小説[チラムネ]「千歳くんはラムネ瓶のなか 3」感想・ネタバレ

小説[チラムネ]「千歳くんはラムネ瓶のなか 3」感想・ネタバレ

物語の概要

ジャンル
青春ラブコメディである。学園内における“リア充カースト”最上位に君臨する千歳朔が、周囲の思いを受け止めながら成長する物語の第3巻である。

内容紹介
6月の進路相談会をきっかけに、千歳朔と西野明日風が学校で再会を果たすところから物語は始まる。明日風の夢と現実の間で揺れる葛藤、そして三者面談での心のすれ違いが胸を打つ。友情と別れの切なさを描く青春群像であり、朔の優しさと成長が強く際立つ一冊である。

主要キャラクター

  • 千歳 朔(ちとせ さく):クラスのカースト上位に位置するリア充男子。人気者でありながら心の奥底には孤独や葛藤があり、周囲を支える優しさと自らの不完全さとの狭間で揺れる存在である。
  • 西野 明日風(にしの あすか/明日姉):高校3年生で、朔にとって青春の象徴とも言える存在。夢と進路の狭間で揺れ動きながらも、自分の道を切り開こうとする強さと繊細さを併せ持つ。

物語の特徴

本作が他作品と異なる点は、「周囲の人々に影響されることなく君臨するリア充」ではなく、「リア充であるがゆえに誰にも屈せず、自らを保ちつつ他者の支えにもなる」という矛盾を備えた主人公像にある。また、“福井という地方都市の描写”と“都会への憧れ”が織り成す距離感と温もりが物語全体に深みとリアリティを与えている。

書籍情報

千歳くんはラムネ瓶のなか 3
著者:裕夢 氏
イラスト:raemz  氏
レーベル/出版社:ガガガ文庫小学館
発売開始:2020年4月17日
ISBN:9784094518412

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あらすじ・内容

「君」にさよならを。
6月の進路相談会で顔を合わせて以来、俺と明日姉は学校でも会うようになった。
まるでデートのように出かけることも増え、俺は嬉しい反面……どこか切なさにも似た感情を抱えていた。
それがひどく身勝手なものだということも理解しながら。
明日姉は、東京にいく。物語を「編む」人になるために。
俺は、笑顔でこの人を送り出せるだろうか――。
大人気“リア充側”青春ラブコメ、第3幕。
遠い夏の日。君とまた会えますように。

千歳くんはラムネ瓶のなか 3

感想

読み終えて、胸がいっぱいになった。一巻の頃、どこかミステリアスな雰囲気をまとっていた明日姉。彼女が進路について悩み、東京へ行くという決意をするまでの物語は、まさに青春そのものだった。

進路相談会で千歳と再会して以来、二人は学校でも会うようになり、まるでデートのような時間を過ごす。けれど、その時間は明日姉の東京行きが近づくにつれて、切なさを帯びていく。そんな千歳の複雑な感情が、痛いほど伝わってきた。

今まで、物語の中では朔が特別な存在だと感じていた。けれど、今回、明日姉の決意を見て、特別であることと、特別であり続けることの違いを思い知らされた。夢に向かってひたむきに進む彼女の姿は、本当に眩しい。そして、そんな彼女を笑顔で送り出そうとする千歳の優しさにも、心が温かくなった。

高校生なら誰もが通る道、夢や進路。それをこれほどまでに鮮やかに、そして切なく描いているこの作品は、まさに極上の青春物語だ。朔と明日風、二人のための、別離とリスタートの物語。こんなにも近くにいるのに、「時間」というどうしようもない距離がある二人。彼らが東京で夢見た未来の姿は、きっと叶わないかもしれない。それでも、夢や妥協と現実の狭間で、憧れという「月」に手を伸ばし続ける姿は、本当に美しい。

巻を重ねるごとに深みを増していく『千歳くんはラムネ瓶のなか』。今回の物語は、前巻まで良かったけれど、今回で完全に突き抜けた、と言っても過言ではない。次巻が、今から待ち遠しい。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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登場キャラクター

千歳朔

冷静さと冗談を使い分ける男子生徒である。野球を辞めて以降、自身の在り方に迷いを抱きつつも、仲間や西野明日風との関わりの中で成長を示している。
・所属組織、地位や役職
 福井県の高校二年生。チーム千歳の中心人物。
・物語内での具体的な行動や成果
 進路相談会や雨の帰り道、また制服デートや東京への駆け落ちを通じて明日風と深い関わりを持った。野球部の仲間から復帰を勧められる場面でも揺るぎない態度を示した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 仲間から信頼を集める立場となり、明日風の夢を後押しする存在となった。

西野明日風

厳格な家庭に育ち、表向きは自然体で場を掌握するが、内心では夢と現実の間で揺れている。小説編集者を志望し、自らの憧れを追い続ける少女である。
・所属組織、地位や役職
 高校三年生。進路選択に悩む立場。
・物語内での具体的な行動や成果
 進路相談会や駆け落ちを通じて自身の夢を明確化した。朔との関係では幼少期の記憶を重ね合わせ、幻から現実へと歩みを進めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 三者面談において父と対峙し、東京で編集者を目指す進路を認めさせた。

青海陽

活発で率直な性格を持つ女子生徒である。朔の良き理解者であり、時に守る姿勢を見せる。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 キャッチボールで朔を支え、野球部との対立時には前に立った。買い物やバッティングセンターでは仲間との時間を楽しんだ。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 明日風との関係を見抜き、教室で問いかけるなど重要な役割を果たした。

柊夕湖

明るく家庭的な面を持ち、料理や日常生活で仲間を支える。冗談を交えつつも真剣に相手を励ます姿勢が見られる。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 朔の家を訪れて料理を振る舞った。ショッピングモールやバッティングセンターで活動的に振る舞った。七瀬らと共に冗談で場を盛り上げた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 仲間内で「正妻」と自称するなど関係性を象徴する発言をした。

内田優空

落ち着いた雰囲気を持つ女子である。料理の手際が良く、家庭的な一面を見せる。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 夕湖と共に朔の家で料理をした。進路や将来についても語り、仲間と支え合った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 教室での冗談のやり取りにも加わり、仲間の一員として存在感を示した。

七瀬

冷静かつ的確な言葉で朔を導く存在である。冗談を交えつつも仲間への思いやりを持つ。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 朔に対して「壁を正面から蹴飛ばせ」と叱咤し、決意を固めさせた。誕生日ではデスクライトを贈った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 要所で核心的な言葉を投げかけ、物語の進行に大きく影響した。

岩波蔵之介

委員長として冷静に場を仕切る立場である。西野家とも繋がりを持つ。
・所属組織、地位や役職
 高校三年生。委員長。
・物語内での具体的な行動や成果
 進路相談会を進行した。明日風の父との繋がりを示し、朔に教師としての立場を語った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 教師としての立場を見せる場面もあり、朔に現実的な考え方を伝えた。

奥野徹

西野明日風と共に行動する男子である。親しげな態度を見せ、朔に牽制を送る。
・所属組織、地位や役職
 高校三年生。進路選択を控える立場。
・物語内での具体的な行動や成果
 東京の私大を志望し、進路相談会でその意志を語った。教室や東京でも明日風と行動を共にした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 朔にとっての競合的存在として描かれた。

西野明日風の父

厳格な教師であり、娘の進路に強く介入した人物である。
・所属組織、地位や役職
 高校教師。父親。
・物語内での具体的な行動や成果
 三者面談で明日風に現実的な厳しさを突きつけた。最終的に娘の夢を承認した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 過去に自らも夢を諦めた経験を持ち、それが態度の背景にあった。

健太

かつて引きこもりの経験を持ち、現在は仲間と共に行動する男子である。率直で飾らない言葉を使う。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 アニメイトやバーガーキングに同行し、自らの過去を語った。王様ゲームでは判定係を務めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「間違った選択でも自分で決めたなら未来をつくれる」と語り、朔に気づきを与えた。

和希

冷静で現実的な思考を持つ男子である。状況を客観的に分析し、低リスクを選ぶ性格を示した。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 アニメイトで健太や朔と行動を共にした。王様ゲームでは冗談を交えて盛り上げた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「自分はローリスクを選ぶ人間」と分析し、朔に父親の現実主義を理解させる一因となった。

海人

率直で明るい性格を持つ男子である。仲間とのやり取りで行動力を示す。
・所属組織、地位や役職
 高校二年生。チーム千歳の一員。
・物語内での具体的な行動や成果
 進路相談会ではバスケを続けたいと語った。ショッピングモールやバッティングセンターでも同行し、仲間を支えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 朔に対して「誰かがレースのピストルを撃たなきゃ始まらない」と助言し、決意を促した。

江崎祐介

かつての野球部仲間である。朔に復帰を勧める姿勢を見せた。
・所属組織、地位や役職
 高校野球部所属。
・物語内での具体的な行動や成果
 グラウンドで朔に接触し、復帰を求めた。陽や亜十夢とのやり取りの中で退いた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 野球部員として、過去の朔との関係を象徴する存在であった。

上村亜十夢

野球部員であり、冷静に場を引き締める性格を持つ。
・所属組織、地位や役職
 高校野球部所属。
・物語内での具体的な行動や成果
 江崎らが朔に迫った場面で現れ、空気を変えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 野球部内での抑制的な役割を担っていた。

西野明日風の母

厳格な家庭環境の一部を担う存在である。直接的な登場は少ない。
・所属組織、地位や役職
 高校教師。母親。
・物語内での具体的な行動や成果
 家庭の規律を守らせる立場として描かれた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 明日風の自由を制限する一因となっていた。

展開まとめ

プロローグ あの日のお月さま

月を見上げる情景
帰り道に空を見上げ、大きく明るい月を眺めていた。手を伸ばせば届きそうに見えるが、実際には遠く離れている存在として描かれていた。

月の存在への思索
月は生まれた時から月であり、欠けたり満ちたりを繰り返し、必ず元の姿に戻る存在であると考えられていた。その変化を強いられる立場に思いを巡らし、落ち込んでいても笑わねばならない矛盾や、満ちたままでいたい願いが許されない状況を想像していた。

月の光と人々の反応
月は自ら光を放つのではなく、太陽の光を反射して形を変えていると学んだ記憶があった。そのため、望まぬままに姿を変えさせられている存在であると受け止め、人々が気楽にその形を評して喜んだり悲しんだりする様子が思索に重ねられていた。

一章 雨、ときどき、夢

雨の情景と心情
梅雨入り前の雨が町を覆い、教室の明るさと外の薄暗さが対照的に描かれていた。窓を開けて入り込む湿った空気や匂いが記憶を呼び起こし、雨の日を以前ほど嫌いではなくなったと感じていた。

陽とのやりとり
放課後の特別授業を前に、青海陽と軽口を交わしながら教室で待機していた。委員長である岩波蔵之介が三年生による進路相談会を始めると告げ、先輩たちが入室した。

明日風の登場と動揺
先頭に立って現れたのは西野明日風であり、不意の登場に驚きと動揺が広がった。明日風は自然体の振る舞いで場を掌握し、男子も女子もその姿に見入っていた。主人公は周囲の視線や同級生たちの反応に居心地の悪さを覚えた。

奥野徹とのやりとり
明日風と共に現れた奥野徹は親しげな態度を見せ、主人公に対し無言の牽制を送った。さらに海人の率直な質問で二人の関係を問われる場面もあったが、明日風は付き合っていないと明言し、場を収めた。

進路相談の開始
明日風の進行により各グループでの相談が始まった。海人はバスケを続けられる大学を望み、陽は具体性を欠きながら国公立を志望していた。七瀬は県外進学を視野に入れ、和希は東京の私大を選びサッカーから退く決意を示した。健太や優空は福井に残る意向を語り、夕湖は迷いを見せつつも将来を模索していた。

三年生の意見と明日風の本音
奥野は東京の私大を志望していることを率直に語り、進路選択を将来への布石と考えていた。最後に問われた明日風は、まだ進路を決められていないと打ち明け、意外な一面をのぞかせた。奥野が軽口を叩く中でも彼女は動じず返し、周囲を和ませたが、その姿を見た主人公は複雑な感情を抱えていた。

進路相談会の余韻と雨の帰り道
進路相談会が終わり、生徒たちはそれぞれ帰路についた。主人公は昇降口で雨音を聞きながら時を過ごしていたところ、西野明日風と出会い、共に帰ることになった。奥野徹が同行を望んだが、明日風は彼を断り、主人公と二人で傘を分け合いながら歩いた。雨の中での軽口や距離の近さを通じて、互いの存在の特別さと距離感の難しさが意識された。

同級生であったならという仮定
河川敷を歩きながら、もし同級生として出会っていたなら日常を共にできたのかという会話が交わされた。互いに「たとえば」に意味はないと理解しながらも、主人公は進路について尋ね、明日風は東京か福井かで迷っていることを認めた。彼女は主人公に相談すると揺れてしまうと語り、曖昧な決意を示した。主人公は軽い冗談を交えて支えの約束を口にし、明日風はそれを受け入れて寄り添った。

夕湖と優空の訪問
帰宅後、主人公の家に柊夕湖と内田優空が訪れ、料理を振る舞った。夕湖は新たに買ったエプロンを身に着け、家事を学ぶ姿を見せた。優空は手際よく調理を進め、家庭的な雰囲気を醸し出した。肉じゃがや副菜、ゆで卵が食卓に並び、三人で賑やかな食事を楽しんだ。主人公は両親の離婚を経て得た一人暮らしの経験を語り、ふたりに支えられている現状に感謝を示した。

進路と将来への思索
食事の席では、進学で県内に残るか県外に出るかが話題となり、友人たちとの関係にも影響することが意識された。優空や夕湖も将来の不安を語り、場はしんみりとした空気に包まれた。主人公は冗談で和ませつつ、改めて寂しさを抱えながらも仲間との時間を大切に思った。

ひとりの夜と明日風への思い
友人たちが帰宅し静まり返った部屋で、主人公は明日風の進路への迷いや彼女の姿を思い返した。彼女の強さの裏にある脆さを感じ、それを引き出しているのは自分かもしれないと考えた。憧れと現実の間で揺れ動きながら、主人公は眠りに落ち、明日風に幻想を押し付けているのかどうか自問しつつ、否定したい気持ちを抱えていた。

陽とのキャッチボール
晴れた昼休み、青海陽に誘われてグラウンドでキャッチボールを行った。野球を辞めてからの時間を思い出し、懐かしさと共に涙がこみ上げたが、陽とのやりとりのなかで心が和らいでいった。互いに投げ合いながら楽しさを取り戻していたところ、かつての野球部仲間である江崎祐介らが現れ、復帰を勧められた。しかし主人公は応じず、陽が前に立ち守る姿を見せた。その後、上村亜十夢が加わり、野球部への苛立ちを示しつつ場を引き締めた。祐介たちは去り、主人公は陽に礼を述べてキャッチボールを続けた。

明日風の突然の誘い
放課後、教室で友人たちと過ごしていた主人公は、西野明日風に突然「デート」と誘われた。夕湖や七瀬の反応を振り切り、ふたりは学校を飛び出し、自転車を押しながら河川敷を歩いた。そこで明日風は、高校生としての限られた時間を後悔なく過ごすために「制服デート」をしたいと告げた。

互いの本心と告白
歩きながら明日風は、進路相談会の日から考え続けた末、自分の答えに気づいたと語った。それは「ただの高校生・西野明日風として主人公と青春を過ごしてみたかった」という思いであった。彼女は初めて素直な笑顔を見せ、「ずっと前から君のことが大好き」と伝えた。主人公はそれを愛の告白ではなく、互いの関係を終わらせるための優しいさよならと受け止めたが、拒むことはできなかった。

儚い約束
二人の間に流れる沈黙の後、主人公は「とりあえず、高校生っぽい遊びでもする?」と応じた。それは互いの距離を繋ぎ止めようとする精一杯の言葉であり、限られた時間のなかで共に過ごそうとする決意の表れであった。

漫画喫茶での初デート
主人公と西野明日風は、制服デートとして漫画喫茶に入った。狭いペアフラット席で距離が近すぎることに主人公は耐えられず、ビリヤードやダーツのある広い部屋へ移動する。ビリヤード初心者の明日風にルールを教えながら、互いに不器用さを見せ合う時間を過ごした。明日風は「厳格な家庭に育ち、遊びを制限されてきた」と打ち明け、ビリヤードのような経験を「初体験」として楽しんでいた。

不意の近さと照れ
プレイ中、指導のために手を取ったり、姿勢を直すなかで互いの距離が急接近し、主人公は女性としての明日風を強く意識してしまう。明日風の仕草や体温に動揺しつつも、あえて軽口を交わしながら空気を和らげた。勝負は明日風のビギナーズラックで主人公が負け越し、笑い混じりの時間を共有した。

カラオケでの思い出の曲
その後カラオケに移り、主人公は歌を披露した。明日風は自分では歌わず、主人公にリクエストを出し続ける。やがて主人公は、かつて明日風に支えられた曲『ユグドラシル』の思い出を語り、感謝の気持ちを改めて自覚する。代わりに『バイバイサンキュー』を選び、かつて救われたように今度は自分の言葉を明日風に届けたいと願った。

夢の告白
帰り道、二人は自転車を押しながら歩いた。夢について尋ねられた主人公は「新しい夢を見つけることが夢」と答え、逆に明日風の夢を尋ねる。明日風は「小説の編集者になりたい」と語り、本を読むことが好きで、その言葉を人に届ける手助けをしたいと打ち明けた。しかし「理由がぼんやりしている」と不安をのぞかせるが、主人公は「好きだから目指す、それで充分だ」と励ました。

福井と東京の狭間
明日風は、福井に残れば穏やかな日常の中で夢を追う熱が薄れてしまうことを恐れていた。福井の温かさを「大好きで大嫌い」と評し、予定調和に染まる自分を怖れる一方で、東京への上京を決意しつつあった。主人公はその思いを受け止め、「もし東京に行くなら、それまでにここでしかできない経験をしよう」と提案した。

未来への走り出し
月明かりの下、自転車のペダルを力いっぱい踏みしめる主人公に、明日風はしがみつく。二人はまるで月へ飛んでいこうとするかのように疾走し、今しかない時間を共有していった。

二章 幻にドロップキック

ショッピングモールでの一幕
日曜、朔は海人・夕湖・陽と共にショッピングモール「エルパ」を訪れた。きっかけは陽が「打つ方もやってみたい」と言ったことから始まったバッティングセンター行きだったが、夕湖が「買い物もしたい」と提案し、海人も加わったことで珍妙な四人組の外出となった。夕湖は大人っぽいジャケットとショートパンツ、陽はラフなパーカー姿で現れ、それぞれの服装が話題となる。夕湖は陽に「女の子らしい服も似合う」と勧め、陽は渋々更衣室で青いワンピースに着替える。普段とまるで違う女性らしい姿に朔は「すごくきれいだ」と本心を口にし、陽は照れながらもその言葉を受け止めた。

バッティングセンターでの挑戦
買い物の後、一行はバッティングセンターへ。陽は運動神経を発揮して快音を響かせ、鬱憤を晴らすように打ち込んだ。夕湖は最初は空振りを繰り返すが、朔の助言で徐々に当たり始め、ついには芯を捉えて喜びを爆発させる。その様子を陽と朔は温かく見守り、四人は思いきりバッティングを楽しんだ。

食事中の告白と揺れる心情
夕方、8番らーめんで食事を取る中、陽が唐突に「西野先輩のこと好きなの?」と問いかける。朔はむせながらも答え、やがて「野球を辞めた後に出会った非日常の存在だった」と打ち明ける。夕湖は複雑な表情を見せつつも、最終的には「そのおかげで朔が元気になれた」と納得した。食後、朔は海人と二人きりになり、海人から「誰かがレースのピストルを撃たなきゃ始まらない」と意味深な言葉をかけられる。海人は自分の想いを匂わせつつも、笑い合いながら別れた。

屋上での決断
翌日、屋上に上がった朔は、蔵センと明日風が話している場面に出くわす。蔵センの口から「福井に進学を決め、国語教師を目指す」と聞かされ、朔は驚く。以前に聞いた編集者への夢との矛盾に戸惑うが、明日風は親の反対によって東京進学を諦めようとしていた。蔵センは「自由で不自由なお前」という言葉を残して去り、明日風は「私は父に逆らえないただのいい子だ」と弱音を吐く。

幻を壊すドロップキック
悩みを抱えて自分を幻に見立てる明日風に対し、朔は衝動的に背中を蹴り飛ばし川に突き落とす。「水死した地縛霊がお似合いだ」と叱責し、「俺が憧れたのは濡れながら子どもを笑顔にしていた明日姉だ」と告げる。明日風は涙混じりに笑い、「やっぱり君はヒーローだ」と返し、今度は逆に朔を川に引き込む。二人は水を掛け合い、無邪気に笑い合った。

支え合う約束
やがて明日風は「君のこと抱きしめてもいいかな」と無邪気に抱きつき、「美しく生きられないのなら死んでいるのと同じ、君のようにやってみる」と語る。朔は「俺のようにではなく、明日姉らしくやればいい」と励まし、「言葉を届けたいなら、まずは自分の言葉をお父さんに届けるんだ」と背中を押した。

父との三者面談
職員室で偶然耳にした会話から、朔は明日風の父が彼女の進路を「福大進学と公務員就職」と一方的に決めていることを知る。応接ブースにいたのは蔵セン、明日風、そしてスーツ姿の父であった。朔は衝動的に割って入り、「編集者になりたい」という夢を無視して良いのかと問いかける。しかし父は現実を突きつける。出版社の倍率、安月給と激務のリスク、そして「好きなことを仕事にして嫌いになる危険性」。その言葉は、野球を諦めた過去を持つ朔自身にも突き刺さる。父は「これは家族の問題だ」と線を引き、明日風も「やっぱり私なんて幻だった」と呟いて立ち去った。

蔵センとの語らい
その後、蔵センに誘われた朔は焼き鳥チェーン「秋吉」で共に飲み食いする。蔵センは自分が西野の元教え子であったことを明かし、「昔は意志を尊重する人だったが、いまは理屈で固める父親になってしまった」と語る。そして教師という立場の難しさ――生徒の夢を見守りながら、無数の挫折や失敗も間近に見続ける役割――を語り、「選んだ未来を正解にするのは自分自身だ」と言い切った。その言葉に朔は深く頷き、改めて自分の立場と責任を考える。

すれ違いと別れの言葉
数日間、明日風とは会えなかった。やっと再会したのは学校帰り、河川敷でのことだった。互いに気まずさを抱えながらも向き合い、明日風は「もうこれ以上、自分を見せられない」「君とはさよならだ」と告げる。これまで過ごした時間を「淡い青春の記憶」として胸に残すと微笑み、風に髪をなびかせながら立ち去った。朔は「ふざけんなよ」と繰り返しながら、その背中を止められなかった。

空虚な日常と新たな誘い
翌日以降、朔は空虚な気持ちで過ごし、図書室で奥野と勉強する明日風を見てさらに落ち込む。陽や夕湖に心配されても打ち明けられず、孤独を抱えたままの日々が続いた。そんな中、健太が「アニメイトに新刊を買いに行く」とはしゃぐ姿を見て、朔は気分転換に付き合うことを決める。和希も合流し、三人で駅前のアニメイトへ。健太は熱弁をふるい、朔はその勢いに呆れつつも少しずつ気が紛れていった。

仲間との対話と気づき
アニメイトで健太の勧めるラノベを購入した朔は、和希と健太と共にバーガーキングで食事をした。三人で冗談を交わすうちに、健太は自身の引きこもり経験を振り返り「間違った選択でも自分で決めたことなら未来をつくる」と語り、和希は「自分はローリスクを選ぶ器用な人間だ」と冷静に自己分析する。その姿に、朔は明日風の父が語った現実主義が腑に落ちると同時に、「ハイリスクを跳ね飛ばしてハイリターンを掴む人間がいる」という和希の言葉に思いを巡らせた。

七瀬の叱咤と激励
その夜、七瀬が朔の家を訪ねてきた。牛丼を持ち込み、共に食事をしながら進路や悩みについて語り合う。やがて七瀬は灯りを落として朔に迫り、「お前にできることは立ちはだかる壁を正面から蹴飛ばすことだ」と叱咤した。七瀬の真剣な言葉に背中を押され、朔は「ガキらしく無茶をしてみるか」と決意を固める。

朝の「駆け落ち」の誘い
翌朝早く、朔は石を投げて練習をしてから、明日風の家の前で「ラジオ体操の歌」を大声で唄った。窓から顔を出した明日風に向かって、「駆け落ちしよう、君をさらいに来た」と告げる。驚きと戸惑いを見せた明日風は、やがて覚悟を決めたように「三十分、公園で待ってて」と応じる。

白いワンピースの明日風
公園のベンチで待つ朔の前に現れたのは、真っ白なワンピースに身を包んだ明日風だった。照れくさそうに微笑みながら「私のこと、さらってくれますか?」と手を差し伸べる。その姿は、夏の物語の入口のように眩しく、朔はその手をきゅっと握りしめた。

三章 いつか思い出す遠くの空の青い夜

特急から新幹線への旅立ち
朔と明日風は福井駅から特急「しらさぎ」に乗り込み、米原を経由して東京へ向かった。明日風は疲れて朔の肩で眠り、無防備な寝顔を見せる。朔はその姿に戸惑いながらも、旅のひとときが遠い未来に懐かしく思い出されるのだろうと感じていた。米原で新幹線に乗り換える際、明日風は寝ぼけて「五月ヶ瀬」と言い出し、朔にからかわれる。ふたりのやりとりは、駆け落ちの緊張を和らげるように穏やかだった。

東京駅の喧騒と混乱
新幹線の車窓から富士山や都会のビル群を見て田舎者丸出しの感想をこぼしながら、東京駅に到着。圧倒的な人波と速すぎる歩調に飲み込まれ、明日風はへっぴり腰で朔の腕にしがみつく。朔は「父の心配に共感する」と苦笑しつつ、ようやく見つけた書店兼カフェで一息ついた。明日風は赤本を取り出し、「第一志望の大学に行ってみたい」と告げ、ふたりは山手線で高田馬場を目指す。

山手線での体験と気づき
超満員の電車に押し込まれ、朔はバランスを崩しかけた明日風をとっさに抱き寄せる。明日風は「支えてくれるとうれしい」と小さく囁き、その距離の近さに互いの想いを確かめ合うようであった。車窓に映る東京の景色は福井とはまるで異世界で、明日風は「ここでしかできない経験がある」と胸を高鳴らせる。朔は、その決意を直感し、切なさを覚えながらも彼女の夢を支える覚悟を新たにした。

古着屋でのひととき
高田馬場駅に着いたふたりは街を歩き、古着屋に立ち寄る。明日風はコバルトブルーのワンピースを試着し、朔に「似合ってる」と言われてはにかむ。互いに服を選び合い、未来のデートを約束する場面は、都会の雑踏の中で見つけたささやかな青春の輝きであった。

大学キャンパスと温かな出会い
目的の大学に着くも休日で門は閉ざされていた。落胆するふたりに声をかけたのは柴犬を連れた老人であった。気さくな口調で「本キャンパスなら入れる」と教えてくれ、柴犬は明日風にじゃれつく。別れ際に「兄弟か?」と尋ねられ、恋人ではなく兄妹に見えたことにふたりは吹き出して笑う。

東京の印象
都会の喧騒に戸惑いながらも、見知らぬ人の温かさに触れ、朔と明日風は「東京はあったかいね」と笑顔を交わした。朔は、この温もりが未来の明日風を包み込んでくれることを願い、共に歩みを進めていった。

大学キャンパスでの想像
本キャンパスに辿り着いた朔と明日風は、休日でも学生の姿が見られる穏やかな雰囲気に驚く。歴史的な建物と現代的な建物が並ぶ光景に明日風は目を輝かせ、「ふたりが大学生だったら」と未来を想像した。並んで肉じゃがを作る日々、出版社でのアルバイト。けれど最後には「そんな未来は訪れない」と線を引き、小指を絡めながら「前を向いて走らなきゃ」と誓った。

神保町での出会いと決意
地下鉄に苦戦しながら神保町に着いたふたりは、有名カレー店に立ち寄る。そこで偶然、若い作家と編集者の激しい打ち合わせに出くわす。自分の才能に自信をなくす作家に対し、編集者は「ありふれた青春を言葉にできる力こそあなたの強み」と断言。やがて作家は「書いてみます」と立ち上がった。その光景を目にした明日風は「編集者になりたい」と初めて強く口にし、朔の脳裏には未来の彼女の姿が鮮明に描かれた。

新宿での圧倒と高揚
その後ふたりは新宿に向かい、紀伊國屋書店や百貨店を巡る。人波に圧倒され、空の狭さや空気の悪さに田舎との差を痛感しつつも、冷たい抹茶ラテに元気を取り戻して歩いた。夜が訪れ、明日風は「歌舞伎町を歩いてみたい」と笑顔を見せるが、そこへ蔵センからの電話が入る。

父との直接対決
電話の相手は明日風の父であった。朔はとぼけながらも「明日の昼に福井へ戻る」と宣言し、時間を稼ぐ交渉を行う。父は「一度じっくり話す必要がある」と告げて電話を切った。安堵した朔の腕に明日風は涙を堪えてしがみつき、「ロスタイムは明日の朝まで」と確認し合う。

夢のような東京の夜
狭い空に月が浮かび、ネオンに彩られた新宿の街を歩きながら、朔は初めて「東京はきれいだ」と感じた。明日風の笑顔と手の温もりを確かめながら、短い時間でも夢のような青春を共に過ごすことを心に刻むのだった。

歌舞伎町での迷走と危機
朔と明日風は宿を探しながら歌舞伎町へ足を踏み入れた。煌びやかなネオンと喧噪のなか、大人の街の空気に圧倒されつつも歩き進める。だが、朔が買い出しに出た隙に、明日風が金髪スーツの男に声を掛けられ腕を掴まれる。駆けつけた朔は勢いで相手を突き飛ばし、明日風の手を取って逃げ出した。二人は無我夢中で走り込み、飛び込んだ先がラブホテルだった。

宿泊の決断と部屋の空気
危険を避けるため、そのまま宿泊を選んだふたり。チェックインを済ませ、白を基調とした部屋に入ると大きなダブルベッドと青いネオンの光が迎える。非日常的な空間に緊張と照れが入り混じり、互いに言葉少なになる。明日風はバスローブ姿で現れ、思わず朔の理性を揺さぶるが、最終的には揃いのパジャマに着替えた。

枕投げの夜
互いの意識が揺れるなか、明日風は「もしも」と大人びた言葉を投げかける。しかし朔はそれを枕投げに変えてしまい、「子どもである時間を精一杯生きるべきだ」とぶつける。やがて明日風も負けじと枕を振り返し、修学旅行の夜のように二人で笑い合った。夜の帳の中、彼らは「高校生らしさ」を守り抜いた。

未来へ繋がる語り
枕投げが終わると、並んでベッドに座った二人は静かに語り合う。明日風は「二度とはできない旅だから、締めくくりに君の話を聞きたい」と告げる。朔は「物語にならないほどチープで平凡だ」と前置きするが、明日風は「私が編集して世界にたった一つの物語にしてみせる」と言い切る。その言葉に、朔は安心して自らの過去を語り始める決意を固めた。

――歌舞伎町の夜は危険と高揚を与えたが、その先に二人の心を繋ぐ大切な語りの時間をもたらした。

朔の過去の告白
東京の夜、明日風の願いに応じて朔は自分の過去を語り始めた。幼少期から人気者で運動も勉強も常に一番だったが、周囲から「なんでもできる千歳」と見られるようになり、失敗を待たれる存在へと変わっていった。努力をしても評価されず、逆に失敗すれば誇張され、帳尻合わせのように小さな嫌がらせを受け続けた。やがて「誰も近づけないほど完璧になればいい」と歪んだ決意を抱き、冷たい仮面をまとい、軽薄さや冗談で自分を武装するようになったことを明かした。

明日風の受け止め方
語り終えた朔は「ありきたりでチープな過去」と自嘲したが、明日風は「君には物語が多すぎた」と優しく否定した。人は苦しみを物語として抱え込み弱さの言い訳にするが、朔はそれを許さず理想を守り続けたと評した。そして「それを私たちはヒーローと呼ぶの」と告げる。朔は子どもの頃の夢――仲間を大切にする少年漫画のヒーローになりたかった気持ちを吐露し、誰もそれを望まなかったと叫ぶが、明日風は「それが君そのもの」と受け止めた。

青い夜の温もり
涙があふれそうになる朔を前に、明日風は「君の輝きが確かに誰かを照らしている」と断言し、彼の手を導きながら「ちゃんとここにいる」と証明した。二人は互いを支え合い、やがてお気に入りの本や映画、子どもの頃の思い出などを語り合い続けた。夜が更け、明日風が眠りに落ちたとき、朔は「この時間は二度と戻らない」と痛感しながら彼女の寝顔を見守った。

帰還と再会
翌朝、ふたりは東京を発ち、イヤホンを分け合いながら福井へ戻った。旅の余韻を胸に抱えつつ、駅の改札で待っていたのは明日風の父と蔵センだった。父は無言で娘の頬を叩き、「筋を通しなさい」と諭す。明日風は丁寧に謝罪し、放課後に改めて三者面談を行いたいと願い出た。父は渋々ながら了承し、最後に新幹線代を渡して去って行く。

残された時間と約束
その場を収めた明日風は朔に向き直り、「明日の放課後、もう一度私とデートすること」と笑顔で告げる。父と同時に「は?」と声をあげた朔だったが、彼女の軽やかな足取りを見つめながら、確かに何かが変わり始めたことを感じていた。

――駆け落ちのような東京の夜は終わりを告げ、二人は次の一歩を踏み出す覚悟を固めていた。

日常への帰還と非日常の再訪
東京から戻り、月曜の放課後を迎えた朔は、チーム千歳の仲間たちと何気ない雑談を交わし、ようやく日常へ戻った実感を得ていた。だがそこへ明日風が現れ、「デート行くよ」と当然のように声を掛けてきた。校門前での待ち合わせをすっ飛ばして教室にやって来たことから、仲間たちの視線が一斉に朔に突き刺さる。夕湖や優空、七瀬や陽が皮肉や冷やかしを重ね、和希や海人までもが絡んできて、教室は一気に非日常の気配に包まれた。

仲間たちとの軽妙なやり取り
夕湖が「正妻は私」と冗談を言えば、優空が巻き込まれて苦笑する。七瀬は「貸し一」と恩を強調し、陽は「なぜそんなちゃらんぽらんな男なのか」と問いかける。そんな仲間たちの疑問に、明日風は「答えは青海さんの中にある」と意味深に笑って応じた。彼女の言葉に教室の空気が凍りつくなか、朔は気まずさを覚えてそっと場を抜け出す。

ローカル線の旅
その後、朔と明日風はえちぜん鉄道に乗り込んだ。地元では珍しく利用することのないローカル線に揺られ、二人は二十分ほどでさびれた駅に降り立つ。朔にとっては思い出の深い懐かしい場所であり、偶然とは思えなかった。

告げられた真実
ホームに降り立った明日風は、少し懐かしそうに目を細めながら「私、いまだけ君の先輩でもお姉さんでもなくなっていいかな」と切り出した。そして両手を重ね、首を傾げ、無邪気な笑みを浮かべながら口にした。
――「久しぶり、朔兄っ」

淡い幻影の再会
それは先輩でも、お姉さんでもなく、幼い頃に繋がっていた「妹」としての呼びかけだった。過去の少年と少女の淡い幻影が、目の前で重なり合う。駆け落ちの終わりを告げたはずの日常に、新たな非日常が姿を現していた。

四章 明日の風

明日風の原点
西野明日風は、福井市の端にある田園地帯で生まれ育った。厳格な教師である両親のもと、引っ込み思案で平凡な少女として過ごし、本に没頭する毎日を送っていた。友達はいたが、同級生の輪の中心になることはなく、どちらかといえば少し浮いた存在であった。だが、物語の登場人物たちに憧れ、いつか自分も彼らのように自由で真っ直ぐな存在になりたいと夢見ていた。

出会いの夏
そんな明日風が小学四年の夏休みに出会ったのが、千歳朔であった。母方の祖母の家に遊びに来ていた少年は、眩しいほど真っ直ぐで、どんな田舎の風景も楽しみに変えてしまう存在だった。明日風はその無邪気さに惹かれ、やがて「朔兄」と呼んで後をついて回るようになった。二人で過ごした日々は、彼女にとって初めての「冒険」であり、小さな世界を一歩超える体験となった。

白いワンピースの記憶
翌年の夏、川沿いを歩いていたときに転んで水に落ちた明日風は、お気に入りの白いワンピースを泥だらけにして涙をこぼした。だが朔兄は自ら川へ飛び込み、笑いながら水をかけて涙を止めてくれた。その瞬間、悲しみは消え去り、二人は泥んこになって笑い合った。彼の存在は、彼女にとって泣き虫を救ってくれる光のようであった。

さらわれた夜
小学六年の夏には、近くの神社で小さな祭りが開かれた。しかし両親に「子どもだけでは駄目」と止められ、行けないと諦めざるを得なかった。だが朔兄は約束通りに現れ、祖母の家から梯子を借り出して窓から迎えに来た。二人で夜道を駆け抜け、境内で焼きそばやラムネを分け合い、まるで物語の登場人物のような一夜を過ごした。

月とビー玉
祭りの帰り、ラムネ瓶を手に朔兄は「ビー玉はひとりぼっちで可哀想」とつぶやいた。明日風は「お月さまみたいにきれいで、朔兄と同じだよ」と返す。夜空の月を見上げる横顔は、大人びて、どこか寂しげで、それが彼女の胸を締めつけた。そして思わず「いつか朔兄が寂しくなったら、私がお嫁さんになってあげる」と告げた。彼は「泣き虫が治ったらね」と笑い、頭を撫でてくれた。

憧れの起点
その瞬間、明日風は強く思った。――この人のようになりたい、と。強く、優しく、自分の心で選んで進んでいける存在に。
彼女の人生を方向づけた原点は、まさにあの「夏の思い出」と「朔兄」の姿にあった。

過去から現在への継承
西野明日風は、幼い夏の日に抱いた「朔兄への憧れ」が、自分の生き方の原点であることを語った。泥だらけになって涙を拭ってくれた思い出、祭りの夜にさらいに来てくれた記憶。それらは彼女にとって「物語のヒーローのように生きたい」という理想の出発点だった。だが同時に、朔を追いかけ続けることで、自分が幻を演じているだけなのではないかという後ろめたさも抱えていた。

本当の姿の告白
彼女は「君が憧れた明日姉は、私が憧れた朔兄なんだよ」と告げる。憧れをなぞり続けてきただけで、本当は普通で真面目な女の子だったことを打ち明けた。だが朔は「それでも今の明日姉は、自分の理想に向かって歩いてきた結果だ」と肯定する。泥んこになっても笑顔を見せられる人、言葉を大切にする人、そして自分を救ってくれた人として、再び惹かれたと伝えた。二人は互いの想いを確かめ合い、明日風は「明日の三者面談に、いまの自分で向き合う」と決意を固める。

父との三者面談
翌日、指定された空き教室で、明日風・父・蔵センの三者面談が始まった。彼女は「東京で小説の編集者になりたい」と堂々と語る。学力や奨学金、生活費の見通しまで具体的に説明し、覚悟を示した。しかし父は「東京は危険すぎる」「夢を追っても選ばれなかったとき、不幸になるだけだ」と現実を突きつける。そして極端な提案を口にする――「夢を取るなら家族の縁を切れ」と。

揺らぐ心と試される決意
愛する家族を失うことなど選べない。だがここで諦めれば、これまでと何も変わらない。迷いながらも「もっと違うやり方があるはず」と必死に考える明日風。父は冷徹に結論を急かし、蔵センも静観していた。もう終わりだと諦めかけた瞬間、教室の扉が雷鳴のような音を立てて開かれた。

駆け込む影
そこに現れたのは、息を切らした千歳朔だった。
――「……朔兄ぃ」
呼びかける明日風の声は、涙と安堵をにじませていた。

彼の登場によって、明日風と父との対峙は新たな局面を迎えようとしていた。

朔の乱入と「わがまま」な懇願
三者面談の場に駆け込んだ千歳朔は、通話を通じて会話を聞いていたことを明かし、机に額をつけて必死に頭を下げた。「明日風さんを東京に行かせてあげてください」と。論理でも理屈でもなく、ただのわがまま、ただの願いとしての言葉。その真っ直ぐな訴えは、父の冷徹な理屈をも凌駕する熱を帯びていた。

明日風の決断
父から「夢に破れたとき、責任をとれるのか」と問われた朔が「俺が」と答えかけた瞬間、明日風は机を叩いて遮った。「そんなプロポーズは十年後にして」と笑いながらも、強い意志を示す。そして「私は編集者になる」と宣言。理屈ではなく「好きだから」「なりたいから」というシンプルな理由で夢を選び取った。

父の敗北と本音
明日風の強いまなざしに、父はついに笑い声を上げる。厳格に見えた態度の裏には、夢を追って挫折した生徒たちを数多く見てきた教師としての恐れと、かつて自分もロックミュージシャンを夢見て挫折した過去があった。だが最終的に「好きなように生きなさい」と告げ、娘を認めた。朔にも「娘を信じてくれてありがとう」と頭を下げ、和解の時を迎えた。

未来への出発
こうして明日風の「東京で編集者になる」という進路は正式に承認された。教室に残された二人は、抱き合い、涙を流し、互いを「月」と呼び合うことで感謝と愛情を確かめた。やがて雨が上がった河川敷に並んで歩き出し、夜空にはストロベリームーンが浮かんでいた。

約束と憧れの継承
別れの近さを悟る中で、明日風は「今度こそ、遠くても手を伸ばしたくなる灯りになってみせる」と宣言する。朔に憧れた西野明日風と、朔が憧れてくれた西野明日風、その両方の自分を抱えて未来へ進むのだと。満月や水面に映る月影が、幻と現実の境を曖昧にしながらも、二人の未来を照らしていた。

――こうして、西野明日風の物語は「夢を追いかける決意」と共に、新たな章へと歩みを始めた。

エピローグ この日のお月さま

遠い夏の日の幻影
帰り道、夜空に浮かぶ月を見上げながら、西野明日風は幼い日に抱いた想いを思い返していた。かつて「朔兄」は彼女にとって触れられそうで掴めない蜃気楼のような存在であり、わずか七日間の憧れであり、七日間の夢であり、七日間の恋であった。その時間は短くとも、確かに彼女の人生を変えた大切な記憶であった。

追いかけるだけでは終われない
しかし、いつまでも背中を追うだけでは、自分は泣き虫の少女のままに留まってしまう。だからこそ「さよなら、あの日の朔兄」と心で告げ、「こんばんは、隣を歩く後輩の男の子」と新たな姿で彼を見つめた。いま隣にいる朔は、ただ涼しい顔で笑うだけではなく、歯を食いしばり、誰かの期待や祈りを背負いながら、それでも自分らしく在ろうと踏ん張っている存在だった。

お月さまの意味の変化
かつて月は唯一の存在で、決められた形だと信じていた。だが今では違うとわかる。お月さまは絶対でも普遍でもなく、誰もが誰かにとっての月になれるのだと。だからもし朔が再び迷子になるときは、自分が呼ばれる番だと誓う。

明日風の誓い
「明日姉って呼んで。そのときは、どんなに辛い物語でも私がハッピーエンドに変えてみせる」――朔が照らしてくれたように、今度は自分が彼の暗闇を消していくのだ。懐かしい温もりを宿した左手に力を込めながら、明日風は問いかける。

結びの想い
――「ねえ。私はあなたのお月さまに、なれるかな」

特別短編 王様とバースデー

バレバレのサプライズパーティー
七瀬のストーカー事件から数日後、誕生日を迎えた千歳朔は、仲間たちから屋上でサプライズパーティーを仕掛けられる。夕湖を中心にクラッカーやお菓子を準備し、チーム千歳の面々が揃って祝福した。気恥ずかしさを覚えつつも、賑やかな空気に朔は温かさを感じ取った。

王様ゲームの開始
パーティーの余興として海人の発案で王様ゲームが始まる。七瀬や和希らが提案する命令は際どくも笑える展開となり、健太が判定係を務める中で次々と騒動が巻き起こった。陽と優空の「愛の言葉」や和希の悪ノリなど、ドタバタのなかに青春の甘酸っぱさが混ざっていた。

それぞれのプレゼント
休憩の合間に、仲間たちから個別にプレゼントが贈られる。七瀬からは三日月を模したデスクライト、優空からはスマホケースと保護フィルム、夕湖からは浴衣、陽からはキャッチボール用の自分のグローブと、それぞれの想いが込められた贈り物であった。どの品もただの物ではなく、彼女たちの心情や関係性を象徴する意味を帯びていた。

明日姉との時間
夜、河川敷で本を読む明日姉に出会った朔は、自分の誕生日を理由にプレゼントをねだった。明日姉はイヤホンを差し出し、それは自分とお揃いでありながら「君には繋がれていないほうが似合う」と告げる意味深い贈り物であった。ふたりは片方ずつイヤホンを分け合い、明日姉が小さな声で歌うバースデーソングに耳を傾ける。やがて曲が流れ出すなか、今日という日を忘れないための時間を共有した。

結び
仲間たちの賑やかな祝福と、明日姉との静かなやり取り。二つの時間が織り重なり、十七歳という青春の只中で朔は確かな絆と温もりを感じていた。

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こも

いつクビになるかビクビクと怯えている会社員(営業)。 自身が無能だと自覚しおり、最近の不安定な情勢でウツ状態になりました。

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