急患者の血液検体も利用可能であると説明し、武田は出費を覚悟で鑑定に踏み切った。
身元判明と新たな疑念
鴨宮警察から身元不明遺体が中川信也と判明したとの連絡を受け、武田は彼が別名で京子に接触していた可能性を考えた。電子カルテから中川の生年月日が自身と四日違いであることを知り、母・敬子への接触を試みたが電話番号が誤っており、書留で手紙を送付することにした。
蒼平からの呼び出しと証言の聴取
翌日、城崎と共に蒼平のクリニックを訪れ、非常勤医師の山田から事件当日の行動を確認し、完全なアリバイを得た。山田は不妊治療の背景から恨みを買う可能性を指摘したが、特定の人物は知らなかった。
カルテ消失と卵子提供の疑惑
蒼平は母のマンション整理中に発見した段ボールの紙カルテの一部が持ち去られていると明かした。病院捜索では見つからず、京子が準備していた可能性のある武田のカルテも失われていた。城崎は資料に卵子提供に関する記述を見つけ、京子が非配偶者間卵子提供を秘密裏に行っていたことを示唆した。
非配偶者間人工授精の疑惑と脅迫の可能性
武田は蒼平が京子の非配偶者間人工授精提供を知る者の存在を疑い、院内に脅迫者がいる可能性を指摘した。蒼平は、警察介入によるスキャンダル化と学会認定取り消しを恐れ、武田らに頼ったと説明した。城崎は資料から80年代後半〜90年代前半の非配偶者間人工授精関連記録を確認し、蒼平は京子が姉妹間卵子提供や匿名精子バンクによる治療を行っていたと述べた。さらに通帳記録と旧友弁護士への相談履歴から、三月末から四月初めに脅迫を受けていた可能性が示唆された。
防犯カメラ映像の確認と行動記録
武田は四月初旬の防犯カメラ映像にタカハシュウイチが映っていた可能性を指摘したが、データは上書き消去されていた。代わりに五月六日の映像を確認し、京子と金山の来院、各職員の出入り時間を記録した。紙袋は誰も持ち出しておらず、カルテはカバンに隠して運び出せた可能性が示された。城崎は四月十六日夜の各人物の動向を確認し、蒼平と京子は同じ会場に居合わせていたことが判明した。蒼平は警察捜査が停滞し、現場から京子の指紋が消されていた事実を明かした。
DNA鑑定結果の衝撃
五月十七日、武田はDNA鑑定結果を受領し、京子が遺伝学的母であり、美由紀とは血縁がなく、タカハシュウイチ(中川信也)が一卵性双生児であることを知った。衝撃を受けつつも両親からの愛情を確認し、自らを奮い立たせた。蒼平から四月十六日の調査結果も届いたが、誰のアリバイも成立しなかった。
立花との会話と城崎の発言
武田は外来で立花と遭遇し、彼女から城崎の「優しいふり」発言とその真意に関する逸話を聞いた。立花は城崎の洞察力を優しさと評価しており、武田は彼女が城崎の理解者になりうると感じたが、彼の本質的な孤独感には懐疑的であった。
城崎への報告と新たな鍵
武田は城崎にDNA鑑定結果を報告し、城崎は「左右対称」という謎めいた言葉を口にした。彼は事件解明に必要な最後のピースが中川敬子であると明言した。
中川敬子との接触
武田は敬子から直接の電話を受け、二十一日午前十一時に彼女の自宅で会う約束を取り付けた。城崎は日直のため同行できず、武田に単独行動を促した。
訪問の準備と岐阜への道行き
五月二十一日、武田は中川敬子との面会に向け岐阜へ出発した。学会出席を名目に妻・絵里香に見送られ、車で快晴の高速道路を走りながら、自身の出生の真実を知るための最後の一歩であると心を固めた。道中、過去の家族写真を思い返し、両親の愛情を再確認しながら、三十三年前の出来事を探ろうと決意していた。
中川家での対面と旧交の発覚
岐阜市内の中川家に到着した武田は、門前で出迎えた中川敬子から涙ながらに迎えられた。屋内へ案内され、仏壇には学生服姿の中川信也の遺影が飾られており、武田と瓜二つの容貌だった。会話の中で、中川敬子が小学校時代の大阪で生島京子と同級生だったことが判明し、二人は長年文通を続けてきたことが明らかになった。
中川敬子の結婚と不妊治療の経緯
敬子は地主で資産家の中川吾郎と結婚したが、長年子供ができず姑や周囲から非難を受け続けた。三十五歳で早発閉経となり、さらに夫が無精子症と診断されたことで、夫妻の自然妊娠は不可能と判明した。この時、敬子は京子が開院した生島病院を訪ね、非配偶者間体外受精による胚移植を提案された。
卵子提供の条件と誓約
移植に際し、京子から四つの約束が課された。産まれた子を一生愛育すること、遺伝学的両親を詮索しないこと、子供に真実を気付かせないこと、手術内容を他言しないことの四点で、違反時は五千万円の違約金を支払う旨の誓約書も交わされた。移植は成功し、帝王切開で中川信也が誕生した。
幸福な時期と顕微授精の挑戦
出産後、姑との関係も改善し、家族としての生活は安定した。やがて吾郎はT大学で始まった顕微授精の治験を知り、自身と血縁を持つ子を望んで再び治療に挑戦した。妊娠は順調に進んだが、出産直前に子宮破裂を発症し、胎児は死亡。これは帝王切開の既往による典型的な重篤合併症であり、悲劇的な結果となった。
中川信也の過去と推測
中川敬子宅を後にした武田は、信也の苛烈な生育環境と、その結果として形成された暴力的な性質を思い起こした。幼少期に愛情を失い、踏みつけるか踏みつけられるかという二択の世界で生きた彼は、人との親密な関係や性行為の本質を知らぬまま成長した。武田は、もし愛情があれば信也も少女を傷つけず、海で命を落とすこともなかったのではないかと考えた。
誓約書発見から脅迫への流れ
武田は、信也が誓約書の控えを見て出生の秘密を知り、京子を脅迫したと推測した。タカハシュウイチと名乗って代理人を装い、複数回にわたり計六十万円を受け取ったと考えられる。京子は彼の正体に気付いていたが詮索せず、心理的負担から三月以降に変調をきたした可能性があった。京子は信也に遺伝的親子関係を認めたとみられ、これにより関係者全員に動機が生じたが、信也死亡後に京子も殺害された理由は不明であった。
長良川での思索と城崎への報告
長良川沿いを歩く途中、群舞するカゲロウを見て生命の儚さと連続性を思い、信也も同じ景色を見たのかと想像した。武田は敬子から聞いた内容を城崎に報告し、信也の生い立ちや人物像を説明した。「五分の三」という言葉に城崎は反応し、犯人・動機・事件の全容を理解したと告げたが、詳細は後日とした。
帰路での不意の報せ
武田は岐阜を出発し帰路を急いだ。途中、JR芦屋駅の駅員から電話を受け、妻・絵里香がホームから転落したとの知らせを受けた。
第五章 真実
絵里香転落事件の発生と救出
武田は運転中、駅員から絵里香が芦屋駅でホームから転落したとの報告を受けた。駅員によれば、電車到着前に落下し、すぐに退避スペースへ誘導され、妊娠中のため念のため病院へ搬送されたという。絵里香本人も背後から押されたと証言し、駅員も突き落とされたと見ていた。武田は犯人逮捕を強く求めたが、現場は混雑しており犯人像は不明であった。
事件の関連性と城崎への警戒
武田は絵里香の転落が過去の事件と関係するかを疑い、特に城崎が狙われる可能性を懸念して連絡を試みた。しばらく後に通話が繋がり、城崎も無事を確認。城崎は全ての真相を直接会って話すことを提案し、武田は病院を出た後に会う約束をした。
病院での再会と無事の確認
病院に到着した武田は、救急外来で絵里香と再会し、外傷は軽度で赤ん坊も無事と知り安堵した。医師の診察後、絵里香は一泊の経過観察入院となったため、武田は連絡を取り合うことを約束して病院を後にした。
城崎との再会と推理の開始
夜、城崎が武田宅を訪れ、二人はこれまでの三件の事件を整理した。城崎は二件目の密室殺人事件を中心に犯行可能者を分析し、鍵をかけられる者とそうでない者に分類して可能性を絞り込んだ。その結果、全ての犯行パターンが矛盾することから、被害者の京子は自殺であったと結論づけた。
自殺の証拠と現場再現
城崎は左右対称に下肢前面へ生じた死斑に着目し、これが正座姿勢での首吊りによるもので、死後に誰も部屋を出ていない証拠と説明した。ビニール紐とドアノブを用いた再現実験で、部屋から脱出すれば正座が崩れるため死斑は残らないことを示し、自殺説を補強した。
自殺の不自然さと分数の意味
武田はカルテの持ち去りや予定直前の自殺という行動の不自然さを指摘したが、城崎は京子が自らカルテを渡したと断言した。中川信也が残した「3/5」という分数を小数に変えると六割となり、これは過去に赤坂が述べた移植成功率と一致。五つの胚盤胞から三人の子供が生まれており、武田は双子ではなく三つ子で、Xは三人目の子供であると城崎は明かした。
三人目の子供Xの推論
城崎は「3/5」の数字から、三人目の子供Xの存在を推論した。京子は五束のカルテを持参し、その中にX自身のカルテも含まれていたとされる。Xは京子から自分の出生の秘密を知り、さらに中川信也を殺害したと城崎は結論づけた。条件として、院内からカルテを持ち出せること、中待合に入っても不自然でないこと、1989年4月から1994年1月に出生していること、そして5月6日の面会予定を知っていたことが挙げられた。
Xの正体と絵里香の登場
玄関から入ってきた人物は絵里香であり、城崎は彼女こそXであると断言した。城崎は、絵里香が京子の三人目の子供であり、武田の妹であることを指摘した。京子は武田との血縁を知らせるために会おうとしていたが、絵里香はその事実を隠すために行動したと推測された。
出生の秘密と心理的背景
城崎は遺伝的類似による強い惹かれ合い(ジェネティック・セクシュアル・アトラクション)の可能性を説明し、絵里香と武田の共通点を遺伝子由来と示唆した。また、カルテや移植記録は医学的価値から捨てられず、絵里香はそれを自宅に保管していた。リュックの中から京子や武田、美由紀、中川信也、山本総里香のカルテが発見された。
京子の行動の理由
城崎は、京子が三人の子供のうち一人を虐待死に至らせ、残る二人が偶発的近親婚に至っている事実を知り、母として絵里香を庇うため自殺したと説明した。絵里香は妹であり、遺伝的には兄妹婚であることも明らかになった。
中川信也殺害の動機と状況
城崎は、中川信也が三人の名前を知り、SNSや病院情報から武田と絵里香を特定したと推測。格差と嫉妬から絵里香を標的にし、さらに二人の婚姻が血縁発覚で無効となる事実を脅迫材料とした。中川信也は武田宅を特定し、ロードバイクに盗聴器兼GPSを仕掛けて行動を監視していた。
犯行日と計画の推測
城崎は、中川信也が4月16日の同窓会を襲撃の好機と見たと推測した。酔った武田を制圧しやすく、妊婦の絵里香を狙いやすい状況だったと述べた。そして中川信也の死は、計画的殺人ではなく正当防衛や事故に近いものである可能性を指摘した。
現場の特定と絵里香の告白
城崎は、犯行現場が武田宅の黒い大理石のカウンターキッチンであると示し、絵里香はそれを認め、苦しげに顔を覆った。
終章 蜻蛉
絵里香との対話と共有された秘密
城崎が去った後、武田は夜明けまで絵里香と語り合い、二か月の空白を埋めた。中川信也の生家訪問や、中川敬子の語った過去を伝えると、絵里香は祈るように受け止めた。彼女は生前の京子との会話も明かし、京子が中川信也に名前を伝え、自らを庇う覚悟を固めていたことが判明した。二人は兄妹である事実を重い秘密として共有し、産まれてくる子の未来を守るため、罪を背負って生きる決意を固めた。
事件後の変化と蒼平との再会
事件は京子の自殺として処理され、金山は不起訴となり、緑川は離婚を決意した。武田は蒼平に会い、城崎の推理を伝えるが、血縁関係や出生の秘密は伏せた。蒼平は京子が生前、非配偶者間人工授精で生まれた子供たちの権利に目を向け、ドナー情報を整理していたことを語った。蒼平は母の遺志を継ぎ、将来は制度作りに関わる意思を示した。
献花の地への訪問
武田と臨月間近の絵里香は、中川信也が亡くなった場所を訪れた。献花台は撤去されていたが、道端には二つの花束があり、その一つは供え主を察することができた。二人は静かに手を合わせ、亡き少女の冥福を祈った。
出産と命の継承
破水から始まった出産は十時間に及び、武田は陣痛の絵里香を支え続けた。分娩室での緊迫の時間の末、女児が誕生した。軽く儚い命を抱き、武田はその小さな手の握り返しに応えた。初乳を飲む赤子を胸に抱いた絵里香と見つめ合い、命のバトンが確かに受け渡されたことを実感した。
新たな家族の誕生
二〇二三年八月三十日午前六時十分、妊娠三十六週三日で武田玲菜が誕生した。禁忌とされる血の関係を抱えながらも、二人にとってかけがえのない家族として、新たな命はその日を迎えた。
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