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戦国小町苦労譚18巻の表紙画像(レビュー記事導入用)

漫画「戦国小町苦労譚 19巻 上杉臣従」感想・ネタバレ

物語の概要

本作は戦国時代を舞台とする歴史ファンタジー・時代コミックである。現代日本から戦国時代にタイムスリップした歴女・静子が、織田信長の配下として農業改革や戦略立案を通じて歴史を変えていく姿を描く。第19巻では、信濃の上杉家が織田家への臣従を申し出るという重大な情報がもたらされ、それを受けて謙信が大軍を率い、織田信長のいる岐阜城へと赴く展開が描かれる。静子の周囲では越後の命運が揺れ、戦国の勢力図が大きく動く。

主要キャラクター

  • 綾小路静子(あやのこうじ しずこ)
    本作の主人公である歴女の女子高生。戦国時代にタイムスリップし、現代知識を武器に織田信長の元で活躍する。農業・政治・戦略あらゆる領域で才覚を発揮し、信長の評価を高めている。戦国の混沌を生き抜き、越後の動きにも深く関与する存在である。
  • 織田信長
    戦国時代屈指の戦国大名。静子の能力を評価しつつ、時に大胆な戦略を採る人物。上杉家臣従の申し出を受け、新たな局面に直面する。
  • 上杉謙信
    越後の戦国大名。織田家との関係を再構築するため、臣下の礼を取るべく岐阜城へ進軍する。戦略眼と武勇を兼ね備えた存在として物語に登場する。

物語の特徴

本作の魅力は、“戦国時代のリアルな歴史描写”と“現代知識を持つ異邦者の活躍”という二つの軸を鮮やかに融合している点である。静子が農業・経済・戦略といった現代的知識を駆使し、戦国大名たちの行動に影響を与えることで、歴史の常識が変容していくという構造が醍醐味である。

第19巻は越後・上杉家と織田信長の関係という大きな歴史的節目を描き、戦国の命運を賭けた“臣従の礼”という政治的事件が物語の中心となる。単なる戦闘描写にとどまらず、外交・情報戦・人間ドラマが重層的に描かれており、歴史ファンにも読み応えのある構成となっている。

書籍情報

戦国小町苦労譚上杉臣従19
著者:沢田一 氏
原作:夾竹桃  氏
キャラクター原案:平沢下戸  氏
出版社:アース・スター エンターテイメントアース・スターコミックス
発売日:2025年12月12日
ISBN:978-4-8030-2233-9

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あらすじ・内容

目を見張らんばかりの大邸宅に引っ越した静子。
引っ越しの慌ただしさが落ち着いた頃、
静子を訪ねてきた与六。
与六が持参したのは謙信からの手紙。
そこに書かれていたのは、
上杉家が信長の配下に入るという申し出だった!
間もなくして多勢を率いた謙信が、
臣下の礼を取るため信長のいる岐阜城へ──。
「小説家になろう」発人気時代小説コミカライズ、
越後の命運揺れる第19巻!!

戦国小町苦労譚⑲ 上杉臣従

感想

侵略してきた武田を退け、その武田と敵対していた上杉が自主的に織田に臣従する。
この一手で、織田家の天下が事実上固まったと感じさせたが、まだ西には毛利、東には北条がいる状態。
あくまでも天下統一が見えただけで、実際はまだまだコレから。
それは織田信長も感じているようで、本人も自身を自制するシーンが散見された。

本巻で強く印象に残るのは、軍事だけでなく貨幣の主導権を織田が握り、日本の経済が織田中心へ傾く布石が打たれた事であった。
数百年前に貨幣を中国から輸入して、鐚銭が出回っていたこの時代。
その貨幣を紙幣に変えて、経済から日本を統一する。
その中心に若い女性の静子がいるという構図は、この物語の特徴ともいえる。

一方で、その「特徴」が全員に歓迎されるわけではない点が、この巻を単なる祝祭に終わらせない。
織田家の内側ですら、静子の存在に納得する者と、割り切れない者がいる。
合理と感情、先見と不安が交錯し、同じ結果を見ていても評価が分かれる。その温度差が、物語に緊張を与えていたが静子の周りには彼女の理解者しか居ないので本人が嫌な思いをすることが無いのが救いであった。

上杉の臣従は、織田家の天下統一への意味では極めて合理的であった。
だが、それが人の心まで整えてくれるわけではない。
謙信が臣下の礼を取る場面に漂う空気は、勝者と敗者の単純な図式ではなく、時代が一段階進んでしまったと感じさせた。
静かであるが、重い礼。

静子という存在もまた、称賛だけで包まれない位置に立った。
彼女の判断が正しかったことは、結果が証明している。それでも、その正しさが周囲の価値観や誇りを削っていく事実は消えない。
静子が中心にいるからこそ、歪みもまた彼女から広がっていく。その描かれ方が、このシリーズらしい構図であった。

総じて本巻は、「天下統一が見えた」瞬間を描きながら、同時に「ここからが面倒だ」と告げる巻であった。
戦国が終わりに近づくほど、人は割り切れなくなる。
織田の覇道が確定的になった今、その中心に立つ静子が、どれだけの理解と反発を背負って進むことになるのか。その先を見届けずにはいられない一冊であった。

そう言えばこの後に上杉謙信は禁酒させられるんだよな…
あの酒宴の笑顔は最初で最後になるのか…(遠い目)

最後までお読み頂きありがとうございます。

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登場キャラクター

近衛静子

近衛家に連なる立場で、織田信長のもとで政と現場の両方に関わる人物である。自分の思いつきだけで動かず、報告と確認を重ねて物事を進める。信長や周囲から能力を注目され、標的としても見られている。

・所属組織、地位や役職
 近衛家の人物である。織田方の政策や整備事業に関与する立場である。
・物語内での具体的な行動や成果
 信長の茶室で、南蛮の奴隷を買った件の調査状況を報告した。
 新居の屋敷を拠点として、来客対応と政務の場を整えた。
 月一回の試験的な休日制度を提案し、尾張近郊の整備事業で導入させた。
 信長に対し、信用にもとづく貨幣の仕組みを説明した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 信長から十万石の話を告げられ、規模の大きさに動揺した。
 本願寺側から「鍵を握る人物」として名指しされ、弱点を探られる対象になった。
 信長の激怒の場で発言が通り、意見を述べる立場として描かれた。

織田信長

織田方の頂点に立ち、戦と政の判断を一手に握る人物である。感情を見せる場面はあるが、結論は統治者として出す。静子の提案を聞き、使える形に落としこもうとする。

・所属組織、地位や役職
 織田家の当主である。軍の総大将として出陣した。
・物語内での具体的な行動や成果
 静子を茶室に呼び、南蛮の奴隷の件を問いただした。
 静子の移住祝いとして十万石を与える案を示した。
 本願寺と和睦を結び、条件提示で主導権を握った。
 上杉家の臣従文書を確認し、使者の与六に直接問い質した。
 新通貨の構想に関心を示し、発行の時機を判断した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 武田を討った戦果を前提に、褒賞が威信に関わると述べた。
 親族に強い怒りを向け、半年の猶予を与える判断を下した。
 上杉景勝と直江兼続を尾張に留める決定を下した。

与六

上杉家の家臣で、使者として近衛静子のもとに現れた人物である。軽口をたたくが、任務を最優先にしようとする。文書を届けたあと、人質に近い形で留め置かれた。

・所属組織、地位や役職
 上杉家の家臣である。織田方への使者である。
・物語内での具体的な行動や成果
 連絡なしで静子邸を訪れ、対面の場を作らせた。
 上杉謙信の臣従を示す正式な降伏文を差し出した。
 岐阜城で信長の問いに答え、決断が熟考の末だと述べた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 臣従が破られた場合の覚悟を問われ、自分の命を差し出す意志を示した。
 静子邸に留め置かれ、保護と人質の両方の意味を持つ立場になった。

上杉謙信

越後の大勢力を率いる武将であり、織田方に臣従する決断をした人物である。形式だけではなく、存続のための選択として頭を下げる。信長の前で儀礼を行い、情勢を決定的に動かした。

・所属組織、地位や役職
 上杉家の当主である。越後の勢力を率いる。
・物語内での具体的な行動や成果
 精鋭五千を率い、春日山城を出立して岐阜へ向かった。
 岐阜城で臣下の礼を取り、織田への臣従を所作で示した。
 静子邸の宴に一行で参加し、静子に礼を尽くしてあいさつした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 臣従によって、越後の立場が大きく変わった。
 反織田勢力に衝撃を与え、情勢が織田優位へ傾く引き金になった。

足満

上杉謙信の行軍に同行し、現場で即断する人物である。神仏への恐れを示さず、障害物は排除する姿勢を貫く。近衛前久とは遠慮のない関係として描かれる。

・所属組織、地位や役職
 上杉謙信の同行者である。側近の一人である。
・物語内での具体的な行動や成果
 道をふさいだ神輿を障害物と判断し、崖下へ落とした。
 兵が動けない状況で行軍を再開させ、隊を前へ進めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 神罰をおそれる周囲と対比され、異端的な印象を残した。
 謙信に、目的のために切り捨てる現実を突きつける役になった。

近衛前久

足満と並走し、皮肉と軽口を交わす人物である。足満の態度を当然として受け止め、関係の近さが示される。謙信の同行者として行軍に加わる。

・所属組織、地位や役職
 上杉謙信の行軍に同行する人物である。
・物語内での具体的な行動や成果
 道中で足満と会話を続け、緊張の中でもやり取りを保った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 足満との遠慮のない友誼が、謙信の内省を引き出す材料になった。

濃姫

静子の新居に祝いとして訪れる人物である。静子を観察し、女の場の空気を読んで動く。要求の裏に、静子を孤立させない意図を持っていた。

・所属組織、地位や役職
 織田信長の周辺にいる人物である。
・物語内での具体的な行動や成果
 新居祝いとして大量の鯛を持ちこみ、静子を困らせた。
 静子の秘蔵の甘味を食べ尽くし、そのまま屋敷を去った。
 静子についての妬みや同情の流れを分析し、考えを巡らせた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 静子への高度な要求が、孤立回避の策でもあったと示した。
 信長の兄の子を静子の養子にする話題を出し、波紋を生んだ。

前田慶次

静子の馬廻衆として警備にあたる人物である。場の緊張を読んで、空気を崩すようなふるまいも見せる。警備の報告役としても動く。

・所属組織、地位や役職
 静子の馬廻衆である。警備の担当である。
・物語内での具体的な行動や成果
 宴が大きくなる見通しを口にし、状況を受け入れさせた。
 屋敷内で不審者を捕らえ、静子へ報告した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 静子邸が警戒と統制を要する場になったことを示す役回りになった。

可児歳三

静子の馬廻衆として動く人物である。騒ぎにのまれず、即応できる配置を取る。準備を淡々と進める姿が描かれる。

・所属組織、地位や役職
 静子の馬廻衆である。警備に関わる。
・物語内での具体的な行動や成果
 宴の拡大を見越し、すぐ動ける形で配置についた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 場の安全を支える一員として、裏方の軸になっている。

森長可(勝蔵)

静子の馬廻衆として動き、警備体制の引きしめを意識する人物である。前田慶次と同じ馬廻衆であるが、血縁ではない。療養場面で上半身裸の描写がある。

・所属組織、地位や役職
 静子の馬廻衆である。警備の担当である。
・物語内での具体的な行動や成果
 宴が大きくなる兆しを見て、警備の厳格化を意識した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 前田慶次と兄弟ではなく、血のつながりもないと明言された。

明智光秀

静子邸の夜の場で、来客対応に追われる人物である。屋敷の外れで小間使いの珠を叱責する。静子の制止でその場を収める。

・所属組織、地位や役職
 織田方の人物である。静子邸で来客対応を担う。
・物語内での具体的な行動や成果
 職務を外れた珠を見つけ、仕事中であると叱った。
 静子の言葉を受け、叱責を終えて場を離れた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 静子が屋敷内の人の動きにも口を出せる立場だと示す対比になった。

静子邸で働く小間使いである。仕事中に職務を離れ、猫と遊んでいた。光秀に叱られ、深く謝罪した。

・所属組織、地位や役職
 静子邸の小間使いである。
・物語内での具体的な行動や成果
 職務を離れて猫とたわむれ、光秀に見つかった。
 叱責を受け、あわてて謝罪した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 屋敷が大勢の来客を抱え、規律が求められる場だと示す材料になった。

武藤喜兵衛(真田昌幸)

養子として武藤家を継ぎ「武藤喜兵衛」と名乗った後、兄たちが戦死したため真田家に戻り「真田昌幸」を名乗る。
大藤城で敗北した事実が明言される。敗戦は個人の失策ではなく、武田側全体の敗北として整理される。

・所属組織、地位や役職
 武田陣営の人物である。
・物語内での具体的な行動や成果
 大藤城で敗北したと語られた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 敗北が戦全体の帰結として扱われ、これ以上の流血回避の判断につながった。

上杉景勝

上杉家の人物として、人質受け入れの対象になった。信長の決定で尾張に留め置かれる。場面は簡素で、形式的なやり取りのみが描かれる。

・所属組織、地位や役職
 上杉家の人物である。
・物語内での具体的な行動や成果
 尾張に留まる場で名を述べ、受け入れの手続きが進んだ。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 同盟保証のための人質として扱われる立場になった。

瑠璃

尾張の技術町で、絨毯の技術を伝える人物である。異国での経験をもとに、現場で実地指導を行う。おだやかな態度で教え、評価を得ている。

・所属組織、地位や役職
 尾張の技術町で指導にあたる人物である。
・物語内での具体的な行動や成果
 織機の前で職人に絨毯づくりを教えた。
 作業の進みを安定させ、現場の評価を得た。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 教える者として定着し、技術伝承の中心になっている。

弥一

金属加工の工房で働く職人である。口数は少ないが、基本技術を周囲に示す。奴隷時代との比較で、今の待遇を肯定する発言をする。

・所属組織、地位や役職
 金属加工の職人である。工房の作業者である。
・物語内での具体的な行動や成果
 基本の技を惜しまず見せ、日常的に技術共有を行った。
 会話で、今の働き方が昔より良いと述べた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 技の共有を通じて、現場の底上げに関わっている。

紅葉

尾張農園で温室の植物を管理する人物である。ニームを育て、記録をこまかく付ける。成功だけでなく失敗も残す姿勢を持つ。

・所属組織、地位や役職
 尾張農園の作業者である。植物管理を担う。
・物語内での具体的な行動や成果
 温室でニームを栽培し、成長の変化を観察した。
 栽培記録を続け、小さな変化も残すと説明した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 記録の意義が評価され、作業が継続される流れになった。

虎太郎

静子邸の書庫で翻訳を担う人物である。語学に通じ、電子辞書を補助にして作業を進める。静子と地動説を話題にし、観測と実証の話へ進む。

・所属組織、地位や役職
 静子邸の書庫で翻訳作業を担う人物である。言語学者としての経歴がある。
・物語内での具体的な行動や成果
 西洋由来の書物を翻訳し、区切りのよい所まで進めた。
 静子と縁側で地動説について対話し、歴史的経緯を説明した。
 観測機材の必要性を共有し、研究の継続に意欲を示した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 静子から今後の協力を求められ、翻訳と研究の軸として位置づけられた。

展開まとめ

九十一幕 新居

信長邸・茶室での対面

1573年4月、静子は新居に移って間もなく、信長の茶室へ呼び出され、献茶の席に入った。信長は南蛮の奴隷を購入した件について静子の調査結果を尋ね、静子は足満が素性調査を徹底したこと、今後も継続して注視すると報告した。

引っ越し祝いと破格の加増案

信長は静子の移住完了を確認し、祝いとして「10万石を与える」と告げた。静子は新居が十分であるとして辞退しようとしたが、信長は近衛家と静子個人に5万石ずつ与える計算であると説明した。
ここで作品は、石高の概念とその換算価値(現代評価で100億円以上に相当)を提示し、静子が受領不可能な規模であることが描かれた。

加増の理由と管理体制

信長は、武田を討った功にふさわしい褒賞を与えなければ自身の威信に関わると述べ、静子に広大な領地を与える意図を示した。また、土地管理の補佐官も派遣する予定であるとし、静子が適切に活用することを期待した。

静子の困惑と茶席の締め

信長は静子が領地をどう使うか楽しみだと語り、茶が冷める前に飲むよう促した。静子は圧倒的な加増案に動揺しつつ茶を口にした。

尾張への帰還と与六の独白
与六は尾張へ向かう道中、尾張を離れてから一年が経過したことを振り返っていた。道は以前より整備され、人や荷の往来も増えており、静子の施策による変化が目に見える形で現れていた。与六はこれを「静子殿の仕事」であると認識していた。

道中での気の緩みと自制
与六は静子の着任祝いとして酒盛りをしたい気持ちを一瞬抱いたが、自身に課された重要な任務を思い出し、軽率な行動を戒めた。軽口を叩きつつも、気を引き締めて尾張へ向かう姿が描かれた。

新居への帰還と拠点の完成
京での用事を終えた静子は新居へと戻った。そこには本殿・裏殿・側殿を中心とした大規模な屋敷が完成しており、堀と城壁に囲まれた構造は城郭拠点と呼べる規模であった。新居は居住、政務、来客対応、生産、警備を兼ね備えた複合施設として整備されていた。

屋敷機能の多層化と管理負担
本殿は信長も使用する公的空間、裏殿は静子と侍女たちの生活空間、側殿は織田家武将や信長専用の宿泊施設として区分されていた。敷地内には衛兵詰所、厩舎、家畜施設、畑、ビニールハウスが配置され、自給と生産を前提とした構造となっていた。一方で、五万石の追加加増により、静子は管理体制の再構築が不可避であることを痛感していた。

濃姫の来訪と引っ越し祝い
新居には濃姫が引っ越し祝いとして訪れた。濃姫が贈った祝いの品は大量の鯛であり、桶に詰められたその数は常識的な消費量を大きく超えていた。静子はその物量に強い衝撃を受け、対応に頭を抱えることとなった。

秘蔵の甘味と日常の侵食
一方で、濃姫は静子の屋敷に滞在する中で、静子が秘蔵していた甘味を次々と口にしていった。それらは祝いの品ではなく、静子が個人的に保管していたものであったが、濃姫は悪びれる様子もなく食べ尽くした。

濃姫の退場と静子の困惑
甘味を食い尽くした後、濃姫はそのまま屋敷を去った。残された静子は、大量の鯛と空になった甘味を前に、新居で始まる新たな日常が平穏とは程遠いものであることを改めて思い知らされていた。

静子邸への来訪者
静子が新居での生活を整えていた折、使者の来訪が告げられた。現れたのは上杉家の家臣・与六であり、彼は事前の連絡もなく静子邸を訪ねてきた。静子はその無遠慮さに疑問を抱きつつも、遠路を考慮して対面の場を設けた。

最重要任務を抱えた与六の動揺
与六は食事を勧められても「最重要任務が先である」と辞退したが、腹の音がそれを裏切った。結果として膳が用意され、与六は任務を優先しようとしつつも、場の流れに従い話を続けることとなった。

差し出された降伏文書
与六は本題として文書を差し出した。それは上杉謙信が織田家に臣従することを示す正式な降伏文であった。静子は文面を慎重に読み込み、その内容が駆け引きではなく、覚悟を伴った決断であることを理解した。上杉家が戦わずに頭を下げるという選択は、戦国の常識から見ても異例であった。

岐阜城での報告と信長の判断
文書は岐阜城へ届けられ、織田信長の前でその内容が確認された。信長は即座に使者を呼び出し、与六に直接問い質した。与六は「御実城様の熟考の末の決断である」と答え、家臣としての立場を崩さなかった。

臣従の覚悟と人質の意味
信長は与六に対し、約定が破られた場合の覚悟を問うた。与六は迷いなく自らの命を差し出す意志を示し、その姿勢は臣従が形式ではなく現実のものであることを裏付けた。与六はそのまま静子の邸に留め置かれ、保護と人質の両義的な立場に置かれることとなった。

静子の受け止め方
静子は、上杉謙信が武名や誇りよりも越後の存続を選んだ結果であると受け止めた。敗れてから降るのではなく、価値を保ったまま頭を下げるという判断は、冷酷でありながら合理的であった。ここで描かれるのは戦の勝敗ではなく、為政者が下した「選択」の重さである。

独座する信長の内省
広い座敷に独り座した信長は、静かに思考を巡らせていた。背を向けた構図と無言の間によって、外部との対話はすでに終わり、判断の段階に入ったことが示されている。

武田討伐の達成
信長の独白として、「武田を倒し」という認識が示される。これはすでに成し遂げた事実として扱われており、誇示ではなく、冷静な戦果確認として描かれている。

上杉の動向への評価
続けて「上杉までをも配下に治めたか」という言葉が浮かぶ。ここでの上杉は、完全制圧ではなく、臣従という形で勢力下に収めつつある段階として認識されている。

満足ではなく、未完の自覚
信長は小さく歯を鳴らし、「未だだ」「未だ未だ」と自らに言い聞かせる。大きな成果を得ながらも、それを最終地点とは捉えていない姿勢が強調される。この場面では歓喜や嘲笑は描かれず、むしろ覇業が途上にあるという自己認識が前面に出ている。

九十二幕 知己 

上杉謙信の降伏が各地に波及
上杉謙信の降伏は、各方面に大きな衝撃を与えた。作中では複数の有力者の反応が示され、特に反織田勢力の中核である本願寺が強く動揺した様子が描かれている。上杉という大勢力の臣従は、情勢が決定的に織田優位へ傾いたことを意味していた。

和睦を申し入れる勢力の出現
信長のもとには、和睦を申し入れる動きが届く。岐阜城の描写とともに、対立を続けるよりも従属を選ぶ勢力が現れ始めたことが示され、戦局が「戦う段階」から「整理される段階」へ移行しつつあることが強調される。

独座する信長の冷静な評価
信長は広間に独り座し、上杉の件を受けて現状を見渡す。「くっくっく」「大慌てだな」と語るが、それは勝利に酔った笑いではなく、敵勢の動きを冷静に見下ろす観察者としての反応である。「臣下の礼も済んでおらぬ」という言葉からも、彼が形式や順序を重視していることが分かる。

時間を得たことへの認識
信長は、和睦を受け入れることによって「奴らに時間を与えることになる」と理解した上で、それでもなお選択肢として成立すると判断している。ここでは感情的な快楽や嘲弄は描かれず、政治的・戦略的な視点のみが前面に出ている。

次を見据える視線
最後に描かれる山並みの遠景は、信長の関心がすでに次の局面へ向かっていることを象徴している。上杉の降伏は通過点に過ぎず、覇業はまだ途上であるという認識が、静かな余韻として残されている。

春日山城出立と上洛行
上杉謙信は精鋭五千を率いて春日山城を発ち、岐阜へ向かう。形式上は織田家への臣下の礼を取るための行軍であるが、謙信自身は信長と本願寺の和睦を全面的には信じ切っていなかった。そのため、行軍には足満や近衛前久といった側近が同行している。

道中に生じる違和感と軽口
行軍の途上、謙信は漠然とした違和感を覚えていた。一方で足満と近衛前久は並走し、皮肉と軽口を交わす。足満は常に苛立ちを隠さず、前久はそれを面白がるようにからかう。この二人の関係は険悪に見えて、実際には遠慮のない友誼に基づくものであった。

神輿による進路妨害
道を塞ぐように神輿が置かれているのを一行は発見する。神輿は神が鎮座するものとされ、兵たちは神罰を恐れて足を止める。ここで行軍は一時停滞し、緊張が走る。

足満の判断と実行
迷いなく動いたのは足満であった。足満は神輿を神聖視せず、障害物として即断する。「捨ててしまえ」という判断のもと、神輿を道から排除し、崖下へ落とす。兵たちはその行動に動揺するが、足満は一瞥もくれず行軍を再開する。

神威への恐れと対比
周囲の兵や武将が神罰を畏れる中、足満だけは神仏に対する恐怖や敬意を一切示さない。その態度は異端的であり、同行者たちに強い印象を残す。一方で近衛前久は、その姿勢を当然のものとして受け止めていた。

謙信の内省
足満と前久のやり取りを見た謙信は、彼らの関係を眩しげに見つめる。利害や立場を超えて本音で言葉を交わせる友の存在を、謙信は羨ましく感じていた。自身にはそうした友がいないという自覚が、静かに胸をよぎる。

行軍の継続と覚悟
障害を排した一行は、再び西へ進む。神威も世俗的な評判も切り捨て、目的のために進むという姿勢が、足満の行動を通じて明確に示された。謙信はその現実を受け止めた上で、岐阜へ向かう覚悟を新たにする。

新静子邸周辺の植生確認と静子の感覚

静子は新静子邸周辺で、カカオ、コーヒー、ライチ、マンゴスチンなどの植生を確認していた。いずれも順調に育っているものの、自生地と比べて生育速度が大きく変わらない点に違和感を覚え、環境要因やストレスが成長に影響している可能性を考え始める。木の香りや空気に触れながら、戦や鉄砲とは無縁だった日々を思い出し、静子は一時的な安堵を得ていた。

与六の合流と日常への引き戻し

静子が森の中で思索に沈んでいると、与六が合流する。与六は静子の立場を気遣い、無防備な外出を咎めつつも、軽い調子で会話を交わす。静子は与六の指摘に渋々同意し、二人のやり取りは新静子邸での穏やかな日常を象徴するものとなっていた。

新築祝いが宴へと変質する兆し

静子は新築祝いを「軽く」済ませるつもりでいたが、屋敷には祝儀の品が次々と集まり、事態は想定外の方向へ進む。倉には贈答品が積み上がり、表向きは控えめな祝いであっても、周囲の認識はすでに大規模な祝宴であった。

馬廻衆の動きと警備の現実

前田慶次、可児歳三、森長可(勝蔵)の三名は、静子の馬廻衆として動いていた。宴の規模拡大を察した勝蔵は警備体制の厳格化を意識し、歳三は即応可能な配置を取る。一方、慶次は場の緊張を察しつつも、それを意図的に崩すような振る舞いを見せ、結果として場の空気を和らげていく。

上杉勢来訪と宴の不可避性

上杉勢の来訪が確定すると、静子はもはや内輪の祝いでは済まないと悟る。警備は一段階引き上げられ、邸内は厳戒態勢に入るが、それでも宴を避ける選択肢は存在しなかった。慶次は「どうせ大宴会になる」と笑い、歳三は淡々と準備を進め、勝蔵は全体を引き締める役に徹する。

軽い祝いのはずだったという静子の独白

静子は当初「軽く祝うだけ」と考えていた自分の見通しの甘さを内心で認める。新静子邸を中心に人と物が集まり、彼女の意思とは無関係に状況が動いていく現実を前に、静子は静かに覚悟を固めるのであった。

信長と本願寺の密約成立

1573年5月、信長は本願寺と和睦を結んだ。武田討伐を終えた直後の判断であり、表情からは迷いのなさがうかがえた。この和睦は単なる停戦ではなく、信長側が主導権を握った上での条件提示であった。

本願寺での条件協議

本願寺では、織田から提示された和睦条件が検討された。条件は各地の道路整備や経済発展への出資であり、表向きは双方に利益がある内容であったが、実質的には織田の影響力を各地に浸透させるものであった。

通貨発行権という異質な要求

協議の中で、織田家が通貨発行権の承認を求めていることが明らかとなった。当時流通していた通貨は劣化が進み、限界を迎えていたとはいえ、通貨発行は国家権力の根幹に関わる異例の要求であり、本願寺側はその真意を測りかねていた。

織田の狙いへの疑念

本願寺側は、織田が領土拡張や賠償金を求めてこなかった点に違和感を覚えた。武力による正面突破ではなく、経済と制度から支配する意図があるのではないかという疑念が共有される。

武田滅亡と上杉の従属

信長は武田を一日にして葬り、戦わずして上杉を従わせたと語られる。その結果を前に、本願寺側は織田の手法が従来の戦国の常識から外れていることを再認識する。

鍵を握る人物の存在

議論の中で、織田の背後に「鍵を握る人物」が存在することが示唆された。武力でも外交でも説明がつかない一連の動きの中心に、特定の存在がいる可能性が浮上する。

近衛静子への注視

その人物として名前が挙がったのが近衛静子であった。全てにおいて優れた能力を持つ存在として認識され、本願寺側は彼女を軽視すべきではないと判断する。

弱点を突く方針の決定

織田家を正面から武力で攻めることは不可能と結論づけられ、本願寺は方針を転換する。近衛静子を重点的に注視し、弱点を突き崩すことで状況を打開する策が選ばれた。

九十三幕 歓迎

岐阜城での対面と時代背景の提示
1573年6月、岐阜城。重厚な城郭描写とともに、舞台が織田信長の本拠であることが明示される。城内では家臣団が整然と列座し、異例の来訪を迎える緊張感が支配していた。

上杉謙信の登場と空気の変化
上杉謙信は正装で姿を現し、堂内の視線を一身に集めた。その表情は厳しく、感情を抑えたものであり、この場が儀礼ではなく政治的決断の場であることを示していた。

信長と謙信の沈黙の応酬
信長は上座に座し、謙信を静かに見据える。言葉は最小限で、互いの力量と覚悟を測る沈黙が続く。両者の視線の交錯が、この会見の本質が対等な交渉ではなく、歴史の転換点であることを強調する。

謙信の決断と臣従の所作
謙信は畳に手をつき、深く頭を下げる。形式上の臣従を示す明確な所作であり、この瞬間をもって越後の立場が決定的に変化したことが示された。「またひとつ大きく歴史が動いた」というモノローグが、その重みを言語化する。

日本列島図による勢力構造の可視化
地図描写によって、織田の支配が越後にまで及んだことが示される。これにより、日本の中心に織田・徳川・上杉の壁が成立し、三国が連なる構造が成立したことが示唆された。

信長の勢いと時代の加速
信長の勢力はここからさらに加速すると語られる。一向宗などの反信長勢力は、もはや個別の抵抗では対抗できない局面に追い込まれつつあることが、旗印や構図によって暗示される。

謙信の内面と覚悟の強調
謙信は「騙るなかれ」と自らに言い聞かせるような表情を見せる。これは屈服ではなく、時代を見据えた選択であることを示す描写であり、武人としての矜持が完全に失われたわけではないことが示されている。

儀式の完了と新秩序の成立
臣従の儀が終わり、場は静かに収束する。派手な歓声や祝賀は描かれず、淡々とした空気の中で、新たな秩序が成立したことだけが確定事項として残された。

尾張・新静子邸の全景

尾張に築かれた新静子邸の全景が描かれ、山と田畑に囲まれた広大な敷地と、大規模な屋敷構えが示される。静子の拠点が並の屋敷ではないことが視覚的に強調される。

来客の到着と静子の迎え

静子は来客を笑顔で迎え入れ、丁寧な挨拶を交わす。新居披露の場として、正式に客を迎える雰囲気が整えられている。

上杉謙信一行の参加

上杉謙信が家臣を伴って姿を見せ、静子に対して礼を尽くした挨拶を行う。場は内輪の集まりという枠を越え、名だたる武将が集う宴へと変化していく。

屋敷への感嘆と宴への期待

客たちは屋敷の立派さに感心しつつ、自然と料理や酒の話題へと移っていく。静子のもてなしへの期待が率直な言葉として交わされる。

大規模な酒宴の始まり

宴は次第に人が増え、広間には多くの武将が集まる大規模な酒宴となる。酒と料理が次々と運ばれ、場は一気に賑やかさを増していく。

宴の盛り上がり

会場では杯が交わされ、笑い声と掛け声が飛び交う。酒が足りないと不満を漏らす声や、さらに料理を求める声が上がり、宴は勢いを増していく。

静子の対応と距離感

静子は宴に完全には沈み込まず、騒ぎすぎないように釘を刺しつつも、多少の酒には付き合う姿を見せる。主催者として場を制御しながらも、空気を壊さない立ち位置を保っている。

馬廻衆による警備

宴の裏では、静子の馬廻衆である前田慶次、可児歳三、森長可(勝蔵)が警備に当たっている。騒がしい宴の最中でも警戒を怠らず、場の安全を支えている。

静子邸の静かな夜と甘味の時間

夜の静子邸はすでに宴の喧騒を離れ、建物の外観だけが静かに描かれる。静子は一人で甘味の時間を楽しんでおり、用意していたのはクサイチゴを使ったショートケーキであった。酸味のあるクサイチゴをジャムにし、生クリームと合わせたもので、静子自身が「最高」と感じる出来栄えである。

ケーキは来客用として多めに作られており、並んだホールケーキを前に静子は作り過ぎたことを自覚する。それでも食欲は止まらず、もう一つ手を伸ばそうとした瞬間、頭の中でふくよかな自分の姿が想像され、思わず踏みとどまる。

最後は屋敷全体を俯瞰する描写とともに、静子が小さく「だめだめ……」と自制する場面で締めくくられ、宴の余韻や権力構造の示唆ではなく、完全に私的で日常的な静子の姿が描かれている

女子衆の集まりと静子不在の違和感
静子邸の一角では女子衆の集まりが開かれていたが、当の静子は姿を見せていなかった。集まった女性たちはその不在を当然のように受け止めつつも、静子の立場や振る舞いについて率直な意見を交わしていた。場は落ち着いているものの、静子を巡る評価と距離感が静かに浮かび上がっていた。

女の役割と静子の異質さ
女の務めとは何かという話題の中で、婚姻し子を成し家を支えることが当然とされる価値観が示される。一方で静子は、武田を倒し政にも功績を挙げながら、その枠組みに当てはまらない存在として語られた。女子衆の視点では、静子は有能であるがゆえに、かえって扱いに困る存在でもあった。

濃姫の独白と観察
場面は濃姫の専用の部屋へ移り、濃姫は静子について静かに考えを巡らせていた。静子は誰にも成し得ない成果を挙げ続けているが、それゆえに妬みや陰口、失礼な扱いを受けかねない立場にあると認識している。濃姫はその現状を冷静に分析していた。

感情の変化と静子への評価
濃姫は、以前よりも静子への妬みの声が減ってきていることに気づいていた。同時に、同情が集まり、場の空気が和らぎつつあることも理解している。静子という存在が、周囲の感情を変化させていることを濃姫は感じ取っていた。

要求の意図と狙い
濃姫は、静子に対して無茶とも思える高度な要求を繰り返してきた理由を振り返る。それは静子を追い詰めるためではなく、彼女が女社会の中で孤立しないための策でもあった。濃姫自身、その狙いが伝わったかどうかを静かに考えていた。

軽口と本音の境界
濃姫は「考えすぎだ」と自らを制しつつも、静子の反応を面白がる余裕を見せる。冗談めかした仕草の裏には、静子の身を案じる現実的な判断があった。静子を守るために策を巡らせていることが、さりげなく示される。

養子の話題と新たな波紋
最後に、信長の兄の子を静子の養子にするという話が示される。この一言により、静子の立場が個人の問題ではなく、家と社会を巻き込むものになりつつあることが明確になった。場の空気は一変し、次の展開を予感させて締めくくられる。

夜の静子邸と人の気配

夜の静子邸では宴が続いており、多くの来客が集まっていた。屋敷の広さと賑わいから、この場が私邸でありながら半ば公的な集会の場として機能している様子が描かれていた。明智光秀はその場で来客に声を掛けられ、対応に追われていた。

珠の油断と光秀の叱責

その頃、屋敷の外れでは小間使いの珠が職務を離れ、猫と戯れていた。そこへ光秀が現れ、仕事中であることを忘れている珠を厳しく叱責した。珠は慌てて謝罪し、他の小間使いが皆働いていることを指摘され、自身の失態を自覚した。

静子の介入と場の収拾

叱責の場に静子が現れ、光秀に制止を求めた。珠は深く詫び、静子は状況を受け止めつつ、その場を収めた。光秀は静子の言葉に応じ、叱責を終えて場を離れた。

慶次の登場と警備の報告

その後、警備を担当していた前田慶次が現れ、静子に報告を行った。屋敷内で不審者を捕らえたことが伝えられ、静子は事態を把握した。宴の裏で、屋敷がすでに警戒と統制を必要とする場になっていることが示されていた。

九十四幕 恩義

密書の確認と捕縛者の正体

静子は慶次と共に牢を訪れ、捕縛されている女の存在を確認した。慶次が差し出した文書によって、その女が重要な情報を握っていることが示唆されるが、静子自身は感情を表に出さず、静かに状況を受け止めていた。

武藤喜兵衛と武田陣営の敗北

話題は武田陣営の現状へと移り、武藤喜兵衛が大藤城で敗北したことが明言された。この敗戦は個人の失策ではなく、戦そのものが武田側の敗北であったと整理され、これ以上の流血を避けるための判断であったことが語られた。

真田家の立場と内部対立

真田家は武田家に従うべきだという主張があったものの、実際には反対派と大揉めしていた状況が示された。真田昌幸は主を強く諫めた結果、現在の立場に追い込まれたことが示唆され、家中の不安定さが浮き彫りになった。

捕縛された女の役割

牢に囚われた女は、真田家の反対派に属する間者であり、争いの中で重要な役割を担っていた存在であった。彼女は責を一身に負わされる立場にあり、その命が政治的判断の材料となっていることが示された。

静子の判断と距離感

静子は首級や即断即決を求められながらも、それを拒み、自身の判断で事を進める姿勢を示した。感情的な同情や敵意ではなく、状況全体を見据えた冷静な対応であり、慶次もまたその判断を静かに受け止めていた。

新居完成と一件の収束

最終的に、静子邸の新築祝いが無事に終わったことが描かれ、この一連の出来事はいったんの区切りを迎えた。捕縛者の処遇や真田家の問題は未解決の余地を残しつつも、表向きの混乱は収束した状態で幕を閉じている。

人質受け入れの正式決定

信長は上杉家との同盟関係の保証として、上杉景勝と直江兼続を尾張に留める決定を下した。二人は酒宴などを伴わない簡素な場で名を述べ、信長は形式的なやり取りのみでこれを了承した。この場面では歓待や私的交流は描かれず、政治的判断として淡々と処理されている。

尾張・技術町への場面転換

時代は天正元年六月中旬。舞台は尾張の技術町へ移る。ここでは絨毯の製作現場が描かれ、職人たちが実際に手を動かしながら技術を吸収している様子が示された。作業は地道であり、華やかな演出はない。

瑠璃による絨毯技術の共有

瑠璃は織機の前に立ち、かつて異国で培った経験をもとに、職人たちへ実地で指導を行っていた。彼女は威圧的な態度を取らず、丁寧で穏やかな対応を心がけており、その姿勢が周囲から好意的に受け止められていた。ここでは「教える者」と「学ぶ者」の関係が落ち着いた日常として描かれている。

技術伝承の評価と安定

職人たちは瑠璃の指導を高く評価し、作業の進捗も安定していることが示された。苦労の過去に触れる台詞はあるものの、感傷的な回想には踏み込まず、現在の成果に焦点が当てられている。

金属加工職人・弥一の紹介

場面は金属加工の工房へ移り、弥一が登場する。弥一は寡黙ながらも確かな腕を持つ職人として描かれ、基本技術を惜しみなく周囲に示していた。日常的な指導の積み重ねが、自然な技術共有につながっていることが強調されている。

労働環境と価値観の対比

弥一は作業後の会話の中で、奴隷時代と比べれば現在の待遇は雲泥の差であると語った。長時間労働ではあるが、自らの意思で働き、報酬を得られる現状を肯定的に受け止めている姿が描かれている。

尾張農園での紅葉の仕事

舞台は尾張農園へ移り、紅葉が温室内で植物を管理する様子が描かれた。紅葉はインド原産のニームを栽培しており、栽培記録を几帳面に付けていた。植物の成長過程を観察し、数値や変化を書き留める姿勢が強調されている。

ニームの特性と実験目的

ニームは害虫忌避効果を持つ植物として説明され、化学農薬に頼らない農業の可能性を探る対象として扱われていた。成功例だけでなく失敗も含めた記録が重要であると紅葉は理解しており、慎重かつ真面目に作業へ向き合っていた。

記録の意義と継続

紅葉は記録の細かさについて指摘される場面で、自身の判断ではなく将来の参考のためであると説明した。小さな変化も残す姿勢が評価され、作業は今後も継続されることが示唆されて締めくくられる。

静子邸書庫と虎太郎の役割

静子の邸内にある書庫では、虎太郎が大量の書物に囲まれながら翻訳作業を担っていた。虎太郎は語学能力に優れ、この時代の文法や語法の揺れにも対応できる存在として、静子の持ち込んだ電子辞書を補助に用いながら翻訳を進めていた。虎太郎は言語学者として翻訳を生業としてきた経歴を持ち、フランス語を中心にスペイン語やギリシャ語にも通じていた。

翻訳作業の進展と知識の蓄積

虎太郎の翻訳は順調に進み、区切りのよいところまで作業を終えたことで、静子に進捗を示す場面が描かれた。西洋由来の書物が机上に積み上がり、虎太郎自身もこれほど多くの珍しい書物を扱える機会を喜ばしいものとして受け止めていた。翻訳という行為そのものが知的探究であり、単なる作業ではないことが強調されていた。

地動説をめぐる対話の始まり

縁側で静子と虎太郎は地動説について語り合った。虎太郎は、太陽が動かず地球が回っているという考え方が逆だと言えば驚かれる時代であることを踏まえつつ、静子の理解力に驚きを見せた。静子はその概念を自然に受け止め、「地動説」という言葉を口にすることで、会話の核心に踏み込んだ。

古代から近代への天文学史の整理

虎太郎は、天体が地球の周囲を回るという考えが近代まで常識であったこと、紀元前2世紀のアリスタルコスが地動説を提唱していたこと、そしてコペルニクスにより再び理論として整理された経緯を説明した。当時最新の観測技術や計算方法によって検証が進んだ一方で、宗教的世界観との対立が問題を生んだ点にも言及していた。

科学の進歩と実証への意志

静子は理論だけでなく実証の重要性を示し、時間はかかるものの観測機材を手配する意志を明確にした。虎太郎は静子がすでに多くを知っていることに内心驚きつつも、その提案を前向きに受け止めた。望遠鏡の性能が課題であることも共有されるが、それでも科学の進歩を早めたいという静子の姿勢が印象づけられていた。

管理と役割分担への現実的な視点

会話の締めくくりでは、静子が虎太郎に対して今後の協力を求め、虎太郎も翻訳と研究の継続に意欲を示した。一方で静子は管理職としての負担の大きさを自嘲気味に語り、理想と現実の両立に向き合う姿を見せて場面は終わっている。

尾張近郊の整備事業と休日制度の導入

1573年6月下旬、尾張近郊では街道整備を中心としたインフラ整備が進められていた。従事者の負担軽減を目的として、静子の提案により月一回の試験的な休日制度が導入される。現場では当初戸惑いも見られたが、休日前後の楽しみや慣れを口にする者も現れ、制度は一定の効果を示していた。

前例のない制度と静子の評価

明治以前の日本において明確な休日制度は存在せず、この試みは極めて異例であった。休み明けの疲労や夜の騒がしさといった問題点も語られるが、労働者の生活安定と生産性維持を目的とする施策として、静子の判断は受け入れられていた。

岐阜城での報告と異変

静子は制度の報告のため岐阜城を訪れる。休日制度は概ね順調に機能しており、報告自体は簡潔に済む内容であった。しかし、城内では異様な緊張感が漂っており、最近は上機嫌であったはずの信長が、激しい怒りを露わにしていた。

九十五幕 愚息

信長の激怒と抜刀

静子が居合わせた場で、信長は刀を手にし、明確な殺意を示すほどの激怒を見せる。その矛先はその場にいた人物に向けられ、「その首、刎ねてくれる」と断言するほどであった。

静子の制止

事態を前に、静子は恐怖を覚えながらも信長の前に立ち、「お許しを」と叫んで制止に入る。場面は緊迫した空気のまま続き、静子の行動がこの衝突にどう影響するかは描かれないまま幕を閉じる。

信長の激怒と岐阜城の緊張

信長は岐阜城において激怒しており、刀を手にして親族に斬首を示唆するほど感情を荒らげていた。畳は乱れ、倒れ込む者もおり、場はすでに制止寸前の状況であった。静子はその場に居合わせ、事態の深刻さを即座に理解した。

静子の諫言と信長の制止

静子は恐怖を抑えつつ、「過度なお怒りはお体に障る」と信長に進み出て諫言した。信長は即座に反応し、静子に邪魔をするなと一喝するが、最終的には刀を納め、場の殺気は一応収束した。この場面では、刀を持っているのが信長本人であることが明確に描かれている。

親族への処断予告と猶予

信長は怒りを抑えつつも、問題を起こした親族に対し、状況が改善されなければ親子の縁を切ると明言した。ただし即断は避け、期限として「半年」を与える判断を下した。この猶予は情ではなく、統治者としての最終判断として示されている。

静子の立場と発言の重み

静子は恐怖に震えながらも、その場に留まり、信長の言葉を受け止め続けた。信長もまた、静子の存在を排除せず、結果的にそのまま話を続ける姿勢を見せた。このやり取りにより、静子が単なる報告役ではなく、意見を述べる立場にあることが視覚的に示されている。

伊勢開発の遅延と信長の苛立ち

話題は伊勢へと移り、信長は伊勢の開発が遅れている現状に強い不満を示した。信長はすでに伊勢の海運を掌握しており、尾張と伊勢を結ぶ街道整備が進まないことを問題視していた。

遅延の原因と現場の混乱

伊勢および尾張では、戦の影響で作業が停滞し、工事の遅れが積み重なっていた。信長自身も本心では勢力を抑え込みたいが、現実的には足を取られ続けている状況であることが示される。

静子への問いかけと次の段階

信長は状況を整理したうえで、静子に対して今後についての意見を求める姿勢を見せた。静子は一度は「本日は休日制度の報告を」と切り出すが、信長はそれを後回しにし、より根本的な問題について話を進めようとするところで場面は締めくくられる。

岐阜城での謁見と信長の激怒

静子は報告のため岐阜城を訪れたが、信長は珍しく苛立ちを露わにしていた。刀を手にし、近頃上機嫌だった様子とは一転した空気が漂っていた。
信長は静子の説明に耳を傾けつつも、その内容が直感的に理解しがたいものであることを率直に示し、「この後どう展開するのか」と問いを投げかけた。

貨幣と信用の関係についての説明

静子は、金銀そのものを使わずに経済を回すという考えが誤解されやすいことを認めたうえで、金の発生と信用の仕組みについて説明を始めた。
中世ヨーロッパでは金細工職人が金を預かり、預かり証を発行していたこと、その預かり証が市中で流通し、物やサービスとの交換に使われるようになった経緯が示された。

預かり証の流通と信用創造の発生

預かり証は金そのもの以上に流通し、やがて実際には存在しない金額分の証書が使われ始めた。
金細工職人は、すべての預かり証が同時に金へ引き換えられないことに気づき、預かっていない金まで貸し出すようになった。
この瞬間に、信用を背景とした「お金」が生み出されたことが示される。

現代銀行制度との接続

静子は、この仕組みが現代の銀行と本質的に同じであると説明した。
銀行は通帳に数字を記すだけで貸付を行い、理論上は無限に信用創造が可能だが、実際には制度と管理によって制限されている。
日本政府が円を発行する際も、手続きは異なるが、同様に「無から生み出される」構造であることが語られた。

信長の理解と評価

信長は、この仕組みが机上の空論ではなく、既に異世界や現代で行われてきた現実であることを認識した。
金の裏付けを必要としない信用による貨幣創造に強い関心を示し、「面白い」と評価した。

新通貨構想と具体策

静子は、いきなり紙幣を発行するのは無理があるとし、まずは金銀を用いた新貨幣の鋳造を提案した。
同時に銀行制度を整備し、信用を段階的に育てることで、安定した通貨供給を目指す方針が示された。
偽造防止のため、紙幣への切り替えを将来的に宣言する構想も語られた。

経済拡大への展望

貸付によって事業者が活動を拡大し、借金を返せば再び貸付が行われる循環が生まれることで、織田領内の民間事業が活性化する見通しが示された。
さらに、中央銀行的な立場で信長自身が通貨発行権を行使すれば、経済発展の速度は飛躍的に高まると静子は述べた。

信長の最終判断

信長は慎重さを求めつつも、新通貨発行の時機が到来していることを理解した。
質の悪い永楽銭が市場から駆逐されつつある現状を踏まえ、「今こそ新通貨発行の時」と結論づける場面で、この一連の説明は締めくくられる。

七月の穏やかな日常

天正元年七月、静子は領内で比較的穏やかな日々を過ごしていた。狼と戯れ、畑仕事に励み、教育や政務を担う者たちも成長を見せていた。信長から一定の裁量を任されていることで、静子の精神的負担は軽減され、束の間の平穏が描かれる。

夏の暑さと体調の異変

夏の暑さの中、静子は作業を続けるが、ほどなく体に異変を覚え、発熱と倦怠感に見舞われた。周囲は異変を察知し、静子を休ませる判断を下す。これは重病ではなく、疲労と暑さによる一時的な症状であった。

前田慶次と森長可の描写

療養の場面では、馬廻衆の前田慶次と森長可(勝蔵)が上半身裸の姿で登場する。両者は武闘派として並び立つ存在であるが、兄弟ではなく、血縁関係もない。単に同じ馬廻衆として行動を共にしているに過ぎない。

戦の気配と信長の判断

穏やかな時間の裏で、情勢は確実に戦へと傾いていた。信長は浅井・朝倉との対決を見据え、決断の時が近いことを示唆する。私情や評判ではなく、あくまで武として、そして政として動く覚悟が語られる。

時代の転換点

信長は「これからは上様の時代」と語り、既存の秩序が終わり、新たな時代が始まることを明確にする。周囲はその言葉の重みを理解し、静子もまた、自身が再び戦に関わる段階へ入ったことを自覚する。

嵐の前の静けさ

最後に描かれるのは、完全な決起ではなく、あくまで直前の静けさである。冷やす、休む、備えるという日常的な行為の中に、これから始まる大きな動乱の気配が重ねられていた。

織田軍の布陣と総大将信長

天正元年七月下旬、織田軍は軍勢を整え、明確な戦時体制へと移行していた。信長は自ら総大将として前面に立ち、軍の結束と覚悟を示す姿を見せていた。その威圧的な存在感は、周囲の将兵に対し、今回の戦が容易なものではないことを無言のうちに示していた。

浅井・朝倉との対峙と戦意の表明

織田方では、浅井・朝倉との決戦を視野に入れ、長期戦も辞さぬ構えが取られていた。戦を終わらせるための準備が進められ、信長はこの戦いに明確な終止符を打つ意思を固めていた。兵の動員や陣の展開からも、消耗戦を覚悟した本気の布陣であることがうかがえた。

静子の動向と兵站への関与

静子は軍中にあって、戦闘そのものではなく、兵站や補給に関わる立場として行動していた。戦場の最前線に立つことはないものの、軍の継戦能力を支える存在として重要な役割を担っていた。戦が長引く可能性を前提に、補給面での準備が進められていたことが示唆されている。

出陣命令と織田軍の前進

最終的に織田軍は出陣を開始し、馬廻衆を含む兵が整然と進軍する。静子もまた、その流れの中で軍と共に前へ進む立場に置かれていた。戦いが不可避であることを前提に、織田軍は一斉に行動を開始し、決戦へと向かう段階に入ったのである。

同シリーズ

戦国小町苦労譚 シリーズ

漫画

戦国小町苦労譚 11巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 11巻の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 12巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
漫画「戦国小町苦労譚 越後の龍と近衛静子 12巻」の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 13巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 乱世を照らす宰相 13の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 14巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 乱世を照らす宰相 14の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 15巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 治世の心得(15)の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 16巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 忍び寄る影 16の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 17巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 忍び寄る影 17の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚18巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 忍び寄る影 18の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚18巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 忍び寄る影 19の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。

小説版

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戦国小町苦労譚 1 邂逅の時の表紙。
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戦国小町苦労譚 2巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 2 天下布武の表紙。
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戦国小町苦労譚 3巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 3 上洛の表紙。
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戦国小町苦労譚 4巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 4 第一次織田包囲網の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 5巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 5 宇佐山の死闘と信長の危機の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 6巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 6 崩落、背徳の延暦寺の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 7巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 7 胎動、武田信玄の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 8巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 8 岐路、巨星墜つの表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 9巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 9 黄昏の室町幕府の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 10巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 10 逸を以て労を待つの表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 11巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 11 黎明、安土時代の幕開けの表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 12巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 12 哀惜の刻の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 13巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 十三、第二次東国征伐の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 14巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
戦国小町苦労譚 14 工業時代の夜明けの表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 15巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
『戦国小町苦労譚』15の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 16巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
『戦国小町苦労譚』16の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 17巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
『戦国小町苦労譚』17の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。
戦国小町苦労譚 18巻の表紙画像(レビュー記事導入用)
『戦国小町苦労譚』18の表紙。
あらすじと考察は本文で詳しく解説。

その他フィクション

e9ca32232aa7c4eb96b8bd1ff309e79e 漫画感想(ネタバレ)「戦国小町苦労譚 17 風林火山(81話~85話)」
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漫画感想(⚠️ネタバレあり)「薬屋のひとりごと 21巻 88話~93話」

薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 20レビュー
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ まとめ
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 22レビュー

物語の概要

本作は宮廷ミステリー×歴史ファンタジーの漫画作品である。後宮に売られた薬師の少女・猫猫(マオマオ)が、薬理知識と洞察力を武器に数々の謎を解き明かしながら、帝国内での立場と運命を切り拓いていく姿を描く。第21巻では、猫猫が後宮を離れて花街へ戻った後、蝗害(こうがい)という国家的危機を防ぐ方法を記した古い図録を求め、子一族の砦にあった最後の一冊を探し求める展開となる。国家の命運が懸かる大きな謎を前に、猫猫の知識と推理がより大きな役割を果たす。

主要キャラクター

猫猫(マオマオ)
本作の主人公である薬師の少女。後宮で薬や毒の知識を駆使して様々な事件を解決してきた。冷静な観察力と専門的な薬理知識を武器に、国家危機を解く鍵を見出す。

壬氏(ジンシ)
帝の側近にして有力な宦官。猫猫の能力を評価し、彼女と行動を共にすることが多い人物。猫猫に難事件の解決を依頼する役どころでもある。

物語の特徴

本作の最大の魅力は、宮廷内のミステリー解決と薬理学的知識の融合である。主人公・猫猫は単なる謎解き役ではなく、専門知識を駆使することで“人間と国家の危機”を解決する。後宮という閉ざされた空間での陰謀や政治的駆け引きに加え、疫病や蝗害といった国家的レベルの危機が絡むことで、物語は単なる恋愛や人間ドラマを超えたスケールへと拡大する。

書籍情報

薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 21
原作: 日向 夏  氏
作画: 倉田三ノ路  氏
キャラクター原案: しのとうこ 氏
出版社:小学館(サンデーGXコミックス)
発売日:2025年12月19日
ISBN:978-4091582089

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あらすじ・内容

超絶ヒットノベルコミカライズ第二十一弾!
後宮から花街へと戻ってきた猫猫。国を滅ぼす天災・蝗害を防ぐ方法を知るため、猫猫は子一族の砦にあった図録を手に入れようとする。最後の一冊が隠されていた場所とは…!?

薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 21

感想

猫猫の素敵な笑顔が見れる21巻。
悪辣な事を考えると笑う癖はもう直せないだろう(面白いし)。
下町言葉とこの悪辣な顔、なかなかに居ないヒロイン像だと思う。
うん、嫌いじゃ無い。むしろ好きだ。

笑顔を見れるシーンは娘が病気で診断してくれと金を持って無さそうな男から証文に血判を捺印させた時。(笑顔1)
あと、左膳がヒントらしき事を呟いた時も笑顔であった。
瞳孔がガン開きだったが口は笑っていた。

さらに、壬氏にイナゴ料理を食べさせようと企み、壬氏に「お食事をして帰られてはいかがでしょうか?」と言ったシーン。
その後のコマで高順の表情が素晴らしい。
普通ならそうなる。
それを黙って受け入れる壬氏が…以下自粛。

物語の核となるのは、子翠の置き土産とも呼べる虫の本。
蝗害への対策となり得るのか、というのが戦略的なテーマとなった。
その可能性を確かめるため、壬氏たちが各所を奔走し、猫猫が一つひとつ謎を切り拓いていく流れが今後も続いて行くのだろう。
猫猫の知識と推理が前に出る構成であり、問題解決の過程が露呈して行く演出が良い。

同時に、背景には他国の影がちらつくのも不気味。単なる国内の出来事に収まらず、外からの影響が静かに差し込まれることで、世界の広がりが自然に感じられる点が巧妙だと思えた。
まだ全体像は見えないが、だからこそ想像が膨らむ。
もしかすると杞憂かも知れない事を含めて謎は多い。
さらに急に出てきた、白蛇仙女の正体は何者なのか。
麦角のクッキーをばら撒いた連中の意図はどこにあるのか。
どれも即答を与えず考える余白を残す構成も楽しい。
その余白が不安と期待を同時に育てる。

個人的に気になるのは、相変わらず掴みどころのない猫猫の好みの男である。匂わせはあるが、決定打はない。
だが、その曖昧さこそが猫猫らしく、物語の重心を恋愛に傾け過ぎない抑制として機能しているように思うというより、猫猫は他人に興味がないのだろうとも思っている。

総じて本巻は、謎が解けた爽快感よりも、「まだ先がある」と静かに告げる力を持つ一冊であった。
読み終えたあと、小説版五巻から続きを読み返したくなるのも自然な流れであろう。
いや、1巻から順に読むか?

最後までお読み頂きありがとうございます。

薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 20レビュー
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ まとめ
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 22レビュー

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登場キャラクター

薬屋と長屋周辺

猫猫

薬屋としての技能を持ち、金と現実を基準に動く実務家である。伝承や噂を疑い、物の性質を観察と実験で切り分ける立場にある。趙迂や緑青館の面々、さらに宮廷側の依頼とも関わり、状況に応じて距離感を調整する人物である。
・所属組織、地位や役職
 薬屋。長屋住まい。
・物語内での具体的な行動や成果
 火鼠の皮衣の布を炭で試し、燃えない性質と石綿の可能性を示した。貧民街の少女を診て原因を毒性のある麦と流産に整理し、環境改善と移送を選んだ。図録の欠落から翠苓へ接触し、診療所に残された飛蝗資料へ辿り着いた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 噂や伝説を否定しつつも、結果として真相に近い解釈を組み立てる立ち位置を強めた。蝗害対策では、未然に潰すという発想を壬氏へ提示した。

趙迂

猫猫と同居し、日常の場面で強く反応する感情の動きを見せる人物である。猫猫の厳しさを目の当たりにしつつも、子どもへの気遣いを優先する面がある。
・所属組織、地位や役職
 猫猫の同居人。
・物語内での具体的な行動や成果
 古着屋で衣に惹かれつつ猫猫の実験を止めようとした。貧民の少女の件では同行し、猫猫の態度を「悪人みたいだ」と評した。飛蝗の場面では禿を連れて退場し、保護する側に回った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 蘇りの薬の影響として、半身不随と過去の記憶喪失が示唆された。

右叫

男衆頭として現場を回し、外の情報や裏の事情にも通じる立場である。猫猫に対しては、必要な場面で示唆を与え、動かす役割を担う。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の男衆頭。
・物語内での具体的な行動や成果
 見世物が続く背景に錬丹術の可能性を挙げ、猫猫に警戒を促した。貧民街の件では、裏のじいさんの末路の話が右叫の語りとして共有された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 表向きの力仕事だけでなく、噂の危険性や筋の悪さを嗅ぎ分ける影響力が描かれた。

左膳

下働きとして掃除を任され、周囲から評価されにくい側にいる人物である。一方で、研究部屋の冊数や内情を知る証言者として機能する。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の下働き。門前掃除担当。
・物語内での具体的な行動や成果
 図録が本来三冊あるはずの虫の分が一冊欠けていると断言した。じいさんの死と遺体処理が翠苓担当だった点を明かし、猫猫の行動を引き起こした。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 右叫の方針の下で「試される立場」にあり、猫猫から叱咤され掃除へ戻された。

裏のじいさん

貧民街の裏手に関わる存在として語られ、焼き菓子の件で悪影響の中心にいた人物である。
・所属組織、地位や役職
 貧民街の老人。
・物語内での具体的な行動や成果
 焼き菓子を与え続けた結果、指が腐り落ちた過去が語られた。少女と母の症状と結びつく要因として扱われた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 末路の話が警告として機能し、菓子の危険性を裏付ける材料となった。

貧民街の父親

娘の危機で夜中に猫猫を叩き起こし、支払い不能のまま懇願する人物である。追い詰められた末に証文と血判を差し出す。
・所属組織、地位や役職
 貧民街の父親。
・物語内での具体的な行動や成果
 診察を求めるが金がなく、証文と血判で支払いを誓った。少女の移送を最終的に受け入れた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 数日後も金を持参できず、現実として「売れるものを売る」選択が家族に迫った。

貧民街の姉

妹を守るために状況を理解し、自分が代わりに身を売る覚悟を口にする人物である。感情ではなく、沈む未来を避けるための選択として提示する。
・所属組織、地位や役職
 貧民街の姉。妹の保護者。
・物語内での具体的な行動や成果
 芋の入手や妹への食事の経緯を示し、原因究明の手掛かりとなった。金が用意できない現実を踏まえ、自分が働いて稼ぐ道を選ぶと明言した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 妹との別れを選び、自分の責任で踏み出す姿勢が強調された。

貧民街の妹

衰弱し、手足の冷えや変色などの症状を示す少女である。原因は焼き菓子由来の毒性と流産に整理され、移送と静養で回復へ向かった。
・所属組織、地位や役職
 貧民街の妹。
・物語内での具体的な行動や成果
 症状の観察対象となり、焼き菓子の摂取が鍵として扱われた。猫猫の家で静養し、数日後に歩けるまで回復した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 母の死と同型の経過が示され、被害の連鎖を象徴する存在となった。

緑青館

やり手婆

緑青館を回す実務の中心におり、場を強引に動かす人物である。猫猫に対しても命令と暴力で従わせ、意図的に空気を作る。
・所属組織、地位や役職
 緑青館のやり手。
・物語内での具体的な行動や成果
 壬氏の宿泊や部屋の手配を主導し、猫猫を泊める流れを作った。猫猫に「好みの男」を語らせる場を仕切り、紙や墨まで用意した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 猫猫が逆らいにくい圧を持ち、館内の人員を動員できる影響力が描かれた。

白鈴

緑青館の妓女であり、馬閃に過剰に接近して場を乱す人物である。興味を優先し、相手の反応を楽しむ側に立つ。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の妓女。
・物語内での具体的な行動や成果
 馬閃へ親しげに接し、退散を招いた。猫猫の「好みの男」騒動にも加わり、空気を煽った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 馬閃を「初物」と捉える発言があり、館内の価値観を象徴した。

女華

緑青館の妓女であり、男嫌いの気配と冷静な現実観を持つ人物である。最後に猫猫と二人になり、立場と心変わりの現実を語る。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の妓女。
・物語内での具体的な行動や成果
 猫猫の「好みの男」騒動の後に残り、男の移ろいやすさと、女郎とその子の立場を突きつけた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 猫猫の内面を言語化し、感情ではなく現実として整理する役割を担った。

梅梅

緑青館側の会話の起点となり、客足減少の原因として白蛇仙女の噂を共有する人物である。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の妓女。
・物語内での具体的な行動や成果
 女華と碁を打ちながら、見世物が高官の関心を集めている状況を語った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 館の不調を「外の娯楽」に結びつけ、猫猫の警戒を誘発した。

禿

緑青館の子どもとして場に居合わせ、飛蝗の給餌の光景で強い動揺を見せる。
・所属組織、地位や役職
 緑青館の禿。
・物語内での具体的な行動や成果
 壬氏が飛蝗を食べる場面に耐えられず泣き崩れ、趙迂に連れ出された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 子どもに過剰な刺激である点を、猫猫に自覚させるきっかけとなった。

宮廷と周辺

壬氏

王氏として薬屋に滞在し、蝗害対策の相談相手となる人物である。嫌悪を示しながらも責務として受け止め、猫猫の提案に向き合う。
・所属組織、地位や役職
 王氏として扱われる立場。
・物語内での具体的な行動や成果
 被害地域を地図で示し、猫猫の見解を求めた。飛蝗料理の案に葛藤しつつも最終手段として受け入れ、実際に飛蝗を食べた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 診療所から押収された図録を猫猫へ渡し、飛蝗資料の発見に繋げた。

高順

壬氏の側近として同席し、場の衝撃に反応を示す人物である。
・所属組織、地位や役職
 壬氏の側近。
・物語内での具体的な行動や成果
 壬氏が飛蝗を食べた場面で手を震わせるなど、周囲の動揺を代表する反応を見せた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 馬閃が「高順の子」である点が示され、関係の背景として機能した。

馬閃

図録を持参して猫猫を訪ねるが、場の混乱で退散する人物である。期待していた内容が欠けている事実に直面する。
・所属組織、地位や役職
 高順の子として扱われる立場。
・物語内での具体的な行動や成果
 倉の図録を猫猫へ渡し、虫の図録欠落の疑いを強めた。白鈴の介入で動揺し、用件を果たせぬまま去った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 官名を避ける配慮が言及され、立場の繊細さが示された。

阿多

離宮に属する屋敷の家主として場に立ち会い、猫猫と翠苓の対話を静かに見守る人物である。男装で現れ、気配の強さが描かれる。
・所属組織、地位や役職
 元四夫人。皇帝の離宮に属する屋敷の主。
・物語内での具体的な行動や成果
 前置きを不要として対話に同席し、「あの子はとても聡い子だった」と言葉を残した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 隠居先に見えて実態はそれ以上の場所であると、猫猫に再認識させた。

翠苓

じいさんの助手であり、子翠の異母姉である。表に出られない立場を示し、師の現状や資料の処分を語る。
・所属組織、地位や役職
 じいさんの助手。子翠の異母姉。阿多に従う立場。
・物語内での具体的な行動や成果
 師が蘇りの薬を試したことを認め、温泉郷の寝たきり老人が師だと明かした。図録は本来十五冊で一冊欠けると述べ、研究資料の処分と左膳の関与を説明した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「いくら聡い子でも、もういない」と断じる態度が、猫猫の違和感と追跡を促した。

子翠

蝗の研究を担い、猫猫に手掛かりを残した存在として語られる。直接は不在だが、残した痕跡が事件を動かす。
・所属組織、地位や役職
 蝗の研究を担った人物。翠苓の異母妹。
・物語内での具体的な行動や成果
 診療所の本棚に図録を紛れ込ませ、猫猫が後から気付く形の手掛かりを残したと整理された。飛蝗に関する挿絵資料や書き込みが多い図録へ繋がった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 不在でありながら、最後の仕掛けが蝗害対策の核心資料の発見に直結した。

深緑

診療所閉鎖後の処遇として語られる女官である。後宮脱出を助けた側として重罪に問われた。
・所属組織、地位や役職
 女官。
・物語内での具体的な行動や成果
 自殺未遂の末に生き延び、罪人として捕らえられていると説明された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 診療所再開が「宦官の監視下」という形になった背景の一部となった。

羅門

右叫が「真似するな」と釘を刺された相手として言及され、錬丹術への距離を示す基準点となる。
・所属組織、地位や役職
 右叫が警告を受けた相手として登場。
・物語内での具体的な行動や成果
 錬丹術を危険として扱う文脈で名前が出た。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 具体的行動は示されないが、禁忌の線引きとして機能した。

羅の一族と同行者

羅半

羅の一族の一員で、軍師の甥であり養子でもある。損得勘定で動き、美しいものに価値を見る性質を持つ。
・所属組織、地位や役職
 羅の一族。軍師の甥で養子。
・物語内での具体的な行動や成果
 白蛇仙女の見世物へ猫猫を誘い、劇場へ同行した。表向きの理由を述べるが、猫猫に虚偽と切り捨てられた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 入場者の仮面や紗の意味を説明し、場の性質を言語化する役を担った。

陸孫

軍師の部下として行動し、軍師の「気になる」という一言を受けて見世物一団を調べていた人物である。猫猫の移動にも関わる。
・所属組織、地位や役職
 軍師の部下。
・物語内での具体的な行動や成果
 劇場の席選びや周囲の警戒を補足し、噂の存在を猫猫へ伝えた。別場面では馬車の扉を開けるなど、同行の補助役としても描かれた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「根拠がないことが多い軍師の勘」でも無視しない姿勢を示し、調査の実務側に立った。

見世物と噂の中心

白娘々

白蛇仙女として見世物の中心に立つ存在である。白い衣と白い肌、白い髪に、紅い唇と目が強烈な印象を残す。
・所属組織、地位や役職
 旅芸人一団の見世物の「仙女」。
・物語内での具体的な行動や成果
 劇場で白い靄と銅鑼の演出とともに登場し、観客の視線を一瞬で奪った。仙術や人心掌握の噂がつきまとい、都の高官の関心を集めた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 小さな見世物小屋から都の劇場へと規模が拡大し、花街の客足に影響する存在として扱われた。

展開まとめ

第八十八話 火鼠の皮衣

薬屋の閉店と帰宅の判断
夜になり、薬屋は灯りを落とした状態で閉店していた。客足はなく、灯油も無駄にできない状況であったため、営業を続ける理由はなかった。売上は管理役に預けられ、猫猫は帰宅を選択した。

あばら家での夕食と生活観
帰宅後、簡素な夕食が用意された。食事内容は質素で、肉類も最低限であった。趙迂は生活の厳しさに不満を示したが、猫猫は働いて稼げばよいという現実的な姿勢を崩さなかった。困窮時は手持ちの資源で凌ぐという価値観が示されていた。

寒さと住環境の問題
住居は隙間風が入り、暖を取るには不十分な状態であった。緑青館のような暖かさはなく、冬を越すには問題があることが明確であった。この環境を前提に、現状の改善が必要だと判断されていた。

衣類購入の提案
猫猫は翌日、着物を買いに行くことを提案した。寒さ対策として現実的な選択であり、住環境を即座に改善できない以上、身に着けるもので対応する方針であった。趙迂はその提案に即座に反応し、外出への意欲を見せた。

古着屋での衣探し
猫猫と趙迂は古着屋を訪れ、実用性重視で綿入れを探していた。店内には庶民向けの衣類が並び、贅沢とは程遠い品揃えであった。その中で、刺繍が施された上下揃いの白い衣装が目に留まった。

異質な衣装への違和感
その衣装は古着屋の品としては明らかに異質であり、上下ともに白く、装飾も過剰であった。趙迂は素直に美しさに惹かれたが、猫猫は用途や出自に疑問を抱き、現実的な視点で観察していた。

衣装に付随する伝承
店主はその衣装について、「天女が織った衣」であるという伝承を語った。西方の村に伝わる話として、泉に現れた美しい娘と、それを巡る出来事が説明された。話はあくまで昔話として語られており、事実かどうかは不明であった。

村娘と織物の逸話
語られた内容では、村人に助けられた娘が、不思議な文様の衣を織って恩返しをしたとされていた。その衣は非常に高値で売れ、村に富をもたらしたとされる。一方で、娘はやがて村を去り、村人はその行方を知ることができなかった。

婚姻と村人の選択
伝承の中で、村人は娘を村に留めようとし、最終的に嫁として迎え入れる判断をした。娘は拒否の意思を示したが、村人は聞き入れず、結果として婚姻が成立した形となった。

結末としての別れ
娘は婚姻後も涙を流し続け、やがて泉へ向かった。村人が後を追った時、娘の姿は消えており、泉には衣の一部だけが残されていた。村人は娘が元の場所へ帰ったのだと解釈した。

現実への引き戻し
話が終わり、店内に戻ると、その衣装が伝承の中で娘が織ったものだと説明された。趙迂は驚きを隠さなかったが、猫猫はあくまで「そういう話が付随している衣」であると受け止めていた。

天女伝説への懐疑
店主は天女伝説を信じるかと問いかけたが、猫猫は感情を交えず否定的な態度を示した。水に消えた天女という説明に対し、猫猫は一度人に裏切られた存在の行動として整理していた。

衣の異常性への着目
猫猫は衣に触れ、刺繍部分を含めた質感を注意深く確認した。見た目の豪華さだけでなく、布そのものが異様に丈夫である点に注目していた。

価格交渉と実験の提案
猫猫は「十倍の値で売れたらどうするか」と問い、今の価値は単なる古着であると位置づけた上で、炭を使った確認を提案した。趙迂が止める中、猫猫は実験を強行した。

燃えない布の実証
衣の上に炭を置いても、布は燃えず、焦げ跡すら残らなかった。周囲の人間は驚愕し、店主自身も想定外の結果に動揺した。炭で焼いても燃えないという事実が、衣の特異性を明確に示した。

素材の正体の指摘
猫猫はその布が「石で織られた布」である可能性を示した。草や木、虫由来ではなく、繊維状の石から作られた布であると説明し、古い時代の特殊な製法であることを補足した。

火鼠の皮衣という名称
東の島国では、このような石綿の布を「火鼠の皮衣」と呼ぶことがあると猫猫は語った。燃えない特性そのものが、天女伝説の根拠として語り継がれた可能性が示された。

価値の再定義
猫猫は、この衣は十倍の値で売れる可能性があるとしつつも、売却ではなく古着として譲り受ける選択をした。多くの人間がその正体を知らないため、価値が理解されていないことも指摘された。

伝説の否定と整理
一連の説明を終えた後、猫猫は天女の話を改めて否定的に扱い、衣の正体は伝説ではなく物質的特性によるものだと結論づけた。趙迂は話の落差に戸惑いを見せていた。

刺繍文様への着目
猫猫は衣の刺繍を改めて観察し、文様に文字のような規則性があることに気付いた。それは西方の文字が崩れた形であり、装飾ではなく意味を持つ記述である可能性が示された。

天女と呼ばれた娘の意図
猫猫は、天女と呼ばれた娘が故郷へ帰りたいと考え、その思いを刺繍によって衣に残したのではないかと整理した。村人に理解されない文字で記すことで、意図を隠したまま形にした可能性が示されていた。

伝説の成り立ちの整理
娘が婚礼の日に身を清め、泉で衣を濡らしたという話は、火に弱い状況を避けるための合理的な行動として説明された。木の器に水を満たし、乾くまで燃えない性質と同じ原理であると猫猫は捉えていた。

逃走計画としての衣
衣は燃えにくい素材で作られており、万一火を向けられても即座に危険に至らない構造であった。猫猫は、刺繍・素材・行動が一体となった周到な計画が存在していたと判断した。

なぜ店主に語らなかったのか
趙迂が疑問を口にする中、猫猫は伝説を否定する必要はないと結論づけた。浪漫が大事である以上、現実的な推論をわざわざ明かす意味はなく、結果として計画が成功した事実だけが残れば十分だと考えていた。

西方出身者への疑念
猫猫は、普通の村娘が石綿の知識や文字を扱える点に違和感を覚えた。西方は他国との争いが多い土地であり、知識と技術を持つ人物が流れ着く可能性は否定できないと考えた。

二人の特使の存在
猫猫の思考は、西方から来た二人の特使へと及んだ。行動や雰囲気が似通っている点から、天女と呼ばれた娘もまた、何らかの役割を持つ存在だった可能性が浮かび上がった。

結論としての距離感
猫猫は、それ以上の推測を「くだらない妄想」と切り捨てた。確証のない話を広げることはせず、衣と伝説をそのまま受け止める形で思考を終えていた。

第八十九話 麺麭がなければ

深夜の叩き起こし
夜更け、猫猫の家の戸が激しく叩かれた。現れたのは中年の男で、「薬屋」と呼びながら今すぐ来てほしいと懇願した。猫猫は布団から顔だけ出し、露骨に不機嫌な様子を見せた。

診察要求と即時の拒否
男は娘を診てほしいと訴えたが、猫猫はまず金の有無を確認した。男は支払いができないと認め、薬屋なのだから見捨てる気かと食い下がったが、猫猫は店ではない以上金はもらうと突き放した。

生活事情の突き付け
猫猫は、自分も長屋に住む貧乏人であり、無償で働く余裕はないと明言した。金がないなら帰れと告げ、戸を閉めようとしたことで男は追い詰められた。

血判による懇願
男は地面に膝をつき、子どもが病気であることを明かした。金は必ず払うと繰り返し、証文を書くことを申し出た。猫猫は墨と筆を持ってくるよう指示した。

証文の作成
男は証文に署名し、親指で血判を押した。内容は薬代を必ず支払うという約束であり、親指がない場合は別の指でも構わないと猫猫は淡々と確認した。

条件付きの承諾
証文を受け取った猫猫は、それでよいと判断し、診察を引き受けることを決めた。その際、仕方がないと小さく呟き、完全な善意ではないことを隠さなかった。

後味の悪さ
去り際、同行していた趙迂は猫猫の態度を「悪人みたいだ」と評したが、猫猫は否定も弁解もしなかった。必要な条件を満たしただけだという立場を崩さず、静かに準備を始めた。

路地裏への案内
男は猫猫を連れ、町外れの路地裏へと向かった。人通りは少なく、建物も荒れており、生活に余裕のない者が集まる場所であった。男は迷いなく進み、そこが目的地であることを示した。

あばら家と家族の状況
辿り着いたのは石と土に囲まれた簡素な住まいであった。中には衰弱した少女が横たわり、その傍らに姉が付き添っていた。父親は猫猫に診察を求め、切迫した様子を見せた。

少女の異変と初期確認
猫猫は少女の様子を観察し、呼びかけや触診を行った。意識はあるものの反応は鈍く、手足の冷えや変色が確認された。単なる寒さによる凍傷ではない可能性が示唆された。

生活環境と衛生状態
室内には排泄物の臭気が残り、清潔とは言い難い環境であった。猫猫は状況を冷静に受け止めつつ、ここで長期間生活してきたこと自体が体調悪化の一因であると判断した。

症状の整理
少女には手先の冷えと変色、痺れ、瞳孔の異常、反応の鈍さが見られた。発症は最近ではなく、数日前から徐々に悪化していたことが父親の証言から明らかになった。

母親の死と家族の不安
父親は、母親も同様の症状で亡くなった過去を語った。家族はその再来を恐れており、姉は妹を守ろうと必死であった。その言葉により、病状が一過性ではないことが強調された。

流産という判断
猫猫は原因を「流産」であると断じた。病ではなく、妊娠とその失敗による体内変化が、現在の衰弱を引き起こしていると説明した。父親はその言葉に動揺を見せた。

食事内容への疑念
猫猫は少女が口にしていた食事に注目した。ほとんど米も入らない粥であり、量を増やそうとして与えた食材が問題であると見抜いた。

隠されていた食べ物
姉が差し出したのは、芋であった。それは家族が密かに手に入れ、妹に食べさせていたものである。猫猫はそれを確認し、現在の症状と強く結びついていると判断した。

焼き菓子の味と違和感
猫猫は少女が口にしていた焼き菓子を舐め取り、砂糖の甘さとは異なる不自然な甘味を感じ取った。それは菓子としては過剰であり、日常的に与えるには不釣り合いなものであった。

入手経路の特定
猫猫は焼き菓子を「誰からもらったのか」を問い、同じものを口にして同様の症状が出た人物がいないかを確認した。その結果、裏のじいさんが関与していたことが判明した。

環境改善の必要性
猫猫は、あばら家の不衛生で悪臭のこもる環境では治療しても意味がないと断じた。原因を断たなければ回復は望めず、この場に少女を置く判断はできないと結論づけた。

少女の移送
猫猫は少女を連れて帰る決断を下した。右叫が運搬役を引き受け、父親はそれを見守る形となった。父親は当初反発したが、状況を理解し、最終的に娘を託した。

裏のじいさんの末路
右叫は、裏のじいさんの指が腐り落ちた過去を語った。最初は小銭を渡すだけの関係であったが、菓子を与え続けた結果、取り返しのつかない状態になったことが示唆された。

焼き菓子の正体
焼き菓子の原因は麦であった。薬にも使われる一方で、粗悪な麦には毒性があり、摂取すれば中毒症状を引き起こす。症状が進めば血行障害や麻痺、幻覚に至り、最悪の場合は死に至ると説明された。

母親の死との一致
少女の母親も同じ焼き菓子を口にしていたことが明らかになった。その結果、流産を起こし、命を落とした可能性が高いと示された。少女の症状は、その再現であった。

治療方針の確定
猫猫は、毒の摂取を即座に止め、あとは適度に体を動かすことが重要だと告げた。特別な薬ではなく、原因の排除と回復力に委ねる方針であった。

帰還後の対応
猫猫は礼として白米を受け取り、すぐに湯を沸かすよう指示した。少女は猫猫の家で静養することになり、徐々に回復へ向かう兆しを見せた。

証文への所感
猫猫は、男が書いた証文について考えを巡らせた。男が本当に取り立てに来るとは思えず、あの場の切迫した感情が生んだ行為であったと受け止めた。

数日後の回復と現実の確認
数日が経過し、保護されていた妹は歩けるところまで回復していた。姉は妹の状態を見て安堵する一方、父親が金を持ってこない事実を冷静に受け止めていた。金がない以上、現状を変えるためには何かを売るしかないという現実が突きつけられていた。

姉の申し出と覚悟の表明
姉は、自分が代わりに働けば高く売れると口にし、妹を守るために自ら身を差し出す意思を示した。それは衝動ではなく、状況を理解した上での選択であった。妹を泣き落としに使うつもりはなく、あくまで自分が前に出るという強い覚悟が語られた。

逃げ場のない現実と選択の重さ
このまま何もしなければ、二人は確実に泥沼に沈むと姉は理解していた。助けを待つだけでは何も変わらず、逃げても先はないという判断に至っていた。その選択は誰に強いられたものでもなく、自分で選び取るしかない道であった。

猫猫の静かな問いかけ
猫猫は姉の覚悟を否定も肯定もせず、感情を挟まずに問いを投げかけた。その選択が本当に自分の意思なのか、後戻りできない道であることを理解しているのかを確認するように向き合った。

姉の決断と責任の受容
姉は、自分で選び、進む道だと明確に答えた。妹を守るためであっても、最終的に選んだのは自分自身であり、その責任を負う覚悟があると示した。その言葉には迷いよりも決意が勝っていた。

妹との別れと踏み出す一歩
姉は妹を抱きしめ、先のことは分からないが前に進むと告げた。妹は状況を完全には理解できずとも、姉の気持ちを感じ取り、黙って見送るしかなかった。

準備としての助言
猫猫は、これから先に備え、まず身なりを整えるよう姉に告げた。髪を切り、汚れを落とし、商品として扱われる前提で最低限の準備をするよう淡々と指示した。それは冷酷ではなく、現実を直視した上での実務的な助言であった。

別れ際の沈黙
姉妹は玄関先で別れ、姉は自分で選んだ道へと歩き出した。猫猫はその背中を追わず、止めることもしなかった。選択の結果を引き受けるのは当人であり、他人が肩代わりできるものではないと理解していたからである。

二人で沈んだ街の記憶
猫猫は、この街で花開く者もいれば、二人一緒に泥沼へ沈む者もいることを思い起こした。姉妹がどちらになるのかは分からない。ただ、自分で選び、進んだ道であることだけは確かであった。

第九十話 最後の一冊

馬閃の来訪と図録の持参
薬屋に馬閃が訪れ、猫猫に対して持参した書物を差し出した。それは倉に保管されていた図録であり、虫や植物に関する記録が集められたものであった。猫猫は応対しつつ、彼が高順の子であることを踏まえ、表立った官名を使わない配慮がなされている点にも注意を向けた。

図録の内容確認と違和感
猫猫は図録を確認し、鳥魚や植物に関する記述は揃っているものの、本来あるはずの項目が欠けていることに気づいた。特に、馬閃が期待していた内容に該当する記述が見当たらず、誰かが意図的に持ち出した可能性が示唆された。保管中に抜き取られたという事実は、単なる管理不備では済まない問題であった。

欠落した一冊の正体
話を進める中で、欠けているのは「虫」に関する図録である可能性が浮上した。猫猫は、保管されていたはずの書物が誰かの興味によって持ち去られたと推測し、その行為自体が異常であると判断した。虫の研究は一般的に敬遠される分野であり、動機の存在が強く疑われた。

白鈴の介入と場の混乱
その場に緑青館の妓女・白鈴が現れ、馬閃に親しげに接近した。白鈴は肩に手を回すなど過剰な距離感で応対し、馬閃を動揺させる様子を見せた。周囲がざわつく中、猫猫は一歩引いた立場で状況を眺め、茶菓子を口にしながら事態を静観していた。

馬閃の退散と残された課題
白鈴の振る舞いに耐えきれなくなった馬閃は、図録を置いたまま薬屋を後にした。彼は用件を果たせぬまま退散する形となり、白鈴は「初物」を逃したことに不満を漏らした。一方、猫猫は欠けた一冊の存在を強く意識し、誰が、何のために持ち出したのかという新たな疑問を胸に刻んだ。

左膳の立場と男衆の序列

左膳は門前の掃除を任される下働きであり、男衆頭である右叫の方針によって半ば試される立場にあった。力も向上心も示さなければ解雇されるが、反発して仕事を覚えようとする者は引き立てられる。その中で左膳は鼻歌交じりに箒を持ち、どう見ても評価されていない側の男であった。

本の到着と冊数の違和感

猫猫は馬閃が持参した本を左膳に見せ、左膳が以前保管していた分と合わせて冊数を確認した。合計十四冊であり、数そのものは猫猫の記憶と一致していた。しかし内容を精査すると、蝗に関する記述が一切存在しなかった。

欠落した虫の図録

左膳は虫の図録が本来三冊あるはずだと断言した。現存していたのは二冊で、いずれも蝗に触れていない。つまり、猫猫が研究部屋を訪れた時点ですでに一冊は誰かに持ち出されていたことになる。この事実は、研究資料が意図的に抜き取られた可能性を示していた。

じいさんの死と研究の失敗

話題は猫猫の前任、通称「じいさん」に及んだ。左膳の証言によれば、じいさんは不老不死の薬の研究中、実験の失敗によって死亡したという。不死の薬を作るには段階的な実験が必要であり、その過程で危険な試行を重ねていた可能性が高かった。

人体実験への連想

猫猫は、趙迂に使われた蘇りの薬の不完全さを思い出し、成功率を高めるには動物実験だけでは足りないという現実に思い至った。鼠を使った実験の次に必要となるのは、人間での検証である。その考えに至った瞬間、猫猫は不自然なほど歪んだ笑みを浮かべていた。

遺体処理と翠苓の名

猫猫は左膳に、じいさんの遺体がどこで処理されたのかを問い詰めた。左膳はそれを翠苓が担当していたと明かす。翠苓はじいさんの助手であり、無表情な女として知られ、子翠の異母姉にあたる人物であった。その名を聞いた瞬間、猫猫は重要な点を見落としていたことに気づく。

気づきと行動

翠苓の正体と立場を理解した猫猫は、即座に行動を決めた。左膳を叱咤して掃除に戻らせると、本を布に包み直し、急ぎ薬屋へ戻って文をしたためる準備に入った。事件はすでに、単なる資料不足の段階を越えていた。

離宮への招集と出立

猫猫が書いた文は男衆を介して届けられ、翌朝には返事が戻った。迎えの馬車が用意され、猫猫は翠苓が身を寄せている元四夫人・阿多のもとへ向かうことになった。出立に際し、猫猫は図録を従者に預け、薬屋の戸を閉めた。

趙迂との別れと子どもたちへの配慮

出かける猫猫を見て、趙迂は同行をせがんだが、仕事であるとして猫猫はこれを拒んだ。阿多のもとには子の一族の子どもたちが集められており、接触を避ける必要があったためである。猫猫は趙迂を右叫に託し、その様子を見送りながら、趙迂の将来について思案を巡らせた。

貧民の娘と妓楼の現実

薬屋の周囲には、禿として試用中の貧民の娘もいた。父親が連れ戻そうと何度も現れていたが、娘自身の意思と楼の事情により追い返されていた。猫猫はそれを冷静に見つめつつ、まだ支払われていない代金のことを思い出し、内心で皮算用をしていた。

離宮の格式と装いの変更

阿多の屋敷は皇帝の離宮に属するだけあり、壮麗な佇まいであった。猫猫は馬車を降りる前に礼儀として着替えを命じられ、長い裳を汚さぬよう慎重に歩いた。庭園は庭石と砂利、苔が計算され尽くした美しさを湛えており、場所の格を如実に示していた。

阿多と翠苓との再会

案内された部屋には、家主である阿多と、もう一人の人物がいた。阿多は男装の姿で現れ、以前にも増して凛とした気配を放っていた。その一歩後ろに控えていたのが翠苓であり、彼女もまた男装し、無表情のまま阿多に従っていた。猫猫は、二人の姿を前にして、ここがただの隠居先ではないことを改めて認識したのであった。

第九十一話 聡い子

阿多立ち会いのもとでの対面
阿多は前置きを不要とし、猫猫と翠苓の対話に同席する立場を取った。猫猫は持参した虫の図録を卓上に並べ、師の遺した資料について翠苓に確認を行った。翠苓は、それらがかつて師が使用していたものであると認めたが、冊数が一冊足りないと指摘した。

欠けた一冊と翠苓の沈黙
図録は本来十五冊あったはずだと翠苓は述べたが、失われた一冊の所在については分からないと答えた。その態度に虚偽の兆しはなく、猫猫は嘘をつく理由も見出せなかった。翠苓はすでに子の一族と無縁の立場にあり、表に出られない身であることも語られる。

師の生存への確信
猫猫が師の所在を尋ねると、翠苓は一瞬だけ反応を見せた。その様子から、猫猫は師がまだ生きていると推測し、「蘇りの薬」を自ら試したのではないかと問いただした。翠苓はそれを認め、師が実験を兼ねて薬を服用したからこそ砦を脱することができたのだと語った。

蘇りの代償と趙迂の姿
翠苓は、猫猫に趙迂の現在の姿を思い出すよう促した。趙迂は蘇生したものの、半身不随となり、過去の記憶を失っている。それは単なる記憶喪失ではなく、古い記憶が削がれた結果であり、知らぬまま過去とすれ違っている可能性があると示唆された。

温泉郷の老人の正体
翠苓は、かつて猫猫が訪れた温泉郷にいた寝たきりの老人の一人が自分の師であると明かした。療養地である温泉郷では珍しくない存在だったが、その老人はすでに自分が何者であるかすら忘れていたという。もし健在であれば、子翠が事件を起こすこともなかったはずだと翠苓は語った。

子翠の行動と姉への想い
翠苓は、子翠が事を起こした理由に自分が関係していることを自覚していた。子翠はこの国の膿を出すと同時に、姉である翠苓を母から解放しようとしていたのである。その事実を前に、猫猫は複雑な感情を抱いた。

蝗の研究への行き詰まり
猫猫は最後の望みとして、師が研究していた蝗について尋ねた。しかし翠苓は、自身はその研究に関与していないと答えた。虫が苦手であり、蝗の研究はすべて子翠の領分だったためである。すでに子翠がいない以上、情報は途絶えていた。

研究資料の処分と左膳の関与
不死の薬を作るよう命じられた際、それまでの研究資料の大半は処分された。持ち出されたのは、あの部屋に残っていた分のみであった。それでも研究を続けた師は、給仕係である左膳を使い、密かに調査を進めていたことが明らかになる。

阿多の一言
一連の話を静かに聞いていた阿多は、湯飲みを置き、「『あの子』はとても聡い子だったようだ」と述べた。その言葉は、子翠の才覚と、失われたものの大きさを静かに示していた。

翠苓の否定と違和感

翠苓は「いくら聡い子でも、もういない」と断じ、その存在自体を過去のものとして扱っていた。猫猫はその言葉に強い違和感を覚え、拳を握りしめる。聡い子が何も残さずに消えたという前提そのものが、不自然であると感じたためである。

阿多の態度と記憶の引っ掛かり

猫猫の追及に対し、翠苓は動揺して立ち上がり、阿多は場を和らげるように気楽でいいと語った。その言葉を受けた瞬間、猫猫の中で何かが引っ掛かる。謝罪すべき場面であるにもかかわらず、阿多の発言が思考を刺激し、過去の記憶を掘り起こすきっかけとなった。

診療所の記憶の想起

猫猫は記憶を辿る中で、後宮、医局ではなく「診療所」に行き着く。後宮から攫われる直前、診療所で見た光景を思い出し、本棚に紛れ込ませてあった図録の存在に思い当たった。それは虫の図録ではなく、意図的に隠されたものだった可能性が高かった。

子翠の意図と猫猫の確信

猫猫は、二度と会えないはずの子翠が、自身に気付かせるため、ぎりぎりの線を狙って図録を残したのだと理解する。その狡猾さと執念に、悔しさを超えて笑いがこみ上げる。子翠が悪戯めいて仕掛けた最後の手掛かりであると、猫猫は確信した。

診療所の現状と後宮の闇

診療所は一度閉鎖されていた。後宮脱出を助けた者たちは重罪に問われ、特に女官・深緑は自殺未遂の末に生き延び、罪人として捕らえられている。しかし診療所は後宮に不可欠な施設であり、現在は宦官の監視下で再開されていることが明らかとなった。

診療所から押収された図録の発見
猫猫がさらわれた際、診療所にあった資料はすべて押収されており、猫猫が目を留めていた図録もその中に含まれていた。壬氏は休みを取ってそれを猫猫に手渡し、猫猫は中身を確認した。図録には書き込みが異様に多い箇所があり、ページを開くと大量の挿絵資料が床に落ちた。それらはすべて飛蝗に関する詳細な図であった。

飛蝗の分類と変化の考察
猫猫は図録と書き込みを照らし合わせ、飛蝗を大きく二種、細かくは三段階に分類した。普段見られる緑色の飛蝗、昨年の小規模蝗害に関与した中間型、そして今年増える可能性が高い茶色の大型個体である。飛蝗は条件が揃うことで体色や翅の形を変え、世代を重ねるごとに数を増やしていくと記されていた。小規模な蝗害は、大規模被害の前触れであると判断された。

蝗害の危険性と社会的影響
蝗害は判断を誤れば餓死者を出すほど深刻な災害である。猫猫自身は都育ちで直接見たことはなかったが、花街に売られてきた妓女の中には、蝗害によって食い詰めた農村出身者が多くいた。さらに、子の一族滅亡の翌年に蝗害が重なれば、国情としても極めて不安定になることが示唆された。

防除方法と限界
図録には特効薬のような決定打は記されていなかったが、小規模被害の段階で対処する重要性が強調されていた。幼虫期に駆除することが最優先であり、そのための殺虫剤の製法が残されていた。材料は比較的入手しやすいものが使われており、大量消費を前提とした内容であった。また、成虫にはかがり火を用いる古来の方法も推奨されていた。

被害地域の分布と違和感
壬氏は被害報告のあった農村を地図上に示し、猫猫に見解を求めた。被害地はいずれも平原近くであり、飛蝗の生育環境としては妥当であった。しかし、この地域では数十年にわたり深刻な蝗害が起きていなかった点が問題視された。

森林破壊と蝗害発生の因果関係
問題の地域は、かつて子北州の豊かな森林地帯であったが、現在は禿山と化していた。女帝の時代には禁じられていた無秩序な伐採が、子の一族によって密かに行われていたのである。木材は国内外に売却され、自然環境は著しく破壊されていた。その結果、虫を捕食する鳥が減少し、飛蝗が異常繁殖した可能性が高いと推測された。

壬氏の落胆と事態の深刻さ
壬氏は森林資源を用いた食糧不足の補填を見込んでいたが、その前提が崩れたことに強い落胆を見せた。自然破壊がもたらした影響は、単なる農業被害に留まらず、国全体の安定を揺るがす要因となっていた。猫猫と壬氏は、蝗害が人為的な愚行の積み重ねによって引き起こされた可能性を、重く受け止めることとなった。

診療所の本と薬の不足

猫猫は診療所に残されていた図録を確認し、現在想定されている殺虫剤の調合だけでは薬量が明らかに不足すると判断した。効果が多少落ちる可能性を承知のうえで、別の調合も並行して準備する必要があると壬氏に進言し、状況の深刻さを共有した。

害虫対策としての現実的手段

猫猫は幼虫の発生源を野焼きする案を挙げ、即効性のある対処法として検討に値すると述べた。ただし、場所によっては実施が難しい点もあり、万能ではないことも理解していた。続いて、害虫を捕食する雀を保護するため、禁猟措置を取る案にも言及したが、生業として雀を扱う者たちからの反発が避けられない点が問題として残った。

被害を未然に潰すという発想

これらの対策をすべて講じても、被害が本当に出るかどうかは分からない。しかし猫猫は、何も起きなければそれは幸運であり問題ではないと考えていた。起こり得る負の可能性を事前に潰していくことこそが、政を担う者の仕事であり、正当な評価を得られなくとも必要な行為だと認識していた。

飛蝗料理という最終案

雀禁猟への反発を避ける代替案として、猫猫は飛蝗料理を宮廷料理として定着させる案を提示した。帝や官僚が食すれば、民も追随し、結果として飛蝗を捕る者が増えるという現実的な狙いであった。この提案に壬氏は強い動揺を見せ、食への嫌悪感と責務の間で葛藤する様子を露わにした。

壬氏の葛藤と猫猫の微笑

壬氏は飛蝗料理を最終手段とすることで折り合いをつけ、事態への意欲を新たにした。猫猫はその様子を見て薄く笑みを浮かべ、壬氏が本気で嫌がっていることを理解したうえで、丁寧な口調で食事を勧めた。その表情には、からかいと確信が入り混じっていた。

第九十二話 いたずら

飛蝗料理という悪戯の始まり

王氏は夕餉を食べて帰ることとなり、薬屋では手狭なため空いている客室が用意された。猫猫はまだ残っていた飛蝗の煮つけを出したが、最初から本気で食べさせるつもりはなく、軽い悪戯のつもりであった。王氏の機嫌が悪くなればすぐに下げる算段であり、やり手婆の視線もその警戒を裏付けていた。

冗談が現実になる瞬間

猫猫は箸で飛蝗をつまみ、「あーん」と食べさせる真似をしただけのつもりだった。しかし壬氏は一瞬の逡巡の後、それを口にしてしまう。猫猫自身すら顔を歪めるほど、その光景は強烈で、壬氏の女装とは別の意味で「見てはいけないもの」を見た感覚を覚えた。

周囲に走る衝撃

その場にいた者たちは一様に硬直した。高順は手を震わせ、禿は大切なものを汚されたかのように泣きそうになり、趙迂ややり手婆までもが顔を引きつらせた。壬氏本人は嫌そうな表情のまま咀嚼し、何事もなかったかのように飲み込んだ。

粥と飛蝗の往復

壬氏は無言で粥を要求し、猫猫が蓮華で差し出すと、それを受け取らず猫猫の手元を見続けた。意図を察した猫猫が口元へ運ぶと、壬氏は粥を食べ、続けて差し出された飛蝗にも再び食らいついた。周囲の悲鳴と動揺をよそに、その奇妙な給餌は繰り返された。

禿と趙迂の退場

あまりの光景に耐えかねた禿は泣き崩れ、趙迂がそれを連れて席を外した。猫猫は子どもには刺激が強すぎたのだろうと内心で反省する。趙迂は気弱な禿を庇うことが多く、実際に面倒を見ている存在であった。

壬氏の素顔と猫猫の自覚

壬氏は最後まで飛蝗を嫌そうに食べ続け、猫猫はその様子を見て「悪いことをした」と思いながらも、差し出せば食べるという事実を確認していた。美貌ゆえに緑青館でも人前に出されない壬氏が、最も無防備な姿をさらしていることに、猫猫自身も複雑な感覚を覚えていた。

趙迂の紙と不穏な気配

壬氏が帰った後、趙迂が筆と紙を持って現れる。やり手婆が高価な紙を渡すこと自体が不自然であり、猫猫は強い胡散臭さを感じた。帰ろうとする猫猫に対し、やり手婆は泊まっていくよう指示し、風呂や寝間着まで用意していた。

やり手婆の異様な親切

親切すぎる態度に警戒する猫猫だったが、逆らうと容赦なく拳が飛んできた。半ば強引に部屋へ通され、趙迂が紙を広げ、やり手婆が墨の準備を始める。事態は完全に猫猫の想定外へと進んでいった。

野次馬の集結

そこへ白鈴小姐と女華小姐まで現れ、状況はさらに不可解さを増す。客を取らない夜の妓女たちが集まり、猫猫は「胡散臭すぎる」と確信しつつ、この場から逃れられないことを悟った。

好みの男を言わされる猫猫

やり手婆の発案で、猫猫は突然「好みの男」を答える羽目になる。仕事中にもかかわらず、趙迂や白鈴まで加わり、半ば強制的な話題として進められた。猫猫は面倒に感じつつも、逆らうより従う方が早いと判断し、条件を淡々と口にしていく。

現実的すぎる好みの条件

猫猫は背が高すぎないこと、痩せすぎていないこと、髭はあってもよいが濃すぎないこと、顔立ちは鋭さより柔らかさを重視することなど、実用性と世間体を基準にした好みを述べた。それは恋情よりも生活感覚に根差したものであり、聞き手の期待する色気とは程遠い内容であった。

描かれた男と冷ややかな評価

趙迂が猫猫の条件をもとに男の似顔絵を描き上げるが、その出来は地味で冴えないものだった。白鈴ややり手婆からは辛口の評価が飛び、女華に至っては一言で却下する。三姫の一人でありながら男嫌いの女華は、大抵の男を容赦なく切り捨てる性格であった。

猫猫が感じた既視感

騒ぎの中で猫猫はその似顔絵を見つめ、言葉を失う。それはあまりにも見覚えのある顔であり、好み以前の問題として強い既視感を覚えたためであった。問い詰められた猫猫は、ついにその理由を明かす。

後宮の医官にそっくりな男

猫猫は、その男は「後宮の医官にそっくりだ」と答える。宦官であり、恋愛対象と呼ぶ以前の存在であるその人物の名は出されないが、場の空気は一気に冷めた。恋話を期待していた白鈴は興味を失い、他の者たちも拍子抜けした様子で次々と部屋を後にする。

女華と猫猫だけの時間

最後に部屋に残ったのは女華と猫猫だけであった。女華は窓を開け、夜の娼館の景色を眺めながら煙管をくゆらせる。恋が生まれては消えていく光景を前に、女華は猫猫の気持ちを完全ではないにせよ理解していると語る。

変わり続ける男という存在

女華は、男はいつ心変わりするかわからず、力を持つ男であればなおさらだと静かに告げる。白鈴のような魔性の女ならともかく、猫猫は自分と似た側の人間だと指摘し、信じることの脆さと、この場所にいれば嫌というほど思い知らされる現実を突きつけた。

女郎と女郎の子という現実

女華は、所詮自分は女郎であり、猫猫は女郎の子であると断言する。それが現実であり、変えられない立場であると。猫猫はその言葉を否定せず、煙管の灰を見つめながら静かに受け止める。

煙の向こうに残るもの

煙管を吸い続ける女華を猫猫がたしなめると、女華は客の前では嫌われるからこそ、今は好きにするのだと笑う。白い煙が夜空に溶ける中、猫猫は何も言わず、その背中を見送った。

第九十三話 白蛇仙女

珍客の噂と緑青館の不調
緑青館では、最近客足が落ちている原因として「白蛇仙女」と呼ばれる見世物の噂が話題になっていた。梅梅と女華は碁を打ちながら、その仙女が高官たちの関心を集めていることを語った。猫猫は二人の灸の準備をしつつ話を聞き、珍しい存在が客を奪っている現状を把握していた。

白髪赤眼の正体についての説明
仙女は髪が真っ白で、目が赤いとされていた。猫猫はその特徴から、生まれつき色素を持たない「白子」の可能性を示した。白子は人では稀であるが、動物では白い蛇や狐として神聖視されることもあると説明した。一方で、異国では白い肌の子どもが万能薬になるという迷信もあるが、それは眉唾であり、体の本質が変わるわけではないと語った。

仙女信仰と見世物の拡大
その白子の娘は凶兆ではなく吉兆として扱われ、「仙女」として崇められていた。最初は小さな見世物小屋で披露されていたが、次第に評判を呼び、都の劇場を借りるほどに規模が拡大していた。夜に一度だけ開かれる見世物には、財力のある客が集まり、花街の妓女たちの不満の原因となっていた。

仙術の噂と人心掌握
梅梅は、その仙女が本当に仙術を使うという話を伝えた。人の心を読み、金を生み出す力があるとされ、その話に猫猫は強い警戒を示した。荒唐無稽な話であっても、権力者が信じれば信仰へと変わり、不老不死の力が実在すると錯覚させる危険があると考えた。

右叫の補足と錬丹術への連想
男衆頭の右叫は、この見世物が一度きりで終わらない理由として「錬丹術」の存在を挙げた。不老不死を目指す怪しげな術であり、かつて羅門から決して真似するなと釘を刺されていたものだった。珍しい容姿と人心を読む力が結びつけば、疑っていた者ほど強く信じ込む可能性があると語られた。

猫猫の否定と疑念の深化
猫猫は、不老不死や仙術の実在を強く否定した。そんな都合の良い話があるはずがないと内心で断じつつも、なぜそのような見世物がここまで信仰を集めているのか、その仕組みには強い疑問を抱いた。白蛇仙女の正体と、人々が惑わされる理由を見極める必要性を感じていた。

不老不死の薬への疑念

猫猫は、不老不死の薬を研究した末に「蘇りの薬」を作り出した人物の存在を思い出していた。その人物は、かつて医官として優秀であったが、薬の副作用により今では見る影もない状態である。もしその知識が残されていれば、蝗害への対策もより適切なものになった可能性があり、猫猫はやりきれなさを抱いていた。ただし災害はまだ途中段階であり、今後の対応次第で被害は変わり得るとも考えていた。

仙女の噂と見世物の実態

都で話題となっている「仙女」は、不老不死の薬を餌に人を集めている存在ではないかと噂されていた。猫猫自身はその真偽を掴みきれずにいたが、右叫から断片的な話を聞き、興味を抱く。見世物の料金は高額で、猫猫自身が気軽に足を運べるものではなかったが、右叫は誰かに頼めばよいと示唆し、その場を去った。

意外な来訪者

数日後、猫猫のもとを訪れたのは予想外の人物であった。現れたのは羅の一族の羅半であり、変人軍師の甥であり養子でもある男であった。羅半は、仙女の見世物に猫猫を誘う目的で現れ、さらに同行者として一人の男を連れていた。その人物は、軍師の部下である陸孫であった。

羅半の思惑

羅半は、美しいものに価値を見出す性質を持ち、その「白子の仙女」が相当な美女であるという話に興味を示していた。猫猫は誘われた理由に疑念を抱き、損得勘定で動く羅半が無償で誘うはずがないと見抜く。羅半は、西方との取引に向けた出し物として見世物一団を検討しており、女性の視点からの意見が欲しいと説明したが、猫猫は即座に虚偽であると切り捨てた。

陸孫の補足

そこで口を開いたのが陸孫であった。彼は、軍師自身がその見世物について「気になる」と漏らしていたことを明かす。陸孫はその一言を受け、旅芸人一団を独自に調べていたという。軍師の勘には根拠がないことが多いが、それでも無視できないものがあるため、陸孫は慎重に情報を集めていた。

不穏な噂の始まり

陸孫は、調査の過程で耳にした「気になる噂」の存在を猫猫に伝えようとする。仙女を巡る話は、単なる珍奇な見世物では済まされない可能性を帯び始めており、猫猫もまた、その裏に潜む真実を無視できなくなっていくのであった。

劇場への同行と違和感の予感
猫猫は面倒事でなければよいと考えつつ、羅半と陸孫に同行して夜の都へ向かった。劇場は都の中央部に位置し、商業と富裕層が集まる一等地にあった。旅芸人の独演会としては不釣り合いな場所であり、その時点で猫猫は白娘々という仙女の存在に俗っぽさと胡散臭さを感じ取っていた。

仮面と紗が作る閉じた空間
劇場に集まった観客の多くは顔を隠しており、素顔の者はほとんどいなかった。羅半はこれは互いの立場や身分を曖昧にするための小道具だと説明した。猫猫も紗を被せられ、この見世物が公には語れない性質のものであることを理解した。入場料の高さや劇場の規模から、背後に出資者が存在することも察せられた。

席配置と客層の観察
猫猫たちは舞台に近い席に案内されたが、中央最前の席には成金然とした男が若い娘を従えて陣取っていた。陸孫は、あえて目立つ席を避けるのも一つの判断だと述べ、猫猫もまた、座る位置によって権力や財力が透けて見える場であると認識した。

酒と菓子、そして警戒
卓には酒と焼き菓子が供されたが、猫猫はすぐに口をつけなかった。白娘々を観察するためには、感覚を鈍らせたくなかったからである。羅半や陸孫、護衛もまた酒を控え、場の雰囲気とは裏腹に、彼らが慎重に状況を見極めようとしていることが示された。

白娘々の登場
薄暗い劇場に白い靄が立ちこめ、銅鑼の音とともに白娘々が舞台に現れた。白い衣、白い肌、白い髪という徹底した色彩の中で、紅い唇と双眸だけが強烈な存在感を放っていた。その姿は観客の視線を一瞬で奪い、仙女という呼び名が単なる誇張ではないことを印象づけた。

異様な魅了と静かな注視
観客が熱気を帯びる中、猫猫は感情を抑え、白娘々を冷静に観察し続けた。その美しさが演出によるものなのか、あるいは別の要因によるものなのかを見極めるためである。白娘々の出現は、この見世物が単なる芸では終わらない可能性を、猫猫に強く意識させるものであった。

薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 20レビュー
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ まとめ
薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~ 22レビュー

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薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~(1巻)の表紙。
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薬屋のひとりごと~猫猫の後宮謎解き手帳~(5巻)の表紙。
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小説「フルメタル・パニック! 2 疾るワン・ナイト・スタンド」感想・ネタバレ

フルメタル・パニック! 1巻
フルメタル・パニック! 3巻

物語の概要

本作はSFミリタリーアクション・ライトノベルである。第1巻で日常と戦闘の両極を往復した《ミスリル》所属の兵士・相良宗介と護衛対象の高校生・千鳥かなめの物語はそのまま本巻へと続く。第2巻では《ミスリル》がテロ組織「A21」および巨大兵器「ベヒーモス」と対峙することとなり、宗介たちはテロ活動の阻止と住民・かなめの安全を同時に守るという極限状況に身を投じる。宗介は軍人としての能力を発揮しつつ、かなめを巡る戦闘と非日常の嵐に立ち向かう。

主要キャラクター

  • 相良宗介
    《ミスリル》に所属する特殊兵士。戦闘技能・戦術理解力に優れ、非日常的状況でも迅速かつ的確に対応する戦士である。同時に“軍人脳”を高校生活へ持ち込む不器用さも併せ持つ。
  • 千鳥かなめ
    宗介の護衛対象たる高校生の少女。明るく活発だが、《ウィスパード》として何らかの特殊能力を持ち、複数の勢力から狙われる存在である。また宗介の世界と日常の狭間で大きな影響力を持つ人物である。
  • テレサ・“テッサ”・テスタロッサ
    《ミスリル》の指揮官の一角。冷静沈着かつ柔軟な判断力を持ち、宗介の作戦遂行を支える存在として機能する。

物語の特徴

本作の魅力は、戦争描写と学園生活という相反する要素を同時進行させる点にある。宗介が《ミスリル》の兵士としてテロ活動阻止に挑む一方、高校生活という“普通の日常”も進行するという緊張感が作品全体を引き締める。また、テロ組織との戦闘は単なる戦闘描写に留まらず、兵器・戦術・人間ドラマを絡ませることで重厚なリアリティを生む。武装組織のミッション、軍用技術、特殊能力《ウィスパード》といったSF要素と、護衛対象としてのヒロインの存在が絡むヒューマンドラマが本作の差別化された魅力である。書籍情報

フルメタル・パニック! 2 疾るワン・ナイト・スタンド
Full Metal Panic
著者:賀東 招二 氏
イラスト:四季童子  氏
出版社:KADOKAWA
レーベル:ファンタジア文庫
発売日:1999年3月18日
ISBN:9784040711157

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あらすじ・内容

『このライトノベルがすごい! 2008』作品部門1位! 本格ミリタリーアクション!
雨雲を貫く爆発音! 千鳥かなめ誘拐事件から2か月――平穏を取り戻した相良宗介は、ごく日常的な爆破活動にいそしんでいた。狙撃、罠、そして爆破。だが、宗介が宗介なりの平和を享受していたそのとき、新たなる強敵は密やかに彼の背後に忍び寄っていた『ミスリル』の美少女艦長テッサを追って、東京壊滅を謀るテログループが宗介たちに襲いかかったのだ! 邪悪な計画を阻止するため、宗介とかなめは共に夜の東京を疾り抜ける!! 最先端技術を搭載した敵機――「悪魔」と恐れられる超兵器がその全貌を明らかにするとき、この街は炎に包まれてしまうのか!? ノンストップ・アクション・コメディ、早くも第3弾!! 

フルメタル・パニック! 2 疾るワン・ナイト・スタンド

感想

本巻は、シリーズにおける「巨大ロボット戦争もの」としての側面が、本格的に前面へ出てきた一冊である。
ラムダ・ドライバを巡る戦闘が本格化するが、主人公の宗介はまだそれを自在に扱える段階には至っておらず、その不利さが戦闘全体に緊張感を与えている点が印象的であった。

とりわけ、ラムダ・ドライバを駆使した超巨大なロボットが都市を破壊していく描写は、どこか怪獣映画を思わせる迫力を持っていた。
ただし本作が面白いのは、それが単なる「強いロボット」ではなく、超常的な技術【ラムダ・ドライバ】で無理やり動かしている存在として描かれている点であった。
理屈が破綻しているからこそ生まれるロマンがあり、兵器でありながら怪物としての立ち位置が心に残った。

全体の構成面では、序盤に短めのギャグパート【銃刀法違反】が置かれるものの、そこを過ぎると終始シリアスな展開が続く。
前巻のような学園ドタバタは若干控えめであり、物語は一気に戦闘へと舵を切っていく。
この切り替えの早さは好みが分かれるところだが、シリーズが単なる学園コメディでは終わらないことを示す意味では、非常に分かりやすい方向転換であったと感じる。その好みの不満は短編集で充分補填されてるのも面白い。

舞台が日本国内であることも、本巻のリアリティを支える大きな要素である。
「日本で傭兵やテロリストが活動すればどうなるか」「日本で巨大ロボットを使った戦闘が起きたらどうなるか」という前提が丁寧に書かれており、無茶な展開でありながら地に足がついている。
この感覚は、フルメタル・パニック!という作品が長く支持されてきた理由の一つだろう多分。

また、本巻から本格的に登場するテレサ・テスタロッサの存在感も非常に強い。
優秀な指揮官でありながら、どこか抜けたところのある「ドジっ子」かつ年相応の乙女という属性は、千鳥かなめとは異なる方向のヒロイン力を持っている。
ダブルヒロイン構造の片翼として、すでに完成度の高いキャラクターであり、主役級の輝きを放っていると感じた。

総じて本巻は、フルメタが「学園ラブコメ+ロボットもの」から、「国家と都市を巻き込む軍事SF」へと明確に踏み出した巻である。ハチャメチャさはやや後退したが、その分、世界観と戦闘描写の重みが増している。
学園ギャグを求める読者は短編集に任せ、本編では本気で殴り合う。その割り切りの良さこそが、本巻の最大の魅力であると感じた。

最後までお読み頂きありがとうございます。

フルメタル・パニック! 1巻
フルメタル・パニック! 3巻

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登場キャラクター

陣代高校

千鳥かなめ

生徒会の副会長であり、相良宗介の異常行動に対して止め役として動く立場である。相良宗介の本業を知る少数の同級生でもある。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、生徒会副会長である。
・物語内での具体的な行動や成果
 屋上の試射をやめさせるため、相良宗介をしかりつけた。
 黒色火薬の事故では、消火器で火を消した。
 二塁ベースを投げて、相良宗介にぶつけた。
 発信機の破壊案として、電子レンジの方法を出した。
 終盤では、背中の冷却装置らしき場所を相良宗介へ伝えた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 護衛の事情を知る立場のため、事件対応に巻きこまれやすくなった。

相良宗介

〈ミスリル〉の兵士であり、陣代高校では生徒として二重生活をしている立場である。合理を優先しがちで、千鳥かなめと衝突しやすい関係である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、ウルズ7である。
 陣代高校、生徒である。
・物語内での具体的な行動や成果
 屋上でライフルの試射を行った。
 訓練キャンプ制圧では、M9側として作戦を進めた。
 千鳥かなめとの約束を忘れ、関係がこじれた。
 テロ側の襲撃を自室で迎えうち、侵入者を排除した。
 〈アーバレスト〉で〈ベヘモス〉と交戦し、弱点を突いて崩壊へつなげた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 護衛任務の失敗で、千鳥かなめとテレサの連れ去りを許した。
 戦後に〈アーバレスト〉を自分の機体だと告げられた。

風間信二

同級生として相良宗介にからみ、状況を軽口でほぐす立場である。生徒会室では行事側の役も持つ。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、文化祭実行委員会の副委員長である。
・物語内での具体的な行動や成果
 昼休みに相良宗介へ声をかけ、千鳥かなめとの関係をからかった。
 生徒会室の空気を読まずに話を広げ、火に油を注いだ。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 試験前で会議が中止となり、動きの場が消えた。

常盤恭子

千鳥かなめの近くにいる同級生であり、日常側の視点で異変を見つける立場である。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、生徒である。
・物語内での具体的な行動や成果
 ソフトボール授業で、千鳥かなめの不機嫌を指摘した。
 終盤の教室で、千鳥かなめに話しかけて様子をうかがった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 日常の場面で、事件後の異常さを示す役割を担った。

神楽坂恵里

授業中の秩序を守ろうとする教員であり、相良宗介の反射行動に巻きこまれる立場である。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、教員である。
・物語内での具体的な行動や成果
 授業で相良宗介を注意し、状況をただそうとした。
 相良宗介の覚醒反応で制圧されかけた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 教室が戦場の延長であることを示すきっかけになった。

ノリコ

屋上での言い争いにいた当事者であり、恋人関係の話題で揺れる立場である。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、生徒である。
・物語内での具体的な行動や成果
 ミキオと関係の進め方で言い争った。
 事故後は千鳥かなめに保健室への同行をうながされた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 銃声と事故で、場の中心から外れた。

ミキオ

屋上で相良宗介へ抗議し、事故の当事者になった生徒である。軽率な行動が被害につながった立場である。
・所属組織、地位や役職
 陣代高校、生徒である。
・物語内での具体的な行動や成果
 屋上で相良宗介に発砲をやめろと抗議した。
 落下した黒色火薬に、火のついたタバコで引火させた。
 背中を燃やしたが、消火器で火を消された。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 軽い火傷で済み、致命的な被害は出なかった。

〈ミスリル〉

テレサ・テスタロッサ

作戦の判断を下す指揮官であり、完璧を求めて揺れやすい立場である。相良宗介に対して上官として関与する。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉の艦長であり大佐である。
・物語内での具体的な行動や成果
 訓練キャンプの空振り報告を受け、次の対応を決めた。
 タクマ確保のため、日本の研究所へ向かった。
 相良宗介の部屋へ逃げこみ、タクマをかくまった。
 〈ベヘモス〉出現後、〈アーバレスト〉投入を受け入れた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 嫉妬や焦りで判断がぶれたと自覚し、千鳥かなめに打ち明けた。

メリッサ・マオ

現場で指揮と実務を回す兵士であり、相良宗介を現実に引き戻す立場である。戦闘と判断の両方を担う。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、曹長である。
・物語内での具体的な行動や成果
 訓練キャンプの追跡結果を報告した。
 増援が少ない状況を説明し、三人での対処を決めた。
 M9で救助に向かったが、〈ベヘモス〉に破壊された。
 赤海埠頭でカリーニンと合流した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 戦力不足の中で、現場のまとめ役として影響力が強まった。

クルツ・ウェーバー

狙撃の技能を持つ兵士であり、軽口で緊張をほどく立場である。相良宗介の判断に踏みこむ役でもある。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、軍曹である。
・物語内での具体的な行動や成果
 訓練キャンプで名乗り出るよう呼びかけ、選別を助けた。
 走行中に〈ベヘモス〉の火器を狙撃し、誘爆させた。
 終盤で背中の穴の観察に協力し、情報をまとめた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 感情優先の考えを示し、相良宗介の迷いを揺さぶった。

アンドレイ・カリーニン

作戦の要点を押さえる指揮官であり、日本側の状況をつなぐ立場である。テレサの判断にも影響する存在である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、少佐である。
・物語内での具体的な行動や成果
 成田の事件を伝え、テレサを呼び出した。
 研究所で移送の判断をめぐり、慎重論を述べた。
 拘束下で敵をだまし、拳銃で逆転して脱出した。
 沈没する船から生還し、セイナの最期に立ち会った。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 不在が続き、〈ミスリル〉の戦力運用に穴が開いた。

リチャード・マデューカス

艦の運用を支える副長であり、柔軟さを説く立場である。テレサの完璧主義と対立する関係である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、〈トゥアハー・デ・ダナン〉副長であり中佐である。
・物語内での具体的な行動や成果
 空振りの報告を受け、現実を受け止めるよう助言した。
 終盤では、〈アーバレスト〉投射投入の案が採用された。
・地位の変化, 昇進, 影響力, 特筆事項
 指揮官の判断を支える補佐役としての重みが示された。

ヤン

テレサの護衛として同行し、負傷して搬送された兵士である。現場で身をていして守る立場である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、伍長である。
・物語内での具体的な行動や成果
 崩落の場面でテレサをかばい、負傷した。
 救急搬送の手配が行われた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 その後の行動は本文では確定していない。

フライデー

M9に搭載されたAIであり、追跡情報を提供する立場である。人間の判断を補助する存在である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、M9〈ガーンズバック〉搭載AIである。
・物語内での具体的な行動や成果
 監視システム経由で、拉致に使われた車両の位置を報告した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 追跡開始の根拠となり、作戦の方向を決める助けになった。

アル

〈アーバレスト〉側のAIとして言及され、対抗手段の不足が示された存在である。
・所属組織、地位や役職
 〈ミスリル〉、〈アーバレスト〉搭載AIである。
・物語内での具体的な行動や成果
 ラムダ・ドライバへの対抗手段を即答できない状況が描かれた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 情報不足が、相良宗介の工夫を促す形になった。

テロ側〈A21/A22〉と関係者

クガヤマ・タクマ

暴力衝動と記憶のゆがみを抱え、ラムダ・ドライバ適性を疑われる少年である。敵側に利用される立場である。
・所属組織、地位や役職
 テロ側の構成員として扱われている。
 「〈A21〉の一員」という情報が示されている。
・物語内での具体的な行動や成果
 成田空港で税関係官に襲いかかり、首をしめた。
 伏見台学園でPHSを使い、居場所を敵へ流した。
 〈ベヘモス〉を操縦し、ラムダ・ドライバを起動した。
 終盤で敗北し、テレサの言葉の後に動かなくなった。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 「Ti77」の反応が出ており、矯正の影響が示唆された。

セイナ

襲撃部隊を率い、タクマ奪還を目的に動く操縦者である。冷淡に命令を出す立場である。
・所属組織、地位や役職
 テロ側、ソ連製AS〈サベージ〉の操縦者である。
・物語内での具体的な行動や成果
 巡査長を射殺し、襲撃を開始した。
 研究所を攻撃し、タクマ奪還を指揮した。
 赤海埠頭でカリーニンに目的を語り、情報を引き出そうとした。
 終盤で重傷となり、カリーニンの前で死亡した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 〈ベヘモス〉計画の内情を語り、脅威の構図を明らかにした。

中佐

フィリピン側の訓練キャンプで訓練生をしごく教官である。殺しの訓練を教えこむ立場である。
・所属組織、地位や役職
 訓練キャンプの教官であり中佐である。
・物語内での具体的な行動や成果
 訓練生に「一撃で仕留めろ」と説教した。
 基地が安全だと誇示した直後に、奇襲を受けた。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 その後の安否は本文では確定していない。

日本側の公的機関と周辺

シマムラ

研究所側の説明役として登場し、警備の過信を示す立場である。テレサと会話を交わす。
・所属組織、地位や役職
 運輸省の人間として記載されている。
・物語内での具体的な行動や成果
 テレサの年齢を誤認した。
 研究所の警備が万全だと主張した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 襲撃の発生で、見立ての甘さが浮きぼりになった。

その他の場面関係者

伏見台学園の用務員

潜伏者を見つけ、深追いせずに帰るよう促す人物である。現場の空気を変える立場である。
・所属組織、地位や役職
 伏見台学園高校、用務員である。
・物語内での具体的な行動や成果
 生徒会室で一同を見つけ、一階の用務員室へ連れていった。
 学校側へ言わないと告げ、電車のあるうちに帰れと諭した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 潜伏が甘かったことを示す要因になった。

丸眼鏡の男

戦闘の観測者として登場し、結果と費用を冷静に評価する立場である。
・所属組織、地位や役職
 所属は本文では示されていない。
・物語内での具体的な行動や成果
 屋上から戦いの結末を見届けた。
 〈ベヘモス〉計画を期待外れだと評した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 〈アマルガム〉という言葉が会話内で共有された。

義足の男

観測者の一人として登場し、成果と次の行動を語る立場である。強い敵意をにおわせる。
・所属組織、地位や役職
 所属は本文では示されていない。
・物語内での具体的な行動や成果
 戦闘データ回収を成果として認めた。
 相良宗介と千鳥かなめに再会したと語った。
 近いうちに挨拶に行くと予告した。
・地位の変化、昇進、影響力、特筆事項
 今後の対立を示す存在として残った。

展開まとめ

プロローグ

屋上での痴話喧嘩

昼休みの屋上で、ノリコとミキオは恋人関係について言い争っていた。ミキオは関係を進めることを求め、ノリコは恐怖心から踏み出せずにいた。二人の会話は緊張感をはらみつつ続いていた。

銃声による中断

会話の最中、突然の銃声が屋上に響いた。給水塔の上では相良宗介がライフルを構え、校庭に向けて試射を行っていた。宗介は二人の存在を気にも留めず、銃の精度確認を淡々と続けたため、屋上は断続的な発砲音に包まれた。

抗議と説明

騒音に耐えかねたミキオが宗介に抗議すると、宗介は新しく入手したライフルと弾薬の試射であり、距離が必要だと冷静に説明した。その理屈はミキオには理解できず、混乱は収まらなかった。

千鳥かなめの介入

そこへ生徒会副会長の千鳥かなめが現れ、試射を即座にやめるよう宗介を強く叱責した。宗介が正当性を主張する中、かなめは上履きを投げつけ、その拍子に黒色火薬の缶が落下した。

事故と消火

落下した黒色火薬は、ミキオの火のついたタバコに引火し、爆発を起こした。ミキオの背中が燃え上がり混乱が生じたが、かなめが消火器を使って迅速に鎮火し、被害は軽度の火傷で済んだ。

衝突と急用

宗介は処置を評価したものの、かなめは校内への爆発物持ち込みを厳しく非難し、消火器で殴打した。その直後、宗介は通信を受け、急用を理由に屋上を去った。

残された者たち

宗介が立ち去った後、かなめは呆れながらも倒れたミキオとノリコに向き直り、保健室まで付き添うかどうかを申し訳程度に申し出た。

1: 異邦の流儀

帰国と混乱した自己認識

六月二四日、日本標準時一四〇一時。成田市の新東京国際空港に到着した少年は、入国審査の列を進みながら、自分がなぜこの国に戻ってきたのかを一時的に思い出せず、強い違和感と混乱に襲われていた。長期間の訓練と調整を経て帰国した事実と、破壊を目的とする使命の記憶が断片的に浮かび上がる一方で、自身の正体すら曖昧になっていた。

タクマという存在

少年は自分をクガヤマ・タクマと認識していたが、それは表向きの名前であり、本当はタテカワ・タクマという〈A2〉の特別な存在であるという自覚を取り戻した。強い嫌悪感と苛立ちを抱えつつも、薬を飲まずにその衝動を抑え込もうとしていた。

税関での違和感と衝動

税関係官と対面したタクマは、相手のネクタイの歪みといった些細な点に強烈な不快感を覚え、暴力衝動を必死に抑えながら形式的な受け答えを行った。短期留学からの帰国であると穏やかに説明する一方、内心では他者を傷つけたいという欲求が渦巻いていた。

姉への依存と思考の逸脱

タクマは先に帰国している姉の存在を思い浮かべ、姉が自分のために「悪魔の機体」を動かす準備をしていると信じていた。姉に認められたいという思考が、彼の暴力的な衝動を正当化する支えとなっていった。

暴発

入国を許可された後も係官への嫌悪を抑えきれなくなったタクマは、突如として錯乱し、絶叫とともにカウンターを飛び越えて係官に襲いかかった。馬乗りになって首を絞め続け、周囲の制止にも応じず、強烈な快感と歪んだ高揚に浸りながら暴力を振るい続けた。彼の意識は最後まで姉の存在に向けられていた。

密林の模擬市街地と訓練の実態

六月二五日二二五五時、フィリピン北部ルソン島の密林に、市街戦用の模擬演習場が存在していた。中佐は訓練生たちに、敵を一撃で仕留めること、容赦なく殺すことを叩き込み、訓練生は銃撃と爆発が飛び交う中でも疲労を見せずに制圧を完了させた。中佐は整列させた訓練生に、脱走や死亡者が出た事実を挙げつつも、彼らが殺し屋として形になりつつあると評し、憎悪を燃料にせよと説教した。

〈ミスリル〉の噂と中佐の激昂

訓練生の一人が、軍や警察ではなく〈ミスリル〉と戦う場合を問うと、中佐はその名を知らず、噂話だとして一蹴した。しかし訓練生たちの間には〈ミスリル〉が革命家の活動を妨害し、訓練キャンプを襲撃するという不安が広がっていた。中佐は基地が難攻不落であると誇示し、周囲二〇キロの警戒網と重装備、さらにアーム・スレイブ二機の存在を示して、奇襲など不可能だと断言した。

電磁迷彩の奇襲と基地の崩壊

その直後、夜空から炎の矢のような攻撃が降り注ぎ、戦車が撃ち抜かれて爆発し、アーム・スレイブも破壊された。夜空の星の歪みから、電磁迷彩によるステルス装置が解除され、三機の正体不明の灰色のアーム・スレイブが出現した。三機は基地上空で降下し、着地と同時に装甲車やヘリを破壊し、兵士と訓練生を圧倒した。外部スピーカーで投降を命じる声は若い女のもので、電気銃によって逃走者は次々に気絶させられた。

相良宗介の任務と捕虜の選別

灰色の機体は〈ミスリル〉の主力機M9〈ガーンズバック〉であり、相良宗介はコックピット内で索敵モードの切り替えを命じつつ、基地制圧の終盤を監視していた。捕虜は模擬市街地の中央広場に集められ、宗介らは逃亡者を電気銃で制止しながら、目標である日本人の訓練生グループを選別しようとした。クルツ・ウェーバー軍曹が外部スピーカーで名乗り出るよう促したが、手配書と一致する日本人は見つからず、メリッサ・マオ曹長の追跡結果も同様であった。

約束の失念と二重生活の露呈

作戦が外れに終わった報告と引き渡し準備が進む中、宗介は突然、別の重大な失念に気づいた。それは日本で千鳥かなめと一九〇〇時に会い、期末テスト範囲を教わる約束であった。戦闘任務を終えた直後にもかかわらず宗介は狼狽し、クルツやマオに呆れられながらも、極秘部隊〈ミスリル〉の兵士であると同時に東京の高校生でもある現実が浮き彫りとなった。

六月二五日 一五一八時

訓練キャンプの空振り報告

ルソン海峡の強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉中央発令所で、テレサ・テスタロッサはメリッサ・マオ曹長から、訓練キャンプが空振りだったと報告を受けた。マオは指導者を追及し、日本人グループが一〇日前に見学に来たこと、マニラからゴールドコーストへ向かう話があったことを述べたが、確証は得られず、情報が誤りだったと結論づけた。テッサは作戦が空振りに終わったことを認め、マオに予定通り帰艦するよう指示した。

完璧主義と柔軟性の衝突

報告後、テッサは情報の誤りを軽視できないと考え、テログループがソ連製ASを入手している可能性を挙げ、街中での暴走を懸念した。副長リチャード・マデューカス中佐は、全能ではない以上、こうした事態を受け止める習慣が必要だと述べ、柔軟性を強調した。テッサはそれを怠惰と断じ、完璧な情報と作戦を追い求める理想を崩さなかった。

カリーニン少佐からの新情報

艦のマザーAIが回線をつなぎ、別任務で日本にいた作戦指揮官アンドレイ・カリーニン少佐が通信してきた。カリーニンは、問題のテログループの構成員の一人が成田空港で逮捕されたと伝えたが、その少年に例の反応が出ていると続けた。

ラムダ・ドライバの兆候と出動決定

テッサはその報告を受け、逮捕された少年がラムダ・ドライバを駆動させる能力を持つ可能性が高いと理解した。ラムダ・ドライバは精神を糧にし、使い方を誤れば極めて危険な未知の装置であり、それを扱える人間をテロリスト側が握っている状況は深刻であった。身柄は日本政府が押さえており精密検査ができないため、カリーニンはテッサの直接の対応を要請した。テッサは了承し、手筈を整える方針を示して通信を切り、危険な能力者を誰が利用しているのかという疑念を抱いた。

六月二六日 一〇〇一時(日本標準時)

ソフトボールでの苛立ち

都立陣代高校の校庭で、体育のソフトボール授業が進行していた。千鳥かなめは投手として三者三振を奪い、常盤恭子に本気すぎると指摘されつつも強気に取り繕った。恭子はかなめの機嫌の悪さを見抜き、その原因が相良宗介にあると察した。

約束の反故と不機嫌の理由

かなめは前日に、相良宗介へ期末テスト勉強を教える約束をしていたが、宗介は指定時刻に現れなかった。連絡も繋がらず、かなめが用意していた手料理は食卓に残されたままであった。宗介は当日も欠席しており、かなめは状況を知らないまま苛立ちを抱えていた。

見えない壁と突風の異変

打順が回ったかなめは、ヘリコプターのような音を聞きながらも打席に立ち、宗介への怒りをぶつけるようにフルスイングして大きな打球を放った。しかし打球は上空で突然停止し、見えない壁に当たったかのように真下へ落下した。直後、ローター音が激しくなり、強風と粉塵が校庭を覆って視界が奪われ、かなめは二塁ベースにしがみついて耐えた。やがて轟音と風は収まり、空には何も残らなかった。

宗介の帰還とすれ違い

静けさが戻ると、夏服姿の相良宗介が校庭に現れた。宗介は周囲を警戒しつつかなめを呼び、二時間目には遅刻で済むと確認して、南シナ海から直通で到着したと告げた。かなめは不可解な異変でホームランが潰されたことを宗介のせいだと皮肉ったが、宗介は注意を促しただけで男子の授業へ向かおうとした。

約束の確認と怒りの爆発

宗介は立ち止まり、前日の約束についてかなめが怒っているかを尋ねた。かなめは大げさに否定したが、宗介はその言葉を真に受け、約束を思い出した時に怒られているかと案じていたと淡々と述べた。さらに宗介は、重大な用件があって約束を忘れていたと認め、軽い足取りで去ろうとした。

二塁ベース投擲とタッチアウト

かなめは怒りを抑えきれず、二塁ベースをフリスビーのように投げつけ、宗介の後頭部に命中させた。宗介は悲鳴も上げずに荷物を放り出して崩れ落ち、かなめは罵声を浴びせた直後、内野手にタッチされてアウトとなった。

六月二六日 一〇二八時(日本標準時)

ヘリ移動と研究所への到着

テレサ・テスタロッサは〈トゥアハー・デ・ダナン〉からヘリで六時間移動し、埼玉県狭山市郊外の防衛庁管轄・技術研究所へ向かった。機密度の高い施設で、問題の少年タクマが収容されていると聞かされていた。着陸後、アンドレイ・カリーニン少佐が出迎え、テッサは必要だから呼んだのだと釘を刺しつつ同行した。

シマムラとの面会と年齢誤認

カリーニンの後ろには運輸省のシマムラが待っており、英語で挨拶した。シマムラはテッサの年齢を三〇歳前後と誤認していたが、それはカリーニンが普通の天才だと説明し、年齢を曖昧にした結果であった。テッサは困惑し、自分が老けて見えるのかと不安を覚えた。

テログループの襲撃準備と目的

場面は別地点に移り、テロ側の一団が、目的は収容されているタクマの奪還であり、邪魔者は排除すると確認していた。セイナと呼ばれる女は、タクマは計画に絶対必要であり、タクマがいなければ〈ベヘモス〉が動かないと淡々と述べた。一団は〈ベヘモス〉が動けば自衛隊も蹴散らせ、街を灰にできると語り、襲撃準備を開始した。

警官殺害と〈サベージ〉の点検

巡回中のパトカーがトレーラー付近で停止し、巡査長が職務質問を行った。セイナはサイレンサー付き自動拳銃で巡査長を射殺し、別の男たちも運転席の巡査をサブマシンガンで撃って止めを刺した。その後セイナは死体処理と移動を命じ、自身はトレーラーに収めたソ連製第二世代AS〈サベージ〉の点検に移った。コートを脱いで操縦服を露わにし、破壊の前奏曲と呟いた。

六月二六日 一二三三時(日本標準時)

昼休みの悶々とした宗介

陣代高校南校舎の昼休み、風間信二は相良宗介の頭の怪我を心配しつつ、千鳥かなめが宗介の死を嘆いて自傷するかもしれないと冗談めかして語った。宗介はそれを否定し、むしろ朝の一件以来かなめに完全に無視され、話しかける糸口も作れずに悶々としていると認めた。宗介は自分が嫌われていると結論づけ、信二はその弱さをからかった。

生徒会室とかなめの当てこすり

二人は生徒会室へ向かった。宗介は「安全保障問題担当・生徒会長補佐官」という怪しい役職で雑用係扱いされ、信二は文化祭実行委員会の副委員長として会議参加の予定だった。しかし会議は試験前で中止となっており、信二が不満を漏らして出ようとしたところへ、千鳥かなめが入室した。かなめは信二には愛想よく謝り、約束を忘れたことを自分で最低だと責める形で、約束を破る男は許せないと強く言い放ち、宗介に聞こえるよう当てこすった。

花束の提示と逆効果の説明

信二が退室すると、かなめは宗介に冷たく接し、生徒会室で勉強を始めた。宗介は意を決して白い花束を差し出し、昨夜摘んだものだと受け取ってほしいと頼んだ。かなめは一瞬心を緩め、花の名を尋ねたが、宗介はそれがケシであり、阿片からヘロインの原料が取れるため売れば金になると淡々と説明した。かなめの機嫌は即座に逆戻りし、宗介の常識外れが改めて露呈した。

廊下での事情説明と護衛関係の確認

かなめは宗介を廊下へ引っ張り出し、昨夜来なかった理由が〈ミスリル〉の緊急呼集による任務だったのかを小声で確認した。宗介はフィリピンへ行ってとんぼ返りしたと認め、かなめが宗介の本業を知る唯一のクラスメートであることが示された。二か月前、かなめがテロリストに拉致されかけた事件があり、宗介と〈ミスリル〉が救出した経緯があった。かなめが〈ウィスパード〉という特殊な存在らしいこと、宗介が生活圏に常駐する護衛であることは共有されていたが、狙われた理由や組織の真意は不明のままであった。

かなめの怒りと宗介の致命的な勘違い

かなめは誠意とデリカシーの問題だと激昂し、上履きで宗介の頭を連打した。宗介は理解したと止めに入ったが、誠意とは高く売れる麻薬を持ってくることだと本気で解釈し、次はコカのペーストを取ってこいという意味だろうと述べた。かなめはその発言に対し、首筋へ上段回し蹴りを叩き込み、怒りを爆発させた。

六月二六日 一三一〇時 (日本標準時)

取調室の少年と矯正の疑い

防衛庁技術研究所で、テッサはマジック・ミラー越しに少年クガヤマ・タクマを観察した。平凡に見えるが異質さを漂わせる小柄な少年で、数年前の爆弾テロ組織〈A21〉の一員という情報には違和感があった。カリーニンは、成田空港で少年が税関係官を殴打し絞殺しかけた事件を説明し、取り押さえ後の異常興奮から薬物検査を行った結果、血中に追跡中の薬物「Ti77」反応が出たと報告した。これは「ラムダ・ドライバ」適性者を矯正する訓練と薬物投与の副作用として、凶暴性や記憶障害が出る可能性を示していた。

テッサの判断と面接延期

テッサは検査書類を確認し、少年がクロなら「ラムダ・ドライバ搭載型兵器」が用意されているはずだと推測した。仲間の帰国状況や背後関係も聞き出したいが、少年は黙秘しており、非人道的手段は使えない。テッサがそれを許さないと釘を刺した直後、少年が突然ミラーに突進し狂暴化した。警備員が押さえ込み、テッサは動揺しつつも「多分クロ」と勘で結論を傾けた。面接は行う意志を示したが、少年に鎮静剤が打たれ、夕方以降へ延期となった。

襲撃の予兆とシマムラの過信

廊下でシマムラは、少年をただの薬物中毒と見なし、研究所の警備は二個小隊規模で万全だと豪語した。テッサは侵入者襲来の可能性を示し、タクマの重要性を説明しようとしたが遮られた。直後、敷地外れの病院棟方面で爆発と銃声が連続し、炎と黒煙が上がった。襲撃者が研究所を攻撃し、タクマ奪還に来た可能性が現実となった。

タクマ移送を巡る対立

テッサは「目的はタクマだ」と直感し、すぐに移送しようとした。しかしカリーニンは、彼らは部外者であり、隠れてやり過ごして奪還されるのを待つべきだと慎重論を述べた。テッサはそれを拒否し、タクマが渡れば恐ろしい機体に乗せられ、甚大な危険が起きると断じた。そこへシマムラが割り込み、勝手な連れ出しを禁じ、装備充実の警備隊なら返り討ちにできると強弁した。

装甲車の撃破と〈サベージ〉出現

警備側の装甲車が通過した直後、それは白い火線に貫かれて爆発し、破片が窓を割った。病院棟の陰から姿を現したのは、ソ連製第二世代AS K-22〈サベージ〉であった。灰色塗装の機体は重機関銃で警備員を掃射し、40ミリ・ライフルで建物を撃ち抜きながら進み、赤い二つ目をこちらへ向けた。テッサには、その無機的な視線が笑っているようにすら感じられた。

崩落と衝撃

〈サベージ〉がこちらを狙った瞬間、カリーニンとヤンがテッサに飛びつき、伏せさせようとした。次の瞬間、凄まじい衝撃で天井が崩落し、ガラスや鉄筋やコンクリート片が舞った。音が遠のく中、ヤンが破片を受けながらも身を挺してかばおうとする姿が見え、テッサは落下しながら「そこまでしなくても」と思ったところで、さらに別の衝撃が彼女を殴りつけた。

〈サベージ〉による制圧

灰色の〈サベージ〉は目標のビルと周辺を完全に制圧した。警備隊の姿は消え、逃走・死亡・瀕死のいずれかであった。白煙と粉塵の中、機体は半壊したビルへ接近し、瓦礫を踏み砕いて内部に手を伸ばすと、全関節をロックして停止した。

セイナの侵入

頭部ハッチが開き、オレンジ色の耐Gスーツを着た操縦者セイナが姿を現した。自らがもたらした破壊に感情を示すことなく、超然とした視線でサブマシンガンを手に取る。〈サベージ〉の腕を渡ってビル内へ入り、建材と血肉の残骸が散らばる廊下を進んだ。

空の取調室

タクマがいるはずの取調室に到達したが、室内は無人で、倒れた椅子と簡素なテーブルだけが残されていた。入口には血痕が点在し、負傷した警備兵がタクマを連れ出した可能性が示唆された。短時間で、襲撃側に見つからず移送された事実に、セイナは険しい表情を見せた。

追跡の指示

襲撃チームの覆面男が合流し、発信機の反応があったはずだと報告するが、現在は受信範囲外であった。セイナは即時の捜索を命じ、「あの悪魔を動かすには、絶対にタクマが必要だ」と断言した。

負傷者の発見

近くで負傷者が一人発見されたとの報告に、セイナは警備兵なら殺害を指示した。しかし運ばれてきたのは研究所の人間ではない白人の男で、ブラウンのスーツは破損し、背中にガラス片が刺さる重傷だった。意識は辛うじて保たれていた。

対峙と断絶

セイナは銃口で男の顔を上げさせ、その強い意志の光から、戦いを生業とする者だと直感した。かつて心を許しかけた人物の面影が一瞬よぎる。正体を問うと、男は「おまえの敵だ」とだけ答え、そのまま意識を失った。

2: ウルズ7にバトンが渡る

六月二六日 一八三一時(日本標準時)

夕刻の同行と護衛の齟齬

夕暮れの調布市多摩川町。千鳥かなめは帰宅途中、相良宗介に付けられていると感じ、苛立ちを露わにした。宗介は後を追っているわけではなく、住まいが近所で同じ方向なだけだと説明するが、かなめは素直に受け取れず、気まずい同行が続いた。

宗介の理屈とかなめの拒絶

宗介は関係修復を提案し、約束を破った理由の説明や謝罪、贈り物までしたと述べる。しかしその言い回しは任務優先の論理に終始しており、かなめの感情に寄り添うものではなかった。かなめは二人の関係を「ただの同級生」と切り捨て、守る義務など押し付けだと激しく反発した。

衝突する価値観

宗介は護衛としての責任を主張するが、かなめはそれを保護者面と断じ、任務第一の戦争屋だと辛辣に非難した。自分が狙われる存在であっても、それは宗介の仕事上の都合にすぎないと突き放し、彼が死んでも線香一本で済ませるとまで言い切った。

別れ際の後悔

感情を爆発させたまま、かなめは宗介を残してマンションへ駆け込み、エレベーターに乗り込んだ。扉が閉まった後、彼なりに謝っていることを理解していながら素直になれない自分に気づき、壁に額を打ちつけて自己嫌悪に沈んだ。

六月二六日 一八四〇時(日本標準時)

宗介の自室への帰還と違和感の発見
宗介はかなめの言動の矛盾に悩みながら帰宅したが、廊下で部屋の中に人の気配を察知した。鍵が開いている状況から侵入を疑い、拳銃を抜いて突入すると、そこには見知らぬ少年と、拳銃を構えたテレサ・テスタロッサがいた。少年はタクマであり、テッサは彼を確保したうえで宗介の到着に安堵した。

タクマの暴走と一時的な確保
タクマは鎮静剤が切れたのか突然暴れ、宗介に飛びかかった。宗介は銃を使わず制圧し、失神させて手錠で寝室に拘束した。テッサは研究所襲撃からの逃走経緯を説明し、護衛のヤン伍長を救急搬送の手配後に置き去りにし、複数回タクシーを乗り継いで宗介の部屋へ辿り着いたと語った。

かなめの謝罪と最悪の鉢合わせ
チャイムで訪ねてきたかなめは、先ほどの暴言を謝り、重箱の料理を持ってきた。宗介はテッサとタクマの存在を隠しきれず立ち塞がるが、ちょうど浴室からバスタオル姿のテッサが現れ、かなめと目が合った。かなめは状況を誤解し、料理を押し付けて立ち去り、宗介の説明も冷えた声で遮った。

偵察任務の方針と、敵の襲撃
テッサはマデューカス中佐らに連絡し、メリッサ・マオとクルツ・ウェーバーの応援、さらにM9の投入を手配した。宗介は敵戦力や情報網を推し量るが、直後にチャイムが鳴り、ベランダから催涙弾と武装侵入が発生した。宗介は即応して照明を落とし、侵入者を射殺し、ベランダ側の侵入も射撃で阻止した。玄関からも配達員を装った襲撃者が突入したが、宗介は躊躇なく撃って排除し、計三名の襲撃を退けた。

テッサの動揺とタクマの挑発
襲撃者が若い日本人である点や装備の高度さから、敵〈A22〉の実力と情報力が示唆された。テッサは冷静に状況分析しようとするが、直前まで気を緩めていた反動もあり、宗介にすがって感情を抑えきれなくなる。そこへタクマが「逃げても無駄」と挑発し、宗介は銃口を突きつけて最短の解決を提示するが、テッサは「同じになってはいけない」と制止した。

撤収の決断と暗号の伝言
宗介は銃を下ろし、遺体処理と移動準備を進める一方、テッサに〈デ・ダナン〉への連絡を依頼した。移動先の合図として、宗介は「日本史を習いに行く」と伝えるよう指示し、それがクルツに通じる符丁であると示した。

六月二六日 二〇三一時(日本標準時)

メゾンK

かなめの独り相撲と自己嫌悪
かなめは帰宅後、宗介とテッサを目撃した衝撃を引きずり、嫉妬と自己否定の妄想に沈んだ。宗介が約束を破った理由まで勝手に「恋人と一晩中一緒だった」に結びつけ、根拠のない物語を積み上げて消耗していった。

宗介一行の来訪と“匿え”要求
夜にチャイムが鳴り、かなめが開けると宗介、テッサ、タクマの三人が立っていた。宗介は「困っている。かくまってくれ」と直球で頼み、かなめは不機嫌を爆発させつつも、結局ほうじ茶を出して状況を聞く流れになる。

テッサの“悪ふざけ”と三角疑惑の泥沼化
かなめは「16歳の女の子が潜水艦の艦長で大佐」など信じ難い点を突き、宗介の説明もタクマの同席で細部を語れず説得力を欠いた。さらにテッサはわざと歯切れの悪い言い方をし、「ソウスケ」と呼ぶなど、宗介にだけ刺さる含みのある態度を見せ、かなめの疑念を加速させた。

かなめの挑発でタクマが発作を起こす
かなめは礼節を盾にタクマへ圧をかけ、家庭環境まで踏み込む挑発を重ねた。タクマは「母はいない」と吐露し、かなめも自分も同じだと返すが、追撃の煽りでタクマは錯乱し、かなめに飛びかかろうとする。宗介が押さえ込み、手刀で失神させて事態を収めた。

発信機の発見と“電子レンジ作戦”
暴れるタクマを制圧した際、宗介は上腕部に硬い棒状の異物を触知し、テッサがそれを「発信機」と断定した。位置を知らせる電波を出す監視用機材で、材質も非金属中心のため発見が困難だった。かなめは発信機破壊の手段として電子レンジを提案し、扉の安全スイッチを箸で騙して開扉状態で稼働させ、発信機部位だけ露出して数秒照射し破壊した。テッサは乱暴さに驚きつつも、結果的に助かったことを認めた。

即時撤収の判断と三人同行の確定
宗介は発信機が止まったと敵が知れば即襲撃が来ると判断し、かなめにも同行を命じた。かなめは「恋の逃避行」だと拒絶するが、テッサが悪ふざけを謝罪し、自分が上官であり組織としてかなめの保護が必要だと凛と説得したことで、かなめは渋々受け入れた。

ベランダの非常口で階下へ潜行脱出
三人はベランダ床の非常口から下階へ降り、タクマも穴に押し込んで受け渡しながら移動した。途中、野球中継の音が大きい部屋や留守の部屋を利用し、留守宅は窓を破って侵入して玄関側の様子を確認する。道路には黒塗りのライトバンが停車しており、宗介は敵と断定せずとも警戒しつつ、ナンバーを記憶して非常階段から裏手の植え込みへ抜けた。

逃走先の検討と“別の高校”の提案
テッサが手すり越えで転倒する小トラブルはあったが、負傷はなかった。宗介は「人を巻き込まず、目立たず、よく知った場所」を条件に逃走先を考える。かなめは学校を提案するが陣代高校は露呈すると却下され、かなめは「もっと近くに別の高校がある」と切り札を示した。

六月二六日 二一〇七時(日本標準時)

赤海埠頭

カリーニンの覚醒と拘束状況の把握
アンドレイ・カリーニンは意識を取り戻すと、まず自身の損傷を点検した。肋骨のひびと肝臓へのダメージ、背中と両腕の裂傷があり大量出血の痕跡もあったが、致命傷ではなかった。周囲の波音と反響から停泊中の船内と判断し、鉄扉で閉じられた船室で足首を手錠で繋がれていることを確認した。応急処置は未熟で、敵に医師がいないと見抜いた。

セイナの来訪と“ミスリル”の逃走確認
鉄扉が開き、研究所で会話した女セイナが現れた。彼女は追手が三人倒され、テッサとタクマが逃走した事実を告げ、さらに逃げ先が「相良宗介」であることまで把握していた。カリーニンは宗介がテッサの受け皿になったと察し、敵の情報網の鋭さを再認識した。

Aの正体を匂わせる昔話
セイナは〈A〉が単なる武装テロではないことを示すため、武知征爾という日本人傭兵の話を始めた。彼は凶悪事件を起こした非行少年を無人島に集め、サバイバルと戦闘技術を叩き込み、更生させる福祉事業〈AA〉を運営していた。しかしメディア侵入による事故で死者が出ると、訓練内容は歪められ、組織は“テロ養成所”扱いで解体され、生徒の過去も暴露された。セイナはその過程で自身の家庭の傷まで晒されたと示唆し、怒りの根を露わにした。

カリーニンへの試しと“同類”認定
セイナはカリーニンに「武知に似ている」と告げ、さらに「ペテン師呼ばわりで殺された時、部下が仇討ちに走ったらどう思う」と問うた。カリーニンは死者は何も思わないと答え、セイナは冷淡に「つまらない、やっぱり殺す」と銃を抜くが、目的が会話そのものではなく次の行動にあると匂わせた。

目的の告白と宗介への宣戦布告
セイナは「平和ぼけした街を自分たちの色に染める」と語り、破壊と恐怖で東京を焼き尽くす意志を明確にした。そして宗介と連れを必ず殺し、タクマを奪還すると宣言する。カリーニンは賭けとして「ラムダ・ドライバ」の名を出し、セイナの反応で核心に触れたことを確認した。セイナは興味を示して銃を収め、立ち去る際、武知征爾は留置所で首を吊って死んだと告げた。

3 : 二兎を追うもの・・・・・・

六月二六日 二一四〇時 (日本標準時)

潜伏先の選定と“待てば助かる”空気
宗介一行は伏見台学園高校の生徒会室に侵入し、かなめの土地勘を頼りに一時休息を取った。宗介は衛星通信で増援を要請済みで、マオとクルツ、M9を載せた輸送ヘリが二時間以内に到着する見込みであった。かなめは発信機を電子レンジで壊したと明かし、タクマも動揺を見せたため、宗介は当面ここが安全だと判断した。

PHSと嫉妬と地雷原みたいな三角関係
かなめはドラマ録画のためPHSで連絡しようとし、宗介は居場所漏洩を警戒して制止した。かなめは「非常時に偉くなる癖」を刺し、宗介は反論できず黙り込んだ。テッサは宗介がかなめの言葉を優先して聞くように見えることに不満を募らせ、宗介は義務を果たしているだけなのに責められる状況に消耗していった。

用務員の巡回と、雑すぎる隠れ方
怪談話で場をつないでいたところ、用務員の巡回が近づき、一同は机の下に潜んだ。しかしテッサの身体がはみ出し即座に発見され、年老いた用務員に一階の用務員室へ連行された。老人は事情を深追いせず茶を淹れ、学校側には黙っておくから電車のあるうちに帰れと諭した。そこでテッサは家族の話を持ち出し、タクマも姉への崇拝と劣等感を覗かせたが、核心は語られなかった。

女子トイレでの急襲と、人質化の始まり
しばらく平穏が続いた後、かなめとテッサがトイレへ向かった。かなめはPHSが無いことに気づくが、捜索に戻る前に黒装束の男に制圧され、声を出せないまま拘束される。もう一人の男がトイレ出口で待ち、個室から出てきたテッサを襲撃し、二人は同時に掌握された。

タクマの露骨な種明かしと居場所の暴露
宗介が二人の遅れを訝って動こうとした瞬間、かなめのPHSの着信音がタクマのポケットから鳴った。タクマは机の下での混乱に紛れPHSをすり取り、伏見台学園という校名を意図的に口にさせて回線を開きっぱなしにし、敵へ現在地を通知していた。宗介は状況を悟り、電話口の男から「女二人を預かった。タクマを連れて一分以内に校庭へ出ろ」と命じられる。

交渉の場と“どちらを先に助けるか”の選択
校庭では狙撃配置が完成しており、宗介は手榴弾を握ったままタクマと手錠で繋ぎ「撃てばタクマも死ぬ」と牽制して交渉に入った。敵は女を一人解放する提案をし、宗介は二人が同時に助かる確率を優先してテッサを先に解放するよう要求した。テッサは自分が“守られる側”と決めつけられたことに激しく反発し、宗介との関係は決定的に冷え込んだ。

照明点灯の賭けと、戦闘の崩壊
交換を進める中で宗介は用務員に依頼していた「銃声や爆発音でグラウンド照明を点ける」策を発動し、手榴弾で攪乱して狙撃手の一人を撃破した。だが、かなめは逃げずにタクマへ組み付き盾にしようとし、さらにテッサも飛び出して二人を助けに走ったため、宗介の計算は破綻した。体育館側の狙撃手は宗介の頭を抑えることに徹し、宗介は流し台に退避するが、敵は対戦車ロケットを持ち出し水飲み場ごと吹き飛ばした。

宗介消失と再拘束
爆発で宗介の姿は見えなくなり、かなめとテッサの背後には自動拳銃を持つ敵が迫った。タクマは「まだ殺すな」と口走るが理由は言えず、無線の指示で敵は二人を殺さず手錠を投げ渡して自分で付けさせ、従わせた。宗介の生死は不明のまま、かなめとテッサは敵に連行される状況となった。

六月二六日 二三二七時(日本標準時)

赤海埠頭の“音”が示すもの
アンドレイ・カリーニンは船室で耳を澄まし、工作機械やクレーン、ジェネレーターの駆動音から、船内の貨物室で大掛かりな組立と最終テストが進んでいると推測した。目的は特殊なASであり、それを使って都市で破壊行動を行う算段だと見抜いた。

セイナの接近と、痛みで測る“答え”
セイナは再び現れ、カリーニンの包帯越しに傷口を押し込み、痛みで反応を引き出そうとした。武知征爾を卑怯者と呼ぶのかと詰めるセイナに対し、カリーニンは「師は君の中にしかいない」と返し、セイナの信仰と不安の核心を突いた。セイナは一度感情を緩め、カリーニンを戦士ではなく聖職者のようだと評し、僧服が似合うとまで微笑したが、決定的な言葉を飲み込み、すぐに氷の声へ戻った。

敵対の宣言と“ラムダ・ドライバ”の使い道
セイナは最初からカリーニンが敵であり、殺さなかったのは気まぐれだと言い切った。ラムダ・ドライバの知識を吐かせたら用はないと通告し、宗介は死んだと伝えたうえで、かなめとテッサをタクマと一緒にこちらへ連行中だと告げた。さらにセイナは、二人をカリーニンの目の前で拷問にかけて情報を引き出す意図を示し、タクマを“あれ”に乗せて、武知征爾を否定した世界へ反逆させると宣言した。

六月二六日 二三三四時(日本標準時)

保健室での覚醒と失態の自覚
相良宗介は伏見台学園高校の保健室で意識を取り戻した。戦闘服の防弾繊維のおかげで致命傷は免れたものの、ロケット弾による爆風で気絶するという結果は明確な失態であった。グラウンドを確認した宗介は、千鳥かなめとタクマ、そしてテレサの姿が消えていることを悟り、連れ去られたと判断した。死体が残っていなかった点に安堵しつつも、自身がウルズ7として果たすべき役割を完全に失敗した事実を重く受け止めた。

伏見台学園に降り立つ〈ミスリル〉の切り札
老用務員との気まずいやり取りの最中、不可視モードで透明化したCH-0輸送ヘリが校庭に降下した。宗介は無線でゲーボ9から連絡を受け、遅すぎた到着に歯噛みしながらも外へ出る。ヘリが去った後、夜の校庭に姿を現したのは、〈ミスリル〉最新鋭AS・M9〈ガーンズバック〉であった。複雑な装甲構成と高出力兵装を備えたその機体は、状況が「学園の騒ぎ」などという生ぬるい段階をとっくに過ぎていることを雄弁に物語っていた。

マオとクルツ、いつも通りの最悪な再会
M9の足元には、メリッサ・マオ曹長とクルツ・ウェーバー軍曹が待機していた。宗介と頻繁に組む三人一組の編成であり、黒と極彩色を基調としたAS操縦服に身を包む二人は、状況の深刻さとは裏腹に、いつも通りの空気を持ち込む。クルツは開口一番、かなめとテッサの行方を軽口混じりに尋ね、即座にマオから無言の蹴りを受けた。事態は最悪、だがウルズ7のチームは揃った。ここから先は、もう言い訳の余地はない。

六月二七日 ○○二一時(日本標準時)

多摩川河川敷での再編成
相良宗介、メリッサ・マオ、クルツ・ウェーバーの三人は、伏見台学園高校を離れ、多摩川河川敷で態勢を立て直した。敵狙撃手の一人は姿を消しており、生死は不明であった。M9〈ガーンズバック〉は不可視モードのECSによって市街地を隠密移動してきたが、電線切断や酔客に遭遇しかけるなど、相変わらず平和な日本に巨大兵器は不向きであった。

戦力不足という現実
宗介が経緯を説明すると、マオは〈トゥアハー・デ・ダナン〉が多忙を極め、増援が期待できない現状を明かした。カリーニン不在、総司令官テレサも危機的状況という、組織としては最悪のタイミングである。宗介は自責の念を口にしたが、マオは個人でどうにかなる状況ではないと断じ、組織的に動く重武装の敵を三人で相手取る無謀さを指摘した。

マオという指揮官
マオは戦闘技能、電子戦、AS運用のいずれにも精通し、現場判断に長けたリーダーであった。宗介に対しても必要以上に責めることはなく、冷静に現実を見据えている。その態度は慰めではなく、事実の提示に近かった。

タクマの正体と宗介の直感
クルツは軽口を叩きつつ、タクマが千鳥かなめと同種の〈ウィスパード〉なのかを確認した。宗介は、大佐がそれを知っていたと述べつつも、タクマはかなめとは異質だという直感を示した。その根拠は勘に過ぎなかったが、マオとクルツはその異例さを逆に重く受け取った。

追跡開始の合図
M9のAI〈フライデー〉から通信が入り、警視庁の監視システム経由で、拉致に使われた黒塗りのライトバンが首都高速1号線、江東区方面で確認されたことが報告された。千鳥かなめが身につけている超小型発信機の存在もあり、行き先は臨海地区、すなわち港湾部である可能性が高まった。

反撃開始
マオはM9で先行し、宗介とクルツは車両で追従することを決定した。合流地点は後ほど指定される。限られた戦力、限られた時間、そして最悪の相手。それでもマオは淡々と宣言する。反撃開始。
やれやれ、人質救出作戦にしては、随分と人手が足りない。だが文句を言っても敵は待ってくれない。

六月二七日 ○一一〇時 (日本標準時)

首都高速での車内会話
首都高速都心環状線を走行する軽トラックの車内で、運転するクルツ・ウェーバーは軽口を叩きつつ、宗介の判断について踏み込んだ。宗介はテレサ・テスタロッサを先に救出した選択を振り返り、自身の判断を疑っていたが、クルツはあっさりと「馬鹿だ」と断じたうえで、好きな相手を優先すると豪語した。効率と任務を重んじる宗介に対し、クルツは直感と感情を重視する姿勢を示し、理詰めで全てを選べる状況ではなかったと語った。

クルツという存在
軽薄な言動とは裏腹に、クルツは宗介と互角の戦闘能力を持ち、特に狙撃においては常軌を逸した才能を誇る。正規軍の経歴を持たない傭兵であり、その過去については多くを語らない。冗談めいた態度の裏に、語られない経験と影があることを、宗介は理解していた。

判断の是非と直感
宗介は選択の合理性を主張したが、クルツは「どちらを選んでも結果は同じだった」と断じ、こういう局面では直感に従うしかないと述べた。宗介は反論を試みるも、軽口に流され、会話は平行線のまま終わった。

緊急連絡
その最中、メリッサ・マオから無線連絡が入った。自衛隊と警察が敵の位置を把握し、赤色灯を点けたパトカーが埠頭へ向かっているという。公式部隊の介入により、奇襲の余地は失われ、千鳥かなめとテレサの身が危険にさらされる状況となった。

時間との競争
マオは警察・自衛隊の動きを妨害するため、システムへの侵入を試みるが、時間稼ぎにしかならないと判断した。宗介とクルツは状況の悪化を悟り、救出を急ぐ必要性を共有する。クルツは緑茶の缶を放り投げ、アクセルを踏み込んだ。
やれやれ、善意で動く組織が入るほど、現場は混乱する。だが愚痴っている暇はない。生き残るのは、速い方だ。

4: 破壊の導火線

六月二七日 ○一一〇時(日本標準時)

船室での対話と相互理解
貨物船〈ジョージ・クリントン〉の使われていない船室で、テレサ・テスタロッサはタクマが敵に渡った事実と、ラムダ・ドライバ搭載兵器が動き出す恐怖に押し潰されかけていた。千鳥かなめの行動力に「普通ではない」と揺さぶられ、自分が嫉妬や焦りで判断を誤ったことを吐露する。かなめは日常の「敵」と戦ってきた経験を語り、過去の陰湿な迫害を越えた経緯を明かした。二人は宗介の不器用さを笑い合う瞬間を共有し、ぎこちないながら距離を縮めた。

カリーニン救出と逆転劇
会話の最中、武装した男が現れ、二人はカリーニンのいる部屋へ連行された。敵は「拷問は無駄」と見て、テッサやかなめを人質に情報を引き出そうとする。銃口を突きつけられたカリーニンは〈ミスリル〉の存在を口にしつつ、最後の瞬間に演技を捨て、奪った拳銃で至近距離から敵を射殺した。さらに速射で残る二人も沈め、拘束を自力で破壊して復帰する。かなめは、テッサが〈ミスリル〉の総指揮官で「大佐殿」である事実を突き付けられ、状況の異常さを噛みしめた。

貨物船内部の追跡と異臭の退避
三人は船内を移動中、追手をやり過ごすため悪臭漂う狭いトイレに潜む。テッサは貨物船内で稼働する大型発電機らしき音に着目し、AS用としては規模が過大である点から、ラムダ・ドライバ絡みの異常兵器を疑う。推量では止められないとして、貨物室の偵察を決断し、かなめを巻き込んで行動を開始する。

ベヘモスの正体と包囲
貨物室で三人が目撃したのは、ASをはるかに超える巨大機械〈ベヘモス〉であった。暗赤色の装甲と巨大アームを持ち、貨物室そのものを占拠する規模で、動けば大量殺戮が避けられないとテッサは理解する。照明点灯と同時に敵に完全包囲され、操縦服姿のタクマが現れる。タクマは破壊を「主張」として語り、武知征爾を否定した社会への復讐と、セイナを喜ばせたい欲求を淡々と明かした。

爆発による混戦とかなめの孤立
警察・自衛隊接近の中、銃撃が始まる直前に船底付近で爆発が起き、船体が大きく傾いて貨物室は大混乱となる。かなめは転倒し、カリーニンとテッサとは分断されたまま、銃撃を避けて逃げ回る羽目になる。恐怖の中で「声」のようなものを耳奥で感じつつ、追ってきた敵にレンチとバールで反撃し、執念で相手をねじ伏せた。

宗介との再会と脱出開始
覆面の敵は相良宗介であり、かなめは安堵と恐怖の反動で宗介に抱きついてしまう。宗介は頭上の敵を射撃で排除し、船を沈めるため爆薬を起爆した事実を告げる。マオとクルツも合流していると明かし、四人で脱出へ動き出す。

タクマの崩壊とセイナの死
揺れで計画が崩れ、起動を諦めかけたタクマをセイナは力で引きずり、〈ベヘモス〉を動かせと迫る。タクマは「価値」を否定され、虚無に沈みつつ操縦席へ向かう。途中、急き立てた仲間を拳銃で撃ち落とし、注射器で薬剤を注入して儀式を終える。カリーニンが制止に現れるが、セイナが狙撃し、船の崩壊でカリーニンは落下、セイナも落下物に潰されて姿を消す。タクマは「姉は死んだ」と受け入れ、激痛を抱えたままコックピットへ滑り込む。

甲板への合流と警察接近
宗介はかなめとテッサを護りながら通路を進み、クルツとも合流して上部甲板へ到達する。船は急速に沈み、四人は埠頭へ跳び移って離脱に成功した。しかしカリーニンが船内に残ったことが判明し、宗介はマオへ救助を要請する。赤色灯とサイレンが近づき、警察が到着しつつあることが示される。

M9突入と“腕”の出現
ECS透明化して待機していたマオのM9〈ガーンズバック〉が姿を現し、沈みかけた貨物船へ突入して救助に向かう。だが直後、貨物船側から金属が裂ける異音が響き、甲板上のM9が何者かに持ち上げられる。現れたのはASを凌ぐ巨大な腕であり、貨物室から〈ベヘモス〉が立ち上がろうとしていた。破壊は、準備段階から実行段階へ移った。

5: ベヘモス

六月二七日 〇○二三六時 (日本標準時)

巨人の出現と絶望の現実
六月二七日深夜、赤海埠頭に現れたのは、常識的なAS設計を踏み潰す規格外の人型機であった。宗介たちは距離があってもそれを「人型」と認識するのに時間を要し、濡れた赤い装甲と古めかしい板金鎧のような外観に、機械というより怪物めいた気配を感じ取った。

マオ機の瞬殺と嘲笑
巨人はマオのM9を鷲づかみにし、状況を把握できないままの機体を力任せに引き裂いた。胴体から衝撃吸収剤が飛び散り、残骸は海へ投げ捨てられた。低音スピーカー越しの笑い声が埠頭に響き、宗介たちは恐怖を現実として飲み込むしかなかった。

警官隊・自衛隊の無力化
駆けつけた警官隊と自衛隊は停止命令と一斉射撃で対抗したが、小火器も九六式の火力も装甲を貫通できなかった。巨人は弾雨を霧雨のように受け流し、次の段階へ移った。

タクマの高揚とラムダ・ドライバ
搭乗者タクマは巨体の操作感に酔い、〈ベヘモス〉のAI報告を受けてラムダ・ドライバを起動した。自衛隊機のロケット弾は命中直前に不可視の壁で無力化され、反撃の三〇ミリ機関砲が破壊の雨となって車両群と部隊を蹂躙した。

迎撃不能の制圧と刀による掃討
残存する九六式三機に対し、タクマは背部の「太刀」を抜き、歩くように接近して粉砕した。抵抗は成立せず、タクマは自分を世界の王と錯覚するほどの万能感に浸った。

テッサの自責と決断
テッサは惨状を前に、過去にタクマを止められなかった選択を悔いたが、指揮官としてやるべきことに立ち戻った。〈デ・ダナン〉へ衛星回線を開き、マデューカス中佐の独断で〈アーバレスト〉を弾道ミサイル投射で投入する案を受け入れ、投下地点として東京ビッグサイト周辺を選定した。

追跡開始とビッグサイトへの誘導
タクマはセンサーで宗介たち四人の熱源を捉え、狩りの対象として追跡を開始した。宗介たちは中古の軽トラックで逃走し、テッサの指示でモノレール高架を盾にしつつビッグサイトへ巨人を引き付ける方針を固めた。

走行中の狙撃と一時的な突破口
追撃の機関砲掃射で道路が抉られる中、宗介は針路を保ち、クルツは走行中の車上から一発で機関砲の砲口へ弾を通し誘爆させた。火力の一部を潰すことには成功したが、巨人はすぐ立ち直り、なお執拗に追いすがった。

六月二七日 ○二四一時(日本標準時)

東京都 江東区 赤海埠頭

カリーニンの生還と限界
埠頭のはずれの傾斜路に、アンドレイ・カリーニンは海中から引きずり上げられた。背中から受けた弾丸は肩を削る程度で致命傷ではなかったが、海水に血液と体温を奪われ、消耗し尽くして身動きが困難な状態であった。

セイナの救助と最期
カリーニンをここまで泳がせたのはセイナであった。彼女が致命傷を避けた射撃をしていたことから、彼を本気で殺す意図が薄かったことも示唆された。しかしセイナは背中から大量に出血しており、手当てが無意味と分かるほど深刻で、横たわったまま弱々しく言葉を紡いだ末に沈黙した。

〈ベヘモス〉の設計意図と脅威の核心
セイナは〈ベヘモス〉が本来、対AS用の「狩る側」として設計されたガンポートであり、さらに多くの火器を積む構想だったと明かした。一方で機体が鈍重である欠点を補うため、直撃兵器への脆弱性を克服する手段としてラムダ・ドライバが搭載され、その運用要員としてタクマが利用されたという構図が語られた。燃料は四十時間分であり、その間は誰も止められないとセイナは断じたが、最終的にはタクマ次第であるとも示された。

タクマの記憶改変とセイナの孤独
セイナはタクマの記憶が歪み、自分を「自分が殺した姉」と思い込むようになったことへの負い目を口にしつつ、彼をそのまま利用したと認めた。肉親もなく、ずっと独りであったという告白が、彼女の選択と破滅を静かに裏打ちしていた。

名を問う瞬間と看取り
セイナは助けた理由を問うが、カリーニンは察しがつくとして深くは語らず、彼女に嫌悪をぶつけられても謝罪した。セイナは一度だけ微笑み、最後に名前を求めたため、カリーニンはフルネームを名乗った。直後にセイナは息絶え、カリーニンは彼女のまぶたを閉じて最期を看取った。

マオの合流
背後で水を叩く音がして、メリッサ・マオが泳ぎ着いた。彼女は死にかけたと吐き捨てつつ、傍らの遺体を見下ろして関係を問い、カリーニンは曖昧に肯定するに留めた。

六月二七日 ○二四四時(日本標準時)

かなめの冷静と「戦場の心」
千鳥かなめは、恐怖で心臓が暴れていた直前とは打って変わって、妙に冷静になっている自分に気づいた。恐れてばかりでは必要な行動が取れないという、人間の心の切り替えを実感し、相良宗介が常にこうした場所で生きているのだと腑に落ちた。

軽トラックの逃走と国際展示場への誘導
〈ベヘモス〉の機関砲で高架が破壊され、落下するコンクリートの下を軽トラックは辛うじてくぐり抜けた。クルツは興奮し、宗介は苛立ちながらも逃走を継続した。周囲では車両の横転や街路樹の倒壊、ビルのガラス破損など被害が拡大し、軽トラック自体も損傷を重ねたまま国際展示場付近へ突入した。

AS降下カプセルの撃墜と宗介の離脱
展示場上空にAS降下用のカプセルが見え、かなめは過去の事件を思い出したが、〈ベヘモス〉は即座に機関砲でパラシュートを破壊し、カプセルを展示場へ落下させた。テッサは「まだ終わっていない」と断言し、宗介はかなめに運転を託して車外へ飛び降り、カプセル回収へ向かった。

かなめの強行運転と展示場突入
運転経験のないかなめはクルツとテッサに煽られ、赤信号無視の右折や植え込みへの突入、フェンス破壊を重ねて逃走を続けた。〈ベヘモス〉の足が車体をかすめ、ナンバープレートが剥がれるほど追い詰められた末、展示場のシャッターに激突しながらも内部へ突入した。だが車は限界に達して停止し、テッサは負傷して気絶状態となった。

宗介のカプセル奪取失敗と手榴弾
宗介は複雑な展示場内を銃撃と手榴弾で強引に突破し、落下したカプセルを発見した。しかし手動の分割レバーが床側に向いており、外板を開けられない。手榴弾でカプセルを動かそうとするが僅かに揺れただけで戻り、決定的な打開にはならなかった。

タクマの執念と〈ベヘモス〉の暴走
〈ベヘモス〉の操縦者タクマは負傷と錯乱の中で宗介への執着を燃やし、かなめを嘲弄しながら処刑しようとした。だがその直前、横合いから頭部が被弾し、屋根上に純白のAS〈アーバレスト〉が姿を現す。宗介は挑発し、タクマは激昂して突進した。

ラムダ・ドライバ対決と突破の兆し
宗介はショット・キャノンと対戦車ダガーで攻撃するが、〈ベヘモス〉の「見えない壁」にことごとく弾かれた。AI〈アル〉も対抗手段を知らず、宗介は以前の経験を頼りに「砲弾に意志を注ぐ」イメージでラムダ・ドライバを作動させ、弾を障壁越しに押し込むことに成功する。しかし巨体へのダメージは決定打にならず、戦況はなお不利であった。

かなめの“声”と冷却装置の情報
かなめは戦場の只中で、断続的に訪れる異常な浮遊感と「自分の声のようなささやき」に襲われた。さらに別の声が割り込み、「ラムダ・ドライバで敵背中の冷却装置を狙え」と断片的に告げて消える。正気に戻ったかなめは、その情報が重要だと直感し、危険を承知で通信機を求めて戦場へ向かった。

背中のスリット特定と最終攻撃
かなめとクルツは外壁沿いに接近し、背中の穴の配置を観察して「細長いスリット」を冷却装置候補として宗介へ伝達した。宗介は〈ベヘモス〉に掴まれ左腕を切り離して脱出し、股下をくぐる奇策で背中のスリットに照準を合わせ、ラムダ・ドライバを込めた徹甲弾を押し込み命中させた。

〈ベヘモス〉の崩壊と理由の回収
命中直後、〈ベヘモス〉は自重を支えていた力を失ったかのように沈み、関節と装甲が次々に崩壊して地面に激突した。後にテッサは、巨体の自重をラムダ・ドライバの斥力場で支えつつ障壁も展開していたため、冷却装置を潰して機能停止させれば自壊する理屈だと整理した。

タクマの最期とテッサの処置
宗介は残骸からコックピット・シェルを回収し、クルツが強制開放するとタクマは生存していた。錯乱したタクマはテッサを姉と呼び、敗北と喪失を訴える。テッサは泣かずに寄り添う言葉を与え、眠りを促し、タクマはそのまま動かなくなった。

戦後のやり取りとテッサの宣言
テッサはクルツと宗介を労い、〈アーバレスト〉を宗介のものだと告げた上で、かなめにも感謝を示した。さらに宗介の聴覚センサーを止めさせたうえで、かなめに「宗介を好きになった」と小声で宣言し、年相応の笑みを残して撤収を指示した。カリーニンたちの無事も伝えられ、一同は現場を離れる流れとなった。

国際展示場崩壊の遠景と観測者
半壊した国際展示場から約一キロ離れたビル屋上で、双眼鏡を持つ二人の男が戦いの結末を見届けていた。初夏の夜にもかかわらず、一人は「寒い」とこぼし、もう一人は丸眼鏡をかけた冷静な口調で状況を評した。

〈ベヘモス〉計画への失望と損失評価
丸眼鏡の男は、〈ベヘモス〉が「もう少し頑張る」と見込んでいたが、結果は期待外れだったと述べた。もう一人は、そもそも「ボーイスカウトにオモチャを与えた」程度で、期待する方が間違いだと嘲った。さらに丸眼鏡の男は、巡洋艦二隻分の費用がわずか十五分で失われたことを「馬鹿げている」と切り捨て、上層部の判断を疑った。

成果の確認と〈アマルガム〉の結論
義足の男は損失を認めつつも、戦闘データや映像を回収でき、社会不安も増大した点を成果として挙げた。欠陥も明確になった以上、〈アマルガム〉には〈ベヘモス〉は不要だという結論が二人の間で共有された。

“再会”の予告と敵意の露出
義足の男は「ほかにもいろいろ」と含みを持たせ、特に自分の「マイ・ダーリン」とその「ガール・フレンド」と再会できたことを喜ぶ様子を見せた。そして、近いうちに挨拶に行く、それも「とびきりの挨拶」をしに行くのだと不穏な予告を残し、にんまり笑いながら義足を引きずって屋上を去っていった。

エピローグ

有明の市街戦と日常への回帰
有明で発生した市街戦と、謎の巨大ASの暴走、自爆、そして東京ビッグサイトの甚大な被害は、朝のニュースを埋め尽くしていた。自衛隊関与の噂も飛び交ったが、真相は曖昧なままであった。それでも学校では試験前という現実が優先され、教室は世間話よりも試験対策の熱気に包まれていた。

千鳥かなめの疲弊と常盤恭子の苛立ち
常盤恭子は、いつも通り千鳥かなめと勉強をするつもりで声をかけたが、かなめは机に突っ伏して反応が鈍かった。徹夜同然で、しかも勉強ではなく「戦争」をしていたと語るかなめに、恭子は呆れつつも助けを求める相手を変える。

相良宗介の異変
恭子が声をかけた相良宗介は、教室の隅で腕を組み、身じろぎもせず前方を見つめていた。呼びかけにも反応せず、目を開けたまま規則的な呼吸をしており、完全に眠っている状態であった。

神楽坂恵里との衝突
授業開始とともに教室に入った神楽坂恵里は、宗介だけが教科書も出さず虚空を見つめていることに気付く。注意を重ね、感情的になりながら問いただした瞬間、宗介は戦場の反射行動のまま覚醒し、拳銃を抜いて恵里を制圧しようとした。

日常を守った一撃
その刹那、千鳥かなめの飛び蹴りが宗介に命中し、宗介は昏倒した。恭子の必死のフォローがなければ、神楽坂恵里は泣きながら教室を飛び出していた可能性が高かった。

静かな余韻
世界を揺るがす戦いの直後であっても、教室ではテスト前の授業が続いていく。その落差こそが、相良宗介と千鳥かなめの日常が、依然として戦場と隣り合わせであることを皮肉に物語っていた。

フルメタル・パニック! 1巻
フルメタル・パニック! 3巻

同シリーズ

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フルメタル・パニック! 1の表紙。
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外伝

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その他フィクション

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