小説「幼女戦記 3 The Finest Hour【最高の瞬間】」感想・ネタバレ

小説「幼女戦記 3 The Finest Hour【最高の瞬間】」感想・ネタバレ

幼女戦記3巻の表紙画像(レビュー記事導入用)

Table of Contents

物語の概要

本作は軍事ファンタジー/異世界転生ライトノベルである。前巻までに帝国軍の航空魔導大隊を率いて活躍してきたターニャ・デグレチャフ少佐は、その卓越した指揮能力により陸・海・空の戦線で勝利を重ね、帝国軍を数多の戦場へ導いてきた。第3巻では、帝国軍が諸列強を退けつつ戦果を重ね、ついに大規模勝利を手に入れる一方で、その栄光の裏に潜む不安と疑念がターニャの前に立ちはだかる。勝利が“決定的勝利”であるのか、“ピュロスの勝利”に過ぎないのか。帝国全体が勝利の美酒に酔いしれる中、ターニャだけは戦争そのものの本質と帝国の未来を問い直す道を歩み始める。

主要キャラクター

  • ターニャ・デグレチャフ
    金髪碧眼の幼い少女の外見を持つ帝国軍魔導大隊指揮官。異世界に転生した元サラリーマンであり、冷徹かつ合理的な思考によって戦場を切り開く“帝国の怪物”。陸・海・空すべてにおいて快進撃を続けるが、勝利の重みと戦争の本質に疑問を抱き始める。
  • レルゲン
    帝国軍参謀本部の将校。ターニャを警戒しつつも、その能力を利用する立場にある。状況分析や戦略立案に携わる中心人物。
  • ヴィーシャ(ヴィクトーリヤ・イワノーヴナ・セレブリャコーフ)
    ターニャの副官にして同僚。戦闘・士気維持の両面でターニャを支える重要な戦力であり、物語全体の推進力となる一角である。

物語の特徴

本作の魅力は、単なる戦闘描写に留まらず、戦争の政治的・倫理的側面を深く掘り下げている点にある。帝国軍が勝利を重ねる過程は大量の戦略・戦術が絡む“組織的戦争”であり、その中でターニャの合理主義が光を放つ。だが勝利が連続するからこそ、その先に待つ“虚無”や“失われた人間性の問い”が読者の胸を打つ。帝国は本当に勝利したのか、ただの損害と犠牲を積み上げただけなのか――という根源的な問いを投げかける構造が、他の異世界戦記・戦争小説と一線を画している。

また、外見は幼女というギャップにより、戦場の苛烈さ・政治的駆け引き・宗教的対立といった重厚なテーマが逆に強烈に読者の心に残る差別化要素となっている。

書籍情報

幼女戦記 3 The Finest Hour
著者:カルロ・ゼン 氏
イラスト:篠月しのぶ  氏
出版社:KADOKAWA
発売日:2014年11月29日
ISBN:9784047300378

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あらすじ・内容

戦場の霧を見通すは、幼女(バケモノ)ただ一人。
金髪、碧眼の幼い少女という外見とは裏腹に、

『死神』『悪魔』と忌避される、

帝国軍の誇る魔導大隊指揮官、ターニャ・デグレチャフ魔導少佐。

戦場の霧が漂い、摩擦に悩まされる帝国軍にあって

自己保身の意思とは裏腹に

陸、海、空でターニャの部隊は快進撃を続ける。

時を同じくして帝国軍は諸列強の手を跳ね除け、

ついに望んだ勝利の栄冠を戴く。

勝利の美酒で栄光と誉れに酔いしれる帝国軍将兵らの中にあって、

ターニャだけはしかし、恐怖に立ち止まる。

これは決定的勝利か、はたまたピュロスの勝利か。

――帝国は本当に全てを掴んだのか?と。

幼女戦記 3 The Finest Hour

感想

「勝ったはずなのに終わらない戦争」という不吉な手触りを、これ以上ないほど鮮明に突きつけてくる一冊であった。
読後に残るのは爽快感ではなく、達成感とも異なる、鈍く重たい違和感であった。

共和国に勝利したという事実だけを見れば、帝国は間違いなく大戦果を挙げている。
しかし実態は「仕留め損ねた」という表現がこれ以上なく的確であり、決定的な終戦に結びつけられなかった点が、帝国にとって致命的な痛手として強く印象に残った。
敵主力を包囲殲滅し、指揮系統を潰し、戦術レベルではほぼ完璧であったにもかかわらず、ドルーゴ将軍の部隊を逃がしたことで、戦争を畳む最後の一手を失ってしまう。
その一瞬の「詰めの甘さ」が、後の地獄を約束してしまう流れは、読んでいて胃が重くなる。

ライン戦線で描かれる作戦行動は相変わらず圧巻である。計画的な戦線縮小、第203大隊を増加ブースターとして投入し、ミサイル強襲、HALO降下による敵司令部および連合王国情報部の無力化。やっていることはほぼ理想的な近代戦の教科書であり、「ここまでやって終わらないのか」という徒労感すら覚えた。
だからこそ、戦争とは戦場だけで完結しないという現実が、これでもかと突きつけられる。

個人的に衝撃だったのは、メアリーの参戦である。まさかこの段階で戦争の表舞台に出てくるとは思っておらず、今後ターニャと対峙する日はいつになるのかという、不穏な期待だけが静かに積み上がっていく。
両者が交わる瞬間は、勝敗以上に「何が起きるのか分からない」という怖さを孕んでおり、物語全体の緊張感を一段引き上げていた。

そして、ターニャ自身の扱われ方があまりにも皮肉である。彼女は戦争を終わらせるために、自分の功績すら投げ打とうとした。
それでも終わらなかった。その結果として南方大陸遠征組に回され、「戦は上手いが終わらせ方を知らない無能な将校」に囲まれるという地獄のような配置転換が待っている。
この流れには、もはや笑いすら出ない。合理性の化身のようなターニャが、非合理の塊である組織と戦争に押し潰されていく構図が、あまりにも残酷であった。

本巻を通して強く感じたのは、「この世界はどうやって戦争を終わらせてきたのか」という疑問である。
敵兵を一兵残らず殺して終わるわけでもあるまい。しかし、政治的妥協も、感情的区切りも、どこにも見当たらない。
この問いに対する明確な答えが示されないからこそ、帝国が次巻以降、全世界を敵に回し、約束された敗北に向かって泥沼の撤退戦を続ける未来が、あまりにも現実的に感じられてしまう。

また、相変わらず用語解説の皮肉が冴え渡っている点も見逃せない。
特に巻末解説のおかげで「回転ドア」についての理解が深まり、戦争がいかに惰性と制度で継続してしまうかが、妙に腑に落ちた。物語本文で殴り、解説で冷静に刺してくる構成は、本作ならではの嫌らしさであり、同時に知的な快感でもある。

総じて本巻は、「最高の瞬間(The Finest Hour)」というタイトルが、最大級の皮肉として機能している一冊である。
最も勝利に近づいた瞬間こそが、取り返しのつかない分岐点であったという事実が、ターニャの恐怖と重なって胸に残る。勝っても終われない戦争、その中心に立たされ続ける幼女の行く末を思うと、次を読まずにはいられない、だが読めばさらに気が重くなる、見事に意地の悪い巻であった。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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登場キャラクター

了解。人間は混ざるとすぐ迷子になるから、組織別に箱詰めする。これが一番頭に優しい。

前提は維持する。
・区切り線なし
・である調
・フルネーム原則(未提示はその旨を明記)
・ターニャの部下中心だが、関係者は組織単位で整理する

帝国軍 第二〇三航空魔導大隊(ターニャ直属)

ターニャ・フォン・デグレチャフ

帝国軍の航空魔導師であり、合理主義と統計を信条とする指揮官である。上層部と一定の距離を保ちつつ、部下との関係では任務遂行を最優先する立場を取る。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍第二〇三航空魔導大隊大隊長。階級は少佐である。

・物語内での具体的な行動や成果
 V-1を用いた強襲作戦で共和国軍ライン方面軍司令部を攪乱した。南方戦役では遊撃的行動により敵司令部への打撃を与え、包囲下の戦局を反転させた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 戦果により参謀本部から切り札的存在として扱われる一方、独自行動の多さから危険視もされている。

ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ

温和で実務能力に優れた航空魔導師である。ターニャを補佐し、副官として行動を共にする立場にある。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍第二〇三航空魔導大隊所属。階級は少尉である。

・物語内での具体的な行動や成果
 大隊の事務処理や補給調整を担当し、帝都移動時の手配など後方業務を遂行した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 前線と後方をつなぐ実務担当として、大隊運用に不可欠な存在となっている。

ヴァイス

規律と教範を重んじる将校であり、ターニャの副長として部隊統制を担う。慎重な判断を重視する立場にある。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍第二〇三航空魔導大隊所属。階級は中尉である。

・物語内での具体的な行動や成果
 ターニャ不在時には次席指揮官として部隊集結を指揮した。南方戦線では即応部隊を率いて狙撃兵排除を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 大隊内での指揮経験を重ね、実務指揮官としての立場を固めつつある。

グランツ

第二〇三航空魔導大隊の少尉であり、現場の段取りと状況認識を報告する立場の人物である。南方では過去の経緯を回想する語り手側にもなる。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍第二〇三航空魔導大隊の少尉である。
・物語内での具体的な行動や成果
 大隊集結完了を報告した。砂漠戦で装備適応の有効性を理解し、徹底を進めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 停戦前の問題が情勢で覆い隠された事情を整理した。現場負荷の異常さを認識する視点を提供した。

帝国軍 参謀本部

エーリッヒ・フォン・ゼートゥーア

帝国軍参謀本部に属する将官である。攻勢的な戦略を好み、短期決戦を志向する立場にある。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍参謀本部所属。階級は少将、後に中将である。

・物語内での具体的な行動や成果
 ゼートゥーアと共に「衝撃と畏怖作戦」を立案し、第二〇三航空魔導大隊を投入した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 作戦成功により昇進し、参謀本部内での発言力を強めた。

エーリッヒ・フォン・ゼートゥーア

冷静な分析を重視する参謀であり、兵站と戦力消耗を強く意識する人物である。感情を表に出さない立場を取る。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍参謀本部戦務参謀次長。階級は少将、後に中将である。

・物語内での具体的な行動や成果
 戦線整理を説明しつつ、水面下で大規模作戦の成功を待った。南方作戦では限定的戦力投入を主張した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 参謀本部の理論派として、戦争全体の方向性に影響を与えている。

ルーデルドルフ

帝国軍の将官であり、攻勢と早期終結を強く志向する人物である。講和条件や兵站の限界を踏まえつつ、決断を前へ押し出した。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍参謀本部の将官であり、のちに中将となった。
・物語内での具体的な行動や成果
 「衝撃と畏怖」作戦の起草に関与した。講和仲介案に反発し、早期終結を優先する方針を示した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 少将から中将へ昇進した。南方で第二〇三航空魔導大隊の投入を強く求めた。

ハンス・フォン・レルゲン

参謀本部所属の中堅将校であり、現地視察と報告を担う立場にある。規律と手続きを重視する。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍参謀本部所属。階級は中佐である。

・物語内での具体的な行動や成果
 前線からの報告を行い、停戦処理に関する現場状況の説明役を担った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 参謀本部内で信頼される報告要員として位置づけられている。

帝国軍 南方方面・現地指揮系統

ロメール

帝国側の将軍であり、南方で電撃的行動を押し通す指揮官である。参謀本部への不信を抱きつつ、現場の判断で戦果を拡大した。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍の軍団長である将軍である。
・物語内での具体的な行動や成果
 南方で敵を集結前に各個撃破した。チュルス軍港を奇襲占領し、根拠地を確保した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 少数派遣の想定を実戦で拡大する結果を生んだ。デグレチャフ少佐に遊撃任務を与え、見極めを開始した。

ラインブルク

第七戦闘団の少佐であり、南方前線で戦死が報告された人物である。通信断の復旧後に死亡が確定した。

・所属組織、地位や役職
 帝国軍第七戦闘団の少佐であった。
・物語内での具体的な行動や成果
 戦死が報告された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 死によって指揮権がデグレチャフ少佐へ移譲された。

カルロス

第七戦闘団の大尉であり、CPから状況を報告する実務者である。機材破壊による通信困難を伝えた。

・所属組織、地位や役職
 第七戦闘団のCPにいる大尉である。
・物語内での具体的な行動や成果
 短波通信で現況を報告した。機材が狙撃で破壊された事実を伝達した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 指揮系統回復の入口として機能した。

協商連合・共和国側

アンソン

協商連合側の軍人であり、戦死が家族に深い影を落とす存在である。直接の登場は回想に限られる。

・所属組織、地位や役職
 協商連合軍所属の軍人であった。

・物語内での具体的な行動や成果
 作中では既に死亡しており、死亡通知が家族に届けられた。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 その死が遺族の行動や心情に強い影響を与えている。

メアリー・スー

合州国に避難した少女であり、戦争によって家族を失った立場にある。強い意志を持ち、行動を選択する人物である。

・所属組織、地位や役職
 後に合州国自由協商連合第一魔導連隊へ配属された。

・物語内での具体的な行動や成果
 志願兵として徴募事務所を訪れ、忠誠宣誓を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 民間人から軍属へと立場を変え、物語後半の重要な担い手となる。

ビアント

共和国軍の中佐であり、官僚主義への反発と危機の発見を担う人物である。戦線崩壊を目撃し、警告を試みたが連絡網が断たれた。

・所属組織、地位や役職
 共和国軍の中佐である。
・物語内での具体的な行動や成果
 前線消失を観測し、CPへ警告した。方面軍司令部へ援軍要請のため飛行した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 司令部跡の炎上を確認し、指揮系統崩壊の現実を突き付けられた。

ミシェイル

共和国軍の中将であり、無線と有線の喪失を告げる立場に置かれた人物である。現場は警告を受けても上級へ届ける手段を失っていた。

・所属組織、地位や役職
 共和国軍の中将である。
・物語内での具体的な行動や成果
 通信手段の全喪失をビアントへ伝えた。司令部へ連絡できない状況を明確にした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 指揮の麻痺が起きている事実を示す役割となった。

ド・ルーゴ

共和国側の将官であり、敗北後も抵抗継続を選ぶ現実主義者である。国家存続を最優先に考える。

・所属組織、地位や役職
 共和国軍所属。階級は少将である。

・物語内での具体的な行動や成果
 大陸撤退を決断し、植民地を基盤とする抗戦構想を打ち出した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 自由共和国軍の象徴的指導者として影響力を維持している。

連合王国側

ハーバーグラム

連合王国側の少将であり、帰国報告に激昂する上司として描かれた人物である。得られた成果の乏しさを問題視した。

・所属組織、地位や役職
 連合王国側の少将である。
・物語内での具体的な行動や成果
 報告を受けて激怒した。内部漏えいの可能性を疑う方向へ傾いた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「大きなモグラ」疑惑の上方修正を促す圧力となった。

マールバラ

連合王国の海相であり、帝国への楽観を批判する警告役である。海軍万能論に反論し、地上介入の不可避を主張した。

・所属組織、地位や役職
 連合王国の海相である。
・物語内での具体的な行動や成果
 閣議で楽観論へ反論した。派遣計画の着手を迫る論を展開した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「血を流せば引けない」という政治的拘束を示唆した。想定崩壊の前触れを作った。

連合王国首相

連合王国政府の中心にいる人物であり、介入論を戦後処理へ移す議論を進めた。派遣計画を許可しつつも消極姿勢を見せた。

・所属組織、地位や役職
 連合王国の首相である。
・物語内での具体的な行動や成果
 閣議で戦後処理の議題を主導した。派遣計画を海相の管轄で進める許可を与えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 危機感の矛先を戦場から政治経済へ移した。前提が急報で覆る流れの起点に立った。

展開まとめ

第壱章 ひらけ、ゴマ

統一暦一九二五年五月二十四日 合州国アーカンソー州

祖母と孫の穏やかな日常
統一暦一九二五年五月二十四日、合州国アーカンソー州において、メアリーは隣家から贈られた林檎を手に、祖母のもとへ駆け寄っていた。祖母はその様子を微笑ましく見守り、孫娘の自然な気遣いと明るさに感謝していた。父と別れ異郷に来たにもかかわらず、メアリーは周囲を和ませる存在となっていた。

戦争が落とした影
祖母は、孫娘が自らと母を励まそうとしていることを感じ取り、その健気さを誇らしく思う一方で、戦争によってもたらされた境遇を痛ましく感じていた。表向きは朗らかに振る舞いながらも、心中では戦争の終結を切に願っていた。

娘の喪失と沈黙
祖母の娘は、夫であるアンソンの死亡通知を受け取って以来、心を失ったようにラジオの前で戦争報道に耳を傾け続けていた。協商連合の軍人であったアンソンの死は、穏やかな一日に突然もたらされ、娘の時間をその瞬間に凍り付かせていた。

死亡通知の記憶
協商連合の公用車と黒服の来訪者がもたらした死亡通知は、祖母にとっても忘れがたい衝撃であった。自ら応対しなかったことを悔やみながら、書状に記された事実を目にした瞬間の凍り付く感覚を、彼女は今も思い出していた。

終戦への祈り
戦況が帝国側の後退を示しているという報道を聞き、祖母は戦争が終わることを願っていた。娘がラジオに祈るように耳を傾ける姿を見て、復讐ではなく痛みを分かち合うことを選び、悲しみが和らぐまで共に耐えようと心に決めていた。

日常への回帰
祖母はメアリーに声をかけ、二人でアップルパイを作ることを提案した。悲しみを抱えながらも、ささやかな日常を取り戻そうとするその行為は、家族をつなぎ留めるための静かな意思表示であった。

統一暦一九二五年五月

作戦構想の明快さと致命的な疑念
参謀本部は、ゼートゥーア少将とルーデルドルフ少将が起草したSchrecken und Ehrfurcht(衝撃と畏怖)作戦を、目的が明瞭な計画として評価していた。敵司令部を直接叩いて指揮系統を麻痺させ、戦線崩壊へ導くという単純な首狩りであった。一方で、司令部は安全地帯に置かれ厳重に守られるのが常識であり、強行偵察が濃密な迎撃網と邀撃戦力の存在を裏づけたため、旅団規模でも壊滅級の損害が見込まれる無謀さが問題視されていた。

両少将の名と第二〇三航空魔導大隊が現実味を与える
参謀らは成功率の低さを理由に棄却しかけたが、提案者が機動戦の権威である両少将であることから、計画を精読して渋々検討に値すると認めた。迎撃困難な高度と追尾不能な速度を実現する追加加速装置と、錆銀と畏怖され始めたターニャ・デグレチャフ少佐の第二〇三航空魔導大隊の戦歴を加味すれば、机上では議論可能な魅力が生まれた。

解錠作戦との連動が参謀本部を分断する
両少将が本作戦を次期の大規模計画である解錠作戦と連動させ、衝撃と畏怖の断行が解錠作戦成功の条件になりうると示唆したことで、参謀本部は激しく紛糾した。既にライン戦線後退という危険な賭けに踏み込んだ状況で、博打に左右される構図は受け入れ難く、内部は真っ二つに割れるほど荒れた。

失敗時の効果も含めた採否判断
最終的に参謀本部は、敵司令部直撃という一点の軍事目的一点を高く評価し、沈黙に至らずとも直撃自体が擾乱となると判断した。たとえ片道襲撃に近くとも、一度でも首狩りを実行した実績があれば共和国軍は常時防衛を強いられ、後方に戦力を割かざるを得なくなるという見込みが重視された。参謀の一部は、デグレチャフ少佐なら力ずくでも成果を捻り出す可能性があると内心で見ていた。

投入戦力の決定と準備、ぶっつけ本番
参謀本部は、虎の子である第二〇三航空魔導大隊を全滅させかねない高価な賭けだと承知しつつ、一個中隊規模の投入を決断した。追加加速装置(秘匿呼称V-1)で敵戦列後方を強襲する要員として十二名が即座に選抜され、射出拠点へ移動して講習と任務概要の叩き込みが進められた。デグレチャフ少佐が求めた実機演習は秘匿性から見送られ、操作はハンガーで確認するに留まり、代わりに装置整備が念入りに行われた。計画は司令部打撃または通信の一時破壊を最低目標とし、直撃後は北上して友軍潜水艦もしくは艦隊で回収される段取りであった。通達後、XIDAYとして五月二十五日を迎え、その結果は戦史でも驚きをもって語られるものとなった。

統一曆一九二五年五月二十五日 帝国軍V-1投射秘匿拠点

無茶な軍令とV-1投射の憂鬱
ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐は、選抜中隊で共和国軍司令部を直撃せよとの軍令を受けた。通常手段では突破不能として、人力誘導の誘導式噴進弾V-1で突入させるという狂気じみた手段が用意され、彼女は合理性を理解しつつも内心で強く反発した。それでも軍人として拒否できず、「やるしかない」と自分に言い聞かせ、任務成功を自己の義務として固定した。

統計と合理主義、そして疑念の芽
ターニャは統計を「一番マシな嘘つき」と捉え、常識を疑いパラダイムに挑む姿勢を自負していた。一方で、戦争自体が浪費であり、帝国が戦費に潰れぬため賠償をもぎ取る必要がある現実も冷徹に理解していた。その視点から、司令部攪乱だけに巨費を投じる作戦の費用対効果に違和感を抱き続けた。

レルゲン中佐との応酬と「回転ドア」の解読
レルゲン中佐に戦意不足を疑われたターニャは、消極的と見られぬよう「機会損失」という形で疑問を提示した。会話を重ねるうち、敵司令部の混乱を梃子に塹壕戦から機動戦へ回帰し、共和国軍を誘引して包囲殲滅へ繋げる大戦略の一部だと看破した。彼女が口にした「回転ドア」という言葉に中佐が激しく反応したことで、推理が的を外していないと確信し、以後は先鋒として全力を誓った。

出撃の士気操作と内心の渋面
ターニャは訓辞で部下を笑わせつつ「神を失業させに行く」と煽り、表向きは高揚した指揮官として振る舞った。だがV-1に搭乗する直前、彼女の表情は「なぜ自分が」という憮然を残していた。

V-1高速侵攻とHALO降下の強行
高度約八八〇〇フィート、速度九九一ノットでV-1が突入し、操作は微修正しか利かないほぼ“運搬”状態であった。予定手順としてV-1本体を「ドアノッカー」として先行切り離し、続いて魔導師が分離して高高度降下を実施した。発見回避のため低高度まで落下し直前に減速する危険な方式で、ターニャは強烈なGと着地衝撃を耐え抜いて降着を完了した。

降下後の再集結と誤算の発生
損害なく降下できたこと、分散降下にもかかわらず統制を保って再集結できたことは練度の成果であった。だがV-1の着弾は弾薬庫を外し、想定した大混乱が起きないという誤算が判明した。ターニャは挽回の余地があると判断し、自ら弾薬庫破壊に向かい、他小隊には防衛部隊排除と司令部候補地の強襲を命じた。

後方基地の弛緩と奇襲の優位
潜入を開始すると共和国軍はロケット攻撃への対応に追われ、魔導師の侵入を予期していなかった。警備は想定外に緩く、追撃も乏しかったため、ターニャは合理主義ゆえの思い込みを戒めつつ、より大胆に動けると判断した。

外れ目標の処理と隠し地下施設の発見
弾薬庫とされた建物は警備が薄く、内部も空で、情報部の誤認と見られた。それでも軍令上、破壊は必須であり、ターニャは警備兵を排除して突入し、施設を発破対象とした。だが退去直前、隠し扉から敵魔導師が飛び出し、短機関銃による即応射撃で瞬時に制圧した。さらに隠し扉の奥に異常な深さの階段と、地下からの複数の話し声を確認し、重要目標が潜む可能性を掴んだ。

閉所戦の回避と酸素奪取による排除
地下への突入は自爆など最悪の危険が大きく、時間も足りなかった。魔導反応が乏しい点から非魔導師主体と見て、ターニャは捕虜確保を断念し、密閉空間での酸素消費を狙う燃焼術式を選択した。水素生成や一酸化炭素の発想を示しつつ、熱量と爆風で地下を制圧し、追加の燃焼術式で戦果拡大を狙って即座に離脱へ移った。

火力で混乱を拡大しつつ撤収へ
タイムスケジュールは極端にタイトで、遅滞すれば増援で退路が絶望する。ターニャは周辺を気化燃焼術式で焼き払い、敵が火災対応に追われる隙に前進と離脱を両立させた。ヴァイス中尉からC目標外れの報告を受ける一方、B目標が司令部として当たりだったとの報告も得て、目標達成を確認した。

作戦成果の確定と全速離脱
ターニャは目標Aの襲撃完了を宣言し、全隊に北上離脱とビーコン運用を命じた。敵司令部への打撃による混乱を期待しつつ、戦果報告と叙勲推薦を念頭に、給料分を超えた労働への皮肉を抱えながら撤収を進めた。

統一暦一九二五年五月二十五日 連合王国/ホワイトホール

勢力均衡という建前と、帝国への根源的不安
連合王国の対外政策の根幹は、大陸に「唯一絶対の超大国」を生ませないことであった。表向きは民族自決を尊重する姿勢を装いつつ、内実では強すぎる国家の出現を地政学上の悪夢として恐れていた。帝国は遅れて登場した列強であり、その存在自体が生来の頭痛の種であった。

帝国の継戦力を見誤る閣僚たちの多幸感
帝国軍の一時的な後退や戦線整理が報じられると、ホワイトホールは早くも「終戦が見えた」という空気に包まれた。閣僚たちは共和国のカフェやワイン、ガレットの話に興じ、戦争終結後の旧交再開を夢想した。辛口の論者すら帝国の脆弱性を新聞で論じ、安堵と楽観が政府中枢に蔓延した。

海相マールバラの警告と、海軍万能論への反論
海相マールバラは、帝国を甘く見る楽観論に耐え切れず反論した。海上封鎖や艦隊示威だけでは大陸国家の帝国に致命傷を与えられず、地上軍の介入が不可避であると主張した。しかし蔵相らは「西方工業地帯の喪失で帝国は戦争を継続できない」「参戦国の財政は破綻寸前で長期戦は不可能」と数字を根拠に切り返し、戦争はやがて終わるという前提を崩さなかった。

介入論の焦点が“戦後処理”へ移る閣議
首相以下は、帝国敗北後の世界秩序再編こそが主要課題だと位置づけ、講和斡旋や示威行動、講和条約の予備調査といった「戦後を見据えた介入」を語り始めた。復興費用、対連邦、合州国の借款による影響力拡大、共産主義勢力の跳梁跋扈への懸念が議論を支配し、危機感の矛先は戦場ではなく政治経済の後始末へと移った。

“派遣準備”の空虚さと、血を流す政治的拘束の示唆
首相は辟易しつつも、海相の管轄で派遣計画を進める許可を与えた。だが陸軍の海外派遣可能兵力は限られ、閣僚の多くは「消火できる火事に飛び込む必要はない」と反対した。マールバラは「共和国と並んで死ねる」と言い切り、連合王国兵が共和国兵と共に戦死すれば政治的に引けなくなるという拘束を示唆したが、閣僚側はなお費用対効果と国益を優先し、参戦回避の論理を固めた。

前提崩壊の予告
マールバラは不満を抱えつつも「万が一に備える」という名目で派遣計画に着手せざるを得なかった。だが、その前提は程なく海軍省からの急報によって根底から覆され、連合王国の想定は一変することが示された。

第弐章 遅すぎた介入

統一暦一九二五年五月二十五日 帝国軍最高統帥会議連絡部会室

最高統帥会議の動揺と、後退への不信
帝国軍の低地地方における大規模後退は、最高統帥会議の列席者に軽い恐慌を引き起こした。蒼白な官僚や政治家は参謀本部出席者を睨みつけ、会議が糾弾の場へ転じる気配が濃厚であった。説明役として戦務局のゼートゥーア少将が出席したことで、列席者は「当然、危機を踏まえた説明が来る」と身構えた。

ゼートゥーアの“平然”が招く苛立ち
ゼートゥーアは、戦線整理が成功し所定の防衛線まで後退戦闘を成功させたと淡々と報告し、陸戦の脅威は共和国軍に限定されると断じて話を切り上げた。さらに海上情勢として、協商連合艦隊が連合王国に名目上抑留されつつ実態は保護であるなど既知情報を繰り返し、危機の只中にあって葉巻選びや珈琲を楽しむ余裕すら見せた。この態度は「状況を理解していないのではないか」という疑念を列席者に増幅させた。

文官側の財政・産業基盤危機の突き付け
財務省は戦費が内国起債に依存し、長期化が経済問題を誘発すると踏み込んで警告した。内務省は低地工業地帯の失陥と西方工業地帯が敵重砲射程圏に入った事実を挙げ、産業基盤が崩壊しかねないと迫った。外務省も不本意な政治的措置の可能性に言及し、会議室は参謀本部への糾弾と焦燥に支配された。だがゼートゥーアは形式的な謝罪や「早期に打開できる確信」を述べるだけで、具体策を示さず時間だけが浪費されていった。

“定刻”の意味と、急報の到来
臨界点に達しつつある空気の中、ゼートゥーアが懐中時計を見て「定刻」と呟き、列席者の視線が扉へ集中した。直後、猛烈なノックと共に軍人が入室し、符号の確認を経て入電を読み上げた。通信文の符号は国歌の一節「世界に冠たる我らがライヒ」であり、それが作戦成功を示す合図であった。

赤黄色作戦の真相と、演技だった緩慢さ
ゼートゥーアは突如として機敏に立ち上がり、参謀本部が『赤黄色作戦』第一段階「衝撃と畏怖作戦」を完遂し、次段階「解錠作戦」を発動したと宣言した。続報として、共和国軍ライン方面軍司令部の破壊、もしくは完全な無力化に成功した可能性が示された。参謀本部は前線防衛線前方に展開するライン方面軍を敵主軍と見なし、指揮系統を断ち切った上で撃滅に移行していると説明し、列席者には更なる続報を待てと告げた。

同日 参謀本部 作戦局

作戦局の熱狂と「衝撃と畏怖」の戦果
参謀本部は大規模作戦前特有の緊張と高揚に包まれていた。とりわけ作戦局は、第二〇三航空魔導大隊が共和国軍ライン方面軍司令部を吹き飛ばした報告を受け、肩を叩き合う騒ぎとなった。最悪でも混乱を与えられれば上出来と見られていた中、予想外の完遂にルーデルドルフ少将は戦務の手配を称え、ゼートゥーアが用意した切り札に歓喜した。解錠作戦は機材と人員の準備が整ったことで計画通りに進展しつつあった。

連合王国の講和提案と、読めない意図
そこへゼートゥーア少将が呼び戻され、外務省から連合王国の正式通告が入ったと伝えた。内容は最後通牒ではなく、講和仲介の申し入れであり、条件が「restitutio in integrum」で一週間以内に回答せよというものであった。ルーデルドルフ少将は戦前状態への復帰要求を「全てが無駄になる」と激昂し、ロンディニウム条約の国境線に戻ることなど論外だと断じた。一方でゼートゥーアは、拒否すれば介入の口実になり得ること、艦隊の一部が動いているらしいのに地上動員が見えないことなど、連合王国の狙いが掴めない点に引っかかりを覚えていた。両者は内政事情や議会向けの外交ポーズの可能性を疑いつつも、外部の雑音に振り回されず任務を遂行するしかないと結論した。

連合王国参戦の見積りと、海軍封鎖への警戒
ルーデルドルフ少将は、連合王国の本国投射可能な地上戦力は七〜八個師団程度で、ライン戦線では作戦級でも決定的脅威になりにくいと見た。ゼートゥーアは海軍戦力差による封鎖の面倒さを指摘したが、ルーデルドルフは戦争を短期で終わらせれば封鎖の長期継続は非現実的だと切り捨て、早期終結を優先した。

兵站の限界と「二週間」の猶予
勝利を掴みつつある一方、ルーデルドルフ少将は前進継続の可否を兵站に問い、ゼートゥーアは「ライン以東なら保証できるが、パリースィイまでとなると距離の暴威が直撃する」と断言した。砲弾供給は一日一砲門あたり八発が限界で、しかも一五五ミリ以上の重砲は計算外、最良条件で短期維持がやっとだと述べた。原因は敵地鉄道が使えず馬匹と車輛に依存せざるを得ないこと、馬匹そのものと秣が絶望的に不足していることにあった。維持可能期間は二週間、消耗が少なければ追加で二週間が限度であり、塹壕戦に引きずり込まれて時間を失えば補給線は麻痺すると釘を刺した。重砲弾の増強要求も、鉄道なしで運べない現実と、重砲が低地方面に偽装配置済みであることを理由に退けた。

「ひらけ、ゴマ」と回転ドアの勝負
両者は砲兵の機動力不足を今後の課題としつつも、当面は回転ドアの原理で共和国軍主力を誘引撃滅することが全てだと確認した。低地地方を囮にし、西方工業地帯という赤いマントで共和国軍を死地へ誘った以上、停止すれば破綻するという認識で一致した。ルーデルドルフ少将は解錠作戦の合言葉「ひらけ、ゴマ」を気に入り、ゼートゥーアはそのセンスを酷評しながらも、作戦の成否が戦争終結を左右すると念を押した。

共和国軍前線の倦怠と、ビアント中佐の焦燥
一方、ライン戦線では低地方面ばかりが注目され、右翼部隊は拮抗と停滞に飽きが広がっていた。アレーヌでの後方破壊作戦に関与した魔導師の植民地送りに抗議し続けるビアント中佐は、上層部の官僚主義と責任回避に憤り、戦機を逃した現状を「乞食のような勝利」と感じていた。燻ることを拒んだ彼は、状況把握と非公式の伝令を兼ねて飛行許可を取り、煙草と酒を背負わされた自嘲混じりのまま、コールサイン「ウィスキードッグ」で前線へ向かった。

前線消失の衝撃と、警告の届かない絶望
離陸直後、閃光と爆音、衝撃波に襲われ、最前線方向に等間隔で立ち上る複数の黒煙を目撃したビアント中佐は、観測術式で塹壕線そのものが瓦礫と土砂に飲まれ地表から消えている事実を見抜いた。彼は「前線が吹っ飛んだ」とCPに絶叫し、視野一杯の機甲部隊と機械化歩兵の混成集団を視認して警告した。しかし師団長ミシェイル中将は、無線も有線も全て喪失し、司令部へ一切連絡できないと告げた。敵が妨害と切断を徹底した結果、警告はどこにも届いていなかった。ビアント中佐は封筒を託され、援軍要請のため方面軍司令部へ飛び立つが、既に敵魔導師が背後深くまで進出し、追撃ではなく司令部掃討を優先している気配を感じ取った。

燃える司令部跡と、現実の崩壊
ようやく到達したライン方面軍司令部の位置には、陥没した大地と炎上する施設群、そして救援に走る共和国軍兵士の姿があった。ビアント中佐は、ここが司令部だった場所だという事実を前に思考を凍らせ、戦線と指揮系統が同時に崩壊した現実を突き付けられた。

統一曆一九二五年五月二十六日 洋上: 帝国軍潜水艦発令室

潜水艦内での邂逅と腹の探り合い
ターニャ・デグレチャフ少佐は狭い艦内を難なく抜け、トライゼル艦長に呼び出されて応対した。両者は食事や待遇を話題に社交辞令を交わしつつ、潜水艦側が「事情あって」糧食面で優遇されている含みを共有し、指揮官同士として距離と礼節を整えた。

解錠作戦の発動と航空魔導隊の再投入
艦長は受信電文として「解錠作戦」の発動を告げ、ターニャは包囲殲滅が成立する朗報として即座に戦局の決定を確信した。参謀本部命令により潜水艦は哨戒を継続し、ターニャらは低地方面の決戦へ参加する手はずとなり、互いの武運を祈って送り出しの段取りが固められた。

中隊への訓示と勝利の空気
ターニャは部下に作戦の進展を伝え、共和国軍主力が低地へ封じ込められたと説明した。勝利への高揚が中隊に広がる一方で、浮かれすぎるなと釘を刺し、差し入れで軽く祝杯を許したのち、自身は個室で今後の戦局と終戦後の展望を冷静に整理した。

出撃と「順調すぎる」戦場
夜明け前に発進した中隊はライン・コントロールと交信し、捜索遊撃任務として戦域へ入った。対空砲火も迎撃も乏しく、砲兵支援も円滑で、共和国軍の補給断絶と統制崩壊が露骨に現れていた。ターニャは効率的な戦況に安堵しつつ、降伏しない敵の非合理さに苛立ちを覚えた。

海側からの異物と交戦規定の軋み
海上識別圏を通過する未識別の魔導部隊が接近し、管制は誰何を繰り返した。ターニャは敵と推定して先制を求めたが、上級は射撃制限付きの接触を命じた。状況悪化を見てターニャは反転と無線封鎖、魔導反応の抑制を指示し、未識別を敵と断定して一撃を狙う構えを取った。

連合王国側の焦燥と衝突の幕開け
迎撃される側は連合王国のドレイク中佐率いる大隊であり、共和国との連絡断絶と帝国軍の優勢を目撃して撤収も検討したが、今を逃せば包囲が固まるとして強行偵察を選んだ。直後、上方高度からの帝国魔導隊の攻撃により統制射撃が通らず損害が出始め、ドレイクは敵の錬度を認めて離脱を決断した。

統一暦一九二五年五月二十八日 共和国軍ライン方面軍司令部隣接施設 連合王国人道支援団体 “ピース・ワールド”病院

生還した情報将校と空振りの聴取
ライン方面軍司令部所属のカギール・ケーン大尉は病室で意識を取り戻したが、全身火傷と一酸化炭素中毒の後遺症で身体感覚が乏しく、記憶も曖昧であった。連合王国側の協力者「ジョンおじさん」は敵対誤認を避けるため名乗り、拘束ではなく鎮痛中心の投薬だと説明した。だが大尉は一酸化炭素中毒由来の記憶障害で、襲撃直前の情報をほぼ提供できず、聴取は実質的に失敗に終わった。

引き渡しと撤収の現実
ジョンおじさんは共和国側へ生存者の存在を連絡しつつ、この状態では聴取より引き渡しが妥当だと判断した。共和国戦線の悪化で危険地帯に慈善団体を置けない事情も重なり、連合王国側は手際よく帰還便を手配する。ジョンおじさんは、上司ハーバーグラム少将の激怒を予見しながら帰国を余儀なくされた。

帰国報告と少将の爆発
帰国後、ジョンおじさんは少将へ口頭で要点報告を行ったが、少将は机を叩き割る勢いで激昂した。機密資料は焼失し、関係者の損害も大きく、得られた事実は「完全な奇襲で焼かれた」程度に留まった。ジョンおじさんは、生存者も瀕死で続報が期待できない点まで先回りして説明し、報告内容の乏しさを補強した。

“偶然”の連続が生む内通疑惑
少将は、極秘施設が帝国軍魔導師に狙い撃ちされた理由を問題視し、内部漏えいを疑って疑心暗鬼を強めた。ジョンおじさんも、観測所の壊滅、潜水艦の露見、積み荷の口封じに至る一連の不幸が重なりすぎている点を踏まえ、偶然では片付けにくいと認識する。結果として「大きなモグラ」が深く潜っている可能性が上方修正され、組織横断で洗い直す必要が示された。

時間切れが迫る中での対処方針
ジョンおじさんは自分の手でも追加調査を引き受け、必要なら内務省など他部局まで疑う覚悟を固めた。一方で、ライン戦線の崩壊が時間の問題である以上、悠長なモグラ狩りに猶予がない現実も理解しており、限られた時間で「偶然の証明」か「漏えいの摘発」かを急ぐ局面へ移行した。

統一暦一九二五年六月十八日 パリースィイ外縁部上空

勝利の実感と首都目前の高揚
ターニャはライン戦線の荒廃した大地を越え、共和国軍主力の包囲撃滅後に首都パリースィイへ迫る現状を「爽快」と受け止めていた。鉄道線を無傷で確保したことで重砲も前進し、進軍速度は落ちても首都制圧は時間の問題という空気が将校間に共有され、帝国軍では一番乗り競争すら始まっていた。

共和国軍の不自然な防衛配置
第二〇三航空魔導大隊が確認した防衛戦力は、郊外で塹壕線を構築中の歩兵師団二個程度であった。若者が少なく予備役中心と推測され、機甲や機械化の要素も乏しい。加えて市街地は工兵による破壊や障害構築がほぼ見られず、共和国政府が政治的理由から市街戦を避け、外縁部での防衛を強いている状況が示唆された。ターニャはその指揮系統の拙さを嘲りつつ、自軍が比較的恵まれた命令環境にあることを再確認した。

「楽な戦場」と砲兵支援の単純作業
任務は待機から偵察兼対地襲撃に変更されたが、実態は砲兵観測の支援が中心となった。視界は良好で、敵の妨害はほぼ皆無であり、対空砲火も乏しい。確認できたのは四〇ミリ連装機銃がわずかにある程度で、高射砲や重砲は見当たらず、共和国側の火力は旧式野戦砲や迫撃砲が最大級に見えるほど貧弱であった。結果としてターニャは、敵よりも友軍重砲の誤射の方を警戒しつつ、高度を取って観測を続けるという「アウトレンジの見物」に近い状況となった。

敵魔導師不在の不気味さと作戦上の焦り
首都目前でありながら敵魔導師の邀撃が確認できず、無線も比較的澄んでいることは異常であった。ターニャは「抵抗なし、敵魔導師を見ず」と報告しつつ、伏撃や策謀の可能性を疑う。とはいえ軍全体の意図は市街戦回避であり、郊外の防衛線を砲兵で粉砕して敵が市街へ退く前に処理する必要がある。砲兵が手間取れば敵の後退を許し、退路遮断や降下強襲のような厄介な役回りが魔導師に回ってくる可能性が高まるため、ターニャは警戒継続と砲兵の成功を祈りつつ、最後まで生き残って勝利の配当に与ることを優先課題として自制した。

統一歴一九二五年六月十九日 共和国 フィニステール県、ブレスト軍港

首都陥落の報と「大陸撤退」決断
帝国軍が首都防衛線を突破し市街地へ突入した凶報がブレスト軍港にも届き、共和国国防次官ド・ルーゴ少将は屈辱と憤りを噛み殺して受け止めた。自ら策定した「大陸撤退」プランは、戦友の犠牲で稼いだ時間を無駄にしないための苦渋の選択であり、祖国と国民を置き去りにする現実が胸中を苛んだ。

ライン方面軍壊滅が意味する国家崩壊の危機
ライン方面軍の壊滅は本国戦力の実質的全滅に等しく、共和国本土には戦線を支える実戦部隊がほとんど残らなかった。重砲兵部隊と軍需物資の喪失、さらに砲弾生産を担う重工業地帯の喪失が、塹壕と砲兵で持久するという理屈上の選択肢すら現実から奪っていた。ド・ルーゴ少将は「連合王国の介入があと少し早ければ」という悔恨を振り払い、今は撤退作戦を成立させることに思考を切り替えた。

植民地資源を基盤とする反攻構想
彼は本土放棄を敗北と同一視せず、植民地の人的資源と天然資源を束ね直して反帝国の旗を保つ構想を明確にした。分散した部隊は各個撃破の餌に過ぎないが、脱出に成功してまとまった軍団を温存できれば、機会を窺って帝国に痛打を与える戦力になり得ると判断した。

虎の子戦力の積み込みと時間制約の賭け
揚搭は進み、第三機甲師団が乗船を完了し、第七戦略機動軍団の集成旅団も乗船中であった。新型演算宝珠と新型主力戦車を備える戦力が温存できたことは惨事の中の幸運であり、帝国軍魔導師の質的優位に対抗する「同じ土俵」の最低限を確保できるとド・ルーゴ少将は確信した。一方で、機密露呈のリスクと、合流途上の友軍を見捨てる心理的影響という矛盾する圧力の中で、彼は決断を迫られていた。

特殊作戦軍の合流待ちと出港命令
要となる共和国特殊作戦軍、とりわけアレーヌから生還したビアント中佐らの合流が戦局の選択肢を増やすと見込み、少将は「一〇時間後に出港」と定めてギリギリまで待つ賭けに出た。追撃を受けていれば敵を誘導しかねない危険を承知しつつも、魔導師なら洋上合流も可能であるとして、時間内の最大限の積み込みを優先させた。

海路の安全と連合王国の“ありがたい援護”
海路は潜水戦隊の索敵でも接触なしと報告され、現時点で帝国軍が撤退準備に気づいていない兆候が示された。さらに連合王国艦隊が抜き打ち演習を領海近傍で敢行したことで、帝国軍主力艦隊と航空・魔導戦力がそちらへ張り付き、ブレストの動きは相対的にフリーハンドを得ていた。少将はこれを「ありがたい援護」と受け止め、停戦発動までの一度きりの機会に祖国の未来を賭ける覚悟を固めた。

愛国者としての固い誓い
ド・ルーゴ少将は、連合王国の不味い飯を齧ってでも南方領域から反攻し、最終的に祖国を取り戻す決意を口にした。共和国は第一ラウンドを失ったにすぎず、最後に立つのは共和国であり得るという意志で自らを叱咤し、撤退作戦を次の戦いの起点として位置づけた。

第參章 箱舟作戦発動

統一暦一九二五年六月二十日 帝国軍参謀本部

参謀本部の“食事”と停戦後始末の現実
帝国軍参謀本部の食堂で、ゼートゥーア少将とルーデルドルフ少将は、食事と呼ぶのも躊躇われる代物を代用珈琲で流し込みながら同席していた。高価な食器に最悪の盛り付けという不快さをやり過ごしつつ、二人の話題は共和国首都制圧の吉報を踏まえた停戦と講和の“後始末”へ向かった。

外交の領分と軍務の線引き
ルーデルドルフ少将はイルドア王国を通じた降伏条件調整の必要性を口にしたが、ゼートゥーア少将は軍の義務は帝国防衛であり外交政策は外務省の管轄だとして越権を戒めた。両者は外務省の仕事を尊重しつつ、軍としては停戦に向けた事務処理と現場統制に専念すべきだという方向へ議論を収束させた。

停戦手続きと現場心理への警戒
停戦処理は机上の事務に見えて、交戦直後の前線では感情の昂りから手違いが起こり得る危険を孕んでいた。ルーデルドルフ少将は最低限の手続き方針をまとめる必要を感じ、ゼートゥーア少将も標準化された局地戦用停戦案の適用を想定しつつ、問題がないか現状確認した上で法務にも回すべきだと判断した。士官学校で学ぶ停戦の基礎だけでは列強戦の後始末に足りず、専門的知見が欠けているという認識が共有された。

前線帰りの参謀将校レルゲン中佐の召喚
現場情勢の把握のため、ゼートゥーア少将は現地視察から戻ったばかりのレルゲン中佐を呼び、説明させる方針を示した。信頼できる参謀将校の報告が、停戦案の実効性と現場統制の要点を掴む鍵になると二人は見なした。

兵站線確立への評価と“終戦”への執念
ルーデルドルフ少将は最高統帥会議で大見得を切った以上、最後で失敗すれば済まないと自戒したが、ゼートゥーア少将は首都までの兵站線確立を高く評価し感謝を述べた。軽口として珈琲豆の話を交わしつつも、二人が最終的に共有したのは「戦争を終わらせるために軍務を滞りなく遂行する」という一点であった。内線機動を前提とする編制を無理に振り回してきた苦労をぼやきながらも、両者は即座に実務へ戻り、レルゲン中佐の召喚を決めた。

同日 帝国軍最高統帥府/外交諮問委員会

勝利報に沸く会議室の空気
帝国軍の大規模反撃成功、共和国首都への進撃、停戦間近という一連の吉報を受け、外交諮問委員会の会議室は珍しく高揚した空気に包まれていた。普段は緊張と形式に支配される官僚たちも、戦争終結と平和回復が現実味を帯びたことで、早くも戦後を語り始めていた。

外務省による戦後処理方針の提示
戦後処理の方針を問われた外務官僚は、平和的な国境線の画定、賠償金の支払い要求を基本とし、共和国に対しては一部植民地の放棄または割譲を求めると説明した。強硬一辺倒ではない現実的な内容に、委員たちは意外そうな反応を示した。

過激案の却下と現実路線への修正
外務官僚は、若手課員による初期案が大規模割譲と巨額賠償を組み合わせた事実上の従属国化案であったことを明かし、それを非現実的として差し戻した経緯を語った。勝利の勢いに任せた講和案がもたらす混乱を避けるため、冷静さを取り戻した上で修正を施したという裏話が共有された。

軍と外交の役割分担の確認
降伏処理については軍の管轄とし、戦争終結まで作戦行動に外交が制約を加えるべきではないとの認識が確認された。外交側は軍からの要請に柔軟に応じつつ、自らの職務である講和条件や戦後枠組みの整備に専念する方針で一致した。

次なる議題への移行
こうして戦後処理の大枠について一定の共通理解が形成されると、委員会は速やかに次の案件、連邦との通商協定へと議題を移した。勝利に酔い切ることなく、戦後を見据えた実務へ進もうとする官僚組織の姿勢が示された。

同日 帝国軍第二〇三航空魔導大隊駐屯地

“終戦”という言葉への違和感
共和国海軍が撤収中という報告を受けたデグレチャフ少佐は、表面上は平坦に応じたが、ヴィーシャの「終戦は時間の問題」という言い回しを執拗に確認した。少佐は停戦と終戦を峻別し、撤収先がブレスト軍港であり、名義がド・ルーゴ将軍である点に強い不吉さを覚え、地図を要求して状況を再構成した。

ダンケルクの再来を見抜く
地図を見た少佐は、共和国側の行動を「停戦準備」ではなく「夜逃げ」と断じた。艦隊と残存戦力を植民地方面へ退避させ、戦争継続の火種を温存する意図だと推測し、ここで叩かなければ戦争は終わらないと結論づけた。副長ヴァイス中尉の慎重論に対しても「停戦は終戦ではない」と切り返し、強行偵察の名目でブレスト襲撃を決意した。

基地司令部での異常な嘆願と独断専行
少佐は基地司令官に出撃許可を懇願し、胸倉を掴むほど取り乱した。周囲は“錆銀”と恐れられる魔導将校の狂乱に困惑し、衛兵らが制止に入るが防御膜に弾かれた。司令官は停戦交渉を壊す危険を理由に拒否し、少佐は参謀本部直轄部隊の独自行動権を根拠に、強行偵察として独断で出撃を強行する姿勢を示した。

V-1を用いたブレスト強襲準備
少佐は技術廠の「実戦テスト要請」を盾にV-1を引き出し、滑走路に並べて発射準備を整えた。狙いは一撃離脱で港湾の停泊艦艇を叩き、可能ならド・ルーゴ将軍の旗艦ごと排除することだった。潜水艦部隊との連携で回収や反復攻撃の可能性も見込み、時間を理由に計画を前倒しして実行寸前まで持ち込んだ。

停戦命令で全てが崩れる
しかし方面軍の制止に続き、参謀本部から全軍への停戦命令が到達した。伝令と将兵の目前で通達されたため、「聞こえなかった」で押し切る余地は消えた。出撃すれば停戦破りで即座に破滅し、出撃しなければ“ダンケルク”を許して帝国の将来的破局につながるという二重の必然に追い詰められ、少佐は最後に出撃中止を命じるしかなかった。滑走路に崩れ落ちた少佐の言葉は、勝利目前で機会を失った絶望そのものであった。

第肆章 勝利の使い方

統一暦一九二五年七月十日 帝国軍、ブレスト軍政管轄区

集結完了と指揮の引き継ぎ
統一暦一九二五年七月十日、帝国軍ブレスト軍政管轄区にて、グランツ少尉は第二〇三航空魔導大隊の集結完了をヴァイス中尉へ報告した。糧食・装備・兵站の滞りはなく、全てが整った状態であった。デグレチャフ少佐が不在のため、次席であるヴァイス中尉が最上位将校として判断を担う立場となり、その重圧を抱えながらも指揮官として決断を下す構えを固めた。

“状況報告”の中身が祝宴であるという落差
ヴァイス中尉は各中隊指揮官に状況報告を命じ、部隊は第一種戦闘配置済みと号令で応じた。しかし続く報告は戦況ではなく、ビール・ワイン・肉・魚・海といった“祝宴の準備完了”であった。補給の特配は出し惜しみのない大盤振る舞いであり、鹵獲品や在庫の放出も含め、勝者としての余裕を兵の士気に変換する段取りが整えられていた。

勝利の美酒を“海”で消費する日
澄んだ空と初夏の日差しの下、砂浜には鉄板と調理台が並び、新鮮な肉の山と瓶ビールが用意され、シャンパンやワインまで揃っていた。第二〇三航空魔導大隊の将兵は、この日を楽しむことに全力を注ぐ姿勢を見せ、勝利の祝宴が公式の行動として開始された。

乾杯と無礼講がもたらす解放
将兵は「勝利に」「戦友に」「ライヒに」と唱和して乾杯し、酒を掛け合い、肩を組んで歌を叫び、共和国の海辺で勝利を誇示した。砂浜では砂遊びが小隊単位の対抗戦へ発展し、海へ飛び込む者、肉を焼く者に分かれ、それぞれが思い思いに羽目を外した。彼らは勝利そのものだけでなく、生き残った喜びと義務を果たした達成感に酔いしれていた。

同時刻/帝国軍ブレスト基地

参謀本部の“勝利宣言”に対するターニャの激怒
ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐は、副官セレブリャコーフ少尉が持参した参謀本部の公式通達を読んだ瞬間、頭痛を堪えるほどの苛立ちを覚えた。文面は勝利を無邪気に讃える内容であり、読み直しても解釈の余地はなかった。彼女は部下の休暇と祝宴自体は権利として認めつつも、戦争指導を担う上層部まで浮かれることを犯罪的な無為無策だと断じ、自室で怒りを爆発させた。

「勝利の使い方」を巡る危機感と参謀本部への直行決断
ターニャは、今回の大勝利は終戦へ繋げる好機であり、外交交渉に入らない最高統帥府の姿勢を理解できなかった。冷静さを取り戻すために珈琲を淹れつつも疑念は消えず、参謀本部の合理主義が突然鈍化した理由を確かめるため、直接乗り込むと決断した。即応待機が解除されている状況を利用し、時間を節約するため長距離列車ではなく飛行で帝都へ向かう方針を定めた。

ヴィーシャの手配とヴァイスの“自業自得”帰還
ターニャはセレブリャコーフ少尉に、自身と少尉の荷物手配、帝都での宿確保、ヴァイス中尉への連絡を命じた。ヴィーシャは将校クラブの部屋手配と参謀本部側からの車両確保まで迅速に整え、休暇先のヴァイス中尉へ連絡を入れた。軽口を叩いていたヴァイスは状況を誤解したまま帰還し、実際には単なる留守番の依頼だったと知って空回りを自覚し、休暇中の不注意と余計な一言を反省することになった。

参謀本部が“空家”で、行き先がビアホールである衝撃
ターニャは参謀本部でゼートゥーア少将らに直談判する覚悟で向かったが、参謀たちは揃って外出中だと告げられた。理由は「勝利の美酒」を叫んでビアホールへ行ったからであり、参謀本部ががら空きという異常事態が明らかになった。ターニャは暗澹たる思いを抱えながらも表情を抑え、翌朝、二日酔いの参謀たちが平静を装う参謀本部へ猛然と乗り込んだ。

ゼートゥーア少将の楽観とターニャの“知っている未来”の乖離
ターニャが問いただそうとした矢先、ゼートゥーア少将は艦隊関連の不満や錯誤の処理を淡々と述べ、さらに「終戦も間近」と断言した。参謀本部全体がパリースィイ攻略とライン戦線の完勝に多幸感を漂わせ、合理的判断として戦争終結を確信している現実をターニャは理解する。だが彼女だけは、逃がした残党が植民地という土壌で抵抗勢力へ結実し得ること、つまり“勝利が終戦を保証しない”未来を知っており、合理的結論と自身の確信が乖離することに絶望した。

表面上の敬礼と、水面下で進む徹底抗戦の潮流
ターニャは礼節を保って「勝利に」と敬礼して退室したが、その表情の歪みはレルゲン中佐に気付かれた。ゼートゥーア少将は進言があった可能性を察しても、その理由が諦観だとは掴めず、仕事へ戻った。一方で国外では、連合王国が挙国一致の徹底抗戦を叫び、共和国残党と協商連合残党は海外植民地で自由共和国を称して抗戦継続を宣言し、世論と志願兵の熱狂が拡大していった。

メアリー・スーの決意と、帝国が直面する渡洋戦のジレンマ
亡命者の不安と敵愾心の中で、メアリー・スーは魔導師としての才能を武器に戦う決意を固めていった。帝国側も戦争継続を受け入れつつ、対連合王国戦では渡洋作戦が不可避となり、制海権が確保できなければ揚陸も兵站も成立しないという深刻なジレンマに直面する。艦隊決戦は勝てば突破口になり得るが、全滅すれば次がなく、かといって本土を放置すれば敵の策源地を温存する形となり、戦争は千日手へ傾き始めていた。

第伍章 内政フェーズ

天使側の歓喜と“信心回復”の手応え
とある存在領域で、智天使は人間が輪廻へ回帰しつつある兆しを「朗報」として歓喜し、主の栄光を讃えるほど高揚していた。大天使も同調し、秩序回復への安堵が広がっていた。彼らにとって人間の魂を導くことは責務であり、信心の回復は職務の成果そのものであった。

無神論の広がりという“管轄違い”の衝撃
だが大天使が「無神論者がはびこっている」と疑義を呈したことで空気が変わった。智天使の担当領域では信徒が増えており、話が噛み合わない。そこへ熾天使が「恥ずかしいが私の管轄だ」と名乗り出て、状況が深刻であることが確定する。

冒瀆と神格化の兆候で、天使側が本気の危機認定へ
熾天使は、無神論者が信仰を捨てるだけでなく冒瀆し、さらに統治者を神格化しようとする不届きな動きまであると告げた。神を「阿片」と切り捨てる連中がいるという補足は、周囲の天使たちに動揺と怒りをもたらし、つい先刻の祝福ムードを完全に吹き飛ばした。

“世界の半分”が信徒、残り半分が闇という絶望的な整理
智天使は、世界の半分が救いを求める敬虔な者で満ち始めた一方、残り半分が無神論という闇に落ちていると嘆いた。福音がもたらされているのに集団規模で無神論が多数派になり得るのか、と大天使らは信じ難さを口にする。個人の逸脱ならまだしも、集団での転落は過去に例が薄く、彼らの想定を外れていた。

対策会議と“善意100%の強制プラン”
彼らは職務として打開策を検討し、呼びかけの継続だけでは魂の救済にならないと退けた。そこで「例の個体」への栄誉付与や、試練を通じて恩寵を知らしめる手段が提案され、信心回復に効果があるという実績を理由に採用へ傾く。さらに「単独に栄誉を独占させず、信心篤い者の祈りにも手を差し伸べるべきだ」という意見が加わり、方針はその方向で決定される。

座天使への依頼で結論が確定
具体策として座天使への依頼が提起され、智天使が了承し、主への上申は自分が行うと宣言した。こうして、人間側の“内政フェーズ”に干渉する準備が、天使たちの「救済」という名のもとに、反論もなく淡々と整えられていった。

統一曆一九二五年八月二十二日

「戦争は終わった」という帝国世論
共和国本土陥落から二ヶ月が経過し、帝国内では戦争は事実上終結したという認識が広く共有されていた。協商連合、共和国、大公国という近隣諸国を撃破し、帝国は大陸の覇者として君臨したという自負が社会全体を覆っていた。連合王国の参戦という報も、この多幸感を冷ますには至らず、彼らの介入は「遅すぎた」と理解されていた。

講和拒否への困惑と敵への苛立ち
連合王国が帝国の呼びかけた講和会議を拒絶したとの報道は、帝国世論に困惑をもたらした。自由共和国軍の散発的抵抗や、連合王国と自由共和国軍の提携は知られていたものの、帝国側から見れば戦争は既に決着しており、なぜ彼らがなお戦争継続を望むのか理解できなかった。帝国の提示する条件は厳しくとも平和を回復し得るものだと信じられていたため、抵抗を続ける敵に対して焦燥と苛立ちが募っていった。

「戦争を望むのは敵」という物語の形成
やがて帝国内では、戦争を始めたのは敵であり、今も戦争を望んでいるのも敵だという認識が共有されていく。共和国残党や連合王国に対する敵意は「正義」の名のもとに正当化され、帝国に仇なす者に鉄槌を下すべきだという声が熱狂的に広がった。この空気は伝染し、自国の正しさを疑う余地はほとんど失われていった。

理解されない周辺諸国の恐怖
帝国世論が理解できなかったのは、帝国が大陸中央に強大な覇権を確立すること自体が、周辺諸国にとって深刻な脅威として映るという事実であった。帝国は多くの紛争地域を抱え、それを固有の領土と認識していたが、周辺諸国から見れば奪われた土地に他ならない。この認識の断絶が安全保障上の不信を生み出していた。

安全保障の逆転と恐怖の連鎖
共和国は帝国を包囲する外線戦略を志向し、帝国は内線戦略によってそれを打破した。その成功を帝国は歓喜したが、それは同時に他国にとって自国存立を脅かす決定的な事態であった。帝国は自らの軍事力の鋭さを誇示するあまり、その力が周囲に与える恐怖を理解できず、ナショナリズムと相互不信が事態をさらに悪化させていった。

平和を願うがゆえの戦争激化
誰もが平和を願い、そのために銃を取り、守るために戦うと信じていた。そこに各国の思惑と支援が重なり合い、皮肉にも平和への願いそのものが戦争を鎮めるどころか激化させていく結果を招いた。こうして、戦争は終わったと信じられながらも、実際には新たな段階へと踏み込んでいったのである。

同日 合州国

志願を巡る慎重な警告
募兵事務所で徴兵担当部の少佐は、志願に訪れたメアリー・スーに丁寧な態度で向き合い、志願そのものへの感謝を示した。その一方で、二重国籍という問題を慎重に説明し、合州国軍への志願が結果的に協商連合国籍の喪失につながる可能性が高いこと、若年で国籍選択を迫られる重大な決断になることを率直に警告した。少佐の姿勢は終始、彼女の意志を尊重しつつも保護者としての配慮に満ちたものであった。

平和を守りたいというメアリーの動機
少佐は、祖母や母、亡き父がメアリーの安全を願っているはずだと語り、危険に身を置く必要はないと諭した。しかしメアリーは、だからこそ自分が平和を守るために何かをしたいのだと訴えた。合州国が自分たち避難民を受け入れ、守ってくれたからこそ、その国のために力を尽くしたいという思いが、彼女の言葉の根底にあった。

義勇派兵部隊という選択肢
少佐は、連合王国へ派遣される合州国義勇派兵部隊について説明した。この部隊は戦闘介入を行わず、航海の自由と市民の権利を守る名目で駐留するものであったが、合州国が国際情勢に踏み込む象徴的な一歩でもあった。メアリーはこの知らせを受けた瞬間から志願を決意し、最寄りの事務所へ駆け込んだのである。

「まだ早い」という制止と市民としての道
少佐は、合州国が子供を戦争に送るほど逼迫していないこと、メアリーは最低志願年齢に達したばかりであり、良き市民として社会に貢献する道もあると語った。合州国が避難民に対し柔軟な国籍解釈で居場所と平和を与えてきた背景を踏まえ、彼女の将来を案じる言葉であった。

揺るがぬ決意と第二の故郷への想い
それでもメアリーは、魔導師としての才覚と付与された国籍が自分に志願資格を与えている以上、考え抜いた末に志願すると明言した。事務所に掲げられた合州国の国旗は祖国の旗ではなかったが、自分たちを受け入れてくれた第二の故郷の象徴であり、守るべき家族がそこにいるという現実が彼女の背中を押していた。

命の危険を承知した最終確認
少佐は、戦場に出れば負傷や死の可能性があり、家族を悲しませるかもしれないと最後の確認を行った。それに対しメアリーは、何もしないままでいる方が後悔すると静かに、しかし断固として答え、自らの意志が揺るがないことを示した。

宣誓と契約の成立
メアリーは国旗の前に立ち、合州国への忠誠を宣誓した。それは一人の少女と国家との契約であり、力は正義のために用いられるべきだという彼女自身の信念の表明でもあった。神の名の下、自由と正義のために共和国防衛に尽くすことを誓い、祈りと共に新たな一歩を踏み出した。

合州国軍への配属
こうしてメアリー・スーは志願を受理され、他の志願魔導師たちと共に合州国自由協商連合第一魔導連隊へと配属された。彼女の決断は、個人の良心と信仰、そして国家の選択が交差する地点で下されたものであった。

統一暦一九二五年八月二十四日 帝国軍参謀本部第一晚餐室

禁欲の食堂と昇進の乾杯
参謀本部第一晩餐室は「前線と同等かそれ以下の食事で自らを律する」という美談が広まり、今日も閑散としていた。代用珈琲の味気なさが祝いの空気を削ぐ中、ゼートゥーア中将とルーデルドルフ中将は互いの昇進を言祝いながらも、即座に仕事へと話を戻した。

終戦できない現実と南方作戦の検討
共和国本土の制圧は完了したが、自由共和国軍は植民地を拠点に抵抗を続け、連合王国本国艦隊とも対峙が残っていた。帝国艦隊は戦力差を抱え、世論が望む本土侵攻の選択肢は乏しかった。そこで両中将は、内海航路封鎖と残存共和国勢力の基盤打破を狙う南方戦役を検討し、共和国植民地への派兵能力を誇示して講和の呼び水にする政治的目的を重視した。

戦力投射と兵站負荷への警戒
ゼートゥーア中将は、帝国の戦力投射能力と内海海軍力が限定的である以上、南方戦線は限定的戦闘に留まると念押しした。ルーデルドルフ中将はそれを受け入れつつ、狙いはイルドア王国を協力側に引き込み、敵の生命線を脅かし得る事実を突きつける点にあると説明した。一方でゼートゥーア中将は、派兵が本質的に無為にならないかという懸念を拭えず、限定講和が成立しない理由を改めて突き詰めた。

「倒しきれていない」後悔と次の義務
両者は結局、敵を倒しきれていないことが問題だという結論に至った。勝利は確かでも、終戦と平和回復が欠けており、取り逃がした共和国艦隊が徹底抗戦の火種となっていた。ルーデルドルフ中将は、やるしかないなら倒すまでだと断じ、ゼートゥーア中将も指揮官や部隊の人選を進める方針を固めた。

外征の歪みとデグレチャフの影
ゼートゥーア中将は帝国が内線戦略を前提とする陸軍国家である点を再確認し、外征が兵站基盤に重い負荷を与えると警告した。そのため南方には軽装備師団を主軸に小規模派兵とし、消耗を抑える方針を示した。しかし彼の胸中には、かつて参謀本部に現れ「何かを言いかけて引き返した」デグレチャフ少佐の姿が残っており、自分たちは何かを間違えていないかという違和感が消えなかった。ルーデルドルフ中将は、戦争は思い通りにならないものだと割り切り、過度に囚われるなと諭した。

第二〇三航空魔導大隊の再貸与要求
負荷最小化の議論の末、ルーデルドルフ中将は南方での機動戦力として第二〇三航空魔導大隊の投入を要求した。兵站負担が小さい割に高い戦力を発揮でき、砂漠での運用幅も広がると見込んだからである。ゼートゥーア中将は航空魔導撃滅戦に必要だとして渋り、さらに「あれは解き放つとどこまで突進するかわからない」と危険性を口にしたが、ルーデルドルフ中将は南方をかき乱す先鋒として必要だと押し切った。

次の段取りと役割分担
最終的にゼートゥーア中将は折れ、手配を進めることで合意した。ルーデルドルフ中将は次の会議で正式通告する意向を示し、ゼートゥーア中将は対連合王国を前提とした現地視察を優先するため、手続きを委任した。両者は互いの成果共有を約し、戦争を次の段階へ動かす準備を進めていった。

統一曆一九二五年八月二十九日 帝国軍参謀本部、戦務・作戦合同会議

会議開幕と「戦争の大方針」争い
若い士官の「定刻です」という宣告で会議が始まり、参謀総長以下の重鎮が揃った。議題は北方戦線の事後処理を片付けた上で、対連合王国をどうするかという“この戦争の出口”を巡る対立の調整であった。

北方戦線終結の承認と軍政への切替
北方方面は制圧と軍政の混乱がようやく収束したが、粘られすぎた後味の悪さが残った。とはいえ将官らは感傷を切り捨て、協商連合は軍政の問題に過ぎないとして、軍政官の選抜と統治体制の整備で決着させる方針をあっさり承認した。

南方大陸作戦を巡る参謀本部の分裂
本題として、ゼートゥーア戦務参謀次長が提案する南方大陸作戦が審議にかけられた。この案は、共和国に大陸軍を集結させて連合王国本土を牽制しつつ、二線級部隊と一部精鋭で南方を叩く構想であり、表向きは攻勢に見えて実態は戦線再編と防御のための時間稼ぎだと受け止められていた。多数派は「迂遠だ」と批判し、主力を連合王国本土へ向けて決戦すれば植民地が手薄になり、戦争が終わると主張した。

ゼートゥーアの損耗抑制と“敵の土俵”への嫌悪
ゼートゥーアは本土強襲を楽観せず、艦隊決戦と上陸に成功しても帝国が疲弊し、横槍を受ける未来を恐れた。海軍力で劣位にある現実から制海権確保が難しく、航空・魔導戦力で制空権を取って対艦攻撃で摩耗させる発想は共有されつつも、敵本土での航空消耗戦は損耗比が致命的に不利になり得ると警戒した。速戦を唱える参謀は「時間こそ敵」「防備が固まる前に」と押すが、ゼートゥーアは「その間にこちらも防備を固められる」と軍の温存を優先し、内線戦略前提の編制上、遠征能力には構造的制約があると強調した。

南方大陸の政治地図と“イルドア王国”の位置
南方大陸は連合王国・共和国・イスパニア共同体の三大勢力が基盤で、イスパニアは内政闘争で中立を維持していた。そこへイルドア王国が入植で割り込み、諸公国勢力も絡んで主権が入り乱れるカオスとなった。多くは連合王国・共和国寄りだが、利害衝突する国は帝国に接近し、その代表がイルドア王国であった。ただし同盟は参戦義務を伴わず、当初イルドアは形式上中立のまま、帝国軍の「駐屯」を許したに過ぎなかった。

少数派遣のはずが電撃戦に化けたロメール軍団
参謀本部は南方軽視の延長で、二個師団と支援部隊の一個軍団のみを派遣し、小康状態を予測していた。だがロメール軍団長は到着直後に電撃的行動を開始し、油断していた連合王国部隊を集結前に各個撃破した。さらに時間が味方しないと見て陽動ののちチュルス軍港を奇襲占領し、イルドア補給に依存しない根拠地を確保して共和国・連合王国の兵站線を痛打した。この一方的戦果が帝国内世論を熱狂させ、厭戦の芽を潰す代わりに「もっと戦果を」という好戦圧力を育てた。

兵站現実が積極派を殴るが、世論は殴られない
損耗抑制派にとって、南方への増派は資源浪費であり、護衛艦・輸送船・直掩部隊など長大航路を支える前提が欠けていることが最大の恐怖であった。帝国は海上輸送能力も航路防衛の概念も乏しい大陸国家で、輸送損耗を前提にした補給など耐えられない。対照的に連合王国や共和国は植民地工業基盤と船舶量で一定の自活が可能であり、親帝国勢力への補給依存も利害関係の薄さゆえ危険であった。参謀本部は戦線拡大を止めたい焦燥と、敵を放置できない現実の板挟みで再び激論に沈んだ。

追い打ちの吉報が来る前の不穏
結論が出ぬまま、南方大陸から「偉大な勝利」と追撃による戦果拡張の報告が飛び込もうとしていた。それは国民の熱狂をさらに煽る一方、兵站と戦略の現実を知るゼートゥーアにとっては胃が縮む類の知らせであった。本人だけが、まだそれを知らないまま会議に座っていた。

統一歴一九二五年九月四日 帝都

南方配属戦力への失望と参謀本部への不信
ロメール将軍は南方配属部隊の編制表を見て、軽装の新編歩兵師団と、ライン戦で消耗した師団の二個師団しかない現実に愕然とした。増強を求めても参謀本部は取り合わず、粘りに粘ってようやく得たのは「増強魔導大隊」一個のみであった。部隊自体は第一線級の良好な装備と定数を誇ったが、将軍は「現場に無理を押し付け、戦死を統計扱いする参謀本部」への反感を募らせた。

デグレチャフ少佐という“厄介な当たり札”
ロメール将軍は増派される指揮官の評定を読み、学校・軍大では好意的評価なのに、戦時の現場評が最悪という矛盾に苦しんだ。北方方面軍は「指揮権への異議申し立て」で配置転換と酷評し、西部方面軍は「功罪相半ば」「抗命未遂あり」で講評を拒絶した。技研の評価も採算性最悪の玉虫色で、将軍は「優秀だが扱いにくい」どころか“面倒事そのもの”を押し付けられたと感じた。

初対面の冷淡な儀礼と、露骨な独自行動要求
先入観を抱えつつ会見したロメール将軍は、デグレチャフ少佐が意外にも淡々と儀礼応酬に徹し、武闘派らしい反発すら見せないことに違和感を覚えた。だが少佐は会談の最後に、参謀本部の同意を盾に「部隊の独自行動権」を要求した。魔導大隊が指揮系統から外れれば戦力の欠落に等しく、将軍は成果を出せるのかと詰問した。

「答えようのない問い」発言と、信頼の条件のすり替え
少佐は成果の約束を口で語ることを拒み、「軍人であり口舌の徒ではない」と述べ、実戦で示す以外にないと突っぱねた。ロメール将軍はこれを「百聞は一見にしかず」と受け取り、同時にその不遜さと真摯さの混在に凍りついた。将軍の目には、少佐が上層部も友軍も信じず、ただ国家にのみ忠実な“歪んだ番犬”として映り、過去の抗命未遂の理由も「国家によかれ」という狂気じみた誠実さだと腑に落ちた。

遊撃任務の付与と、最悪の知人で最高の戦友という予感
ロメール将軍は少佐を即座に拒絶せず、戦略家としての判断力を見極めるため、第二陣での遊撃任務を与えた。名目上は第七戦闘団として裁量を与えるが、実態は単独大隊の自立運用であり、そこで少佐の“獣”が知性か単なる暴走かを測ろうとした。少佐は即答で受諾し、戦う場を得た喜悦を隠さなかった。将軍は、彼女が「最悪の知人」になる一方で、戦場では「最も頼れる戦友」になり得ると確信するに至った。

第陸章 南方戦役

統一暦一九二五年九月二十二日 南方大陸

通信断と指揮権継承の即時発生
南方大陸バールバード砂漠の前線で、野戦指揮所は第七戦闘団との通信断に見舞われた。妨害ではなく機材トラブルと判明し、短波でようやく接続した結果、ラインブルク少佐戦死が報告された。HQは混乱を抑えるため即座に指揮権をデグレチャフ少佐へ移譲し、戦線再編を命じた。ターニャは応諾し、地図を引き寄せて状況整理に入った。

対魔導狙撃弾による指揮所への急襲
指揮権継承直後、指揮所は連合・共和国軍の狙撃兵に狙われ、四〇㎜抗魔導狙撃弾が天幕を貫いた。ターニャは反射的に伏せて難を逃れたが、外周警戒が機能していない失態に強い憤りを覚えた。砂丘に潜む狙撃兵の索敵は困難であり、古典的ながら区画ごと吹き飛ばす制圧射撃を選ばざるを得ないと判断した。ヴァイス中尉は即応部隊を出して統制を確保し、狙撃手排除を主導した。

第七戦闘団の実動との接続と新指揮官の立て直し
ターニャは短波通信で第七戦闘団のCPと接続し、指揮権継承後の現況を照会した。応答したカルロス大尉は、機材が狙撃で破壊され通信改善は困難と報告しつつ、少佐の安否を気遣う余裕も見せた。ターニャは状況を「笑顔と虚勢」で押し通し、指揮系統回復と命令伝達を優先した。突然の上官喪失にも関わらず部隊が崩れていない点を、彼女は実戦組織の強靭さとして冷静に受け止めた。

グランツ少尉の回想と南方戦線の成立事情
一方でヴォーレン・グランツ少尉は、南方転戦が「停戦前の越権行為未遂」問題を、連合王国介入と情勢激変が覆い隠した結果であると振り返った。連合王国の介入は仲介を装った通告と最後通牒を伴い、帝国は拒絶したが、共和国側では脱出部隊を率いるド・ルーゴ将軍が自由共和国を掲げ、植民地と残存戦力を糾合して徹底抗戦に転じた。南方の共和国軍は反乱多発地帯にありながら重装備で、魔導戦力も侮れず、参謀本部が頭を抱える状況となった。結果として魔導師戦力の価値が再確認され、処分されかけた大隊も温存され、給与面の改善という皮肉な恩恵が生じた。

砂漠機動戦への投入と編隊誘導という無茶
グランツ少尉が直面している任務は、起伏と砂塵に紛れる狙撃兵の掃討という、確認すら困難な消耗仕事であった。砂塵は火器と術弾の信頼性を削り、補給も脆い。それでもロメール軍団長は上陸直後から機動戦を強行し、中央拘束の間に迂回包囲殲滅を命じた。第七戦闘団と第三戦闘団は「両翼を閉じよ」の命令の下、戦闘速度で砂漠を迂回することになる。編隊飛行命令では、誘導ビーコンを発して先頭を飛ぶのがデグレチャフ少佐であり、戦闘指揮と航法誘導を同時に担う負荷の異常さに、グランツは驚嘆した。

装備適応と戦争継続の覚悟
砂漠戦に備え、デグレチャフ少佐が持ち込んだ大型航空ゴーグルは不満を招いたが、グランツ少尉は光量調整と砂塵対策の有効性を理解し、部下へ徹底した。進軍開始の通信が飛び交う中、彼らは過酷な環境でも戦う以外に選択肢がない現実を受け入れ、国家のために前進を開始した。

同日 自由共和国暫定国防会議

茶番の会議とド・ルーゴの忍耐
会議室では責任の押し付け合いと嫌味の応酬が続き、戦闘報告書すら同僚批判と自賛だらけで、ド・ルーゴは辟易していた。ただし彼は混乱を「今こそ動ける」と見ていたため、最高のタイミングを掴むまで我慢して付き合っていた。

チュルス奪還を口実に“指揮系統の病巣”を切除
ド・ルーゴはチュルス奪還作戦の審議を宣言するが、植民地軍の将官は反発し、名誉だ誇りだの騎士道だのを盾にして作戦自体に反対する。燃料の所在すら不明という兵站崩壊や、将官の権益防衛のために部隊が縛られている現実を見たド・ルーゴは、もはや古い皮袋は新酒を腐らせるだけだと結論した。

人事権の一撃で反対派を“鎮守府参事官”送り
ド・ルーゴは反対を受け入れるふりをして油断させ、「より適切な軍務」を用意すると言い切り、反対した将官ら全員に鎮守府参事官の辞令を叩きつけた。参事官職は実権を剥がす窓際であり、「いてもいなくても困らない」扱いの明確な宣告だった。騒ぎ出す将官らを置き去りにし、ド・ルーゴは実戦指揮官と参謀団の待つ別室へ移り、統一指揮の実働体制に切り替えた。

自由共和国軍の現実的な制約と勝ち筋
自由共和国側は人材と骨格(参謀・古参兵)を温存しており、まともに組めば帝国軍二個師団の撃破は不可能ではない。一方で砂漠では水が最優先で、補給上の制約から大軍を集結させたまま進むのは難しく、分散進撃はロメールの機動戦で各個撃破される危険が高い。だからド・ルーゴは「奪還の意図」を派手に漏らして敵を誘い、帝国側が港湾チュルスに縛られて撤退しにくい構造も利用した。

欺瞞成功、帝国軍出撃を確認して“罠に叩き込む”段階へ
連合王国情報部の偵察で「帝国軍、チュルスを出撃」を即時把握し、敵が分散進撃部隊を奇襲して機動防御を狙うことまで読み切った。ド・ルーゴの狙いは逆で、奇襲に出てきた敵を地雷原に誘導し、重装備と大兵力で捕まえて撃滅することだった。仮に敵が察して後退しても、妨害が減るので分散進撃を安全に通せる。どちらに転んでも得になる盤面を作ったのである。

士気の点火
こうして自由共和国軍は「ようやく反撃できる」という一点でまとまり、数的優位と準備済みの罠を信じて出撃準備に入った。最後の「一矢報いる」は、会議ごっこを終わらせて“戦争をしに行く”号令になった。

統一曆一九二五年十月六日 チュルス軍港郊外

砂漠の紳士の最大の危機はティー不足である
チュルス軍港の炎上から脱出したジョンおじさんは、遊牧民族との取引を軌道に乗せていた。情報交換は有益で、遊牧民の協力でチュルス監視と帝国軍の動向把握が可能になっていた。一方で、彼にとって致命的な不満は紅茶が手に入らないことであった。本国へ依頼しても「現地調達せよ」と冷たく突っぱねられ、機密費は余っていてもティーがないという文明崩壊を味わっていた。

遊牧民ネットワークを使った監視と連絡の構築
ジョンおじさんは民族衣装でキャラバンに溶け込み、砂漠に通じた人員も確保しつつ、情報網と連絡網を整備していた。共和国側へのメッセージも届け終え、愚痴が出る程度には余裕が戻っていた。部族長とは約款の履行を巡って確認し合い、ジョンおじさんは使い道のない機密費を背景に継続協力を確約して関係維持を図った。

武器供与と捕虜引き渡しで“使える現地勢力”を作る
彼は監視だけでなく、一部部族への武器供与でゲリラ活動を支援し、捕虜の受け渡し協定まで取り付けていた。遊牧民側も重火器や爆薬など外部調達が必要な物資を安定供給される利点があり、取引は双方に利益があった。ジョンおじさん自身も、部族間抗争に巻き込まれてライフルを手に取る場面があり、砂漠での実地工作が綺麗事では済まないことを身をもって知っていた。

秘密工作の制約と、現場の苛立ち
部族長は「働きを見たいなら貴様らも戦士を出せ」と要求するが、ジョンおじさん側は身分露見が致命傷になるため受け入れられなかった。遊牧民との内通が表沙汰になれば潜入と工作が成立せず、共和国植民地での部族工作も記録に残せない性質のものであった。ジョンおじさんは本国の現場軽視にも悪態をつきつつ、結局は自分が現場を回し続けるしかないと理解し、せめて自由共和国軍がまともに仕事をしてくれることを願うに至った。

統一暦一九二五年十月十二日 帝国軍野営拠点

夜の参謀幕僚と、ターニャの「危機感が足りない」観察
夜の帳が下りても参謀幕僚は航空偵察の最終報告を分析する仕事に追われていた。そこへデグレチャフ少佐が時間外同然に現れ、事務的な口調で意見具申を申し出たため、周囲は奇妙さを覚えつつも咎めはしなかった。だがターニャは、幕僚の顔に危機感が薄いことそのものを危険信号と見なし、言うべきことを言う決断を固めた。

先行偵察の具申と、空軍依存による情報偏りの指摘
ターニャは先行偵察の許可を求めた。奇襲意図の露呈を懸念されると、敵情把握に不備があると理屈で押し返し、現状が「チュルスに展開した空軍偵察への依存」で成立している点を問題にした。夜間偵察は航法機材や写真の制約が大きく、無理に飛ばせば事故や兆候露見のリスクもある。燃料や敵航空戦力下の制約を抱えた偵察結果は視野が限定され、偏りや誤解を招き得るとして、警戒行動の必要性を確信として提示した。

偵察実施と、扇状索敵線の編成
ロメール将軍は具申を認め、ターニャは即座に大隊を呼び出して出撃準備を命じた。砂漠夜間の長距離偵察に備え、航法機材や通信途絶、砂嵐を想定した準備を徹底した。テントで航法図をセレブリャコーフ少尉に補助させつつ、ヴァイス中尉と索敵エリアを策定し、中隊単位で四個中隊を分遣して扇状の索敵線を形成、一定地点で集合する古典的手順を採った。任務は「敵影捕捉」であり、分散進撃中の共和国軍を各個撃破する前提を支える裏方仕事であった。

“安全な偵察”のはずが、静けさが異常になる
ターニャは強行偵察のように撃たれながら進む任務ではなく、情報を持ち帰れば済む偵察である点を内心の利としつつ、対地・対空警戒を強化した。だが飛べども飛べども接敵がなく、各中隊も一様にノーコンタクトを報告した。戦場で「何もない」は歓迎である一方、「本来あるべきものがない」ことは危険兆候であるとターニャは判断し、分散進撃が幻である可能性を疑った。

敵の集結を悟り、司令部への緊急連絡が妨害される
予定地点の全てで敵影が見えない以上、共和国軍は分散進撃しておらず、むしろ集結済み、あるいは布陣完了の可能性が高いと結論づけた。各個撃破の前提が崩れれば、戦力集中した敵に対して帝国軍は逆にランチェスター的に不利となる。ターニャは「嵌められた」と喝破し、任務中断と即時集結を命じた上でHQへの緊急連絡を図ったが、司令部周辺は電波妨害が激化し交信は途切れがちとなった。

撤退戦の地獄と、砂漠が“水”で詰む現実
敵が集結している以上、阻止攻撃や補給線寸断は即効性を期待できず、本隊は前進済みで引き返しにくい。後退すれば追撃で連絡線を断たれ、主抵抗線構築前に壊滅的敗北となり得る。チュルス軍港へ逃げ込んでも制海権がなく降伏は時間の問題であり、固定防衛も水不足で数日持たない。ターニャは友軍救援を命じられる流れを読んだ上で、勝ち目の薄い「死んでこい」に等しい任務を拒みたいが、敵前逃亡は軍法会議と銃殺の道であると冷徹に計算した。

名誉と生存の両立を探し、敵の思考の隙を突く発想へ
ターニャは「敵の水を叩く」補給線攻撃へ思考を収斂させつつも、自軍は一個航空魔導大隊で数が足りず、オアシス情報も乏しく、現地協力に失敗すれば渇水で自滅する危険を抱える。そこで敵もまた「帝国軍は全て包囲下にある」というバイアスに囚われ、後方からの有力戦闘単位の襲撃を軽視している可能性に賭ける発想へ至った。突破口形成はできても維持を命じられれば死地となるという葛藤を抱えつつ、敵中突破で帰還すれば敵前逃亡にならないという戦史の例に縋り、結局は「選択肢がないなら義務として戦うしかない」と腹を括るに至った。

統一曆一九二五年十月十三日早朝 共和国軍野営拠点

勝利確信と、包囲撃滅寸前の昂揚
ド・ルーゴ将軍は「勝った」と口にし、参謀も同意した。共和国軍は分散進撃の偽報で帝国軍を誘い、集結戦力で包囲撃滅寸前に追い込んでいた。ライン戦線崩壊以来の屈辱を返す展開に、参謀だけでなく将兵全体が活気に満ち、チュルス奪還と南方大陸防衛の足がかりが現実味を帯びた。

右翼からのメーデー連発と、想定外の突破危機
その空気を裂いたのは警報音であった。第二二八魔導中隊のメーデー、続いて右翼直掩の第一二魔導大隊が突破されかけているという緊急報が入り、地図には右翼からの凶報が書き足されていった。第七師団司令部は「敵一個連隊規模と思しき魔導師が右翼を強襲中」と報告し、共和国軍が包囲したはずの前提が揺らいだ。両翼は側面攻撃と対地攻撃を前提にしており、連隊規模の魔導師に襲われる設計ではなかった。

“予備がいないはず”という情報と、現場の戦力差の矛盾
ド・ルーゴ将軍は、中央の魔導主力が敵主力と交戦し優勢を保っているという直前報告と、右翼の連隊規模襲撃が整合しないことに困惑した。敵に予備魔導戦力は存在しないはずで、把握している敵魔導戦力も多くて連隊規模という結論であったため、報告が誤認や欺瞞ではないかと疑い、連隊規模かどうか再確認を命じた。だが二個中隊が即座に叩き潰され、第一二魔導大隊まで突破されつつあるという事実が、少なくとも圧倒的戦力が右翼に現存することを示した。

右翼増援の抽出と、敵の進路転換
ビアント大佐は包囲突破を防ぐため、中央から部隊を引き抜き右翼支援へ回すべきだと叫んだ。共和国軍は予備の第二魔導大隊と第一混成魔導連隊を抽出して右翼へ派遣した。ところが直後、中央直掩の部隊から「敵魔導師が急速接近中」という悲鳴のような接敵警報が入り、右翼で暴れていた敵が進路を変更したことが判明した。敵の狙いは右翼包囲網の撃破でも、右翼へ向かった増援迎撃でもなく、共和国軍中央集団への突入であった。

悪魔的機動の正体と、中央を遊兵化させる罠
ビアント大佐は敵意図を見抜き、敵の機動が「共和国が右翼増強のため中央から抽出する」必然を利用したものだと理解した。中央を削らせた瞬間に中央へ吶喊し、通信障害や索敵麻痺を伴う高速突入で決定的な一撃を狙う。結果として、右翼へ展開中の味方魔導師は、最も重要な瞬間に中央戦闘へ寄与できない遊兵となり、共和国軍はそうさせられた形となった。追い詰められた迷走に見えて、内実は狡猾な戦術機動であった。

司令部斬首の再現と、ド・ルーゴ護衛命令
ビアント大佐は「敵の狙いはここだ」と断じ、ライン戦線で帝国軍が実行した“外科的な一撃”による司令部刈り取りを再現する意図だと警告した。要塞化された司令部すら落とされた前例があり、今の自由共和国軍は指揮系統を挿げ替えた直後で代替が利かない。ド・ルーゴ将軍が倒れれば抵抗は瓦解し、帝国軍は派遣軍団が損耗しても刺し違えで勝利し得る。ゆえにビアント大佐は将軍に退避を求め、参謀は「閣下を守れ」と号令し、司令部防衛が作戦目標を食い潰してでも優先される正念場へ転じた。

同日 帝国軍野営拠点

ロメールの高笑いと、包囲下の空気の反転
装甲車に同乗する下士官たちは、包囲下で総指揮官が突然笑い出す異様さに顔をしかめた。だがロメールは笑いを引っ込めず、デグレチャフ少佐の行動が敵の偽装を見破り、接敵前に警告をもたらしたことを痛快として称え続けた。包囲され撤退を模索していたはずの状況が、彼女の動きで「何とかなる」に変質したためである。

“前に向かって後退”という戦域機動の理解
第二〇三航空魔導大隊が敵右翼を攻撃中という報を受けた時、ロメールは当初それを「時間稼ぎ」程度に見積もり、全滅すら覚悟していた。だが攻撃が途中で打ち切られ、敵中央に向けて突撃が始まり、自由共和国軍司令部付近から混乱が波及して敵の動きが鈍った瞬間、右翼攻撃が陽動であり本命が司令部への直接打撃だったと悟った。局所的優位と機動で局面を反転させたと評価し、彼女を「白銀」であり「狂犬」でもあると位置付けた。

帝国軍の再起動と、各個撃破方針の復活
中央が攪乱され、両翼が即応できない隙が生まれたことで、帝国軍は組織的戦闘部隊を保持したまま活路を得た。ロメールは右翼の混乱はひとまず放置し、指揮系統から孤立しつつも戦闘力を残す共和国軍左翼を速攻で叩く判断に至った。軽師団を陣地防衛の後詰に置き、残余戦力を左翼へ集中して包囲網の瓦解と退路確保、可能なら敵主力への打撃まで狙う機動遊撃戦へ移行した。

“自由にやれ”という手綱放棄の決断
ロメールはデグレチャフ少佐に「自由にやれ」と伝達させた。制御するより野放しの方が戦果を出すと割り切り、戦機を嗅ぎ取る嗅覚と大隊運用の巧みさでは自分が劣るとまで認めた。猟犬は躾けて可愛がるより、戦場で暴れさせた方が合理的だという判断である。

砲兵と浸透襲撃の即応命令
好機を逃さぬため、ロメールは浸透襲撃準備を急がせ、共和国砲兵が統制を取り戻す前に取り付くよう命じた。残存砲兵を掻き集めて陣地転換後に敵中央へ弾数制限なしで撃ち込み、軽師団の防御支援も兼ねて脆弱部を晒す時間を最小化する構想を示した。包囲下で秩序を維持しながら即断即決で動員を回す指揮は、彼の非凡さとして描かれた。

共和国司令部の“笑い”と、斬首の再来
一方の共和国司令部では、ド・ルーゴ将軍とビアント大佐が空疎な大笑いを浮かべ、参謀たちは狂気を疑って凍りついた。だがそれは開き直りに近い笑いであり、戦略上は正しいはずの包囲が、作戦レベルの力技で覆される不条理への悪態でもあった。右翼強襲の敵は中央を強襲し、迎撃を受ければ後退し、追撃に出た瞬間の隙を突いて急速反転し散開、追撃側を屠りながら司令部へ突入した。結果、司令部区域は爆撃と術式で全壊し、ビアントはド・ルーゴを蹴り飛ばして退避壕へ押し込み、自身が盾となって辛うじて指揮官の生存を確保した。

撤退決断と、消耗戦への転換
設備喪失と混乱はあったが損害は限定的で、指揮官も生存した。ド・ルーゴは「ここは退く」と決め、撤収と深追い厳禁、態勢立て直しを命じた。会戦で勝てないなら消耗戦に引き込み、時間を味方につけて削り潰すという発想へ切り替え、南方で生き残ったこと自体を転機と位置付けた。

ターニャの高揚と、九七式による“ターキーシュート”
デグレチャフ少佐は珍しく上機嫌で笑い、九七式演算宝珠の速度と高度性能を頼みに、襲撃一撃離脱で共和国魔導師を一方的に撃墜した。自分たちの戦果を「ターキーシュート」と認識しつつ、誇張や水増しを避ける計算も忘れなかった。追撃してくる敵に対しては、壊走を偽装して囮を置き、空域D-3へ誘導して三方向から反転包囲し、十字砲火で撃滅する「釣り野伏せ」を実行し、戦果を積み増した。

勝利の酔いの後の悪寒と、終戦不能の予感
しかし高笑いの最中に「これからも」と口にしかけた瞬間、ターニャは冷えた未来を直感した。弱い敵を狩るだけの安易な勝利が続くほど、戦争が終わらない構造が固定化するのではないかと気付いたためである。帰投後、砂漠を行き交う膨大な補給車列と輸送負荷を見て、共和国残党や連合王国派遣程度の相手に貴重な車両と国力を浪費している現実を突き付けられた。政治的圧力やイルドア王国への配慮といった目的は理解しつつも、「主要参戦国が増えない」前提に依存した薄氷の方策であり、海軍の温存志向や戦線拡大が、勝っているのに終わらせられない戦争へ帝国を追い込むと感じた。最良の時期であるはずなのに国力を瀉血し続けているという認識が、ターニャの中で呪いのような悪寒として残った。

統一暦一九二五年十一月一日 連合王国庶民院

首相のラジオ演説と、避けられない対決の宣言
首相は臣民に向け、帝国がついに連合王国へ鋭鋒を向ける段階に至った現実と、攻め寄せる意思があることを告げた。状況の深刻さを隠さず示しつつ、語り口には皮肉めいたユーモアを滲ませ、恐怖に飲まれない姿勢を演出した。

“海からは来られない”という確約と、防壁の試練
首相は慰めとして、帝国が少なくとも海から侵攻することは不可能だと確約した。一方で、古来「木の防壁」と讃えられてきた海の守りでさえ、最悪の敵を前に大きな試練を受けると述べ、従来の戦争観が通用しない時代の到来を強調した。

長期戦の覚悟と、総力戦の予告
この戦争は過酷で長く、忍耐を強いるものになると首相は断言した。敵か自分たちのどちらかが倒れるまで、祖国が出しうる全ての力を振り絞って戦う必要があるという、総力戦の見通しが提示された。

勝利の誓約と、歴史への投げかけ
首相は祖国に対し、いつか必ず帝国を打ちのめすと約束した。その言葉はパブで頷きや喝采を誘うような、共同体の意志を束ねる宣言として機能した。さらに、千年後の子孫が歴史書を読み返し「この瞬間こそが帝国にとっての最良の時代であった」と記す未来を願い、現在を「連合王国にとって最悪、帝国にとって最良」と位置づけた。

“最悪の時代に乾杯”という逆説的結束
最後に首相は、灰色の最悪の時代に乾杯しようと呼びかけた。それは敗北の受容ではなく、苦難を自覚したうえでなお折れないという、連合王国が自らを鼓舞する儀式的な宣言であった。

同シリーズ

幼女戦記1巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
幼女戦記 1 Deus lo vult
幼女戦記 2の表紙画像(レビュー記事導入用)
幼女戦記 2 Plus Ultra
幼女戦記3巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
幼女戦記 3 The Finest Hour

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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