フィクション(Novel)わたしの幸せな結婚読書感想

小説「わたしの幸せな結婚 十(10)」感想・ネタバレ

わたしの幸せな結婚10の表紙画像(レビュー記事導入用) フィクション(Novel)

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物語の概要

■ 作品概要

本作は、顎木あくみによる和風ファンタジー小説「わたしの幸せな結婚」シリーズの第8巻である。明治・大正期を彷彿とさせる架空の時代を舞台に、継母や異母妹から虐げられて育った少女・斎森美世が、冷酷無慈悲と噂される軍人・久堂清霞と出会い、愛し合われることで幸せを掴んでいく物語である。 本巻では、美世と清霞が正式に婚約し、平穏な日々を願う中で、異能(特別な力)を巡る家系の因縁や、軍内部の策謀が交錯する。単なる恋愛物語に留まらず、異能者たちの戦いや一族の責務といった重厚な世界観が描かれているのが特徴である。

■ 主要キャラクター

  • 斎森 美世(さいもり みよ): 本作の主人公。異能者の家系に生まれながら異能を持たないとされ、実家で長年虐げられてきた。しかし、清霞との出会いを通じて自身の真の力と自己肯定感を取り戻していく。内気だが、大切な人を守ろうとする芯の強さを持つ。
  • 久堂 清霞(くどう きよか): 若くして「対異特務小隊」を率いるエリート軍人であり、久堂家の当主。端麗な容姿を持つが、非常に冷徹な性格として恐れられていた。美世の純粋さに触れることで次第に心を開き、彼女を誰よりも深く愛し、守り抜こうとする。
  • 五道 佳斗(ごどう よしと): 清霞の部下であり、久堂家の協力者。明るく軽い振る舞いが目立つが、仕事は有能であり、清霞と美世の関係を温かく見守りつつ、実務面や戦闘面で彼らを支える重要な立ち位置にいる。

■ 物語の特徴

本作の最大の魅力は、「和風シンデレラストーリー」と「異能バトル」が高度に融合している点である。虐げられていたヒロインが愛によって癒やされていく過程を丁寧に描きつつ、日本の近代史的な情緒とファンタジー要素を組み合わせた独自の世界観が、読者を強く引き込む。 他作品との差別化要素として、単に「結婚して終わり」ではなく、結婚に至るまでの過程で露呈する一族間のドロドロとした権力争いや、呪い、異能を巡るサスペンスフルな展開が挙げられる。静謐で美しい文体と、緊迫したアクションシーンの対比も大きな見どころである。

書籍情報

わたしの幸せな結婚 十
著者:顎木 あくみ 氏
イラスト:月岡 月穂 氏
出版社: KADOKAWA(富士見L文庫)
発売日:2026年3月13
ISBN:9784040762074

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あらすじ・内容

新婚のふたりは、より甘く、より深く――
 新婚旅行もかねての旧都旅行のはずが波乱が続き、美世を喜ばせたくて連れてきた清霞は落ち込んだ様子だった。土蜘蛛の手がかりを探すも調査は難航し、行き詰まりを感じる二人。
 そんな折、偶然訪れた寺である逸話を聞く。九百年以上昔の話だというそれは、美世が長場君緒に教えられた「おまじない」にそっくりだった。それをきっかけに土蜘蛛の謎に大きく迫り……。
「旦那さまを慰めて、甘やかすのは、わたしの役目です」
 稀なるおしどり夫婦の物語は、いざ因縁の土蜘蛛との対決へ――。

わたしの幸せな結婚 十

感想

まず胸に込み上げたのは、二人の歩みが単なる甘い新婚生活に留まらず、より深く重厚な運命へと踏み出したことへの感慨である。本作の魅力は、美しい情緒の中に潜む、鋭く切ない人間ドラマにあるといえるだろう。

物語の舞台は旧都へと移り、二人の新婚旅行は幕を開ける。しかし、この旅は穏やかな観光だけで終わることはなかった。仕事と私情が交錯する中で、清霞と美世が直面するのは、過去の因縁と新たな危機の影である。特に、五道佳斗の過去が明かされる場面は、本作における大きな見どころの一つであった。かつて父を失った悲しみから清霞を激しく憎み、復讐を誓っていた五道が、いかにして今の軽妙で信頼厚い部下へと変わったのか。その葛藤の背景には、異国の異能者であるユージンの存在もちらつき、物語に不穏な奥行きを与えている。

また、中盤で描かれる山での修行シーンも非常に印象深い。清霞が持つ妖刀「雪日刀」を使いこなすために、厳格な師匠の下で己を研ぎ澄ます姿には、軍人としての圧倒的な覚悟を感じた。同時に、美世もまた師匠から指導を受け、自身の「夢見」の力をより広く捉える感覚を身につけていく。彼女が、強大な敵である土蜘蛛に対し、自分の力が通じるのではないかと気づく場面では、守られるだけではない彼女の力強い成長に胸が熱くなった。

土蜘蛛という存在が、かつて不幸な境遇に置かれた女性の怨念から生まれたという伝承も、この物語を象徴している。美世が夢の中で見た、絶望に震える美しい女性の姿は、あまりに悲しい。その怨念に寄り添えるのは、同じように辛い過去を乗り越えてきた美世だけなのかもしれない。

終盤、自分の実力を確かめるべく一人で土蜘蛛と対峙した五道と、彼を救うために駆けつける清霞の姿には、言葉を超えた強い絆が見て取れた。戦い、日常、そして深い愛。それらが複雑に絡み合い、いよいよ因縁の対決へと向かう構成には、ページをめくる手が止まらなかった。二人が本当の「幸せ」を掴み取るその日まで、この長い旅路を見守り続けたいと強く願わされる一冊である。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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登場キャラクター

久堂家

久堂清霞

対異特務小隊の隊長を務める。冷酷な人物と噂されるが、実際には部下や家族を思いやる性格である。斎森美世の婚約者であり、のちに夫となる。

・所属組織、地位や役職
 帝国陸軍・対異特務小隊隊長、少佐。久堂家当主。

・物語内での具体的な行動や成果
 美世を救出し、彼女を守るために異能心教や甘水直と対峙した。また、土蜘蛛の討伐に向けて行動する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 美世との出会いを経て穏やかな人物へと変化していく。美世を守るため、軍人を辞める決意を固めた。

久堂美世

斎森家の長女として虐げられて育ったが、清霞との出会いで自信を取り戻していく。「夢見の力」を持つ異能者である。

・所属組織、地位や役職
 久堂清霞の婚約者、のちに妻。

・物語内での具体的な行動や成果
 清霞を救うため、自らの異能を使って彼を夢の中で助けた。異能心教の脅威に立ち向かい、土蜘蛛に関する手がかりを夢見の力で探る。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 最初は自信を持てなかったが、周囲の支えで成長する。夢見の力を自覚し、清霞を支える覚悟を固めた。

五道家

五道壱斗

佳斗と兄の父親である。家族の時間を大切にする愛情深い人物であった。

・所属組織、地位や役職
 対異特務小隊・先代隊長。

・物語内での具体的な行動や成果
 対異特務小隊の任務中に土蜘蛛との戦いで殉職する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 彼の死は息子である佳斗に憎悪と復讐心を抱かせる原因となった。

五道佳斗

対異特務小隊の隊員である。父の死を機に清霞に復讐心を抱いていたが、後に和解する。ユージン・ウォードとは留学中の同級生である。

・所属組織、地位や役職
 対異特務小隊・隊員。のちに次期隊長に指名される。

・物語内での具体的な行動や成果
 英国の魔術学校に留学して魔術を学んだ。帰国後は異形との戦闘で活躍し、ユージンとも交戦する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 復讐心を捨てて清霞と和解し、彼を尊敬するようになる。清霞の退職に伴い、隊長職を引き継ぐ準備を進めた。

佳斗の母

壱斗の妻であり、佳斗たちの母親である。柔軟でおおらかな性格を持つ。

・所属組織、地位や役職
 五道家。

・物語内での具体的な行動や成果
 佳斗の英国留学を否定せずに認める。夫の葬儀では憔悴しながらも参列者の応対を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 夫の死により悲しみに暮れる。

佳斗の兄

佳斗の兄である。異能を持っていない。

・所属組織、地位や役職
 五道家。

・物語内での具体的な行動や成果
 父の死を伝える書類を佳斗に送付した。復讐を企む佳斗に忠告をする。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 異能を持たないため、佳斗から意見する資格がないと切り捨てられた。

佳斗の妹

佳斗の妹である。

・所属組織、地位や役職
 五道家。

・物語内での具体的な行動や成果
 父の葬儀に参列する。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 父の死によって魂が抜けたように虚ろな状態となった。

対異特務小隊

百足山

清霞の部下である。

・所属組織、地位や役職
 対異特務小隊・隊員。

・物語内での具体的な行動や成果
 清霞の不在時に屯所の守りや隊の統率を任される。甘水直の襲撃時には美世を守るために応戦した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 甘水の侵入を防げなかったことで清霞から叱責を受ける。自身の力不足を認め、隊員の意識改善に努める決意を示した。

対異特務第二小隊

光明院

清霞の元上司であり、豪快な性格を持つ。

・所属組織、地位や役職
 対異特務第二小隊・隊長。

・物語内での具体的な行動や成果
 清霞と美世の結婚式で媒酌人を務める。妖刀の修復に関して清霞に御師を紹介した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 過去の戦いで深い傷を負い、義足をつけている。

陣之内薫子

美世の護衛を務める。かつて清霞の婚約者候補であった。

・所属組織、地位や役職
 対異特務第二小隊・隊員。

・物語内での具体的な行動や成果
 屯所で美世を案内し、給湯室の清掃を共に行う。甘水の襲撃時に結界に細工をして侵入を手引きした。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 家族を人質に取られて裏切り行為を強いられた。拘束された後、美世から許しを得て再び友情を誓い合う。

幸次

美世の幼馴染である。彼女を大切に思っている。

・所属組織、地位や役職
 対異特務第二小隊・隊員。

・物語内での具体的な行動や成果
 美世が斎森家に監禁された際、清霞に協力を求めて救出に向かう。結婚式では美世に香耶からの手紙を渡した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 父親と決別し、異能者として成長する決意を固めた。

宮小路家

宮小路弧門

宮小路家の当主である。清霞とは幼い頃からの付き合いがある。

・所属組織、地位や役職
 宮小路家・当主。生国神社・宮司。

・物語内での具体的な行動や成果
 美世と清霞に滞在のための別棟を提供する。隣県で土蜘蛛に関する類似の伝承を発見した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 宮小路家の過去の人体実験の罪を認め、清霞に謝罪する。

辰石家

辰石一志

解術の専門家である。

・所属組織、地位や役職
 辰石家・当主。

・物語内での具体的な行動や成果
 軍本部へ潜入する美世を案内し、遭遇した軍人を無力化する。異形の実体化を解術で解消した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 清霞の指示で動く立場となる。

長場家

長場君緒

美世の同級生である。夫や義母からの扱いに苦しんでいる。

・所属組織、地位や役職
 長場家。

・物語内での具体的な行動や成果
 旅の僧侶から呪物を受け取り、義母への復讐を試みる。清霞に助けを求めるが拒絶され、後に屯所で美世を小刀で襲撃した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 警察に引き渡される。

薄刃家関連

美世の従兄である。幻を操る異能を持つ。

・所属組織、地位や役職
 薄刃家・次期当主。鶴木貿易。宮内省の交渉人。

・物語内での具体的な行動や成果
 清霞と決闘して美世を薄刃家に引き取る。帝が拉致された事件の捜査を行った。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 甘水直の思想に同調して彼と行動を共にするが、最後は彼を止めるために撃ち、命を落とす。

異国の異能者・魔女の勢力

ユージン・ウォード

英国の魔術学校で五道佳斗と同級生であった。自由を求める目的を持つ。

・所属組織、地位や役職
 異国の異能者。

・物語内での具体的な行動や成果
 他者の夢に入り込む異能を用い、美世を仲間に誘う。五道と戦闘になり、罠を駆使して翻弄した。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 タカオの介入により五道との戦闘から離脱する。

タカオ

ぼろ布を被り無精髭を生やした不審な風貌の男である。

・所属組織、地位や役職
 異国の異能者・魔女の勢力の協力者。

・物語内での具体的な行動や成果
 五道とユージンの戦闘に介入する。不可視の結界を張って五道の攻撃を防いだ。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 ディアナの呼び出しをユージンに伝え、共に立ち去る。

ディアナ

黒いドレスをまとった魔女である。女神を降ろす儀式を企む。

・所属組織、地位や役職
 魔女。

・物語内での具体的な行動や成果
 夢の中で美世に協力を求めるが拒絶される。

・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 ユージンやタカオと合流し、美世を揺さぶる次の手段を模索する。

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展開まとめ

序章

生家を覆った赤い惨劇

彼女が久方ぶりに目にした生家は、紅葉の赤と炎の赤、そして血の赤に覆われた異様な光景へと変わり果てていた。鉄錆のような臭いと肌を焼く熱気に包まれる中、彼女はそこが自らの生まれ育った家であると理解しながらも、現実を受け止めきれず、その場に崩れ落ちた。温かな家族との思い出が目の前で無惨に塗り潰されていくことに、強い喪失と混乱を抱いていた。

両親を奪った男への憎悪

彼女の前には、すでに命を失い肉の欠片となった両親が横たわっており、その傍らには刀を手に愉快そうに笑う男が立っていた。その男は、もともと彼女が恨みを抱いていた相手であり、かつて両親を殺さないでほしいという彼女の訴えに応じたように見せかけながら、実際には最初から聞き入れる気などなかった。両親を失った現実と、男の残酷な言葉と態度によって、彼女の感情は恨みを超えた激しい憎悪と殺意へと変わっていった。

思い出の崩壊と人としての揺らぎ

男は卑しい親など忘れればよいと告げ、自分なら望むものを何でも与えられると語ったが、その言葉は彼女の怒りと嫌悪をさらに強めるだけであった。彼女は、目の前の惨劇によって思い出も心のぬくもりも赤く塗り潰され、記憶を失うたびに自分の内面がひび割れ、人としての形すら保てなくなっていく感覚を覚えていた。

憎悪に身を委ねた願い

彼女は、もはや自分が異形に成り果てようと、自分自身でなくなろうとかまわないと感じるほど、深い憎悪に沈んでいった。そして、ただこの憎い男と、その男が慈しみ思い入れるあらゆるものを穢し、壊し、消し去りたいと願った。その激しい願いは、村を包む炎の火の粉とともに天へ舞い上がっていった。

一章 過ぎし年月

父への反発と複雑な劣等感

五道佳斗にとって、父である五道壱斗は幼い頃には大好きな存在であり、家族を大切にしながら多忙な軍務をこなす立派な父親であった。しかし成長するにつれ、その非の打ちどころのない在り方は佳斗の癇に障るようになっていった。厳しくされても、褒められても素直に受け取れず、一家団欒すら鬱陶しく感じて家族から距離を置くようになった。異能を持たない兄に代わって将来は自分が五道家を担わなければならないという重圧もあり、佳斗は父への反発を強めていった。

留学への決意と父を超えたい執念

佳斗は技術の遅れた母国に不満を抱き、異国の術を学んで父を含めた母国の異能者たちを圧倒したいと考えるようになった。そのため異国の言葉を猛勉強し、英国の魔術学校への留学を決意した。両親はその選択を否定しなかったが、佳斗はそれすら自分への無関心と受け取り、さらに意固地になった。英国へ渡った佳斗は、母国にはない理論や技術を吸収することに全力を注ぎ、周囲から高く評価されるほど優秀な成績を収めていった。

ユージンとの競争意識

留学生活は順調であったが、佳斗には自然と意識せざるをえない相手がいた。それがユージン・ウォードであった。専門分野や所属研究室は異なっていたものの、共通する講義ではいつも僅差で順位を争う関係にあり、佳斗は彼の存在を強く意識していた。ただし、当時の二人の関係はあくまで試験成績を通じて意識し合う程度のものであり、言葉を交わすような間柄ではなかった。

父の訃報による崩壊

そんな佳斗の留学生活は、父の死によって一変した。ある日、学校の事務員に呼び出された佳斗は、兄から送られた書類によって父の死を知らされた。軍務による死であり、詳細は伏せられていたが、兄の筆跡による知らせは疑いようのない現実であった。佳斗は父が軍人である以上、死の可能性があることを知ってはいたが、実際にその日が訪れるとは考えていなかった。留学から帰れば、あの温かな家族が変わらず揃っているものと思い込んでいた佳斗は、父がもういないという事実に打ちのめされ、自分が強くなった姿を認めてくれる相手が父以外にはいなかったことを思い知らされた。

帰国と葬儀で知った現実

父の訃報を受けた佳斗は、緊急用の転送術を使って故郷へ戻った。道中の記憶は曖昧であったが、休みも取らず必死に帰国したことだけは確かであった。通夜には間に合わなかったものの、葬儀には滑り込むことができた。久しぶりに戻った生家には多くの弔問客が集まり、軍服姿の者も多かった。母も兄も疲弊し、妹も虚ろな様子を見せていた。佳斗は親族たちから、壱斗の最期には久堂家の若君が付き添っていたことや、軍が壱斗に責任を負わせようとしていることを聞かされ、その中でもとりわけ久堂清霞の存在に強く引っかかった。

清霞への憎悪の成立

久堂清霞は幼い頃から面識のある相手であり、その実力も評判も佳斗は知っていた。土蜘蛛すらひとりで追い詰め封印した清霞が、なぜ最初から動かなかったのかという疑問と怒りが、父を失った悲しみと結びついて膨れ上がっていった。父の死によって、これまで鬱陶しいと感じていた父こそが、自分にとって決して届かない憧れであり、最も認めてもらいたい相手だったのだと佳斗はようやく理解した。だからこそ、その父を失わせた清霞への怒りは、他に向けようのない憎悪へと変わっていった。

葬儀での暴発と復讐の誓い

葬儀の場に現れた清霞は蒼白な顔をしていたものの、佳斗には平然としているように見えた。その姿は、間に合わなかったことへの責任や悔恨をまるで抱いていないように映り、佳斗の怒りは限界を超えた。佳斗は清霞に掴みかかり、人殺しと罵って殴りつけた。清霞は短い謝罪しか返さず、その態度がさらに佳斗の癇に障った。光明院から謝罪を受けても怒りは収まらず、佳斗は久堂清霞に必ず父と同じ痛みを味わわせると誓った。こうして佳斗の中には、清霞を屈服させなければ消えない黒く重い憎悪が積もっていった。

五道の過去を聞く美世の動揺

宮小路家の屋敷の離れにある縁側で、久堂清霞と五道佳斗は手合わせの後に休憩を取っていた。昨日、異国の異能者ユージン・ウォードが美世たちへ接触してきたことから、ユージンと旧知である五道の過去が話題となり、五道は自身のこれまでを語っていた。最初は異国の学校や留学の話に胸を躍らせていた美世であったが、五道の父の死の話になると胸が締め付けられるように苦しくなり、言葉を失った。

父の死に思いを重ねる美世

宮小路家の庭は瑞々しい緑に満ち、穏やかな夏の風が流れていたが、その静かな景色を見つめながら美世は涙がこぼれそうになるのを感じていた。自身も幼い頃に実母を亡くしているが、記憶がほとんど残らないほど幼かったため、遠く離れた異国で父の死を知らされた五道の気持ちは想像も及ばないものだった。清霞に泣いているのかと問われた美世は否定したものの、五道の話をさらに聞きたいと強く思っていた。

二人の関係への関心

美世にとって五道は、夫の部下という関係ではあるが、それ以上に近しい存在のように感じられていた。清霞と五道がどのような言葉を交わし、どのような出来事を経て現在の関係に落ち着いたのかを知りたいという思いが芽生えていた。美世が続きを聞きたいと願うと、五道は一度清霞の様子をうかがった。清霞は相変わらず仏頂面であったが、不機嫌というわけではなく、ユージン・ウォードに関する話であれば聞くとだけ告げた。

清霞の過去を暴露しようとする五道

清霞の許可を得た五道は、いたずらっぽく笑いながら清霞の幼い頃の話を持ち出した。清霞が子どもの頃には自分のことを僕と呼び、父に懐いて子ガモのようについて回っていたと語り始めたのである。しかしその瞬間、清霞の拳が五道の頭に容赦なく落ち、五道は悲鳴を上げた。清霞は冷え切った声で叱責し、好きにしてよいと言ったのは自分の過去を暴露してよいという意味ではないと告げた。

軽口を交わせる現在の関係

拳骨を受けた五道は理不尽だと抗議しながらも、二人のやり取りはどこか軽妙であった。過去の話の内容は過酷であり、禍根が残っていてもおかしくない出来事が語られていたが、それでも今こうして軽口を交わせる関係であることに美世は安堵を覚えていた。その光景を見ながら、美世は二人が現在の関係に至った経緯をさらに知りたいと感じた。

ユージンの話へ続く過去

五道は清霞に拳骨を落とされた頭をさすりながら、冗談だったと弁解し、ここからユージン・ウォードに関する話になると告げた。そして五道は、再び自身の過去について語り始めたのであった。

復讐のために英国へ戻る決意

葬儀の後、五道は清霞への復讐を果たすという昏い決意を固めていた。その思いは時間が経っても薄れず、むしろ強く残り続けていた。しかし、清霞は国で最強と呼ばれる実力者であり、今の自分では到底敵わないことも理解していた。兄は五道の危うい考えを察して忠告したが、五道は異能を持たない兄には何もできないと切り捨て、その言葉を受け入れなかった。母の様子にも構わず、五道は復讐のために時間を惜しんで再び英国へ戻った。

父の死後に深まった研鑽

英国へ戻った五道は、船旅の最中から勉強を続け、学校へ戻ってからは研究に没頭した。父の死を境に、誰にも邪魔されず、なりふり構わず魔術に打ち込むようになった五道は、急速に成績を伸ばしていった。しかし五道にとって試験成績の良さは目的ではなく、欲しかったのは清霞に届くための強さであった。戦闘系の技術をさらに磨き、魔術と異能を組み合わせた実戦的な力を身につけることに意識を向けるようになり、成績や周囲の評価すら次第に気にしなくなっていった。

ユージンとの再接近と競争の激化

その頃、ユージン・ウォードが五道に話しかけてきた。父の死を知ったうえで、何が五道をそこまで変えたのかを知りたいと真剣に問いかけたのである。五道は突き放すような態度を取ったが、ユージンは退かず、前の五道はもっと楽しそうだったと告げた。五道は投げやりに、崖っぷちに立てば人は変われるのではないかと返したが、ユージンはそれを真正面から受け止め、命を懸ける気持ちでさらに学業に励むと宣言して去っていった。その後、順位表ではユージンの名が五道を上回るようになり、五道は強い衝撃を受けた。復讐のために研鑽を重ねている自分が負けることを許せず、五道はさらに研究と鍛錬にのめり込んだ。こうして二人は卒業まで一歩も譲らず競い合い、共に優秀な学生として学校を出ることになった。

清霞への初めての本気の挑戦

帰国後の五道は、衆目の中で清霞を打ち負かし、彼をただの取るに足らない存在だと周囲に知らしめたいと考えていた。武器あり、異能あり、術ありという危険な条件での戦闘訓練を願い出ると、清霞はそれを了承した。五道は本気で清霞を殺すつもりで挑み、たとえその結果自分が罪に問われても構わないと思っていた。父の死に対する復讐を果たすことだけが目的であった。しかし訓練が始まると、五道の剣も魔術も異能も、清霞にはひとつとして届かなかった。連続で放った攻撃はすべてかわされ、いなされ、打ち消され、気づけば喉元にサーベルの切っ先を突きつけられていた。

圧倒的な敗北と留学の意味への疑念

数年かけて積み上げた技術も工夫も思いも、清霞の前ではあまりに呆気なく打ち砕かれた。英国では成績でも戦闘でも優秀であった五道にとって、その敗北は大きすぎる衝撃であった。もし自分ですら敵わないのなら、自分より弱い者も同程度の者も皆、清霞には敵わないことになる。そう考えた五道は、世界で力を得るために選んだ留学そのものが無駄だったのではないかという恐ろしい疑念に囚われた。周囲の隊員たちからも、身の程知らずの新入りとして見られていることを感じ、五道は屈辱の中で立ち尽くすしかなかった。

繰り返された挑戦と尽きない執着

それでも五道は鍛錬をやめなかった。隊の者たちと馴れ合うことなく、空いた時間はひたすら技を磨き、清霞の動きを分析した。速さを上げ、技の順序や動き方を工夫し、目くらまし、不意打ち、術による罠、大規模攻撃と、考えうるあらゆる手段で再戦を挑み続けた。しかし清霞はそのすべてに危なげなく対応し、五道は何度挑んでも敗北した。積み上げてきた努力が届かない現実に愕然としながらも、五道は止まることができなかった。止まれば、自分が信じてきたものまで崩れてしまうと感じていたからである。

敗北の果ての絶望と揺らぐ認識

敗北を重ねた末、五道はついに地面に這いつくばって叫んだ。なぜ勝てないのか、なぜ自分がこんな相手に負けなければならないのかと、怒りと悔しさをむき出しにして清霞の胸倉を掴み、負けろ、受け入れろ、死ねと罵った。清霞は反論も抵抗もせず、ただ冷たく暗い瞳で五道を見つめた。そのまなざしに佳斗は動揺し、思わず手を離した。清霞は絞り出すように謝罪して去っていったが、その謝罪は五道の怒りを鎮めるものではなかった。ただ、その戦いのあとから五道は驚くほど気力を失っていった。

復讐に縋るしかない佳斗

五道は剣でも術でも異能でも、技術的には大きく劣っているとは思えないにもかかわらず、戦えば戦うほど清霞に勝つ未来を想像できなくなっていった。それでも諦めることはできなかった。もしここで諦めれば、父の死が避けられない必然であったと認めることになるからである。五道にとって父の死は理不尽で不条理なものであり、清霞のせいで起きた悲惨な事件でなければならなかった。その思いに縋るように、五道は対異特務小隊の寮の一室で身体を丸め、父の復讐を果たすまでは五道家の屋敷に帰る資格もないと考えていた。

廃神社での任務と佳斗の孤立

対異特務小隊は、現代科学では解決できない神秘や怪異に関わる事案を扱っており、五道はこの日、同じ班の先輩隊員たちとともに廃神社の調査へ向かった。班長からは最後尾で援護し、危険と判断したら退避するよう指示されたが、五道はその扱いに不満を抱きつつも従うしかなかった。入隊後の五道は、父を失った先代隊長の息子であり、なおかつ私怨を露わにして清霞へ何度も挑んでは敗れていたため、周囲から距離を置かれていた。五道自身も他者とかかわろうとせず、任務よりも鍛錬と復讐心を優先していたため、班内での連携も十分に築けていなかった。

異形の策と班の崩壊

廃神社には、信仰を失って邪な道へ零落した元神の異形が棲みついていた。隊員たちは神社を包囲し、術で異形を誘い出して一気に討つ作戦を実行し、当初は順調に進んでいた。しかしその異形は知性を残しており、初めは力を隠して後から本気を出すことで隊員たちの不意を突いた。濃い邪気によって隊員が次々と倒れていき、指示系統も混乱する中で、残った者たちの一斉攻撃も通じなかった。五道は魔術による攻撃を試みようとしたが、班長は新人を危険にさらせないとして退避を命じ、自ら五道を庇って前に立った。そのため五道は準備していた魔術を撃てず、班としての連携不足と、自身が復讐に囚われて仕事を疎かにしていた未熟さを痛感した。

負傷と自己認識の揺らぎ

異形の攻撃は五道にも及び、胸元をかすめた斬撃によって浅い傷を負った。傷自体は軽かったが、そこから邪気が入り込み、五道の活力を奪っていった。その中で五道は、自分がいつも大切なものを見誤り、間違った方向へ進み続けてきたことを思い返していた。父に反発したことから始まり、任務においても必要なことを見ず、後悔を重ねてきた自分を情けなく感じていた。視野が狭く、やるべきことができていないからこそ清霞にも勝てないのだと理解し、佳斗は打ちのめされたまま地面に膝をついた。

清霞の救援と圧倒的な実力

そこへ清霞が数名の部下を率いて現れた。清霞は不足していた情報と人員配置の問題を冷静に指摘し、倒れた隊員たちの救護を部下に任せると、自ら異形へ向かった。そして一閃のもとに異形の攻撃ごと本体を真っ二つに断ち、異能の炎で焼き尽くした。隊員たちの攻撃がまるで通じなかった相手をあまりにも容易く斬り伏せるその姿に、五道は清霞との格の違いを改めて思い知らされた。

清霞の感情を知った瞬間

何もかもが無駄だったと五道が思いかけたとき、清霞は五道の前に立ち、あきらめるなと告げた。さらに間に合ってよかったと口にしたその声には、それまでの無機質さとは異なる強さがこもっており、目には明確な安堵がにじんでいた。その瞬間、五道はようやく理解した。清霞は他人に無関心なわけではなく、五道を失うかもしれないことを怖れていたのであり、あの葬儀のときも平然としていたのではなく、確かに悲しみに歪んでいたのだと気づいた。五道は、自分が悲しみと怒りに囚われるあまり、都合のよい解釈で現実から目を背けていたことを痛感した。

謝罪と復讐心からの決別

五道はその場で両膝をつき、額を地面にこすりつけて清霞に謝罪した。そのときの五道にできることは、ただ自分の幼稚さと過ちを認めることだけであった。そして五道は、清霞への復讐をやめると決めた。それは諦めではなく、目を背けてきた現実と向き合う決断であった。父の命を奪ったのは土蜘蛛であり、任務の中で起きた不条理な死への怒りや、自分自身への怒りを、五道はただ清霞へ押しつけていただけだったと認めたのである。

清霞への理解と新たな誓い

一対一で何でもありの危険な戦闘訓練が何度も許可されていたのも、清霞が陰で口添えしていたからであり、五道の暴言や敵意を黙って受け止め続けていたのも、五道のためであった。五道はその事実を知り、これだけのことをしてもらってなお恨み続けるのは甘えでしかないと理解した。復讐心をすぐに捨て去ることはできなくとも、もうそれに囚われて生きるのはやめると清霞に約束した。たとえ将来、土蜘蛛が再び現れることがあっても、同じ過ちと後悔を繰り返さないことのほうが大切であり、それこそが父も望むことだと五道は考えた。

隊長就任を祝う現在の関係

その後、清霞が正式に隊長へ就任すると決まったとき、五道は心からそれを祝福した。清霞はなおも複雑な表情を見せていたが、五道はそのわだかまりもいずれ自分の中で折り合いをつけていくべきものだと受け止めていた。こうして五道は、復讐に囚われた過去の自分と決別し、清霞との新たな関係を築いていったのであった。

五道の過去話の締めくくり

五道は、自分がこうして素直で可愛い部下になったのだと冗談めかして語り、清霞は胡乱な目でそれを一蹴した。軽口を交わす二人の様子はいつもの調子に戻っていたが、美世は五道と清霞の過去にあった苦しみを思い、涙を堪えるのに必死であった。五道が抱えてきた悔恨も、清霞が受け止め続けてきた痛みも、美世には想像することしかできなかったが、どちらも重くつらいものであったと深く感じていた。

美世を気遣う清霞と和らぐ空気

美世が涙声で礼を述べると、清霞はそっと肩を抱き寄せた。そのうえで、五道は美世を泣かせたせいで清霞から怖い顔を向けられていると冗談めかして訴え、清霞はそれを五道のせいだと冷たく返した。さらに五道が昔の優しかった隊長はどこへ行ったのかとぼやくと、清霞はそんなものは最初からいないと容赦なく言い放った。もっとも、その態度には照れ隠しも混じっているようで、美世は二人の掛け合いに思わず小さく笑ってしまった。

二人の絆を感じた美世

清霞に何がおかしいのかと問われた美世は、二人の仲が良さそうで楽しくなったのだと答えた。本当は、清霞と五道のあいだには強い絆があるのだと感じていたが、それをそのまま口にすれば清霞が嫌がると思い、胸の内に留めた。そして、美世は五道に対し、今は父のことをどう思っているのかと静かに尋ねた。

父への尊敬を語る五道

五道は、父のことは今では普通に尊敬しており、自分が隊長になるなら父のようになりたいと思っていると答えた。同時に、なぜ最初からそう思えなかったのかという情けなさもあると打ち明けた。その言葉を聞いた美世は、五道壱斗がどれほど立派な人物であったのかを思い、できることなら自分も会ってみたかったと感じた。美世は冷めた茶を淹れ直し、甘い菓子とともに五道へ勧めた。五道はそれを子どものように喜び、場の空気は少し和らいだ。

ユージンの話へ戻る清霞

そこで清霞は、ユージン・ウォードに関する情報はそれだけかと話を本筋へ戻した。五道は感動的な流れを断ち切られたことに不満を漏らしたが、清霞は素っ気なく取り合わなかった。五道は不貞腐れつつも、ユージンとは直接深い関係があったわけではなく、互いに密かに意識し合っていた程度だったと説明した。さらに、父の死後の自分をユージンがあのように見ていたことは、自分にとっても予想外だったと語った。

ユージン側の背景の推測

五道は、相手は大きな組織ではないだろうと推測した。英国において信仰の中心は現在教会であり、ユージンたちが関わる女神信仰は地域に限られた土着のもので、異端とも見なされる存在であるため、信者は多くないと説明した。その異端という言葉に美世はわずかに反応したが、だからといってユージンたちに同情する気持ちは抱かなかった。美世にとって夢見は自分の手の届く範囲で扱うべきものであり、彼らに手を貸せば、その範囲を大きく超えてしまうと感じていた。

ユージンへの対処方針の決定

五道は、英国の問題は英国で解決すべきであり、それをこの国へ持ち込まれるのは迷惑だと述べたうえで、この国で悪事を働くつもりなら追い出すべきだと確認した。清霞はそれに同意し、ユージン・ウォードの件を五道に任せると告げた。五道は、自分と清霞が動けば屯所の戦力が不足するのではないかと懸念したが、清霞は隊の取りまとめを百足山に任せ、不足するなら辰石も動員すればよいと判断した。

五道の成長を見つめる美世

さらに清霞は、薄刃が例の件で手一杯であることや、異形が相手なら軍籍のない異能者にも協力を仰ぐべきだと指示した。五道は軽い調子で返事をしながらも、その目つきには責任を担う者としての鋭さが宿っていた。美世は、今の五道の姿を見れば、亡き壱斗もきっと誇らしく思うに違いないと感じた。

二章 繋がる物語

旧都での散策と清霞の気遣い

その日は薄曇りと風のおかげで暑さが幾分やわらぎ、美世と清霞は旧都を散策することにした。二人にとっては新婚旅行の仕切り直しでもあったが、今回は単なる観光ではなく、土蜘蛛に関する情報収集も兼ねていたため、神社仏閣や古い異能者の家など、所縁のありそうな場所を巡る予定であった。清霞は思い出に残るような楽しい場所へ連れて行けないことを気にしていたが、美世は清霞と一緒に出かけられるだけで十分に満たされており、明るい気持ちで過ごしたいと伝えたことで、清霞も表情を和らげた。二人は自然に手を繋ぎながら歩き、美世はそのぬくもりに安心を覚えていた。

五道の過去から清霞の傷を思う美世

散策の途中、美世は前日に聞いた五道佳斗の過去について触れ、清霞自身はその出来事をどう受け止めているのかを尋ねた。清霞は、後悔は数えきれないほどあり、あのときのことを忘れることは決してできず、平気には一生なれないと率直に認めた。ただし、その傷を抱えたまま戒めとして生きていくだけであり、過去とはそういうものだと語った。美世はその言葉に、自分にもまた過去の傷があることを思い出しつつ、清霞の強さを改めて感じたうえで、つらいことがあれば相談してほしい、自分が慰めて甘やかす役目を担いたいと告げた。清霞はそれを受け入れ、軽くからかうような言葉を返したため、美世は強く羞恥を覚えながらも、二人の距離の近さを実感していた。

土蜘蛛調査の行き詰まり

その後も二人は土蜘蛛に関する場所を巡ったが、どこでも得られる情報は乏しかった。土蜘蛛を描いた絵巻や先祖の日記にわずかな記述が残る程度で、新しい手がかりは見つからなかった。先人たちもすでに調べ尽くしていたのだろうと清霞は判断し、資料を求めて入った喫茶店でも、調査が行き詰まっていることを認めざるをえなかった。美世は思いつきで、土蜘蛛は力づくで滅せられないのか、急所は存在しないのか、魂を狙えば倒せないのかと問いかけたが、清霞は土蜘蛛には通常の異形のような中枢がなく、一瞬で全身を消し去らなければ倒せないうえ、異形は魂そのもののような存在であるため、魂を急所にすることもできないと説明した。夢見の異能も異形には効かないと知り、美世は落胆したが、清霞はその発想自体は着眼点がよいと励ました。

永穏寺で聞いた古い伝承

手がかりのないまま旧都を歩いていた二人は、偶然、永穏寺という古い寺の前で足を止めた。寺は静かで人影もなく、二人が本堂で手を合わせた後に住職が現れた。帝都から来たと知った住職は気さくに応じ、この寺が九百年以上の歴史を持つこと、創建はある長者が一人の女性の魂の安らぎを願って行ったことを語った。さらに住職は、その由来となる古い話を聞かせた。貧しいながらも両親と慎ましく幸せに暮らしていた美しい娘が、乱暴な殿さまに見初められて無理やり妻にされ、両親のもとへ帰りたいと泣き続けた結果、殿さまは帰る場所をなくせばよいと考えて娘の両親を殺し、家と村を焼いたというものであった。怒り狂った娘は殿さまを呪い、異形となって殿さまとその民たちを皆殺しにして去ったとされ、この寺はその娘の魂を鎮めるために殿さまの親族が建てたのだという。

君緒のおまじないとの符合

その伝承を聞いた美世は強い既視感を覚えた。結婚式の前に長場君緒から聞かされたおまじないの話と、細部や結末を除いてほとんど同じであったからである。寺を出たあと、二人は宮小路家の離れへ戻り、落ち着いたところで美世はそのことを清霞に話した。清霞は、君緒に土蜘蛛の脚とおまじないの方法を授けたのは旅の僧侶であったと説明した。今日出会った住職がその人物ではないかという懸念に対しては、土蜘蛛の脚に触れたことがあるなら妖気が残るはずであり、あの住職にはその気配がなかったとして否定した。しかし、寺の伝承と君緒に伝わった話の符合は無視できず、調査の手がかりになるかもしれないと考えた。

夢の記憶と土蜘蛛の正体への推測

旅の僧侶という言葉をきっかけに、美世は結婚式当日の朝に見た奇妙な夢を思い出した。夢の中では、君緒に似た女性と僧侶らしき人物が会話を交わしていたのである。美世は覚えている範囲でその夢の内容を清霞に伝え、僧侶の風貌についての質問にも答えた。すると清霞は、土蜘蛛は僧侶に化けることがあると明かしたうえで、君緒に接触した僧侶の外見は、かつて自分が対峙した土蜘蛛の化けた姿と大まかに一致すると述べた。そこから、長場君緒に土蜘蛛の脚を渡した旅の僧侶の正体は土蜘蛛自身である可能性が高まり、さらに寺の伝承ともつながるなら、土蜘蛛は僧侶だけでなく女の姿にも化けられるかもしれないという推測に至った。美世は夢の最後に僧侶が女へ変わり、どこかの山へ入っていった場面を思い出し、それが封印から逃れた土蜘蛛の本体に関わるのではないかと考えたが、場所までは特定できなかった。

夢見を役立てたい美世と清霞の制止

夢の内容が手がかりになるかもしれないと清霞に認められたことで、美世は大きな達成感を覚えた。そしてもっと夢を見れば、さらに有力な手がかりが得られるかもしれないと考え、その場で布団を敷いて今すぐ眠ろうとした。しかし清霞はそれを慌てて止め、役に立とうとして無理をする必要はないと告げた。体勢を崩して二人で布団に倒れ込んだ中、清霞は美世の手を握り、眠ってばかりいたらこうして触れ合うこともできなくなると語った。その言葉には冗談ではない切実さがあり、美世は、清霞が大切なものを失った経験を持つからこそ、自分が長く夢の中にいることを苦しく感じるのだと理解した。

清霞の不安を受け止める美世

さらに美世は、夢の中にはユージンが入り込む可能性もあることを思い出し、自分が長く眠ることは清霞に余計な心配をかけるだけだと悟った。美世は清霞に謝り、繋いだ手を握り返してその胸に顔を埋めた。清霞の香りとぬくもりに包まれながら、美世は自分が役に立ちたいという思いだけで突き進むのではなく、清霞の不安や痛みにもきちんと寄り添わなければならないのだと受け止めていた。

弧門の来訪と雪日刀の伝言

夕刻を過ぎて夜になった頃、宮小路家当主の宮小路弧門が、清霞たちの滞在する離れを訪れた。彼は伝えたいことがあると言って居間に入り、対異特務第二小隊からの連絡として、御山の御師が清霞に取りに来るよう伝えてきたと告げた。それは、かつて清霞が愛刀として使っていた雪日刀を預けている老爺からの呼び出しであり、相談していた件に進展があったことを意味していた。土蜘蛛や異国の異能者たちとの戦いが予想される中、雪日刀が本来の妖刀としての性質を取り戻せれば、大きな戦力になると清霞は考えた。

美世の手料理を待つ穏やかな時間

その場では、美世が炊事場から現れて清霞と弧門の前に湯呑を置いた。今夜は清霞の希望で、美世が夕食を作っていた。宮小路家に来てから料理人の料理ばかり食べていたため、清霞はそろそろ美世の手料理を食べたいと望んでいたのである。美世は少し呆れたようにしながらも嬉しそうにその願いを受け入れ、張り切って夕食の支度に励んでいた。清霞はそんな美世の姿を愛おしく見送り、その様子を弧門に察されて咳払いでごまかした。

寺の伝承と夢の話を弧門に共有

弧門から伝言を受けたあと、清霞は自分の頼みごとを切り出した。そして土蜘蛛の件に加え、永穏寺で聞いた古い伝承の内容、美世が結婚式の日に見た夢、その両者の符合と、そこから導かれる仮説を弧門に説明した。まだ断定できる話ではなく、複雑な内容でもあったが、弧門はすぐに理解した。清霞は、旧都の中に同じような伝承が他にも残っていないかを、宮小路家の力で調べてほしいと依頼した。

宮小路家の協力と土蜘蛛打倒への願い

弧門は、その調査は骨が折れるものの不可能ではないと答えたうえで、当然のように協力を引き受けた。土蜘蛛を倒せるのであれば、それは宮小路家にとっても本望であると明言し、惜しみなく力を貸す姿勢を示した。旧都における伝手や情報網は、清霞個人や久堂家よりも宮小路家のほうがはるかに強く、長い歴史の中に埋もれた伝承を探るうえでその協力は不可欠であった。清霞は了承を得られたことに安堵し、土蜘蛛に迫るための一歩を得たと感じた。

勝利への決意と命を守る約束

そのうえで弧門は、清霞に勝てるのかと鋭く問いかけた。清霞は迷うことなく勝つと答えたが、その内心では、以前は倒しきれなかった相手に今回こそ勝てるのかという不安も抱えていた。土蜘蛛打倒は昔から多くの異能者が成し遂げられなかった偉業であり、異能者が弱体化した現代で本当に実現できるのかは未知数だった。それでも弧門は、清霞のことを気に入っており、死なれたら悲しい、自分だけでなく多くの者がそう感じるはずだと告げたうえで、危ないと思ったら必ず自分の命を守ってほしいと約束を求めた。清霞はそれに応じ、自分には大切な人を残して死ぬつもりはないと改めて心に定めた。

手がかりを求めて研ぎ澄まされる覚悟

弧門が去ったあとも、清霞の胸中には何か決め手がまだ足りないという感覚が残っていた。土蜘蛛と相対する前に、伝承の調査からわずかでも勝率を上げる手がかりを掴まなければならないと考え、清霞は静かに息を吐いて気持ちを研ぎ澄ませた。今回こそ土蜘蛛を討つために、彼は必要な準備を一つずつ整えようとしていた。

三章 願う心

五道の任務と旧都での焦り

美世と清霞が旧都を散策していたのと同じ頃、五道佳斗は旧都駅近くの広場でラムネを飲み干しながら、ユージンを捜す任務にうんざりしていた。旧都の暑さの中で一人を見つけ出すのは骨が折れるうえ、帝都の屯所へ連絡した際には百足山から清霞不在への不満を遠回しに向けられ、自分がそれをうまく受け流せていないことにも気後れしていた。父である五道壱斗の偉大さを改めて思い知らされつつ、土蜘蛛捜しにも本当は自分が加わりたかったと感じていた。復讐のためではなく、土蜘蛛を倒すことが自分にとっても一つの区切りになると考えていたからである。

使い魔の発見とユージンの追跡

そんな中、五道は微かな違和感を察知し、異能を使ってその正体を暴いた。気絶して地面に落ちたのは、ユージンが使役していたらしい鳩の使い魔であった。そこから残る術者との繋がりを辿った五道は、街中を駆け抜け、ついに裏通りでユージン・ウォードを見つけた。五道に肩を掴まれてもユージンは大きく動揺せず、使い魔を潰されたから来ると思ったと笑みすら浮かべた。五道は彼を捕まえるのが仕事だと告げたが、日中の往来で刃傷沙汰はできないとかわされ、結局は武器を抜けないまま監視を続けることになった。

観光を装うユージンとの会話

その後のユージンは、神社仏閣の外観を眺め、案内板を読み、名菓を買い食いするなど、まるでただの観光客のように旧都を歩き回った。五道は斜め後ろからぴったりと付き従いながら苛立ちを募らせたが、ユージンは見張られていることすら気にしていないようであった。二人は軽口を交わし、五道は相変わらず無神経で友達のいない男だとユージンをこき下ろしたが、ユージンはそれをあまり気に留めなかった。やがて川沿いの道を歩く中で、ユージンは五道に、昔の鋭い牙をどこへやったのかと問いかけた。

復讐を捨てた五道と自由を求めるユージン

五道は、牙を失ったのではなく必要なくなったから捨てたのだと答えた。復讐を成し遂げたわけではないが、それ以上に大事なものに気づいたことで、復讐そのものが不要になったのだと語った。それに対してユージンは、復讐心が残っているのに復讐しないのでは一生自由になれないのではないかと疑問を示した。そこから話はユージン自身の願いへと及び、彼は自分が強くなりたかった理由は自由になりたかったからだと明かした。ある人々から悲願を果たせと求められ、それを成し遂げなければこれまでの積み重ねが無駄になると言われ続けてきたが、本当は自分のために生きたかったのだと吐露した。そのためには悲願を自らの手で終わらせ、その瞬間から自分の自由な時間を得ようとしていたのである。

ユージンの囚われを見抜く五道

ユージンの考えを聞いた五道は、それは彼自身が悲願に囚われているだけであり、本当は成し遂げる必要などないのに、それをしなければ自由になれないと思い込んでいるのだと指摘した。かつて自分が復讐さえ果たせば怒りも悲しみも解消されると思い込んでいたのと同じだと語り、先人たちの積み重ねたものや負債を今の世代が必ず背負わなければならない義理はないと突き放した。ユージンは納得していない様子で口を閉ざしたが、その沈黙の中にも、自身が抱える重圧の深さがにじんでいた。

人気のない参道での対決

やがて二人は、市街地から外れた山近くの人気のない参道へと辿り着いた。そこでどちらからともなく足を止め、五道はサーベルを抜き、ユージンも短剣を構えた。五道は事情聴取のために同行を求めたが、ユージンは、自分は目的を果たして自由になるために異国まで来たのだから応じられないと拒絶した。留学時代にも何度か手合わせしたことのある相手であったが、今の五道は昔よりも強くなっているという確信があり、この戦いに負ける気はしていなかった。

罠を駆使するユージンとの激戦

戦いが始まると、ユージンは巧妙な罠を駆使して五道を翻弄した。最初は不意を突かれて炎の柱に巻かれ、五道は腕に火傷を負ったが、利き腕が無事だったことが救いであった。その後も破裂音を囮に使い、爆裂や火柱を生じさせる術で五道を追い込み続けた。ユージンが戦闘前に術式を刻んだ媒介を大量に準備していたことは明らかであり、五道と再び戦う場面を想定して徹底的に備えてきたことが窺えた。対する五道も結界を即座に展開して罠を防ぎ、ユージンの癖を読みながら応戦した。互いに傷を負い、体力を削られながらも、一歩も譲らぬ拮抗した戦いが続いた。

決着寸前で現れた謎の男

双方が限界に近づき、次の攻防が最後になると予感された頃、五道のサーベルは突如として不可視の壁に阻まれた。何の前触れもなく現れたその強固な結界は、五道の斬撃を完全に受け止めた。そして結界が剥がれ落ちるように消えた先に現れたのは、ぼろ布を被り、痩せこけた不安定な気配の男であった。ユージンはその男をタカオと呼んだが、男は名乗りを明かさず、ディアナが呼んでいるから遊びすぎだとユージンに告げた。五道は、ユージン側に新たな危険人物が加わったことを悟り、強く警戒した。

勝ちきれなかった悔しさ

五道は現状の消耗した状態では二人を相手に勝ち目がないと即座に判断した。だが、タカオは五道と戦おうとはせず、ユージンに同行を促すとそのまま立ち去った。五道は呼び止めることもできず、ただ奥歯を噛みしめてサーベルを鞘に納めた。本来なら勝てる勝負であったはずなのに、最後まで決めきれなかったことへの悔しさが強く残った。立ち止まった途端に全身から汗が噴き出し、ようやく戦いの疲労がどっと押し寄せる中、五道は自分はまた勝ちきれなかったのだと痛感していた。

清霞の単独行と美世を託した判断

夫婦で旧都の市街を散策した翌日、清霞は美世の身の安全を五道と弧門に託し、単身で御山へ向かった。目的は、かつての愛刀である妖刀について、御山の師から呼び出しを受けていたためであった。本来なら美世を対異特務第二小隊に預けるつもりであったが、宮小路家の男たちによる襲撃の件以来、清霞は弧門以外の宮小路家の者たちを信用できなくなっていた。それでも五道と弧門がそばにいるなら任せられると判断し、さらに前夜にユージンと戦って傷を負った五道も安静にしている必要があったため、美世とともに離れに留めておく形が最善だと考えた。

五道の報告がもたらした警戒

清霞が御山へ向かうにあたり、前夜に帰ってきた五道の報告は無視できないものであった。五道はユージンと戦い、さらにタカオという見知らぬ男まで現れたと伝えていた。その情報によって、清霞は土蜘蛛や異国の異能者だけでなく、新たな危険人物の存在も意識せざるをえなくなっていた。だからこそ、今後の戦いに備えるためにも、妖刀を戦力として取り戻す必要性はさらに高まっていた。

御山の庵と師の変わらぬ異様さ

宮小路家の自動車で山の近くまで向かった清霞は、そこから歩いて山の斜面を登り、植物が生い茂る先にある茅葺屋根の庵へ辿り着いた。庵の前には、以前と同じく目を閉じたままの小柄な老人が立っており、まるで清霞の訪問時刻を正確に予見していたかのようであった。今回は庵の中へ通され、囲炉裏のある部屋で師と向き合うことになった。外見こそ今にも崩れそうな庵であったが、中は畳も壁も不思議なほど整っており、清霞は外との落差を感じていた。

妖刀の現状と目覚めの条件

師は目を閉じたまま妖刀を手に取り、状態を確かめたのち、清霞へ刀を差し出した。清霞は刀を受け取り、その状態を探ったが、そこには何の変化も感じられなかった。失望しかける清霞に対し、師は刀自体は壊れておらず、眠っている力を取り戻す準備はできているが、刀を目覚めさせるのは清霞自身だと告げた。それまではただの鈍らに過ぎず、元の力を発揮できるかどうかは清霞次第であると示した。

山での修行という試練

さらに師は、時間に余裕があるなら少し山で修行していけと勧め、できればひと晩以上の山籠もりが望ましいと告げた。突然の提案に清霞は驚いたが、戦力を取り戻すために必要である以上、断るつもりはなかった。ただ、美世に何も告げずにひと晩も戻らなければ心配をかけることは明らかであり、その点だけが気がかりであった。しかし師はその不安も見抜いており、家族への連絡は心配せず修行に専念しろと告げた。

刀と一体になるための覚悟

師は、雑念を払い、刀と一体になってみることが必要だと清霞に教えた。清霞は、戦いにおいて武器と人が一心同体であることの重要性は理解していたが、師の言う一体とは単に手に馴染ませること以上の意味を持つと感じていた。長く使っていなかった妖刀は、普段使うサーベルとは感触も重さも間合いもまるで異なる。ゆえに清霞は、この刀そのものを深く理解し、刀もまた自分の力の一部として十全に働ける域まで達しなければならないのだと悟った。そして清霞は、師の言葉を受け入れ、覚悟を決めて自然そのものの山の中へ踏み込んでいった。

四章 初めての山の中

手持ち無沙汰の美世と団子作り

清霞が朝から出かけたあと、宮小路家の離れに残された美世は手持ち無沙汰になっていた。久堂家の自宅であれば家事はいくらでもあったが、ここでは使用人たちの仕事を奪うわけにもいかず、することが見つからなかった。そこで美世は、特別な材料を必要としない団子作りを始めた。白い団子を茹でて冷やし、竹串に刺してたれをかけたそれは、自分で見ても上出来であり、無心になれる作業としてもちょうどよかった。

五道と弧門との穏やかなおやつの時間

出来上がった団子を居間へ運ぶと、そこには五道と弧門がいた。五道は前日に負った火傷の治療を終えて寛いでおり、弧門は書類と向き合っていたが、二人とも団子を見るなり目を輝かせた。三人はそのまま茶を淹れておやつの時間を過ごし、五道も弧門も勢いよく団子を食べ進めた。美世はその豪快な食べっぷりに圧倒され、清霞を基準に甘味の量を考えてはいけなかったのだと少し反省した。

五道が語る異能者の治癒の理

団子を食べ終えたあと、美世は五道の怪我の具合を気遣った。五道は、怪我そのものが治ったわけではなく、痛みを感じにくくし、治りを早めている状態だと説明した。その方法は、呼吸を整え、瞑想に近い状態に入り、自分の内側へ意識を向けることで身体の中を巡る力の流れを整えるものだった。術や異能に使う力が身体中を巡っており、それが乱れることで不調が現れるため、その流れを整えることで回復を促しているのだと語った。美世は異能者の世界にはまだ知らないことが多いのだと改めて感じていた。

第二小隊からの呼び出し

その後、離れに使用人が訪れ、美世に呼び出しがかかっていると伝えた。相手は対異特務第二小隊であり、清霞の関係ではないかと弧門は言った。美世は、清霞に何かあったのではないかと慌てて立ち上がったが、緊急性はないようだと弧門に制された。それでも美世は不安を抱えたまま、五道とともに第二小隊の屯所へ向かうことになった。

薫子たちとの再会と御師の話

屯所では陣之内薫子が美世を迎え、久しぶりの再会を喜んだ。光明院も現れ、美世と五道を応接室へ通したうえで、本題を説明した。清霞は以前、美世にも話していた妖刀『雪日刀』を御師に預けており、その結果が出たため今日また御師のもとへ赴いていた。そして御師から、まだ帰らない清霞に代わって美世を連れてくるよう連絡が入ったのだという。御師とは、帝国でも屈指の異能や術、術具の達人であり、光明院や清霞も信頼を寄せる人物であった。美世は困惑しつつも、その説明を受けて御師に会う決意を固めた。

幸次の動揺と御師の特別訓練の気配

屯所を出る途中、美世は幸次と出会った。幸次は美世の姿を見てひどく動揺し、御師のもとへ向かうと聞くやさらに顔色を変えた。彼は苦しくて死ぬかと思った記憶が蘇るなどと弱々しく語り、御師に対して強い苦手意識を抱いている様子を見せた。五道によれば、それは御師による特別訓練を受けたためらしく、その訓練が相当に苛烈なものであることがうかがえた。美世は少し不安を覚えつつも、五道とともに軍用自動車で御師の庵へ向かった。

山中の庵で御師と対面する

自動車を降りた先には、森の中を踏み均しただけの細い道が続いており、その先に古びた茅葺屋根の庵が現れた。そこへ近づくと、小柄な老人が自ら出てきて二人を迎えた。老人は目を閉じていたが危うさはなく、美世を見ただけで夢見の巫女と呼んだ。美世は一瞬驚いたが、ここへ呼ばれた以上、自分の素性を知っていても不思議ではないとすぐに気持ちを立て直した。五道もまた、幼い頃に会ったきりの御師と再会し、相変わらず只者ではない相手であることを改めて感じていた。

清霞の不在と美世が呼ばれた理由

庵の中に通された美世と五道は、囲炉裏を囲む形で腰を下ろしたが、そこに清霞の姿はなかった。御師によれば、清霞は山の中で妖刀を持ち主に馴染ませるための修行をしている最中であった。そして美世が呼ばれたのは、清霞の付き添いではなく、美世自身に用があったからだと御師は告げた。美世は、自分の夢見の力はすでに目覚めているものの、まだ使いこなせていないと指摘され、それを認めた。

夢見を広く捉えるための修行の始まり

御師は、夢見の異能はできることが多すぎるため、すべてを使いこなすのが非常に難しい力だと説明したうえで、近いうちにその力が必要になる時が来るだろうと語った。御師自身は未来を直接予知しているのではなく、この世の力や感情、命の流れを観察し、無意識に分析して未来の可能性を弾き出しているのだと明かした。そして美世にも、夢の中で視たものを無意識に分析し、直感として閃くような技が必要になると告げた。そのためには、夢の欠片を広く捉える感覚を身につけ、まずは視点の切り替えに慣れなければならないという。美世は、その言葉に新たな扉が開く予感を抱き、夢見を使いこなすための修行を受け入れた。

五道に与えられた役目

一方、五道も自分はどうすればよいのかと御師に尋ねたが、御師から返ってきた答えは静養であった。怪我を治すことが最優先であり、手負いでは何もできないと告げられた五道は、期待していた分だけ肩を落とした。御師は怪我によく効くものもあると慰めるように続けたが、五道にとっては拍子抜けする話であった。それでも美世は、自分だけでなく清霞もまた別の形で修行を始めていることを知り、この場所で新たな力を得る機会が訪れているのだと感じていた。

夢見の修行で得た新たな感覚

翌朝、庵を発つ美世は御師に礼を述べた。ひと晩のあいだ、美世は御師の教えに従って夢見の力を磨いていたが、その内容は夢の中へ入り、ただ歩き回るというものであった。最初は何の意味があるのか疑問だったものの、夢の中という環境そのものに慣れることが重要だと教えられ、実際に過ごすうちに新たな感覚を得ていた。夢の中の風景は帝都の家の近くによく似ていたが、現実よりも世界が狭く、切り取られた箱庭のように感じられた。さらに意識が宙へ浮き、風景を俯瞰する視点へと切り替わったことで、美世は無数の夢の欠片がしゃぼん玉のように浮かぶ様を知覚し、御師の言っていた視点の切り換えの意味を理解した。

御師の教えと古い銅鏡の授与

朝になって美世は、夢見の力を使うための要領の一端を掴めた気がすると御師に伝えた。これまでは夢見に振り回されている感覚が強かったが、夢を夢として俯瞰し、自分の意思で観測する方法を知れたことは大きな進歩であった。御師は、もっと時間があればさらに教えられたと惜しみつつも、美世の成長に満足していた。そして出発に際し、木製の小箱に収められた古い銅鏡を美世へ渡した。それは夢見の巫女である美世が持つべきものだとして、返却は不要だと告げられた。美世はそれを大切に受け取り、清霞のもとへ向かう決意を新たにした。

五道に導かれて山奥へ向かう道中

美世は五道の案内で、庵よりさらに山の奥へ続く道を進んでいった。清霞がどこで修行しているのか、美世には見当もつかなかったが、五道はその気配を辿れると自信を見せた。道中、五道は露草や蟒蛇草、滑莧、山桃といった食用になる野草や木の実を次々に教えた。美世は、これから清霞と山籠もりになる以上、食料を現地で調達しなければならないことにようやく気づき、五道の助言に感謝した。軍人として野営の経験を積んできた五道の知識は頼もしく、美世は未知の山の中で生きるための知恵をひとつずつ身につけていった。

山中で再会した清霞と美世の決意

昼前、美世はようやく清霞のいる場所へ辿り着いた。木と岩が作る陰の中にいた清霞は、美世の姿を見て驚きを隠せなかった。だが、美世が御師に呼ばれ、ここへ来る許可も得たと説明すると、五道は役目を終えてその場を去った。二人きりになると、美世は突然押しかけたことを詫びたが、清霞はちょうど行き詰まっていたところであり、美世が来てくれてよかったと答えた。清霞は修行の途中にあり、意識がやや上の空で、刀と自身を馴染ませるために集中している様子であった。そのため美世は、話しかけて気を散らすより、自分にできることとして山籠もり中の身の回りの世話を担うことを決めた。

食事の支度に奮闘する美世

美世は食事の支度を始めようとしたが、鍋も道具も乏しく、まずは竹を切って器代わりにする必要があった。そこで清霞に頼むと、清霞は妖刀『雪日刀』を使って竹を一瞬で見事に両断した。その鮮やかな腕前に美世は感嘆したが、修行中の刀で竹を斬ることに一抹の不安も覚えた。竹筒を得た美世は、護身用に持っていた粗塩を調味料代わりに使い、薪を集めて火を起こし、水を汲み、野草を摘み、魚まで捕ろうと奮闘した。最初は魚を素手で捕まえるのに苦戦したが、石陰に隠れる魚の習性を見抜き、どうにか三尾を確保した。日が傾くまでかかりながらも、野草の汁物と魚の塩焼きを用意し、山の中で初めての食事を整えた。

夜の不安と清霞の帰還

日が暮れて山が暗くなると、美世は急に心細さを覚えた。焚き火の明かりがあっても、広く暗い山の中でひとりでいることが不安だったのである。そんなとき、ちょうど清霞が姿を現した。美世は安堵し、思わず何度も清霞の名を呼びながら身を寄せた。清霞は、新米の軍人でも野営中に山や森でひとりになると心細くなる者はいると語り、美世の不安を受け止めた。美世は清霞に自分で捕った魚と沸かした水を差し出し、清霞は長く飲まず食わずでいたため、それが深く沁みると感じていた。

互いを支え合う夫婦の確認

食事をしながら、美世は清霞の修行の具合を尋ねた。清霞はあと少しで何かを掴めそうだが、まだもうひと息だと答えた。そこで美世は、清霞が昨日の夜も何も食べていなかったこと、水もまともに処理せず飲んでいたことを見抜き、自分がここで清霞を支えるのだと真っ直ぐに告げた。何週間でも何か月でも、必要ならここで共に過ごす覚悟を示した美世に対し、清霞は美世がいてくれてよかった、自分はひとりでは何もできないと認めた。美世もまた、自分ひとりでは何もできず、周囲に助けられていることを痛感していたが、それでも清霞にとって誇れる妻でありたいと願った。清霞は、もう十分に誇れる妻だと返し、二人はこれからも同じ歩調で生きていくことを確かめ合った。

妖刀に託した美世の願い

食後、眠気を覚えた美世は、以前から気になっていた雪日刀に触れてみたいと願い出た。清霞に許され、鞘からは抜かずにそっと指先を触れた雪日刀は、思ったとおり冷たく、火の光を反射して美しく輝いていた。美世は、その刀を清霞の同僚のように感じ、戦いの場では自分の代わりに清霞を守ってほしいと静かに語りかけた。清霞は呆れながらもそれを咎めず、美世が眠る準備を整えた。周囲には結界が張られ、蚊も寄らず安全だと告げられた美世は、清霞に寄りかかりながら安心して目を閉じた。夜が更ける中、清霞は焚き火を小さく調整し、美世の鼓動を感じながら静かに目を閉じた。

五章 もうひとつの都へ

山中で目覚めた朝と修行の終了

清々しい朝の冷気の中で目を覚ました美世は、昨晩は清霞に寄りかかって眠ったことを思い出した。近くには清霞の姿がなく、一瞬戸惑ったが、雪日刀を手に素振りをしていた清霞がすぐに戻ってきた。清霞は白湯や山桃を用意しており、昨日よりも顔色が良く、すでに修行は終わったと告げた。美世は、昨夜は修行をしていなかったはずなのに急に終わったことに驚いたが、清霞は美世と眠ったことで頭がすっきりし、思いのほか早く上手くいったと説明した。

御師への挨拶と妖刀の完成

身なりを整え、火やごみの始末を終えた二人は庵へ向かった。庵の前では御師が掃き掃除をしており、清霞たちが近づくとすぐに気づいた。御師は雪日刀に触れ、その状態を確かめたうえで、あとは実戦で力を引き出すだけの状態にできていると認めた。清霞も美世も疲れてはいたが、休むなら帰ってからにしたいと考え、御師に礼を述べて庵を後にした。

宮小路家への帰還と束の間の休息

山を下った二人は宮小路家の自動車に乗り込み、無事に宮小路家へ戻った。離れの庭では五道が木刀を振っており、二人の帰還を迎えた。五道の怪我もすでにほとんど治っており、十割の力で戦えると豪語していた。清霞と美世は風呂を使い、食事を摂って身体を休めた。山中での食事も特別な満足感があったが、やはり整えられた料理には別の安堵があり、二人は離れでようやく落ち着いた時間を過ごした。

悪夢に現れた鏡と姫君の怨念

その夜、美世は炎に包まれた地獄のような光景を夢に見た。絶望に染まった女性が鏡をのぞき込みながら涙を流し、村を焼き、人々を斬り殺した男を激しく呪っていた。そして女性は正気を失い、その男に噛みついていた。美世は夢の中で、これは夢であると自覚し、師に教えられたとおりに女性から距離を置いて全体を見ようとしたが、それでも夢に満ちる怨念と絶望は耐え難いものであった。夢から覚めた美世は、これが寺で聞いた伝承の女性に違いないと直感したうえで、夢の中に出てきた鏡の意匠が、師から受け取った鏡と似ていることに気づいた。土蜘蛛と伝承の女性、そして鏡がどこかで繋がっているのではないかという胸騒ぎを抱えながら、美世は再び眠りについた。

弧門が持ち込んだ新たな手がかり

翌日、宮小路弧門が息を切らせて離れに現れ、清霞たちに類似の伝承が見つかったと告げた。永穏寺で聞いた話と似た伝承が、隣県の神社に残っていたのである。旧都だけでなく隣県まで調べさせていた弧門の判断は的確であり、伝承はもうひとつの古都ともいえる隣県で見つかった。清霞はすぐにその神社へ向かうことを決め、五道も同行を申し出た。さらに弧門には、魔女一行に急な動きがあれば式で知らせるよう依頼し、三人はただちに隣県へ向かった。

夢の景色と一致した神社の伝承

神社へ近づくにつれ、美世の中で既視感が強まっていった。その景色は、結婚式の日の朝に見た夢の中の風景と酷似していたのである。神社に着いた三人は宮司から伝承を聞き、その内容は永穏寺の話とほぼ同じであったが、決定的に違うのは最後の部分であった。そこでは姫君は蜘蛛の異形となって殿さまや民を食い殺したと明言されていた。つまり、伝承の姫君こそが土蜘蛛の正体であった。美世は悪夢で見た女性の姿を思い出しながら、その確信を強めていった。

夢見が土蜘蛛に通じる可能性

神社を出たあと、美世は清霞に、自分の夢見の異能は土蜘蛛にも通じるのではないかと提案した。夢見は本来、人間に限らず夢を見る生物になら通じる異能であり、普通の異形には眠りも夢もないため効かないが、土蜘蛛が元人間の姫君であるなら例外ではないかと考えたのである。美世は、鏡を通じて見たあの悪夢もまた、土蜘蛛の中にいまだ残る人間の頃の強烈な感情に触れた結果だと感じていた。清霞はその可能性をすぐには断定しなかったが、後で検討すると答えた。

桂木山で確定した土蜘蛛の居所

宮司から、土蜘蛛が巣を作ったと伝わる桂木山の名も聞いていた三人は、そのまま桂木山へ向かった。山へ近づくにつれて、美世の夢で見た景色と完全に一致することが明らかになり、同時に清霞と五道は遠くからでも強烈な嫌な気配を感じ取った。到着した時点で二人は、土蜘蛛が間違いなくそこにいると確信した。しかし、ただちに山へ入ることはせず、清霞は一度引き返す決断を下した。土蜘蛛の居所は確定したものの、戦うには相応の準備が必要であり、時間をかければ逃げられる危険もあるため、決戦は一両日中になると判断した。

宿で交わされた決戦前夜の約束

三人は近くの宿に泊まり、清霞と美世、五道で部屋を分けた。部屋へ分かれる前、清霞は五道に対し、絶対にひとりで先走るなと厳しく念を押し、桂木山へ入るのは翌日、日が昇りきってからだと約束させた。五道は軽く応じたものの、その背中には張り詰めた深い覚悟がにじんでいた。部屋に戻った清霞は、美世が提案した夢見による土蜘蛛への干渉について切り出した。美世は、自分は土蜘蛛との戦いの場には行かず、夢の中へ入るだけなら宿からでもできると説明し、危険はないと訴えた。しかし清霞は、もし夢から目覚めなくなったらと強い不安を隠せなかった。

清霞の葛藤と美世の決意

清霞がそこまで深刻に悩むのは、土蜘蛛との戦いそのものが清霞にとって深い傷であり、美世を関わらせることに大きな恐れがあるからであった。それでも美世は、自分も成長しており、ただ帰りを待つだけではいたくないと真っ直ぐに告げた。自分は清霞とずっと一緒にいると約束したのだから、今回は自分にもできることがあると訴えたのである。清霞はそれが自分の弱さだと認め、美世を抱きしめ返した。そしてついに腹を括り、美世の提案を受け入れて装備の確認を始めた。美世は、自分の予想が正しく、夢見の力が土蜘蛛に通じることを切実に願っていた。

夜明け前の単独行動

早朝、まだ薄暗い時間に五道はひとりで宿を抜け出し、桂木山へ向かっていた。父の仇討ちや単独での討伐を望んでいたわけではなかったが、身体はほとんど本能的に土蜘蛛のもとへ向かっていた。五道が求めていたのは、父を殺した異形がどのような存在だったのかを自分の目で確かめることと、自分が今どこまで父に近づけているのかを知ることであった。死ぬつもりはなく、清霞ならばすぐに自分の行動に気づいて追ってくると考えていたため、罰を受けることになっても構わないという覚悟だけを抱いて進んでいた。

ユージンの同行

静まり返った道を歩く五道の背後に、やがて別の足音が重なった。現れたのはユージンであり、五道がひとりで土蜘蛛のもとへ向かうのを見抜いてついてきたのだった。ユージンは五道が父の仇を討ちに行くのだろうと問いかけたが、五道はそれを否定し、仇討ちではないと突き放した。それでもユージンは五道の行動の意味を理解できず困惑していたが、五道が自分とは違うところを見せてほしいと告げ、勝手に後をついてくることになった。

区切りを求める五道の本心

五道にとって土蜘蛛との対峙は、復讐心の発散でも感情の清算でもなかった。ただ、自分が今どこに立ち、どこまで行けるのかを確かめるために必要な行為であった。そしてそのためには、自分ひとりで土蜘蛛と向き合う時間が必要だと悟っていた。ユージンに理解されることは求めておらず、ただ自分の中で区切りをつけるために山へ入っていった。

桂木山に満ちる妖気

桂木山へ踏み入った五道は、木々の間に張られた白い糸や、次第に濃くなる妖気から土蜘蛛の巣に近づいていることを察した。周囲を覆う妖気は人間の本能的な恐怖を刺激するほど強く、少しでも気を抜けば足が止まってしまいそうだった。だが五道は止まりたくないという思いから駆け出し、ユージンもまたその後を逃げることなく追ってきた。異国の異形である土蜘蛛について詳しく知らないはずのユージンが、この状況でも逃げ出さない胆力を持っていることを、五道は認めていた。

土蜘蛛との初対面

やがて高濃度の妖気が木々の間から吹きつけてきて、呼吸すらしにくくなる中、五道はついに土蜘蛛の姿を目にした。ぬらりと光る多数の赤い複眼、毛に覆われた太く長い脚、そのうち二本が欠けた六本脚の異形は、五道がこれまで対峙してきたどんな異形とも比べものにならないほどの生理的嫌悪と恐怖をもたらした。数多の異形と戦ってきた五道でさえ動悸を抑えきれず、目の前にいるものが正真正銘の怪物であることを痛感していた。

五道の異変を夢で察知する美世

夜明け前、美世は突然目を覚ました。外はまだ薄暗く、宿の中も静まり返っている。しかし美世は、夢の中で見た光景によってただならぬ事態を悟っていた。夢の中で五道がひとり宿を抜け出し、桂木山へ向かう様子を見てしまったのである。急いで清霞を揺り起こすと、清霞は即座に目を覚まし、寝起きとは思えないほど素早く状況を理解した。

美世は、夢見の力で五道の行動を追ったものの、桂木山へ入ったところでそれ以上は追えなくなったと説明した。おそらく土蜘蛛の強い妖気の影響で、それ以上無理に見続ければ大きく消耗してしまうと直感したため、そこで追跡を断念したのだという。

清霞の出発

清霞はある程度予想していたかのように舌打ちし、すぐに支度を始めた。薄花色の組紐で髪を結い、軍服をまとい、腰にはサーベルと雪日刀の二本を佩く。短時間で完全に戦闘準備を整えると、美世に向き直り「行ってくる」と告げた。

二人は互いの無事を願い合い、軽く口づけを交わした。清霞は無茶はするな、もし夢見の策がうまくいかなくてもこちらでなんとかする、と言い残し、必ず命だけは持ったまま帰ると約束して部屋を出ていった。美世は足音が消えるまでその背を見送り、すぐに自分の役目に取りかかった。

夢の世界への潜入

美世は御師から授かった鏡を胸に抱え、布団の上で仰向けになって目を閉じた。そして意識を深く沈め、夢の世界へ入り込む。

夢の中でも、美世の手にはあの鏡があった。鏡からは細く白い糸のようなものが伸びており、どこかへ導いている。美世はそれを手がかりに歩き始めた。暗い闇の中を進んでいくと、やがて遠くからすすり泣く声が聞こえてきた。進むほどにその声は大きくなり、闇は黒から灰色、そして白へと徐々に明るく変わっていく。

夢の中の女性

美世は声の主を探しながら歩き続けた。夢見の力で視点を俯瞰に変えることもできたが、今はそれをするべきではないと直感し、そのまま進んだ。

やがて、紅の桂をまとった女性の後ろ姿が見えた。彼女は背を向けたまま泣いている。美世が声をかけると、女性はゆっくり振り返った。

涙に濡れたその顔は、思わず息を呑むほど美しかった。

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